ポッドキャストの紹介とゲスト
こんにちは、tsukanomaです。この番組は、声の発信を文化にすることで、組織や社会の見えない壁を越えていくポッドキャストです。
今日は、なんと東中野にあるポッドキャストスタジオ付きクラフトビールバー 雑談さんからお届けしております。
というわけで、もちろん一人ではなく、ゲストをお招きして話していきたいと思っています。
まずゲストというよりは、どっちかというとこっち側で、私の会社の同僚の高村さんです。
高村です。よろしくお願いします。
tsukanomaさんと同じ会社で働いています。
以前、雑談さんのフロム雑談のポッドキャストで、ジェンダーについて語ろうみたいなタイトルの回に出させていただいています。
そうですね。僕と高村さんと、あともう一人会社の同僚と渋さんと、という感じですよね。
完全に酔ったノリで収録しました。
今日もだいぶ飲んだ感じで。
私もすでに3杯目なんで、いい感じに酔っぱらっています。よろしくお願いします。
高村さんは心理学の博士ということで、心理学って人文科学になるんですかね。
日本だと人文科学になります。
人文科学つながりというわけではないんですけども、今日のメインゲストは文化人類学者になり、トコネタ。
トコネタ?
はい、室越隆之介さん、室野さんです。
よろしくお願いします。
本当に室野さんはずっと話したいなって思っていたんですけど、
もう僕の中で心の距離が遠すぎて、
というのは室野さんの世界を見る見方とかがあまりにレベルが高すぎて、
もう僕じゃ全然話できないなってずっと思ったりとかしてたんですけど、
もうこれは今回勇気を出して室野さんにゲストに来ていただきたいという話をして、来ていただいたということで本当にありがとうございます。
どうでもないです。ありがとうございます。こちらの放送を読んでいただいてありがとうございます。
本当にありがとうございます。
今日は室野さんと話していきたいんですが、実はもう一人ゲストと言いますか、今日はスタッフワークとしてですかね。
はい、スタッフです。
前回僕の番組にゲストに出ていただいたレクリエーションポートの小宮みや子さん。
はい、こんばんは。小宮みや子です。
今日はスタッフということで前回2回に分けて話していただいたんで、何をやればいいですかね。
ちょっと今、勘弁もなければストップウォッチもないんですけど、
一応スタッフ、オーディエンスだと思っていただいて、
分からないことがあったら代わりに皆さん質問させていただきますので。
よろしくお願いします。
本当は小宮さんと前回中村君と3人で小宮さんの個展に出向いて収録させていただいたんですけど、
ここで言ってたんですよね。
だから室野さんと高村さんと中村君もここに来て収録できたらいいなと思ったんだけど中村君が都合が合わなかったんで、
小宮さんのギャラリーの方にお邪魔して収録するという形で先行して収録したと。
そういう流れで、なんで小宮さんもせっかくなんで今日も来てくださいという感じで。
ここ1週間ぶりぐらい、1週間ちょっとぶりですか。
そうですよね。
すごい斉藤さんに会う頻度が高まっている。
そんな感じですけど。
ありがとうございます。
というわけで、今日はこの3人で始めていきたいなと思いますが、
ポッドキャストと価値のテーマ
今日も12月21日ということで、忘年会という感じでやっていきたいなと思っていますので。
絶談ですからね。
最初に乾杯をしていけたらなと思っています。
乾杯!
乾杯!
忘年会お疲れ様でした。
美味しい。
ビール飲みながら収録とか最高ですね。
酒しか勝たん。
というわけで、ここからいろいろ話をしていきたいと思うんですけど、
とりあえずテーマは、テーマというかお題として、
今日はポッドキャストと価値というお題をちょっと一応掲げています。
それはなぜかというと、やっぱりこのもともと僕がこのポッドキャスト番組を越えていくっていうものを始めている経緯も、
やっぱりポッドキャストっていうのがすごくいいよねっていう。
それはなぜいいのかっていうのを、僕もまだ言語化あまりできてないから、
それを探求していく過程を配信しているっていうような感じなんですけど、
だからポッドキャストってすごくいいなと思いながら、
ここのフロム雑談さんの番組とか聞いていると、
室さんとめちくろさんとかがめちゃくちゃヤバい話してるなっていう。
めっちゃ難しい。
難しい。なんか僕がこういう価値あるよねっていう、
こういういいとこあるよねって思っているところを、
もうすごい高い解像度で話している配信があったりとかする中で、
室さんがずっと価値を考えてるんですよって話もあったりとかして、
我々会社で働いているサラリー、僕と高村さんは同じ会社で働いていて、
面白いことに、僕の部署名も価値開発とか、価値競争とか、
価値推進みたいな言葉が付くんですよね、名詞に。
高村さんに至っては、もう何でしたっけ。
価値創造戦略本部です。
価値創造戦略本部。
ヤバい名前ですよね。ヤバい名前と思う。
大きい。
ヤバい名前と思う。何してる部署なのか全然想像できなくなる。
なりてぇ。
価値戦略創造、価値創造戦略本部長。
