1. ともに奏でるラジオ
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2024-11-22 34:49

#20 ゲスト回第11弾 京信人材バンク矢野さん、新田さん:ともに奏でるラジオ

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ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。
第11回のゲストは京信人材バンク共同代表の矢野さん、新田さんのおふたりです!

前編は、京都信用金庫の社内ベンチャー『京信人材バンク』を立ち上げた経緯、復業コミュニティ『まちごとオフィス』のことなどの話題から。
『まちごとオフィス』が存在していたからこそ生まれた株式会社ジャムセッションズ。

生みの親とも言えるおふたりに会社設立の感想も聞いています!
後編は来週金曜日に配信予定です!

京信人材バンクのHPはこちら
↓↓
https://kyoshin-jinzai.jp/
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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日(たまに水曜日)に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨

◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

今回のエピソードでは、京信人材バンクの矢野さんと新田さんがゲストとして登場し、彼らの活動や理念について話します。特に、地域の活性化や人材育成の重要性について深く掘り下げ、共振人材バンクがどのように人々の挑戦を支援しているかが紹介されます。京信人材バンクの矢野さんと新田さんは、副業や働き方の新しいアイデアについて議論します。地域の活性化や人材のつながりを創出するための「街ごとオフィス」、職業に対する新しいアプローチについても触れています。ゲスト回では、京信人材バンクの矢野さんと新田さんが、まちごとフェスやコミュニティの重要性について語り、地域の人材のつながりの未来について考察します。彼らの活動は、京都をより面白い場所にするための実験であり、人と人を繋げることをテーマにしています。

ゲストの紹介
みなさんこんにちは。Jam Sessionzのけいたです。
まっつーです。
ともに奏でるラジオ、この番組は株式会社Jam Sessionzが即興演奏から生まれる協奏をテーマに、チームメンバーや様々なゲストと共に対話を繰り広げるそんな番組です。
はい、無事に言えました。
ちょっと呼んでるかなって思ったけど。
呼んでくれました、呼んでくれました。
いやいや、呼んでくれてありがとうございます。
今日はこの2人でやっちゃいますか。
そうですね。いつもはしょうちゃんとりょうこさんのナビゲーターでお送りしている、ともに奏でるラジオですけれども。
今日は僕とまっつーさん2人でナビゲートするということで。
慣れない2人ですけれども。
いろんなパターンがあってもいいかなということで。
ではですね、今日のゲストを早速お呼びしましょうかね。
はい、では今日のゲストはですね、狂信人材バンクの矢野さんとニータさん2人です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
どうですか、お二人は。
先に言っておきますけど、僕らも全然回すの慣れてないのと、むしろ2人の方がいろんな場所を回しているので、この場はどっかのタイミングで逆転してもらってもいいので。
ニータさんは回してますからね。
もうガンガン回してもらってもいいので。
今回初めて2人のゲストがいるっていう。
どっちかというとゲストを呼ぶ方ですね、お二人はね。今までどっちかというと。そっちの方が多いですよね、呼ぶ。
確かに感覚的にはそっちの方が多くて、今回ちょっとなんかソワソワしてますけど。
いいですね、僕らもソワソワしてるので、ちょっとソワソワしてる4人で話せるかなと思って。
よろしくお願いします。
京信人材バンクの活動
じゃあ冒頭ちょっとお二人から簡単に自己紹介いただけたらなと思います。
どっちからいきますか。
僕がやろうか。
ありがとうございます。
共振人材バンクの共同代表をやらせていただいてます。矢野と言います。よろしくお願いいたします。
簡単に自己紹介ということで。
共振人材バンクって今ご紹介したんですけども。
コミュニティバンク共振、京都信用金庫という信用金庫の中で、共振人材バンクという活動を今、社内ベンチャー事業としてやらせていただいているという。
そんな感じなんですけども。
人材とか人とか働くっていうことをテーマに、基本的に京都とか滋賀とか大阪エリアを中心に企業さんに面白い人をご紹介していくみたいな形で企業さんの応援とか地域の活性化につなげていきたいなというので、いろんなことをやらせてもらっております。
よろしくお願いします。
その相方で、京都を代表しています三田です。よろしくお願いします。
以上。
シンプルなほうがいいかなと思いまして。
同じ内容になっていることをやっていることを重ねている。
同じなんで。
やっていることね。
相方やってます。
普段はね、れん君と呼びせるので、この場でもれん君と呼べたらなと思います。
れんです。よろしくお願いします。
お願いします。
これ、気づけば京都信用金庫の3人いるという不思議な場になってますけれども、普段まっつーさんとお二人は接点あるんですか?会社の中で。
お客さんと一緒に行くぐらいですね。
お客さんと一緒に行くってあるんですか?
