1. 心の砂地#
  2. 『なんだかすべて忘れてしまう..
2025-06-25 51:54

『なんだかすべて忘れてしまうはずの』

spotify apple_podcasts

M22.誰しも10代であったことがあり、10代じゃなくなってしまったことがある、はず。なんだか全て忘れてしまったはずの、あの夜。あのきらめく一瞬の刹那のこと。“Where were you in ’62?” というコピーが付けられた本作を観て、何よりも話したくなったのは私たち自身にあった一瞬、のことでした。こんな夜はなかったかもしれないけれど、自分なりの「超えられそうにない夜」がきっと、誰しもにあるはず。「あなたはどうだった?」と、ぽつり、ぽつりと語りたくなるのがこの映画、最大の魅力と信じています。(なので、映画を観る前に聴いてもこのエピソードはめちゃくちゃに面白い!)ぜひとも、あなたの話も聞かせてください。

改めまして、今回取り上げる映画作品は1973年に公開され、アメリカの青春映画の「神話」となった『アメリカン・グラフィティ』。監督を務めたジョージ・ルーカス自身の回顧録でもありながら、今なお若者たちが抱える期待や不安、葛藤、そして刹那的な輝きを鮮やかに切り取った本作の魅力と、日本の文化に与えた多大なる影響についてなどもお話ししています。お楽しみください。


◇エピソードのゲスト出演者
・野中愛
⁠⁠▶︎X⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠▶︎⁠Instagram⁠⁠⁠⁠

・『ぜったい大丈夫だよラジオ』
⁠⁠⁠⁠▷Spotify⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠▷Apple podcast⁠⁠⁠

◆ジョージ・ルーカス『アメリカン・グラフィティ』(1973)
あらすじ:舞台は1962年の夏、カリフォルニア州の小さな町、モデスト。高校を卒業し、翌日故郷から都会へと旅立つカートとスティーブ。二人は故郷で過ごす最後の夜を楽しもうと、愛車で街に繰り出す。そこに2歳年上の走り屋・ジョンと、1歳年下で車を持っていないテリーがバイクでやってくる。4人はそれぞれの思いや苦悩を胸に、最後の夜を過ごす……。

▶︎⁠⁠⁠U-NEXT⁠


◆Discord
https://discord.gg/NxH9y5t29V

「心の砂地#kokosuna コミュニティ」をDiscordにて立ち上げました。参加はもちろん無料です。リスナーさんたちの感想や雑談などが書ける掲示板のようなものです。良ければ上記リンクから参加してください。
================
ここすなリンク集→ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://lit.link/kokosuna
各種SNSに感想など、投稿していただける場合のハッシュタグは#kokosuna でお願いします! 番組感想、お便りは kokoronosuna@gmail.com ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もしくは以下のフォームまで!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
https://forms.gle/M1Few46KyWf1cM2B8
artwork:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠セキヤ@sekiyanabemotsu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
ED theme:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@k5_y4⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@toma__ko⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
================

サマリー

このエピソードでは、ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』を中心に、1962年のアメリカの青春を描いたストーリーについて語ります。ゲストの野中井さんとともに、作品の背景や音楽、登場人物の葛藤に触れながら、その影響力を考察しています。また、ジョンとキャロルの関係やアメリカの青春映画の魅力についても述べられ、特に1973年の『アメリカングラフィティ』が日本文化に与えた影響についても触れています。 『アメリカン・グラフィティ』の監督、ジョージ・ルーカスについて、多くの影響を受けたアメリカ西海岸のカルチャーや彼の高校時代の経験が振り返られます。この映画の制作過程や興行的成功についても詳述され、ルーカスのキャリアのスタートが描かれています。 また、地元を離れ東京での新しい出会いや思い出についても語っています。特に、友人との特別な時間がどのように記憶に残り、成熟を通じて感じる感情について考察されています。ポッドキャスト配信の影響力やリスナーとのつながりの重要性も語られ、ラジオDJの存在について振り返るエピソードです。

