1. 近藤ナオという生き物
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2024-04-26 15:21

♯8「日本リサーチ編 コミュニティアパートメント代々木上原 by KONDO&日本橋フレンド」

コミュニテーアパートメント代々木上原は自宅の1室を貸し出すことから始まった定住型のシェアハウス事業。自宅と同じマンションの3LDKを買い上げて定住型のシェアハウスへと進化。地域コーディネーターの近藤ナオ付きシェアハウス「コミュニティーアパートメント代々木上原by KONDO」の話。


日本橋フレンドは40万~50万人の人が働く日本橋で、働く場所を第二の地元へというコンセプトでNPO法人日本橋フレンドの立ち上げに携わる。古い歴史がある老舗の朝ご飯を食べながら、老舗と新しい取り組みをしている人達との交流の場を作る「アサゲニホンバシ」という活動の話。

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こんにちは、近藤ナオです。今日は近藤ナオという生き物の第8回をお話しできたらなと思っています。
近藤ナオという生き物のポッドキャストがどんなことを話しているかというか、概要を知りたければ第1回から第4回にダイジェストで概要を話しているので、ぜひ聞いてください。
今日はリサーチ編の日本編という形で、日本でやってきた活動の1個を話したいんですけど、今日はコミュニティアパートメント代々木上原by KONDOというプロジェクトについて話したいんですけど、
簡単に言えば、日本で言えばシェアハウスみたいなプロジェクトなんですけど、代々木原っていうのは東京の渋谷区にある1個の駅ですかね、代々木原駅っていうのがあって、その近くにシェアハウスを始めたので、こういう名前をつけてるんですけど、
なんでこのプロジェクトを始めたかというと、一番最初は、これも20年くらい前なんで、2005年くらいですかね、僕1人目の子供が生まれて、その時に子供生まれたし、家でも買ってみようかなみたいな感じで、
簡単に言えば3LDKのマンションとかを買ったんですけど、家族3人で3LDKに暮らしてても、将来子供部屋みたいなこと言うけど、空いてる部屋が1部屋2部屋存在しちゃうみたいな感じで、そこがただ物置になってて、何なんだろうなーっていう気持ちもあったし、
やっぱり日本中かな、当時では日本中やっぱり核家族化がどんどんどんどん進んでって、やっぱ他人とともに暮らさない、暮らしてない人たちが多いんだなと思って、その戸籍状の家族ですけど、かなり少人数の人たちで暮らしてる人たちが多くて、
その状態が続くと、他人に対して思いをかけられないような気がしてたんですよね。なので、意図して他人と暮らすっていうのをまず大事にした方がいいんじゃないかと思っていて、それはまず子供に対して思ってました。
なので何したかっていうと、空いてる部屋あるからそこに誰か人を住ませたらいいんじゃないかっていう、簡単に言えば。
それで、その時家族でというか、子供は小さかったんでパートナーに相談して、なんとなくOKって引き受けてくれて、本当にいろんな人たちが住んでくれましたね。
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最初はポーランド人のアーティストの女の子だったりとか、日本人の建築家だったり、アロマセラピストとか、NPOの代表だったり、ドイツ人のアーティストも住んでくれたかな。
そういう人たちがずっと、0歳の頃から子供のそばにずっといるみたいな状況が続いていて、僕自身も共に暮らすっていうのが非常に刺激的というか、やっぱり寝食を共に、
食はバラバラな時もあったけど寝食を共にすると、やっぱりその人のほぼ全部が見えるっていうか、ちょっと外で出会ったり仕事だけとか、講演会で出会った人の話とか、家でどうしてるかなんてもう全然わかんないし、
やっぱり寝食を共にすると本当に人間性も見えるし、そういう意味でもすごい興味深い時間だったなと思っていて、子供はそういう環境の中でどんどん育ってきて、
