この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。今回はゲストに、本田受信料さんを迎えております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
勝手にドキュメントを72時間を喋るラジオで、お馴染みのホンダさんなんですけれども。
よろしくお願いします。
先ほど紹介あった通り、普段勝手にドキュメント72時間を喋るラジオというポッドキャストをですね、毎週配信しているものになります。
今日はちょっと緊張してるんですが、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕は91年生まれなんですけど、ホンダさんも確か同い年?
そうです。92年の早生まれなんで、多分学年が一緒?
一緒か。
学年で同じってことね。
はいはい。
そっか、って感じなんで、完全な同世代と今日話していくって感じなんですけど。
今日やりたいのが、振り返りシリーズというか、昔に上京ボーイズというポッドキャストをやってる小太りさんと、
10年代の3年とって、それぞれどうしてたかみたいな話をやったことがあったんだけど。
聞きました、あれ。最高でしたね。
ありがとうございます。それを、ゼロ年代、やっぱ10代の時もやっとかなあかんのちゃうかなと思っていて。
それで誰と話そうかなって思った時に、ホンダさんがいいかなと思ったって感じなんですよね。
ありがとうございます。ゼロ年代って、まさしく僕らがティーンを全て捧げたみたいなとこありますもんね。
ほんとに、91年2年生まれだから、ほんとそうね、10代が全部ゼロ年代みたいな感じになるんだけど。
自分の10代の時に、よくわかってなかったけど、こういうものをインストールされてたとか、
そういったものを剥がしたり、増幅させたりとか、そういうのを見つけるっていうのがたぶん、今33、34なんですけど、
そういう時期に来んのかなあみたいな感覚もしていて。
確かにその10代のことなんで、今回もいろいろ振り返るにあたって、
全力では肯定できないんだけど、明らかに影響を受けてる者たちって、ほんとにたくさんゼロ年代ってあったなあと思っていて。
それをこう、一つ一つ今日、剥がしていく感じが、ちょっとやっぱ怖い感じがしますね。
ほんとそうね。僕もちょっと喋ってみないとどうなるかわかんないなと思ってるんだけど、
今の20代のことかと喋ると、やっぱゼロ年代に過ごした俺らって、めちゃめちゃ乱暴だったなって思うよね、すごく。
時代がね。
そうそう、僕自身が乱暴っていうのもあるんだけど、その乱暴な自分を作ったところには何かその時代が絶対あって、環境があって、コミュニティがあって、好きなものがあってとか、
そういうもんで、自分の奥底から何か生まれてるっていうよりは、やっぱ僕は外の環境が何かを作る、場が何かを作るっていう考え方なんで、そういうことをやっとかないとなーっていう感じですね。
で、ホンダさんを選んだっていうのは、もちろん同世代っていうのもあるんだけど、本田受信料と名前に関しているということもあり、NHKをめちゃめちゃ見ているというね。
そうですね、はい。
うん、なんで今はもうNHKしかテレビ見ない、基本。
いや、そういうわけでも実はないんですけど。
実はない。
実はないんですけど、ただもうこれって、なんですかね、決めてみるコンテンツみたいなものはほぼNHKですね。
うん、NHKになる。そこも、たぶんNHK自体もたぶんいろんな立ち位置が結構変わってきてるとは思ってて、
ただなんかNHKにだけ残ってるもんみたいなのが、民放のテレビとかの長楽とかを見てる中で、NHKだけなんか持っているクリエイティビティとか、残ってる変なもんとかってあると思ってて、
そういうのも結構あぶり出てくる感じがあるのかなーみたいな。
そうですよね。ゼロ年代とかって、要するにテレビが勢いあって、そのオルタナーみたいな感じでネットは出てきたけど、まだ行き渡ってない、全体には行ってない感じと、
僕たちの目の前に広がるリアルの光景というか、現実みたいなのが、3つすごい並走してた時代じゃないですか。
本当そうね。だからオタクはオタクだし、今ってもっともっと細分化されみんな同じようなものをそれぞれ見てるみたいな、なんか不思議なね、あれではあるんだけど、そういうところもあるよなー。
そうなった時に、当時の民放のテレビの勢いはすごくて、やっぱり時代を作ってるっていう感覚があって、変な話、ゼロ年代のNHKって別にすごかったわけでもないと思うんですよ、そんなに正直。
確かにね。突出してたわけでは全然ないと思うよね。
そう思いますね。割と淡々と続けていたものが、一周回ってやはりレジェンドというか、実を帯び出したものもあるし、明らかにゼロ年代や10年代の前半とは、
今やってるNHKの内容っていうのが、そのネットやテレビの民放の長絡みたいなのを含めて見た上で、明らかに戦略的に舵を切って変えてるっていう感覚もちょっとあるんですよ。
そうね。だから保守としてずっと残り続けてやったっていうわけではなく、NHK自身も結構寄せてるし、エンタメ度は明らかに高まってるもんね。
そこはあるので、僕も気づけばNHKがそばにいたみたいな感じで、ちっちゃい頃からずっと熱狂してNHKだったっていう感じでもないんですよ。
確かに。例えば僕が一緒に収録してるパートナーのてらだくんとかは、NHKしか見れないという家庭で育ってるんだけど、本田くんもどっちかというとそっち側出身なんかなと思ってたけど、別にそういうわけじゃないよね。
全然ですね。むしろ親はNHKそんな見てないというか、あの時代なんて基本的にチャンネル権という権力があり、それを課長制によって父親から順々に権力があり、
その権力のトップにいる父親というのはやはりプロ野球中期というものを永遠と見始めるという。
本当にそんな感じだったんで、別にNHKは見てましたとか、日曜は家族みんなで集まって大河ドラマ見てましたとか、実は僕は全然違いないという感じですね。
なるほどね。多分でも本田くんに、やっぱり本田受信料という名前も含め、そういう育ちねって思ってる人結構多いと思うんだよな。
そうですね。多分結構多いと思いますね。
ちょっとその辺も含めて今回覆すのか、もしかしたら出てくるのかみたいな。
結構その一つ分岐点としてやっぱあるのは、多分これそれこそ0年代10年代の変革みたいな話なんですけど、大学生の時にフランスに留学行ってたんですけど、
帰国して次の朝目覚めて見たものが朝ドラだったんですけど、それがアマチャンだったんですよ。
アマチャンが2013年?4年?3年かな?