映画の紹介
この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶早朝を目指す教養バラエティ番組です。私、シャークくんでございます。
今こそ昔の映画を見るというエピソードシリーズでございまして、今回もゲストをお返ししております。今回のゲストは、ポッドキャスト番組、絶対大丈夫では?ラジオの野中井さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
引き続き、昔の映画を見るというシリーズ、第7回目ぐらいですかね。
もうそんなに。
結構来ました。
すごいですね。
一応、だんだん現代に近づけていこうかなという感じ。
今回は、70年代前半の、73年のアメリカの映画、ジョージ・ルーカス監督のアメリカン・グラフィティでございます。
アメリカン・グラフィティっていう映画自体は、愛ちゃん、なんとなく聞いたことがあったりとか、もしくは見たことがあるとかはなかったかな。
聞いたことはありました。見たことはなかったんですけど、午前10時の映画祭とかで、リバイバル上映っていうのかな。映画館でかかっているという情報を見たりとかで知ってました。
ジョージ・ルーカスという名前は聞いたことはあるかな。ルーカスフィルム。
聞くと、スターウォーズの監督かというぐらいは、一般的になんとなくみんな知っているのかなという感じです。
そのぐらいの認識だと思うんですが、まさしくジョージ・ルーカスがスターウォーズを撮る前に撮った一本という映画でして、
一つのアメリカの青春物語というか、一夜でアメリカの高校生の青春を描くみたいなものが、アメリカン・グラフィティに端を発する形で、今も定期的に作られたりするっていうぐらい、
何か一つの象徴的な映画ではあるのかなという、名作という映画ですね。
で、僕もこれ昔に映画見出した時に見たかなっていうぐらいで、そんな印象的な一本とか感じはなくて、
この映画に描かれているような、いわゆるアメリカの青春映画物みたいな、アメグラ物って言ったりとかワンナイト物って言ったりとか、
この形の映画作品っていうのは、すごい好きなジャンルの一つで、そこの一番最初がアメリカン・グラフィティだなっていう認識で、
じゃあこっからやってみようかな。時代もこう来たし、改めて見てみようかなっていうのが、アメリカン・グラフィティを撮り上げようと思ったっていう理由って感じですかね。
主人公たちの物語
そんな映画で、ちょっとあらすじ先に紹介しておきましょうか。
ジョージ・ルーカス、アメリカン・グラフィティ。舞台は1962年の夏。カリフォルニア州の小さな町、モデスト。
高校を卒業し、翌日、ふるさとから都会へ旅立つカートとスティーブ。
二人はふるさとで過ごす最後の夜を楽しもうと、愛車で町に繰り出す。
そこに2歳年上の走り屋ジョンと1歳年下で車を持っていないテリーがバイクでやってくる。
4人はそれぞれの思いや苦悩を胸に最後の夜を過ごす。
青春の終わりに向かう若者たちのある一夜をアメリカンポップスと共に描いた群像劇。
ということで、青春の終わりに向かう若者たちのある一夜を描いた映画っていう感じですね。
その舞台が1962年の夏っていうことで、コピーもWhere were you in 62というコピーで、
まあ62年にあなたはどこにいましたかっていう、
アメリカの歴史の中でも一番偉大なアメリカだった時代の青春期みたいな。
そういう年で、この映画自体は73年に作られてるんで、
ちょうど10年ぐらい前よかったよねみたいな感じの映画っていう。
もうちょっとその1962年っていうことを説明すると、
大統領はケネディ政権か。
この翌年に若かりしケネディが暗殺される。
その次の年にベトナム戦争が泥沼化していくという感じなんだけど。
音楽とか文化とかも、この2年後とかにビートルズがイギリスからやってきて、
イギリスの音楽がアメリカ全土で流行るみたいな感じになるんだけど、
それまでのアメリカの音楽の国産のもので、
アメリカ国内で盛り上がってた最後の時期ぐらいっていうことですね。
いろんな意味でアメリカが青く盛り上がってた時期でもあり、
この後、いろんな社会問題とかがこの時からあるんだけど、
表に出てくるみたいなところの前っていうところで、
この後の暗い現実というのが、
この映画の最後にも示されるところがありますけども、
そういった空気がある映画っていうのが、
このアメリカン・グラフィティの神話感というかね、
そういう感じにもつながってるのかなっていう感じですね。
ざっくりそういった映画なんですけども、ということを説明したんですけども、
アイちゃん的に初めてこのアメリカン・グラフィティを見て、
どういう印象を持ったかなっていうところを聞かせていただければなと思います。
そうですね、自分一人だとなかなか見ることを選ばなさそうだなっていうのが、
最初見始めた時の初感で、
アメリカよりたぶん私イギリスの音楽とか文化の方が好みなことが多くて、
もうこの映画って本当にパワーって感じのアメリカのカルチャーが詰まっていたので、
だから最初見た時にユニバやって思ったんですよね。
確かに、実際ね、あるんだけども。
関西、私もシャークさんも関西出身でっていう文脈で言うと、
ユニバーサルスタジオジャパン。
この映画の中にも最初に出てくるメルズドライブインというハンバーガー屋さんが実際にというか、
パークの中にあって、本当にアメリカン・グラフィティで流れてるような音楽がそこで流れてて、
アメシャと言われる車がずらっと並んでるっていう、
そこが私のアメリカのカルチャーに触れた印象的なところだったんで、
ユニバやと思って見始めたっていうのが最初で、
アメリカのカルチャーにあんまり馴染みがないとはいえ、
やっぱり学園モノの映画とかドラマとかすごい好きなので、
高校を卒業したばかりの青年たちが、
いろいろな不安とか葛藤とか、ちょっと競争心じゃないですけど、
いろんなものにまみれながら過ごしてる一夜を切り取るっていうのは、
すごいやっぱり面白いなと思って見てましたね。
なんか輝き、刹那、すごいそういうものを感じました。
本当に架空のアメリカみたいな、夢の国アメリカみたいな、
神話度が高いんよね。
すごい描かれてるのが西海岸の田舎町の一夜なはずなのに、
なんかすごい神話度が高いっていう。
そういうのも含めてテーマパーク感というか。
確かに確かに。
本当にイメージのアメリカっていう感じで、
