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「ゲームの中で生活ができてたし、アバター後ろに人がいるから、自分に都合のいいことばかりが起こるわけじゃないところも、社会性があるって思った。みんなが同じ条件の中でアバター選んで交流するから、身体能力とかルッキズムから解放されるんだなって。実社会よりも心でつながるっていう意味では本来の自分なのかなとか思った。」
バーチャルの交流を知らない2人がそれについてやんややんやはなしています。
■あらすじ
NETFLIXオリジナルの映画、ノルウェーのベンジャミン監督作品の「イベリン彼が生きた証」っていう映画、あらすじは恋をすることも、友情を育むことも、社会の役に立つこともなく、亡くなったと思っていた難病の息子。若くして亡くなった青年の家族の元に届いたのは、大勢のゲーマー友達からのメッセージ。ゲームログや友達のインタビューから、実はオンラインゲーム上であらゆる経験をしていた彼の人生が徐々に明るみになっていくドキュメンタリー作品。を観た感想。
■目次
・身体能力やルッキズムから解放?
・バーチャルの体験は日常と地続きなんだね。
・てか、バーチャルとリアルの違いって何?
■見た映画
https://www.netflix.com/jp/title/81759420
■文字で読む
https://kohimoto.com/labo/culture/book/17542/
サマリー
このエピソードでは、映画「イベリン:彼が生きた証」を通じて、オンラインゲームにおける人々のつながりや身体能力、ルッキズムからの解放について考察しています。イベリンのゲーム内での経験が現実社会に与える影響を掘り下げ、バーチャルとリアルの境界についても議論しています。特に、バーチャル空間でのコミュニケーションの可能性とその影響が深く探求されています。
映画「イベリン」の紹介
こんにちは、KOHIMOTOの藤本ゆかです。
小比奈たみきです。
このポッドキャストは、普段はウェブ系の会社となんでいるKOHIMOTOの2人が、
よく2人で話題にしているカルチャーを話しのために、社会や人生や仕事のことなどを語っていく音声配信です。
今回はネットフリックスオリジナルの映画で、ノルウェーのベンジャミン・リー監督作品の
「イベリン:彼が生きた証」っていう映画です。
軽くあらすじを話すと、青春も声も社会の役に立つこともなく亡くなったと思っていた難病の息子イベリン。
若くして亡くなった青年の家族のもとに届いたのは、大勢のゲーマー友達からのメッセージ。
メッセージやゲームログや友達のインタビューから、実はオンラインゲーム上であらゆる経験をしていた彼の人生が徐々に明るみになっていくドキュメンタリー作品です。
なんかまず、自分、この映画見て、まず自分がゲーム全然しないから知らなかったけど、ロールプレイゲームってすごいんだね。
ね。なんか、ゲームの中に生活圏ができてたよね。
すごい社会があった。
ゲームって好きなアバター選んで、みんなが同じ条件の中でアバター選んで生活するから、すごい身体能力とかルッキズムから解放されるのがバーチャルなんだなって思って。
それが可能なら、実社会よりもはやそっちの方が魂とか心で繋がるっていう意味では本来の自分なのかなとか思ってきた。
身体が、自分の肉体がある限り、見た目とか能力で、能力もそうだし、あと身体能力とかで他人のこと判断するっていうのは絶対あるから、それを基盤として実社会でコミュニティを形成しちゃうよなって思って。
背が高い低いとかもね。
かわいいとかもそうかもだけど、あと足が速いとかもそうだし、あらゆる外的要因でしか最終判断されないよなって思って。
確かに。
だからそういう意味ではゲームの世界は心のつながりの世界に思えたかな。
確かに。
あとなんか、私もオンラインとかのつながりとかあんまないし、ゲームもやんないから、あれだけど、なんかアバターの後ろに人がいるから、なんか実際の生活家みたいに自分に都合のいいことばかりが起こるわけじゃない?
ところもなんか、なんだろう、社会性があるって思った。
そうだよね。
これって動物の森みたいなゲームなのかな?
動物の森もアバター選んで、その中に社会があって会話とかチャットとかするって感じ?