そうです。13年。
で、アマチャンを見た時に明らかにNHKが変わったって感じだったんですよ。
それはめっちゃ分かるな。僕らは大学生だったから、高校生だったら朝ドラ見るのがちょっとむずいけど、大学生だと結構見れちゃうっていう。
そうなんですよ。
分かるな。僕も久々に見たアマチャンだもんな。
帰ったら明らかに世界が変わっていて、一応1年日本にいなかったっていうのもあるんですけど、そうすると本当に世の中がJJJ倍返し今でしょうになってたんですよ。
だからドラマのそういう推進力。でもそれってキムタクドラマとかの入り方じゃないもんね。
そうなんですよ。いわゆるその10年代に入って80年代がやっぱりノスタルジーみたいになってたっていうところからのスタートだと思うんですけど、アマチャンとかも特に。
そういうのも含め民放ですけどハンザーだったらやっぱり俺たちバブル入港組みたいな話ですし、そういうとこも含めてやっぱり時代が10年代になったなっていうところで結構NHKあるじゃんと思ったんですけど。
だからその前は全然普通に民放で、深夜テレ朝バラエティーを絶対毎日見るみたいなそんな日々でしたもんね。
大学生の時そういう感じだったなぁ。でちょっと今回話で思ったのが、NHKの最近のドラマ10とか夜ドラとかって、すげえいいドラマが連発されてる時期だと思ったのはね。
それをなんかドラマを見てる人とか俳優さんのファン以外がどこまで見てるのかっていうのはちょっとわかんないんだけど。
めっちゃいいんですけどね。
本当は多分映画ファンの人とかが見ても全然面白い、海外ドラマ見ても面白いぐらいのクオリティだと俺は思ってるんだけど、
実際映画監督とか撮ってたりするものもあるし、そういうドラマのクリエイティブの中ですごいいいものを出してるっていう感じなんだけど。
なんか思うのが、民放のドラマって基本やっぱり未だに恋愛みたいなものがだいぶ変わってきてても、やっぱ強かったり。
もしくはコメディとか、お笑い的なエッセンスとかが入ってるもの。
実際芸人さんが脚本を書いてるとか、演者として出てるとかそういうのも含め、お笑い的なものとか。
表せ方とか、押し出す価値観がいいよねみたいなのが、恋愛とお笑いっていうゼロ年代にめちゃめちゃ膨らんでたもの。
もちろんそれは80年代とかの膨らみもあったと思うんだけど、昔からね。
そういうことをやってきて成功していったのが民放のテレビ局でもあるから、そういうものがまだまだ根深いなと思う。
ただNHKはそこが恋愛最高みたいなものも、お笑いも距離感があるんだよね。
だからなんか面白いんかなっていうところは、ちょっと一つの僕が思ってる見立てではあって。
そうですね。まずその直近のNHKって言えば、かなり本当に両作が連発されていて、
そのうちの一攫になっているのが、尾崎さんというNHKプロデューサーの方がドラマをプロデュースしてるものが、
バンバンヒットしていて、一番ヒットしたのは虎に翼。
朝ドラ。
もちろん急にこれがパンと現れたわけじゃなくて、この脚本の吉田よりかさんを使って、
2022年に恋せぬ二人っていう。
はいはい、ありましたね。
岸井幸之さんと高橋一世さんが主演の。
名作だったあれもな。
アロマンティックアセシャルという、恋をしない恋をしないでっていう二人に焦点を当ててっていうドラマを2022年にやって、
吉田さんが脚本でみたいなんで、これはすごいっていうものがあったんですよね。
この辺からかなりそういった、本当にわかりやすく言うと恋をしないし、わかりやすいお笑いみたいなものにもいかないっていう、
結構まあ時にはシリアスに、やっぱり自分のその死について考えるとか、そういうのも混ぜ込みながらドラマをやっていて、
この6月からはその流れで一人で死にたいっていうドラマが始まったんですよね。
綾瀬はるか主演ね。
綾瀬はるか主演の。
これも一応まだ見ただけなんですけど結構引き込まれたというか、婚活を辞めて就活にみたいな、そういう流れのドラマだったので。
確かになー。
すごいですよね、今最近NHKは。
いやわかる。でなんかちょっと最近のNHKはお笑いっぽいものやってないって言ってるんだけど、でもやってはいて、正確に言うと。
例えば私ってサバサバしてるからのドラマ化とかをNHKがやってたりしていて、そういうのは正直厳しいなと思ってる僕は。
みんなが見たことある光景で言うと、たぶんNHKのお笑いのセンスが一番現れてるのって紅白の演出なのよ。
あーわかりますね。
なんか紅白で流行ってたお笑いの要素とかをNHKのあの舞台とかに入れ込もうとするんだけど、なんかすごい変なキメラみたいなものが立ち上がってくるよね、NHKがああいうふざけたことやろうとすると。
いやーそうなんですよね。だから僕はなんか結構その物言う株主的にこの受信料払って、なんかポートフォリオ的にどこに金がかかり、それをなんか社会にするものだったり自分が見ていいと思えるかどうかみたいなのすごい気にして見てるんですよ。
だからなんかそのポートフォリオ的にはそのさっき言ったそのNHKのドラマのそのすさまじさんみたいなものはめちゃめちゃ売買ゲームで株価上がってるんですけど、あのお笑いに関してはずっとなんか天空飛行というか、もうやめときゃいいのにみたいな。
でもなんか、やりたいんでしょうね。 もちろんもちろんとは思う。 それもね、レジェンドというか、本当に古くは多分狂谷永哲子さんの登場から始まった、いわゆるそのテレビの面白さみたいなものに多分すごい、僕からすると幻想なんですけど。
そうそうそう、こだわりを持って紅白やっているから、ただあんまり僕の受信料がそこに払われてるのなんかだとか言ってないですね。 まあまあそうね、だからそこはうまくいってないからっていうのはまあ一個あるけどね。 そうそう、すべてがうまくいってるわけではないなってNHKは思いますね。
そのゼロ年代の話に戻すと、僕はその恋愛とかお笑いっていうもの自体は好きだったけども、民放のテレビ、特にフジテレビとかね、強くこう楽しくなければテレビじゃないみたいなこととか、そういったもんで打ち出してくるもので、すごい好きだって思うもんもあれば、なんかそれが僕たちの学生生活とかに直接的に導入されてくるっていうかさ、そういうバラエティ番組のノリとか。
やっぱそういうのありましたよね。 うん。なんかそういうのとか、本当に恋愛最高みたいな価値観みたいなのが、歳をとっていったらそういうもんなんだみたいな。それが一番楽しいことなんだみたいな。素晴らしいことなんだみたいなのが、すごく嫌だったよね。だからそれに抵抗して10代を過ごしてた。
だから僕はインターネットと音楽っていう方向に走っていく10代になるんだけど、それって多分そういったところから抵抗したかったんだよね。で、多分本田くんもきっとそこに対して抵抗したかったんだろうなって勝手に思ってるんだよね。
いや、そうですね。思い返すとどこまでなんかそれを意識的にやってたか別としても、今シャークさんが言ったような、なんかそこへの圧力なんかは無意識的には感じていて、それを今でもなんかやってんだなっていうのは結構言われて気づきましたね。
だから10代の時からさ、ある程度の感性の準備みたいなのができてると思うんだよね。で、もちろんでも持ってきたもんでも30代でも、それは捨てれるし買われるはずなんだけど、でも俺らがどういうふうにそういうもんを捉えて、自分の中で何をインストールして、これはないって思ったのかみたいなことを考えるってことは、
たぶん今のこれを聞いてくれてる人も、今の自分たちにとってもすごく意義があることなんじゃないかなって結構思ってるよね。でですね、2000年代というところで3つのポイントにちょっと分けて話していこうかなと思っていて、それぞれ。
2004年、私たち中1、2006年中3、2008年高2と。この3ポイントでそれぞれどんなこと、自分が何に覆われてて何を見て何を考えてたかっていうことを話していきたいなって思ってるんですよね。
えぐい分け方しますよね、ほんと。
2004年ですよ。
まずはね。
中学校入った1年生。僕は京都の北部の田舎の、高校までずっと公立の学校にしか行ったことないんで。
はい。
公立高校の中学生でサッカー部に入部すると。でギターももう始めてるな。ギター始めてバンドとかやれよって大人に言われてるみたいな時期です、僕は。
バンドをやれよって大人から言われるってどういう状況なんですか、実際。
タマリバッツが楽器屋さんがあって、すげえ田舎なんだけど。その人はもともと京都の市内に出て、ライブハウスとかやってたんだけど戻ってきて、家の仕事とかもやってたんだけど、やりたいことっていうので楽器屋さんをオープンする。中古と新品もどっちもあったみたいな。
で、そこに同じように音楽とか好きな大人たちが集まって、ライブハウスとか自分らで作ったりとか。結構特殊なロックコミュニティーがあったのね。
バカだったの?
