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2025-04-14 19:21

生きるのに意味なんてなくて良い、って思えない「イベリン:彼が生きた証」映画感想 #8-2

💭

「死ぬのが怖いじゃなくて、無意味なまま死ぬのが怖い」って、イベリンが言ってたのがめっちゃ印象に残ってて。」

「イベリンに対して会った事もないけど、そんなことないよって思うし、もちろん友達とか家族に対しても。でも自分でこういう気持ちになるのも分かる。」

「私たちが生きる上での、行動指針ってこれの逆じゃない?」


■あらすじ

「NETFLIXオリジナルの映画、ノルウェーのベンジャミン監督作品の「イベリン彼が生きた証」っていう映画、あらすじは恋をすることも、友情を育むことも、社会の役に立つこともなく、亡くなったと思っていた難病の息子。若くして亡くなった青年の家族の元に届いたのは、大勢のゲーマー友達からのメッセージ。ゲームログや友達のインタビューから、実はオンラインゲーム上であらゆる経験をしていた彼の人生が徐々に明るみになっていくドキュメンタリー作品。の感想。


■目次

・家族もゲームに入ったらおもしろかったかも!

・死ぬのが怖いじゃなくて、無意味なまま死ぬのが怖い。



■見た映画

https://www.netflix.com/jp/title/81759420



■文字で読む

⁠https://kohimoto.com/labo/culture/movie/17992/


サマリー

映画「イベリン:彼が生きた証」は、難病で若くして亡くなった少年がオンラインゲームを通じてどのように生きたかを描写しています。家族との関係やリアルとバーチャルの境界についても問いかけています。映画は、彼の経験やメッセージが家族に与える影響を通じて、コミュニケーションの新しい形を提案しています。また、無意味に死ぬことへの恐怖や生きることに意味を見出そうとする思考が表現されています。このエピソードでは、特にコミュニケーションの重要性や社会的な繋がりについて考察されています。

