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2024-10-15 11:26

#115 なぜツルツル?お坊さんの頭に込められた深い意味

🪒 なぜお坊さんは頭を剃るの?その深い意味と歴史

子供の素直な疑問から始まる、お坊さんの剃髪の物語。2500年以上続く伝統の背景には、お釈迦様の教えと深い意味が隠されています。

この放送では、お坊さんが頭を剃る3つの理由を解説。煩悩との関係、修行への決意、そして現代社会での多様な在り方まで、仏教の世界をわかりやすく紐解きます。

お寺の日常から生まれた、心温まる話とともに、仏教の知恵を日常に活かすヒントが見つかるかもしれません。

蓮城院副住職のコウブンがお届けする、心静かに聴ける15分間。あなたの「なぜ?」が「なるほど!」に変わる時間をお楽しみください。

#お坊さん #剃髪 #仏教 #お釈迦様 #人生相談 #日々の智慧
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00:05
おはようございます。コウブンです。
栃井県の片田川にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日はですね、お坊さんはなぜ頭を反るのかというテーマでお話をしたいと思います。
今日のお昼に法事がありました。
その時にね、小さいお子さんを連れた方がいたんです。
5歳ぐらいかな、小学校入る前ぐらいの子。何人かいてね、結構賑やかな家族だったんですけども。
その小さな女の子はですね、私が法事を始める前に
お坊さんが座る位置ですね、定位置のところに着こうとした時に、それを見た5歳ぐらいの女の子はですね、
あの人ツルツルだって言ったんですよ。
子供にとってはやっぱりインパクトがあったんでしょうね。思わず言ってしまったというところなんでしょうけども。
私はそれに対してね、その何かリアクションをしてあげたいところだったんですけども、これからね
仏事を営むということで、法事を営むということで、そこは静かにね、答えることなく法事を始めたんですけども。
その脇にいたお母さんがね、静かにしてって言ってね、多分お母さんも理由がわからなかったんでしょうね。
そのお母さんの疑問に答えることなく静かにしておりました。
法事が終わって、頭がツルツルだということで、お坊さんが何で頭がツルツルするのかというお話を法事の後にしました。
お子さんに伝わったかどうかはわかりませんけども、とりあえず少しでも疑問が晴れたのかなと思ったと思います。
その時の話した内容をね、今日は放送にしたいなと思いました。
お坊さんが髪の毛を剃るというのはなぜかと言いますと、これはいつ始まったかというとね、お釈迦様がいた時代からなんですね。
お釈迦様が出家をした時から始まったということですね。
お釈迦様は釈迦族という王族の出身と言われております。
ですので、髪の毛は当然ながら伸ばしていたでしょう。髭も伸ばしていたんじゃないかと言われております。
そのような生活をしていたお釈迦様は、いろんな思いがあって、王族を辞めて出家をするという決意をしたんですよね。
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出家というのはお坊さんになるということですよね。王族を辞めてお坊さんになった。
そのお坊さんになった時に一番最初に行ったのは、自分の手で自分の髪の毛を剃ったという行為ですね。髪の毛と髭ですね。
そのように伝説が残っております。
何で剃ったのかというと、当時、今もある程度はそうかもしれませんが、髪型であったりとか髭の形であったりとかというのは、
当時の地位ですね。王族であるとかね。そういったものの象徴だったようなんですね。
髪型が決まっていたとか、髭とかが決まっていたとか、そういう風なルールがあったようです。
ですので、そういったしがらみから離れるという意味合いを込めて髪の毛を剃ったんだというふうに言われております。
そのような理由でお釈迦様が剃ったというのが、そういう歴史があります。
この髪の毛を剃ることの意味として、お釈迦様は最初の理由としては、しがらみから離れることということだったんですけれども、
その後、修行中はずっと髪の毛を剃っていたわけです。
つまり、その髪の毛を剃るということが、いろんな意味が込められていたんだろうということで、
今、現代の日本で、髪の毛を何で剃るの?と言われると語られること、これ3つあります。
1つは、お釈迦様が剃ったからだよという。
お釈迦様が剃ったということは、お釈迦様からの教えを引き継いでいるお坊さんは、
当然ながら、お釈迦様がやったのにやらないというわけにはいきませんという考えのもと、
