1. normalize.fm
  2. 047. 波とノイズとシェーダと..
2023-08-21 1:41:47

047. 波とノイズとシェーダとアート

@YoheiNishitsuji さん(アーティスト・会社員・リサーチャー)をお迎えして、会社員と研究員とアーティストという3つの顔を持っているという話、リサーチャーとしての活動のお話、研究者としての自分とアーティストとしての自分がどう共存しているのか、アーティストとしての表現の手段としてシェーダを使うに至った理由、シェーダを使ったアート作品が大賞を受賞した話、短いコードで表現することのすごさの話、ちょっとスピリチュアルだけど否応なく感じてしまうこと、量子力学のその先についてなどお話しました。


* 会社員であり研究員であり、アーティスト

* デルフト工科大学との関わり

* 研究員として取り組んでいること

* 時流を読み、AI を活用した研究にも取り組む

* 研究者とアーティストがどう共存しているか

* 自分の内から湧き出してくるもの

* 表現の手段としてのシェーダ

* CG としてのノイズとの出会い

* シェーダをアート作品としてコンテストに出展

* まさかの大賞を受賞したシェーダアート

* twigl は唯一無二のツール

* 短く書けるということに大きな意義がある

* シミュレーション仮説とつぶやき GLSL

* スピリチュアルだけど考えてしまうこと

* 写真のなかに宿ってしまうもの

* 宗教的な思想に潜んでいるもの

* 量子力学のその先にあるもの

* アジアデジタルアート大賞展FUKUOKA 2022

* Yohei Nishitsuji / 西辻󠄀 陽平 - Homepage


## show notes


* 活動内容に通底するもの

* GLSL や twigl に興味を持たれた経緯

* 宇宙や哲学、AI についてなど


サマリー

今回のエピソードでは、シェーダーやアートなどの話題が取り上げられています。シェーダーを使ったアート作品を制作し、アジアデジタルアート大賞で受賞した経験について話されています。また、波とノイズについてのお話もあります。シェーダ創る背景と評価のされ方について語っています。波と作品や写真との関連性についても語られました。さらに、あらやしきの仏教哲学に触発され、宗教や時間のテーマを写真作品で表現している西杉さんのインタビューもあります。彼の作品は内側に向かっていく感覚を呼び起こし、人々に新たな世界を広げる可能性があります。ドクサスさんの写真でジトッとしたものを感じます。カメラを持ったおじさんが街角でジトッとしている感じが写真に表現されています。また、マクロ撮影に興味があり、目に見えないものがマクロ写真で見えることに興奮しています。写真撮影の中身が変わってきています。