映画の概要とテーマ
こんにちは、KOHIMOTOの藤本ゆかです。
こひなたみきです。
このポッドキャストは、普段はWeb系のKOHIMOTOという会社を営んでいる2人で、
よく話題にしているカルチャーなどお話の種に、社会や人生、仕事のことなどを語り合っていく音声配信です。
今回も前回の続きで、Netflixオリジナルの映画、
「イベリン:彼が生きた証」の感想の続きです。
はい、またちょっと軽くあらすじを話しておくと、
青春も恋も社会の役に立つこともなく亡くなったと思っていた難病の息子、
若くして亡くなった青年の家族のもとに届いたのは、
大量のゲーマー友達からのメッセージ、
メッセージとゲームローブから、実はオンラインゲーム上であらゆる経験をしていた彼の人生が徐々に明るみになっていくドキュメンタリー作品です。
はい、なんか前回さ、バーチャルとリアルの違いって何?っていう話から、
もう境目がなくなって異論みたいになるっていう話してたじゃん。
それで思ったんだけど、なんか映画の中で、
マッツはゲームの中で多くの時間を過ごすことによって、
なんか1日12時間とか、
で、そっち以上の人生が長くなっていくにつれて、
実社会の家族との時間っていうのは、
物理的に一緒に住んでるけど、距離が遠くなってる結果とはなってたのかなって思うんだけど、
家族はゲームの中でそんな社会があって、
イベリンとして生きてることも知らなかったから、
それは複雑というかどうなんだろうともちょっと思ったかな。
うん、確かに。
なんか家族はイベリンが亡くなって、
その亡くなったことを、
イベリンがブログやってたから、
ブログで読んでくれてる人に報告しなきゃみたいな感じで、
報告したらめっちゃメッセージが届いたんだよね。
だから、ゲームとかで何をやってたかとか多分あんま知らなかったんだよね。
そう、だから後からそういう世界があって、
イベリンがいろんな自分の経験をしてたっていうことは、
家族にとっていい報告だったし、
良かったと思うんだけど、
その時間があるがゆえに、
一緒に家族で旅行したりとか、
そういう時もずっとゲームやってたりとか、
そうなるのは家族的にどうだったんだろうっていう。
うん、確かに。
でもなんかさ、優しい家族だよね。
なんか私とかがさ、息子がさ、
そんなにさゲームずっと朝から守りしてたらさ、
ちょっとは一緒にご飯とか食べようよとか、
なんかゲームをちょっと制限しちゃったりしそうだけどさ、
それをせず好きなことを、
そのコントローラーとかも家族が多分買ってあげたりとかさ、
好きなことをしていいよってなんか言えるのってすごいなって思った。
確かに。
でもある思春期で、
ある意味家族に別にすべて話さないっていうのは、
みんなそうなのかな、その。
うーん、そうなのかな。
友達との時間が長くなったりするもんね。
うん。
それでその時のさ、恋愛の様子とかはさ、
もちろんそんな全部言う人もいるかもしれないし、
言わない人がいるっていうのはみんな、まあそうだから。
でも甘いものだったら、
そっちの時間が長くなったら、
なんか家族との時間が短くなって、
家族がちょっと寂しいよって、
なんかリアルとバーチャルのバランスみたいのが、
バーチャルにあれだよね、たぶんいっぱいになったら、
そのリアルの関係が給水になってしまうんじゃないかっていうことだよね。
そう。
確かにね。
でもそのゲームイベントっては、
ゲームの中に入るっていうのがある意味なんだ。
例えば家族で会話とかする時とかも、
タイムラグとかが発生したりとかすると思うんだけど、
ゲームの中だとそことかも、
もうちょっとフラットになったりして。
みんなが同じ文字を打ち込むっていうベースだもんね。
そうそうそう。
だからよりいろいろ話せたりもするっていうのもあるって思うと、
なんか家族でゲームをしてもよかったのかな?
わかんないけど。
確かに。親子みたいに。
なんかみんなそれの中に入って、
イベリンと話す時間みたいなのがあったりしても結構よかったのかもね。
自分の生活に当てはめすぎると、
ゲームやるのってどうなの?とかなっちゃうんだけど、私とか。
それ、食事中にとかさ。
でも、それは私がこういう、
自分がこういう生活だからであって、
なんかそういうやり方とかもあるのかもってちょっと思った。
確かに。そっちに寄せるじゃないけど。
そっちのコミュニケーションの方が取りやすいんだったら、
そっちに自分が寄せるとかは確かに。
もしかしたらやってたら結構面白い。面白いっていうか。
もうちょっと家族との時間も。
確かにね。
でもなんか温かい家庭だなって思った。
なんか制限とかしたりせずにさ。
確かに。
だってイベリンの恋人、ゲームの中の恋人の女の人はさ、
ゲーム制限されてなんかコンセント切られてたよね。
なんかもう学校の成績が悪いからみたいな感じで、
ゲーム取り上げられたりしてたけど、
なんかそれが普通じゃない?ってちょっとなんか。
なんかやりそう、自分。
でもさ、子供がやりたいこととかさ、
その中で何が起きてるかとかをさ、
イベリンがさ、なんか手紙書いてたじゃん、両親に。
書いてた。
それでさ、また両親もさ、
なんかそういう社会があったんだみたいな感じになってさ、
大会とかしてたじゃん。
だからなんか固定概念でダメみたいな感じじゃなくて、
もう一歩先を知ったり想像したりすると、
よりなんかいいのかもね。
そうだよね。
私も多分何も知らなかったら、
もしそういう立場、自分が親でそういう立場になったら、
ダメってやりそうだけど、
この映画とか見た後だと、
なんか奪っていいのかっていう感じになる。
