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禅語の「無心」とは、頭を空っぽにすることではなく、湧いてきた思考に執着せず心をフラットに保つ状態を指します。
栃木県・蓮城院の副住職コウブンです。今回は、日常でもよく使われる「無心」という言葉を禅の視点で深掘りしました。
座禅をしても、頭の中を完全に空っぽにするのは不可能です。大切なのは、五感への刺激から始まる「連想ゲーム」を追いかけず、そっと受け流すこと。呼吸に意識を向け、心をニュートラルな状態に戻すことが、本当の「無心」への第一歩となります。
悩みや不安で心が乱れる時こそ、1分だけでも「心を一休み」させてみませんか?生きていく上での希望となる、お守りのような禅の知恵をお届けします。
#副住職 #蓮城院 #禅 #禅語 #無心
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禅語の「無心」とは、頭を空っぽにすることではなく、湧いてきた思考に執着せず心をフラットに保つ状態を指します。
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座禅をしても、頭の中を完全に空っぽにするのは不可能です。大切なのは、五感への刺激から始まる「連想ゲーム」を追いかけず、そっと受け流すこと。呼吸に意識を向け、心をニュートラルな状態に戻すことが、本当の「無心」への第一歩となります。
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サマリー
禅の「無心」とは、頭を空っぽにすることではなく、湧き上がる思考に執着せず心をフラットに保つ状態を指します。座禅中に思考が巡るのは自然なことであり、大切なのはその思考を追いかけずに受け流すことです。呼吸に意識を向けるなどして心をニュートラルに戻すことが、本当の「無心」への第一歩となります。この禅の知恵は、悩みや不安で心が乱れた時に心を休ませ、生きる希望となるお守りのようなものです。
禅語「無心」とは何か
どうも、コウブンです。 栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺屋で副住宿をしております。
今日はですね、皆さんにもぜひとも覚えていただきたい禅語のシリーズをお送りしたいと思います。
禅語は、座禅の禅に言語の語と書いて、禅語ですね、つまり禅の言葉。 この禅の言葉の特徴としては、
その言葉自体が答えというよりかは、 ヒントになるような、何かを指し示すような、そういったものが多いのが特徴です。
なので、皆さんの人生において、ちょっと迷いが生じた時にね、 そっとヒントになるような、
お守りのような使い方をしていただければ嬉しいなということで、 このようなことをしているというわけでございます。
今日ご紹介する禅語は、無心ですね。無心。 無い心と書いて無心。
この言葉はね、禅の言葉というよりかは、 もちろん皆さんがね、日常的に使うような言葉じゃないかなと思うんですね。
例えば、無心になって走るとか、 無心になって何か作業に没頭するとか、そんな使い方しますよね。
何かに夢中になるとかね、集中する、 あるいは頭を空っぽにする、みたいな、そんな使い方があるんじゃないかなというふうに思うんです。
確かにそういう意味で間違いもないし、 私自身もそういうふうな使い方よくします。
じゃあこれじゃあ全然ね、放送のテーマとしてふさわしくなくなってお話終わっちゃうんで、 もうちょっと深掘りしていきたいなと思います。
「無心」の誤解と座禅の現実
この無心という言葉、よくね、私座禅会なんかで言われるんですよ。 座禅、座ってみて、座禅が終わった後に、
どうも無心になれないですね、座っても頭の中にいろんな考えが巡っちゃって、 無になれないです、みたいな、そんなこと言われるんですよ。
無心というイメージ、座禅の時のイメージ、 頭の中がすっかり何もないような状態でいる、そういうイメージがあるようなんですよね。
なんでかなーって思ったんですよ、座禅と無心。
どことなく座禅をすれば、頭が空っぽになるんじゃないか、 そんなふうなイメージ皆さん持ってられると思うんですよ。
また頭を空っぽにすると、なんだか心がすっきりする、 みたいなね、そんなふうに思ってるんじゃないかなと思うんですよ。
もしかしたらそういう効能もあるかもしれませんが、 実際座禅をしてみるとわかるんですけど、
無心になる、いわゆる頭の中が空っぽになるというのは、 まず不可能です。
不可能ですね。
多分おそらくどんなに素晴らしい座禅を極めたと言われるようなお坊さんですら、 頭の中を完全に空っぽにするというのは無理じゃないかな。
なぜなら、私たち人間というのは、人間に限らずかな。
ともかく外界の刺激というものに対して、 体というのは反応するようにできているんですね。
特に頭の中の思考の部分、例えば音、鳥の声、虫の鳴き声とか、
あとは遠くで聞こえる車の音とか風の音とか、
その音の刺激によって聞こえてきた音に対して、 頭の中にイメージが湧いてしまうんですよね。
なかなか音を音としてだけ聞くというのは非常に難しいです。
できる人もいるんでしょうけど、なかなかできないですね。
他にも、座禅中は匂いとか、あるいは肌は温度とか、
あと目から光とか、いろんな五感の刺激というのが入ってくるんですよ。
それらのいろんな刺激が入ってきて、やはりそれなりに反応はするんですよね。
完全に無視するというのはやっぱりできないですね。
そうなってくると、引き出しにいろんな刺激が入ってくるわけですから、
頭の中はいつも妄想だらけになってしまう。
これは必然なんですよね。
だから座禅をしたからって、