normalize.fmの第47回
はい、始まりました。normalize.fmの、今日は第47回になります。
夏休みの期間ということもあってね、あんまりこう、皆さんお仕事お休みの方もいるかなと思って、そんなにゲストに声かけとかしてなかったんで、ちょっと久しぶりのね、収録になりましたけども、今日元気に撮っていきたいと思います。
はい、今日のゲストなんですけれども、今日のゲストはですね、ちょっとウェブの界隈からはだいぶ遠いゲストの方かなと思うんですけども、私が過去に作って、実装して公開しているツイージーエルというサービスがあるんですけども、そのツイージーエルを使ってくださっている方を、もちろん私はツイッターとかでいつも拝見してるんですけども、その中の一人の方で作品をね、よく拝見してたんで、今回ちょっと声掛けさせていただきます。
声掛けさせていただいて、心よく出ていただけるということでしたので、ゲストとしてお呼びしたという感じになっています。
はい、ということで今日のゲストはですね、シェーダーなどでアーティスト活動などされてます西辻陽平さんにお越しいただきました。西辻さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本当にね、今日初対面で、もともと知り合いでもなんでもないんですけども、シェーダーの話とかはね、皮切りに結構なんか色々複雑、複雑と言うと違うな、ちょっと面白い経歴だったりとか、色々お持ちの方だと思いますので、その辺りのお話聞いていけたらなと思っておりますので、今日も早速始めていきたいと思います。
はい、じゃあ西辻さん、最初にちょっと簡単にで構いませんので、自己紹介からお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、わかりました。西辻陽平と言います。
Twitterの方でもですね、GLSLのシェーダーの方の作品をいくつかアップさせていただいてまして、
先ほどお話にあったTWIGGLっていうんですかね、あちらの方のプラットフォームを活用させていただいています。
僕自身、こういう作品を作る活動っていうのは、ここ最近2年間ぐらい集中的にやっているんですけども、
もともとずっとこういったことをやっていたのではなくて、もともとはリサーチャーと言いますか、研究員でありまして、
オランダのデルフト工科大学というところで、今も研究員をやっています。
その傍らではないんですけど、傍らって言っちゃダメなんですが、企業の方にも勤めてまして、総合省舎の方でも仕事をしております。
ですので、研究活動をしながら、サラリーマンもしながら、アート活動もしているということで、
自分の中では3つの顔を持って、少なくとも大概的には持って、行動しているのかなというふうに思っております。
本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。私も西辻さんを最初に認識したのは確実にツイッター上だったと思うんですけど、
その後、ポートフォリオサイトを見に行ったときに、結構いろいろ拝見していく中で、ちょっとこの人変わっていると思ったんですけど。
最初はそんな感じで、ちょっと変わった人だなと思ってたんですけど、
それからしばらく経って、ポートフォリオサイトに地方のテレビ局に出演された時の動画が貼り付けられたタイミングがあって、
それを拝見したら、想像を超えるぐらいちょっとこの人興味深いなと思ったし、
喋っている様子を聞いていて、すごく人当たりも柔らかいし、この人たぶん一回話を聞いといた方がいいなって、
その時に確信して今に至るっていう感じなんですけど。
ありがとうございます。
西辻さんの経歴と活動
オランダのベルフト工科大学の話、そのテレビ番組の収録の時もその話触れてた場面があったと思うんですけど、
これはその学生時代からずっと取り組んできたものの延長線って感じなんですか?
学生時代、日本の大学院まで、修士までは日本の方にいまして、
そこでは地球物理学っていうもので、地球の中を探るみたいなことをやっていました。
例えば地震がどうやって起きるんだろうとか、防災のためには今緊急速報のアプリとかあると思いますけど、
そういったもののアプリの開発じゃないですけど、どうやったら速報ってできるのかなとか、そういったことをやってたんですね。
そこの延長から地球の、一旦日本の民間企業に勤めまして、
そこでは地球物理っていうのをやっていたので、地下の内部を音波を使って、音波だけじゃないんですけど、
いろんな波を使って中をエコーでレントゲン写真を撮って、
病院で体の中がわかるように地球の中にある資源をですね、どれだけあるのかなというのを調べるようなことを企業の方でやっていました。
この辺りから学生の辺りも含めて、ずっと波をですね、波動ですけども、波を扱うことを生業としていまして、
ちょっときっかけがあって、もう少しスキルアップしなきゃいけないのかなということで、
一度ですね、その民間の企業を辞めて、オランダの大学の方にですね、外国公務員扱いにはなったんですけども、
そこでリサーチしながら、うまくいけば日本でいう白紙家庭みたいなものだと思うんですけども、
向こうの方ではPhDと呼ぶんですが、そちらも取得できますよっていう機会に巡り合いまして、そちらに勤めるというか、席を移すことになってですね。
で、無事学位も取れたんですけども、その後もずっと地球の内部のこととか、月の内部のこととか、あとはトンザしちゃったんですけど、火星の内部とか、
そういう惑星の内部をですね、波をひたすら使って調べ尽くすみたいなことをやっていって、波に取り憑かれた感じになった感じになっちゃうんです。
へー、すごい。じゃあそれが今も、研究員の顔はそれを引き続きやられてる?
そうですね。日本にいた時はAIの技術っていうのはほぼなかったんですけども、オランダに行きたいと思ったのはちょうど今から結構前なんですけども、
AIが出始めた時でして、ちょっと使わないとダメなんじゃないのかなっていうので、ただ波を使うってことだけじゃなくて、AIも組み合わせてやっていきたいなっていうのであって、今もそういうことで波を使ったり、AIの技術を使ったり、
あとは、なんでもじゃないんですけど、いろいろやっていいよっていうところなので、ネットワークサイエンスっていうのもやってまして、
例えばTwitterがどの人からどの人にニュースが、例えばどう拡散していって、どういう影響が社会にあったとか、パニック時の話とか、そういうネットワークサイエンスっていうのもオランダのそちらの大学のほうではやっているっていう感じですね。
うーん、すごいな。私、本当に大学も行ってないような感じで、あんまりアカデミックなことを専攻してこなかったので、なんていうか、コンプレックスというと言い過ぎかなとは思うんですけど、ちゃんと学問をされている方たちに対するものすごい憧れというか尊敬があるんですよね。
だから、本当にその、PhD取得された時の話とかも拝見して、本当にすごいなと思ってたんですけど、今も本当にAIとか使ったり、単純に物理的なことだけじゃなくって、もっともっといろんなことをやられている感じなんですね、そうすると。
そうですね。もう純粋な物理学、もともとはやっていて好きで興味があってというか、わかりやすいってことで納得できるかなっていうのでやっていたんですけど、時代はもう皆さんご存知のようにマシンラーニングなどAIなど普通に普及されてしまって、なんか古典的なアプローチは今も美しさはあるんですけど、
とはいえ、やっぱり世の中に論文とか出していくってなると、ちょっとそういったものをちゃんと活用しなきゃあまり難しいところも出てきたので、積極的に使っていかなきゃいけないのかなっていうので、今も使っている感じになってますね。
なるほど。なんかその分析結果を人が目で見るだけじゃなくて、AIに一回インプットしてみてその結果を参考にしたりみたいなこともやるイメージですか?
そうです。いろんなやり方はあるんですけども、わかりやすいのはこれまでやって人間がバッチ処理っていうか、AからZまでのプロセスを順番、よくやっていたのをAからZまで一気に覚えさせてしまって、アウトプットだけ欲しいですよねっていうので、
いきなりAからZにジャンプするようなところで時間短縮したりとか、これは一番単純なやり方ですけど、あとは思ってもみなかったような解釈とかをお願いするというか試してみるっていうことですかね。
インプットするものをいろんな種類を、これは関係ないでしょうって思われるようなものを、我々日本語では食わせるとか食べさせるって言うんですけど、AIの方に食べさせて、どう思うっていうのでアウトプットをお願いするみたいな、そういう奇抜な。
すごい面白そう。よく我々が、最近だとすごく一般にもだんだん認知度が広まってるものっていう、チャットGPTとかがすぐ思い浮かびますけど、まさにその一般の人たちがチャットGPTに対して何か情報を食わしてみて、その結果どうなるかを見て観察して楽しいって感じるのと同じで、
そういうのがちゃんと研究とかにも活かされてるっていうのを、考えてみれば当たり前のような気もしますけど、やっぱりその最先端のいろいろな研究されてる方々も活用しながらやってるところもあるってことなんですね。
そうですね。社会というか、ラボにこぼってばかりのイメージもあるかもしれないですけど、まあでも、ちょっと世の中のそういう流れをすごく意識しながらやらないと、論文のその雑誌の方も、うーんってちょっとオールドファッションだねっていう風になるので、
トレンディーな感じでお願いしますよっていうので、やっぱりこの向こうもうまく、なんていうんですかね、商売のとこ多分あると思うので、読者の期待というかそういうので、こっちもそういう流れですかね。
うーん、なるほどな。いや、なんか考えたことなかったけど、まあでも、なんか流行って言うとちょっと安っぽくなっちゃいますけど、やっぱりその社会が求めているものを研究している方がやっぱり注目されやすいとか、そういうのもありますもんね。
そうです。複雑な気持ちにはなるんですけども、このなんていうんですかね、まあいい意味でこういうゲームって誰かがどこかでこう始めていて、多分最初は何事もさざ波だと思うんですけども、それが重なり合ってきっと大きなうねりになっていて、もうなんていうんですかね、まあ大げさに言うと上がらえないような強さを持つ。
まあこれはいい方向で使われているときはすごく僕は、まあこのAIも研究についてはポジティブには捉えてますけど、なんか変な方向性に行った時ってやっぱり怖いんだろうなーっていう想像をかき立てられるようなこととかを感じながら、この悪く言えばの波に乗ってるっていうか流されているっていうんですか、この方向に流されているですけど、