そこも含めてすごい面白かったなと思っていて。
なるほど。
そういうもうきらめきみたいな、きらめきパワーみたいなところから最後の演出。
エンディングかな。
そう。登場人物たちがこの後どうなったかがテロップで説明されるという。
本当最後ね。
一番最後のところがあるんですけど、
なんかあれを見ると本当により一夜の刹那的な輝きっていうものが、
めちゃめちゃコントラストが強くなって。
そうね。
その一本の映画としてのそこに、
切なさとかやるせなさとかいろいろな気持ちが混じって、
空間というか見た後の感情がぐちゃってなる感じがすごかったですね。
想像できなかったよ。見てる途中は。
え?っていう。
そう。こういう終わり方。
これがちょっとジョージ・ルーカス的っていう意見もあるみたいですけど、
すごいそこが印象的でした。
映画が描くアメリカ文化
確かにね。本当に。
僕はこの後の80年代になって、
後にホームアローンとかを撮るジョン・ヒューズっていう監督が、
ブレイクファストクラブっていう映画とか、
素敵な片思いっていう映画とか、
もう本当に80年代の学園生活とかにコミットした。
もっとサークルとか、
いったらスクールカーストみたいなものがガッツリ描かれたりとか、
親がいないところでのパーティーとか。
今回はホップって言って、
卒業式の後のパーティーみたいな感じで踊るとこだけど、
卒業式の後にドレスとかを着て行くダンスパーティーとか。
プロムみたいなことですよね。
そうそう。プロムっていうのがあるんだけど、
そのプロムっていうのは、
ジョン・ヒューズの映画でめっちゃよく描かれたから、
逆にアメリカで復帰、みんなもうやるやろってなって、
文化が盛り上がったみたいなのがあるぐらい、
影響力を持ったものがあって、
そっちはそっちでリアリティもあるんだけど、
ここまで社会にガツンと当たってこない感じがするのね。
そっちの方がどっちかっていうと好きなんだけど、
オリジナルはすごいパンチがあるなみたいな、
っていう感じとか。
こういう映画ってずっと作られてて、
最近だとオリビアワイルドのブックスマートとか、
デビッド・ロバート・ミッチェルのアメリカン・スリープオーバーとか、
意外とみんな最近の映画とかでも触れてる人は多いのかなとは思ってて、
だから、なんかそういうの見たことある人が、
アメリカン・グラフィティオリジナルだって言ってぶつかったら、
すごくいろんなものが見えるんだろうなっていうのは、
すごく思いながら僕も見たっていうところがあるかな。
なんかその学園モノっていうふうに紹介されること多いですけど、
学園の中はあんま出てこないですもんね。
卒業してるから、17歳とかっていう年齢だけど、
もうちょっと外で、でもカメラが入るのは車の中っていうちょっと狭い中で、
その車の中でも、キャラクター限られてますけど、
ある車からある車に移ったりとか、
学校の中じゃなく、社会だけど自分たちの手の届く範囲での物語みたいなのが、
結構新しい感じを感じました。
だから、この時にジョージ・ルーカスも行きつけの溜まり場とかダイナーとかがあって、
みんながそれぞれ道を、南郷線を流して、隣あったら喋ってみたいな文化が、
アメリカンの中でももうなくなってきてたみたいな。
で、多分そういう終わっていくものみたいなのを描いてるみたいな感じが。
僕も見たことないけど、でも僕の地元とかも車社会だから、
近しいもんは見てるみたいなとこがあって。
ここまで溜まり場があってとかじゃなくて、
行くとこがないから、車で誰々来てるとかなって、
止まって、そこでちょっと喋って、合理したりしなかったりみたいなのは、
僕が過ごした日本の田舎でもそういうことはあったりとかしてて。
車との距離感っていうので、また面白さも違ってくるんかなとか思ったりとか、
そういうのもあるんだろうなぁと。
そうですよね。車が結構主役みたいなとこもありますよね。
人物たちももちろん主役だけど。
そうそう。僕も正直車全然わかんないからさ、
やったーってなることはないんやけど、車を見て。
でもなんかかっこよく撮ってるから。
いやー、ほんとかっこいい。
かっこいいんだろうなっていう。
その車自体の、出てくるやつの車の魅力はわかるっていう。
だからなんかスターウォーズとかでアクションというかさ、
ああいう乗り物を撮る、並行移動したりするのが上手いのも、
ジョンとキャロルの関係
やっぱこの時点から車でやってるから上手いんやみたいなところとかもね、
発見できるというところもあったりとか。
そうですね。
そういうのも思ったね。
あとはまあ、主人公4人でそれぞれ抱えてるもんが違うし、
それぞれ視点が当たっていくっていう感じ。
でもそれぞれ持っているものとか価値観がわかってくるし、
みたいな感じのんだと。
だから必然的にどこの人のパートが好きだったかみたいな話になるのかなとは思ってて。
愛ちゃん的にはどの子のパートが特にそういうのありましたかね。
結構ダントツでジョンでしたね。
ジョンね、年上のね。
そう、ジョンとキャロルっていう13歳の女の子。
この2人がそういう恋愛的とかではなく、
興味なことからちょっと一緒にこう車に乗ることになっちゃって、
最初はなんだこのガキみたいな感じだったけど、
ちょっとずつ心を交わしていくみたいなところがあったりとかするところ。
てかジョンというキャラクターがこの全体を通して私はすごく魅力を感じました。
確かにな。
あんまり僕も昔そんな印象なかったのよ。
ジョンの印象とかって、あ、いたなーぐらいだったけど、
あ、抱えてるもんとかがすごいわかっちゃうんだよね。
もう3周年になった自分たちからすると。
たぶん彼は地元から出ないし、
出ない出れないみたいなことがたぶんなんとなくあるんだろうなと思うし、
これからのね、今から東武の大学に行くぞっていう2人と、
そうじゃない、だから出れないっていう定年みたいなのを抱えてる感じっていうのが、
なんかね、やっぱいいんだよね、その感じ。
そうなんですよね。
なんか30代の私たちからしたらジョン全然若いじゃんって感じなんですけど、
あの中で言うと、みんなが17歳とかだったら年上で、
でもみんな顔なじみで、
あの小さな田舎町では誰にも負けないスピードスターみたいな、
そこだけプライド持ってて、
乗ってる車もすごいかっこいい、デュースクーペかっこいいっていうところから、
にじみ出るジョンのこのもやもやした感じというか。
そうなんだよな。
なんかその辺がさ、例えばジョンが具体的にキャロルと喋ってる中で、
