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2024-04-05 17:16

♯5「日本リサーチ編 えがおつなげて」

山梨県北杜市の50人くらいの集落を中心に活動をスタートしたNPO法人。耕作放棄地を活用した無農薬無化学肥料農業や大手企業のネーミングライツ畑、自然エネルギーの研究開発などを実行した話。年間数億円の売上になる年もあった。

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こんにちは、近藤ナオです。
近藤ナオという生き物というシリーズで、ポッドキャストを話させてもらっているんですけど、今回は第5回ということで、
第1回から4回は、このポッドキャストで何を話すかっていうのを、だいたいダイジェストでお送りしていて、
今日からはまず、1回から4回聞いていない人には分かりづらいんですけど、僕の人生でのリサーチ編日本版っていうのでやってきたことを、
いろんなプロジェクトがあるんで、そのうちを1個ずついろいろ話していこうかなと思っているんですけど、
1個目は、NPO法人のえがおつなげてっていうのについて話したいなと思っているんですけど、
ちょっと名前は恥ずかしいというか、ストレートすぎて気持ち悪いなっていう部分も少しあるんですが、
代表理事の曽根原っていうのの思いがあるので、その名前は変えずにやっている活動だったんですけど、
何かっていうと、あれ何年前なんだろうな、20年くらい前なんで、2005年くらいからスタートして、
僕は東京で設計事務所を、建築の設計事務所をやってて、そこで商業建築ばっかり作ったりとか、
その後建築プロデュースの仕事をして、六本木ヒルズみたいなものが、ああいう施設がチヤホヤされた時代で、
その後、ああいうものをずっと作ってていいのかなっていうのを25歳か26歳くらいの頃に思って、
東京で建物を作るのをやめて始めたプロジェクトの1個目なんですけど、
何かっていうと、簡単に言うと都市ではなくて、カントリーサイドっていうのかな、
自然資源がいっぱいある地域に住み込んで、そこで自然エネルギーだったりとか有機農法で、
あまり化学的なものを使わずに、ほぼ使わずに食べ物を手に入れるっていうのを中心にした活動です。
そこで何やってたかっていうと、メインの活動拠点は山梨県の北都市の水垣山っていう岩ごつごつの、
なかなか登山家にとってはレベル高い山があるところのふもとで、山の一番最後でその先に人住んでませんみたいな、
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50人くらいしか人いなかったかな、50人くらいの集落をメイン拠点にして、
そういうところだとやっぱりどんどん田んぼとか畑とかも高齢化してきてしまって、
全然もう使えないみたいな感じで、田んぼとか畑が草ぼうぼうになってきて、もともとの山の状態に戻っていってるっていう、
山の状態に戻るのは悪いとは思わないんですが、そんなような状況の場所で50人くらいしかいない集落で活動をメインにしてたんですけど、
調子がいい時って言い方はあれだけど、売上的に言うと年間2億円とか3億円近くぐらい売上が行ったこともあるぐらいのNPOで、
何やってたかっていうと、1個は普通使われなくなった農地っていうのは農業委員会っていうのが地域ごとにあるんですけど、
農業委員会で農家として認められないと農地は借りられないんですけど、そこを山梨県の北都市と相談して、
NPOが借りてもいいよみたいな形の簡単に言えば、そういう条例みたいなものを作ってもらって、
僕らが借りれるっていう状況にして、どんどんどんどん使われなくなった畑中心に、田んぼもあったんですけど、
水垣山っていう山の近くなんで、標高が600メートルとか700メートルぐらいある地点だったんで、
水が冷たいので、水が冷たいと田んぼとかやるとなかなか収穫量がいかないっていうのもあって、
田んぼをやったんですけど、基本は畑を中心にどんどん借りて、
多分トータルで7ヘクタールぐらいの田んぼと畑を借りたかなっていう感じなんですけど、
そこで全部が草ぼうぼうで、でかいってことじゃないけど、ある程度の根が生えるような木も生えちゃうようなところも多くて、
そこを20年くらい前だったんで、まだまだ農業みたいなものとかが、