この経験を本当は小さいうちから体験しておくと、大人になった時に他人に対して考えれるというか優しい人に育つんじゃないかなっていうのがあったんですけど、
大人になったから遅いとかって言ってたら、それはそれで遅くはないかもしれないかなと思って、それでやり始めたのが、3LDKの自分たちが住んでるマンションの同じマンションの中に仲良くなったおばちゃんが、
かなり恒例のお母さんの面倒を見なきゃいけないから、もううちの部屋売りたいんだよねっていう相談が来て、もうボロボロなんだけどリフォームしなきゃいけないかなとか言うから、いや、リフォームしなくていいんで安いまま売ってくださいみたいな感じで買って始めたのが、
コミュニティアパートメント、代々木上原、バイコンドっていうプロジェクトだったんですけど、そこはもう3LDKだったんで、本当に定住型のシェアハウスだったので、3個の部屋に女性専用に、なんで女性専用にしたか忘れちゃったの。
でも娘が、長女、一番上の子が女性だったのもあって、彼女がコミュニケーション取ったりとかいきやすい上では女性の方がいいかなって思ったのかもしれないけど、女性専用のシェアハウスで3人の定住の人たちが住んでくれるっていうシェアハウスだったんですけど、
そこに、コミュニティアパートメント、代々木上原、バイコンドっていう名前をつけたのは、自分で言うのも気持ち悪いんですけど、地域コーディネーターのコンド尚月シェアハウスっていうのが僕のコンセプトで、
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まず3人の人たちがそこでシェアで暮らすだけじゃなくって、地域の人たちとも関係を持っていって暮らしていくとか、そういうのをサポートしたかったんですよね。
僕は、当時子供が小学校に行ってくれたりとかもしたおかげで、小学校のPTAだったりとかの活動もしたり、PTAの会長的なこともやったりとか、町内会の活動も入ったりとか、地域の祭りの会も入ったり、
バレーボールとかのクラブ活動みたいなものにも入ったりとか、かなり僕自身も地域の中にどんどんどんどん入っていって、最初は子供が地域と関わる上でも僕が入っていかなきゃなと思って入ってたんですけど、
だんだん僕のことを、僕身長が195センチあるんで、かなり背のデカい近藤さんということで認知し始められたんですよね。
だから、うちのシェアハウスに住む人たちが、僕近藤直っていうね、直さん直さんとは呼ばれてるけど、地域では直さんってそう簡単にはおじさんおばさんとかは呼んでくれないので、近藤さん近藤さんって呼ばれてたんで、
だから、うちのシェアハウスに住む人たちが地域のお祭りだったりとか、いろんなところに行ったときに、どこに住んでんのって聞かれたときに、背のデカい近藤さんのシェアハウスに住んでるんですよって言ったら、ああ、あの近藤さんねみたいな感じで、
人と人のつながりの中で、特にビジネスの関係とかもない場合に、ある程度信頼できる人の知り合いっていうことによって、一気に人間関係の距離が縮まるというか、信頼されるっていうので、
でも、シェアハウスのメンバーも僕が近藤っていう名前を忘れちゃうんじゃないかと思って、なので玄関のところにロゴマークを入れてあって、玄関開けたらいつもそれを見なきゃいけないんですけど、コミュニティアパートメント代々木上原 by 近藤って書いてあって、
僕の名前は近藤なんだっていうのを、シェアハウスのメンバーが認知するっていう意味で、そういう名前をつけました。
でも本当そのおかげで、一気に地域の活動に行っても、すぐに近い距離間で話してもらったりとか、お店とか行ってもちょっとサービスしてもらったりみたいなこととかも発生していったので、
ごめん、だから何っていうのもないんだけど、なんかそんな活動も一個はしてました。
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そうだね、コミュニティアパートメント代々木上原 by 近藤についてはこんな感じです。
次のプロジェクトは、日本橋フレンドっていうプロジェクトについてちょっと話したいなと思ったんですけど、これは東京の日本橋っていうのは、東京駅周辺ですかね。
