1. 心の砂地#
  2. 『わたしらもきっと想像以上』
2025-04-02 59:12

『わたしらもきっと想像以上』

spotify apple_podcasts

M11.《自分は、きっと想像以上だ。》2017年、ポカリスエットは春・夏キャンペーン広告として、300人の高校生が一糸乱れず、全力で踊るイメージを打ち出し、話題になりました。1ヶ月に及ぶダンスレッスンで300人の高校生と時をともに過ごした奥山由之が収めた広告写真は、「POCARI SWEAT」(青幻舎)と題して写真集にもなっています。はたして、私たちに「青春」はあったか。そもそも「青春」とは。私たちの学生時代に立ち返りながら、愚かしさ、視野の狭さ、その美しさ、本当に?……。そんなことをお話ししています。
◆えびしば
・『ひがこ0時50分』
⁠▷⁠Spotify⁠⁠ ⁠Apple⁠
東京在住30代ゲイのえびしば🦐とハスキ🐺が、「ひがこ」という街の片隅から、ちょっとだけ夜更かししてお送りする、ゆるゆるサラサラゲイトークバラエティ!
毎週木曜ごろに配信しています。#ひがぷん


◆Discord
https://discord.gg/NxH9y5t29V

「心の砂地#kokosuna コミュニティ」をDiscordにて立ち上げました。リスナーさんたちの感想や雑談などが書ける掲示板のようなものです。良ければ上記リンクから参加してください。
================
ここすなリンク集→ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://lit.link/kokosuna
各種SNSに感想など、投稿していただける場合のハッシュタグは#kokosuna でお願いします! 番組感想、お便りは kokoronosuna@gmail.com ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もしくは以下のフォームまで!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
https://forms.gle/M1Few46KyWf1cM2B8
artwork:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠セキヤ@sekiyanabemotsu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
ED theme:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@k5_y4⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@toma__ko⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
================

サマリー

ポッドキャスト番組『心の砂地』では、えびしばさんが高校生活の青春について語り合っており、特に髪の毛の色や文化祭に関するエピソードが共有されています。えびしばさんの過去の青春が今の彼にどう影響を与えているのかが、新たな発見としてリスナーに伝えられています。また、ポカリスエットの広告キャンペーンや青春に関連する思い出、日本海側と太平洋側の文化の違いについても触れています。デジタルネイティブ世代としての成長やインターネットの影響が語られ、個人の青春観が浮かび上がります。学生時代の吹奏楽部での経験や、オンラインゲームでのネカマ活動が主なテーマとして扱われており、青春とは何かを考えさせる内容になっています。さらに、個々の体験や思い出を通じて、異なる形の青春が表れます。今回のエピソードでは、大学生の生活や青春の定義について考察し、高校での部活動や経験がどのように影響を与えたかを探ります。また、愚かしさや狭さが青春の一部であること、そしてポッドキャストを通じて人間関係の温かさや青春感を再確認する様子が描かれています。えびしばさんとサメちゃんは青春の定義や体験の違いについて話し合い、特に10代の頃の経験が現在の生き方にどのように影響を与えているかを掘り下げます。青春の煌めきにこだわることが必ずしも幸せではないと認識し、個々の価値観や生き方の違いから新しい視点を見出していきます。

青春についての雑談
この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。私、シャークくんです。今回、ゲストに来ていただいております、こちらの方です。どうぞ。
皆さん、こんばんは。ポッドキャスト番組、日学0時50分、パーソナリティーのえびしばです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回ね、24年の6月に、2人という関係性っていうのについてね、お話をさせてもらって、いい回でしたね、あれ。
あれでもね、結構好きな回にあげてくれる人多いんですよ。
本当に?嬉しい。えびしば自身も好き。
本当ですか。最近イベント、僕ちょっと出たんだけど、その時も直接初めて会ったリスナーさんに、どんな回聞いてますかみたいな話してたら、2人という関係性についてっていう、えびしばさんとの回が。
嬉しい。
みたいなこと言われましたね。
ココスナちゃん、ありがとう。
今も多分聞いてくれてるだろう。リスナーさん、ありがとうございます。
ありがとうございます、本当に。そういうやりとりでゲスト回あげてくれるのって、すごいリアルな感じしますね。
そうね、嬉しいですね。
ありがとうございます。
たぶんきっとヒガプンもそのまま流れて聞いてくれてる方々もいるのかなと思いますから。
ぜひここは倉庫に流していけたらと思っておりますので。
思いますんで。
はい。
えびしばさんとはいろんな雑談をやっていきたいなと思ってまして、今回もそういう雑談、テーマトークみたいな感じでやっていければなと思うんですが、先に宣伝なんですけども。
4月5日土曜日にですね、寝起こ城楽園というポッドキャスト番組のイベントに私たちココロのすなじが出演いたします。
どんどんパフパフ。
で、こちらがほんと直前の配信なんですけど、トークテーマっていうのが青春っていうふうに決められてるんですね。
で、てらださんと寝起こ城楽園の2人と当日は青春について喋るっていう時間があると思うんだけど、その前にその青春って聞いたときに、僕の頭の中にパンって浮かんだのは、えびしばさんと青春について先に喋っとかないとなって思ったのよ。
そこをよね。いや、えびしばが大いに今引っかかっているところ。これはね、本当に収録内で絶対聞こうと思ってたんですけど。
最近のここすなは、まぁちょっと形を変えてというか、サメちゃんとてらださんが2人で話す回を減らして、そのゲストを呼んでサメちゃんと2人で喋るっていう回を増やしてるじゃないですか。
僕が1リスナーとして聞く限りは、サメちゃんがこの話はこの人としたいなみたいな、例えば読書とかだったらこの人みたいなふうに、その扱いたいテーマに強い人というかその話しがいがある人をおそらくゲストとして当てているだろうなっていう印象がすごくあって。
高校生活の思い出
で、それがすごくリスナーとしては聞き応えがあったわけなんですけど、今回なぜその青春というテーマでえびしばなのかっていう、えびしば自身わかってないっていう。
いやまぁ、結構その僕、えびしばさんの若い頃みたいなのに前から興味があったんですよ。
えぇ、はい。
その日額0時50分でもいろいろエピソードトークとかで喋られてきたと思うんですよね、高校生の話とか。
断片的にはね、出てきてるはず。
あとまぁ実家の話とかね。
はいはいはい。
いろいろあったと思うんやけど、なんかその中で、高校生の時にこの文化祭で髪の毛の色を結構派手に染めてたっていう話があったと思うのよ。