お釈迦様を敬っているから、私たちも剃るんだというところがあります。
次に、煩悩というものに髪の毛を例えまして、その煩悩から離れるんだという、
そういう意味があると言われております。
煩悩というのは何かというと、もっと欲しいとか、もっと美味しいものとか、もっと美しいもの、もっとたくさんとか、
とにかくもっともっとという欲しがる心ですよね。
むさぼりの心とも言いますね。
このむさぼりから離れる。
むさぼりというのは、もっと欲しい、もっと欲しいのを、苦しみの大元と言われておりますから、
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その苦しみの元凶である、そういった心から離れるんだという意味合いで髪の毛を剃ると言われております。
髪の毛を剃るのが煩悩を離れるとどう繋がるのというと、
髪の毛というものは剃ったり、あるいは切ったりして、しばらく経つと伸びてくる、生えてくるものですよね。
これを私たちの煩悩の心に例えて、その煩悩から離れるんだというところですよね。
どんどんどんどん沸き上がる煩悩で、切っても切っても伸びてくる髪の毛。
それを例えまして、剃ることによってその煩悩から離れるんだというね、
そういう象徴的な意味合いというところで、その理由の一つとされております。
最後3つ目の理由としては、修行への妨げになるからというところですよね。
どういうことかというと、髪の毛というものが伸びてくると、
皆さん、仕事に行くときに髪の毛を置きっぱなしの状態で行くというわけではなくて、ちゃんと整えますよね。
人によっては、髪の毛をきちんと整えるために30分かかったりとか言う人もいるかもしれません。
制圧料を使ったりとか、お手入れがとにかく大変という部分はあるかと思います。
他にも、年をとってくると髪の毛が抜けてしまって薄くなってしまったりとかね、
あるいは白髪が生えてきてね、それをちょっと気になってしまったりとか、
とにかく余計なこと、修行にとっては必要のない心配するようなことというのがね、
髪の毛が生えていることで生まれてしまう。
ということで、髪の毛を剃ることで修行というものがスムーズになる。
修行に集中できるんだ、そういった意味合いで髪の毛を剃るんだという理由の一つになっているということですね。
このような3つの理由を元に、現代では髪の毛を剃るということを説明する際には、
そのような3つの理由で語られております。
ただし、全ての修派、現在の日本の修派はいろいろありますけれども、
全ての修派が髪の毛を剃るというわけではないんですよね。
一部の修派では髪の毛を剃らずにむしろ伸ばすということを推奨しているというところもあります。
これはですね、修派による考え方の違いによってこういったことが起きております。
大事なのは安心する心、そういったものを提供できるかどうかというところですので、
その安心する心を提供できるのであれば、髪の毛というのは言ってみれば些細なことというふうに捉えております。
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髪の毛を剃らない修派ではですよ。
ですので、そういったものは必要ないというところですね。
他にもお坊さんはですね、兼業をやっている方って結構いらっしゃるんですね。
ダブルバークですよね、今の言葉でいうと。
週末はお坊さん、平日は会社員という方もいらっしゃると思います。
そういった方にとっては、低髪している、髪の毛を剃っていると不都合があるということで剃らないという方もいらっしゃいますね。
なので全てのお坊さんが髪の毛を剃っているわけではありませんが、大多数剃っている人の方が多いのかなとお坊さんは。
というところで、お坊さんの象徴としても髪の毛を剃るというのが現代の日本であります。
お釈迦様が出教するところから始まった髪の毛を剃るという伝統ですよね。
これが2500年以上も仏教の重要な象徴として続いているというわけなんです。
これは単なる外見の変化ではなくて、煩悩からの解放であったりとか、修行への決意であったりとか。
仏の道を歩む上での覚悟の現れ、そんな風に言えるのかなと思います。
今日はお坊さんはなんで髪の毛を剃るのかというテーマでお話をさせていただきました。
今日のお話を聞いてご意見、ご感想などあれば、どうぞコメント欄へよろしくお願いいたします。
また、お悩み相談、あるいは人生相談などあれば、私の方へ直接メッセージを届けていただければ、
この放送を通じてお答えすることもできますので、どうぞご検討ください。
では、蓮城院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
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