俺は出たいんだとかつまんないんだみたいなことをセリフで言ったわけが一切ない。
そう、そうなんですよね。
でもなんかこう退屈と、田舎にいることみたいなことに縛られてるみたいな感じみたいな、
あとこう冷めてる感じみたいなのがすげーあるんだよな。
僕がこういうアメリカ青春映画物みたいなの好きになった理由って、
やっぱ大きくはキリシマ部活を辞めるっていうショックっていうのがあったのよ。
あれ見たときに、うわ、こういう映画面白えって思ったのね。
で、なんかいろいろ調べたら、
なんかもともとアメリカの青春映画とかみたいなものの描き方らしいみたいな。
それぞれスポットが当たってみたいな。
軍増撃みたいなことですよね。
そうそうそう。
今回も「桐島、部活やめるってよ」いうと、東出くんみたいなさ、
ちょっと退屈してるキャラクターみたいなところの魅力っていうのは、
たぶん自分にもそういう時期があったのかな。
でも完全にこうだった時期はないんだけど、
なんか気持ちとしてはやっぱこういうキャラクターに年々やられるところがあるなみたいな。
すごい思ったな、僕も。
シャークさん的にはこの4人の中だと?
やっぱテリーとデビーのところがやっぱ可愛いなっていう感じかな。
確かに。
これから卒業して東に向かう予定の2人の真下で、
車を借りていろいろやっちゃうみたいな子なんだけど、
なんかそのデビーがすごいいい子なんだよね、相手役の子が。
分かります。
すげえいい子で、こういう映画見て恥ずかしいみたいな、
グッとなるんだけど、嘘ついたりするから。
でもなんかこういう映画でしか味わえないこのキュッとした感じみたいな、
と可愛さみたいなのが詰まってるんで、
これこれみたいな感じはあるかな。
確かに見たいところを見せてくれるのはテリーって感じでしょうね。
そうそう。
やっぱ可愛いなって思っちゃうかな、そういうとこが。
確かに。
デビーもすごい良かったですね。
いいよね。
そのテリーがナンパして成功する金髪の美女みたいな子がデビーで、
一緒にテリーとこういろいろ回るんだけど、
普通のプロットとかで言ったら、
途中でうまいこといかんくて車蹴られて帰って終わりそうな感じのキャラに見えるんやけど、
結構こう沈道中に付き合ってくれる感みたいなのが。
うん。
まあでもこの辺って微妙よね。
青春映画の魅力
ちょっとこう幻想感、都合良い人感もある。
そうですね。
そうそうこんな異名話感もあって。
ねえ。この物語の中で、
イケてる車乗ってるイケてる男性が女の子をちょっとガールハントするみたいな表現が最初あって。
あってのなあ。
なんかデビーもすごい綺麗な人だからいろんな人にこう声かけられてるけどこう無視してて、
でテリーが女優さんに似てるねみたいな声のかけ方をして本当みたいな感じで乗ってくれるみたいなやりとりがあると思うんですけど。
うん。
なんかそこもなんていうんですかね、車とか。
確かに確かに。
その乗ってる人のどうとかで選んでるっていうよりかは、
結構なんか自分に向けられたその誰々に似てるって嬉しいのかわかんないですけど。
まずね。
でもなんかちょっと他の表現っていうかそこで描かれたものとは違うところで、
このデビーはテリーに気を気にかけるみたいなところがデビーの面白さというか。
そうね面白さでありちょっとありえなさでもあるから。
そうですね。
見ててこういう時期からだいぶ経ってしまった私たちからすると可愛いないいなみたいなところで包まれて楽しく見れるけど、
ちょっとリアリティ感と見てちょっとありえねえみたいな感じで引いちゃう人がいるのも全然わかるって感じかな。
そうですね。
なんかでもやっぱこういうの醍醐味ですけど結局それぞれバラバラだったのがクロスしだすじゃないですか後半とかって。
ああいうになるとあつながってきたって感じでなんかわかりやすくやっぱり映画の面白さってこう嬉しいよねああいうの出てくると。
ああこうなってくるんだみたいな。
うんうんうん像劇が一個になっていく感じがいいですよね。
なんか一夜を描くっていうのはやっぱりいいなと思って。
いいんだよねやっぱり。
そうあの夜から朝になっていく感じ。
なんかもう映画でやっぱり一夜描かれるの本当に嬉しいって思います。
いやほんまに嬉しいよな一夜って本当にいいなみたいな。
本当にいいなんでこんなにいいんだろうって感じですね。
これ普通の昼間の11時から5時ぐらいだったら味わえない何かがありますね。
あるんだよな。
だからやっぱ今でもアメリカの青春一夜物語っていうのはずっと作られ続けるし。
やっぱチラシ見るだけでこれはまあとりあえず絶対見に行きますみたいな感じでずっと僕も見てて。
やっぱ基本的にいいし。
そういうところが良かったなやっぱ。
だから思ったより絵とか描かれてるものとかその後の文化の影響とかも結構喋れるなと思って選んでるとこあるんだけど
思ったよりやっぱ全然エンタメとしてなんかアメリカらしいエンタメとして全然楽しめたなっていう感じはすごかったかな。
そうですね。
あとあのラジオがベースになって。
そうね。
そのあれですね。
ブルーマンジャック。
そうそうそう。
がその時代のアメリカのポップスをどんどんかけていってBGMが変わっていくっていう構成もめっちゃオシャレだなって思いました。
いやわかるわかる。だから一生音楽鳴り続けてるみたいなのもこういう映画いっぱいあるじゃん。
だからそっちもやっぱ影響めっちゃ大なんだなみたいな。
ただこうBGM変わっていくんじゃなくてDJと共に場面が変わり音楽も変わっていくっていうところが
ベタだけど理にかなってるし不自然じゃないしそして仕上がりとしてかっこいいっていうのは面白かったです。
しまあもちろんその意味はわかんないけどチークダンスのシーンになったらちょっとこうバラードっぽい曲が来るしとか。
多分意味合いもこう続いてもちろん音楽もかかってる感じが英語だからわかんないけど伝わってくるから。
うん。
いいねみたいな。
そう。
めっちゃいいんだよなあの感じも。
全然あのジョンと一緒にいたキャロルがうちではこれ聞くの禁止なのとか言ってんのかそうめっちゃいいなと思って。
あとウルフマンジャックが本当にねいらっしゃる人だから。
そうそう。
なんかそこも含めてその時の記録映画じゃないですけど。
いやほんとそうだね。
なんかその時代を切り取っている感がより伝わってきてよかったですね。
いや本当によかったな。
ちょっと前半の感想たちはそんな感じでまた後半でいろいろ細かいとこ喋ればなと思うんですけど。
