1. 近藤ナオという生き物
  2. ♯2「リサーチ編 日本」
2024-03-15 21:54

♯2「リサーチ編 日本」

山梨のNPOとシブヤ大学、まちの保育園、お寺や神社の再生、行政や不動産デベロッパーからの街づくりの仕事、六甲の山口組、官僚と民間の仲良しグループ、そして、娘が日本の公立中学校が合わなくなる話まで

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近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第2回をお話ができたらなと思っています。よろしくお願いします。
前回、話したのは、六本木ヒルズとか、そういうキラキラしたところに住んでいる人が、生活に最低限必要なエネルギーとか食料が、どこから運ばれてくるか、どう作られているかって知っているのかな、みたいな。
それ、僕も知らないなと思って、それ知らないのに、町づくりとかプロデュースとかやってていいのかな、みたいなのをめちゃめちゃ疑問を持って、それもいきなり建築を作るのをやめて、山梨の山奥に行った話と、東京の渋谷では建物を作らない町づくりを始めようという話までしたと思うんですけど、
この後、本当に日本で、日本中隅々まで、かなりいろんな業種に関わっていくんですけど、ババババッと何やってきたか話しますが、今思えば、世界中の人たちが釈然として生きていくために、まずどんな人たちがどんなふうに生きているかっていうのを知らなきゃなと思って、
自分の知らないところに住んでいる人たちを見るために、僕は一番都合のいい状態として、町づくりプロデューサーみたいな方法を使って、まずは日本中の隅々までをリサーチし、その後、世界中の人たちのことをリサーチするみたいなことをやっていたんだなと思っていて、
今日は日本でどういうリサーチをしていたかというと、リサーチだと思ってやっていたわけではないんだけど、関わったことのない分野にはどんどん関わりまくる。逆に一回やったことがある分野にはもう一度やらないみたいな、ビジネスから考えたらめちゃめちゃ効率悪いことをやり続けて、今まで生きてきたんだなと今思えば思うんだけど、
その中の1個目が、さっきの山梨の山奥でNPO法人をつくって、ちょっと名前が笑顔つなげてっていうNPO法人で、それはちょっと代表理事の思いでつけた名前なので、それがどうっていうのはないんだけど、
そのNPOは50人しかいないような集落で活動をメインにしているんだけど、めっちゃ調子がいいときは年間売上2億円とか3億円くらいあるNPOに育っていて、もちろん野菜売っているだけでそんな売上にはならないので、
何してたかっていうと、ほんといろんないろんな事業をやってたけど、1個は工作放棄地って言われる、なんかこうそういう限界集落とかっていう単語、もうほっとくと人がゼロになっちゃうような地域とかあって、もう使われなくなった田んぼとか畑とかがめちゃめちゃいっぱいあるんで、
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そこを僕らのNPOが何度か借りれるようにその市の中、北都市っていうんだけど、その市の中で条例を作ってもらって、知ってるかわかんないんだけど、農地法っていうのの関係で農家じゃないと農地って借りられないし買えないみたいな、
それは僕らのNPOで工作放棄地を借りれるようにしてもらって、それでほとんどただ同然で、そうだな、トータルすると7ヘクタールくらいまで最大田んぼとか畑を持ったかなっていうくらいで、そこでもちろん野菜育てとかそういうのはやるんだけど、結構売上行った1個は野菜ボックスみたいなものの定期的な販売みたいなのが結構うまくいって、
どうやってその顧客作りをしたかっていうと、20年くらい前だと、今って比較的農業が価値のある仕事とかオシャレとは思ってないかもしれないけど、意識を持って若い人とかも農業とかの仕事をついたりする人も出てきてるように日本でも思うんだけど、
20年くらい前は全然そういう耳聞きもされてなかったんで、僕らが工作放棄地だから草とかもボウボウになってくるんだけど、それを開墾しようぜみたいな感じで声かけて、東京もまあまあ近かったから、年間多いときは延べで1000人くらいボランティアで来てくれて、
