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「仏教とAIによるメンタルケア」シリーズ第2回をお届けします。
今回のテーマは「AIの慰めと仏教の慈悲」。
AIとの対話で心が軽くなったり、涙したりする体験がある一方、仏教では古くから「慈悲」の心を大切にしてきました。
AIがもたらす慰めと、仏教の慈悲は何が違うのでしょうか?
この放送では、AIによる「表層的なケア」と、仏教が目指す「深層的な救済」の違いに焦点を当て、それぞれの根源、深さ、目的、そして築かれる関係性について詳しく解説します。
AIは私たちの心をどこまで癒せるのか?
人間の温かさや仏教の智慧に代わることはできるのか? AIと人間の心の関わりについて、仏教的な視点から一緒に考えてみませんか?
#仏教 #AI #メンタルケア #心の悩み #駆け込み寺 #慈悲 #抜苦与楽 #智慧 #表層的なケア #深層的な救済 #生き方 #standfm #スタエフ #音声配信 #蓮城院 #コウブン
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今回のテーマは「AIの慰めと仏教の慈悲」。
AIとの対話で心が軽くなったり、涙したりする体験がある一方、仏教では古くから「慈悲」の心を大切にしてきました。
AIがもたらす慰めと、仏教の慈悲は何が違うのでしょうか?
この放送では、AIによる「表層的なケア」と、仏教が目指す「深層的な救済」の違いに焦点を当て、それぞれの根源、深さ、目的、そして築かれる関係性について詳しく解説します。
AIは私たちの心をどこまで癒せるのか?
人間の温かさや仏教の智慧に代わることはできるのか? AIと人間の心の関わりについて、仏教的な視点から一緒に考えてみませんか?
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サマリー
このエピソードでは、AIがもたらす心の慰めと、仏教が重視する慈悲の心について考察しています。AIの慰めは一時的な感情の軽減に寄与し、仏教の慈悲は相手の苦しみを根本的に理解し、解放しようとする深い心の働きであることが焦点となっています。AIによる表層的なケアと、仏教が目指す真相的な救済の違いが考察されます。特に、仏教の慈悲が持つ深い癒しや人間の共感力の価値が、AIには及ばないことが強調されています。
AIの心の慰め
どうも、コウブンです。 栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日はですね、
仏教とAIによるメンタルケアシリーズの第2回目をお送りしたいと思います。 前回は、AIは現代の駆け込み寺になれるのか
というテーマでお話をさせていただきました。 AIは、心のケアにおいては便利だ、補助ツール
というふうになるんだけれども、人間の温かさ、あとは仏教がもたらす 深いつながりの代わりにはなり得ないんじゃないかというような確認をしました。
さて、今回はその続きとして、 特に私たちの感情の部分ですよね、そこに焦点を当ててみたいと思います。
AIとの対話で心が慰められたりとか、あとは時には涙したりとかすることもあるようですけども、
このAIがくれるその慰めと 仏教で非常に大切にしている慈悲の心
これらはどう違うのか、そういったところを今日のテーマで、 対してAIの慰めと
仏教の慈悲、表層的なケアと真相的な救済の違い、 そんなふうに、そういうテーマでお送りしたいと思います。
まず、AIが私たちに与えてくれる慰めについて、 ちょっと考えていきたいと思います。
以前にも触れましたけども、SNSなどを見ていると、 AIに話を聞いてもらってすごく気持ちが楽になったとか、
あとは、AIの言葉に涙が止まらなかった、 といった経験談というのが見られました。
例えば、AIが、それは辛かったですよね、とか、 あなたの気持ちよくわかります、とか、
あなたは一人ではありませんよ、とか、 そういった言葉を返してくれるんですよね。
あるいは、亡くなった方について尋ねると、 きっと安らかな世界にいらっしゃいますよ、といった宗教的なニュアンスを
ちょっと含む言葉、そういったことを 生成することがあったんですよね。
では、なぜ私たちはAIの言葉に、これほど 心を動かされることがあるんでしょうか。