そこに出入りしてる母の知り合いの高校生みたいなのがいて、その兄ちゃんに連れてってもらって、っていうのが小学生ぐらいかな、僕の。
じゃあやっぱり直接のきっかけはそういう、ちょっと上のお兄ちゃんみたいなところの。
まあ完全にでも地元コミュニティって感じだね。
でもその人とかはロックとか音楽が好きだから、外にアクセスしていくわけよ。
だから楽しかったんだろうな、閉鎖的な田舎の中でっていう感じで。
で、学校とかは別にサッカー部で、割と楽しくやってたかなって感じでしたかね。
で、当時インターネットでつながってて、チャットをやってたわ。
チャットね。
え、それはあれですよね。本当にインターネットのチャットですよね。
インターネットのチャット。だからSNSでのチャットじゃなくて、チャットサービスっていうのがあったんですよ。
そうですね。
チャットを作ってるサイトとかがあって、そこに行ったりとか。
俺らはその2ちゃんねるのアスキーアートをアイコンにできるモナチャットっていうサービスがあったんやけど、それとかでよく集まったりとかしましたね。
だからみんなその2ちゃんねるのアスキーアートの、これがギコっていう名前とかわかんないけど、なんかそれがなんとなく面白いから使って、その後そのアスキーアートの元ネタを知るみたいな感じだったかな。
まだまとめサイトとかないからね、この時期。
そうですよね。じゃあシャークさんはもう中学校1年生時点で、とはいえじゃあネットを使ったコミュニケーションというか、相互インタラクティブなコミュニケーションを含めてあったって感じなんですね。
だからそういう個人サイトみたいなのとかも書き込みして、インターネットでなんかハンドルネームを知ってる人とか、そういう人とチャットしたりとかもやってたな。
もうだからそれぐらいやってるからADSLだったね、たぶんね。光ではなかったな、まだたぶん。
そうですね、まだADSLで。本当に一方で、同時にこれたぶん注意していくと、携帯を持ってる子持ってない子みたいな差分あったじゃないですか。
携帯ってある意味その後結構独自の進化を遂げていくんですけど、インターネットとまた違うiモード的な世界観に突入していくじゃないですか。
携帯サイトね。
そうそう、だからインターネットは本当に無限に大人とか世界と本当につながっていくっていうものであるんだけれども、
僕らって同時に携帯を持ち始めて、携帯内でのコミュニケーション、それは友達とのメールのやり取りみたいなものもそうだろうし、
ノバゲーみたいなゲームサイトみたいなのの登場と、多分もうミクシーも基本的にはできてはいたと思うんですけど、それも含めインターネットじゃなくて携帯サイトの中での、
すごい閉じたコミュニケーションみたいなのも流行り始めていた。
その辺はどうでした?
多分ね、この時点ではまだ携帯持ってないんちゃうかな。
し、俺だけソフトバンクだったんだよな、俺の家だけ。
ぼうだほんか、まだ。
京都の地でですか、しかもその北部の。
そうそう。
電波大丈夫だった。
だから電波ね、ギリあるんだけど他に比べたらめっちゃ弱いのよ。
ってありましたよね、そのソフトバンクがね、電波弱いみたいな。
だからインターネット回線にもちょっと制限があったんだと思うな。
だから、この時はまだパソコンで友達とかとメールやったりしてるぐらいちゃうかな。
持ってる子、携帯持ってる子もいて、そういうことをパソコンのヤフーメールでメールのやり取りとかしてるっていう時期かな。
これ結構多分、ゼロ年代振り返るときに、
そのティーンの当事者たちって、このネット環境あるかないかで見えるものって結構違うなって思うんですよね。
いや、だいぶ違ったと思うな。
でも、特にネット世代というかネットを経験した子たちは、僕のイメージはおしなべてシニカル。
うん、そうね。2ちゃんねる的なね。だから霊性に繋がる感じでしょ。
まあそうですね。
もちろんそれもあるし、守られてない世界にいち早く突入するというか。
はいはいはい。
子供だからって守られてないというか、ネットに行けば皆平等みたいなところがあり、そこでメタメタにやられるというか。
うーん、それはあったね。
という経験をして、少し擦れた感じになるみたいなのと、ネット独特のお笑いセンスみたいなものもあって、
それをすごい言ってた子が、今思えばあれネットなんだって。
はいはいはい。
知らないから、なんかすごい独特なお笑いセンスをしている子だなみたいなものだったのが、後で気づけばあれはネットから来てたのかなみたいなこともよくあったっていうのがこの中学校の時ですね。
あったなあ。だからこの時にフラッシュっていうものもあると思うんだけど。
ありましたね。はいはい。
ちょっとずつフラッシュ時代も終わりから動画時代になってくるみたいな感じになる。
はいはいはい。
それでそのダウンタウンのゴッツA感じのネタを、ガンダムSEEDのキャラクターが喋ってるゴッツAシードっていうフラッシュを、
時代だなあ。
オタクたちが見てたのよ。
はいはい。
で、だからそれは、そのからはなんかガンダムSEEDのキャラが喋ってる。でも声は浜ちゃんとか抹茶なんやで。
オンコースを使ってるから。だからダウンタウンのネタなんやけど、アイコンはガンダムSEEDのキャラとかが出てるみたいなやつがあって、
それを何回も何回も見て喋ってるんやけど、俺は知ってたから、これはダウンタウンのネタのやつがこれになってるなと思ってたんだけど、
そのからは分からないわけ。
そうですね。
だからネットのネタだと思ってるっていう。
うんうん。
っていう現象とか、でこれ同時にラーメンズのネタとかも同じようにフラッシュネタになっていくんだけど。
え、もう早いっすね。でも時代的にはそれぐらい。
うんうん。
本当に東京のライブシーンとかでは活躍し始めた頃。
だからそれがビデオが出て、そのビデオが音声を抜いてフラッシュに使ってたってことなのかな、あれとかってな。
すごいですね。
とかもあったかな。でもその子たちはラーメンズだってことは知らないっていう、そのフラッシュのネタ、面白い動画だと思ってる。
で、結構多くのものがそういうもんなんだよね、フラッシュの。
フラッシュだけで完結したものっていうよりは、何かを持ってきてフラッシュ化してるっていうものが結構多いっていう。
