1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
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2025-05-29 18:42

#240 AIは心の救いとなるか?仏教の「方便」から考えるメンタルケアの未来

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【仏教とAIによるメンタルケア】シリーズ
▼第1回「AIは「駆け込み寺"風"」!?」
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▼第2回「AIの慰めと仏教の慈悲」
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▼第3回「AIの情報整理 vs 仏教の智慧:本当に賢くなるってどういうこと?」
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【最終回】仏教とAIによるメンタルケアシリーズ - AIは仏教の「方便」となり得るか?

「仏教とAIによるメンタルケア」シリーズ、いよいよ最終回です!

今回は、AIが仏教でいう「方便(ほうべん)」、つまり人々を真理に導く巧みな手段となり得るのかを深掘りします。

これまでのシリーズで議論してきた「駆け込み寺としてのAIの可能性」「AIの慰めと仏教の慈悲の違い」「AIの情報と仏教の体験的智慧」といったポイントを振り返りつつ 、仏教における「方便」の具体的な意味を、お釈迦様の説話(芥子の実の話)を交えて解説。

その上で、AIが「方便」として活用できる可能性(アクセスの容易さ、関心の喚起)と、その限界や倫理的注意点(誤解を生む可能性、真の導きの欠如、依存のリスク)を考察します。

そして、仏教が譲れない一線とは何か?「三宝(仏・法・僧)への帰依」「体験と実践」「人格的な師との関係」など、AIでは代替不可能な核心部分を明らかにします。

AI時代だからこそ問い直される「人間とは何か」「真の心の平安とは何か」。仏教の智慧を深めるヒントがここにあります。

全4回にわたりお聞きいただき、誠にありがとうございました!

ご意見やご感想、人生相談などもお待ちしております。

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サマリー

ポッドキャストでは、AIと仏教の関係について考察し、AIのメンタルケアにおける可能性と限界を探っています。特に、AIが人々の心に寄り添う能力と仏教の「方便」の概念との関連が論じられています。また、AIの利用に伴う倫理的課題や依存の危険性にも焦点が当てられています。このエピソードでは、AIが仏教のメンタルケアの価値にどのように貢献できるかを探求しつつ、仏教の実践や体験の重要性はAIでは代替できないことを強調しています。その中で、AIが提供できるのは情報や自己対話のきっかけに過ぎないと述べています。