AI技術の応用と複雑な気持ち
ちょっと複雑な気持ちは複雑っていうか悪いことじゃなくていろんな意見が自分の中に混在するので、結果的には乗ってはいるんですけど。
わかるって言ったら、研究者だったことはないんでわかるわけではないんですけど、多分その複雑な感情っていうのはなんとなく想像がつくような気がしますね。
なるほど。普通にChatGPTを遊びで使っててもやっぱり複雑な気持ちになるっていうか、見てるとちょっと不安な気持ちになったりすることもあるし、なんでこんなことこいつできるんだろうって単純に思っちゃうこともあるし。
そうですよね。普通の我々の一般常識と言われていたものにおける理解を当てはめたいと思っちゃうんですけど、ChatGPTはそのルールを知らないというか別に気にしないで求められたものをバーンって出してくるんで、何が起きてるんだろうっていうのはこっちはわからないですよね。
そうですね。それがだから面白い部分でもあるし、可能性の部分だとは思うんですけど、研究の領域とかでもそういうことってやっぱりあるんだなっていうのはちょっと考えた後から。
ありますあります。すごくあります。
ちょっと思っちゃいましたね。なるほど。なるほどな。
じゃあ結構あれなんですね。本当に先ほど西井さんもおっしゃってましたけど、カチッと研究室の中で座ってデスクにかじりついてみたいな感じっていうよりは本当に広い視野が必要というか、柔軟な思考がやっぱり求められる感じなんですね。
そうですね。僕がいるところだけじゃないと思うんですけども、やっぱり本当に超一流で抜群でチクチクに尖っている方はきっと、例えば物理ならそれを極めて新しい物理法則というか物理的な発見をしましたっていう感じで持っていけると思うんですけども、
それが多分人類の大げさに言うと英知になると思うんですが、僕のようなハシクレの場合はやっぱりいろんなものを組み合わせて新しいものを作っていくっていう方向にアイデア勝負っていうか数打ち当たるっていうかいろいろ試しながらやっていくしかないんですよね。
なので、しかないというか、いろいろやるからそういうふうになっちゃうのかもしれないですけど、それは僕自身の性分にも合っているので、よしとしてやってはいるんですけども。
なんかすごくわかるなって思うのが、先ほどちょっと私はアカデミックな背景がないっていう話をしたんですけど、
例えばCGの分野にもやっぱり最先端の研究している人たち、コンピューターグラフィックスの研究やったり、最前線で開発している開発者の人たちとかがいらっしゃって、
そういう方たちに比べると私って結構素人に毛が生えたようなというか、一応WebGLのスクールやったりはしてるんで、そこは受講者さんたちのためにも自分自身をあんまり卑下する言い方をするのは良くないなと思う反面、
やっぱりガッツリコンピューターセンスずっとその畑で最先端突っ走ってきた感じではないんで、究極に極まってる人たちの手の届かなさっていうか、雲の上の人感がすごいっていう感覚はなんとなくわかる気がするんですよね。
だからそれこそ宇宙の真理を紐解くとか、量子力学みたいな世界で、それこそ世界最先端の研究されてる人たちってやっぱちょっと世界が違うというか、そこにたどり着けるのはやっぱ一流の中のさらにもう一握りみたいなところなんじゃないかなっていうのは思うんで、
なんかその、西井さんは今けっこう謙遜されてお話しいただいたかなと思うんですけど。
いえいえ、そんなことないです。
なんかちょっと気持ちわかるなって思っちゃいましたね。
まあきっとそういう一握りどこかにいる方たちって、きっとどこかにいるっていうレベルで、あんまりこう外に知られることもないと思いますし、論文で名前だけとか多分そういう方たちなんじゃないかなと。
それはそれですごくいろんな価値観の意味で一つ重要なことだと思いますし、僕からすると、ドクサスさんがやられているような活動とか、こういうスクールの話とか、
こう別の接点であり、見えるものとか感じるものに近いっていう意味で、それはまた同様にして重要さがあるというふうに思っていまして、
なんかインターネットが普及したことによって比較をするっていうのがスケールがグローバルになっちゃいましたけど、本来は村に生まれていれば、その村の中での争いだったのに、
いや、隣に町があるよとか、え、この国って他にも国があって向こうにもすごい奴がいるぜみたいな、競争力と言えばいいんですけど、でも必要以上にもしかしたら比較しちゃうっていうのも裏返しではあるんじゃないのかなっていうふうに感じますね。
そうですね。本当そうだと思います。なんか昔、私は1981年の生まれなんで、もう40少し回ったぐらいなんですけど、私が子供の時ってせいぜい町でしたからね、市区町村の町とか市までで、
アートとシェーダ
そのスケールでなんかいろいろ部活やってたりしても、まずそこの奴らとぶつかることになるし、それより先って見たくても見れる機会がないっていうか、当時YouTubeとかもないんで、
そうですよね。
全国トップレベルの選手たちはどんな動きをしてるかとかって、見ることないわけじゃないですか。
ないですね。
でも今はもうなんだって動画になってたり、詩人になってたりですからね。
知りたくなくても自分の胃の中のカワズ感を正面から突きつけられるっていうか。
一方でこうなんか知ってほしいとか、一応なんか自分に留めておくのはもったいないかなとか、考えとか、まあそれこそ作品もそうですけど、
なんかここの何て言うんですかね、諸刃の剣っていうか、こうジレンマがすごくありますね。
活用する側の時にはすごく活用したいと思うものの、一方で今おっしゃられたようなことで、反動もありますよね。
見たくないもの、結果的に見たくないものとか、えーってあんまり知らなくてもよかったかなって思うものとか、同時にくるので、ほんと複雑ですね。
そうですね。まあ便利ではあるんですけどね。なんか天秤にかけたら便利が勝ってるような気もするし、長い目で見たらそうじゃないほうが良かったのかもしれないです。
いやいや、そうです。なんかほんとにこういう話になると思います。
難しいとこですよね。
なるほど。でも西杉さんのお話を聞いてたり、もともとポートフォリオの方も私は拝見してたんで、それ見てても思ったんですけど、
なんか研究者全としている部分と結構アーティスト全としている部分というか、両方持ってらっしゃるのが不思議だなってすごい感じていて、
なんかすごくこう、例えば哲学の話だったり、まあアートの話とかもそうだと思うんですけど、感覚の部分に結構注目されてるなっていう風に私には見えたので、
なんかそのあたりがどうその西杉さんの中で共存してるのかなっていうのがすごく不思議だったんですよね、見てて。
なんかそのあたりどうなんですか?結構そのアートにとか哲学に興味持たれたのも割と早い、若い頃からあった感じでしたか?
波形と自己認識
えっとですね、まずすごく鋭いところありがとうございます。
僕は結論から申し上げて、アートとか、絵画という皆さんが多分使ってる意味のアートとか音楽とか、もう芸ごとには本当に関心が幼少期は少なくて、成人になっても少なかったんですね。
ただ小さい時は、今もですけど、父親が油絵をやっていて、画家だったっていうのもあって、身近にいろんな美術館とかも行って、身近にそういったものはあったんですけども、
自分自身どうだったかというと、そういったことはなくて、これは間違った自己解釈かもしれないんですけども、反発じゃないんですが、計算でできるようなっていうことで、算数、数学、あとは物理ですか、
こういったところが答えがあるようなものっていうのをわかりやすいっていうか、というのでずっとやってきて、先ほど最初の方にお話ししたような格好で、オランダの方まで行って、もうとことん突き詰めてやるってことでやっていたんですけども、
特に、そうですね、オランダ行く前ぐらいから波をですね、すごい使っていて、毎日もすごい波形を見るんですよ。自分で作りもしますし、合成波形も作りますし、見もしますし、解釈もする。
取りにも行きますし、収録もする。もう波、波、波で、相手は地球とか大気とか月とかなんですけど、なんかこう、本当に見すぎて、もうそれこそ三角関数の世界ですよね。
時間から周波数に変える、風理変換とかいうのもあるんですけど、なんかそういう領域を波が行ったり来たりするみたいなところとかを、本当にもう毎日ルーティンでやっていくと、なんかあれ?って一回思うことが、一回じゃないですね、たびたび思うことがあったのが、
なんか自分もそういう波の一部で、収録して分析してる気になってるけど、自分もこの、もしかしたら誰かに観測されていて、波の一部なんじゃないのかなっていうので、
もともと地球物の中で扱う周波数の帯域とか決まったものがあるんですけども、でもちょっと勉強するとやっぱりオーディオの人たちの領域とか、電子顕微鏡の人たちの領域とか、天文学の人たちの領域とか、結局周波数が違うだけなんですけど、そういった違いがあったりして、
匂いだってそうだし、見るとかもそうだし、触るっていう感覚も全部なんか分解していくと、波になっていくんじゃないのかなっていうので、もう勝手にそれが何度も何度も頭の後ろから囁くっていうか、バンってくるんですよね。
え?って思って、いやー、この世界ってもしかしたら波でできているのかもしれないっていうのを、なんか文献で読むとか、誰かと議論するとかでもなく、自分のこの、何ですかね、内側からこう分けてしまうもので、抑えようにも抑えきれないというか、
というのがあって、いつの間にか正解っていうか解を求めて算数とかをやってたんですけども、それが反転して出口、出てきたところがすごく感性とか感覚的なところに出てしまったんですよね。
で、そこから、それは本当に、今からもう10年ぐらい前、社会人になって10年とか経ってかもしれないんですけど、それぐらいになって、その感覚がもうすごく固まってきて、いや、皮肉なものだなって自分の中で思っていたのは、あんまりアートとか興味なかったとか、違うねっていうので、
出発して、はずの算数とか文献のところから、ひるがえって戻ってきたところが、なんかそういう感覚的なものとか、アートのものとか、感情のところっていうのになって、
で、僕の場合はその、なんか波で記述できるかもっていうのがあったので、それをベースに、なんか作品作ってみたいなっていうふうに思ったんですよね。
なので、物理のその良さとか美しさっていうのは今でも思ってますので、こう思ってるんですけど、同時に、最初は距離を置いていた、でも今すごくどっぷり使ってる、この工技の意味でのアートですね。