今って多分農業とかっておしゃれではないけど、
意義ある仕事とか活動としてコミットしてる人っていうのは増えてきた時代だなと思うんですけど、
その頃はまだまだ注目されてなかったので、僕ら以外になかなか日本では競合というか誰かと争ってるつもりはなかったんですけど、
他にあまりやってるところがいなかったのもあって、それで僕らは開墾しようぜみたいな形で、
本当の開墾っていうのは田んぼとか畑じゃなかった山を木を切って田んぼとか畑にしていくっていうことを開墾って言うんですけど、
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その細かいところは多分わからないので、まあいいかなと思って開墾しようぜって言ったら面白そうっていうので、
初年度から多分東京に山梨なんで、東京から比較的2時間か2時間半ぐらいでたどり着ける場所ではあったので、
年間で初年度でも延べ人数で500人ぐらいは来てくれて、
もちろんボランティアでお金を払ってないんですけど、それでみんなで草買って、
バッコンっていう根を抜くみたいなめちゃめちゃ大変なんですけど、そういうのを全部人力でやってっていう形で、
どんどん田んぼと畑を再生していくっていうのをやってました。
別にもちろんそれはお金にならないんですけど、
でもその後どうなってたかっていうと、やっぱり僕らがこれだけ、
僕らだったりボランティアの人たちもこれだけ苦労して再生した畑で、
少しずつ再生された畑で農作物作り始めて、
こういうボロボロになっていく日本の、
僕は心地よいと思う原風景というか、
物が育れていかずに自分たちの手で再生していったり、
僕らNPOのメンバーが山梨に住み込んでくれてたメンバーもいるので、
彼らの手によって日々管理されて、ケアされて野菜が育っていくっていうので、
お客さんというよりはファンになってくれたりというか、
サポーターみたいな感じになってくれてたボランティアさんたちがいっぱいいて、
そういう人たちに対して野菜ボックスみたいなものを定期的に販売するみたいな、
1回送ると2000円みたいな形で、1ヶ月に何回か送るみたいな人もいたし、
やっぱり野菜って、
有機農業だから不揃いの形になるってわけじゃないですけど、
化学、ケミカルな肥料を与えたりとか、除草剤をまいたりとか、
そういうのをしていかないと、サイズの違うバラバラの野菜が育っちゃう部分も多いので、
僕らがどんなふうな活動をしているかというのを見ている現場の人たちが買ってくれているので、
僕らがどんな野菜を入れても、もちろん食べれないものは送らないですけど、
形が悪いものとか傷物だったり、あとはマビキナっていう、
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種をまいても全部が発芽するわけじゃないので、ちょっと多めにまくので、
でも偶然多めにまいたものが全部発芽しちゃうこともあるので、
その中から早いうちに間引きしていくと、すごい小さいサイズの野菜ができちゃうんですけど、
そういうのも入れたりとかしても、僕らがこういう活動をしているっていうのは分かっているので、
それに対して、こういう人は一人もいなかったはずです、記憶では。
もしそれをインターネットだけで、ECサイトとかだけで売っていって、
僕らのことが見えない人たちに売っていったら、多分相当苦情が来て、
何なのこの小さい野菜みたいな感じでやってたんじゃないかなと思うんですけど、
それがかなりの数の人たちに定期的に売れていったりとか、
もう一個大きく当たったのが、ネーミングライツ畑っていうか、
その当時ネーミングライツなんて言葉は日本ではほとんど聞かない、
あったのかな、分かんないです。
世界的にもネーミングライツっていうのがいつから始まったか分かんないですけど、
最近だと野球場だったりとかに企業の名前がついて、
ヤフードームとかキョセラドームとかあると思うんですけど、
ああいうような形の畑バージョンをやってたっていうのも結構共感者が多くて、
かつ大企業を相手にやってたので売り上げも結構高かったんですけど、
何かっていうと、さっき話したように農地法の関係で、
農地っていうのは農家と認められた人しか借りられないし買えないので、
僕らが農地を借りて、その農地に、
例えば白鳳堂さんの畑とか伊東中さんの畑とか、
オーガニックスーパーマザーズさんの畑、