わかる。
難しいけど、本当にその生活の中でどういう判断するかは難しいけど、
そういう意味でもなんかこの映画はなんか、
いろんなことを考えさせられたっていうか。
確かにね。
しかもなんか、役者さんがやってるんじゃなくて、
実際に本当に一緒にゲームをプレイしてた人がインタビューで答えたりさ、
出てたりしたじゃん。
それもなんかリアルだなって良かったなって思った。
そうだね、確かに。
ドキュメンタリーだけど、そういう回想シーンでは、
ホームムービーが挟まったり、インタビューがあって、
アニメーションで、
ゲームの中でのコミュニケーションを再現してるみたいな感じだったよね。
確かに。
なんか話がちょっと変わるんだけど、
なんか、イベリンがゲームをやってる中、
イベリンが映画の中で、
死ぬのが怖いじゃなくて、
無意味な死への恐れ
無意味なまま死ぬのが怖いって言ってたセリフがめっちゃ印象に残ってて、
なんか、
親とかからさ、してみたらさ、無意味なわけないじゃん。
障害があろうがなかろうがこととか。
なんか、それに、なんか、
ゲームの中とはいえコミュニケーションをすることで、
実際にいろんな人に影響を与えてた。
うん。
し、なんか、なんか、無意味。
なんか、生きてるだけで、なんか、
無意味なことなんて絶対ないと思うし、
なんか、外から見ると、
そんなこと思う必要ないよって、なんか、
思ったりもするんだけど。
わかる。
私も、
人に対してとかは、なんか、
イベリンも会ったこともないのに、
その言葉すごい、なんか、
印象に残って、
別に会ったことないけど、そんなことないよって思うし、
もちろん、
友達とか他の人に対しても、
なんだろう、
そんなことないって思うのに、
でも自分で、
イベリンみたいな気持ちになるのは、
わかる気もする。
うん、確かにね。
なんか、その、
社会の中で生きていく中で、
ただ、
本当は、
呼吸して寝て起きてご飯食べて、
なんか、
それ、
で、
いいはずではある。
けど、
なんだろう、
なんかそういう感情になるのはめっちゃわかるって思って、
うんうん。
なんか、
逆にこの、
なんか、
私たちが生きる行動指針って、
これの逆なんじゃないかなって思って、
なんか、
無意味なまま死ぬのが怖い。
って多分みんな思ってて、
だから、なんか、
自分の人生を意味あるものにする行動をする。
例えば、
仕事をしたりして、
その、
なんだろう、
社会の役に立ってる。
って思ったりとか、
あとはなんか、
子供、
結婚して子供を作って、
子供からまとめられることってすごい意味のあることだから、
母親として。
なんか、
心が充実したりする。
なんだろう、
なんか、
障害があるないに関わらず、
なんか、
生きてるだけで、
この感情はめっちゃ、
多分誰もが持ってるし、
みんながそれを、
それの逆の行動をしてるの。
自分の人生に意味をつけていくじゃないけど、
意味付けしていくっていうのが、
今の、
この社会に、
生きる人間の行動指針なのでは?
コミュニケーションと社会的繋がり
ってなんか思った。
社会が、
人との関わりでできてるし、
そういう中で、
大人になって働いたりとか、
それで、
それぞれの行動で、
社会が成り立つ。
そこで生きてるっていう上では、
そういう指針になるのかもね。
そうだよね。
なんか逆に、
この社会が、
その助け合いによって成り立ってる社会、
そういう人とが。
であるから、
こういう感情にもなるんだろうな、
なることもあるんだろうなって思う。
なんか、やらなきゃっていうか、
自分もやりたいって思う。
でもやっぱそこに障害があったり、
病気があったりとか、
それとなんか、
やりたくてもできないことがすごい多くて、
歯がゆいだろうなって思う。
そうだよね。
でもやりたくてもできない中で、
なんかやっぱゲームの中で、
コミュニケーションとかをしたり、
なんか探偵事務所をやってたじゃん。
それってなんかもう、
人助けをしたいっていう、
なんかその欲求の現れだし、
実際に人助けをめっちゃしてたから、
なんかやりようがあるんだなって。
そうだよね。
なんかね、すごいいろいろ、なんだろう、
新しい視点というか、
ハッとさせられたこの、なんか、
まず私は本当にバーチャルが、
切り離されたものって思ってたから、
なんとなく。
でもそうやって、
その人にできることが繋がっていくっていう、
しかもなんかこんなに、
リアルに影響を与える、
なんか温かいコミュニケーションじゃないけど、
なんかそういうのが気づかれ、
なんか殺伐としてる感じのイメージもあったから、
気づかれるんだって思って、
なんかいいなって思って。
そうだよね。
多分本来のSNSとか、
バーチャルの在り方は、
このコミュニケーションで、
なんか心が満たされるとか、
なんか穴が埋まるとか、
だった時もあったかもしれないけど。
なんか共感し合えたり、
そんなのあったら助け合えたりとかするので、
自分も生き甲斐になっていくみたいなのは、
かなりグッドだよね。
なんかそういうのを、
なんか私たちWebの会社とかやってる中で、
なんか新しい知見として、
すごい得られたなって思ったから、
今後考えたり活かしていけたらいいのかなとも思えたかな。
ね、なんかいい方向に進む何かができたらいいね。
そうだね。
そしたらこの辺で。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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