なので、民芸のものとかお茶をやるとか、文化のもの、そして絵とか彫刻とか、そういう工技の意味でのアートに、もうものすごい共感っていうか、理解したってことは言えないので、
近づいたような気持ちにはなっているっていうんですかね。なんかそういう感覚が共存してるプロセスっていうか背景じゃないかなって思います。
いや、めちゃくちゃ面白いですね。めちゃくちゃ面白い話が今日聞けてて、なんかちょっとドキドキしてきたんですけど、すごいなんか、今すごいわかりました。なんかその、共存しうるなっていうこともなんとなくわかりました。
なんかその、内側から湧き出してきちゃう感覚はすごいわかります。なんか私も西筒さんレベルに極まってるとは思ってはいませんけど、なんていうか、その妄想がはかどっちゃうというか、自分自身の内側に対してどこまでも深く潜っていっちゃう時があって、
そういう時ってなんか、私もそもそもプログラマーなんで結構答えがある方がいいっていうか、ちゃんと入力した通りに動いてくれる方がやっぱ気持ちがいいし安心するし、普段の生活の中でも時間通りに過ごしたいというか、
突然なんか予定外のものとかが入ってくるとすごい乱された感じになるし、ちゃんと順序立てて決めておいた通りにスケジュールを昇華していった方がやっぱ気持ちがいいって感じたりするんですけど、一方でなんかこう、宇宙に思いを馳せてしまったりとか、
時間の流れについて考え始めてしまったりとか、最終的にはそれも物理で解決できる問題なのかもしれないんですけど、結構自分の精神世界の中にどんどん入っていっちゃう感覚ってやっぱあって、なんかすごい今の話聞いててもうすごいなんか気持ちがわかりましたね。
ありがとうございます。いやでもドクサさんも同じ感覚なんですね。
いやなんか不思議だなって思ってたんですよ。そのなんで共存してるのかなって思ってましたけど、なんか今の話聞いてたら共存し得るんだなっていうことは理解できた気がしますね。
なんか本当に波動、その波形をずっと見てたら自分自身も波の一部なんじゃないかって思っちゃいそうな気がしますもんね。
そうなんですね。本当にそうなんです。これはなんか説得されたとかじゃなくて厄介なのが自分の中から出てきてるので、ごまかせないんですよ。
そうですよね。
なんか頭で考えるのって言葉って全部ロジカルなので、どんだけ冗長的なことを言葉で序章的に言っても多分それは結局ロジカルなので、頭で考えてる分ではですね。
内側から出てくるのって考えじゃなくて感じなので、言葉は打ち勝てないところなんですよね。
なので、この記述で攻めてきた僕がいいと思ったはずの人生と、そこから距離を置いてきたはずの非言語的なもの、これが行ったり来たりするような感じになっちゃってるんです。
これがなんか共存してるんです。お互いがお互いを表裏一体でぐるぐるぐるぐる見合ってる感じなんですよね。
なので今、両方ですね。どちらかというかそういう問いがなくて、両方興味があるっていうのが続いてます。
セーダーの入り口
いやー、なんかすごいわかる気がしますね。でもなんかその感じの流れで言うと、なんか一番最初にセーダーを書くことになったのってどういう入り口だったんですか?
その流れから表現の手段の一つとしてセーダーをやり始めたみたいなイメージですか?
イメージはその通りです。その波を使ってどうやってやろうって思ったときに、一番最初に思い浮かんだのがオランダのトリックアートっていうことで有名だと思うんですけども、
エッシャーという人がいて、マウリッツ・ハウス・エッシャーという人ですね。
でもこの、なんか、ペンローズの階段って言って、例えば階段を登ってるんだけど下ってるみたいな作品とか、ちょっと多分ご存知の方もいると思うんですけども。
多分みんな結構知ってると思いますね。
そういう無限性みたいなものを、彼はちゃんとアングルとかそういった技術っていうのを角度を考えながら、絵で鉛筆とコンパスとか定規を使って書いていた作家さんですけど、
僕もそういったものに興味があって、この世界が波かもしれない、自分もその一部かもしれないと思った時に、自然の構造とか構図、フラクタルなものですね。
フラクタル、小さなものから大きなものが繰り返しなるような雪の結晶ですとか、地図で見た時の海岸線の模様とか、遠く見ても近くで見ても同じようなものがあったりとか、
星の星座を見て、銀河の構造を見て、引いても引いてもまたまた銀河が、いろんな銀河が出てきてっていうような繰り返しのものとか、僕たちの血管の形とか、葉っぱの模様とか、
そういったものが波を使って表現するには最初一番手っ取り早いのかなと思って、じゃあそれをどうやろうかなと思った時に、最初プロセッシングっていうのをちょっと触りました。
それで黄金率とか計算できるので、アンモナイトのこの殻、特にアンモナイトにこだわってたんですけども、殻のこのセルのですね、形をこう無限にして引いても近くに行っても同じようなものが出るみたいな、こうやってたんですよ。最初やってたんです。
シェーダーの学習とノイズの話
いやでも、なんかエッシャーの真似事みたいにもなるし、なんか中途半端だな、結局彼の独自性にはかなわないところも当然あって。
それで調べていくと、シェーダーっていうのがあって、ピクセルをベタ塗りにするもの、今コンピューターの力を使って、GPUの力を使って、一気にいろんな作品も、昔は重かったようなものもどんどんどんどんできるようになってくるっていうので、
で、これはあの今回お話いただいたからじゃなくて、本当に僕が最初に見たのは、ドクサスさんの、なんですかね、なんか誰でもできる、誰でもできるGLSLの、
多分、聞いたの、記事かなんかですよね。
はい、あ、そうです、そうです。第8回か9回とか、結構それぐらい続いているもので、なんか想定する読者になんか、そこの奥様方みたいなのがあって、いやいや、もう本当そういうレベルですっていう感じで、
そのプログラミングをやったことは、あるもののシェーダーっていうのはやったことなくて、でも求めるような作品の絵っていうのは、まさにこういったものだっていうのがあって、絵でベタ塗りして、光と影の陰影で作品が出るようなところ、フラクタルも表現できるしっていうので、
ですので本当にそのウェブの方も見ながら、なんかUnityとかも触ったりもしたんですけども、Unityを触ったり、あとはそのウェブの中で置いてあった、そこに作られていたエディターの方ですね、そのエディターを触らせてもらったり、
あとは今も、ほぼ毎週使わせてもらってますけど、Twee GLですか、こちらもいろんなクラシックなモードからいろんなモードがあるというので、こちらマニュアルも見ながらガーッと書いていって、
いつの間にかもうプロセッシングじゃないなーとか、Unityもちょっと重いしなーっていうので、でもうこのTwee GLの方で、もうどっぷり、もう1、2年ぐらい前ですかね。
そうですね、なんだかんだ結構、多分最初に拝見してから結構時間経ってるなっていう感じがしますね。
だいぶ触らせてもらっていて、という感じで、こちらのシェーダーの、あとはあれですね、Book of Shaderっていうんですね、あれをもう何度も見て実践しました。
で、そこでノイズの話、ノイズはもともとナミの方でやってたので、すごく…
そうですよね。
そうなんですよ。入りが違うんですけど、知ってる話なんですよ。
間違いない。間違いないです。絶対そうだと思います。
だからその、全然エキスパートじゃないんですけども、シェーダーの勉強してたわけじゃないんですけども、なんかそのノイズの作り方とか、特にパーリンノイズの話。
このマイクラの、ゲームの業界できっとほとんど使われていると思うんですけども、なんかテキスチャーに見えるようなものですよね。海のテキスチャーとか、雲のテキスチャーとか。
このパーリンノイズ、これすごいなっていうので、これは相当読んで、いろんな文献も漁ったりして、自分の手も使って…
このパーリンノイズはキー…勝手に言うんですけど、僕の中ではパーリンノイズはこのフラク…自然界のフラクタルなものと、自分が表現したいものをプログラミングでできるっていうところをブリッジしてくれる、すごく重要なテクニックだなって思って、もうそれ以来シェーダーの方に入ってるっていう。
なるほど。いや絶対興奮したでしょうね。その…なんかこう…ノイズの世界とか。いやこんな、こんな世界あるんだって多分すごいこうカルチャーショックというか、すごいのがあったんじゃないですか。
これだっていう感覚が。
いや絶対そうですよね。もうここまでの話聞いた上で、その背景踏まえてノイズに出会った時の西藤さんをちょっと想像すると、なんかもう目に浮かぶというと言い過ぎなんですけど、相当な衝撃あっただろうな。
だってなんか俺みたいな結構、勉強そんなちゃんとやってこなかった人間が見たって、あ、こんなことできるんだっていうその驚きっていうんですか。すごい感覚がやっぱありましたもんね。初めてその原理を理解した時というか、何をやってるかをふんわり把握した時っていうんですかね。
その時に、なるほどと思ったし、いや本当にこういうの、こういうこと考える天才がいるんだなって本当に思いましたけど、いやそれは多分相当な衝撃だっただろうなっていうのは何となく目に浮かぶようですね。
すごいショックはありました。テクニックの美しさ、シンプルさとか美しさだけじゃなくて、いやなんか本当にそれっぽく見えるんだなっていう。
自分の頭どうなってるんだろうと思いながら、何でこれがそれっぽくテクスチャーに見えてるんだろうとかいうのも同時に考えてしまいましたね。
これなんかそれっぽく見えてるのって、分解したらノイズじゃんと波じゃないっていうのが説明されちゃってる気がして。
いやそれはハマるなって思いますね、確かに。
そうです。もうどっぷりですね。
なるほど、じゃあそれで少しずつ感覚もつかみながら実際に作ってみながらいろいろ作品を、
ウェブ上で作るものもそうですし、あとアジアデジタルアート大賞典福岡でしたっけ。
シェーダー作品の受賞と展示
なんかそのコンテスト的なものにも作品を出されていて、それもしかも大賞を受賞しているっていうすごい経歴だと思うんですけど、
それもなんかシェーダーとかで作った絵を出されたような感じなんですか?
そうです。先ほど話もあった部分と重なるんですけど、
僕もそのCOVIDがあって、日本っていう国、周りの人たちも含めてコミュニケーションが少し形が変わっていった中で、
粗い部分っていうのも人と人との間に出てきているような気がしていて、表面上ですね。
作りたいと思ったモチベーションは、シェーダーで重なり合わせ、フォーループで重なり合わせができるので、
それを人の気持ちみたいなものに見立てて、明るくでも宇宙に浮かぶようなものを作りたいと思っていたんですね。
