4種類目は「国単位で法律を作る事(ルールメイキング)」。日本で2番目に関わった法律「二地域居住促進法」と二地域居住者の具体的事例の話
サマリー
このエピソードでは、地域居住促進法とそれに関連する様々な事例について語られています。地域や異なる国での生活を通じて人々がどのように地域を支えているのか、また彼らのユニークな取り組みが紹介されます。学生寮の運営方法や多様な生き方を提供する取り組みについても語られています。さらに、地域との関わりやボランティア活動を通じてポジティブな影響を与える方法にも触れられています。
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こんにちは、近藤ナオです。今日は近藤ナオという生き物の第64回の話をさせてもらえたらなと思っています。
地域居住促進法について
今は、僕が始めた100種類の事の④種類目のルールメイキング、国単位で法律をつくるということと、
僕の中では9種類目に考えていた、2カ国のパスポートを持つというのが最後のゴールですけど、
簡単に今住んでいる、定住している、日本で言えば住民票を置いて住んでいるような場所だけではなくて、もう一つ以上の場所に家を持つ。
法律の名前的には、日本では2地域居住促進法という形で、2つの地域で居住するということを、住民票がなかったとしても、もう一個の地域に積極的に暮らしていくことで、
行ったり来たりしながら、もう一つの地域でもそこでやりたいことをしてもらったり、それが地域のためになったりとか、
あとはそれよりも自分自身が今メインで住んでいるところに、ないとは言い切れないのであれですけど、もしも自然災害が起こって住めないレベルになったときにも、
もう一つの地域に暮らしがあることによって、避難というよりはあっち側の家の方に行って、住民票を置いて暮らしていたところの状態が落ち着くまでは、
軸足をもう一個の地域に移すみたいなことを主体的にサポートしていこうみたいな法律が作られ、それが実際に日本国に落ちていくという部分に関して、
サポートというか、それが日本に落ちていく部分を、僕も今主体的にやっていますという話をしていました。
地域居住促進法の中で、僕が自民党の地域居住推進議連の勉強会でもお話をさせてもらったこととして、
そこに参加する国会議員の先生たちは、地域居住というのが地方創生に価値がある死するっていうらしいんですけど、死すると思ってらっしゃるんですが、
実際、それぞれの議員さんたちが地域に戻ったときとかに、いろんな関係者に説明するときに、住民票ないやつらが来て何かメリットあるのかみたいなこととかを言われたりすることもあるらしいので、
それに対して、地域居住者は地方創生に資するのかっていうテーマで勉強会で話をさせてもらった。
2025年の1月30日に話をさせてもらった内容を基に、前回は僕が20年間体験してきた地域居住とか地域居住を踏まえて、こういうモデルっていうものを地域に落としていくことによって、
地域居住者がどんどん増えていくっていう話をしようと思ったんですけど、その前に、今こんなに地域居住者が日本にはいますよっていう話をしても面白いかなと思ってきたので、
実際、今から話す事例っていうのは、僕の全知り合いを今8人かな、この後話ができたら話してみて、こんな暮らし方してる人がいるんですよっていうのをお伝えしたいんですけど、
実際、名前だったりとか、やってる内容に嘘はないんですけど、名前だったりとか関わってる地域名とかはちょっとだけ変えている、個人が特定できないように変えていたりするので、その辺は少しだけ違う部分があるんですが、そんな感じで今8人ご紹介ができたらなと思っています。
1人目の人は都市部、札幌の方で、普段はトップスタイリストですかね、美容師っていう形で、かなり人気があるフリーランスの美容師、フリーランスでいいのかな、美容師をやっていて、毎月20日間は都市部で美容師をやってるんですけど、
残りの10日間は地域に家族3人で1歳の子供と一緒に地域に移動して、10日間はそっちの地域で福祉施設の出張美容師っていうのをやってくれてるような人もいます。
実際、人手不足でなかなかそういう美容師が施設に来てくれて、年配の特に女性の方とか、髪を切ってもらいたいとかっていうのがあるんですけど、人手不足なので、そういう部分を毎月10日ですが補ってもらうっていうようなことをやってる人もいます。