で、まぁえびしばさんとはたまにご飯食べたりとかね、する交流のあるポッドキャスターなんだけど、あれ、意外と結構はしゃいじゃって良いのかなって感じやんと思って。
なるほどね、そんな派手髪にしちゃってとか。
そうそうそう、とか、すごいその頃からえびしばさんってどんな青春だったんかなとか、えびしばさんが青春っていうことについてどういう答えを出すかなみたいな。
だからもっといや正直そんなの興味なかったとか、高校生活全く楽しくなかったとか、もう10代の時の自分全部捨ててますとか、まぁそういう人もいると思ってて、そういう人も言葉を引き出せたら面白いなと思うんやけど。
なんかこう僕の中ですごい派手な髪にしてはしゃいじゃって良いのかなとか、合唱もめっちゃガチンコで頑張ってたとか。
あーはいはい、知ってましたわ。
あれ今知ってるえびしばさんとちょっとズレがあって、おもろいなと思ったよね。
なるほど。
で、なんかそういうものを聞きたいなと思ってたって感じかな。
この回を聞いてくれてて多分えびしばのことを全く知らないリスナーさんもいると思うんですけど、サメちゃんから見て現在のえびしばってどういう人なんだろう。
現在のえびしばさんは、眼鏡で腰を据えて話ができる男だなと思ってるんだよ僕は。
あーちょっと嬉しい評価ですね。
で、落ち着いてる、しっかりと自分の意見とかがあるみたいな。
あーなんかちょっと嬉しいな。
なんかそういう感じ、委員長みたいな感じの雰囲気。
あー、委員長か。
委員長キャラみたいな、恋愛シミュレーションゲームだったらね、僕が作るなら。
確かに、そうね。恋愛シミュレーションの中にえびしばを当てるんだったら、そういうところ、委員長とかそういうキャラには寄っていくかもしれない。
そうそう。で、ちょっとなんかわかんないけど、潔癖っぽいところが、別にないんだけど、そういう雰囲気があるっていうか。
いや面白いな。
そういう30代男性えびしばのイメージから逆算して、出てくる高校生当時のエピソードとギャップを感じると。
うん、ギャップだし、そこは面白いものがありそうだなって思ってるって感じかな。
文化祭の影響
なるほど。派手紙の真相っていうほどそんなにヘビーな話でもないんですけど、派手紙の真相についてお話しすると、
えびしばが通ってた高校、体育祭にものすごい気合と予算と労力をかける学校だったんですよ。
ある程度新学校だったんですけど、でも体育祭がそもそも2学期、9月の半ばとかにあって。
僕の周囲の新学校は体育祭とか行事の類は重めのものは1学期に終えちゃうっていうのがある程度新学校のセオリーとしてあったんですね。
っていうのは夏休み以降は受験勉強に集中してもらいたいから、重ための行事とかを2学期以降やってる場合じゃないっていうのが多分あったんだと思うんですけど、
にもかかわらず9月の半ばっていう時期に体育祭をやるっていうのが伝統になっていて。
その体育祭の実施に向けて特に3年生の先輩方とかは、出し物としてダンスみたいなのがあるんですけど、ダンスに合わせてどんどん髪が派手になっていく。
夏休みを経てブリーチを多い人は5回とか、ホワイトブリーチも含めて5回とかやって、体育祭の当日にはもう一生入れないだろうなみたいな色を入れるみたいな風潮があったんですよ。
だから学校のカルチャーとして、そういう派手髪になっても別にそういうもんだよねみたいな。
そうそう、その派手髪で川井塾とかZ階とか東進とか行ってたんですよ。
中身丸見えの四角いカバンみたいな。
そうそう、四角いサブバックみたいなさ、めちゃくちゃ流行ってたなあれ。
気が持ってたりとか、気が早い子はその慶応とか早稲田とかのクラッチバックって言うんですかね。
テロテロした合成繊維みたいなやつのサブバックを持って行って、それは網棚に忘れてみたりとかね、してたんですよ。
で僕も入学してから、この学校の先輩方はその夏休みを経てこういうふうにグレードアップしていくんだなというか、形態変化していくんだなっていうのを1年生の時2年生の時って見てたので、
3年生の時も僕そんなにだから言うてクラスの中ではしゃいでる方ではなかったんですよ。
クラスのカーストのいわゆる上位にいる方でも正直なかったと思うんですね。
でもそういうポジションの人でも全然はしゃいで良いというか、派手紙やるのががない?みたいな雰囲気と風土があって、
えびしばのその3年生の時の組はダンスのテーマがハロウィンだったので、ハロウィンっぽい色にしたいって言って、夏休みの間にそのホワイトブリーチ含めて3回ブリーチして、もう髪の毛だからもうちぎれるし、ちぎろうとするとちぎれる前にちょっと伸びるくらい痛んでたんですね。
その状態でオレンジとピンクと紫かなんかを髪の毛ブロック分けしてカラーを入れて、自分なりのハロウィンを頭髪で表現して当日に臨むっていうのをしたんですよね。
そうフェスとか出てる一時期のファンクバンドとかの人やったらそれ。
色のサイドで言うとね、そんぐらいまで寄ってたかも。
うちの高校の生徒ばっかり相手にするカラーリングやたら強い美容室っていうのが地元にあって、8月9月ぐらいにもううちの高校の生徒でバカ売り上げとってた。
なるほどね。
僕もそこにお世話になってね。
なんかでもさっきの今の恵比寿場さんとのギャップのイメージみたいなんで言うと、なんかそういう感じではしゃいじゃってる人の中には、そこの近くにはいても一人だけ真っ黒のやつみたいなっていたりするよね。
いましたいましたいました。
だからそういう感じなんかなっていうイメージなんよね。今の僕から見る恵比寿場さんって。
確かにそういうメンタリティもあったというか、今もあるし当時もなくはなかった気がするな。
うん。まあでもちょっとやってみたいみたいなことも、そういうはしゃぐことへの興味もあったってことだよね。
そう、今振り返ると当時やっぱりそのはしゃいでその髪色にしたし、でも一方でそのはしゃいじゃっても良かった雰囲気があったというか、いわゆる妖怪以外はやっちゃダメみたいな感じでもなかったんですよ。
ああなるほどね。
割と誰がやっても勝手だし、その派手髪をその体育祭に合わせてすることに、いい意味で誰も何も言わないというか。
はいはいはい。
別がブリーチしてるよプークスクスみたいな感じはなかった。僕が見える範囲ではなかった。からはしゃいじゃおうかなって思った時にはしゃいじゃっていい雰囲気が少なくとも僕が高3生の時にはあった。
なるほどね。やっぱでも高校の時の空気とか、やっぱそういうんだよな。やっぱ僕の環境とかってもうその高齢落としたね。
高齢落とした。
北東の県みたいな感じの空気というか。
すげえとこで生き残ってきたね。
そうそうそう。別にめっちゃ悪い子がいるとかいうわけじゃないんだけど、なんかすごく冷めていて。僕のいる高校と。すごく田舎だったし、ここに行かざるを得ないっていう感じというか、選択してここに来たかったみたいな感じでもそんなないし。
なるほど。
田舎から出られないから、その中でちょっと選んだくらいのもんで。目立ってる子とかやんちゃしてる子とかもいたけど、なんかそういう田舎の中でそんなはしゃいでてもみたいな感じの空気があったんかな。
なんかそういうなんでもオッケーかなみたいな、ちょっとリベラルな空気みたいなっていうのは全然存在してなくて。その中でももちろん楽しかったんだけど、言ったら昨今のポカリのCMみたいな、全力ダンスみたいなのあるじゃないですか。
あれはもう僕は社会人ぐらいになったときに出てきたんだけど、作られたCMとかの中ではしかないもんで、本当にこういう青春っていうのを過ごしてる人っていうのがいるんかな。多分いるんだろうなみたいな。
もうファンタジーぐらいの映り方になってるのかな。
そうそうそう。なんかそういう感じだったから。
ポカリのCMの話を事前にそのイメージ、1イメージとして聞いてて、で僕あんまりテレビを見なかったんで、ポカリのCMってそんなだっけって思って、さっきジムでちょっと走ってるときにポカリのCMを調べられる限りでいくつか見たんですけど、すごいですね、この青春のなんか概念のニコゴリみたいな映像が。
そうそうそう。
しかもこれ多分毎年毎年やっている?