それを作ることによって、自分の心を開放するだけじゃなくて、
粗く感じているかもしれないけど、本当は僕たち心の中ですごく強くつながってますよねっていうのを認識するような、きっかけになるようなものを作りたかったんです。
その時からも含めて触っていたものはシェーダーだったので、
主に触っていたのはダイナミックな動きが好きだったので、
あとはエッシャーのイメージを全ては捨てきれなくて、無限性というのをすごく意識していたので、
ループにこだわっていたんですね。今もこだわっているんですけども。
やっぱり繰り返しっていうところにすごく重要性があると思っていたので、
無限というのは動画として無限させることにこだわりがあったんですけども。
誰にしもが動画を見れるわけじゃないですし、ポスターにされた時、デジタルサイネージでもない限りループって表現できないので、
静止画でバーンと無限性が伝わるようなものを作りたいと思って、ちょっとやってみようということで、
今までやっていたテクニックをいくつか組み合わせて、
作品の真ん中に先ほどの人の気持ちを代弁するような陰影の重なり合いっていうのを
集めたようなものを作れたので、そちらをアジアデジタルアート大賞展というところに出展してみました。
それ見てもらわなきゃ多分ダメなんだろうなっていうので、
でも出展したことがなくて、作品っていうのはそもそも。
印刷業者に頼んでなんとかとか初めてやり取りいろいろして、
すごい細かいんですよ。アドビのなんとかで、ピクセルどれくらいで、余白がこれくらいでとかいうのを勉強しながらやったくらいなんですけど、
それもやりながら楽しんでたんです。
そうしたら、何ヶ月か後にメールの方が入りまして、大賞受賞おめでとうございますっていう趣旨が書かれていて、
まず最初スパムだと思いました。
そうです。
いろんなスパム、毎日皆さん受け取ってると思うんですけど、おめでとうございますみたいな、当選しましたみたいな。
本当に最初そうだと思ったんです。
それは見なかったんですね。タイトルがちょっと見えたぐらいで。
その後事務局からまた連絡が来て、違う感じで来てて、
よく見てみるとすごくリアリティがあったんですよ、そのメールの書きぶりというか内容が。
これ本当に人が書いてるんじゃないのかなって思い出して、
え?って思って、そういえばこれ大賞展だから、書いた時は当然意識はしてたんですけど、
そういう賞があるっていうもので、本当に受賞したのかもしれないっていうので、
ウェブサイトとか見比べてみて、あ、受賞したんだっていうのが2,3日ぐらい経って、
後にじわじわっときて、
それで式典とかにもまた出させてもらった。
その媒体としてシェーダーの方を使わせてもらって、
審査員の方ともお話ししましたけども、あれですね、なんかやっぱり芸大とかゲーム会社とかの方々が、
イラストレーターの方々が歴代来られるので、
そういうものなんだけども、
なんかすごいのが来たというふうに言われまして、
一応名前もチェックされたみたいなんですよ。
で、いないと、何者かが全然わからないけども、やっぱり作品で評価するところなので、
そういう評価をしましたということで、
審査員の一部の方々から個人的にフィードバックをいただいたんですけど。
なるほどな、いやこれ、
いや本当に私もちょっとこの恥ずかしい話なんですけど、この対象点っていうのを知らなくて、
シェーダーの評価と表現方法
どれぐらいのそのなんていうんですか、規模感のものなのかとかも全然把握してなかったんですけど、
よくよく拝見したらなんか作品の数もすごいし、
いやこんな中で対象を取ったってえげつねえなと思って。
そうなんですよ。
しかもそれがじゃあなんかあれなんですね、
初めての公募に対する応募で取れてしまった、
まあ取れてしまったっていうとあれなんですけど、対象を受賞した。
取れてしまった感じです、本当に。
いやーなんかこれって、
今お話しいただいたような背景を説明する文とかも一緒に送るようなものだったんですか、
それとも静止画がバンってとりあえず送っただけみたいなイメージなんですかね。
えーとですね、静止画と、あとは最終的に出た説明文じゃない短めのものを求められていまして、
どういう技法で作ったんだっていうのも確か画欄があったんですよね。
なので今ちょっと長くなっちゃいましたけども、
人の心と心とかもっとコネクションっていうのは強いものなんだ、
僕たちの力強さっていうのを認識しましょうよっていうようなことはそちらにも書いてありました。
なるほどなー。
いやそれなんか、本当これちょっと失礼に聞こえちゃうかもしれないんですけど、
なんかそのシェーダー割と身近に描いてる人間からすると、
よくある絵っていうと言い過ぎなんですけど、
そのシェーダーっぽさがあるんですよね。
対象を受賞された作品を見た時に、シェーダーっぽいなっていう感じがすごいしてて。
でもなんかお話を伺った上で見てみると全然違って見えるっていうか、
本当に力強く天に向かって登っていくような感じに見えるんですよね。
そうやってお話を伺って見てみると。
多分そういう作品の背景にある部分が、
西筋さんの心の内にある部分がシェーダーを使ってちゃんと具現化したっていうのが、
ちゃんと人に伝わったから対象なわけじゃないですか。
それがすごいなと思って。
なんか私とかは結構シェーダー描く時って、
なんかもっとふんわりしてるんですよね。
なんか見た目かっこいい感じになれば満足しちゃうというか。
あんまり思いとか込めて作品作ったりってしたことないんですよ。
それがなんか、こうやって比較的大きなコンテストで対象を取ってしまってって、
いや本当になんか多分これ相当な快挙な気がするんですよね。私的には。
シェーダーがこういうアートの文脈で評価されて、
拝見すると他のカテゴリーにも本当にいっぱいいろんな会社のゲーム会社の方だったり、
美大生の学生さんだったり本当にいろんな方がいて、
いやこの中で対象って、なんかえぐいなと思いましたね本当に。見た時に。
いや同感というか、本当に僕も本当に自分でいいんですかっていうのが最初の率直な、
シェーダーでの葛藤
出展歴もなければ受賞歴もないんですよ、当たり前ですが。
そうだったので、えーっていう感じで、
思いが伝わったっていうところの嬉しさはもちろんあったんですけども、
なんか本当に歴史のあるとこなので、肝もあって、世界からも募集してるので、
いいんですかっていうのも同時にはありました。
でももう受賞いただいて評価もいただいているっていうことなので、
もう割り切って、自分はどういった思いでこれを作ったんですよっていうのをやって、
ちゃんとお話伝わらないとダメだと思ったので、
作品と言葉を両方合わせて伝えていきたいなということでやってきました。
いやこれ本当に、別にこれのために今回西杉さんにゲストをお願いしたってわけではないんですけど、
もし興味を持っていただいた方がいたら、
ポッドキャストの概要のところにリンク貼っておくので、ぜひ見てほしいなと思うし、
なんかそのシェーダーの先にこういう世界があるんだっていうのが本当にすごいなと思います。
なんかすごくマニアックな芸というか、ギークなカルチャーだと思うんですよね。
シェーダーで何かを表現するっていうことがすごくマニアックというか、
でもこうやって評価される形、答えもあるんだっていうのは、
本当にすごい可能性あるなと思います。
本当に王道を歩んできてないので、
そのプラクティスを知らないでやってるので、
そうですね、確かにデジタルアートの方々は、
拝見する限りは皆さんちゃんとワコムのタッチペンみたいな感じで、
こうデジタルアート作ってますっていう感じなんですよ、手を使ってみたいな。
シェーダーのアプローチってどれだけあったのかな、あるいはなかったのかなっても含めて。
いや、なかったと思います。
なかったかもしれない。なかったかもしれないですよ。
たぶんなんていうか、シェーダー楽しくやってる人たちって、
あんまりこういうところに出そうっていう発想がそもそもないと思うんで、
いや、すごいと思います、本当に。
いや、ありがとうございます。
いろいろこの過去の背景とか、自分が表現したいこととか、
COVIDのところとかが重なって、シェーダーとも巡り合っていたので、
それを全部1枚同士にしてストーリーになってるっていう感じですかね。
GLSLスクールとシェーダーの可能性
いや、本当に是非。
今思えばですけど。
是非見てもらいたいですね、いろんな人に。
いや、なんか本当に可能性感じたっていうか、こういう評価のされ方もあるんだっていうのが、
なんかよくある話なんですけど、私一応スクールでGLSLスクールっていうのもやってるんですね。
そういう中でみんなすごく目をキラキラ輝かせて、教わりに来てくれるわけなんですけど、
じゃあその先に何があるのっていうことって、いろんな可能性もちろんあるんですけど、
じゃあこれを習得して年収どれぐらい増えるんですかとか、
これを習得してどんな名声を得られるんですかとかっていうことって、
なかなか見えにくいというか、シェーダーできたからじゃあ何なのっていうところって示すのが難しいし、
実際そういうことを例えば受講者の方々から質問されたとしても、
なんかお茶を濁すような答えしかできないような気がするんですよね。
でもそういう中で、前例としてこういうこともあったんだよっていうのはすごく刺さる人もいると思うし、
すごく意味があることだな、意味というか意義があることだなっていうふうにね、やっぱ思いましたね。
僕は出会いとしてはやっぱり自分の思いを表現したいものを探していたので、
何て言うんですかね、なんか楽しいっていう人が多分、
これはすごくいいことでたくさんいると思うものの、
僕個人としては表現方法を探していた。
言葉では伝わりきれないし、多分無理なので、
それを一番よく表せれるのかなっていうので、
あの独卒さんのウェブサイトを最初見ながらっていうとこなんですよ、本当に。
いやー、なんかすごいなー、なんか、
いや、本当私普段あんまりなんかこう人の役に立ってる実感持てなくて、
いやいや、全くそんなことないです。
凹んだりすることもあるんですけど、なんかそういう繋がりが、
そういう繋がりがあって、こんなことが世の中で起こってるんだってもう、
なんかすごい勇気づけられるし、嬉しい気持ちにやっぱなりますよね。
いやー、ありがとうございます。
いやでも感謝したいのは僕の方でして、
やっぱり2GLの方を立ち上げていただいてて、メンテナンスもしていただいてて、
これがないと本当にその他のところもありますけど、
なんかやっぱり使い勝手とか慣れたものっていうのは大事なので、
そうですね。
これにすごく感謝しています。