アメリカングラフィティの影響
ちょっと紹介したいので言うとこの映画のアメリカングラフィティの日本文化への多大なる影響っていうところですね。
この映画は73年に全米で公開されて翌年に日本で公開されるんだけども。
そこでヨーロッパにいた日本人が早くこのアメグラを見てる人たちがいるんですよね。
でその中の一人が矢沢恵吉であると。
永ちゃんが当時キャロルという君はファンキーモンキーベイベーって言ってたこのバンドね。
で山本関西のファッションショーにキャロルが出てるんだけど。
その時にパリに行っててそこでこのアメグラ見てるらしいんだよね。
本とかインタビューによって永ちゃんの評価があんまり良くなかったって言ってるのとか、
良かったって言ってるのとか影響受けたって言ってるのとか結構微妙で。
正確には永ちゃんがどう評価したのか不明ではあるんだけど。
でもただこの前のキャロルってデビューした時、
ドイツにいた時のビートルズの格好をしてて革ジャンのスタイルだね。
リーゼントで革ジャンなんだけど。
この後キャロル解散するぐらいになったら、
永ちゃんのスタイルがアメリカ寄りになってくるんだよ服装が。
確かに。
なので多少は新しいことをしたい人だから、
その時代の空気みたいなのを絶対感じたことは間違いないっていうのはあると思うんだよね。
で一緒に見てた一人に山崎政樹さんという方がいらっしゃって、
今も原宿にピンクドラゴンっていうパンク系のファッションの店があると思うんですけど、
それを作った人がクリームソーダっていう店を作るんだけども、
永ちゃんと一緒に見てたと。
山崎さんは天平先に見て、
日本で絶対これフィフティーズブーム来るなと思ったらしくて、
アメリカ西海岸のカルチャー
それで実際にそういったアメリカ西海岸のカルチャーを持ってきたロックンロールの店みたいな感じで、
服とか出すブランドとかお店を出してるんだよね原宿にっていうのがあったり、
あとはメイドインUSAカタログと言われる、
当時だからアメリカのこういったもんがアメリカの学生では流行ってますよかっこいいですよみたいなムックみたいなのを作ったりとか、
人たちがいてその人たちが後にポパイを作るようになったりとか、
あとは今のビームスが原宿でできたりとか、
西海岸カルチャーの輸入販売の店ですよみたいなセレクトショップのビームスができたりとか、
渋谷原宿周辺にそういうアメリカンヴィンテージの古着屋さんができたりとかみたいなのがあるんで、
だからアメリカングラフティーから波及して、
日本のアパレルだったり音楽だったりおしゃれだったり映画だったりとか、
そういういろんなもののカルチャーに大きく影響があったということは間違いないっていう感じなんですよね。
だからいまだにアメカジみたいな言葉とか、いまだに流行ってますけど、
そういうのとかに一番初めにガツンとやられたのは結構この辺。
60年代前半のアメリカの青春というのをアメリカングラフティーが描いてるんだけど、
70年代の日本の若者たちも僕らが今見たように、
もっとたぶん近い距離で、古着よきアメリカだ、かっこいいみたいな感じで結構ロマンチックに見て、
あの格好をしたいとかいう人が多かったらしいですね。
今見るとまじで別に普通の格好だなって思うんだけど、
当時の人たちからするとすごくファッション的な影響がめちゃめちゃあったという感じですね。
アイちゃん的には例えばホップのシーンとか、いろんな女の子たちの服装とかもあったと思うんだけど、
その辺見てみてどうでしたかね。
そうですね、私の中の飴かじってキムタクで、
確かに確かに。
すごいキムタクを感じました。
今あんまり私の周りで飴かじって馴染みがなくて、ちょっと前なんですよね。
小学生の時とかに本当にポニーテールが流行ったりとか、ちょっとフレアスカートが流行ったりとかしてたから、
今飴かじやってる人って、私の本当に身近なところ、よく見てるところで言うとキムタクと、
キムタクに憧れてるAグループのスウェザワさん。
確かにな。
その二人を感じながら、飴車だったりファッションだったりを見てました。
確かに。かわいくんとかもそうやけど、一定数いるんよね、その飴かじの子たちが。
そうなんですよね。
そうそう。本当に高いジージャン買ったりとか、デニム買ったりとか。
うん、してて。
なんか結構、メンズだと割と若い子も古着流行ってるから、若いそっち系のファッション系インフルエンサーの子は結構飴かじ増えてるなっていう、ここ2年ぐらいはあるけど。
女の子だとやっぱりそこはちょっと違うのかなっていう感じがしてるね。
そうですね。ちょっと違うかもですね。
ちょっとシンプルすぎんだよな、確かにな。
なんかね、好きな人は多分多いけど。
ずっとこれでいくかっていうと。
そうそうそう。なんかちょっと一つの時代を共にするジャンルという感じが。
ではないよな。そういう日があってもいいかなっていうぐらいのあれになるよね。
うん。
そうね、確かにその辺はちょっと感じるかな。
アメリカ系のアイテムでもちろんメンズが溢れているので、その辺真似しやすいとか古着とかで、数がめちゃめちゃ溢れているっていうところもあるので。
そういうのもあるんだろうなとか思ったり。
そんなところでもありまして。
あとは監督のジョージ・ルーカスという監督と、この映画ができるまでみたいなのもちょっとしゃべりたいなと思います。
この映画を監督した、もちろん後にスターウォーズを撮るジョージ・ルーカスは、実際自分の地元カリフォルニア州モデストで生まれたという人でございます。
1944年にカリフォルニア州モデストで生まれたジョージ・ルーカスが、自分たちの高校時代を映画にしようということで映画にした映画って感じですね。
高校の時は実際今回だとジョンみたいな感じでカーレースとかやったりとかして事故ったりしたっていう経験もあるみたいなんだけど。
そこを卒業してLAの南カリフォルニア大学、USCですね、University of Southern Californiaっていう今もトップクラスの映画の学校の大学で映画の勉強に励んで、
そこで在学者に作った短編THX1138っていう映画の短編で、ワーナー主催の映画祭っていうのでグランプリを取って、そこでそのプロのキャリアが開かれるっていう人なんですね。
だからこの世代の特徴っていうのは、映画の学科っていうのができて、そこの出身の監督たちっていうのが特徴かなって感じですね。