ポカリスエットの影響
そう。2016年ぐらいから始まって、広告のショーとかも撮ったと思うんだよね、次の年のやつとかで。2017年にその300人の全力ダンスっていう春夏キャンペーンでやってて、
その奥山由之さんっていう今年アットザベンチとか今度、『秒速5センチメートル』の実写化を撮る男、私と奇しくも同い年。が、その写真を撮影したりしてて、でその後ポカリスウェットって題した、自分はきっと想像以上だっていう帯までつけたポカリスウェットっていう写真書が出てるぐらい。
結構エポックなもんで、多分僕より下の子たちとかはこれに憧れてダンスやったよねみたいな子とかもいるみたいなんだよね。
それぐらいのレベル感の話なんだ。
だから私たち世代で言うとウォーターボーイズとか。
スイングガールズとか。
スイングガールズとかあったじゃない。青春をテーマにして真似したくなっちゃって、実際物価祭とか学校祭でやるみたいな。
確かにウォーターボーイズ的なことやる学校はあった。
あるよね。
あった。今はどうなんだ?僕らの世代では確実にあった。
僕もそういうものがあるとか隣の学校でやってるとか、誰々が今度やるらしいみたいなのは伝え聞いてはいたけど、僕の所属してるコミュニティではそういう熱い青春みたいなものでなかったのね。
ウォーターボーイズなんかね、確かにもう青春の熱量がないとあれはある種やれないタイプのものな気がする。
そもそも中学高校の男子がブーメランパンツを履いてみんなに見られるっていうことに耐えられるかっていう大きい問題とかあったりするよね。
あそこのハードルっていうのもウォーターボーイズのすごく大事な要素な気がしますね。
そうそうそう。その思春期にその周知心というかその自意識が爆発するタイミングで、一般的な感覚で言うとおそらく恥ずかしいと感じるであろう格好で何かをするっていうこの大きな隔たりを熱量で乗り越えるみたいなことでしょあれって。
そうそうそう。もちろん大人たちが作ったずっと続く青春映画みたいなものの方がドラマになったりとかそういう感じだと思うんだけど、ちょっと戻るとそのポカリのCMとか見たときとかに、ああすげえなと思ったけど、格好つきの青春みたいな。
それこそポカリのカラーと青春みたいなものの相性の良さとか、本当に青い春みたいな綺麗なソフトフォーカスみたいなものをあんまり俺は当時から今もいいなって心の底から思ったことがないのよ。
経験としても近くになかったし、そこに憧れというかいいなっていう感覚もなかった。
綺麗やなとか思うけど、そこに降りたかったなとか。あと多いのが、そこに浸る好きな人多くなってくるっていうか。
日本海と太平洋の違い
浸るっていうのは。
言ったらこういう青春みたいな、曲とかでもあったりすると思うけど、やっぱその春日のゴッドノーズとか、あの感じが一番自分の原点で、ずっとそういうのを定期的にしがむ人っていると思うんだよな。
ゴッドノーズとかって今令和7年ですか?令和7年のXとかでも、なんか不意にX上の漫画とかネタポストとかで擦られてる瞬間とかって、なんか本当寿命が無限な感じがして怖くなるときありますね。
確かにな。
ゴッドノーズずっとウェブにいる。
ずっと未だにアニソンのイベントとかでかかってるみたいな。
そうなんだ。
怖ぇ。
いい曲だと思うし。
そうそうそう、僕も大好きだったし。
あれはもう中学3年とか高校入る年だったかなって思ったんだけど、直撃だったし、いいなと思ったし、元になってるゴッドノーズの演奏シーンのリンダリンダリンダっていう映画も見て、あ、これが元なんだとかさ。
明確にオマージュ元があるんだ。
そうそう、あの演奏シーンとかってことはあって、それもすごく青春にあふれた映画なんだけど、ブルーハーツを女の子がカバーするみたいなやつなんだけど。
まあでもそれもなんか全部、一つ青春っていう句子を挿せば全部それに向かって流れてるもんというか。いいなと思うし、リアルタイムでもすごいグッとそこに捉えられる瞬間の気持ちはわかるんやけど、
俺が好きだったもんとか、俺の10代って別に青春っていう言葉に全部塗られなくてもいいなみたいな。俺は、俺が思う青春みたいなのがあった気はするんだけど、あの時俺が好きだったもんって青春だったんかなみたいな。もっと渋いもんとか好きだったし。
少なくともさ、サメちゃんの思う青春と、いわゆるそのポカリスエット的な青春っていうものとはだいぶ隔たりというか、なんか質的な違いがありそうな感じ。
うーん、やっぱね、その日本海側だったし。
ああ。ポカリスエット確かになんかめっちゃ太平洋な気する。
太平洋感あるでしょ。
日本海側でやらなそうな気はなんかしちゃうな。
そうそうそう、海。やっぱその日本海の海ってちょっとドヨンとしてるのよ。もちろんカラッとした夏はあるんだけど、なんか俺が思う海って結構ドヨンとしてて。
はあはあはあ。でもなんかわかる気がする。
で、ちょっと行ったら韓国とかそっちの半島の方が近くて、ちょっとちゃうねんな。キラキラした海じゃなかったっていうか。
なんかそのポカリとかで描かれてる海ってやっぱりその、なんかその広がりとか、いい意味での見えなさというか。
そうそうそう。
やっぱそのなんか、まあ未来とかそういうものと重なるのかもしれないけど、なんかその先に半島がある感じはあんまりしないもんね。
そうそうそう。ドヨンとしてて、だからそのあっちの半島から飛んでくるラジオとかが、あの本当はそのこっちのラジオを聞きたいのにそれの妨害電波でハングルばっかり聞こえるみたいな。
すごいなあ、なるほど。
これ日本海側住んでたやつあるあるなんだよ。
これあるあるなんだ。
これ日本海側住んでたやつあるある。
これあのサメちゃんのエリアのとかじゃなくて、ある程度のエリアでのあるあるなのよ。
デジタルネイティブ世代の成長
そうそうそう。なんかちょっと違うのよその辺って。
そういう意味ではポカリのCMとかは、えびしば神奈川県出身なんですけど、神奈川県のその海の感じとか、神奈川県の中で同年代の人たちが過ごしていたであろう青春の感じとかと、おそらくポカリのCMは神話性は高いんだろうなって思うね。
僕もだってその江ノ島まで自宅から友達と歩いてみたりとか、それこそ鎌倉の海の暴走族がビュンビュン走ってる脇で、堤防みたいなとこに座ってサイダー飲んだりとかした夜もありました。
あれやってんの?
これ確かに、やってんね。言われてみてなんか、えびしばそのザ青春みたいなことを部分的にというかそのページとページページとしてはやっているかもって今、不意に思いましたね。
まあだから、いや神奈川やったらそりゃそうやろって一発で言われるみたいなとこももしかしたらあるかもしれへんねんけど。
神奈川なんか全国の中でもこの手の青春しやすいエリアじゃろってなる。
そうそうそう。かもしんないんだけど。
かもしんない。
それは神奈川でもいろんなエリアあるからさ。
私いろんな家庭あるし、いろんな環境があるからあれなんだけど。
でもなんか俺やっぱえびしばさんって結構その、なんていうかなネット文化系?