まあそれはそうですね、二次創作文化というか、そこがメインに入っていて。
わかりやすく子供っていうのは、元ネタみたいなものの感覚が、そういう感覚がないというか。
そうそう、ないからね。
歴史っていうものは、自分より生まれた以前とか覚えてないこと以前なのであって。
ガンダムとヤマトどっちが昔かなって、興味がないというか認識ができないみたいな世界で生きていると、それでそういうフラッシュで出てきても、
いやこれはフラッシュのネタですという認識になってるっていうのは、今でもあんま変わんないですけどね、TikTokでみたいな話。
確かに確かに、そうね、そういうのもあったかな。
ホンダさんの2004年はどんな感じだったんですか。
僕はさらに閉じられた世界だった気がしていて。
テレビ、インターネット、リアルみたいな3本の線が走ってるときに、子供は何にそこに触れていくかっていうのがあったと思っていて。
自分はやっぱり結構ネットっていうのはかなり切られてたんですよね。
でも僕も九州の田舎出身みたいなところで育ち、親も結構その年が離れて、僕末っ子だったんでっていうのもあり、
ネットとかもやっぱりあんまりわかってないというか、家にもそんなネット、一応仕事のためにあるけどお金がかかるので子供は使用禁止みたいな。
そういう扱いだったし、さっき言った携帯っていうのも高校に入学するまで買ってもらえないみたいな。
一応そういうルールがあって、自分は中学校で1年生は何でもないですけど2年生3年生になるうちにもう爆発的に周りの同級生たちが携帯持つ中で僕だけ持ってないみたいな。
友達と遊ぶのもみんなメールでどこどこ集合って決めてるのに僕だけまだ家出んみたいな。
そういう疎外感ですよね。
ネットっていうものの、インターネットは本当にそうやって開かれている文化の中で享受しているものみたいなものからも疎外だったし、
携帯っていう閉じられたインターネット、今で言うSNSみたいなものとも疎外されていて、あるものはテレビだけみたいないうのがあったんですけど、
正直でもテレビすごい好きなものと嫌いなものが激しくて、いじめバラエティ的なのがすごい苦手だったんですよ、昔から。
っていうのもあって、僕の当時の感覚としてテレビだけはリアルタイムなんですけど、そのものとして。
でも本とか漫画とか、あと貸してもらえるゲームとか、そういうそれ以外のコンテンツってめちゃめちゃ時空越えてた気がするんですよ。
親とか、それこそちょっと年上のいとことか、友達のお兄ちゃんお姉ちゃんとか、で普通に図書館に行けば本、無料で借りれるとか、そういうのも含めて、そこで手に入る本当にガンダムとかファーストみたいなものであったりとか、
で、その漫画もタッチ読んで、スラムダンク読んで、みたいなものもその友達のお兄ちゃんが持ってるから貸してもらうみたいな。
イノセンスってこの年ちゃうかな、もっと前かも。 ああでもそのぐらいかも、たぶんですけど今考えると大人がそういうのを考えて流してるんですよね。 そうだ、イノセンス2004年です。 そう、イノセンスやってるから押井祭りだみたいなことを大人がやってて、だからビューティフルドリーマーまで普通に見てて。
ああ、そっか。 これはすごいみたいなことを当時すごい記憶してましたし、まあもちろんその後パトレイバーも放送されてて、テレビ版からの劇場版、全部見ましたね。
いやそれはなんかすごい正しいオタクやれてるなあ、いい出会いしてきてる。かなり良質なものに触れてるなあ。 そうですね。今思うと周りのいとことか、そういう大人たちが割と普通にオタクだったんだと思いますね。 ああ、しっかりオタクだったんだね。そういうガンダム見ろみたいなね。 そうですそうです。
なるほどね。確かなあ、2004年ってまあ社会は自衛隊の威楽派遣とかプロ野球再編問題とかもありましたけども。そういえばこのプロ野球再編問題で俺ナベツネというものを知りましたね。この高賀選手がって言った、古田がなんか泣いて会見してるみたいな。
ああ、なんか義理を覚えてる。 なんでこのメガネのおっさんこんなに偉そうなんやって言う。 まあ自衛隊とかもそうなんですけど、あまりにも九州の田舎の中学生からすると遠い国の話だったじゃん。
これ多分いい意味も悪い意味も入ってて、終わらない日常じゃないけど、やっぱめちゃめちゃその大人の世界のニュースというのは私のリアルに全く関係がないものっていう認知が多分高校卒業するぐらいまでずっとありましたね。
僕は多分ねそれこそ2chとかの影響で、ネット的な言説とかにも触れてるし、そのゴーマニズム宣言、戦争論とかも俺がっつり読んでるから、そういうので結構興味あったかな。だから小泉から安倍政権、民主党政権ぐらいまでの流れみたいなのとネットの言説みたいなのは見てたから興味はあったね。
なるほどな。今回もシャークさんがいろいろ書いてくれたやつって、僕はその大人になってから高年勉強して、あの時代ってこうだったんだっていうものがなんかすごいちゃんと入ってて、なんかシャークさんって僕と一緒でなんかすごいこうちゃんとなんか振り返って置いてんのかなと思ってたら、意外ともう本当に当時から並走してた感じはあるんすよ。
でも全部が全部はもちろん塗ってないけどね。でも割とその田舎でインターネットしてるだけの男の子にしては興味あった方だと思うな。
いやそうですね。
ちょっと言っちゃうと、俺らのコミュニティのおっちゃん達っていうのは京都の大学とかで、言ったらまあ左翼運動とかにガンガン行ってた人らっていうのが数名いたのよ。
なるほどね。
そういうロックカルチャーと近いかな。特に関西のシーンってそういうのが近かったのはね。だからそういう影響も多分強かったかな。だからそういう近くのかっこいい大人がそういう話をするみたいな、政治の話をするとか。
なるほど。
みたいな感じも近かったなと思うな。2004年大河ドラマン新選組です。三谷幸喜。
いやー爆流行りしましたねでも。
うーん見てたなー。
見てました。これ僕もさすがに見てましたね。
ってかまあその新選組って一回みんな通るというか、あのピースメーカー黒金とかもあるんですよ。漫画で。
ああはい。あの新選組というそのあれですよね。
そうそうネタ。
ネタ時代ってことですよね。