そう、なんか動物の森はただ生活するゲームなんだけど、もしこのやってたゲームが戦いとかモンスターカオスみたいなのがあったら、そのゲームの上手さみたいのは結構ヒエラルキーになるのかなってちょっと思った。
映画の中で最後イベリンが、マッツが、ゲームの中ではイベリンっていう名前なんだけど、どんどん体が衰弱してって動かなくなってった時に、なんかどうしたってなって、なんでみんなのために動かないんだっていう描写があったから、戦ったりするかも。
そうだね、確かに。
だから活躍とかはあるかも。
イベリンは多分上手だったんだろうね、ちっちゃい頃からやってたりして。
でもあのさ、コンピューターなんかいじってた、イベリンでも操作できるマウスみたいなやつすごいね。
大学、ノルウェーの大学の研究とかにも参加してたよね、親にも一緒で。
うん、なんか、あとなんか、うちらウェブ作ったりしてる会社だから、なんかウェブアクセシビリティってめっちゃ大事なんだなってこの辺が見て思った。
そうだよね、確かに。
なんか、だから、そう、すごい体の不自由とかに関係なくフラットになれる世界なんだなって思って、ここが強いのかなって思ったんだけど。
でもなんか、マッツはその外的、体が動かないっていう要因によって多分優しい面とかもあったりとか、そのゲームで活躍できてる面とかもあるのかなって思うと、なんか難しいんだけど言い方が。
そういう意味では体も含めて自分なのかなっていう思いもするし、すごい、なんかマッツにとって体が不自由なことは苦しいことだけど、ゲームの世界でそのマッツだからこそすごくみんなにとって影響を与えられたっていう点もあるのかなって思った。
リアルとの関連性
確かにね。なんか、自分でそのコミュニティを選べるのはめちゃめちゃいいよね。
学校の友達とかで、身体的な要因とか外的な要因があったりするリアルな友達と、それがハンデになってうまくいかなかったらオンラインが選べるっていうのはめちゃめちゃいいなって思ったし、楽しいところに自分が属せばいいよなって。
そうだよね。
確かにね、自分にハンデがある分、人の痛みがわかるじゃないけど、そういうところもつながってはいそうだよね。
なんか、ゲームの中で、実際の親子が、不登校の息子と母親が、実際にリアルな生活では話とかコミュニケーションができなかったけど、そのマッツが働きかけることによって、
ゲームの中で、その二人が同じ家でパソコンをしながら対話するみたいなシーンとかもあって、それはめっちゃいい話だなって思った。
すごいいい話だよね。
なんか、私が勝手に今までゲームってなんだろう、社会とは離れたちょっと逃避の場所みたいなイメージを勝手に持って行っちゃったんだけど、
このドキュメンタリー見てたら、マッツとかその仲間にとってはただの逃避の場所じゃなくて、そのゲームの中で起きた自分が乗り越えたこととかが実際の社会にもうまく作用して、
マッツが好きになった女の子が鬱だったけどそれを克服してたりとか、そういうリアルへの影響もあるから繋がってるんだなって思った。
ゲームでの成功体験が、例えば引きこもりだったけど、学校にそれから行くことにつながる、ゲームでの対話とか体験が繋がってたりとかしてたよね。
あとその中でマッツがさ、逆に自分の体がどんどん動かなくなっていくことで、自分が活躍できてたバーチャルの中すら逃げたいってなってたから、描写があって。
だからやっぱそこもリアル。マッツにとってはそこも現実に近いのかなって思った。
確かに。それでなんかゲームの中の世界ではすごい完璧な自分でいようとしてて、オフラインの集まりがあったりした時とかも自分は絶対行かないし、ビデオツアー、恋人とのビデオツアーとかもやらないようにしてたけど、
病気のこととか、難病で体が動かないこととかもゲームの中でもカミングアウトとかしてたよね。
だからなんか切り離された空間っていうか、経験、疑似体験?疑似体験でもないのかもはや。
もはや疑似でもなかったよね。見てると。
でもなんか、そんなこと言ったらさ、自分たちもさ、コンテンツ、映画とかさ、ドキュメンタリーとかさ、あとは恋愛リアリティショーとかでさ、疑似体験はみんなしてる気がしてて、自分が体験してないことの体験みたいな。
それに勇気もらって自分も例ができましたとかあるもんね。
うんうんうん。だからなんか、うん。
それで、しかも自分は他者と交流してるから、それとリアルと全くの自分が外側にいる疑似体験との間みたいな感じでしたね。
確かに。
そうなってくると、バーチャルとリアルの違いって何なんだろうっていう風にも、むしろバーチャルの方が心っていう意味では通じ合えたりするなら、よりなんかその違いって何なんだろうと思ってきた。