そうですね。インターネットの子ではあった。
うん、同時に思ってて。でも俺らってやっぱそのデジタルネイティブ第一世代みたいな。
あ、そう言っていいんですか?僕90年生まれなんですけど、なんかデジタルネイティブとも言えない半端な世代のつもりで生きてました。
インターネットがアンダーグラウンドのもんから一般になっていくみたいな流れみたいなのを見てるっていうと、やっぱそれが整備された世代の方がデジタルネイティブっぽいけど、
なんかその広がりを見てるっていう意味で俺らがデジタルネイティブ第一世代だろって思ってたりするんだけど。
なるほどなるほど。霊明期に近いところをある程度の年齢のところで目撃できているっていうところがあるかもしれないね、確かに。
でもそうだな確かに面白フラッシュ倉庫の話とかある程度同級生とできたりとかそういう世代でもあったし。
ガラケーとかもね、だってもう中学生の時にはある程度みんな持ってたとか思うと。
大学入るぐらいからスマートフォンとかに変わり出してたんじゃん。
確かにミクシーだの、ツイッターだのも走り出した瞬間から知ってたわけだしね。そう言われると確かに。
それこそさ、ドラマ電車男であったりとか。
うわー懐かしい。飯どこか頼む。
そうね。エルメスと。
懐かしすぎるなー。
ドラマ版が、なんかナスビが出てたということは今俺の頭の中に浮かんでる。
エルメスはそこまでは思い出せなかったけど。
懐かしいな、電車男。
それこそ新アニメ、ハルヒ、らきすたとか。
見てましたね。京アニが大盛り上がりの時期ですから。
フラッシュから動画時代になり、使ってたOSもMEとか2000からXPになり。
懐かしい。まさかXPがね、あんなにずっと前線で居させられ続けるとは思わなかった。
XP長すぎる。
ずっとXPみんな使ってるとは思わなかったんだから。
そういうリアルタイムで感じてた青春みたいなんて、結構インターネットで見てたもんみたいなところとかの方が、
どっちかというと春日とかの方が共感できるみたいな。
なるほど。
そういう感覚もあって、その辺どうかなっていうのを聞いてみたいよね。
ああ、リアルタイムね。えみしはリアルタイムで、自分が例えば10代の時に自分が今してるこれとか、体験してるものって、これって青春なんだろうなっていう、そういう感覚があったということ?
いや、今思ったらかな、その辺は。
ああ、じゃあそれは30代の今振り返って、あれが青春だったなって思えるもの?
そうそうそう。だから自分の近くにあったし、なんかそんな大好きだみたいなさ、感じでは思ってなかったけど、そこで受けた影響とか、友達でシェアし合ったりとか、そういうのも含めて、今思うとああいうインターネットにかじりついて、僕はリビングで家族の共用パソコンでインターネットをしてたんやけど、
なかなかシビアな環境で。
あそこで、なんかそういう友達とチャットしたり、顔も知らない誰かとチャットしたり、
とかいうのが、結構青春の1ページの何かとして語れるなとか思ったりとか。
えびしばはどうなんだろうな。結構インターネットの子ではあったんですよ。自宅にパソコンが来たのも、家族の共用パソコンが来たのは小5ぐらいの時だったので、多分2000年入るか入らないかぐらいの時にはもうあって、
そっからあんまり年数を置かずに、えびしばの自分の部屋にパソコンを誕生日プレゼントかなんかで導入してもらったんですよね。
それデカいね。
僕が中2、3ぐらいの時に自分のパソコンが低スペックではあったんですけど、あった。今考えるとすごいことしますね、うちの親。
結構すごいよね。
中2の男子に自分のパソコンなんか絶対与えない方がいい。
まあまあ、しかも高いしね、まだ当時のパソコン。
だったと思う。それでそれこそ2chとかも見ていたし、ちょっと時期は後になりますけどニコニコ動画とかもずっとズブズブだったし、あと多分僕ネットゲームを割とやってたんですよね。
ネットゲームって、あれか当時やってたサービス、ラグナロクオンラインとか。
ラグナロクオンライン、はいはいはい。
あと多分ちょっとごめんなさい時期前後してるかもしれないけど、メープルストーリーとかが爆流していた時期でもあった。
そうだわ、ファンゲームね。
オンラインゲームの経験
でもこれあの本当に今の僕と通ずるところなんですけど、その辺はもう先にやってる人がいて、ラグナロクオンラインもメープルストーリーも僕よりずっと金も時間も積んでいて、強いというか人がいる。
自分がこっから参入してもどうしようもないなって思って。
あったね。
童話王国ってマジで自分の周りで誰もやってないやつをね、すごい嫌に思ってたんですよね。
でもあるよな、そういうの。そういうのあんだよ。
童話王国って僕、34年生きてきて僕以外にやってる人をね、本当に見たことない。
いや、聞いたことないよ。
っていうのをやって、もう本当に学校行ってる時間と寝てる時間以外をずっと童話王国に捧げてた時期とか、中学生の時ありましたね。
それも言ったら他のゲームみたいな感じでチャットできたりとか、なんかそういうクランがあったりみたいな感じもあったりとか。
してました。女性キャラ使って、ちょっと女性感出しておくとアイテムとかもらえるから、すごいナチュラルに。
いわゆるネカマ文化に、その時から片足つっこみながら。
やってたんや。
やってましたね。だってアイテムもらえた方がね。
当時ボイスチャットとかそういうのも技術的になかったんで、テキストだったらね、もうどうとでもなるから。
えびしば14歳ネカマをやっていた時期があった。
え、それかなりの初出し情報じゃないですか。
そうかもしれない。こんな話にならないもん。
いやいや、俺あんまり友達で知ってる奴がネカマやってたって聞いたの初めてかもしれない。
えびしばでも結構ネカマ適性は高かったなって今振り返って思いますよ。
でもなんかそれは単純にいいアイテム欲しいからとかそういうのでやってたってことだろう。
吹奏楽部での青春
まあでもアイテムももらえるし、こんなにテキストでちょっとそれっぽい感じ出して、女性キャラとかかわいいキャラとか使ってるだけで、こんなにほいほい男って馬鹿ねぐらいの気持ちもちょっとあった。
ああいやでもそれってなんかちょっとさ、人間の関わり方とか男の性能さんみたいなのそこで学べるよな。
その感じはあったかも。だから消耗だみたいな気持ちも多分14歳ながらに感じてたと思う。
いやでもなんかそういうのってさ、例えばああいうマッチングアプリを女の子でやってみたら、すごいやっぱえぐい男のチンチン加減にすごい嫌気がさすみたいな。
本当にこいつらチンチンでしか喋ってねえみたいなの見えちゃうなとか。
そう、あんたジェンダー論の研究とかそういうもんとかドキュメンタリーとかあったりとかさ。
ああなるほど。
まあそういうことじゃないんやけど、ネカマをやってるっていうのが全然違うんやけど、なんかしかしいい男女っていうのが変わるだけで、こんな男って馬鹿ねみたいなものが14歳の時に見れるっていうのって、なんかやっぱ違うと思う、精神の発達として。
えびしばだからそういう感じで、なんていうんだろうなあ。もちろんそれこそさっき出てきた春日とか、その深夜アニメとかも自分なりに楽しんでたし、ネット文化も楽しんでたんですけど、自分の中であれが青春だったかと言われると、ちょっとしっくりきてないところもある。
確かに。
ネカマは私の青春でしたっていうのが、ネカマが全てだったわけじゃないけど。
面白いよね。なんかしないけどやってたなっていうこと、習い事とかであったりするもんね。なんかしないけどやってたことみたいな感じの一つだよね。
インターネットは楽しんでたし、それなりに時間も費やしてたと思うんですよ。僕ネットウォッチいたとか、既婚女性板とかも好きで見てたから。
それもあんま聞かんないんですよ。ちょくちょく言ってるけど、既婚女性板はあんま見てないのよ。
でも、今見てもおもろいはず。
言ってることはわかるけど、みんな当時、ちょっと後からVIPとかさ。