これがないと先ほどの作品もあれも、
あちらで2GLの映像の方で、画像の方で作ってる、
もともとの素材は作ってるので、それもできなかったですし、
やっぱこういうものを提供していただいてることに、
今は今日で何十回目かはちょっとすいません、わからないですけども、
僕はすべての方を代表してですね、
これは本当に感謝してる人は多いと思います。
いやでも。
もういちいち言う機会がないじゃないですか。
まあそうですね。
なんかこの恩恵が増しいっていう風になっちゃうかもしれないですし、
そこだけ切り取るのも変ですし、
やっぱりこういった機会とかがない限り、
ちゃんと自分の言葉で伝えることもできなくて、
変な感じになっちゃうと思うんですけども、
でも本当にお世辞抜きに、
本当にありがとうございますっていう気持ちが、
ずっとこれは消えないと思っています。
いやでもそういうふうに言ってもらえると、
もうめちゃくちゃ私も嬉しいです、本当に。
誰かの役に立ってんだなっていうことが、
すごく。
嬉しく感じます。
まず僕一人にはものすごい影響を与えていただいています。
いやー、本当になんかその、
そうですね、なんか大賞を取った作品の、
作ったプラットフォームを作りましたっていうだけで自慢できそうだけど、
そこじゃないですからね、きっと。
大賞は大賞でありがたいと思っていますけど、
やっぱりこう日頃皆さんが使えるっていうアクセスの良さとか、
やっぱりこういうところに、
いろんな方がいろんな格好で活用されていると思うので、
ありがとうございます。
3DLは多分私が作ったものの中では一番世界基準で使われているやつで、
結構海外のユーザーもかなりいそうな感じがしますね、あれは見てると。
そう思います。
もともとはそのなんか、あれもノリで作ったっていうか、
この間もちょっとレナード君っていう学生さんがゲストで来てくれたときもちょっと話したんですけど、
そのもともとつぶやきGLSLっていうハッシュタグが誕生した瞬間っていうのがありまして、
それも当時学生だったぶたじえん君っていう子がツイッター上で突然やり始めたんですよね。
で、それを見てて、
これをやりやすいような機能を持ったエディターが必要だなって思って作ったんですよ。
なるほど。
そのときになんかこう画像とか、
アニメーションGIFを出力できる機能を持ったエディターを作ろうっていうので作って、
公開した後になんかデザインを、
もっといいデザインのプルリクエストを出してくれた方がいたり、
いろんなレギュレーションがあって短縮して描いたりもできるじゃないですか。
ああいうやつも、私のアイデアっていうよりは、
周りから勝手にこんなんあったら面白いだろうみたいな感じでプルリグが来て、
そういうのをごちゃ混ぜにしていったのが今のあの形になってるんですけど。
まあでもなんか、確かに他にちょっとない感じのものではありますよね。
なんか機能的には。
ないです。
波の話にちょっと戻っちゃうんですけども、
ここにカムバックしますが、
なんか単純にこうなんか世界が動向とか波でできるっていうのを言ったって、
たぶんものすごいスペックのコンピューターがあれば、
それってできちゃうと思うんですね、ある程度切り取りで。
そうじゃなくて個人でできるもので、
ものすごいインパクトがあるやり方って何かなって考えてた時に、
もともとこのShaderと出会ったのもありますけども、
この先ほどのつぶやきGLSLのお話、
短いじゃないですか。
英語の半画で言ったら、ハッシュタグ入れて267なんですよね。
はい、そのくらいですが。
マックス267なんです。
シミュレーション仮説と短いGLSL
267でそれっぽいのが出るっていうこと?
なので、もちろんそのレギュレーションで短縮されているとはいえ、
コーディングをミニマイズしてマキシマイズされた効果、
それに対してですね、いうのが出てきたら、
これ以上インパクトがあることってないと思ったんですよ。
このインパクトこそが、
僕が表現したかったことっていうか、
ハイスペックなものがあればできちゃうものって、
あんまりそこに美しさってあんまり感じられなくて。
なんとなく言わんとしていくとわかります。
短さのところを提供していただいているっていうのは、
今はもうもっぱら短さしか、
短いやつしか、レギュレーションしか使ってないですけど、
短いところで効果的なものが出るっていうのがあると、
なんですかね、この世界が波、
僕はこれちゃんとした学問というか考えがあって、
シミュレーション仮説とか言うんですけど、
映画のマトリックスの世界をガチで信じる人たちみたいな、
そういうイメージでいいかもしれないんですけど、
シミュレーション仮説の証明を少しずつできているんじゃないのかなっていうのが、
この267文字。
シミュレーション仮説、私もあるなって思ってますね、ずっと前から。
そっちの可能性の方が絶対高いだろうって思っちゃうし、
なんで今のこの世界がファーストだって思うの?
逆になんでですかって思っちゃう気持ちがやっぱ強いんで、
絶対このまま文明がどこまでも加速していくとしたら、
絶対自分たちが一番じゃないでしょって思うし、
それとつぶやきGLSLがつながるっていうのが、
つながってるんです。
いろんなものが、なので、
ドクサスさんのウェブサイトでシェーダーのきっかけを与えていただいて、
Book of Shaderも見ながら、
そのうちやっぱり短くして最大限の効果をやりたいなっていうので、
つぶやきのものがあるなっていうのを認識して、
いやもう本当にこれしかないなっていうので、
いろいろつながっていますね。
いや本当に、なんていうんすかね、
つぶやきGLSLも、
私、このエディターを作った長本人ではありながら、
こんなことになるとは思ってなかったんですよ。
そうなんですか。
自分でやってみた感じですね。
最初にぶたじえんくんがつぶやきGLSLというハッシュタグを生み出してやり始めたときに、
自分で真似してやってみて、
いやこれ全然無理だなって思ったんですよ。
いわゆるクラシックのレギュレーションだと、
ユニフォームの宣言文とかも全部入ってるやつだと、
メイン関数の中に書ける文字数がかなり厳しいんで、
いやこれはちょっと無理だなって思ってたんですよね。
でも、短いレギュレーションでやるぞっていうアイデアを出してくれたプルリコを作ってくれたのも結構若い子なんですけど、
多分その子もノリだったと思うんですよね。
そっちの方が面白いだろうっていう、そういうノリでプルリコを作ってくれたと思うんですけど、
そこでやっぱり多分1個超えちゃったと思うんですよね。
文字数が一気に増えたんで、書ける文字数が。
それが現実的な、でも長すぎないところにちょうど収まるピンポイントのところにズバッとはまって、
今のギーケストモードとか使うとかなり文字数余裕あると思うんですけど、
あれってやっぱり世界が、作り出せる、生み出せる世界がだいぶ広がった感じがして、
もうなんか、なんでこんな短い文章でこんな絵が出るんだっていう、
宇宙の視点からの表現
なんか本当宇宙を見てるみたいな感じの気持ちになりますもん、実際。
本当にそう思ってます。
そこの短さからやっぱり大きなものが出るっていうのは、
この世界どうなってるんだろうっていうワクワク感を出してくれますし、
僕は少なくともそれを感じてるので、すごくハマって活用させてもらってますし、
あとは学問の方のやっぱり物理とかっていうのも、これは個人的には、
量子力学も含めてどんどんやっていったとしても、到達できない領域がきっとあると思っていて、
それもあって、その突破口というか窓を、小さな小さな窓を開くっていう意味でも、
こういうシミュレーション仮説に通じるような、この短いつぶやきのGLSLのようなものがあると、
感覚的には量子力学をサポートするというか、
ついをなすようなことをやってるぐらいのインパクトはあるとは思ってます。
それはなんかエレガントさとか数式では勝てないにしても、別にそこは勝ち負けじゃないですし、
ただアプローチとしてはすごく面白いことやってるんじゃないかなっていうふうに思ってます。
なるほどな。本当にたぶん、西杉さんみたいな人は私の周りに全然いないっていうか、
かなり変わっている感じがするんですけど、でも私はわかる気がします。
で、結構聞き方によっては若干スピリチュアルな感じに聞こえちゃうような話題って、
意外とちゃんと話せる相手が見つからないっていうか、
なんかこう馬鹿にされちゃうとか惹かれちゃうかなと思って、
普段なかなか言えないような考えだったり、思ってることだったりすると思うんですよね、こういう話って。
でもそういう話をセーダーと絡めてこういう流れで聞けるっていうのはすごい面白いですね。
めちゃくちゃ面白いです。
なんか私も、本当にね、これは本当に誇張ではなくて、
本当に結構スピリチュアルな感じに聞こえるようなことを結構考えちゃったりすることもあるし、
シミュレーション仮説なんて本当初めてその話聞いたときに、
あ、それなんかちっちゃい頃からずっと思ってたことこれだわって思ったんですよね。
当時シミュレーション仮説というものがあるよみたいなのを聞いたときに、
そりゃそうだよなって思ったっていうか、
例えばなんですけど、私がすごくちっちゃい頃思ってたのは、
どこまでも世界のミクロを見ていくと原子が出てきて分子が出てきてとかってどんどんどんどんミクロにしていくと、
そこって無限にちっちゃくなっていくわけじゃないですか。
で、その先に多分また宇宙が出てくるんじゃんとかって子供の時に思ってたりしたし、
ずっと真っ黒な視点を広げていくと、星から銀河になって、その銀河がまた宇宙になって、
どんどん果てしなくスケールしていくけど、
それ小さい方向でも結局同じことが起こってんじゃないかなって、
ちっちゃい頃思ってて。
で、シミュレーション仮説の話とか聞いたときも、
そりゃそうだよなって、時間が無限に流れるとしたらとか、
逆方向に流れる世界とか想像してみたりとか、なんかいろんなことをやっぱ考えちゃうし。
はい。
でもなんかこういう話ってあんまり人にしないっていうか、
自分では思うけど人にはあんまり言わないし、
でもたぶんなんですけど、そういう感覚って、
自分の中ですごく時とともに醸造されていくというか、練り上げられていくというか、
だんだん純度が高くなっていくと思うんですよ、人には言わなかったとしても。
で、たぶん私なんかは結構最近写真とか撮るようになって、
なんかそういう感覚が写真の中に投影されてる気がするんですよね。
たぶん周りに見た人がそれを感じ取れるか、
私がちゃんと表現できてるかとかは全然わかんないんですけど、
たぶんそういう小さい頃からずっと持ってた感覚が、たぶん写真とかにも、