そうそうそう。新選組ネタみたいなのは多分この時別に柴領太郎読んでとかさ、いろんなタームがあるし、ずっと流行ってるっちゃ流行ってるんだけど、なんかそのピースメーカーだったり、柴領太郎だったり、あとルローニ剣士もそうだしね。
そういうもんとかで新選組的なもんがみんなイメージがあって、こうなんとなく知ってる時に大河でドンってきたっていうイメージが僕はありますね。
めちゃめちゃドンってきましたし、それもわかんない。シャークさんだともしかしたら京都だからっていうのがあるかもしれないですけど。
ああそうかもね。
僕らからするといきなり始まったみたいな。新選組、カトリ君で始まったみたいな感じなんですよ。それでやっぱ爆発的に子供にも受けて、この後修学旅行で京都とか行ったんですけど、みんな新選組キーホルダーみたいなの買ってましたもんね。
これなんか当時俺親父は軽井って言ってて、親父が毎週酔っ払ってワーワー言いながら見てた嫌な思い出もいっぱいある。敗北の物語やんか基本的に新選組って。でもやっぱ三谷さんフレーバーだから、あんまり俺いいイメージなかった。
俺は楽しく見てたけど、世間はこんな評価なんだって。世間が親父しかないからそういう間違った。大人になって見直したらめっちゃ傑作だったねやっぱり。
ああ僕も大人になって見返して、あ、傑作だなって思ったんですけど。
完全に傑作だねこれ。
いやでもこれ時代がねやっぱり変わり始めてる証なんですよね。この後その真田丸やって鎌倉殿の十三に行って三谷さんやっていくんですけど、
まあ三谷大賀みたいなものが受け入れられるという世の中に、やっぱこの辺からなってってんだと思うんすよ。それがわからないというか、それに多分前時代的な人は、なんか大賀ドラマでなんなんこいつらチャラ?みたいな。
うん、いやほんまそうだね。なんかだから喋り方がちょっと普通なんよね。ここからだよね多分ね。
そうですそうです。
だからまあこの時生きてたジジイたちはほんまにわからへんかっただろうね。でも見直したら結構やっぱしっかりやってたけどな。
しっかりやってたし、新生組はだからすごい新しい捉え直しだなと思いました。やっぱり新生組って基本的にはその半顔というかその負けた方の、ただなんかこう義、誠を貫いたみたいなイメージとかがあるんですけど、
その中身のなんか壮絶な打ち牙だったりとか、しかもそのホモソーシャルに端を発する打ち牙みたいなところを軽々しくも軽々しいからこそやっぱ中身やばかったんじゃんっていうことをやるという、その演出みたいなものが新生組自体として新しい捉え方だったと思うんすよ。
確かにね。だからなんかそれちょっと歴史を誰々なりに語り直すみたいなもので、これが正直ネット浮力的なもんにもつながっていくっていう悲しいアレもあるのよ。だから歴史修正主義的なことっていう、直接じゃないけどそういうことがありみたいな感覚っていうのはサブカルチャーとかそういう歴史の方にもあるよなみたいなところはちょっと話して思うとこですね。
なるほどね。確かにそうかもしれないですね。
じゃあそれがちょっと加速するっていう意味でも次の2006年、15歳中3の私たちですね。
はい。
安倍晋三が首相に就任します、9月に。
ああ、1回目ですかね。
第一次安倍政権なんで、美しい国へです、この時。
ああ懐かしい、はいはい。
だから小泉からすごく伝統的な保守みたいなものに帰っていこうみたいな。でもそのなんか安倍晋三が言う美しいとか伝統ってなんなんやみたいな。ほんまの保守なんかみたいなところもあり。
いや、超声上ずってましたけどね、あの安藤さん。もうかかるストレスが半端なさすげえ。
半端なかったんだろうね。そうね、熱湯浴的な感じの人たちからすると嬉しかったんだろうけどね。
なるほどな、そういう時代の閉塞感があったのか、あの時。
まあ関西だとそこまで行っていいんかいとか、まあそういうね、浴宴ため番組がガンガンかかってるんだけど、本当に新しい教科書を作るかいとか、
本当に熱湯浴の言論のベースになった人たちとかが出て、日本は良かったみたいなことをめっちゃ言うみたいな。なんかそういうのも結構あったなっていうイメージがあって。
多分よりドメスティックになっていくんですよね。
そうそうそう、ドメスティックになってて、まあそれはもちろん北朝鮮との関係とかアメリカとの関係とか、やっぱりそういうのがちょっとこうハードになってくるんだよね。
そういうのが影響として強いと思うんだけど。
そうですね、やや鎖国的にやっぱりなっていくというか。
VHSとかで、TSUTAYAで、ゴッツとかそういうの見て、とか上の世代とかに言われて、ダウンタウン見ろって言われて見てるっていうのがあって。
だから本当は、ナイナイとかキングコングとかが多分好きやねん、本当は。
ああ、そっかそっか。そうですね。関西お笑いで言えば、チッスよね。
そうそうそう。だったんだけど、なんかそういう感じがあったかな。で、ゴッドタンは京都ってテレ東系列のバラエティが見にくいのよ。
ああ。
テレビ大阪、京都にいたらテレビ大阪で映って見れるんだけど、俺のエリアは映んなくて、KBS京都しか見れないから、そこでネットされてないんだよね、多分。
ああ、でもなんかめっちゃ深い時間に多分やってたんじゃないですか。
だからゴッドタン、ミタンはだいぶ後。だからそれも高校生入ってから、そういうお笑い好きのVHSめっちゃ撮ってるやつが、今このおぎやはぎとかめっちゃヤバいやつやってるみたいなんで一緒に見せてもらったな。で、そいつと一緒にアラビキダンもVHSで見てたね。
なあ。そういうやっぱね、本当に単純にテレビが規定する電波っていうのに、結果その感覚値みたいなのがどんどん規定される時代ですよね。だからこれ深夜バラエティっていうのが肝で、実際のそのバラエティのゴールデンを占めてたのは島田紳助とかなんですよ。
ああ、そうだ。紳助時代ですもん。
紳助、もう一強とか最強ぐらいの時代で、あとはトンネル2、そして台頭してきたのが論破みたいな感じで。僕が本当に苦手なやつのそのいじめバラエティ。
確かに。だから僕もその紳助が、昔から見てるから面白いなと思ってたけど、どっかで本当にもう紳助嫌ってなった時期があるはずやね。
そうっすね。もうちょっと後かな、2008、9くらいが本当にヤバいんじゃないってなってたと思うんですね。
もうヘキサゴンのバカになった頃には本当に嫌だったから。
ああ、ヘキサゴンがいつですか?