しかもなんか心っていう部分では通じ合えるし、何だろう、なんかそのゲームの中のマットの行動を見てると、なんか本能的でもあったよね。
なんか例えば恋人になった人とお互い心が恋人だよねって認識しながらも他の女性に声をかけまくったりとかしてて、何だろう、リアルで隠れてやったりすることが明るみになってるけど、なんか本質的な行動でもあったりするのかなって思って。
そうだよね。しかもそれは本当にマッツがその時抱いた感情を元に起こしてる行動だったから、なんかそのまま行動してた。
しかもなんか最後お父さんがお葬式でさ、なんかよくなんか女性にモテましたみたいなこととか言ってさ、なんかそういうゲームの中でのマッツはみたいな、なんかそれでなんか僕はこれを誇りに思いますとか言ってなんか冗談とか。
でも確かにモテてたもんね。
うん、モテてた。
確かになんか、でもなんかリアルだとなんかそういうことってさ、責められたりすることなのかもしれないけど、なんかバーチャルの常識みたいのはちょっとあるのかなって思った。
身体的な繋がりとかがなかったり、会ったことがない人同士なぶん、ちょっと関係性がなんだろう、なんか急須じゃないけど。
でもなんかあのさ、女性、マッツの彼女、めっちゃなんか悲しんで、アニメーションで悲しんでて、インタビューでもなんかすごい辛くなりました。
なんか裏切られた気持ちでしたみたいな。
確かに。
逆にどうなんだろうね、心で繋がってるって思ってるから、そうじゃなかったのかもって思った時に、なんか画面のこっち側で一人ですごいなんか憂鬱になったりもしそうって思った。
独りよがりだったのかなーみたいな。
確かに。
なんか実際に会ってさ、恋人同士みたいな関係とかだったらさ、なんかなんだろ、それをさ、しないようにしようってさ、思ったりとかさ、するのって、なんか会ったことがあるから、なんか相手を悲しませないようにしようみたいなのがなんか大きかったりするのかなって思ったけど、
バーチャルとリアルの違い
でもまぁ悲しいもんは悲しいから、それもなんか関係、2人の関係性によったりもするのかもね、もしかしたら。
確かに。
なんか、イベリンと彼女はそのオフラインでは会ってなかったけど、彼女も会いたそうにはしてたから、会ったらまたね、そこらへんも変わりはするのかもしれないね。
確かにね。
ちょっとやってみたくなった、なんか。
今はかなり忙しいし、なんかリアルが大変すぎるから別にいいけど、なんかおばあちゃんとかになったらやってみたくなった。
なんかでも逆に、例えば現実でなんかすごいつらいとして、なんだろ、本当の意味で、なんか心が安らげる場所になることもあるのかなって思った。
本音が出せる。
だから、そっちの自分もいることで本当の自分に、本当の自分っていうか、なんか。
わかるよ。
そうもなれるのかもって思った。
なんか、さっき言ってたバーチャルとリアルの違いみたいな話に戻るけど、なんか人間の網膜って2次元?2Dでしか物を見れてなくて、で、なんか今までの経験とかから、とか光の当たり方とかそういう立体的に脳内で変換してるんだって、その2D。
だから、それってバーチャルの世界にも通ずるなって思って、バーチャルの世界って2Dだけど、今なんかVRみたいな感じの技術が発達して、3Dみたいに見れることもできて。
で、さらにそれが発達すると、なんかVRじゃなくて、SRとかXRみたいになって、どんどん語感が感じられるようになってくるなって。
なんか味とか、手触りとか、風とか、なんかそうなってくると、なんだろう、人がバーチャルで作り出した世界と今の世界って何が違うんだって。
確かに。
なんか前までは、仮にそれがバーチャルとリアルで、なんだろう、2つに分かれてたとして、でもなんか自分はリアルしか基本経験して、ゲームとかもあんまやってないし、なんか何かは絶対違うだろうって思ってたのね。
でもなんかこの映画とか見たら、よりもはやなんかその違いってなんか分かんなくなりそうって思った。
確かに。
なんかあと最近、なんか友達が言ってたのが、なんか人間の脳内で作り出したバーチャルみたいなものが、バーチャル世界みたいなものが、具現、本当にリアルの超鮮明で、
触る感覚もある、食べる味覚もある、風もあるみたいな感じで発達してった時に、なんかなんだろう、これはかなりなんかスピリチュアルみたいなのが入るかもしれないんだけど、
この地球自体が誰かの脳内になんか生成されたものだったりする可能性って、なんだろう、今の技術とかそういうのとかだったら、あれだけど、なんか宇宙とかがどんどん広がってるのとか、もうその人間のイマジネーションとかがどんどん広がってるみたいな感じで、
なんかめっちゃ否定もしきれないなって思って。
その現実にはないけど、みんなの脳が拡張してるってこと?