なんかの形で出るんだろうなと思ってるし、それを信じてるんですよね。
根拠は何もないんですけど。
だからなんか西杉さんの、いろいろ波と付き合いすぎて、自分も波なんじゃないかってなっちゃって、
そっから芝居に行って、アート作品がどんどん生み出されてみたいなところって、
なんかすごくシンパシー感じるっていうか、
すごいなんか今日楽しいです。
スピリチュアルな感覚と宗教
ありがとうございます。僕もお話できてすごい楽しいですし。
めちゃくちゃ面白いです。
ドクサスさんの写真もツイッターで拝見してて、
ほぼ100%、例外は今見つからないんですけども、
ただ一応濁して言うと、大体好きです。
たぶん全部かもしれないですけど、すごくセンスはあるっていうか、
撮らんとしてることの奥床さっていうか、面白さ。
それはワクワク感は、ああいうジトッとした絵の中に僕は感じています、勝手に。
それはまずお話としてあって。
マクロとミクロのところで本当に同じことを考えていて、
僕は割と宇宙の方から始まってるんですけど、
月の研究とかもしていたので、やっぱり銀河とか宇宙とか行くと、
どうなるのって、135億年の光年の歴史があるとか言って、
いやいや、その先はどうなるの、ないんですよっていう話も、
科学の中ではあるとして、やっぱり科学の限界ってそこだと思うんですよね、今は。
それは最後まで到達できないかもしれないんですけども、
やっぱりそれが何か巡り巡っていくと、
僕はずっと頭の中で考えていくと、宇宙の話をしていたら、
自分のお腹から出てきたんですよ、出口として。
で、マクロから自分に跳ね返ってきて、
いや本当にあって思って、
いや繋がってるんじゃないかなっていろいろって思ったんですね。
で、ミクロの方にも目を向けて、
で、顕微鏡とか今高くて変えてないですけど、
電子顕微鏡の世界とかすごく興味があって、
それこそ映像としてもですね、この先ってどうなるんだろうって、
もっともっと細かくいくとどうなるんだろうって、
量子力学みたいなの出てきましたけど、
でもこれも多分宇宙にきっと繋がっていって、
自分のところに帰ってくるのかなっていうので、
こういった作品も何か作りたいとずっと思ってて、
これは結構時間かかったんですけど、
まあそういったものも作りながら、
こういったことをやってると、
仏教のやっぱり、仏教の人たちと、
あとは神社の方の神道の方たちとお話しする機会があったんですよ。
で、僕はそのお話ししてる方が神社の神道の方と知らずに、
なんかソーシャルな場所だったので、
こういった作品や実はっていうので、
いろいろ考えてやってましてっていうので、
すごく興味があるって言ってくださって、
私もそう思いますっていう風に言ってくださって、
実はこういうものですみたいな風になって、
なんか神社の方で神道だって言うんですよ。
えーっと思って、
そこの辺りから山とよと、
僕はあんまりそういう特定の宗教を勉強したこともあんまりなくて、
いろいろ調べるようになってですね。
で、彼らの話とかもいろいろ聞いてると、
なんか僕がこの数学と物理からやって、
行き着いてしまった変な感覚のところに、
彼らは数学とか物理を通じないで普通に言ってるんですよね。
なので、なんか少し、
それこそスピリーチャルとか宗教って言葉、
日本人は少し距離を置くところ、
まあ平均的にはあると思うんですけど、
僕もその一人でして、
なんかちょっとそのバイアスがですね、
邪魔をしていたのかなっていう風になって、
割と今すごく勉強してるようになっていまして、
なんか、
神道の考えにすごく共感するようになっていますし、
仏教ですと調べていくと、
あの奈良の大仏さんが、
あの大仏さんがやっぱり、
宇宙であり一つのものであるっていうのを、
宗教と時間のテーマ
同時に体現されているっていう、
このあらやしきっていう考えが、
哲学の中に、仏教哲学の中にあるんですけど、
そのあらやしきの中で、
多く、多くが多く、数が多いって書いてたって、
た即一、たが一になる、た即一、
で、一即た、一が多くなる、
た即一、一即たっていう考えがあるんですね。
それがまさに今、独卒さんとかが話してた、
ミクロのところがマクロになって、
マクロがミクロになるって、
それ、あの仏教ですよっていうか、
あるみたいですっていうので、
なんかそのあたりも、
やっていくうちに興味関心がすごく身近になってきて、
表現せずにはいられないってなって、
で、最近そういう神社系とか、
なんか仏像系のものを表現できるような作品ができたらいいなっていうので、
試行錯誤して、
なんかやったりやらなかったりみたいな、
なんか宗教に近いようなところ。
それはなんかスピリチュアルに感じるのかもしれないですけど、
まあそれはいいんですけど、
そういったところに引き寄せられて、
今作ってるしてます。
やっぱ私も実際、
どっちかっていうと距離を取っちゃう側だと思うんですけど、
でもなんかその、
最終的に宗教が言ってること、
例えば仏教とかが言ってることって、
科学的かどうかは一旦置いとくとして、
考え方とか、
実際にその文献に残ってるものとかが、
よくよく見ていくと、
我々が考えているようなことと、
その答えになってるんじゃないの?みたいな感覚は結構私も昔からあって、
やっぱなんかその、
無限に長い時間とかを表す言葉があったりするじゃないですか。
あります。
仏教の世界だと、
その羽衣を一回ピュって岩を撫でたやつを繰り返していったら、
岩がすり減ってなくなるのにかかる時間みたいな、
そういう概念とかがあったりして、
そこまで思考が飛躍した人が絶対にいたってことじゃないですか。
そういうの残ってるってことは。
だからなんかその、
自分自身がそれに入心するしないとか、
そういうことはやっぱりなかなか一概には言えないし、
どうしてもそこの距離って縮めるの難しい部分もあると思うんですけど、
なんかその、
宗教だからダメみたいな感覚って、
多分すごいもったいなくて、
ちゃんとそこに興味関心を持って見ていってみると、
多分全く知らない世界が広がってて、
だからそれこそシェーダーでノイズに出会ったときの衝撃じゃないですけど、
やっぱ誰かにとってはそこの部分がとんでもない衝撃になるかもしれないし、
自分だってやったことないわけだからやってみたらなるのかもしれないわけで、
それはなんかすごく言ってることわかる気がしますね。
どうしてもなんか、やっぱ日本人って感覚的に宗教、
あと政治とかもそうですけど、
なんかこう触らないようにしちゃう感覚って思ってる人多いと思うんですけど、
なんか、なんだっけな、
ポッドキャストで古典ラジオっていう、
歴史だったり古典的なこととかをテーマに語ってるポッドキャストがあって、
その中の話してる、
3人とか2人とかで話をするような番組なんですけど、
その中でも仏教とかを扱った回があって、
もう全然わかったって言えないから、
自分が言ってることは素人が言ってるだけだと思って聞いてくださいって、
そのときのコメンテーターの方とかも言ってて、
奥が深すぎて、
やればやるほど深すぎて、
全然理解するためには、
もうマジで修行しないと無理だわっていうことがわかりましたって言ってましたね、その人。
やっぱり表層をさらっただけだとやっぱり、
見えないものってあるんだろうなっていうのは思ったりしますね、やっぱり。
やっぱりなんか、もったいないところはきっとありますよね。
日本人、距離を置きがちっていうのは、
いろんな背景があって、そういうカルチャーにはなってるんだと思うんですけど、
なんかそういう人たちがいて伝わってるっていうことは、
それなりのやっぱりうねりがあって、
彼らの言葉で言う開眼っていうのもあって、
何を思われていたのかなっていうのはやっぱり考えたりしますし。
いや本当にそう思います。だから、
史実かどうかは別として、
少なくとも言い伝えられてることとして、
全てを悟った人がいたっていうことじゃないですか。
それがどういう感覚なのか本当に気になってしょうがないですね。
気になります。気になります。
話してみたいし、目の前にもしいたら、
どういうことを言うんだろうなとか、
どんな振る舞いするんだろうなとかすごい気になるし。
それもやっぱり子供の時に、
手塚治虫の仏陀とかをめっちゃ読んでたんですよね。
手塚治虫の漫画で仏陀っていうのがあって、
読んだことあります。
それで普通の一王子様だった、王子として育った、
ボンボンが最終的にお釈迦様になっていくんですけど、
ああいうのとか子供の時とか読んでて、
火の鳥とかもそうですけど、
すげえいろんなこと考えちゃうんだよな。
写真での表現と内側への入り込み
だからわかります、なんとなく。
時間もきっとあるのかないのかってことだったり、
たぶん時間って何っていうところも、
そういう人たちの中には考えて感じ取るところっていうのは、
あったんじゃないのかなって思いますね。
僕たちが時計があって時間と読むものとか、
物を作ったら腐っていくのを見て、
時間っていうのがあると感じるものとか、
人が生まれて死ぬまでこのサイクルを見ることによって、
時間が流れているっていう風に感じる感覚、
それってどうなんですかっていうのはありますんで。
ありますね。
結局、人によって差はあるとは思うんですけど、
生きる意味だったり、自分が死んじゃうことだったりとか、
誰しも考えるとは思うんですよね、程度に差はあれど。
死んだらどうなっちゃうのかとかめっちゃ気になるし、
本当にわかるんだったら知りたいなって思うし。
別のセッションにはなっちゃうと思うんですけども、
僕はやっぱり、生きるとか死ぬっていうのも共存してると思ってるんですよ。
生きてもいて死んでもいると思って。
これはちょっと今回の尺には入らないと思うんで、
またなんかお会いすることが、
いや、そうですね。
この辺りとかもお話できればとは思いますけど。
いやいや、もうなんか、そうですね。
多分だって、量子力学はそういうことを言わんとしてるじゃないですか、だって。
そうですよ。
この世にあると思われていたものが突然消えるとか言うんです。
あるいは突然出るとか言うので、
感覚でわかっていたと思っていたもの、
正式で書かれていたもので記述できていたもの、
これらが必ずしもそうじゃなくて、
別の世界があるかもしれないっていうのを、
科学の境地から行き着いてしまっているっていうことだと思います。
なんかだから本当に、ちょっとなんて言うんだろう。
我々も話しながら、聞いてる人に気を遣っちゃうっていうか、
言葉を選んじゃうじゃないですか、無意識に。
でも多分そういうことってやっぱり、
みんな少なからず感じてはいることだと思うし。
感じてますかね。
