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2026-02-20 09:38

#354 【48歳の誕生日】人生の折り返し地点で見つめる「死」と「残せるもの」

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今回の放送では、先日2月18日に48歳の誕生日を迎えた私が、「年齢を重ねること」について赤裸々に語ってみました 。
若い頃は「衰え」を感じて嫌だった年齢を重ねるということが、40代も終わりに近づくにつれて、少しずつ違った景色に見えてきたお話です 。

「自分は確実に死に向かっている」という現実の中で、残りの人生で何ができ、何を残せるのか 。お坊さんとしての役割から、日々の家族との時間まで、今感じている等身大の思いをお届けします 。
皆様もぜひ、ご自身の誕生日に「残りの人生」や「どんな風に歩んでいきたいか」を考えるきっかけにしていただければ幸いです 。

共感したことやご自身の体験など、ぜひレターやコメントでお待ちしております!リクエストも大歓迎です 。

#仏教 #お坊さんの話 #蓮城院 #人生の折り返し #48歳 #死生観 #マインドフルネス #丁寧な暮らし #四摂法 #夫婦の時間
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サマリー

48歳の誕生日を迎えた住職が、人生の折り返し地点である現在地と、残りの人生で何を成し遂げ、何を後世に残せるかについて語る。仏教の教えの実践や人間関係の重要性を説き、日々の行いを大切にすること、そして家族との時間を慈しむことの意義を語り、リスナーにも自身の人生を振り返るきっかけを促している。