人材の悩みを抱えている企業さんがあったら、トスアップいただいて一緒に訪問させていただいたりもしてます。
そういう繋がりもあるんですね。あんまりイメージできなかったんで。
一応他の金融機関で止めてるんで。
一応。
本店で営業マンやってありますから、一応どころかね。
職堂でね。
職堂で。
今話にあった、京津人材バンクっていうものが、どういうものの活動なのかみたいなのは、もうちょっと詳しく聞きたいなと思ったんですけど、どんなことやってるんですか?普段。
じゃあこれ僕から。
基本的には取引先ですね、京都信用金庫の取引先の企業さんの人材の課題に対してお悩みを聞かせていただきながら、それにあったどういうふうにすれば採用できるのかであったり、
逆に本業の悩みっていうところで副業人材で解決できないかっていうことをご提案させていただいて、一緒になってどうやってその本業事業盛り上げていくのかっていうのを支援するっていうのがメインにさせていただいているのと。
もう一方で、働き手の方をどうやって活性化させていくのかっていうところでは、まちごとオフィスっていうコミュニティに務めさせていただいている。
そこから出てくるまちのタレントさんですね、発掘をさせていただいているところを今させていただいているような形です。
なるほど。
京津人材バンクっていつぐらいにできたんですか?僕もあんまりその辺、付き合い長いけど、長いと言ってもこの2年ぐらいか。
そういえばその辺、僕知らんなと思ったんですけど。
そうですね。スタートしたのが2020年の6月末ぐらい。
4年半ぐらいですね。
4年半経ったぐらいですね。気づけば4年半。
それはあれですか、2人が入社して数年経って立ち上げたみたいな感じなんですか?
5年目?5年目だと思います。
5年目。
僕とニッタさんが同期で新卒で入社して、2016年に入社したんで、
4年から5年ぐらい。
5年目のときに立ち上げた。
2人で立ち上げた。
2人で立ち上げた。
最初はメンバー2人、人事堂で追加して4人で、最初は活動してたっていう感じです。
どういう経緯でできたかがちょっと分かってないんですけど、
そういう新規事業を立ち上げる動きとかは割と社内で取りやすいのかとか、
理念とチャレンジ
お二人笑ってるけど。
ないです。
今は結構当たり前になっては来てるんですけど、当時はなかった。
当時はないんだ。
そうですね、なかったです、全く。
そういう制度。
もともとあったのは、
教進の社員、職員が、
自分で独立起業しますというときに、
5年間は辞めて独立した後も、そのまま帰ってきていいよっていう、
そういう出戻り歓迎みたいな、そういう制度があったりはしたんで、
そういうのは変身的というか、いい制度だなって思ってたんですけど、
それぐらいですね、ある意味制度でした。
中で立ち上げ新規事業とかっていうのはなかったので、
なんかもうすごい、
新しい動きなんですね。
そうですね、草の根で地道に5年ぐらいかけて、
普通の業務しながら、
仕事終わってから集まったりとか、
週1回は入社日からずっとやってて。
構想自体はそこからあるんですか。
そうなんですよ、入社日から毎日、
入社日に仕事終わりに、入社日終わりに、
会議会やって、教科やるぞって言って、
そこから毎週仕事終わりから順当に一緒に集まってみたいな、
そんな感じでやってましたね。
これ関係ないというかね、
立ち上げに関係ないマッツさん側から見たときに、
とかその他の人から見たときに、
どういう見え方をするんですか。
どう眺めてたんですか、マッツさんとか。
すごいなと思って、素直に思いましたね。
急にできるのはわかってたんですか、事前に。
いやいや、そんなこともなくて。
なくて。
どのタイミングでしょうね。
急にっていう感じですよね。
人事発表みたいなので知る?
通達分みたいな、うちの会社に関係するようなことを、
毎日通達分みたいなのが出てくるんですけど、
その中であったっていうところですね。
突然ですよね。
突然?
今日からスタートします、みたいな感じで。
できます。
できますみたいな?
最初2人で、2人部署?