AIによるメンタルケアの意義
どうも、コウブンです。栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日は、仏教とAIによるメンタルケアシリーズの第4回目をお送りしたいと思います。
今日は最終回です。なぜ、こういうAIによるメンタルケアというテーマでお送りしているかと言いますと、
とあるインフルエンサーの方が、最近はAIの性能が上がってすごく優秀であると、
自分のお悩みを答えたら、すごく寄り添ったような言葉をかけてくれるんだ、すごく優秀なんだということを言っていましたので、
現時点、2025年の5月の時点で、AIというものは、そういったメンタルを仕事としているというと変かな、
心のケアというものを生業としている仕事、職業か、例えばカウンセラーの方であったりとか、お坊さんも含まれるかな、
そういったものと比較して、どのレベルまでなのかというところを確認するという、基本なものがこのシリーズでございます。
今まではどういったお話をしてきたかというと、駆け込み寺という言葉がありますよね。
要は苦しい時にそういった自分が逃げる場所だ、避難するような場所となり得るのかというところでは、
補助ツールとしてのレベルではなり得るけど、本当の意味での駆け込み寺にはなりませんよね。
なぜならAIというものはあくまでもテキストのやり取りですし、そもそもプログラムで動いている。
なのでこちらの言葉に反応するだけであって、こういう言葉をかけたらこう返すというような反応をするだけであって、
苦しんでいる人たちに対して思いやりの言葉でかけているわけではないというところ。
そして体を持っていないから寄り添うというようなことはできないというところを確認しました。
あとはAIによる長さ目と仏教の慈悲の違いの部分、そこも確認をしました。
慈悲というものは先ほども申し上げた通り、相手のことを思いやるというのが前提ですので、そういった部分とは違いますよねと。
長さ目の言葉はそれもまたプログラム上のお話ですよねというようなところですよね。そこを確認しました。
それとAIが提供する情報、それと仏教の体験的な知恵というものは異なるんだよというところも確認しました。
仏教は知恵という言葉があります。これは何かと言いますと、体を持って体験をして気がつくこと、納得すること、これが知恵というふうにですよね。
例えばコップの水、あれは甘いんだと言葉で聞いても本当の意味でわかったことではないですよね。
それを実際に口に含んで飲み込んだ時に甘さというものを感じるわけで、その時初めて体験をする、理解をすることができる、これを知恵と呼ぶんですね。
AIではどんなにこと細かに説明してもそれは本当の意味でわかったわけではないというところですね。
この違いがありますよという話もしました。
では仏教の今日のテーマですけれども、AIを仏教的な方便として捉えることができるのかというところ。
もしできるとすればそれがどこまでの範囲で、そして仏教としては譲れない一線はどこにあるのかという部分ですね。
このシリーズの集大成としてこの点を深掘りをしていきたいなというふうに思っております。
まずは方便って何でしょうかというところをお話をしたいかなと思います。
仏教の方便の概念
方便というのは仏教でいうと人々を真理に導くために用いる巧みな手段、あとは手引きのことなんですよね。
要するにその人に会った形でわかりやすい形で伝える、そういったことが方便ということなんですよね。
この方便というものを表す代表的なお話というものが仏教にはあります。
どういうお話かと言いますと、お釈迦様の時代ですね。お釈迦様が御存命だった時代ですね。
今から約2500年ほど前のお話なんですが、お釈迦様という方は多くの人々を苦しみから救ったと言われております。
簡単に言うと人生相談、お悩み相談、そういったものをたくさんしてきた方なんですよね。
その中の一人、お悩みを打ち明ける一人としてとある女性がおりました。
その女性は生まれたばかりの我が子が死んでしまって大変悲しんでおりました。
そこでお釈迦様にこのような相談をしたと言われております。
どうしたらこの可愛い我が子を生き返らせることができますかということを言ったんですね。
それを聞いたお釈迦様は、けしの実を持ってくれば何とかしてやろうと。
ただし、そのけしの実は今まで自分の家庭で死人を出していることのない家、そこからもどなってきたものでなければならない。
そういうふうに言ったんですよね。
それを聞いた女性は村中を回って、家々を回って、今まで死人を出したことのない家を探したんです。
そしたらどこの家に行っても、そんな死人を出したことのないという家はなかったんですよね。
そこで女性は気がついたんです。
自分の抱えている苦しみというものは、これはどこの家庭でも起こり得るし、
命が失うというものは避けられないんだということに気がついたと言われております。
お釈迦様は、お悩み相談に女性が来たときに、命を失うことは避けられないんだというふうに伝えることも可能ではあったと思いますけれども、
しかし、あえてその人をきちんと正しい方に目を向けてもらうために、そのような試練を課したわけですね。
これを方便と言うんですよね。
直接言葉を言うこともありますし、そうではなく、少し回りこどいところはあるんですが、
その人を正しい方向に向かってもらうために言い方を変える。
その人に合った言葉を選ぶというのが、これが方便ということなんですよね。
なので方便というのはあくまでも真実を導くための手段であって、方便自体が目的ではないんですよね。
そして慈悲の心と知恵に基づいて用いられる必要があるということなんですよね。
時には一見、真実から遠回りしているようにも見えても、最終的に人々を救うためのものである。