いや、感じてると思いたいです。
ちょっとリスナーのみなさん、どんびきにならないように。
いや、でもここはね、いいと思います。振り落としていっても全然。
また違う回で。
いや、だっていろんな人がいるっていうことを知れるだけでもめちゃめちゃ意味があると思うし。
俺は少なくとも、今日西杉さん本当に呼んでよかったなと思ってるんですよ。
ありがとうございます。
なんだろう。
いわゆるいつものノーマライズFMだと、
例えばウェブの制作会社の社長さんだったりとか、
デザイナーさん、プログラマー、いろんな人呼んで、
技術の話だったりウェブの話だったりするんですけど、
たまにこういう感覚的な話とかやっぱりしたいんですよ、私は。
私はしたくて。
だから結構、こういう話題話せる人って本当にありがたいし、
本当に呼んでよかったなって思ってますけどね。
そう言っていただけるとうれしいです。
僕も、なんていうか、話し相手がほとんどいないので、
カミングアウト的に話したこともあったんですけど、
友達だと思っていた人とか、テレビの方でもいましたけど、
本当にさーっていなくなって、
それは発言が原因なのか、はたまたそういう運命だったのか、
全然わかんないですけど。
たぶんなんですけど、やっぱりこれは我々も同じだと思うんですけど、
やっぱり未知のものに対する無意識的な恐怖って絶対あって、
この人の言ってることを私はわかんないかもっていうのが、
どうしても恐怖になっちゃうんだと思うんですよね。
そこは結構、その感覚別にダメかって言われるとそんなことはないと思うんで、
ただ、こっち側から強要するっていうのも良くないと思うんですけどね。
そうですね。そう思います。
だからやっぱりちゃんと、なんていうか、出会いを大事にしなきゃいけないっていうか。
同感です。
本当にそうだと思います。
私もあんまりこういう話、外ではしないですけど、
それはやっぱり防衛本能っていうか、
人に迷惑かけちゃうかもしれないし、
自分にも何か良くないことが起こっちゃうかもしれないしって思うと、
どうしても言葉を選んでしまう部分はあるんですけど、
実際は結構、宇宙とか精神的なメンタルのこととかすごい考えたりしてるし、
本当写真とか撮ってるとね、なんかどんどん内側に入っていくし、
ラブデーなんて思いますけどね。
なるほど。すごいですね。興味はありますね。
写真ってやっぱりそういった。
やっぱり大体もうちょっとで1年ぐらい、
写真を撮ろうと思って撮り始めて大体1年ぐらいになるんですけど、
だかだか1年なんで、多分もっと先があるなって思ってはいるんですよね。
今は自分はまだ初心者ゾーンにいるんだろうなって思うから、
なんか偉そうなこと全然言うつもりとかは全然ないんですけど、
なんか写真というものは自分だなっていうことはなんとなく分かってきたというか、
自分が見てるものしか写真にはならないんで、
多分同じ場所を同じ時間に歩いてても人によって撮るものが違うっていうのはそういうことで、
自分の見てるものが残っていくだけ?
あるいは自分が見て、自分が捉えられるかどうかっていうことだと思うんで、
なんかそうするとどんどん内側に入っていっちゃうんですよね。
そうですね、確かに。
西杉さんの思いと作品の可能性
うん、内側に入っていっちゃうんで。
好きでやってるし、なんかそれによって気持ちが狂ったりとか、
頭おかしくなったりみたいなことは全然想像つかないですけどね。
ただ、やっぱ自分と向き合うことが写真を撮ることだなっていうのは思い始めました、最近。
いやー、近いですね。
いやいや近いかもしれないですね。
あの興味もすごく興味ありますし、写真の作品見てると、拝見してると、
全部にやっぱり、なんていうんですかね、
いい意味で僕はジトッとしたものをドクサスさんの写真には感じてます。
いい意味でですよ、ジトっていうこの日本語、何て言えばいいのかわからなくて。
いやいやわかります。なんかこう、わかります。なんかジトッとしてる感じ。
だからなんかこう、スカッと爽やかとかそういう感じではないですよ。
それは撮ってる本人もそうなんですけど、別にスカッと爽やかに、
あるいはなんかこう、なんかにじませてふわふわキラキラみたいにしたいとか、そういう感じではないですよね。
なんかこう、カメラを持ったおじさんが街角で何かを見ているっていう、
なんかこう、ちょっとジトッとした感じっていうのは全く合ってる気がしますね。
なんか共通したものがいろんな写真の中から感じられるので、同じくですね、ジトッとした感じで。
たぶんそう、西杉さんがたどり着いて、少なくとも今現在はやっぱシェーダーと自分の表現がリンクしている状態だと思うんですけど、
マクロ撮影に興味を持つ
なんか私はそれが今現在だと写真とリンクしている状態になってて、
何かの手段で何かが発露しているっていう、その一連のプロセスの中の一つでしかないのかなと思うし、
まあノーマライズFMとかそのTwitterの上で言ってることとかも、まあ広い意味では全部一つだとは思うんですけど、
でもやっぱ写真撮ってるときは脳みそが切り替わってる感じがしますね。
なんか別のことやっている感覚はあるし、誰にも入ってきてほしくない感じはありますね。
自分がやってるときは、もう自分の世界だけでやってるっていう感覚がありますね。
素晴らしいですね。
そう、だからたぶん西杉さんのシェーダー描いてるときの感覚と近いと思うんですよ。
たぶんそうかもしれないです。ぼつっちゃってる感じですね、そのときは。
その世界の中に、なんて言うんだろうな、うまく説明するの難しい。
外歩いてるわけだから自分以外のものが無数に、周りにはあるんだけども、
なんか自分中心に閉じた世界の中にいるような感覚がありますね、なんか。
その風景とかではなくて、この本当にマクロ撮影にすごく興味があって。
なるほど。
いろいろは全然、まだカメラ買ったぐらいで試し、まだ全然なんですけど、
超ドアップ、超ドアップシリーズでこのすごいのが見えたらびっくりするんじゃないかなって。
いやマクロはね、結構いいですよ。
なんか私はせいぜい遠倍くらいのマクロしか撮ってないですけど、
なんかその、目で見て見えないものが見えるんですよ、マクロ。
マクロにすると。
肉眼で見ようと思ったら、もう本当に目の前にあるぐらいまで顔近づけて
凝視しないと見えないようなものがカメラ通すと見えるんですよね。
4Kのディスプレイにドーンって出てきて、興奮します、本当にそれは。
写真撮影の中身の変化
すごいですよね。
すごいっすね。
だからこういうのにハマっちゃう人がいるのもわかるなって思うし。
確かに。
私はたまにそのマクロ用のレンズくっつけていくんですけど、
いつもではないんですけどね、たまにマクロレンズつけていくんですけど、
やっぱり鼻とかすげえ寄って撮ったりすると、
お前こんなんなってたんかいって。
お前なんて綺麗な顔してこんな姿してたんかいっていうのが
分かったりとかして面白いなと思って見てますね。
いや、僕も興味あるんで。
そうですね。
ちょっといいヤバげな写真が撮れたらツイートしたいってこれ。
もし撮れればちょっと精進します。
いやいやいや。
まずは自分で楽しみながら。
そうですね。
私は結構最初はなんか雰囲気で適当にパシャパシャ撮って、
で、次の段階はなんかちゃんと一丁前に最低限のお作法、
なんか構図とか水平撮るとか明るさはどうするとか、
なんかそういうのを最初は勉強して、
なんか最近もうそういうものが手に馴染んで無意識にできるようになってきてやると、
すごい。
なんかこういちいち構図考えたりしないし、
明るさとかもほぼ直感で決められるようになってきて、
そこで初めてなんか自分の世界になってきた感じがありますね。
なるほど、なるほど。
諸差がこう出るわけですね。
自動的に。
そうですね。
一体感というか。
なんか自分で見返してる感覚だとやっぱ変わってきてる気がするんですよね、
その写真の中身が。
写ってるものは同じような風景なんですよ。
何が同じような風景なんですけど。
自分で見返した感じは、
やっぱり去年の1年ぐらい前とかに雰囲気で撮ってたものと
今撮ってる感じはやっぱり全然違うなっていうのは。
多分これまだ入り口なんだろうなっていう感覚もあるんですよね。
まだ先多分相当あるなっていう感じもするから。
楽しみではあるんですけどね。
見てて楽しいので、ぜひ。
たまにそうですね。たまに投稿します。
よろしくお願いしますと。
はい、では今日もですね、
もう2時間近くちょっと喋ってしまって、
もう最後の方とかかなり盛り上がって、
2人でちょっとテンションが上がって話をしちゃいましたけども、
いやなんかね、ほんといつものゲストと違う感じというか、
なんかなかなかできないような話がいろいろできて、
本当に私個人的にはすごい面白い話ができたんじゃないかなと思ってるんですけどね。
いや本当に呼んでよかったなって思ってます。
西瀬さん今日は本当にありがとうございました。
あの本当に僕の方からも呼んでいただきまして、
いろいろ背景についてもお伝えできたと思いますし、
ドクサスさんのウェブサイトをきっかけに、
このシェーダーのところにも入ってこれたっていうのもあって、
こういった形でお話できてすごく嬉しかったです。
ありがとうございます。
本当にね、ついGLがテレビに出たのも西瀬さんの話が初めてだと思うし、
ついGLがアート展の対象のプラットフォームになっているっていうのも、
多分初めてのことだと思うんで、
いや本当にそういう話聞けて、
本当に面白いなと思いました。
ちょっとまた今後もね、シェーダー作品とか作っていかれると思うんで、
私も見かけた時はリツイートとかしていくとは思うんですけど、
今後もいい作品できたらちょっとどんどんつぶやいていただけたらと思います。
面白そうなもの作れればいいなと、
ワクワクするようなもの作れればいいなと思ってますんで、
よろしければご覧になっていただければと思います。
興味ある方はショーノートにリンクも貼っておきますので、
ぜひチェックしてみてもらえたらと思います。
ノーマライズFMのいつものお知らせになりますけども、
ノーマライズFMでは、
シャープノーマライズFMというハッシュタグで、
皆様からのご意見や感想などいつも募集してます。
本当にちょっと聞きましたよぐらいの簡単な感想でもすごく嬉しく拝見してますので、
何か感じることがあったらぜひ気軽にツイートなどしてもらえたら、
ツイートってもう言わないですね。
ポストなどしてもらえたらと思います。
では今日はこれで終わりにしたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
01:41:47

コメント

スクロール