はいはいはい。
もうちょっとそういうのも見てるのよ、たぶん。
僕もその辺はね、見てたし通ってる。
ああ、そうね。
けど、おもろってなったのが、寄婚女性いたの、嫁シュートメ戦争というか、そのシュートメ、そのいた的にはトメとかクソトメとかいう呼び方だったかな。
トメに対して報復をするみたいなスレッド。
そのスレッドで最もよく使われてた手邦画、トメが大事にしている庭にミントを撒くっていう。
ミントの種を撒いて、ミントってめちゃくちゃ生命力強いんで、トメが大事にしている園芸とか草木を寝こそぎダメにして、ミントだけにするぐらいの影響力があるらしくて。
かつ、その撒いた直後に、ミントを撒いたってバレないので、離婚が成立するちょい前とかに撒くんですよ。みたいなのを、15、6、7あたりかな。
この辺りが好んで読んでた時期がありました。
え、それちょっとおもしろい、懐かしい。聞いたことないって、そんなやつ。
確かに懐かしいけど、誰とも共有できてないかも。
今、インスタで漫画とかでみんな読まされてるのよ、そういうの。
そう、でもだからそういうことですよ。今あれをみんな読まされてるってことは、当時の10代の子たちもあんまり接するチャンスと機会がなかっただけで、全然楽しむ土壌は多分あったと思うんですね。
でもその20年前にそれを見てたっていうのがちょっとわかんないんだよ。
わかんないんだよな。
そう、なんか恵比寿さんもさ、前はあるあるみたいな感じでさ、命の母をすごい広告で勧められるみたいなさ。
ああ、そう。
聞いたことないって、そんなやつ。
僕がyoutube見てたら、なんかデューダとかニクルートとか転職転職みたいなCMばっかり流れるんですけど、突然命の母が流れたのかなって。
聞いたことないねんな。
だからyoutubeに高年期の女性だと思われてるらしい。
聞けていいって、そっちになるっていうのが。
まあまあまあ、ちょっとだから選ぶセンスみたいなの見えてくるよな。
間違いなく楽しんでたし、今喋ってても当時面白かったなって思うんですけど。
でもなんか、あれが自分の青春だったとか、インターネット的な青春、インターネットボーイとしての青春だったかと言われると、
また違う。
なんかな。
多分。
多分また違う。
ここに青春っていうラベルはちょっと僕晴れないかもって思いましたね。
心の砂地。
心の砂地。
じゃあ、えびしばにとって青春とは、みたいな感じの…雑なね。
ああ、大きいやつね。
あれだとしたら何になるの、じゃあ。
でもこれ本当に月並みにはなっちゃうんですけど、恵比寿場その高校生の時にさっき体育祭の話をしましたけど、結構その吹奏楽部を頑張ってたんですよね。
ああ、そう、ガチンコ吹奏楽ね。
そう、なんか決してその部として成績が優秀とかいわゆる強い部ではなかったんですけど、結構それこそ時間も労力もかけてたし、いわゆる夏の吹奏楽コンクールでその上に行けなくって、なんか僕も泣いたし僕の隣で吹いてた後輩が泣きすぎてなんか過呼吸になって、あのコンクールがあると絶対なるやつ。
見たことあるよ。
高校のその部活動で過ごした2年半ぐらいっていうのはすごいわかりやすく青春だったなって思うんですよね。
ああ。
そっか、ま、福祉くんも私も高校は吹奏楽部やったんやけど。
そうそう、なんかサメちゃんでもその辺の話あんまり番組で表に出てきてないようなイメージがあって。
結構楽しかったのよ。中学からバンドやってて、ベースやってて、で高校でコントラバス、吹奏楽部入ったらコントラバス弾けるなって言うんだよ。で、系音楽部なかったから。
なるほど、はい。
でも音楽夢中だったから、コントラバスいけんじゃんって思って入って、家帰る前にベースのが毎日バンバン弾けて。
ああいいな、役得ですね。
夜はバンドやってたから、論芸の社会不適合者みたいなおじさんたちとそっから遊ぶのよ。
昼と夜でだいぶね、コミュニティとそこの温度、雰囲気というか、だいぶ違ったんだね。
そうそう。で、どっちかというと、俺の楽しいはそっちの夜の方にあったね。
大学とお酒の影響
それこそじゃあ今の話、サメちゃんが青春っていう言葉で説明するとしたら、どっちの方が青春っていうラベルがしっくりくるとか、そういう感覚としてあるの?
ああでもそう考えたら夜だし、そのおじさんたちにライブハウスとか連れてってもらったりしたわけ、都会までとか。
ああ。
そこで結構本物の人だと会ったりとか、自分たちのバンドでライブしたりとか、夜の時間とおじさんとお姉さんとみたいな、なんかそれちょっと大人な文化にかぶれてるみたいな感じの。
なるほど。
だからすごいその煙と、なんか酔っ払ってる人と、ロックみたいな。だからちょっと色が薄暗いねんな。
特にそのポカリスエット的なその彩度の高い青とか水色とか、そっちのカラーパレットでは絶対ない感じだね。
そうそうそう。し、だから当時40代だった人とかが、もう20年経ってるから今64とか5年。でこれ何が起こるかっていうと結構人が死んでいったりするんだよね。
ああ。猫子砂でもちょっとね話してた回ありましたねそれ。
そうそう。だから会うときお葬式とかで最近。当時の映像とかになると、その16、15とかの俺が客席とかでキャッキャって映ってたりするわけ。
いるんだ。
で、そういうの見ると、うわ青春だなって思った。かわいいな20年前の俺とか思ったりした。
そういうなんか当時の自分のそのなんかリアルな姿みたいなのが見られるのってなかなかそんなにチャンスないですからね。
そうそうそう。あんまりだから同級生の子たちとかと遊んだりしてなかったから。
ああ。
なんかちょっとそこで変わっちゃったかもな。
えびしば今聞きながら思ったのは、なんかえびしばがイメージするこの青春というものの中に酒とタバコが介入しないかっていうのは。
そうだよね。
それこそポカリスエット的な青春とかに、ポカリだけじゃないけど引っ張られてるのかもしれないんだが、えびしばがその青春っていうものをイメージしたりとか、えびしば自身の体験と紐づけてその青春を捉えるときに、なんか酒もタバコもそこに何ならあってはならないぐらい思ってるかもしれない。
これ例えばその大学のサークル、僕大学のサークルは吹奏楽やめてオーケストラサークルにいたんですけど。
ああ、そんな話もあんだね。
そう、オーケストラサークルも今振り返るとまあそのだいぶ充実してたし、その当時じゃないとできないことみたいなのをたぶんすごいやってたとかやらせてもらってたと思うので、
その人によってはまああのサークル活動を青春とラベリングする人もたぶんいると思うんですよ。
でもえびしばが今回この青春っていうお題をもらったときに、じゃあ大学4年間のサークル活動は青春だったかって言われると、なんかちょっとそれも違ったような気がして。
やっぱりそこに酒とタバコがありすぎたなって。
なるほどね。ちょっとだから薄暗くなるよな。色薄暗いねんな。
そう、やっぱりその深夜にずっと夜通し楽器練習して楽器練習した流れで物質で酒飲んでそのままおうるして、次の日の1弦2弦ブッチして3弦から出てみたりとか。
なんかそういうのって、なんだろうな青春っちゃ青春なのかもしれないんだけど、
でもえびしばが持ってるその青春のラベルがなんかこう気持ちよく晴れないなというか、これってそうかなって話してる今もちょっと思う。
確かにな。
若かりし日ではある。若かったあの頃の思い出ではある。
大学生活と青春の探求
大学生その延長線がやっと俺の生活の真ん中に置いてもいいみたいな感じになって、芸音楽部とライブハウスと後半はクラブとみたいな感じになるんだけど。
それまでその夜の時間だけだったのがきっとね。生活の軸に来ても大丈夫になったわ。
そうそうそう。全く青春だと思わへんから。
えー面白いね。
そうそうそう。
じゃあその高校の時に経験してたその夜のそのおじさん方との時間とか、バンドを通したその音楽の活動や体験っていうのは青春だけど、大学に入ってからのバンドとか音楽とかっていうのはなんか青春とは違う何か?