本当は開墾っていうのは田んぼとかじゃなかった山を切り開いて田んぼとか畑にしてことを開墾って言うんだけど、そこはもう誤差なので、もともと田んぼだったところの木とかを倒したり、バッコンっていって根っこを外してなんとかみたいな、そうやって延べ1000人くらいなんで、ユニークユーザー何人くらいかちょっと忘れちゃったんですけど、数百人くらいの人たちが来てくれてて、
でも一回でもそういう現場で大変な思い出で畑を再生したりとか、そこで俺らみたいなのがこんな風に生きてるんだって思うと、そこで野菜をこういう風に育てててとかなると、かなり愛着が湧くし、ネットで野菜をただ販売するみたいな感じだとさ、誰が育ててるかもわかんないので、今思うと俺らはかなりそういう形でファンを獲得し、
あの人たちが育ててる野菜ならちょっと傷があったりとか、ちょっと小さかったりしてもまぁいっかみたいな感じで定期販売の戦略にすごく成功して、で、あとそれもまぁまぁ売れてたんだけど、一番当たったのはネーミングライツ畑、今思えば。
なんか最近ね、日本でもネーミングライツみたいな感じで、キョウセラドームとかなんかこう、なんかね、企業にあの名前売ったりするみたいなあったけど、あれを今思えばやってたんだなと思って、あのどういうやり方かっていうとこう、なんか、た、まぁ例えば畑で一旦っていう、まぁちょっとさりざりとしてその一旦で、多分米とか育ててもいくらになるかなぐらいのところで、
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まぁ多分とうもろこしとか育てると全部が熊とかに食われなかったりとかうまくいけば多分30万円ぐらいの売り上げになるっていう感じかな。でもそれがもうほんと限界みたいな感じなんだけど、俺らがやってたのはその一旦のあの畑とかをネーミングライツさせてあげて、あの伊東中小路の畑とか白鳳堂の畑とかオーガニックスーパーマザワズさんの畑みたいな感じで、で、その人たちの名前をつけてあげて、
で、例えば伊東中さんとかだとそこで社員が工作補給地を使って、なんか大豆を育ててまわすみたいな感じで、種まきとかだけ社員が来て、あぁやって、で間の管理は俺らがやって、で最後収穫とかだけはするみたいな感じで、その一旦で、あの伊東中さんのときとか一旦管理しとくんでって年間200万円とかもらったりとかして、まぁそういう感じのクライアントが多分15社とか20社ぐらいとか、
まぁやっぱその頃はほんとさっきのボランティアがいっぱい来てくれたっていうのもそうだけど、もう競合が全然いなかったんで、あの、まぁ、ほんとにちゃんと東京で営業に、山梨にがっつり住んでる人もいたけど、僕みたいに東京と山梨行ったり来たりするみたいな感じで関わってるNPOメンバーもいるから、
そうすると、いつも東京にもいると東京側でクライアントと打ち合わせもして、で山梨側のこともわかるみたいな感じでできるので、だからそういう形で、そんな営業スタイル持ってる、なかなか田舎のNPOというか農業をやってるようなNPOってなかなか競合がいなかったんで、だから相当仕事も取れて、まぁそういうのがいろいろうまく重なって、もっといろいろ事業やってたんだけど、うまくいくとうまくっていうか、
多い時はほんと3億近い売上げの時もあったかなみたいな感じで、山梨ではやってました。で、まぁ調子良ければ売上げも調子良いっていうわけじゃないな、まぁ多い時はもう売上げ3億円みたいな風に行った時とかもあったし、
で、まぁなんかちょっとこういう感じでね、なんか一個一個の話を、ほんともっともっとこの山梨のNPOの笑顔つなげての話はもっといろいろやってきてるネタがあるので、こういう風に話していくと一個の案件で15分とか余裕でいっちゃうので、
今後5回目以降は一個一個トピックを取り上げながらしっかり話していきたいなと思うんだけど、まぁまぁちょっとこんな感じっていうのでちょっと今1本目話しすぎちゃったんだけど、ちょっとそれはまた次回にとっておくとして、
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山梨のこと以外にさっき渋谷で建物作らない町づくりを始めるっていうのをお話をしたんだけど、それは渋谷大学っていうプロジェクトを始めて、簡単にいうと渋谷の町全部を大学に見立てて、校舎のない大学だよね、