最初は。
4人。
最初は4人。
構想は2人だけど、スタートは4人で始まったんですね。
構想もいろいろメンバーはいるんですけど。
なるほど、プロジェクトっぽくなってったみたいな感じですね。
最初の2人が。
やってるのは僕とか矢野さんとかなんですけど。
社外に向いて実は、一緒に考えたメンバーが、
どっちかというと社外の方が多かったんですよ。
なるほど。
最初は別に社内ベンチャーっていう話でも全然なくて、
結果的にこれ教師の社内ベンチャーとしてできそうだみたいになって、
考えてたメンバーの中の僕とニッタさんの2人が、
立ち上げたみたいな形になったっていうのもあって。
当時から勉強会という形でいろいろやってたんですけど、
2人のメンバーが今人材バンクのメンバーに入ってきたっていう。
そうなんですね、なるほど。
社外の人もでも関わってたんですね、立ち上げ。
あだこだこ。
本当ですとはもう完全に、
こんなんできたらいいよねとか、
あんなんできた方がいいよねみたいなことを一緒に集まって、
だべってるみたいなぐらいの市民の延長みたいな感じでした。
変人ですわ、もう完全に。
でもそれが5年経ったら形になってみたいなことですよね。
すごいですよね、ありがたい。
すごいですね。
その時ってどういう世界にしたいとか、
理念というか思い的なんてどんな感じだったのかなっていうのを、
改めて教えてほしいなって。
どっちが話そう、どっちが話そう。
やなさんでいいよ。
やなさん。
話しましょうか。
理念的にはですね、やっぱり一番はチャレンジしやすい地域を作りたいっていうのがすごくありましたね。
いろんなチャレンジしにくさとか、働きづらさとか、
ハードルっていろんな面でそれぞれあると思うんですけど、
いろんなハードルがありつつもチャレンジがしやすいできる、
そういう環境を作りたいっていうのが大きくまずは大前提にあって、
そのためにどうやったらそういう環境を作れるんだろうみたいな出発点で、
最初本当にスタートしたんですよね。
最初はその理念ですね。
人材パンクって今ご紹介したような内容では全くなかったです。
なかったんですか。
むしろ最初は入社日から始まった話は、
奨学金制度を作ろうっていう話をしてました。
世界観は変わってなくて、
チャレンジできる社会を作りたいっていうところで、
最初は奨学金がもう巨悪な敵だと思ってたんですけど、
気づいたら借金になってるしみたいなっていうのは、
綾野さんの現体験でもあって、
そういうところから地域のお金流れ変えたらいいじゃんっていう発想で、
綾野さんは入ってきたんですよ。
そうです。地域のお金流れを変えて、
それこそ学びたいとかチャレンジしたいっていう人がもっと応援される、
それが負債にならないというか、
地域の活性化のアイデア
地域で頑張るんだったらみんなで応援しようよみたいな、
お金の流れを作れたらいいんじゃないかっていうのがあって、
それを教師になったら作れるんじゃないかみたいな、
根拠のない自信があって、
教師に採用、面接受けに行ったみたいな、
そんな感じでした。
そこから話していく中で、
途中でお金を給付とかするのが持続的に難しいなっていうので、
発想を変えようっていうので、
働き方を作るっていう風にシフトしたっていうところがあって、
そこから急にイメージとして大変化してて、
その時に今後はチャレンジできる社会を作りたいんで、
今いるような街のタレントさんっていう副業人材の方とか、
働き手の就職者の求職、正社員で入りたいっていう人たちが、
もっと自由につながれる仕組みを作りたいよねみたいな話を、
そこから話すようになって、
最初は地域の街のジムみたいなイメージから、
そういう仕組みを支えられるインフラを作っていこうみたいな形で変わっていった。
立ち上げの時は本当にそういう誰もがチャレンジできる社会にするために、
企業と人をつないでいこうみたいなところまでは固まってて、
副業っていうのがすごい可能性を感じてたっていうところで、
事業としてはスタートした感じですね。
副業の可能性
なるほど。
給付から働き方に途中切り替わったって話だったじゃないですか、
これって何でそこに切り替わったんですか?
何でというか、働き方っていうところにフォーカスしたのって何かきっかけあったんですか?
