00:15
アートの片隅で、こじらせシアター、今回のテーマは、良い演技とはなにか、です。3回目。
はい。
えー、俺ですか。
はい、聞かせてください。
えー、まあ、俺が学んできたあれの中で言うと、言葉としては、良い演技とは明確であること。
あー、うんうん。
それを意識して、稽古というか、トレーニングというか、修練というか、してきたんですよね。
うん。
だから、それに、僕は答えがいくんですけど、自由というか。
うんうん。
明確にするためにやってることとかはありますか?
えーとね、明確に伝わるのためには、当然余計なことをしないことと、
えーと、本の読解力と、みたいなことはいっぱいあるんですけど。
うん。
やっぱりこう、伝わんないと。
うんうんうん。
こう思ってる、こう感じてるのが伝わんないと、表現にはならないじゃないですか。
こう思ってる、こう思考してるっていう、頭の中がテレパシーのように飛んでいくわけじゃないんで。
うん。
だから、そうそう、僕が提案した、いい演技の作品とか、作品の中の抜粋みたいなのといった、
えーと、映画のトニー・タキタニョという作品で、これは村上春樹さんの短編の実写画なんですけど、
うん。
えー、残念ながら配信がね、されてなくて出れないんですけど、伊勢尾形さんと宮沢理恵さんの作品で、
えー、その中で、えー、宮沢理恵さんが泣く芝居が、シーンがあって、
で、それは、大量の、ウォークインクロゼットの中の大量の服を見て、泣く、泣くんですけど、
はい。
流れにはならないかな。まあ、本になってるからね。
うん。
で、えーと、それを見て伊勢尾形さんが、なぜ泣いてるんですか?って聞いて、すいません、わからないんです。
きっと、こんなにたくさんの服を見たのが初めてで、びっくりしてるんです?って言って泣いてるシーンがあったんですけど、
それね、本当に、自分がなぜ泣いてるか分かってないってことが伝わってくるんです。
へー。
あ、この人本当に何で泣いてるか分かんないって、思って泣いてるわっていうのは、確実に伝わってくるんです。
すごい。
これはすごいなと思うシーンで、
すごいのは、やっぱりそれがね、技術じゃないんですよ。
へー。
技術じゃないっていうのは、その場の技術ではないんですよ。
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うんうん。
その場で何かしてるから、これが伝わるんだなと、こう動いてるから伝わるんだなっていうのじゃなくて、
やっぱりその内面から出てるものに、そのシーンに間違いがないので、
うん。
それはジェシカさんが言ったように実感があるとか、説得力があるってことになるんですけど、
そこが100%そうだなっていうことが伝わってくる。
うーん。
っていうので、そこがそういう気持ちが明確であって、それが明確に伝わってくるっていう感じ。
うーん。
100%のものが100%伝わってくるって感じ。
うんうん。
だからそこはもう完全に、そこだけ抜粋してもいい芝居、いい演技と言えるかなっていうことで、
配信されてないから見れなかったんだけど、提示したんですよね。
うーん。
そういう、泣く芝居なんかだと割とその、要は他の動きができないから、割とあって、
なんかもう一個思いついたのが、昨日何食べた。
昨日何食べた。
で、うちのセイヨンさんが、昨日何食べたのシーズン1の最終回かなんかで、
うん。
これもやっぱり泣く芝居があって、
芸のカップルだから、カップルの役なんだけど、うちのセイヨンさんは心は乙女な役だから、
うーん。
泣くシーンがあったんだけど、その時の泣いてる演技を見て、当時一緒にいた嫁が、
すごい、ほんとに女の子の泣き方してる。
うーん。