卒業後のインターンでワーナーのスタジオに行った時に、そこでフィニアンの虹という映画を撮ったフランシス・フォード・コッポラ、後にゴッドファーザーとか地獄の黙示録とかを撮るフランシス・フォード・コッポラと出会って、
いろんな制作に参加するというところで、今まで言ったらアメリカのハリウッドシステムみたいなものがだんだん終わりに近づいていってる頃なんだけど、若い監督は言われた作品とか降りてくるものとかを撮らないといけなくて、
撮って最後まで自分の納得形にしたいと思ってもやっぱり予算がなかったり撮影日がなかったり、編集も自分の上手いようにさせてもらわないみたいなところがあって、若い彼氏ルーカスやコッポラたちはすごくこの新しいものを作るんだっていうところで、自分たちでアメリカン・ゾイトロープ社というのを作って、
ワーナーと契約という形で映画制作をやってっていうことが起きます。なんかほんまに漫画のようなストーリーですね。今度は何回でも。ただ、そのゾイトロープ社の第一作は、じゃあルーカス任せたというところで、大学の時に撮ったTHX1138を長編にするぞということで撮ったんだけど、なかなか初めての映画作ということで上手いこといかない部分もあって、
ワーナーにもすごい告票されて、何本か契約があったんだけど、それももう全部なしだと。これも普通には公開できないから、こちらで好きなようにやらせてもらうって勝手な編集を加えられて、公開されるみたいなところまで持っていき、そういう状態なんで興行にはガンガン失敗して、
よし新しい物語を作っていくんだって言ったら作った会社が長編一作目でとんでもない借金を抱えて終わるという残酷なことが起きてしまうんですが、アメリカンゾイトロープ社はコップラーと一緒にやっていくと思ったけど、そこで一旦おしまいみたいな感じになっちゃって、
そんな中で2人セパレートしてルーカスはルーカスフィルムを立ち上げ、コップラーは受けた仕事をやっていくしかないから、すぐ受けた仕事がゴッドファーザーという映画になり、そのゴッドファーザーでものすごい借金を抱えてたのにいきなり全米ナンバーワンの映画になって、何とかそういう借金とかも全部チャラにし、
ジョージ・ルーカスの経歴
で、ルーカスがルーカスで動いてた、ちゃんと次は当てないといけないと思って作った企画がアメリカングラフィティであるという感じの流れですね。アメリカングラフィティのプロデューサーにもコップラーが入ってるんだけど、それはゴッドファーザーで当ててたから、ちょっと名のある人が入ってるんだったらいけるんちゃうかみたいなところで、コップラーのおかげで何とかアメリカングラフィティは撮れたという感じですね。
で、実際この映画は、まあもちろんそんな一発目の映画を撮っただけで、それは完全に多額の借金をした大失敗した監督なんで、そんな予算も日数も与えられなかったので、28日間77万5000ドルで制作、約1億円ぐらいかな。で、作ったこの映画は73年の8月に公開されると1億1800万ドルと、約200億円の興行収入をいただき出したということで、ほんま200倍ですね。
1億で作ったものが200億円になっちゃったという興行収入になって、29歳のジョージ・ルーカスは多額のお金を手にして、次のSF作品に入るというのがこの映画が始まって、その次のジョージ・ルーカスのストーリーって感じですね。
なんかその、ザザザッと喋りましたけども、そんなストーリーでございます。
ありがとうございます。
はい。じゃあ改めまして、ジョージ・ルーカスのアメリカン・グラフィティというこの映画なんですけども、ちょっと前半部分で言い切れなかったところとか、ここが良かったなみたいなところを改めて聞きたいんですけども。
映画の話っていうよりは、もうちょっと自分に寄せた感じの話ができる映画なんかなって思ったんですけど。
そうですね。
そんな感じするよね。自分の話しそうな感じがこの映画を見て、どうだったって聞くタイプの映画だったからヒットしたんじゃないかなっていうところがあると思うんだよね。
うん。コピーも結構そういうところを見出してくれてるのかなって思いますよね。あなたは何をしてたって。
うん。
なんだっけ、ちょっと正式なコピー。
うん。
1962年の夏、あなたはどこにいましたか。どこにいましたかだけど、この時期の自分のことを思い浮かべたり、もしくはこの登場人物たちの年齢の時の自分を思い浮かべたりするのかなと思ったりすると、私もこの年はまだ存在してないので。
そうね。
17歳とか22歳ぐらいの時どうしてたかなっていうのをちょっと想像しながらは見ましたね、確かに。
うん、本当にそれは思うかな。
うん。
僕はそのニューヨークの都会の映画とかもちろんかっこいいなとかガチャガチャしてる。まあ言ったら東京を描いた映画みたいなのとかも好きだし。
うん。
そういう憧れもあるんだけど、あまりにも自分の10代とそういった都会みたいなのがリンクしてなさすぎて、すごい田舎にいたから。
ああ。
だからこういうものを見るとすごくよくわかるなっていう、全部がわかるなみたいな気持ちになっちゃうみたいな。
うーん。
うん、そういうことだったから。し、一時僕の話をしちゃうと、あんまグループに所属してなくて、どこでも割と仲良かったよね。
うんうん。
他のカメラに近いような感じだったというか。
うーん。
遊んでても、それぞれ帰ってまた違うところに顔出して遊んだりみたいな感じのことだったし、お宅とも仲良かったし、そういうやんちゃな子らとも一緒にいた時間とか。
あとはまあ今回その、カートが巻き込まれるようなパラオダンみたいな、ほんまのギャングみたいな人らの中に入れられるみたいな、あの感じとかもなんかすげーよくわかるみたいな。
うーん。
なんかそういう感じがあったかな。
うーん。
なんか私がすごい印象に残ったのは、地元出る組と出ない組がいるみたいなところ。
うーん、それはあんまあるよね。
ね、あそこはすごいあの時の感じを思い出すなと思ってて、まあ出ようと思ったけど、辞めた人とかも確かにいたし。
うーん。
田舎から都会に出るときって、ほんとになんか未知の世界に行く感じが。
いやほんとそうね。
あって、ね、その出る、私が実際に上京する前日にあんな風に青春らしい青春を過ごしたかというとそうではないんですけど。
もちろんもちろん。
地元を離れる感情
上京する前に何しておくか、この地元でみたいなのとかも。
あるよね。
なんか確かにありましたね。
いやなんかそう、そんな忘れてるはずなのに、終わるんだみたいな感覚はちょっとあるみたいな。