めちゃめちゃ大企業のオフィスがいっぱいあって、高収入サラリーマンたちがいっぱいいるエリアっていう感じで思ってもらったらいいと思うんですけど、
そのエリアの東京駅周辺は三菱寺所っていう不動産デベロッパーが多く開発してるんですけど、すぐ近くの日本橋とかっていうエリアは三井不動産っていう不動産デベロッパーが開発を進めていて、
そこは本拠地というか、そこに本社があるという状態なんですけど、そこでかなり建物もいっぱい作りつつ、ハード主体に街づくりを進めてたんですけど、
その時にこれは渋谷大学の実績を知った三井不動産の人が、日本橋大学作りたいみたいな感じで相談が来たのがきっかけだったんですけど、
渋谷大学ってやっぱり渋谷に大学っていう、渋谷みたいなところで大学って学びみたいなところの変差も含めて、ネーミング的にもコンテンツ的にも興味深く思われたかなと思ってですけど、
日本橋とかって歴史を感じるというか知的なイメージがある街に大学って言われても知的知的で、あんまり新鮮さがないっていうのもあって、
だからちょっと日本橋大学っていうのを作るんじゃないんじゃないですかって言って、ちょっと1回この街どういう状況かリサーチさせてくださいって言って、三井不動産からイタック費みたいなものをもらって、街のリサーチをすごいしてたんですけど、
すごく面白かったのは、日本橋とか東京のエリアとか、住んでる人たちは1万人とか2万人とかしかいないんですけど、昼間だけ働きに来る人が40万人、50万人いるんですよね。
だからもうなんだこの状態はと思って、やっぱり東京とかってやっぱり住む場所と働く場所がすごい離れてる人が多いんですよね。
通勤に1時間とか2時間とか、2時間は特別かもしれないですけど、1時間ぐらい平気でかけて通勤してくる人たちって働く場所に対して愛着はあんまりない、なのに人生の起きてる時間のほとんどを働く場所で過ごしている。
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昼間だけだけど、平日昼間だけだけど、この街には40万人、50万人の人がいるっていう、これをこの人たちと僕も関わりたいなと思ったし、そこに大企業のワーカーさん、三井道さんもそうだし野村証券さんだったりとか製薬会社の方とか、あの辺にある会社の人たちで
社会貢献活動的な意欲がある人たちっていうのを何とか見つけ出して、働く場所を第二の地元にっていうコンセプトで、日本橋フレンドっていうNPU法人を立ち上げたっていうのがこのプロジェクトですね。
彼らがこの街で働くワーカーの人たちと関係性を作っていくために、またいろんなプロジェクトをするんですけど、一番はやっぱり働きに来る大企業ワーカーが暇があって集まれる時間は朝しかないっていう、しかないっていうか朝が一番、ちょっと早起きすれば大量の人たちが集まれるっていうのが、
分かってきて、それで始めたのが朝毛日本橋っていう、日本橋ってあの未だに100年200年続く老舗って言われるところが100社以上あるようなところなので、そういう古い歴史があるところの人たちに
そういう山本のりとか、のり使ったちょっと朝ごはん出してもらったりとかしながら、朝ごはんをちょっと食べながら日本橋にいる老舗の方と新しい取り組みをしている人たちっていうのを呼んで、あれも毎回100人規模ぐらいの、毎月やってましたかね、毎月100人以上の人たちが集まるような活動で、
そこで僕も本当にいろんな多様な大企業ワーカーの人たちと仕事ではなくて友達になれて、そこでいろいろリサーチが進んで面白かったんですけど、そんな活動が日本橋フレンドっていうNPOの活動です。
続いていると言えば続いているのかな、でももう100回以上毎月朝げ日本橋を開催したりとかして、かなり地域にとって役割を果たしたかなっていう気持ちに主要メンバーたちがなっているので、今はかなり活動はゆっくり、ゆっくりというかほとんどしてないかなっていう感じなんですけど、
それが日本橋フレンドというプロジェクトです。
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