あとは、例えば東京でミシュランとかで保守を持ってて、スパイス料理をやってるシェフとかは2ヶ月に1回のペースなんですけど、沖縄県の名護市とかに行って、名護に2ヶ月に1回15日間行って、そこで飲食店でスパイス料理を教えたりしています。
ミシュランで保守を持ってるシェフ自身も、2ヶ月に1回はそういう自然豊かなところで暮らしながら働けるっていうのも夢というか、やりたかったことで、それを飲食店の方が受け入れるっていうことでマッチングされて、そこでスパイス料理の技術も上がっていきますし、今まで未利用だった、廃棄されてた食材とかも使えるようになってきたりとか、
そんなような人もいます。あと3人目の事例とかは、毎週毎週、3人目の事例っていうのは僕の事例集に出してるんですけど、僕は東京で当時であれば、今の今はちょっと違うんですけど、当時では東京でコンサル会社みたいなのを経営し、週4日間は東京にいて、残り週3日間は山梨県の北都市の50人しかいないような集落に行って、
そっちで活動するっていうようなことをやってました。山梨の方では、かなり限界集落に近いようなところで耕作放棄地っていうのがどんどんどんどんできてしまってるエリアで、そこでNPOを作って、僕も理事として参加し、一番多いときでは7ヘクタールぐらいの耕作放棄地を耕作して、畑がメインでしたけど、そういうようなことをやったり、
あとはバイオマスとか太陽光とか再生可能エネルギーを作ったりとか、いろんな事業を向こうで会社を起こしてやってました。もちろん住民票は渋谷の東京の渋谷区のままそういう活動をしていました。
4番目の事例は、これは僕が今宮城県の東松島市で一緒にやってる事例なんですけど、女性の方で、そこのプロジェクトのトップは女性の社長なんですけど、その人が家族4人で埼玉県のほうに暮らしてるんですが、
彼女は毎週のように宮城県の東松島と埼玉を毎週行ったり来たりするような形の暮らし方をしていて、彼女は子どもたちに防災教育を教えるために、
特に東日本大震災の被害を受けたところで廃校とか閉校した、使われなくなった学校を手に入れて、子どもたちに防災教育を教えられる宿泊とか飲食もできたりとかする拠点を作りたいという思いがあった人が、
宮城県の伸びる、東松島市の伸びるってエリアに津波がかかってしまった学校があって、そこを家賃ゼロとはいえ、かなり傷んだボロボロの状態で引き受けて、補助金とか自腹でお金を投資してそこを再生させ、
今となっては、そこを防災教育が受けられて宿泊できて食事もできたりとか、あとは室内遊具施設があったりとかして、子どもたちとか家族連れでも遊べるような場所として再生させていって、実際年間の売上も億を超えるような形で運営しながら、
平常時は楽しんで防災教育を学べるような施設として再生し、緊急時は東松島市とも協定省も住んでるんですけど、300人の人たちはそこで快適に避難できるという状況の場所を今作り上げていて、今この300人の快適な避難所を1万人の規模にしていこうという取り組みをやっていて、
リモートワークと地域生活
それは僕も名刺上はこれを進めてる会社の顧問という形で入ってるんですけど、ここでこの彼女とやってる取り組みは僕が始めた100種類のうちの5種類目っていう形で、この後また次回以降話させてもらえればなと思ってる内容なんですが、
とはいえ、そういう埼玉に家族がいて軸足を置いているけど、東松島の正直津波がかかってしまったエリアで、観光地とかでもないですし、なかなか再生しづらかったものを引き受けて、こういうような形で再生させてる事例っていうのは、
住民票があるないなんて関係なく、十分に地域にとってはすごい価値があるんじゃないかなと思って僕は見ています。そして共にやっていますっていう感じなんですけど、5人目の人とかからはサラリーマン系になってくるんですけど、1人目の人はフルリモートワークが100%フルリモートワークOKみたいなスタートアップかな。
社員100人ぐらいの規模のスタートアップに行って、どこで働いててもいいよっていう感じなんですけど、その彼女は毎月10日間、九州にある佐賀の方の私立の中高一貫校があるんですけど、そこが全寮制じゃないんですけど、学生寮がついていて、