って言ってて、確かにそうだよね。
うーん。
乙女の泣き方をしてるわけ。
うんうん。
それはだから形的な泣き方じゃないよね。
えー、すごい。
恋する女の子の泣き方をしてて、それに女性はすごく共感しちゃったわけ。
うーん。
あー、なるほどな、これはやっぱり明確で嘘がないって感じがするねっていうのは、そのシーンでも思ったんですよ。
うんうんうん。
なんか泣いてるシーンが続いたのは、多分その余計な動きがしづらいからだと思うんだけど、演技的に。
うん。
でもそういうことだよね、それ明確に伝わるもんねっていうのは、その2つのシーンがパッと頭の中に思いついたんですよね。
うんうんうん。
で、切り取るんであれば。
うんうん。
っていう感じ。
うんうんうん。
なんですけど。
なるほど。
わー、どうしたらいいんでしょう、そんなの。
でも基本的にはその前後もきちんと作ることじゃないと思っちゃう。
あー、そうですね。
そこだけパッとやってるわけじゃなくって、やっぱり前編通して、その嘘がなかったり。
うんうん。
っていう役作りをしてるから、そこでもっと表面化するシーンでも、やっぱり嘘がないよねっていう。
うーん。
途中切り張りしてたら、絶対そこがガタついちゃって、そこに行けないとか、そこに行くエネルギーが弱いとかになって、そこを無理やり求められてるものに合わせようとすると、無理が出て、無理が生じて、嘘っぽいとか実感がないとかになるんじゃないかなと俺は思ってる。
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うーん。
と思ってるんですよ。いい演技ってのは、この明確さ。
うーん。
と思っています。
うーん。いや明確であるのはもう絶対大事ですよね。
記者さんが迷ってたら、もう迷ってるので出ちゃいます。
そうそうそうだね。
だからその、考えてること、感じてることが明確であること、明確でないとやっぱり伝わらないと思ってるんですよ。
うんうんうん。
何考えてるか分かんないってことが言いたいんだったら、何考えてるか分かんないってことが伝わんないといけないんですよ。
うんうんうん。
それは例えば、これ漫画だったかな、何考えてるか分かんないっていう役を提示したかったら、何もしてない状態ではやっぱり伝わんないですよね。
なんか突拍子もないことをするから何かしてる、考えてるか分かんないってことが伝わるみたいなキャラクター作りがあって、
そういうのを他のどこでやるから最終的にこの人は何考えてるか分かんないっていうことが伝わるみたいなことの計算というかコントロールだよね。
うんうんうん。
そういうのを含めてコントロールするからそこが明確になってくるみたいなことの技術なんではないかなと思ってます。
うんうんうん。なるほど。
いやー面白いですね。
なんかね私もあんまり演技経験はないんですけどたまに役者をやらせていただく上で、
ほいほい。
なんか演出やってる時と役者やってる時と全然違って、気持ちも違うしもう姿勢が違うんですよ、稽古場に入る。
身体、ほんと身体的な姿勢が違って。
演出の時は足組んじゃったりとかしちゃうんですよ自然に。
でもやっぱり俳優すごく役者をやらせていただく時なんか、ちょっと動心に帰るというか。
結構いつもワクワクした気持ちで稽古場に行くなと思って。
演出する時とはマインドがちょっと違って、
自由度が高いイメージがあるんです、稽古場の中で。
なんか受け身、与えられる側と与える側じゃないですけど、
やっぱりなんかちょっと立場の上下とかではなくて、
教師と生徒みたいになった時にやっぱり生徒側で入れるというか、
なんかヒエラルキャ抜きにしてですね、役割的な気持ちで。
すごい自由なんです、気持ちが。