まあまあ今思ったらもちろんめっちゃ青いし。
そうね。青いは青いね。
そのエモーショナルな瞬間はいっぱいあるんだけど、でもなんかちょっと違っちゃうかな。なんかその余裕がある分、なんかその切実さみたいなのがやっぱ大事なのかな。
余裕、切実さ。それはあるかもしれない。
余裕がないことの方が青春なのかなって今喋れながら思ってて。
ちょっとわかる気がするな。
その高校の吹奏楽部を振り返った時に、これはちょっと良くも悪くもかもしれないけど、すごい視野というか見えてるものはすごく少なかったなと思っていて。
うーん。
そのなんか部活しかなかったというか、その音楽もその無数のものがある中で、その吹奏楽しかではないけど、でもその吹奏楽以外のジャンルとかも全然知らなかったし、吹奏楽の中でも、僕吹奏楽自体が今振り返るとめちゃくちゃ好きなわけではなかったから、
今はそうだね。
吹奏楽曲とかをすごい色々聞きたいとか、演奏会でやる曲以外も知りたいとかそういう感じではなく、ただただその自分が次の演奏会とかイベントとか行事とかでやる曲をとにかく頑張るみたいな。
だからすごいなんかこう、愚かでまっすぐだったと思うんだよね、あの頃って。その愚かでまっすぐな感じって結構青春かなと思っていて、大学に入ると酒とかタバコとかもえびしば的にはやっぱり要素ではあるんだけど、それとまた別の軸でその愚かさというかそのなんだろうな、狭さとかまっすぐさみたいな、それこそさっき出てきた切実さだっけ。
なんかそういう要素がなんかすごい必ずしも悪い意味じゃないと思うんですけど、でもそういう要素が薄まっちゃう。大学生になると世界も広がるし、自分でできることとか、動けた範囲とかも広がるから、高校生の時ほどこうギュッとその狭い世界と視野で何かにこう愚かに打ち込むみたいなことがやっぱりやりづらくなると思うんですよね。
確かにな。
この感じがちょっと青春っていうものとちょっとこう、なんていうんだろうな、相性が悪い気がする。
分かった。だからやっぱ愚かさいるんだ。視野の狭さと愚かさがやっぱ青春には必要なんよね。
うんうんうん。
俺やっぱその前の回、前回の配信で言ってるんだけど、やっぱ愚かなの嫌やって。
部活動における愚かさ
なるほど。
若い時から。で、自分が若いってことも嫌だったのよ。
あー。
から、意図的にそういう視野が狭いこととか、愚かなこと。で、別に先生とか官教とかも愚かであれ、そっちの方がいいって思ってたりするとことかも多分あったりとか。
そういうのが、俺がそのいわゆる青春みたいなもんにピンとこう変化ったところなのかな。
確かにこの愚かさっていうのはある種キーワードかもしれないね。
うんそうそう。確かにね。
ちょっとこう思い出したところで言うと、吹奏楽部もそうだったんだけど、さっき出てきた、特に高校3年生の時の体育祭。
体育祭本当に夏休み、受験勉強とかもうだいぶ放り出して、すさまじく体育祭の準備をするんですよ。
うーん。
毎日学校に来なくてもいいんだけど、来ていたし。
それぞれの係によってはもう全然なんかもう徹夜徹夜みたいな、1週間ぐらいまともに寝てないみたいな、すごいデスマーチをしてる係とかもあったりするぐらいの状況で。
ねびしばはなんかすごいでかい板に絵を描く係の一人だったんですけど、ベニヤ板ってあるじゃないですか。
ベニヤ板21枚分絵を描かなきゃいけなかったんですね。
はいはいはい。やってたやってたそういうの。
それを夏休み丸々描けて、炎天下の中、当時と比べたら平均気温も5度ぐらい低い気もしますけど、の中で描くっていうのをこう、愚かしくもやってたわけです。
今考えると高校3年の夏をそんなことに全部割り当てるなんて、まあ愚かっちゃ愚かだったんだけども。
確かに。
でもその愚かしさっていうのはやっぱりねびしば的にはすごい青春っぽかったなというか。
この愚かしさとえびしばの視野の狭さ、広くものを考えていたら、今自分はこのベニヤにお花を描くしかないんだみたいな。
とにかくこの板をペンキで埋め尽くさねばいけないみたいな、ある種の使命感すらあったんですよね。
吹奏楽とかも多分そうだと思うんですよ。吹奏楽って楽器がえびしばはテナーサックスでやってたんですけど、テナーサックスってその学年で何人も割り当てられないというか、ある程度の人数だったら学年に一つの楽器なんですよね。
僕が演奏できなかったらとか辞めちゃったりしたら、うちの学年のテナーサックスというパートに穴が開く。
今考えたら全然辞めてもどうにかなる。1高校の部活なんかだって上下の学年にもテナーサックスいるわけだし。
なんだけど、でも当時のえびしばは自分がこれを全うせねばならない。そういう世界と視野で生きてたから、やっぱりその、おろかしくもそこに打ち込む必要があったっていうか、
ある人のそこのひたむきさはやっぱりあったと思うんだよね。この辺がやっぱり青春かも。
部活とか会社だったり団体で行動する中で、担当を全うするみたいなことのプレーというかね、そういう形の第一歩になってるみたいなことってあると思うんだけど。
確かに確かに、役割的なところがね。 そういう責任感みたいなのを、おろかしくもあれみたいなところで与えられてるみたいなところはあるよね。しかもそのコンクールとか、そういう公支援とかさ、そういう評価っていうところで絶対的なものをさらにつけて、
ポッドキャストと人間関係
ということで、頑張らせるシステムみたいなのが出来上がってて。その中に熱量は勝手に生まれていくシステムみたいな。 この手のシステムの中にある種、恵比寿バスの乗ってるつもりはなかったけど結果的に今振り返ってみると、その枠の中に乗せられてたって言うとちょっとニュアンス悪いけど、でもその枠の中で全うしてしようとしていたっていうのが、すごい青春の一側面な気がするんだよね。
だからそうやんな、なんかその青春は爆発だみたいなさ、なんかちょっとあんましっくりこえへんねんけど。そうやねんな、その枠の中でどんだけ全うするんか、おろかしくあるんかみたいなのが、一つ青春かっこつきみたいなイメージの方が俺の中ではあるっていう。
そう、えびしばもそこはだいぶしっくりくる気が。 これちょっとそれちゃうかもしれないんですけど、いくつになっても青春はやり直せるとか、大人になっても青春だみたいな言説ってあるじゃないですか。恵比寿バスはそれだいぶしっくりきてなくて。
わかる。 っていうのは、例えばさっきのサメちゃんが言ってたその役割を全うすることのプレの体験みたいなところって、大人になってからの役割って特に仕事においてはその代わりがいなきゃダメじゃないですか。僕が休んじゃったりいなくなっちゃったりしたら回らなくなっちゃうみたいなのって、その仕事においては避けるべき状態だと思うんですよね。
そうなるとその青春の時に僕が体験していたそのなんか愚かしさとかひたむきさとか、全うしなきゃみたいなそのある種の使命感みたいなのって、大人になるとなんならない方がいいものと、えびしばは認識し始めているんですよね。