一つには、自分の気持ちを肯定してもらえた、 受け止めてもらえた、と感じるからじゃないんでしょうかね。
誰にも言えなかった感情、自分の持っていた気持ちというものを、 ただ静かに受け止めてくれる。
それだけで、心が軽くなるということがあるんですよね。 あと、自分だけじゃなかったんだ、という、そういう孤独感、
そういったものが和らぐ効果があった、 というふうに言えるかもしれません。
あと、言葉にすることで、自分が言葉として発することで、 自分自身の感情が整理されて溜まっていて、ものが外に出ていく。
そういったカタルシスのような効果も 期待できるのかな、というふうに思います。
AIが投げかけてくれる前向きで優しい言葉。 素直に心が反応する。
そういうこともあるんじゃないでしょうかね。 このようにAIが提供する慰めには、確かに
私たちの心を一時的に軽くしたりとか、 あとは前向きにしたりとか、そういう力があるんですよね。
仏教の慈悲の心
一方で、仏教では慈悲という心を大切にしています。 慈悲、知ってますかね、皆さん、慈悲。
慈悲というのは、慈しみに悲しい。 そんなふうに書きます。
では、この慈悲というものは一体どういうものなのか、 ちょっと考えてみたいなと思います。
よくね、慈悲深いなんていう言葉を使いますけれども、 これは単にね、かわいそうだという同情心、
あとは暴れみとはちょっと違うんですよね。 慈悲というのはね、慈というのは慈しみです。
慈しみというものは、親がこう思うような、 相手の幸せや利益を願う、そういった心なんですよね。
一方でもう一つの悲、悲しいという字ですね。 悲しいという字は、相手の苦しみを取り除いてあげたいという、 願う心ですよね。
特にね、この悲の部分、悲しいという字の部分ですね。 仏教ではバックで言ったりします。
苦しみを抜く、抜く苦しみでバックですね。 苦しみを抜いてあげたいという強い思いなんですよね。
セットでね、慈悲のことをセットでバック、余楽、 余楽バック、どっちともどっちの言い方もするんですけどね。
バック、余楽の方が多いのかな。 苦しみを抜いて楽しみを与える。
余楽って楽しみを与える、与える楽しみで余楽ですね。 楽しみを与えるという意味ですね。
苦しみを抜いて楽しみを与える。 これがね、慈悲の具体的な働きなんですよね。
要するに、
なんて言うんでしょうね。
この生きているうちの、私たちの世界というのは苦しみが多い。
ということで、いつもいつも心というものは
辛い状況にさらされているというところで、 その辛さから解放する。
というような働き。これがね、慈悲なんですよね。
そしてこの大切なのは、慈悲の心というものは、知恵。
つまりね、物事の本質を見抜く力と 深く結びついているということなんですよね。
なんで相手が苦しんでいるのかとか、 あとはその苦しみの根本原因というものは何なのか。
というね、理解に基づいている。 だからただね、感情的に同調するだけではなくて、どうすれば本当にその人が苦しみから
解放されるのかという、そういう視点が含まれているんですよね。
この慈悲の心というものは、お釈迦様や 仏様、菩薩様が持つ心として説かれています。
私たち人間もね、仏道を歩む中で 少しずつ育んでいくことができるものというようにもね、
言われているんですよね。 それはプログラムされた、そういった言葉ではなくて
生身の人間の存在そのもの、 寄り添う姿勢、具体的な行動、そういったものを通じて表現されるということなんですよね。
温かく力強いエネルギーのようなもの、 そういうふうに言えるのかもしれないですよね。
さて、AIの慰めと仏教の慈悲、 こうして見てくると、両者の間には決定的な
いくつかの違いというものがあるということが分かってきました。 まずその根源が違いますよね。
AIの言葉というものは、膨大なデータを学習した結果生成される パターン化された反応、応答なんですよね。
こういう言葉が来たらこう返す、というのが過去のいろんな学習データの中にあって、 それに基づいて答えているというところなんですよね。
一方で、人間の慈悲の心というものは、人生経験とか、その方の人生経験とか、共感能力、そして仏道の実践といった精神的な営みの中から生まれてくる。
そういう心そのものなんですよね。 そして次にその深さというものは違いますよね。