うんうんうん。
僕とかは感性鈍い子やったから、周りで会ったりしたらなんかこう感じてる部分があるなって思ったことある。
なんでそんなセンチメンタルな感じになってんだろうって思ってたけど、今思えばその時におった頃とかやっぱ会わなくはなるやんかもちろんさ。
うんうん。
で、そこで特別な時間が終わるっていうことをその子はちゃんとわかってたんだよね、たぶんね。
うん。
それが後々になって、あーそっかって思った部分があって、で、そう思うとそこに気づいた時はすごい切なかったみたいな。
あー。
数年後とかに気づくみたいなね。
そうですよね。
うーん。
たぶん私感受性豊かな方だったからめちゃめちゃ切なくなってたんですけど、切なさがこの切なさって絶対忘れちゃうんだろうなっていう切なさがあって。
あー。
なんか友達とこう離れ離れになったりとかあんま会えなくなること自体が切ないんじゃなくて、もう会わなくても大丈夫になっちゃうことが切ないみたいな。
あーなるほど。
っていうのがそうあって、で実際に本当にやっぱそうなってしまう。
うんそうだね。
新しい世界で新しい世界でこういろんな人と出会ったりとかするけど、でもなんかその時私が想像できなかったのはこういう物語とかを見ると思い出すっていうことはできるんだ人間みたいな。
うーん。
それも含めてすごいいろんなことを思い出しますね。
いや本当にそうだなー思うなー。
その一個区切り、地元出る出ないみたいな区切り。
僕も愛ちゃんも出た側じゃないですか。
はい。
で東京で出会ってるんだけど。
うん。
地元の友達に対しての気持ちみたいなんて、今思い返してみたらそういえばこの子はずっとここにいるんだなみたいな。
その子の未来とかもなんか想像して、なんとも言えん気持ちになったみたいな気持ちはあったなって今思い返していて。
友情と思い出
そういう感覚ってありましたかね。
そうですね、なんか、そうですね。
あった気もする。
うーん。
うん。
あんまりそこまで人のことを考えれるほどの俯瞰的な視点がなかったかもしれないですけど、その時の私は。
そっか。
でも今考えて地元にずっといる友達と私とでは、なんかどっちがどうとかではなく見えてる世界とかは、体感してる時間の感じとか情報量とか、なんか全然違うものなんだろうなというのは後になってから思いましたね。
確かに、俺も後になってから思ってんのかなとか、あとやっぱさ、年一とか何年かぶりとかに帰ったりするじゃない。
そういう時とかの帰りとかでまた噛み締めたりするんだよね。
あ、変わっているとか。
うん。
何も変わっていないみたいなことでもやっぱ同じように感じるというか。
これは多分状況下からとかじゃない気がするんですけど、大体の場合私の方がずっと子供で、地元に残ってる人の方が大人だなって感じることが多くて。
それめっちゃわかる。
ね。予想してたのは逆だったんですよね、私が昔。
確かにね。
そう、なんかいろんなものを見ていろんな人と出会って、多分出会える量が全然違うのはわかるんですよ。
私地元シガだけど、シガ県にいて出会える人の数と東京にいて出会える人の数ってどんだけ頑張っても全然違うってことは何となくわかってて。
じゃあなんか私の方が大人になってるんじゃないかって昔は思ってたけど、なんかそういうことじゃないんだなって思いました。
もっと地元にいて、本当に家族を作って過ごしている人の方が大人に見えてしまう今の自分がいるなっていう感覚ありますね。
いや、ほんとそうね。やっぱそういうとこまで染み込んでくるんだよな。
わかる。その気持ちもめっちゃわかるな。
10代の頃の危うさみたいなのがすぐ感じるんよね。今回の映画はちょっと危うさ部分でファラオダンとかに引っかかれるとか、酒とか。
車、パクられるけどなんとか戻ってくるとか。なんかいい感じにやっぱエンタメとして着地してくれてるんやけど、結構その危うさの匂いみたいなのがやっぱり感じてて。
だから、もしかしたらあのまま調子乗ってたら普通にお前死んでたでみたいなことがあったなみたいなこととかも、僕は思いを馳せてしまうところもありましたね。
そうですよね。
10代の頃危うくなかったですか?
10代の頃、なんか直接的な危ういことはしてないけど、思想っていうと大げさですけど、なんか考え方がやっぱりすごい脆い。
脆いしなんだろうな、冷静に今を見れてないから、見れてないし、なんか物語とか強烈なものにすごい惹かれてたから、ここからどう脱出するかってな。
確かに確かに。
平凡なのが嫌だみたいなのがすごいあって、人と違うことをしたら違う世界に行けるんじゃないかとか本当に思ってたので。
とりあえず井戸を探しまくって、井戸の中に飛び込めそうで登れそうなところに飛び込んで、本当に異年者ですけどこれは、戦国時代にタイムスリップしないかっていうのを挑戦したりとかするような10代でした。
そういう危うさよね、あるよね。
こういう危うさなのかわからないですけど。
かわいい感じで収まっている、いい話だけどさ。
確かにね。
でもなんか、ほんまにその辺って神ひとえっていうか、そこで精神ガツンと持っていかれちゃう人とかっていないことないと思うので。
そうですよ。
し、そういう子もいたり、今思えばとかあったりするから、なんかそういうヒリヒリ感もすごい思いを馳せますね。
そうですね。
今10代とか、若い頃の地元の話っていうのをしてきたけど、これって一夜物語ではあって、ただ10代の一夜物語とかではあるんだけど、超えられない最高の夜の記憶でもある、多分。
はいはい。
超えられない最高の夜っていうのが刻まれるみたいなこと多分あって。
うん。
そういう記憶って多分誰しもあるんじゃないかなっていう。
うんうんうん。
割と20代になってからも30代になってからもこれが本当に最高だみたいな。
うん。
なんか夜の記憶にも思いを馳せることは全然できるなっていう。
そうですね、確かに。
私今話してて思い出したのがあって、話していいですか。
はい、どうぞどうぞ。
10代だな、ギリ10代で映像を作る学校に、専門学校に通ってて。
で、好きなミュージシャンの人のミュージックビデオを自主的に作らせて欲しいっていうお願いをして、いいよって言われたから作るっていうのがあって。
インターネットで見つけた素敵な人に出てもらって、好きなミュージシャンのミュージックビデオを作るっていうことをやってたんですけど。
その日も実際すごい楽しかったんですけど、そのロケハンっていう実際に撮影する場所に行ってみて、