そうですね、ありましたね。
あったんや。
一回トン差しかけたんですよ。
これできるかもしれへんみたいな感じになって、
かけた途中で、
その時に、でもやっぱり諦めきれへんよねみたいな話をしてて、
一つは、根本的に小学金の問題があった時に、
お金の問題っていうことをすごい思ってたんですけど、当初。
実はお金の問題じゃないんじゃないかっていうのが出てきたっていうのが一つあって、
お金の問題っていうよりは、
もっと僕ら自身がチャレンジできるようになったとかできるっていうのは、
やっぱりいいつながりっていうか、
人のいいご縁というか、
人間関係があればそこって前に進んでいくよねみたいな話が、
お金がなくてもできるっていう状態に、
実はお金がなくてもそういう状態作れるんじゃないかっていうか、
人のつながりがすごい可能性があるなっていうのを、
結局そこじゃないんちゃうみたいな話になったって。
その時に、これはもうちょっとここにヒントがありそうやなっていうところで、
やってる中で、当時僕が人事部に移動になってたんです。
人事部にいたんだ。
最初お店窓口に行ったんですけど、
途中で人事部に移動になって、
人事部でいろいろ研修とか採用とか、
厚生労務とかそういうこともやってたんですけど、
その中でちょうど当時、
副業兼業がそれこそ2018年ぐらいで、
国が解禁するっていう、
厚生労働省が副業解禁して、
モデルの就業規則を変えるって話が出てきたんです。
それが結構きっかけで、
これは社会の流れ変わるかもしれへんなっていうのを感じて、
副業兼業であれば、
そういうさっき言ってたつながり、
人とのいいつながりっていうのが、
副業兼業っていう働き方って、
実はこれ作りやすいんじゃないかっていうのがつながったんですよね。
要は会社員として普通に本業が、
会社員で本業があったとしたら、
やっぱり仕事で人と出会っても、
会社の看板背負ってたりとか、
会社の人っていう用例を着てたりとかして、
なかなか個人、人と人でつながるって結構難しいケース、
多いなっていうのを感じてる。
でも副業でつながるときってやっぱり、
一、僕だったら矢野亮介っていうので、
つながることができるよねみたいなことがあって、
よりいい関係性が作りやすい可能性があるなみたいなところで、
一気に放送があった。
逆境とかそういうのめっちゃ実はいいんじゃないみたいな。
最初副業兼業系のみやろうみたいなテンションでやったんですけど、
同心からはちょっとまだ早いというか、
社内でやられた採用っていうところも、
やっぱりすごく企業としては課題やから、
やってほしいっていうところで。
会社の中でもそういう動きが出てたんで、
それだったら2人に合わせて任せたいしっていうので、
自在バンクができたっていう。
街ごとオフィスの創設
それでできたんですね。
なるほど。
それは構想から何年ぐらいで切り替わったんですか?
18年ぐらい?
2018年。
2年ぐらい?
ガッと切り替わったのは2018年ぐらい。
19ぐらいでだいぶ見えてきたみたいな。
初めはもうやめてやるかって最悪。
あとそれこそ自分いたんで、
会社の副業解禁して、
自分たちが副業でそれやったらいいんちゃうかとか、
結構いろんな選択肢を考えてて、
社内ベンチャーでできるとも思ってなかったんで、
制度もなかったんで。
とりあえずでもこれなんとか形にしたよね、
みたいなところでやってたんですけど、
結果的にそうなったみたいな。
なるほど。
でもあれですね、
時代の流れ的にも副業、兼業が今でもそうですけど、
だいぶ増えてきてるのと、
あと京都の街とも相性いい感じしますよね。
結構越境とか、
人とか企業のコラボというかね、
多いなっていうのが個人的には思ってて、
東京から2年半ぐらい前にこっちに来て京都に住んで、
どこの会社に所属してる人かよくわからん人が多いなっていう、
っていう感覚があるんで、
それはもしかしたら、
2人の周りにいるからかもしれないですけど、
そういう人増やしてる。
何してるかわからないですっていう人が多いですからね。
増やしてる可能性あるからな、この2人は。
でも絶対多いと思います。京都は多いと思います。
京都多いですよね。
多いと思います。
で、ここもちゃんと触れときたいのは、
さっき紹介の中で話に挙がったのが、
もう1個で街ごとオフィス。
これはもう僕らにとっては結構重要な。
絶対いつも話しとくかなと思って。
この話はちゃんと触れとかんと。
ありがとうございます。
街ごとオフィスっていうお話もありましたけど、
ここもちょっとせっかくやし、
どんなものかっていうのは聞きたいんですけど。
ありがとうございます。
なんか僕ばっかりな感じになっちゃってるんですけど。
街ごとオフィスは、
どっちかっていうと、
今は個人の方がメイン、
副業の話の文脈なんですけど、
副業したい人やっぱり増えてきているっていうところで、
今言った街のタレントっていう、
すでにプロとしても副業で、
いろんなところに複数入ってもらっているような、
そんな方々が今すでにいらっしゃって。
そういった方、すでにやってる方、
副業をやってる方と、
これからやりたい方ってやっぱり両方、
ちょっと層が違うというか、
両方いらっしゃるので、
これからやっていきたい方っていう人を
もっと応援したいっていうこともあって、
やっぱり人口を増やしていきたかったので、
そういう意味では、
コミュニティを作るっていうのが、
やってみたいっていうので、
スタートしてるのが街ごとオフィスですね。
街ごとオフィス。
街ごとオフィス自体はいつできたんでしょうか。
同時?