ってなった時に大人になってから青春を再現することってもうできないと思っちゃってるんですよ。愚かしくもうなりきれないかも。大人としての所作振る舞いが、これはいい側面ももちろんあると思うんですけど、でももう身につきすぎちゃったなというか。
めっちゃわかる。大人になってもさ、いわゆるキラキラしたグループとかさ、キラキラしたインスタみたいなめっちゃタグ付けついてるみたいな、なんか謎の船乗ってるみたいな。
ありますわな。南の島で長いワイヤーをチューって滑ってみたりとかね。 そうそうそう、みんな同じようなサングラスしてるみたいな。
ありますわ。 そうそう、ああいうのって輝いてる人たちを多くの人はバカにするやん。
そのね、揶揄する風潮もございます。
まあ、もちろんそこに写ってる人たちの美しい様とか、いい服着てるとか、楽しそうみたいな憧れはあるけど、でもなんか本気で、こんな10人グループで、今わからんけど、ある程度の歳で、なんでこんなことしたいんだろうみたいな。
疑問ってやっぱその拭えないとこがあったりするのね。そういうのってよく、《学生時代青春できなかった奴らが青春したいんだ》みたいなことよく言われるやん、そういう人たちに対して。
あとから来たみたいなやつね、はい、あります。 そうそうそう。でもなんか、それってほんまにそうなんかなっていうのとか、あの時の青春みたいなのが忘れられなくて、それが最高だと思ってるから、
本当に体育祭みたいなことを自分たちで定期的にやっちゃうっていうことなんか、内部にあんまり行ったことがないからわかんないんだけど。
そっち側の視点と情報がね、なかなかゲットできないですからね。 僕は本当学祭とか部活みたいだなってすごい思ってるんだけど、なんかそういうのがしたくなる気持ちっていうのがすごいたどり着くな、今話してきたことっていうか。
ポッドキャストもなんかその青春文脈で語られることがあるような気がしていて、ポッドキャストを通して青春をもう一度やれる感じというか、青春的楽しみ方をポッドキャストを通してやれる感じというか、
そういうのも目にしたり耳にしたりしたことがえびしばあるんですけど、それすらもうえびしばとしては実はピンときてないというか。
それってさ、俺らの今話題になかったんやけど、やっぱ人と人の関係性ってとこやんな多分な、ポッドキャストの青春みたいなんて。 関係性。
前話したような2人という関係性みたいな、その人間と人間のポッドキャスト多くの2人組3人組とか、そこにが長いことずっと同じことをし続けるっていうことに生まれる距離感だったりストーリーだったり、その関係性の変化だったり、心の近づき離れだったりみたいなものが青春っぽいって感じるみたいなことなのかなっていう。
結構そこは、人の温かみみたいなところに青春を感じてるみたいなことなんかなって。 はぁはぁはぁ。
って聞くと割と腑に落ちるというか、そういう側面から青春を眺めると、ポッドキャストもこの青春っていう色を帯びるわけですね。
だれかとか、今サメちゃんが言ってくれたところで言うと、おろかしさとかそういう我々がこの話の中盤あたりでごじり寄っていったところと違う関係性とか、人と人との関わり温かみみたいな、その辺に軸を置いた青春というラベルも全然あるということよね。
うん、そうね。 はぁはぁはぁはぁ。でもえびしばやっぱそのおろかしさっていうところにすごい、めちゃくちゃピンときちゃってる。
いやわかるよ。で、たぶんその、個人と自分がプレイヤーとして見た青春と、見る側の青春っていうのはやっぱ結構がらりと違うんだろうね。
その自分が経験してきた、吹奏楽とかの経験でのたぶん青春だったかなってやつは、またあの時の感覚を感じたいみたいなんて思ったりする?
いやー、またっていうのはないかもしれないな。またっていうのはその今後の人生の中でっていうことをね。
今後の人生の中で、あの時感じたようなおろかしい自分みたいなことで視野ちょっと強策になるような感覚になりたいかって思うかっていう。
青春の定義と価値観の違い
えびしばは10代半ば後半ぐらいまでのイメージで喋ってるんですけど、あの時のその熱量とか、あとはそのよくも悪くものその視野の狭さとか、そういうものって多分もう無理だなというか取り戻せない類のものだなと思っているから。
あんまりやりたいと思わないし、やれますよって言われても多分やらないだろうな無理だろうなっていうのが率直なところですかね。っていうのもえびしばの中でこの青春ってある程度もう限定しちゃって、もうなんか自分がこれから先もう一度青春できるとか思わない方がこの先の人生、えびしば的には充実させられそうな気がしていて。
なるほどね。 何歳でも青春できるとか、生きてる限りずっと青春みたいなことを思い続けると、どこまで行ってもその青春ど真ん中になれない自分みたいなものが多分ずっとついて回る羽目になるんですよ。
でも青春っていうものがその10代の頃にある程度自分なりに経験して、あの時限定のものってしちゃって、ここから先はその30代40代とかのその青春とは違う、何が違う、質の違う体験とか経験とかをしていくっていう風にしちゃった方がえびしば自身がおそらく楽だろうなって思ってる。
なるほどね。 青春のチャンスがあるとか、まだやれるかも、まだキラキラできるかも、まだ愚かしくも打ち込めるかもとか、余地があった方が苦しいかもしれないな。
ああ、なるほどね。まあそれもすげえわかるな。やっぱその一瞬の煌めきみたいなのを追い求めちゃう人っていうのが結構いるんだろうなって話聞きながら思ったね。やっぱりあの時の10代の時のドキッとした感覚みたいなのが忘れられないし、そこを自分の人生最高の瞬間ですみたいな、それこそ瞬間を自分の生き方の価値観に置くっていう。
瞬間。 うん、そういうバシッとその煌めいた自分が瞬間みたいなところが最高みたいな。なんかそういう意味で、それこそ若い時の方が純度高いし。
確かに。 なんかそういうことで、やっぱそこの10代の時の煌めきっていうには語れへんねんけど、それでもなおそういうものを感じたかったり、そうしてる子を見に行ったり、自分もそれをエネルギーにしたいみたいなことを、
どどっとこう青春っていうものが好きな人は価値観の真ん中に置いてたりするんだろうなーって、なんかちょっと話聞きながら思って。 近いなー。
で、なんか僕はどっちかというとえびしばさんの側に近いし、なんか俺はやっぱその置いることというか、その落ち着いてる人とかのそれに憧れがあったから。
あーなるほど、はい。 そうそういう一瞬じゃなくて。 まあ本当に青春的なその煌めきみたいなそういうものとはやっぱりもう種類が違うものだったよね。
違うし、やっぱそのギャルゲーみたいなものをしてもやっぱ先生しか興味ないみたいな。 なるほどなるほど。
その学生時代からやっぱね、先生好きだったよね。 すごいな、そこが繋がってくるんだ、なるほどね。