あの形になったのが2005年だから、この時期だね、ヘキサゴン。
結構この時代差もあって、これのヘキサゴンの爆盛り上がりの時を、僕らのもうちょっと下の世代の子とかは小学校とかで見てるんで、
なんかそういうもののてらいなく普通にその周知心楽しいみたいな。
踊ってるみたいなね。
まぼかわいいみたいな、その無邪気な、僕らがモームスを見てた時のような感覚で見てるから、そのあれはない、タイがないんですけど。
僕とか結構その中3とかで普通に周りにそのいじめとか、ヤンキーの暴力みたいなものがなんか触れ始めてた時に、こういうものをやられてると、正直きつかったですね。
そうね、まさしくそれ。だって同じことされるんだもん。
そうそうそう。
で、ヘキサゴンとかで俺よく思ってたのが、バラエティって1時間で終わるやん。あのね、ああいうのってね、3時間4時間やられるわけ。
終わんないですもんね。
終わんないの。それがもう嫌でしゃーなかった。
嫌でしたねー。シャークさんだからもうこの時にはプロレスとか、なんかそういう世界も。
そうそう、格闘技も大好き。この時期は。
格闘技もまた別枠、別軸であるんですよね。だから。
そうそうそう。だからあんまり俺だからアメトークとかこのテレ朝の深夜バラエティに熱狂してないもん。このあげてくれてるやつ全部。
あっ、え、あ、そうなんすね。
うん、全然。
世代としては結構マジョリティだと思ってた。
でもたぶん周りはそうだと思うよ。
そうですよね。
まあ健康は好きやったしな。
ああ、そうですね。本当に初期の頃ですよ。マジで本当にガンダム芸人とか。
本当だ。
それこそガンダム芸人とか、なんかホテルアイビス芸人とか。
はいはいはい。
面白いですよね。なんか新しいお笑いが始まった感覚がその時あって。
確かに確かに。
お笑いってやっぱなんかその、僕らで言うとそのM-1とかの世代でもあるから。
うん。
真面目にネタやるか、その島田紳助バラエティ。
そう、フジテレビバラエティ。
フジであのめちゃイケとかのああいう集団芸系。
ああそうそう、めちゃイケ。
あのトンネルスケートというかね。っていう、なんか3パターンぐらいだもんね。
全部ノリは体育会系っていう。
そうそうそう。
結構文化系のね、トークが始まった。アメトークも、まあねそのMCの2人はあれですけど、出てくるメンバーが、ケンコバもそうだしジュニアで、あと博多花丸大吉とか。初期のあの辺。
和術ベースの人らになったかな。
そうですね。
そういうなんか上の世代の高速キャッチボールみたいな感じ。あのやりすぎ工事とかちょっとそういうノリあったけど。
はいはいはい。
そういう感じじゃなかったもんな。こうエピソードトークみたいなんでやっていくみたいな。とか、であとやっぱ当時のケンコバもジュニアもまだまだ危険な香りがしてたのよ。
ああはいはい。
そういう人らが結構オタクっぽい、これが好きやねんみたいなのを喋るっていうのがめっちゃおもろかったっていう。
ああそう、どっちかっていうとアングラなんすよね。
ああそうそう、アングラ感がすごい漂ってた。
あの二人は。
うんうんうん。で、よう言われんのよ。ケンコバ的な好きやろって言われて。そんなことないけどなって思ったけど、今思い返ったら結構好きやって。確かに。自分で気づいてないけど好きやって。
ああそうそう。
そうそうそう。
いや僕はなんか感じてましたけどね。そういう派だとどっちかっていうと。
まあほぼほぼかぶってるからね。好きなもんが。だからああいう人らが作ってくれた価値観の中で俺が泳いでたから。だからもちろんそれに影響を受けて生きてるって感じだったかな。
まあそんな中学三年生がありまして。あ、一応ドラマも言っとこうか。
はい。
1個ね、ちょっと言いたかったのが、この年、日テレで14歳の母やってるんですよ。
ありましたね。
これで僕ら15歳なんですよ。だからこれってしだみらいが主演で、この子が14歳で妊娠しちゃうっていう話なんですよね。
相手メロハルマでしたね。
そうそうそう。で当時だから恋空とかそういう携帯小説的なもんも流行ってて、そういう話が多いわけ。何秒もんとかともくっついて。
はい。
本当に大人たちは本当に危機を感じてたと思うのね。俺らが急にそういう子供を作ってしまったり、知らんところで知らん人ととか。だからそういうことめっちゃ言われた覚えがあるんだよね。
しかも学校でもこういうドラマやってますけどみたいな感じで、性教育とかと合わせて、すごく14歳の母っていうものは僕たちにとってエポックな、ちょっとじんわりなんか嫌な、なんか俺らが悪いことしてるみたいな。
わかりますわかります。
そういうことを言われたね。だから俺、内容ね、ちゃんと最後まで見てないんだけど、なんかすげえ嫌だった記憶があるんだよね。そういう、もんと結びついてる歳だね。
いやー、僕もすごい嫌だった記憶ありますね。
し、実際田舎で俺の友達の兄貴とかでそういうことあったのよ。中学生とか。
まあそうだね。そういうのもあり始めるんすよね。高校中退した理由がそれでとか。
そうそうそう。田舎だからみんな全部知ってるのよ、これ。
そうそうそう。母親まで知ってるみたいな話ですよね。
そうそうそう。で、それが、なんも考えてないやつとかは、なんかそうなんやろとか言ったりするわけ、そいつとかに。
はいはい。
そういう現場とかも俺すごい嫌だったの。そいつとは友達だったから。
わかります。
だからそういう、あのドラマは、あの頃のなんか本当に、でもどうしようもないやん、そういうのって。命だし、子供は。
はい。
俺の中でそのゼロ年代のエグさみたいな。俺結構この岩井春司の映画とか、リリーシュシュの全てとかの嫌さとかにも近いんだけど。
うん。
うん。そういう苦みを感じてたなあっていうことをちょっと残しておきたいですね、2006年に。
上の世代の人らが薬師丸さんがここまでの薬師丸さんが特別で、そっからあとはちょっとまた違うって感じになるのと同じような感覚だと思うんだよね。
いやー、こういうドラマとか、それこそ今回恋愛の圧力みたいな話になってきますけど、いわゆる日本の映画やドラマでの青春ものとかも含めて、その時に時代の長寿だった人たち、宮崎の人にじゃないですけど、とかを真正面で見れてなかったですね。
だから今俺も好きやったなって普通に言えてるのは、それ誰々がどういう人が好きなんかって言えっていう圧力にたぶんやられてたの。
ありましたね、なんか好きなアイドルはみたいな。
そうそうそう。だから僕が宮崎あおいが好きっていうことは、俺の俺はこういう人ですよっていうことを証明せざるを得なかったから言わなあかんかったところもあるのね。だからあおい優とか宮崎あおいが好きっていうことで、この子はこういう系の人が好きってことはこういう人なのねっていうところが多分あったんだよね。