同時ではなくて、
人材バンクよりちょっと後ですか?
2年目のとき。
2年目の2月ぐらい確かにできた。
ずっとやりたいって言ってたんですよ。
立ち上げるときから。
ちょっとまだできひん。
ビジョンが。
2022年じゃなかったっけあれ。
2022年2月のとき。
なるほど。
ここからですね。
さっきなんか僕話を遮っちゃった気がする。
うん。
コミュニティができて、
そこで副業を既にやっている人と、
これからやりたい方が混ざれるような場所を
作り始めたっていうのが街ごとオフィス。
その中でイベントやったりとか、
プロジェクト的に立ち上げて、
一緒に実況して、
会社員の人も、
フリーランスの人も、
学生の人も主婦さんもみんな混じって、
一回働いてみようみたいな機会を作ったりとか、
そういうことを、
いろいろ社会人権的にやらせてもらってるみたいな感じなんですね。
うん。
なるほど。
何人ぐらいいましたっけ、街ごとオフィスってコミュニティ。
全部で100人ぐらいです。
あ、結構いるんだね。
なるほど。
そのね、街ごとオフィスに、
僕は、いつだったっけな、
僕は2年前ぐらいかな。
もうちょっと最近かな、1年前?
1年前ぐらいですかね。
1年か1年半ぐらい前かな。
1年半ぐらい前ですかね、たぶん。
僕も1年半ぐらい前。
じゃあ、たぶん僕とまっつーさんは、
そんなに時期ずれてないというか。
そうなんかな。
そうなんですよ。
けど普通に馴染んでる感じが。
僕の数ヶ月、3ヶ月後ぐらい。
そんなもんなんや。
たぶん、そうですね。
このラジオを聞いてる人って知らない人もいるかもしれないんで予測しとくと、
僕が京都に来て、
1年経ったぐらいで、街ごとオフィスを、
今共同代表してるshowちゃんから勧めてもらって、
面白い人がいるよっていうので入って、
すごい中で楽しんでたんですけど、
その中にまっつーさんが後からすぐ後に入ってきて、
そこで当時あれですよね、
DAOについて研究しようっていう部活みたいのがあって、
そこでまっつーさんと出会ったんですよね。
初めましてっていう感じで入ったら、
京都さんが優しく迎え入れてくれて安心したっていう。
同じことを僕も思ってると思います。
そこでDAO研究部もそうだし、
いろんな自分のことを探求するみたいなコンテンツもあったりする中で、
まっつーさんのこともいろいろご知る機会があって、
まちごとフェスの影響
そこで深いところでいろいろつながっていった結果、
気づいたら会社ができてたがJam Sessionzっていうね。
まちごとフェスですね。
3人とプラス2人。
このまちごとフェスなかったら多分できてないですね。
ある意味海の親2人みたいな。
いや、ほんまに。
これ絶対そうですよね。
だってそういう意味だとあれですよ、
まちごとフェスを経由して、
僕らのラジオのゲストの1回目にも出てもらったナカディさん。
ナカディさんとまちごとフェスの2人がいる酒場。
まちごと酒場でおきっかけにお会いして、
なんて変な人がいるんだと。
京都には。
なんて面白い人がいるんだと。
よく言いますけど、価値観がぐにゃぐにゃなるじゃないですか。
こういう生き方ってあんねんやっていうのを、
2人が開催したその酒場で。
それで僕は会社を退職というか業務委託に切り替えるっていうのを、
出会って数ヶ月後にしてたんで。
意気込みがすごすぎる。
変わって、どんどん変わっていく人が増えていって僕ら嬉しいですね、そういう意味では。
元々のテーマとして人と人を繋げてっていうところをさっき言ってくれたし。
本当にそうですね。僕も雇用契約を切り替えたのもチャレンジだし、
会社作ったのもチャレンジだから。
チャレンジって言うほど、そんな片肘払って動いてたぐらいの感覚ですけど。
なるほど、そうですね。
でもそれがすごい。
2人行きたかったんやけど、会社ができるっていうのを想定してたのかな、どうなんやろうと思って。
雇用契約を通じて。
なんかそういうの出てきたらおもろいよなみたいな話をしました。
そうなんや。
言ってました、これでも。間違いなく。
言ってたんや。