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パッとその言葉で思ったのは、
将棋でさ、王様は王様じゃないんだろうけど、
王様は1マスずつしか動けないけど、
札とか競馬とか飛車とかはピヨーンって行けたりするみたいな。
コマの動きがさ、できるみたいな感じよね。
王っていう名前が良くないけど、あれが演出家っていう。
だから版面全体見てると、そういう動きを支案する。
動かし方を支案するっていう立ち位置だけど、
実際飛車でピヨーンって行ったら楽しいよねとかさ、
行けるんだったらピヨーンって行っちゃえみたいな、
動かし方で楽しめるってことは良いよねっていう感じじゃない。
その結城さんと一緒に出たワークショップの講演の中で、
講師の先生とか演出家の方が、
良いお芝居って実感がないみたいな。
自分ではよく分からなかったけど、
なんかすごい疲れたっていう時が良いお芝居なんだよって言ってて。
自我がないってやつね。
また前回に戻りますけど、
え、やりがい大丈夫そうって。
役生さんのやりがい。
やりがい作詞じゃん。
やりがいヤバくないですか。
良い演技したって思った時はダメで、
良いお芝居できたのかなこれ。
分かんない、めっちゃ疲れたわっていう日のが、
良いお芝居になってて。
それが上手くなっていけばなっていくほど、
その日が増えていくってことじゃないです。
分かんないですけど、
お芝居が上手くなっていくということは。
でもほら、別に俳優っていう職業は、
感情解放の仕事ではないから。
代弁の仕事。
こちらのね、それこそコマのように動いて、
その作品にキャラクターとして参加する。
キャラクターを動かすために参加するみたいな感じなので、
そこ表現は歌とかさ、
自分で作った歌を歌うとかさ、
自分の思った絵を描くとかさ、
陶芸をする。
そういうことじゃない。
そういうことではない。
自分の思い通りにやってみたいっていうことと、
イコールではないから。
ただし職業として、
自分の考えが反映されやすかったり、
あるいは自分の得意なことを生かしたりすることは、
しやすい職業ではあるわけですよね。
自分の用紙とか。
そういう自分の個性が、
入る余地が大きいっていうことはあるんだけど、
別にほら、繰り返しになるけど、
感情解放じゃないから、
全然違う殺人犯の役とかもやらなきゃいけないわけじゃん。
それで、英語一回しかできませんとか、
歌いながらできるわけじゃん。
その辺は全部コントロールするとか、
技術とかを持ってないと、
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ずっとはできないよねっていう感じ。
そうですよね。
だから、受け身の仕事って言われて役者は、
演出家さんに今とっても実感あって、
マジありがとうって感じ。
マジでありがとうですよね。
本当にありがとうって感じですね。
この辺もほら、いろいろグラデーションがある。
職業間のグラデーションがあるから、
一概には言えないわけじゃん。
何回も言うけど、映像と舞台とテレビドラマでも
仕事の仕方が違うので。
でも、それをちょっと取っ払って考えると、
目指す方向性としては、
俺の考えである、
メーカーであるってことは、
そんなに間違ってないと思うんですけどね。
どうですか?ゆきさん。
この考えに関して。
考えに対して。
明確であることは大事だと思う。
本当にゲストだなって思った。
演出はホストだし。
やってもらってることヤバすぎて。
やってもらってることヤバすぎですよね。
こっちの思想に合わせて、それを表現するためだけ。
前回も言ったけど、
伝えたい人と表現したい人の差があるんじゃない?