あ、そう。とか、あとインターステラって見たことある?映画。
見てない。見てないか。
なんかそれみたいな感じで、それはなんか高次元な世界みたいのが別の世界線みたいに存在してて、なんだろう、なんか自分が生きてる、じゃあこの世界が誰かの脳内で作られたバーチャル世界で、うまいぐらいに人間。
アバターってこと?
そう、うちらアバター。で、存在してて、で、なんか他の世界線もあって、いろんな人が同じ実感軸で想像をかけるににしたら。
とかもなんか、なんだろう、今の技術とか今の科学とかだったら説明しきれないけど、なんか説明しきれないことってめっちゃある中で、なんかその可能性も0%とは言えないんじゃない?ってなんか思って。
なんかめっちゃなんかなんだろう、SFみたいな、なんかありえなそうな話ではあるんだけど、そうなってくると、マジでバーチャルとリアルの違いって何なんだろうって。
確かに。しかもイベリンみたいな、イベリン、あ、マッツは、気持ち的にも身体的に自由になれるからバーチャルの方がよりリアルって。
バーチャルの中で生きてたよね。しかもなんか、ハグとかもしたりしたり。コミュニケーションもとったりしたり。それが本当に肉体的な感覚みたいのも伴うコミュニケーションに技術的になっていくと思うんだけど今後。そうなった時に、なんか違いって何なんだろうって思った。
身体能力からの解放
どうなんだろうね。違いが。
違いっていうよりかは、なんか軸が軸みたいになるのかなって思った。
なんか、なんかフィールドの行き来じゃないけど。
なんかそうなった時にさ、現実の方、例えばさ、バーチャルの方がさっきの話で言うとみんながフラットになるとしたら、現実の方がすごい時代遅れの世界みたいな感じになりそう。
求められてるのはそっちそうだよね。
将来的にね。
結構なんか、現実なんか結構体とか痛かったりとかもするし。
でもバーチャルになったら体が痛くなくなるってことはないのか。自分は同じだから。肩こりとかはあるわけじゃないの。
だけど幸せの実感の仕方とかは、こっちの方で感じやすいなとかはあるかもね。
確かに。めっちゃあると思う、多分。
それがなんかバーバラになったらどうなるんだろうね。この人は、ゆかちゃんはなんかリアルの方が。
楽しい。
うん、実感を得てて、私はなんかこっちだなみたいな感じで。
だからやっぱりさ、コミュニティ形成も変わってくんじゃない?
だってめっちゃさ、今ですらさ、イベリン達みたいにさ、バーチャルでギルドみたいな組んでさ、ファミリーみたいに作ってさ。
そこで、だってイベリン1日の何時間だっけ?
12時間とかで、合計2万時間とか行ってた気がする。
うん、過ごしてたりしてたわけだからさ。
ね。
面白いな。
そしたら、ちょっと30分くらい経ちそう。
だから、一旦これで終わりにして、後半また話していこうと思います。
はーい。
では、お聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
27:06
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