ありましたね。ずっとそういうのたぶんキャンセルしてましたね。
そうだね。だから俺はそういうのがっつりインストールされてる。だからこの時点あたりだと俺長澤まさみってちょっと遠いのよ。みんなのアイドルなんだけど長澤まさみさんは。長澤まさみが好きっていう子に対抗するために俺はあおい優や宮崎あおいを背負っていて。
いやあったかも。長澤まさみはどっちかというと真っ正面ストレートパンチみたいな人気でしたよね。セカチューから始まる。
どっちかというと宮崎あおいとかあおい優っていうのは演技派でもあるみたいなところの。
まあ当時の言葉で言うといわゆる森ガールっていう分け方があって。
そうかそれだそれだ森ガールなんだ。
そうそうそういうものを背負ってるから。なんかやっぱだからそっちの方が文化系っぽいやん言ったら。
確かに。
僕はそっちを担がなあかんのやなっていう圧力で言ってた部分もあるなあ。
ああ。
って言ってたら長澤まさみがモテキとかに出てくるね。これが難しいんですよ。ここでやっと俺は長澤まさみ好きって言えるようになるんですよ。
でもモテキってもうちょっと後。
もうちょっと後。
そうですよね。
だからそこぐらいまで僕と長澤さんにはすごい距離があったんですよね。
あのそれがやっぱあのまあちょっと僕もメモに書いたんですけどやっぱりそのエヴァの進撃が始まったっていうのが結構ホックメイキングで。
うん。
そのエヴァンゲリオンっていう正直そのオタクの曲さみたいな。
そうねトップオタクたちが作った。
そのモリガールとかって全然そのオシャレのうちのその一つの界隈みたいな。
一つだもんね。
でもエヴァンゲリオンっていうのはそれを好きっていうことはなんかその。
ちょっとむずいよね。
モエモエアニメが好きなやつであるみたいな。
そういうのがあったところのゼロ年代に急にその新劇場版が始まりでそれを本当になんかムーブメントになってみんな見に行くっていうのがあって。
なんかみんながその残酷な天使のテーゼをカラオケで歌うみたいな。
歌うようになったんだよ。
来た時に本格的に本当にオタクと一般人の境がなくなっていったなと思うんですよね。
確かに。
融合が始まるというか。
で、多分この次の年にK-ONあるでしょ?
はいはい。新アニメのタイトルですね。
俺K-ONで完全になくなったって俺は思ってるんよね。
ああ。やっぱりシャークさんはK-ONは見て。
見てた。
それこそバンドやってたから、そのK-ONっていうのが始まるっていう情報で、
あ、バンドやる女の子の可愛いアニメが始まるんだみたいな。
しかもその春日とか作ってる会社が作るんだみたいな。
とかで、めっちゃ絶対見るぞみたいな感じで始まってみたら、
俺より他の周りの人の方がものすごい勢いでK-ONにはまっていって。
ちょっとついていけんかったみたいな感じだった。好きだったけどね。
だからもうその流れの勢いのままに、大学生の時K-ON部に入るやつほぼ全員K-ON見てるみたいな話でしたもんね。
そうそうそう。多かった多かった。
さらに第二シリーズがあって、僕の下の世代とかはもう本当にいたな。
さらに多くなっていく印象だったかね。K-ON学部の。人数自体もすげえ増えたし。
もうめちゃめちゃオタクがすごい大衆化していく決戦戦だったと思う。
そうね。
だいたいみんながちょっとオタクだしっていう辞任になっていくっていう時代が始まっていくんですよね。
だからモテキに長澤まさみが出るしというか。
そうそう。だからなんか漫画原作みたいなもんが、それこそそういう少女漫画原作、花より団子的なもんとかはオッケーみたいな。
7オッケーとか。そういうんだったのが、そういうなんかちょっとオタクっぽいもんも全然オッケーになってくるっていうね。
そうですね。僕はもうこの時すでにさっき言ってた中学校でガンダムみたいなオタク教育をバチバチに受けすぎていて、もうこの時点ですでに辞任がいにしえのオタクだったんですよ。
だから春日とか見るやつは軟弱であると。
いや見たらええだろ別に。
わかるよ。
エヴァの進撃とかも、エヴァは急激なのであってみたいなことを思ってたので、もうこの時には多分すでに、いわゆる爆霊みたいな漫画とか、漫画は見てたら思うんですけど、ドラマ映画とかってほぼまっすぐ見れてなかったですね、この時すでに。
確かに、もうドラマに関しては完全にもうこの時点で俺も距離が出ちゃってる。もうテレビ全体に距離が出ちゃってる時期だな。
そうそうそう。
だから、まあそのTBS流星の絆とかは見てるけど、ラストフレンズね、見てねえわ。流行ってたけど。
流行ってた。太陽と海の教室も超流行ってたな。
太陽と海の教室。
あれ坂本祐治だったんだ。
うん、見てないな。小田祐治でしょ。
あとROOKIES。
もちろん見てない。
もうこれはもう、僕は思想上の敵と言っても過言ではないぐらい敵でした。
いや、ROOKIESが一番の仮想的よ。なんかROOKIES的なもんがすごい引きちゃってたなあ、やっぱ。
うん。
なんか高校の文化祭のスローガンみたいなのを考えようみたいな。
はいはい。
ROOKIESのコピーをまんま使ったんだって、なんか恥ずかしいやろみたいな。
言ってた覚えがあるんで。
そうですね。まさしく僕はクラスを先導して、残酷な天使の体でみんなに踊らせましたね。文化祭でね。
でもそれがまあまあいいじゃんってなるっていうね。
ああ、そうそう。
そういうあれだったんだよなあ。メモにはコナンのことも書いてくれてますけど。
そうですね。この頃ですね、コナンの原作が58巻から60巻あたりで、赤と黒のクラッシュというシリーズがもうマックスに来てた頃だったんですよね。
赤井さんのやつだね。
はい。赤井さんが死に、オキアスバルという新キャラが登場し、そしてあの今年の映画でもやってる長野県警の大和完祐っていう、長野県警の刑事が初登場するというのがこの58から60巻あたりだったんですけど。
でも確かにちょっと変わってきたなって感じしたんだよなあ。
そうなんですよ。この時に明らかにコナンが変わったっていうので、僕第二次ドハマリ期だったんです、これが。
コナン第二次ハマリ期。
僕らってすごいコナン世代で、アニメやってた頃がたぶん本当にコナンと同い年みたいな感じなんですよ。で、この後二の時についに新一に追いついてるわけなんですよ。
本当に10年ぐらい一気にそのコナンと駆け抜けた時に、コナンって元々はそういうちょっとその高校生のお兄、実は高校生のお兄ちゃんなんだけど、小学校で無双するみたいな、今で言うとなんかその。
一世界転生ね。
