こんにちは、KOHIMOTOの藤本ゆかです。
こひなたみきです。
このポッドキャストは、普段はWeb系のKOHIMOTOという会社を営んでいる2人で、
よく話題にしているカルチャーなどお話の種に、社会や人生、仕事のことなどを語り合っていく音声配信です。
今回も前回の続きで、Netflixオリジナルの映画、
「イベリン:彼が生きた証」の感想の続きです。
はい、またちょっと軽くあらすじを話しておくと、
青春も恋も社会の役に立つこともなく亡くなったと思っていた難病の息子、
若くして亡くなった青年の家族のもとに届いたのは、
大量のゲーマー友達からのメッセージ、
メッセージとゲームローブから、実はオンラインゲーム上であらゆる経験をしていた彼の人生が徐々に明るみになっていくドキュメンタリー作品です。
はい、なんか前回さ、バーチャルとリアルの違いって何?っていう話から、
もう境目がなくなって異論みたいになるっていう話してたじゃん。
それで思ったんだけど、なんか映画の中で、
マッツはゲームの中で多くの時間を過ごすことによって、
なんか1日12時間とか、
で、そっち以上の人生が長くなっていくにつれて、
実社会の家族との時間っていうのは、
物理的に一緒に住んでるけど、距離が遠くなってる結果とはなってたのかなって思うんだけど、
家族はゲームの中でそんな社会があって、
イベリンとして生きてることも知らなかったから、
それは複雑というかどうなんだろうともちょっと思ったかな。
うん、確かに。
なんか家族はイベリンが亡くなって、
その亡くなったことを、
イベリンがブログやってたから、
ブログで読んでくれてる人に報告しなきゃみたいな感じで、
報告したらめっちゃメッセージが届いたんだよね。
だから、ゲームとかで何をやってたかとか多分あんま知らなかったんだよね。
そう、だから後からそういう世界があって、
イベリンがいろんな自分の経験をしてたっていうことは、
家族にとっていい報告だったし、
良かったと思うんだけど、
その時間があるがゆえに、
一緒に家族で旅行したりとか、
そういう時もずっとゲームやってたりとか、
そうなるのは家族的にどうだったんだろうっていう。
うん、確かに。
でもなんかさ、優しい家族だよね。
なんか私とかがさ、息子がさ、
そんなにさゲームずっと朝から守りしてたらさ、
ちょっとは一緒にご飯とか食べようよとか、
なんかゲームをちょっと制限しちゃったりしそうだけどさ、
それをせず好きなことを、
そのコントローラーとかも家族が多分買ってあげたりとかさ、
好きなことをしていいよってなんか言えるのってすごいなって思った。
確かに。
でもある思春期で、
ある意味家族に別にすべて話さないっていうのは、
みんなそうなのかな、その。
うーん、そうなのかな。
友達との時間が長くなったりするもんね。
うん。
それでその時のさ、恋愛の様子とかはさ、
もちろんそんな全部言う人もいるかもしれないし、
言わない人がいるっていうのはみんな、まあそうだから。
でも甘いものだったら、
そっちの時間が長くなったら、
なんか家族との時間が短くなって、
家族がちょっと寂しいよって、
なんかリアルとバーチャルのバランスみたいのが、
バーチャルにあれだよね、たぶんいっぱいになったら、
そのリアルの関係が給水になってしまうんじゃないかっていうことだよね。
そう。
確かにね。
でもそのゲームイベントっては、
ゲームの中に入るっていうのがある意味なんだ。
例えば家族で会話とかする時とかも、
タイムラグとかが発生したりとかすると思うんだけど、
ゲームの中だとそことかも、
もうちょっとフラットになったりして。
みんなが同じ文字を打ち込むっていうベースだもんね。
そうそうそう。
だからよりいろいろ話せたりもするっていうのもあるって思うと、
なんか家族でゲームをしてもよかったのかな?
わかんないけど。
確かに。親子みたいに。
なんかみんなそれの中に入って、
イベリンと話す時間みたいなのがあったりしても結構よかったのかもね。
自分の生活に当てはめすぎると、
ゲームやるのってどうなの?とかなっちゃうんだけど、私とか。
それ、食事中にとかさ。
でも、それは私がこういう、
自分がこういう生活だからであって、
なんかそういうやり方とかもあるのかもってちょっと思った。
確かに。そっちに寄せるじゃないけど。
そっちのコミュニケーションの方が取りやすいんだったら、
そっちに自分が寄せるとかは確かに。
もしかしたらやってたら結構面白い。面白いっていうか。
もうちょっと家族との時間も。
確かにね。
でもなんか温かい家庭だなって思った。
なんか制限とかしたりせずにさ。
確かに。
だってイベリンの恋人、ゲームの中の恋人の女の人はさ、
ゲーム制限されてなんかコンセント切られてたよね。
なんかもう学校の成績が悪いからみたいな感じで、
ゲーム取り上げられたりしてたけど、
なんかそれが普通じゃない?ってちょっとなんか。
なんかやりそう、自分。
でもさ、子供がやりたいこととかさ、
その中で何が起きてるかとかをさ、
イベリンがさ、なんか手紙書いてたじゃん、両親に。
書いてた。
それでさ、また両親もさ、
なんかそういう社会があったんだみたいな感じになってさ、
大会とかしてたじゃん。
だからなんか固定概念でダメみたいな感じじゃなくて、
もう一歩先を知ったり想像したりすると、
よりなんかいいのかもね。
そうだよね。
私も多分何も知らなかったら、
もしそういう立場、自分が親でそういう立場になったら、
ダメってやりそうだけど、
この映画とか見た後だと、
なんか奪っていいのかっていう感じになる。
わかる。
難しいけど、本当にその生活の中でどういう判断するかは難しいけど、
そういう意味でもなんかこの映画はなんか、
いろんなことを考えさせられたっていうか。
確かにね。
しかもなんか、役者さんがやってるんじゃなくて、
実際に本当に一緒にゲームをプレイしてた人がインタビューで答えたりさ、
出てたりしたじゃん。
それもなんかリアルだなって良かったなって思った。
そうだね、確かに。
ドキュメンタリーだけど、そういう回想シーンでは、
ホームムービーが挟まったり、インタビューがあって、
アニメーションで、
ゲームの中でのコミュニケーションを再現してるみたいな感じだったよね。
確かに。
なんか話がちょっと変わるんだけど、
なんか、イベリンがゲームをやってる中、
イベリンが映画の中で、
死ぬのが怖いじゃなくて、