48歳の誕生日と人生の折り返し地点
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で、福寿営職をしております。
今日はですね、ちょっと自分語りをしたいと思います。 実は私、先日2月18日にですね、誕生日を迎えました。
48歳になったんですね。 間もなく50歳ですよ。
なんとなく、あまり実感はないんですけど、ちょっとびっくりだなぁと思いつつ、その誕生日を迎えにあたって、私が感じたこと、自分が感じたことを
ちょっとね、言葉にしてみたいなというふうに思いました。 どんなことを感じたかというとですね、まず
うん、なんだろうな、昔は誕生日を迎えるときに、例えば20代、特に
20代後半ぐらいからかな、なんか年を取ると、またおじさんになったなというような気がして、なんとなく年を取るということに関してね、少し
嫌だなというか、抵抗感みたいな、そういった思いがあったんですよね。 年を取るということは、まあ
衰えていくということをすごく感じていた。 そんなふうに思ってたんですけども、ところが最近はですね
もちろん衰えは感じるんですけども、それよりも、それよりもですよ、自分はこの
確実に死に向かっている、という中で この自分の人生において何ができるのかなーっていうことをね
考えるほうが強くなったかなっていう気がするんですね。 特にあの40代入ってから
40代といえばね、人生を80年と見立てるんであれば、人生80年と見立てるんであれば折り返しですよ
40代。 だから折り返した時にね、間違いなく人生の半分を過ぎたと
あくまでも見立て状ですけどね、見立て状半分を過ぎたというところで
この残りの人生をね、どのようにしたら自分は後悔なく生きれるのかなというふうに思うようになってきたんですね。
そしてだんだんだんだん40代もね、終わりに近づくにつれ
自分はこの人生で何をなせるのかなっていう部分、そういったところをね だんだんだんだん考えるようになりました。
仏教徒としての役割と後世への継承
私の場合は特にやっぱり仏教ですね。
お寺のこと、あとは
自分がその仏教というものに対して、仏教で得たもの、仏教の教えということを体験することを通じて、それをどのようにいろんな人に伝えられるかという部分。
自分が感じている仏教の良さというのをどれだけ多くの人に伝えられるか、そういったことをできるのかとか、
あとはこの2500年も続くこの仏教を耐えさせないために、少しでもたくさんの人に仏教というものを継いでもらいたい。
つまり弟子の育成とかですよね。そういったところ、そういったことが果たして自分にはできるんだろうか。
自分がそういったことを教えを伝えるようなお坊さんとして、和尚として生きていることができているのか。
そんなことを考えるようになりました。
つまり自分が死ぬまでにきちんとお寺というものの運営をきっちりして、そして弟子を育てて、後輩を育てて、そしてお寺に対して期待を寄せる人、仏教に救いを求める人に対して応える。
さらに言えば、もっと仏教にもあまり興味がない人たちにも仏教を届けることができる。
そういうことがどれだけできるのかというところ。
そこにね、誕生日を迎える度に、あと何回誕生日を迎えるんだろうかということを考えたら、自分が死ぬまでにどこまで生きるのかな、そんなことを考えるようになったというわけですね。
仏教の実践と人間関係の重要性
熱っぽく感じましたけど、語りましたけども。
なかなか現実は難しいですよ。思った通りにはいかない。
ただ一つ言えるのは、自分が仏教というものを学び、そして仏教というものを日々の生活の中で取り入れれば取り入れようとするほど、それだけ仏教というのはすごく難しいなというのを感じております。
つまり自分の生き方を整える、習慣を整える、ちょっとしたことを、煩わしいことをめんどくさがらないように、めんどくさがらずにきちんとやる、丁寧に行う、そういったことがいかに難しいかというのを日々感じております。
だからこそ仏教で学んだことを修行で培ったお作法を日々の中でどれだけ実践できるか、そういったことを意識するということを忘れないようにしようかなというふうに思っています。
また人間関係もそうですね。やっぱり私たち人間は一人一人では生きていけない。必ず支え合いの中で生きているわけですから。
そうなってくると自分の人生をより安心して穏やかに生きるためには多くの人との関わり合いが重要なわけですよね。
だからその関わり合いをよりスムーズに行うためにもコミュニケーションというものをきちんととれるほうが良いかなと思うんです。
そのきちんとコミュニケーションをとるためには自分は何をするかといったらやっぱり仏教の、特に師匠法という教えですね。
不正、愛護、利行、同時、この4つを日々の中で実践していくということがやっぱり大事だなと思います。
今言った言葉、非常に難しいですよね。またこの放送の中でいろいろ語っていきたいなというふうには思うんですが、
ただ私自身がこれを実践しなければ皆さんにも伝えることができないのかなと思います。
なのでこれからの人生、まだまだ生きるつもりではありますので、この命が尽きるまでに自分がなせることをなせるようになるために、
日々の行いというもので丁寧に行っていきたいなというふうに思った所存でございます。
家族との時間と人生の尊さ
それとですね、私の妻、結婚してからもう20年ぐらいですね、およそ。
20年は経ってません。19年かな。もう少しで20年なんですが。
人生の半分近く、半分までは言ってないですけど、半分近く共に過ごしているわけです。
この共に過ごしている妻のね、この誕生日をね、妻と一緒にね、スノーボードの旅行に行ってきたんですけど、
こういったこともあと何回できるのかな、そんなことを考えたらね、やっぱりこういうことを今できる、この今の時間というのはとても大切だな、かけがえがないなというふうに感じております。
あと何回できるかわかりませんが、これも一回一回をかみしめながら、味わいながら、その時の感情をきちんと体に刻みながら過ごしていきたいなと、そんなふうに思ったわけでございます。
人生の終焉を意識し、今を生きる
だいぶ熱っぽく語りましたけど、皆さんもね、きっと自分の人生ね、特に誕生日ですよね。
今、何年経ったのかな、なんていうことを考える日ですから、そうすると残りの人生はどれくらいかなっていう自分の死をね、少しだけ、少しだけでいいですよ、意識していただいて、
その死に向かっている現実、そういったものに少しだけ目を向けていただいて、その死に向かっている中で自分はどんなふうに歩んでいきたいか、
ということをね、今一度考える機会にしていただければいいんじゃないかな、というふうに思います。
若い人にはね、ちょっと難しいと思いますけども、そんなお話でした。
というわけで、今日のお話はここで終わりたいと思います。
今日のようなお話また聞きたい方どうぞ、リクエストなどよろしくお願いいたします。
では、連常院副住職の幸文でした。ではまたね。
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