カフェが教室になったりとか神社だったりとか人の家だったり、トンネルの中とか、教室はどこでもいい。それで渋谷に住んでる人とか働いてる人が自分の特技を活かして先生をやる。
で、入学金とか授業料も無料で学び合う。学びを通したコミュニティ大学みたいな形で、入学金授業料無料なんだけど、またそこもいろんな方法でお金集めして、年間5000万円くらいかな、お金をいろいろ集めて運営してるNPOとして立ち上げたりもしました。
渋谷大学は結構、さっきの笑顔をつなげても上手くいった方かなと思うんだけど、渋谷大学も街づくりとかの業界ですごい有名になって、札幌から沖縄まで自分の町でも同じようななんとか大学作りたいみたいな声がかかって、
僕ぐらいしか動ける人がいなかったんで、札幌、東京西川大学っていう、八王子じゃないな、国分寺とか立川とか、あの辺の界隈の人たちがやりたいとか、あとは名古屋だったり、大阪、京都、広島、福岡、鹿児島、沖縄みたいな感じの、
比較的、それぞれのエリアの都市部みたいなところでなんとか大学作りたいみたいな形で、いろんな地域の人たちから声がかかって、その頃は僕が桃太郎、桃鉄みたいな暮らししてたかな、東京から飛行機で鹿児島行って、
鹿児島の、桜島、結局最後桜島大学っていう名前になったのかな、そこの立ち上げやって、次は電車で福岡行って、次の日福岡の立ち上げやって、次の日広島に電車で行って、広島立ち上げやって、次京都行って、名古屋行って、東京に戻ってくるみたいな感じで、全国の姉妹校の立ち上げみたいなことをやって、
これでかなり日本中のいろんなところの、町全部を大学に見立てるから、いろんな人たちと関われるんですよね。神社の中にこんなスペースあるんだ、みたいなところで授業をやらせてもらったりとか、
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例えば、東京に明治神宮っていうところとかあるけど、全然知らなかったんだけど、明治神宮の中に1900人も入れるホールとかがあったりして、すごいな、こんなことになってるんだ、みたいなこととか、それでいろんな人と会えてめっちゃ面白かったし、これもまた話すと長くなっちゃう。
で、あと次は町の保育園っていう保育園の立ち上げもやりましたね。これはちゃんと認可保育園にしたかったので、やっぱり認可保育園にしないと、私立の1個だけの保育園を作ってもお金のある人しか来れないし、お金のない人でも誰でも来れるような保育園にしたかったんで、なんとか認可を取るっていうのをいろいろ頑張った結果、
具体的に話すときに今度話そう。とりあえず認可を取った保育園で、町の保育園は簡単に言えば地域みんなで子どもを育てようみたいな形で、町中の人たちが保育に関わってくれるっていうようなタイプの保育園を立ち上げて、
今東京中に6軒かな、7軒くらい直営でいろんなところで保育園をやるようになったりとか、ここも渋谷大学と一緒にノウハウ移転みたいな形で同じようなコンセプトのことをやりたいっていう人がいれば伝えていくみたいなことにもなっていってるんですけど、
僕は立ち上げ屋だし、リサーチ的な気分で、リサーチとしていろんな分野に関わりたかったんで、どのプロジェクトも僕は外れてしまって、それをずっと続けていってくれるメンバーっていうのは今はいてっていうような状態なんですけど、
あとは、さっき渋谷大学で神社の中に入ったって言ったけど、それだけじゃなくて実際お寺の再生とか神社の再生を頼まれて、お寺の建て替え7億円とかかけて本堂と栗っていう、住職さんが暮らす水場があるスペースのことを栗って言うんですけど、
そういうのを再生して、コンセプト作りみたいなこととか、リブランディングしたりみたいなのもやらせてもらったし、
あとは、いろんな地域で授業をそれなりに地域資源を活用したり、地域の課題を解決したりしながら、かつ補助金とかを入れなくても自分たちで授業として回していくみたいな組織を立ち上げたり、そういうのを立ち上げるのをサポートするのが上手い人みたいに思われて、
これを始めたんですよね。
そのおかげで、次は都市部で言えば超大手の不動産デベロッパーたち、三井不動産だったり三菱辞書だったり、森ビルさんだったり、大和ハウスとか赤水ハウスとか、たぶんほとんどのデベロッパーと関わったんじゃないかなと思うんだけど、