これが仏教でいう方便の定義なんですよね。
AIの限界と倫理的課題
その方便に栄養が成り得るのかというところですけれども、
ある一定のところは方便になり得るのかなと私は感じております。
どういうところかというと、まず一つ、アクセスの容易さですよね。
悩みを抱えつつも、お寺とか専門機関への、そこに行くことへの指揮というものを高く感じる人々にとっては、
最初の入り口になり得るのかなというところがアクセスの容易さですね。
次に仏教への関心の喚起になるかなというところ。
AIの対話を通じて仏教の基本的な教えとか考え方に触れて興味を持つきっかけになり得るというところがあるのかなと思います。
一方で方便としてのAIの限界の部分、あとは倫理的な注意点もあるのかなというふうに思います。
方便が偽りとか誤解になってしまう可能性ですよね。
教えを単純化したりとか、あとは歪曲したり、曲がった形で伝えてしまったりとか、
AIが仏教の深い教えを表面的な言葉で単純化するというところですよね。
あとは誤って解釈したりするような、そういったリスクはAIにはまだあるかなというところですね。
あとは真の導きの欠如というところ。
AIには人間的な経験、深み、そういったものがないので、
個々の状況に応じた、その悩みを持っている方に応じた真の寄り添い、
そういった導きをすることはまだできません。
そしてAIへの依存、それと執着ですね。
AIとの対話がとても心地よいんですよね。
それなのでついAIに依存してしまったりとか、
AIと仏教の関係性
人間関係とか現実の課題から目をとむけてしまったりとか、
そういったことが新しい苦しみを生むというような可能性は考えられます。
では、仏教の譲れない一線、
AIでは大概不可能な革新の部分というのはどこにあるのかということについてなんですが、
まず仏教ではとても大事にしていることがありますね。
それは三坊への寄り添いということ。
これはちょっと前のお話にも出てきたんですが、
三坊というのは仏法相というところですね。
仏というのは仏、悟りを開いた存在ですよね。
私たち自身の内なる可能性というふうにも言えるかなと思います。
AIは悟りというものを開くことも仏性というものを権限することも現時点ではできていないですよね。
法、仏法相の法ですね。
これは仏の説いた教えですね。
宇宙の真理とも言えます。
AIは情報としてはそういった法を提示するということはできます。
でもその法の大徳、あとは実践というものは残念ながら体を持っておりませんので、
それはできておりませんよね。
仏法相の相、相というのはお坊さんのことも指しますけれども仲間のことですね。
仏像を共に歩む共同体のことです。
AIは温かい人間関係のつながりとか、
あとは共に修行するような仲間、そういった役割は果たすことはできないですよね。
つまりこの三法というものに対してまだAIは役不足であるというところが言えるのかなと思います。
なのでその部分は仏教はまだまだ優位というか、
仏教にとってはAIと変わることのできないところですよね。
その中でも具体的に言うと体験と実践というところを仏教では重視をしているんですけれども、
そこは特にできないんですよね。
座禅であったり、読経であったり、あとは戒律を守ることであったりとかね。
自分自身の心と体を通じて行う修行ということが仏教の革新の部分なんですよね。
仏教というのは実践を通じて体得するものですから。
AIはこれらの実践を代行することはできないんですよね。
他にも人格的な師との関係性を結ぶということもできないですよね。
師から師匠から弟子へと、人格を通じて教えが伝えられてきたという伝統が仏教にありますけれども、
仏教というのは人格的な師との関係性を結ぶということもできないんですよね。
師から師匠へと、人格を通じて教えが伝えられてきたという伝統が仏教にありますけれども、
生身の人間同士の深い信頼関係と指導というものはまだまだAIにはできないんですよね。
結論として、AIは方便としての限定的に賢く活用することは可能かなと。
つまり情報の入り口、あとは自己対話のきっかけにするということはできるのかなと思います。
でも、AIというのはあくまでもきっかけであって、仏教の目指すところ、
つまり悟りそのものではないというところは忘れてはいけないというところはありますよね。
仏教の核心である三法への経営、体験を通じた実践とか人格的なつながりと導きというのは、
現時点では仏教はAIに代替することがないというところは確認できましたよね。
人間の心と仏教の実践
AI時代だからこそ人間とは何か、真の心の平安とは何かということを問い直して、
そして仏教の知恵を深めていくということがこの仏教にとっては大事であるというところですね。
以上をもちまして、この仏教とAIのメンタル啓発シリーズは終わりたいと思います。
前4回、最後まで聞いてくださった方、どうもありがとうございました。
なかなか難しいテーマだったので歯切れの悪いところもたくさんあったと思いますが、
まだまだ私のレベルが至らないところがありました。
お気にぐるしいと思った方にとっては大変申し訳ございません。
まだまだ精進しなくちゃならないというところを反省しつつ、ひとまず終わりたいと思います。
今日のお話を聞いていいねと思った方、どうぞいいねボタンよろしくお願いいたします。
それと人生についての思い出について、
またこんなことをしてほしいというようなリクエストがあれば、
概要欄の方に人生相談のリクエストのフォームが設置してありますので、
そちらをご利用していただきたいなというふうに思います。
もちろんコメント欄の方に書き込んでいただいても結構です。
ではまたね。
18:42

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