その学生寮が、もともとはよくある昔ながらの60前後ぐらいっていうか年齢はあれなんですけど、比較的年配な夫婦が住み込みで、朝から晩までいまだにテレビと新聞から情報を取ってるみたいな人たちが、朝7時とかに爆音で音楽かけて、
7時には集合して転校取ってラジオ体操するみたいな、なかなかすごい世界観の学生寮があったんですけど、そこを新職を共にする人が、今そういう人たちとずっと接するっていうのは、そのプロジェクトは僕もまたは顧問として関わってたプロジェクトなんですけど、
なので、そういうちょっと古いタイプって言ったらあれですけど、そういう方の両母さんに辞めていただいて、毎月10日間、全国から、この人だけじゃないんですけど、全国から9人の毎月10日間来てくれる両母さんっていうのを日本中から探して、毎日3人ずつ入れる状況を作り上げて、9人の人たちで毎月を回すみたいなスタイルの仕事を作ったんですけど、
それに参加してくれてる方で、毎月10日間学生寮にいるんですけど、昼間は生徒たちは学校に行くので出てって、その間リモートワークしていて、夕方生徒が帰ってきたら、次の日の朝まで両母さんをしてもらうっていうような事例で、人材の加工だったりとか、生徒たちが多様な生き方に出会えるっていう部分の多様な大人として、
生き方を伝えてもらうようなこともやってもらっています。
6番目の人は大企業のワーカーさんで、リモートワークも日記教授とかも禁止っていうところなんですけど、彼はどうしても行きたい地域があったみたいで、そこで自分の会社の新規事業開発をしますっていうことで、結構今も観光客が来なくなった、廃れてしまった温泉街で地熱発電所を作るっていうのを会社の新規事業にして、
会社の体裁でその地域に毎月15日間は住みながら東京都行ったり来たりしてるっていう事例があったりもします。
7人目の人は、もうこの人も大企業ワーカーで、副業とか日記教授禁止なんですけど、リモートワークとかも。
彼は2週間に1回、週末だけですかね、土日とか有休ちょっとつけて、金土日月とかっていう形で、この人も静岡の南水エリアで僕がやっている湧き水が出る3ヘクタールの山を買い取って、みんなで。
そこで持続可能なというかオフグリッドな暮らしを作ってるっていう、この僕の100種類の取り組みの2種類目で話した内容ですけど、そこに2週間に1回ぐらいは戻ってきて、自然の中で活動もするんですけど、彼が特徴的なのは地域で米の農家さんだったりとか洋補家とか林業だったりとか、
いろいろ僕らの仲間たちが人手が足りないっていうのとかが向こうから声かかるし、こっちからも来週戻りますよとか連絡すると、ちょっと仕事用意しておくから手伝ってほしいみたいな感じで連絡が来ると、その活動をして、でもその活動自体はお金もらわずにボランティアでやってるので、それは結構地域の人たちからかなり喜ばれていますみたいな事例が7種類あって、
8種類目最後は僕の中では不可抗力系って呼んでるんですけど、親の介護とかで毎週末には週末だけローカルの地域に行かなきゃいけないみたいな、それ行ったり来たりするとか、出港とか転勤とかもそうですね。こういう不可抗力系の人たちとかがいたりとかして、僕の中では8パターンぐらいこんなような暮らしをしてる人たちっていうのが日本国内だけでも出てきてるんですよっていうのを、
自民党の日一教授推進議連の勉強会でもまず話をさせてもらって、1番から8番全員来てくれてもいいかもしれないですし、少なくとも1番から7番目の人たちっていうのは、2週間に1回週末だけ来るとはいえぐらいでもボランティアをしてくれたり、
あとは自分たちで選んで日一教授をしてくれてるっていう主体的に関わろうとしてる人たちっていうのは、少なくとも地域に対してもポジティブに関わる人が多い可能性が高いんじゃないかと思っていて、僕としてはこの1番から7番みたいな形で7人まで話したような人たちっていうのを、どんどん地域が受け入れるような基盤を作っていきたいなと思っていて、
そんなことを僕は今、静岡県の下田市と宮城県の東松島市で、そんな基盤作りをしています。その具体的な話はまた次回に。
16:00
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