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そういうところから呼ばれて、結構大きな規模で再開発とかしているところに対してのソフトの部分を、言い方が難しいんだよな、建物だけ作っても暮らしは豊かにならないんじゃないかみたいなことを思っている人たちが僕に声をかけてくれて、
そこで地域の中でやる気のある人たちを見つけ出して、その人がやりたいと思う事業を何とか形にしていくみたいなサポートみたいなのがなんとなくできちゃったんで、
それで都市部であれば不動産デベロッパーから声をかけられるし、あとは佐賀県だったり新潟県とか静岡県とか、そういうところになってくると県庁だったり市役所とかから声がかかって、同じような形で地域で活動体、持続的にできる活動体を作ってほしいみたいな、分野は問いませんみたいなふわっとした契約とかもらうことも多くて、
そのおかげで本当に日本中隅々まで色々やらせてもらって、例えば神戸の六甲っていう町があるんだけど、そこの町づくりの仕事とかもらった時は、六甲って山口組っていう活動体があると思うんだけど、あそこも2万人くらい戦医がいるので、やっぱり六甲の町づくり考える上で山口組を無視するのは、俺の敵にはないなと思って。
ちょっと色んなルートを使って、山口組に入れる日っていうのがあって、それで入り込んで、その日は幹部含めて全員とあと何百人くらいの構成員の方たちがいて、地域の人たちのためにお店とかを出したりとかして、入れて話もできるみたいな日があることを突き止めて、
それで山口組の中に入っていったりとかして、コミュニケーションを取ったり、彼らとプロジェクトを思い切りやったってわけじゃないんだけど、ちゃんと話をさせてもらって、どういう考えでどう生きてるかとか、ある程度理解できたっていう言い方があるんだけど、そういう形で自分の立場を使って、日本中隅々まで色々見てきたっていうのを、大体6年前くらいまでかな、やってました。
あとは簡単に言うと官僚と民間人の仲良しコミュニティみたいなものを作ったりもしたし、本当にかなり色んな分野を見れたんで、どうしようかなと思ってたところで、6年前に当時14歳の一番上の娘が、日本の公立の小学校、中学校行ってたんですけど、公立の中学校がマジつまんねえって言い出してくれて、
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義務教育の時の公立の小学校、中学校ってギャンブルみたいなものっていうか、面白い先生とか校長先生に当たればめちゃめちゃ面白いし、つまんない先生に当たると本当に悲惨なことになって、いじめをほっとかれるみたいなこととかになったりもするし、小学校はめちゃめちゃ面白い校長とか他人に当たったんで、僕もめっちゃ学校に入って、自分がPTA会長みたいなことやったりとかぐらいまで入り込むくらい楽しくて、
中学はマジつまんなそうだなと思って、中学行かなくていいっていうのはずっと言ってたんで、小学校1年生の時から小学校6年生になったら来年どうするかプレゼンしろって言い続けた。
俺は論破しなくていいんだけど、意思を持って中学校に行ってほしかったし、行かずに働いてもいいし、ものづくり好きだからアーティストになってくれてもいいし、ずっと家にいてもいい、何でもいいから考えて、次のステップか、決めたらいいんじゃない、なんとなく中学高校行くみたいなのは、できればそれは自分の子供だけじゃないけどみんなにやめてほしいなと思ってて。
あとちょうどその時に海外っていう選択肢もあるかなと思って、オランダとかデンマークとか北欧諸国の教育みたいなものは、僕もすごい保育園作った時から勉強してめっちゃ気に入ってて、調べたらオランダだったら行く方法があるっていうのが分かって、
とりあえず娘に選ばせようと思ってオランダ連れて行って、オランダで入れそうな学校を見せて、娘に今後中学、中二でつまんないって言ってるけどどうするって言ったら、オランダ行きたいって言われて、マジかと思って、じゃあオランダ行くかって言って、
僕と娘二人でオランダに移住するみたいな暮らしになって、一気に僕は次に世界にリサーチのステージを広げていけるようになったっていうのがあるんですけど、
なので次回は一回ここで切って、次回はリサーチ編の海外バージョンのダイジェストで行けたらなと思います。
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