割合の違いで、
表現したい人が、自己表現をしたいという欲の強い人が、
エース化とか監督に従うだけっていうことは、
そうするとストレスが溜まるじゃん。
でも、この作品を通じて何か伝えられたらな、
みたいなスタンスだったら、
全然仕事としては負担にならない。
そういうところね。
なんか、俳優という職業を考えなきゃいけないかもしれない。
それが結局、1回目で最初に俺が提示したように、
いい演技っていうのを瞬間で切り取る前提で話すのか、
いい演者っていうスタンスで考えるのかによって、
話がどっちらかっちゃうなと思った。
役者さん、そうですね。
今回の話を聞いて、
マジで労働環境改善に努めたい。
役者さんの稽古ばっかりで。
これは西田敏生さんもずっとやってこられたことだから。
マジで演出家の方、
すいません、同じ演出家として精通ながら言わせていただきますけど、
本当に頑張りましょう、役者さんの満足度を上げて。
それは役者さんに媚びるのは違いますけど、
やっぱり協力いただいている方々に対して、
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すごく演出家同士で喋っていながら、
みなさん、役者さんにはリスペクトがある方々だと思うんですけど。
めっちゃ難しいけど、
さっき職業としての俳優を考えなきゃいけないって言ったのは、
じゃあ小劇場出てたら全員プロかって言われたら、
俺やっぱりそうじゃないと思うし、
プロとかアマとかって言う人はまだ嫌いなんだけれども、
職業としての俳優っていうものを背負ってる人と、
そうじゃない人はいると思う。
で、その現場現場で、それを背負った人と背負ってない人がいて、
一緒くたにやっても絶対うまくいかないし、
何が言いたいかって言うと、
じゃあ俳優全体の労働環境変えようと思ったとしても、
確かに、言おう続けて。
結局、それこそ自己表現をしたい方もいらっしゃるし、
私は普段は社会人なんですけどって方もいらっしゃるし、
だからこれは何が言いたいかって言うと、
すごく過激かもしれないけど、
これはもうずっと言ってることだから、
俳優だけ区切りがないのが、
俺は本当に違うなと思ってるわけですね。
照明さんだったらさ、照明の会社に入ったらまず、
いきなり俺らみたいにじゃあ、
プランナーからね、とかならないじゃん。
下進みってきっちり決まっててお金もらっててとか、
じゃあプロの照明家だねってなるじゃん。
照明さんだねと。
俺らはないからそれが。
じゃあライセンスなのかみたいな。
どっからそれを掻きんのかみたいな、
ところから作っていかないと、
じゃあ俳優守ろうねって言ったら、
私守ってみたいな人めちゃくちゃ出てくると思う。
その線引きがまず学校であると思うし、
学校作るってことになっちゃうけど、
だからイギリスとかさ、
普通に俳優っていう職業がある国には、
そこの学校でかどうかってまず、
4年生の大学で真下からスタートしてるわけだから。
そこがもう本当に、
職業としての俳優を考えたいというところだし、
演出と一緒になるためには、
なんか難しい。
それはよく芸術と芸能の両輪で例えて話すけど、
お金、プロとしての話になってくると、
芸能界とかの芸能になってくるし、
いい演技とか、
作品の良し悪しみたいなことになってくると、
これ芸術的な側面になってくるじゃない。
今話してるのは、
いい演技。
瞬間的ないい演技とはっていうことだから、
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割と芸術的な側面で、
俺は話してるつもりだったんだけど、
継続しなきゃいけないってなると、
芸能の話になってきちゃうし、
今回は芸術的な、
瞬間的な芸術みたいなことで
話していけばいいかなと思ってるんだけど、
そうすると1回でも、
キャリアが浅くても、
瞬間的にはできるかなと思う。
明確な芝居っていうのができるけど、
その人が他の作品でも、
同じようなクオリティのものを
できるとは限らないってところが
難しいよねっていう感じ。
クオリティの担保みたいな話が、
基本的にはプロになると
出てくるわけじゃない?
どんな職業でも。
そうね、どんな職業でもね。
1回すげーうまい料理ができました!
それでプロの料理人かって言われたらさ、
レストランの注文に立て!って言われたら困るわけじゃん。
前提っていうのはそういう話で、
1回でもいい、
すげー美味しい料理ができたらOK!
みたいなところのその料理を
いい演技として語るんであれば、
それをどうすればいいんだろう?
みたいなことなんだけど。
どうしても我々目線だと、
俳優を続けてる側の目線だと、
注文に立ってないのに、
うまい料理が作れました!
って言われてもさ、感覚にはなっちゃうよな。
その視点の差はちょっとあるかなと、
結城さんの話を聞いてて思いますね。
別に高校演劇をバカにするわけじゃないけど、
例えば高校演劇で
作品をやって、素晴らしいものができた!