頭の中が空っぽになって心がすっきりするということはないです。
こんなことをお坊さんが言ってどうするの?という話になっちゃうんですけども、
実際に座ってみるとすぐに体験できるんじゃないかなと思うんです。
じゃあ何のためにやるの?というふうになりますよね。
本当の「無心」の状態とは
これは一言で言うと、
座禅というのは何にもならないためにやると言っても過言じゃないんですよ。
何にもならない。
つまり結果みたいなものはない。
何かを得られるものがない。
ただただ座る。
それが座禅なんですよね。
その座禅という行いをしている瞬間が無心そのものなんですよね。
行いそのものです。
行った先に何かがあるんじゃなくて行いそのものですね。
とはいえ座った瞬間にいろんな妄想が働いてしまいますから、
それは無心じゃないんじゃないかというふうに思いますよね。
確かに頭の中の妄想が出てくることに関しては否定はできないんですが、
ただその妄想というもの。
頭の中にいろんなイメージが湧くということ。
それに対してずっと追いかけない。
それに引きずられない。
引っ張られない。
執着しない。
というのがそこが無鎮たるゆえんじゃないかなと私は思っています。
つまりどういうことかというと、
例えばトラックの音。
車の音が座禅中に聞こえてきたとします。
トラックの音だからなんだろう。
配送トラックかな。
Amazonで注文したものかな。
注文したものってなんだったっけ。
あ、そうだ。
どこどこの名物の食べ物だった。
今日の夕食はそれを食べようかな。
みたいに連想ゲームって始まっちゃいますよね。
始まっちゃうんですよ。
私はよくやっています。
それをあ、連想しているなというふうに少し間を置くというか、
俯瞰してみるというのが、
そういったことができるようになるというのが、
無心なんじゃないかなと思うんですよ。
つまり追いかけない。
思考というものを、
ある程度のところで発生した思考というものを止める。
止めるというか、
受け流すと言ったらいいのかな。
追いかけない。
そしてまた元の状態、フラットの状態に戻る。
というのを繰り返し。
そうすることによって、
自分の心がそういった何かに偏らないと言ったらいいのかな。
引っ張られない。
執着しすぎないということになりますね。
つまり心がフラットの状態になれる。
ニュートラルの状態になれるということ。
これが無心なんじゃないかなと思うんですよ。
「無心」を実践する方法
はい。
要するに、
執着のない心。
これが無心。
そのようなものじゃないかなと私は思っております。
なので、
今日これを聞いてくださったあなた、
ぜひとも座ったときに、
もし座ったときと言っても、
座禅じゃなくてもいいんですけれども、
ちょっと静かなところに立たせたときに、
頭の中にいろんな思考が巡ったときに、
少し今いろんな妄想をしているなという、
俯瞰した目で見るという心がけをしてみるといいと思います。
そうすることによって、
頭の中の妄想というのが一旦止まって、
またゆったりとしたフラットの状態に戻ってこれるんじゃないかなと思うんです。
でも、そうは言っても、
それは難しいですよって思いますよね。
確かにその通り。
なので、一番のおすすめは、
呼吸の数を数えてみるというのがいいかなと思っています。
息のスピード。
5秒吐いて5秒で吸うというときは、
1・2・3・4・5でカウントする。
また吸うときも1・2・3・4・5とカウントする。
あるいは、その呼吸をワンサイクル吸って吐いて、
それを1と数えてみる。
それを目標10まで数えてみる。
20まで、30まで、100までみたいなのをやってみるとかね。
そういった、少し自分の身体の方に意識をするということをすると、
心はあまり散らかった状態になりにくいということがわかっています。
これはいわゆるマインドフルネスという手法ですが、
まずはそこから入ってみるのがいいんじゃないかなと思うんです。
そのようなことをやっても意味ないんじゃないかって、
確かにその通りなんですが、
ただ、もし自分が何か重大な悩みを抱えているとき、
例えば大切な人がいなくなってしまったとき、
あるいは大事な仕事をしくじいてしまったとき、
そういった心が大変乱れているときに非常に有効なんじゃないかなと思うんですよ。
もちろん、そういった心を座った状態で心を落ち着かせている瞬間だけは忘れて、
またそれをやめたら、日常に戻ったら思い出してしまうということはあるかもしれません。
でも、1日のうちのたった1分、
それだけでも、自分にとって苦しい状況から少しでも離れた状況を作れるというのは、
ある意味、希望なんじゃないかなと思うんですよね。
生きていく上での希望。
全てが絶望じゃなくて、その瞬間。
自分の命がここにあるんだということを感じられる瞬間。
そういったものが少しずつ広がってくれば、
自分の人生もまた良い方向に広がってくるのかな、変わってくるんじゃないかなと。
そういうふうな、ちょっとした休憩する時間といったらいいんでしょうかね。
そういったものを作ることができるんじゃないかなと、そんなふうに思います。
まとめとリスナーへの問いかけ
無心とは、つまり心を一休みすることであるという結論ですね。
かなり強引でしたけど。
そのようなことじゃないかなと思いました。
あなたはどう思ったでしょうか。
ぜひとも、自分の思ったことを感想いただけるとすごく嬉しいです。
というわけで、今日のお話はここで終わりたいと思います。
このようなお話、また聞きたい方どうぞリクエストよろしくお願いいたします。
では、連常院副住職の幸文でした。ではではまたね。
12:22
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