一世界転生みたいなものの面白さがあって、でもそれ当然お互いになっていけばなんか卒業していくものだったんですね。
だったね、もちろん。
だから多くの人が多分同世代って高校ぐらいの時にコナンを卒業してるはずなんですけど、ただ原作組はその時に同時にこの赤井さんっていうめちゃめちゃハードボイルドなキャラが出始めて、コナンというのの舵切りがまたプラスなんか10年ぐらい上にいったんですよね。
確かにな。
この時になんかこれすごいものが始まったっていうので、なんかこれワンピースよりコナンでしょ?みたいな。
確かにね。
時がこの時だったんで、だいぶやられましたね。
もうでも実際にさ、その感じが来るのはもう4、5年後ぐらいかな?劇場版とかで盛り上げて。いやまあそこまでかかんないか。
でもそうですね、実際に世の中的に来るのは、なんだかんだやっぱりアムロさんの登場みたいなところがあって。
あるから。
そのビッグウェーブになる直前のなんか静けさではありました。この時って本当に見てる人がそんなにいないというか。
うん、確かにな。いやなんかこの時もサンデーをね、流し読みしてたから、なんかちょっと変わってきたなっていう印象あんのよ。で、その赤井さん関連の話面白かったよな、やっぱ。
面白かったですね。このシリーズめっちゃ。
俺いまだになんだけど、コナン苦手なのが、コナンのギャグみたいなのも全然ダメなのよ。
寒いっすね。
どうしても恥ずかしくて、コナンのエイティーズラブコメ大好きみたいな感じのあれが、俺どうしてもダメで。
いやー、だって、ちょっと話それちゃうんですけど、この間NHKのプロフェッショナルで青山先生の回あったんですよね。
はいはいはい。
で、なんか若かりし頃のあのシャアのコスプレの写真とか出てくるし。
いやもうきついってあれ。
し、あのスタジオにかっこよく登場した時の格好が、完全にあの赤井秀一の格好してたの。
そうだね、まんまなんよね。
だから青山先生って絶対自認シャアなんすよ。
いやそうなんよね。
あれが恥ずいというか。
いやめっちゃわかるめっちゃわかる。
それがね、なんかそのお笑いの先生も出てると思うんですよね。
うん。でもなんかそのちゃんとその格好いいもんが好きで、でもその。
はいはい。
それがこうちょっと恥ずかしくなんない状態だったんだよね。赤井さんはだからそこがキャラとしてすごくうまくいってるのよ。
いきましたね。
うん。で、俺アムロさんちょっと恥ずかしいんが、たぶん距離があるからそこのチューニングがたぶんちょっとうまいこといかない時があるよたぶん。
うん。たぶんそうですね。
だからちょっと恥ずかしいってなる時がアムロさんに感じるじゃないですか。
わかりますわかります。
うん。でもなんか読んでて面白いなと思った記憶はあるわ。
うん。ここでコナンがたぶんその生きながられた瞬間。
生きながられた瞬間やな。ここでな。
うん。この直前までほぼオワコンだったんだよコナンって。
うん。でもまあ逆に言うとずっと当ててきた高橋留美子とかがすごくこうプロップスを失っていく時期でもたぶんあるんだよね。この辺って。
それは教会の輪廻のことを。
まあもうそうだよね。サンデーで言うとね。
そうだね。
でもで、あたちみつらは別にさ言ってないよ。ずっと一緒やから。
まあ、やってること変わってないですからね。
そうそうそう。で、どの人が一番読んだかって言うと、俺の中だとあたちみつらを一番読んでんだけど。
そうですね。僕らの世代で言えば結構クロスゲームは結構来るものがあります。
クロスゲーム面白かったなあ。全部面白いんだよなあたちみつらはやっぱ。
わかりますわかります。
うん。そうそう。だからまあでも世間一般はもうゴリッゴリにジャンプジャンプジャンプの時代で、その中でそういう感じを私たち過ごしてたっていう感じですね。
そんな感じで3年間かけてみたんですけども。
やっぱちょっときついですね。しゃべってて。
いやあ、なんかまじでさあ、最高ってならんよなあ。
いやそうなんですよ。
あったなあみたいな。じんわりしかない。これって俺ら世代だけなんかなあ。もっと違う世代の人だったらさあ、もっと夢中だったみたいな。
10代みたいな感じでキャッキー言うんかなあ。もちろん夢中だったもんしゃべれるんだよ。
ちょっとなんか、僕も本田くんも時代とは合わずにこれに夢中になっていて、でもまあその社会というものに生かされないといけない環境だったから、なんかうまいこと言ってないなみたいなのは感じてるみたいな。
そうですね。なんだろうなあ。10代ってかなりなんか自由がなかった記憶しかないんですよ。
めっちゃわかる。
常に何かの非語化に置かれていて、まあそれはその直接的なものもあれば、なんか概念的なものの非語っていうのもあるんだけれども、いずれにせよなんかその世の中で起こっていることやその流行っていることなどには、お前のもんじゃないよみたいなすごい言われてる気がしてたんですよ。
めっちゃあったなあ。わかるなあ。
僕が象徴的だったのはやっぱり僕10代はまでついぞ一回も東京に行ったことなかったんですけど、なんかテレビでなんか109みたいなものが映り、女子高生みたいなものとか、なんかホストみたいな世界とか、なんかそういうものがテレビで見せられるたびに、
まああなたのためのものではないですけどねってずっと言われてる感覚がもうちっちゃい頃からずっとあったんですよ。
めちゃくちゃわかる。めちゃくちゃわかる。テレビの世界とか、だから俺お台場行ったときにテレビの世界来たって思った。これ上京してきた人多くが言うんやけど。
はいはいはい。
で、俺が東京にやってきたのは2016年7年とかなんだけど、のときのお台場はもうすでに死の匂いがしてたもん。
そうっすよね。
あ、なんか俺が見たあのキラキラなやつが完全になんか死の土地になってるみたいな。ちょっと横行ったビッグサイトとかですごい地下的な盛り上がりが起きてるみたいなね、即売買とかの。なんか違うんだみたいな。
そう、たぶんこれもしかしたら逆に言うとその10年代はなんかその手触りがすごい僕の中にあったりもしたし、歴史もなんかすごく並走していた感覚があった。
例えばだけど、僕は大学が広島で大学に通っていて、そこでもちろん長崎から広島行ってゴリゴリの平和教育の中で育ったときに、やっぱりオバマが広島に来るっていうことのやっぱり歴史的瞬間への考えみたいなものってすごくあったんですけど、
それって本当に大文字の歴史にここまでライドできるっていうのは10年代は確かにあったんですよね。でもそれってやっぱもう単純にそのゼロ年代がやばい年だったかっていうとそういうわけじゃなくて、僕は10代だったからなのかなーっていうのはあるんですけどね。