そうそうそう。だからもう興味なかったんだと思う。その若いっていうことと、自分が若いってこと嫌だったし。
そうそうね。そうなってくるとやっぱりその瞬間的なね、それこそ煌めきとかそういうものではやっぱりないっていうのがすごい伝わってくるね。
ないないね、やっぱその、うん、だなって今話しながら、話し聞きながら思った。僕も僕の中で30代だってちょっとこういうふうにやってったら人生、この辺だけ握っとけば、
まあなんかいろいろあるかもしれんけど、なんとかなれるかなみたいな、ちょっと出てきたっていう感じがすごいよくわかるのね。
そういうものを大事に次行きたいなって思ってるから、すごいぐっと狭い門とか、そこに自分が入りたいみたいな感覚っていうのは、もともと多分適性がなかったし、そういうものに憧れないっていうのはそういうとこなんだろうなって思ったりなんだり。
今のスタンスとしてはちょっと近しいところが2人ありそうだけど、そこに至る過程の、特にその10代の半ばあたりかな、そのあたりの体験とかスタンスの持ちようっていうのは結構違ったのかもしれないね。
えびしばの場合はそのあたり自分なりにポカリスエット的な格好つきの青春に近いものを自分なりに経験してきて、何ていうんだろうな、居づらさみたいなとこも多分そこで経験してきたからこそ、もう置いてっちゃいたいというか。
あれはもう10代の自分のところに置いていて、それ以降の自分はその青春のきらめきとかそういうものとは違うものを経験したりとか、違うところに軸を置いて過ごしていった方がいいよねみたいなところに流れついてきている。
個々の体験と成人後の視点
サメちゃんの場合は多分その格好つきの青春みたいなところがそんなにそもそもなかったというか、そこを求めるようなところもなくて、
サメちゃんの青春みたいなものがあって、そこから地続きの形で今に至る、そのきらめきがどうとかじゃない、そういう類の経験が今つながってるわけだよね。
うん、多分だからその時から勝負は大人になってからだって多分思ってたんだよね。
なるほどねー。
面白いわ。逆に僕たぶん、サメちゃんが今その時はって言ったぐらいのときに僕、えびしばは20歳まで生きてるかどうかわかんないぐらいのつもりだった。
そういう切実さがあったんだね。
20歳以降の自分が本当に想像できてなかったの。
確かに。
何らかの要因で霧のように消えるんじゃないかぐらいに思ってた。
それも、20歳ぐらいのときでちょっとあの、もっと無頼で行こうみたいな、もっとめちゃめちゃにならなあかんみたいな。
無頼ってなかなか聞かないですよ、無頼で行こうって思ったの。
無頼で行こうみたいな、和服で生活しようかなみたいな。
なるほど、結構その無頼の型に入ってる感じは。
無頼のフォーマットではあるな。
振り切ったのがわからへんからさ。
なるほどね。
だからすげー酒飲んでみようかなとか。
すごいな、この型破りの型を一回やろうとしてる感じ。
いやいや、ほんまそうね。そういうのはちょっと俺なりに思いっきりみたいな。
なんかすごい態度悪いとか、すごい尖ってみるみたいなんとか、やってみて、あ、向いてねえわって思ってんだよね。
なるほど。
そうそう、一回無頼の練習をしたことがあるから。
っていう揺らぎはある、もちろん。
いや、こんなんじゃダメだと思ってそういう自分を否定したこともあるし。
無頼の揺らぎの話も絶対おもろいんだよな。
本当に10代の時から完全に覚めてかっこつけの青春みたいなものに憧れはなかったわけでは決してないと思う。
なるほど。
けど嫌だと思ってる自分もいたし、今の俺にはそっちの自分が残って勝っちゃったみたいな感じなんだろうな。
なるほどね。
まあ、いろいろありますね。
僕はこの似てるね、わかるねみたいな話の、もうちょっと掘った時に全然ルーツが違ったりとか、ディティールが結構違うねみたいなのがすごい好きというか大好物なんですよ。
そうね。
今日の話の特に後半とかは、サメちゃんの言ってることもわかるし、近いしなって思うシーンがすごいたくさんあったけど、でも結構多分違うんだろうなっていうのが面白かったです。
今は近しい場所にいるかもしれないけど、多分10年後全然違うし。
と思うし。
今のこの近しさっていうのも多分、もうちょっと時間を尽くして話すと、やっぱり結構違うわっていうふうな。
多分なる。
細かいそのヒダの部分で違うだろうなっていうのもなんとなく伺える感じがあって。
そうね。
楽しいですね。
まあやっぱりデカいテーマはいろんな話できますね。
ですね、ほんとに。
いや、えひしばはもう青春なんか喋れないよぐらいのつもりでいたんですけど。
いやいや、いけんのよ。そこはもう、私のセンスは間違いなかったなと思ってます。
すごいですね。めちゃくちゃなんかすごい、えびしばも喋っていてすごく刺激になりましたし、これ聞いてくれてるリスナーさんも多分。
みんな思うことあるんじゃないかな。
それぞれがこの話を聞いて、そのなんか青春像とか青春というラベルとか、自分が経験した青春とかそれとはまた違う何かとか。
なんかすごいいろんなものを想起してくれるだろうなっていうのが、すでにイメージできる。
今日ちょっと、俺があんまりそこを語ることに興味がなかったからあれだけど、恋愛とかね。
このテーマで恋愛こんなに出てこないことあってぐらい喋ってないですよね。
確かにそうかも。
だからでも、そこが俺はマジでその4、5番目ぐらいにいるわけよ。青春の連想の。
でも多分一発目に、青春って言ったら恋バナ始める人って全然いると思う。
そうだな確かに言われてみれば。そうだ。
おもろ。
抜け落ちてましたね。
エロセックスの方の話をする人もいると思うし。
確かにな。
青春と恋愛の関係
これ掘り下げられないですけど、恵比寿場が青春の真ん中にいられない感じっていうのは、この恋愛とかそういったトピックとすごく近いところにあって。
そこのね。
恋愛に関して愚かしくなりきれないみたいな。恋バナとかってそんなおもろいかなって思い続けてるみたいな。
確かにな。
っていうところでいわゆるそのポカリのCMそんなに恋愛をバンって押し出してこないのがおそらく意識的にやってると思うんですけど。
でもそのポカリ的な青春の中にはやっぱりその恋愛史上主義がドンと多分いると思う。
後ろに見えるんだよな。
そこに自分がグッと合わせきれなかったというか、合わせる合わせないみたいな感覚が生じてる時点で合ってない。
ちょっとって感じだよな。
これだけで一本撮れるぐらい思うとこありますね。
ということで、ここのアツサジはお便りをお待ちしております。
全てのアツサジは各配信サービスの概要欄に載っているGoogleホームからお送りください。
番組のフォロー、高評価もぜひともお願いします。
ということで、今回は日額0時50分、えびしばさんに来ていただきました。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
59:12

コメント

スクロール