でも、作りに行こうとは全然思ってなかったんで。
いや、ほんまに作られた。
出来た。
ただ、びっくりして嬉しい、喜んでたみたいな。
すごいみたいな。
そんな出てきたらいいのになって言ってたやつがほんまに出てきたみたいな。
嬉しかった。これは本当嬉しかった。
本当嬉しかったです。
純粋にありがたい。
なんとか身寄りに尽きるというか、やっぱりこういうことを見たくてやり始めてるというか、僕がやらせていただいてるところは本当はあるんで。
自信、ある意味での自信というか、手応え感としても、やっぱりこういう方向性自体は間違ってないんだろうなっていうのをすごく感じさせていただきましたし。
なんか本当に恩返しじゃないですけどね。
もっと力になりたいなっていうか、やれたらなっていうのは思いました。
ありがたいですね。
僕らもそうですよね、でもね。
一緒に盛り上げていきたいなみたいなのとかね。
街ごとフィスもそうだし、京都っていう街もそうだし。
そうですね、僕たちも会社こんなことやっていきたいなっていうのを定期的に話し合ってるんやけど、なんか話してると、これ街ごとオフィスと同じようなことやんみたいな。
なんか重なってるよねっていうことがよくあって。
そうなんですよね。やっぱり目指してる世界観とかはすごく近いんで、一緒にやれたりとかコラボレーションしたりとか。
僕らにできないことを街ごとオフィスとか巨神人材バンクでやって、その逆もまたしっかりとかねっていう感じで一緒にやっていけるといいなっていうのはよく話してるんですよね。
人材のつながりの未来
めちゃくちゃわかります。
街ごとオフィスはあくまで一個のコミュニティに今なってるので、やっぱりもっと本当は地域の中で、地域の中とか社会の中でもっとそういうことがポコポコ起こっていくようにね。
面白い人が影響、人材みたいな人がやっぱり地域の中でもっと増えていって、地域変わっていくみたいな、面白くなっていくみたいなことが起こすための実験みたいな場所だとは思ってたので、
もっとこれから発展性というか、持ってるような形がまた再構築っていうかね、作っていけたらすごい面白いなって思います。
そうですよね。やっぱりその周辺にいる企業も人もやっぱり面白い人多いなと思ってて、街ごとオフィスとか、あと狂信人材バンクもそうですけど。
それこそゲストの3回目か4回目の西浅さんのこだまさん?こだまさんとの出会いもよく考えたら街ごとオフィスで、だよな気がするな。
そうですね。
面白いじゃないですか。
最高です。
そこで行き届をしていろんな活動に発展してたりするので、そこもやっぱりきっかけそうなんですよね。
どうやってああいう面白い人を見つけてくるんですか?
これダメなんでしょうね。
こだまさんに限っては、こだまさんから最初声かけてくださいましたからね。
僕らの設立の時のパンフレットをたまたま見てくれはって、この人たちに1回会いたいって言ってもらって、
本社に呼んでもらって話して、そこでその場で行こうみたいな感じでした。
寄ってくるんでしょうね。集まってくるという。人が人を呼んでみたいな。あるかもしれないですね。
あると思う。
企業さん側の個人の方の、いわゆる副業人材っていうような方とか、
越境人材っていう方は、やっぱり結構増えてきてるというか、いろんな方々とつながりができてきてるんで、
やっぱり次、我々だからこそみたいな意味で言うと、企業さん側をもっと増やしていきたいというか、
広げていきたいなっていうコミュニティというか、つながりを広げていきたいなっていうのは、最近すごく思ってることですね。
そこにやっぱり面白さがもっと出てきそうだなっていうふうに感じています。
予想してた通りではあるんですけど、このズームは40分で切れるんですけど、やっぱり40分で終わらなかったんで、
あと3分で切れちゃうんで、一旦ここでチャプターを切って、新しいほうに入ってお話できたらと思うので、
今後みたいなところを聞けたらなって思います。
はい、ではここで一旦チャプター切りますね。
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