あと和菓子屋さんなんだっけな、
東京農大の畑みたいな、東京農大農業やってないんだみたいな、
なんでうちに畑借りるんだろうみたいな気持ちになったりしたこともあったんですけど、
結構常時20社近い、
もっとあった時もあったなっていう感じなんですけど、
20社以上の会社が、というか組織が、
ここの畑を伊東中ファームですみたいな形で、
その企業の名前を付けてくれて、
畑とか田んぼの売り上げって、
一単って言われる、
一単は10メートルかける10メートルかな、
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あれ、これごめん、間違ってたらあれなんだけど、
その一単っていうサイズで、
お米作っても、すごい売れたとしても多分、
5万円か10万円いかないんじゃないかな、
肥料使うか使わないかとかで変わってくるんですけど、
当時で言うと、とうもろこしが結構高単価だったので、
とうもろこし作ると、30万円くらいの売り上げになるみたいな、
それでも、やっぱりうちは山のふもとの集落だったし、
その先に人も住んでなかったんで、
気づくと、もう収穫できそうなとうもろこしを、
一晩でクマに全部食われてるみたいな、
明らかに、何て言うんだろう、
鹿とかイノシシとかじゃない感じで、
なんか食ってったなみたいな感じで、
全滅させられてたりすると、いきなり、
売上ゼロ円みたいになっちゃうんですけど、
そういうところを、例えば伊藤中さんの畑みたいな形にして、
彼らが、CSRって当時は言う言葉が流行ってたんですけど、
社会貢献活動の一環で、使われなくなった農地を、
売上げの一部を、利益の一部なのかな、
社会貢献に使っていくっていうような中で、
使われない畑を使って、
社員がたまに来て、たまに来てって言っても種まきと、
収穫のときぐらいしか、
あと一回ぐらい雑草取りとかのときに、
無農薬で除草剤まかないので、
やっぱ雑草がかなり生えるので、
それを取る作業っていうのは結構大変なんですけど、
その辺で来てくれるっていう感じなんだけど、
それを日々僕らが管理しますみたいな。
伊藤中さんとか大豆とかだったかな、
羽行堂さんは米と、
三菱辞書さんは、
お酒用の米と、
さつまいもも作って焼酎とか作ったり、
みたいなふうにしているところもあったし、
そういうところは社会貢献っていうよりは、
自分たちの畑で作ったもので作った日本酒を、
お得意さんに配るみたいな感じで使って、
たりもしてたんだけど、
例えば伊藤中さんが一旦の畑で、
大豆育て回すみたいな、
それを僕ら管理しますみたいなので、
一旦につき200万円くらいとか、
管理費をいただいたりとかして、
そういうのが何十社も重なって、
数千万の売り上げになったり、
みたいなこともあったりとか、
そんな活動をしてましたね。
他にも、
自然エネルギーの分野において、
山梨大学だったりとか、
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そういう企業がバイオマス発電っていう、
山の中にある特に木を中心にした、
発電をしたいっていうのとかを、
現地にそんなに入り込めないので、
一緒にやってほしいみたいな感じで、
研究開発費を取っているから、
僕らのNPOに委託するから、
そういうのも結構売上高かったし、
あとは農業地域で、
地域資源を活用して、
ちゃんとビジネスをしていくような、
人材育成みたいな部分の業務を、
それは農水省みたいなところからの、
そういうのを公募に申し込んで、
僕らが採択されて、
みたいな感じでやったりとか、
かなり当時も、
2005年とか6年とかは、
まだまだ農村側に、
僕らみたいなところがいなかったので、
かなり網羅的に、
農村エリアというか、
自然資源を活用した分野の、
リサーチ作業みたいなものが、
かなりできたなっていう活動が、
笑顔をつなげてっていう、
NPO法人の活動です。
途中で農林水産大臣賞とかもいただいたりとか、
その分野では、
評価されたかなと思ってるんですけど、
今回はその具体的に、
NPOの話をさせてもらいました。
また次回は違う活動の話を、
日本編ということで話をさせてもらいます。
ありがとうございました。
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