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2026-02-23 13:33

#355 供養とは、生きている私たちと亡くなった方が共に救われるためにある

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今回は、「供養」の本当の意味について、少し真面目なテーマでお話ししました。

「供養は亡くなった方のためだけではなく、生きている私たちの心を救うためのものでもある」

先日、51歳で亡くなられた方の四十九日法要をご自宅で執り行いました。
「無宗教だからお葬式は不要」という故人様の遺言により、直葬で見送られたご家族。
しかし、なぜ後になって四十九日法要を行うことになったのでしょうか?

残された奥様の「何もしないのは申し訳ない、何かが足りない」という素直な思いに触れながら、供養が持つ「グリーフケア(悲しみのケア)」としての役割についてお話ししています。
大切な人を失った悲しみを抱える方や、供養の意味について改めて考えたい方に、ぜひ聴いていただきたいエピソードです。

ご感想や「こんな話を聞いてみたい」というリクエストがありましたら、ぜひレターやコメントでお知らせください。

#供養 #四十九日法要 #グリーフケア #仏教 #お寺 #副住職 #蓮城院 #死生観 #大切な人との別れ #マインドフルネス
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どうも、コウブンです。
栃木県の片田間にある蓮城院というお寺屋で福住職をしております。
今日はですね、供養とは、生きている私たちと亡くなった方が共に救われるためにある、といったテーマでお話をしたいと思います。
少し真面目なテーマかなと思います。
でもね、すごく大事なことだと思うんですよ。
なので、今日はその辺をきちんと、丁寧にお話をしていきたいなと思います。
なぜ、このようなテーマなのかと言いますと、
今日の昼間行った法事で感じたことがあったんですよね。
どういうことかと言いますと、
今日、49日法要という、亡くなってから49日、7週目の時に行う法要なんですけれども、
それを行ってきたんです。
お寺で行ったんじゃなくて、亡くなった方のご自宅で行ったんですね。
呼ばれたということですよね。
そちらに呼ばれまして、ご自宅に行ってきたと。
行ってみると亡くなった方というのは、51歳の方でした。
私は先日、誕生日を迎えて48歳だというようなお話をしました。
まもなく50歳。
割と年の近い方であるということですよね。
やっぱり、私の立場からすると、
亡くなった方というお葬式を通じていろいろと出会うことがあるんですが、
やっぱり50代というのは若い方ですよね。
少ないですよ。50代の方でお葬式をするというのは。
なので、当然ながらご家族の方も若いです。
そこにいたのは奥さんと娘さんと、それとご両親ですね。
亡くなった本人のご両親、および奥さんのご両親ですね。
その方々がいてご葬式、始祝日を行ったということなんです。
で、行ってみると、まずお祝いはあったんですが、
お祝いとかお骨、お写真はあったんですが、
通常お祝いというものは、お葬式のときに仮祝いというものを作るんです。
白き、何も塗装とかしていない状態のお祝いに、
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そこに文字を書いた紙を貼ったりとか、直接書いたりとかいろいろあるんですけど、
とにかく仮の状態ですね。仮の状態のお祝いがあって、
で、だいたいだと、始祝日、法要のときに法委員会、正式なお委員会と交換する。
そのような儀式を行うのが通例なんですけども、
行ってみると、仮委員会がなかったんです。
あれなんでかなーなんて思って。
でも最初は、儀式始まる前はあまりその辺は聞かずに、
とにかく式を粛々と進めました。
で、式が終わった後に、仮委員会はどうしたんですかって聞いてみたんです。
そうすると、個人の亡くなった方、50歳の方ですけど、
その方が、自分は無宗教だから、お葬式とかやらなくていいんだって言われたんです。
っていうふうに言ってたんですね。
だから、そういった祝いも準備せず、
直祭といって、直接、亡くなったら直接仮葬場に行って、それで済ましたんですって言ったんですよ。
私はちょっと驚きましたけども、あ、そうなんですか。
で、なんで今回はお祝い作ったりとか、始祝日法要があったことになったんですかって聞いたら、
なんかやっぱり、なんとなく申し訳ないなって思ったんですって奥さんが言ってたんですよね。
なんかこのまま、何もせずに早終わりっていうのは、あまりにも、
あまりにも、亡くなった主人に対しても、何か申し訳ない気持ちもあるし、
何かが足りない感じがする。
だから、やっぱりこういう始祥を行おうと思って、今回お願いしたんですって言われたんですよね。
ああ、そういうことだったんですねっていう、そんなお話をして。
その中で、じゃあもしかしたら、
仏教というものに何か期待をしていただいたということですよねっていうお話をしながら、
なんで供養というのが行われるんだっていうところを、
あまりストレートには言わずに少し含ませながら、
亡くなった人のためでもあり、同時に残された人のためでもあるんですよというようなお話をさせていただきました。
その時にバッとお話ししてしまったので、改めて帰ってきて、
ちょっと言語化というんでしょうか、整理して皆さんにお伝えしようかなって、
そういうふうに思ったということなんですよね。