じゃあその作品に携わった全員が
プロになれるかっていうわけじゃないじゃない?
みたいなこともあるから、
その瞬間はすごくいいと思うのよ。
すごくいいものを目指すんだけど、
そこは我々からすると、
そういう目線になっちゃうかなと。
例えば、稽古期間だってさ、
前提が違うじゃん。
100時間稽古したこの一瞬のシーンを
ご覧くださいみたいな。
1年間の集大成みたいな感じもさ、
いい演技っていうことには変わらないわけじゃん。
稽古期間1時間のものとさ、
稽古期間1年同じシーンやって、
同じクオリティーっていうことも
あるわけじゃない?
え、あります?
あるかもしれない。
その人がものすごく才能、その子にフィットしてて、
その瞬間、
そこで感動するかしないかみたいな、
評価するかしないかみたいなのは
見てるお客様が決めるわけじゃない?
評価があったら、わーってなるわけじゃん。
うん。
それはまあまあ、
21:01
切り取ると結構難しい話、
難しいっていうか、
捉えづらくはなったりするかなーと思ったけど、
でもそんなことないな、
ちゃんとそれでいい演技
と思えるものはあるしなーと思ったり
してますから。
まあちょっと話戻ると、
やっぱり逆に言うと、
明確じゃない、
いい芝居ってのは多分ないと思うんだよね。
うんうんうん。
よくわかんないけどっていうのは、
それは見てる側の捉え方の話で、
今まで話したように、
実感があるとか魅力的とか、
そういうことを含めて、
伝わってるってことだから、
うん。
明確じゃないものがいい芝居ってことは
ありえないんじゃないかなー
というのが俺の結論ですね。
うんうんうん。
なるほど。
そう思ってやってるかなー。
明確さは確かに絶対大事ですね。
たぶん明確っていうのが、
おそらくこの3人でも
違うはずなんだよね。
明確の定義。
明確の定義が違っていて、
そこは説明しづらいのよ。
明確ってのは
わかりやすいってことなんだけど、
うんうん。
まあそんな感じね。
普通にジェシカに
ありがとうって言いたいわ。
え?何がですか?急に?
俳優のこと考えて、
この議題もさ、
何?ってなったのもさ、
じゃあ俳優ってすごい仕事してるね
って言ってくれてさ、
ありがとうって感じです。
ハートフルな、
びっくり、ハートフル着地しました。
まあいいんじゃないですか。
とんでもございません。
本当によくての方々はね。
ありがとうですこちらもね。
ありがとうありがとうで
やっていきたいですねみんな。
では今回も
こんな感じでいいですかね。
はい。
次回は
俺がテーマ出していいですか。
はい。
いろいろ話したいテーマあるんですけど、
今回の
テーマの流れを踏まえて
提示したいのは
客観性について。
おー。
いい芝居って
客観性がないと作れないし、
いい作品もそうだよねと思って、
その客観性について
っていうのは
その客観性の身につけ方とか
うんうん。
そういうことも含めて
話していけたらなー
と思ってます。
いいですか。
もちろん。
という感じで。
客観性ねー。
まあこれをほら
例えばマネジメントとか一般社会でも
第三者意見を聞くとかさ。
うんうん。
自分の客観性の
そういうのって
結構迷う人って多いのかなーと思ったりしてます。
うんうん。楽しみ。
ありがとうございます。
24:01
じゃあこんな感じですかね。
では今回もコジラセシアターをお聞きいただき
ありがとうございます。
番組への感想は
ハッシュタグコジラセシアター
コジラセはひらがな、シアターはカタガナで
Xにポストしてください。出演者の励みになります。
コジラセシアターは毎週木曜日更新予定です。
来週もぜひお聞きください。
それではありがとうございました。
ありがとうございました。
さよなら。