思い通りの絵が撮れるかどうかっていう作業をするのに、専門学校の時に一番仲良かった男の子の友達がいて、
その人がロケハンついてってあげるよって言ってくれて、撮影しようと思ってたのが琵琶湖での朝日だったんですよ。
夜から日が昇ってくるところの琵琶湖って湖だから波が全然立たなくて、本当に鏡みたいに風が吹いてないと水面が静かで、
そこに出演してもらう人に立ってもらうみたいなのを撮りたくて、その友達と一日中近くの24時間空いてるファーストフード店に行って、
夜中まだバスとかがある時間に行って、夜通し中そこで時間潰して出て、琵琶湖と朝焼けを見て、撮れるねみたいなことを言うみたいな。
そうか、ロケハンだからね。
たぶん撮れるんだけど。
しかもその男の子の友達は別に撮影に一緒に来るスタッフじゃないんですよ。ただ私の友達ってだけで付き合うでみたいな感じで一緒に来てくれたっていう。
その時女の子だけの撮影スタッフメンバーだったから、夜通しなんか付き合わせるのはなーって私の遠慮もあって、一人で行こうとしてたんですよね。
で、それをちょっと心配もしてくれて一緒に来てくれたっていうのがあって、すごいなんかそれを思い出したのと、
その後に、もう今は平穏に解決してるんですけど、男女の友情ってすごい難しくて。
確かにな、その年でも特にむずいよ。
その男の子の友達の恋人が、その時にすぐとかではなかったんですけど、やっぱりちょっとこう、やきもちじゃないけど、そこまではみたいな揉めもあって、
その男の子とは友達で居続けるのが難しくて、今は会えなくなっちゃったんですけど、
本当にお互いに友情しか感じていないけど、そうやって助け合っていた人と、一夜こう一緒に居たなっていう記憶を思い出しました。
最高の夜の記憶
いい話ですね。なんかその勝手にそのファースト風のお店もそのメルズドライブインでちょっと再生されてるからね、この話聞くと。
そうですね。
そう、あったな。
確かに、やっぱ夜が明けていく感じみたいなのを見たってやっぱすごいいいな。だからやっぱ最高の夜の話みたいなのとか、結構みんな朝日が昇る瞬間見たみたいなっていう話してくれる人多い。
そう、だっていつも寝てる時間だから、絶対特別になっちゃうんですよね。
いや、めっちゃ明るいな。
最高の夜だった。なんかしかもその私が友達とロケハンでこう夜中までファースト風土手にいたときに、いつもはめちゃめちゃ車通りが多い道がいなくて誰も朝日が昇るぐらいの時間って。
で、そこのいつもは絶対通れない、人が通っちゃダメなところを車通りの多い広い道路を2人で走るとかやってました。
走るわな。
走りますよね。
走る。
そういうのがね、そういう非日常が夜から朝までの時間に体験できちゃうんですよ。
なんか魔力あるんだよな、あれやっぱ。
ある人も少ないし、本当に自分たちしかこの世界にいないんじゃないかみたいな、田舎だと余計にそういう時間で静かで。
だからこのアメリカン・グラフィティの最後もさ、最後のドラッグレースがあってみたいな、カーレースがあってみたいなところぐらいにこうだんだんこうさ、夜がぐーって明けていって青くなっていくんだけど、その瞬間の絵がめちゃめちゃ綺麗だよね、やっぱ。
あの瞬間、あ、最後にこの瞬間持ってきたかったんだな、ルーカスはっていうのはすごくよくわかるんだよね。
だからやっぱそういうことを体験してないと、あの青空みたいな感じは撮れないっていうのがすごいあるんだよな。
もちろんそのネオンライトとメルゾーライブインみたいな、いろいろ流してやり合いみたいなラジオのとかももちろん大好きなんだけど、やっぱ最後こう、青空と車と若者たちがガッていろいろいるみたいな感じの絵のところですごいグッときちゃうみたいな。
で、まあ、そんでその最後にこう残酷な未来が出ちゃうっていうところで、新ところみたいな。
そう、本当に、あの後の展開を見るときっとこの人たちはまたここに来ることは、集まれたりすることはないんだろうなって思う。
思っちゃうよね。
でも実際そうだしな。
そうですよね。本当になんか、今を大事に記憶に思う。
いや本当に思うな。
ね。
ポッドキャストの影響力
まあこの一夜だけど、その長い人生のこの一つの釘みたいなものが描かれていて、本当いいんだよね。
最後に言っちゃう話しとくとさ、ちょっと話したけど、ウルフマンジャックのさ、なんかラジオDJ、ウルフマンジャックがいろいろ、
俺が本人じゃないんだみたいなこと言ったよ、本人だったみたいなところとか、なんかああいうのとかやっぱすげえベタに、私たちもね、曲がりなりにもポッドキャストという配信をしてるじゃないですか。
で、どういうふうに届いてるかってあんま知らないんだけど、
もしかしたら俺らの言ってることで、その人の何か人生がいい感じに変わるかもしれへんみたいな影響があるんかなみたいなことを、配信者としてすごい嬉しく思うみたいな、そういうことも感じるなあっていうのがありますかね。
確かに。なんか嬉しさもあり、責任感はいかなくていいかもしれないですけど、でも責任感ありますよね。
なんか本当に聴いてる人らのとこ見たいみたいな欲望めっちゃあるよね。
なんか楽しく聴いてくれたらいいなっていうのもあるし、なんかそういうきらめきがめっちゃ映ってるから、
いいバックグラウンドミュージックだったらいい、お供にすごいなったらいいなみたいなことを思いながら、日々我々は配信を続けるのですみたいな。
ポッドキャスターとしての締めが完璧ですね。
なんかそういうことをすごい思いましたね。
うん。
出たやんそんな、ラジオDJの人にジョインしてみたいな、でもすげーそこにグッと来ちゃったっていう。
いやーめちゃめちゃ大事な存在でしたもんね、ラジオDJが。
うーん、そうそう、みんな聴いてるしね。だってその、どの奴らも聴いててみんな好きだから。
確かに、ポッドキャスターにおすすめ映画なのかもしれない。
もしかしたら。
ね。
うーん、なんかそういうのもあると思いました。
はい、ということで、ここまで聴いていただきまして誠にありがとうございました。
各種SNSでの投稿は、ハッシュタグKOKO、SNSココスナです。
リスナーとのつながり
是非ともSNSでシェアしてみてください。
Apple Podcasts、Spotifyでの評価、番組のフォローも是非ともよろしくお願いします。
ということで、愛ちゃん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。
51:54

コメント

スクロール