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タイトルというかテーマで言った通り、
供養というものは、亡くなった方々と生きている私たちがともに救われるためにあるんだというところをお話をしたいなと思います。
供養はもちろん亡くなった方のためにやるものです。
だって亡くなった方に対して写真をお供えして、お祝いもそうですけど、
そこにお花、お穀物、そして証拠をする、香りを供える、そういったことをするわけです。
だから亡くなった人たちに対して、亡くなった人に対していろんな施しをする作業ですよね、行為自体は。
つまり亡くなった方を救うためにやっているんだというような意味合いだというふうに理解できます。
でも、この行為自体というものは、同時に私たちの心も救ってくれているということなんですよね。
今回の方の場合は、奥さんが申し訳ない、何もしないなんていうのは申し訳ない。
たとえ亡くなった旦那さんの遺言とはいえ、だからといって何もしないというのは、
どうしても自分たちにとってはすごく心のモヤモヤがずっと残ってしまう、そういう状態なんだということですよね。
それをこの儀式を通じて何かやってあげた、そういう納得感というものは得られたということですよね。
つまり行為を通じて生きている私たちというものの心が救われたということなんですよね。
つまりこれをどういうことかというと、もうちょっと分かりやすく言うと、これはグリーフケアの作業というかグリーフケアの効果そのものですよね。
失ってしまった喪失感、大切な人がいなくなってしまった喪失感、そういったものをケアする。
だんだんと癒やすということですよね。
失ってしまった悲しみ、そういった喪失感というものを癒やす効果、これが供養にあるということですよね。
供養というものは、結局のところ亡くなった人に対して何かをしてあげるという行為を通じて、
実は自分たちの心を癒やしているということなんですよね。
簡単に言えば、いろんな恩を受けてそれに対してお返しをしたいというふうに思うのが、
私たち人間のそういう真理が働くというところなんですよね。
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ましてや親しい人であれば、何かしてあげたいという気持ち、当然ながら大きく芽生えてくるということなんですね。
たくさんたくさんいろんなことをしてもらったわけですから、それに対してお礼をしたい、お返しをしたい、
そういうものは当たり前です。
それをもう既になくなってしまったわけですから、その人の体はもうないわけですから、
じゃあどうするのかというと、その儀式を通じて、祈りを通じて、
個人に対して聴講したりとか、お花を供えたりとか、食べ物を供える、
そういう儀式を通じて何かお返しをするということなんですよね。
そうすることで、やはり個人との関係性に納得感が出てくるというところなんですよね。
もちろん100%納得するわけではないですよ。
でも何にもしないよりは遥かにマシですよね。
その供養という行為を通じて心が癒される、グリフケアの効果があるということなんですよね。
さらに言うと、個人との思い出、いろんな儀式の中で個人との思い出というのがきっと頭に蘇ってくると思うんですが、
その蘇ってきた思い出の中で、自分が何をいろいろと受け取ったのかなという部分、
自分は個人からどんなことを伝えたのかな、どんな恩を受けたのかなというところを思い出して、
それに対して自分はどういうふうに答えていけばいいのかなということを、
自分はその個人から受けた恩に対してちゃんと答えて生きているのかな、
そんなことを考えられる時間でもあるんですよね。
つまり個人との関係性というものを生きているときよりもよりはっきりと明確に意識する時間、これが供養の時間なのかなと思うんです。
できることならば、その関係性の中で築かれたもの、それを自分の人生で生かして、
自分の人生がより良い方向に行くんだったらきっと個人も喜ぶし、
そうすることで自分の人生も良くなっていく。
いろんなことを考える時間というのがやっぱり供養なのかなと思うんですね。
そのようなことを今日の報酬を通じて私は思ったということでございます。
これを聞いている皆さんもきっと残念ながら大切な人がいつかどこかでいなくなってしまいます。
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そのときは精一杯供らうこと、個人に対してできることを全力で行うことですよね。
それはどうしても報酬という形にならざるを得ないんですが、
そのときはきちんと報酬を丁寧に行って、そして個人との思い出というものを
頭の中でも結構です。それとも同席した親戚の方でも結構です。
いろんな人の中でその個人との思い出というのを再確認して、
そしてそれを自分が受け取った何かをきちんと自分の人生に生かす。
そういう時間にしていただきたいなというふうに思います。
はい、そのようにできればきっと失った悲しみもあるんですが、
それよりか失った悲しみからどんどん自分の人生を導いてくれるような
そういう存在にきっと個人差は変わっていくかなと思うので、
ぜひとも応用で供養というものを大事にして、そして依頼でもらうようにしてください。
はい、というわけで今日のお話はここで終わりたいと思います。
このようなお話、また聞きたいという方どうぞリクエストよろしくお願いいたします。
連常院副住職の幸文でした。ではまたね。
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