AIは表面的な言葉で一時的に感情を和らげることはできるかもしれません。
でも慈悲というものは、相手の苦しみの奥底にあるものに触れて、 存在レベルで深く寄り添おうとするところなんですよね。
そこには言葉を超えた魂の触れ合いというべきものが求められますよね。
AIにはこの深さというものはどうしても難しいところがあります。 そしてその目的も違いますよね。
AIというものは、状況に応じてプログラムされた適切な応答を返すということが目的なんですよね。
AIと仏教の関係性
でも慈悲の目的というものは、相手が本当に苦しみから解放されること、 仏教ではこれを下脱というように言いますけれども、それを心から願うことにあるというところなんですよね。
最後に気づかれる関係性も違いますよね。 AIとのやりとりというもの、これは基本的に機能的な
相互作用というふうに言えるのかなと思います。 相互作用というのは、例えば人がボタンを押すと、それに反応してシステムが反応するような そんな関係性のことです。
そういう関係性ですよね、AIというのはね。 一方で慈悲に基づく関わりというものは、
時間とともに信頼に基づいた人間的なつながり、 そういったものを育んでいくことなんですよね。
この違いをケアのあり方として言い換えるのであれば、 表層的なケア、それと真相的な救済という言葉が使えるのかもしれませんよね。
AIによるケアというものは、一時的な気分の改善 あとはストレス軽減というものには役立つのかなと思います。
でもそれはどちらかというと、 表面に現れた症状に対する表層的なケアというように言えるんじゃないでしょうか。
熱が出た時に解熱剤を飲むようなもの、 そういった方がわかりやすいでしょうかね。
もちろんそれが必要な時もあります。 でも仏教が目指すのはもっと真相的な救済なんですよね。
なぜ熱が出たのか、その根本原因は何かを探って、 そして体質そのものを改善していくようなアプローチというところなんですよね。
仏教では私たちの苦しみの根本には物事への執着、 あとは真理に対する無知というものがある、そういうふうに考えるんです。
瞑想とか戒律を守ること、そして知恵を磨くことといった実践を通じて、 その根本原因にアプローチをして、そして心の在り方そのものを変容させていく。
これによって一時的な気休みではなくて、永続的な心の平安、 自由と言ってもいいかもしれませんね。
そういったものを目指すというものなんですよね。 これは人生の意味とか目的といったより深い問いかけにもつながっていくという、
そういう道筋みたいなものですよね。 AIは残念ながらこの真相的なレベルまで私たちを導いてくれるということは現段階ではないですよね。
次回のテーマ予告
ということでシリーズの第2回目は AIの慰めと
仏教の慈悲というテーマでお送りしました。 AIがくれる慰めの言葉というものは時に私たちの心を温かく響くことがあります。
それはそれで一つの 価値ある体験だとは思いますけども、でもそれがね
仏教で説く慈悲の心とか、あとはそれによってもたらされる 深い癒しと同じではない、そういったことなんですよね。
表層的なケアと苦しみの根本に向き合う 真相的な救済との違い、そういったものを少しでも今日は感じていただけたら幸いです。
やはり人間の持つ共感力、そして仏教が説く実践の道というものは まだAIには変えられない、計り知れない
価値があるんだと私自身は改めて感じております。 さて
次回はAIの得意分野である情報処理、あと思考の整理、
そして仏教で大切にする知恵との関係について考えてみたいなと思います。 テーマは
AIによる思考整理と仏教の証言、 情報と知恵のギャップというテーマですね。
AIは私たちを賢くしてくれるのか、 そういったところを深く追求していきたいなと思います。
では 今日はこの辺で終わりたいと思います。
今日のお話を聞いていいねと思った方どうぞいいねボタンよろしくお願い致します。 また人生相談やお悩み相談
あとリクエストなどありましたら 人生相談リクエストボックスの方を概要欄の方に貼ってありますのでそちらの方から
投稿していただければお答えいたします。 もちろんコメント欄でも結構です。
では連常院副住職の幸文でした。 ではではまたね!
15:34
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