本部長ですね。
強そう。
価値創造ですもんね。作るんですもんね。
作れてるかよくわかんないですけど。
だからやっぱりサラリーマンとしてはね、価値出せ、価値出せって言われるプレッシャーがある中で、
価値とは何ぞやみたいな、そこに感じる違和感みたいなものもやっぱりありながら、
なんか小難しい話というよりは、楽しくポッドキャストの価値について話していきたいなと思ってるんですけど。
ポッドキャストの価値でもあるんですかね。
そうですね。
ここはね、とってしたのは1つ意味はあって、
ポッドキャストの価値もすごく話したいなとは思うけれども、
やっぱポッドキャストの価値に留まらず、やっぱそもそも価値って何だろうっていうところも、
やっぱりもっと話したいなーって思って、
じゃあポッドキャストってどんな価値があるのっていうところも、
なんか個人的には興味あるっていう風に思ってますね。
なるほど。
担当直入に、室さん的に結構ポッドキャストを色々やられてると思うんですけど、
どんなところに価値があるっていう風に感じてるんですかね。
えー、難しい質問だな。
ちょっと乱暴な。
価値の考察
価値。
価値、あれですよね。
今お聞きになったのは、価値とは何かみたいな話ですね。
そうですね。まずそこから入ってもらいたいです。
僕が価値っていうものをどういう風に考えているかっていうと、
人間を動かす時に、それが自分であれ他人であれ、
一人称であれ二人称であれ三人称であれ動かす時に、
人間の動きみたいなのを媒介するものが価値だと思うんですよ。
媒介する。
例えば、物の価値とかっていうのは、
例えばそれを手に入れたいと思わせてくるわけじゃないですか。
このような作用のことを多分価値と呼んでるんだと思うんですね。
僕らが手に入れたいと思った時に、
それは価値あるものになっていくわけですよね。
だいたい現状ではほとんどの物とか、
事物とか情報とかにオーナーがあることになっているので、
じゃあその手に入れたいものっていうものがあった時に、
そのオーナーからその所有権を通してもらうっていうことが必要なんですけど、
そうするとそのオーナーをどのようにかして動かして、
その所有権を遺憾させるっていうことをしないといけないじゃないですか。
その時に必要なのがオーナーを動かすっていう動きが必要なわけですよね。
これが価値になるわけです、また。
我々の社会においてはそれが分かりやすく一つの指標として、
現金っていうか貨幣を使っているので、
人の動かしやすさみたいなのが貨幣である程度外的に表示されていると思うんですよね。
あなたがこのような所有権を欲しかったらいくらにしてくださいと。
そうするとこの物の所有権っていうのを移動することができますみたいな。
貨幣の所有権を動かすことによって物の所有権を動かすことができるっていうような、
こういうふうな座組みになっているんだけれども、
これが例えば売買の場ではなくても、
何かプロジェクトを推しようとする時に、
そのプロジェクトに巻き込みたい人を説得するっていうのは、
その何らかの自分が出す価値みたいなものっていうのを、
がないとその人は動いてくれないわけですよね。
これがその人にとって何の良い嬉しいことがあるのかみたいなことがないと、
その嬉しさみたいなものっていうのがやっぱり価値と言われるものかなと思っていて、
なのでポッドキャストの価値っていうのは、
すごい難しい問いだなと思っていて、
誰の何を動かす時に、
そのポッドキャストがどういう立ち位置にいる時の価値なのかっていう話になると思うんですね。
つまり、ポッドキャストの持つ客観的な価値とか、
ポッドキャストが発揮する、
番人に発揮する何らかの価値みたいなのはあんまないのかなと思う。
という感じです。
今言っていただいたのは、
市場価値と市場価値じゃないものの価値というか、
前フロム雑談で話していたのが、
ジョセフ・ラズでしたっけ?
の価値っていうのが、
自分との愛着みたいなものが人それぞれあって、
例えば自分の持っているiPhoneみたいなものは、
自分にとってすごく愛着のあるものだから、
自分にとって価値があるけどとか、
他の人に対してはそうでもなかったりとか、
そういう部分の価値があって、
iPhoneよりあれかも、
子供の時に好きだったぬいぐるみとかの方が、
iPhone使用価値があるから、
自分にとってしか価値がないものみたいなものの方が、
愛着とは何かが伝わるかもしれない。
そこで話されていたのが、
ジョセフ・ラズが言っている価値の考え方と、
市場価値の価値って結構真逆の話をしているなって話をしていたと思うんですけど、
でも今言っている話って市場価値よりかなって最初思いつつも、
でもそうでもないなっていう。
真逆だねって僕もしかしたら言ったかもしれないけど、
僕の理解ではあまり別に逆じゃなくて、
連続線上のものにある、
誘引するものみたいな、
誘引するものを価値と我々は呼んでいるんだろうなって思っています。
誘引って面白いですね。
私は割と幸福度的なもので価値を持っていて、
そのポッドキャストっていわゆる価格とか、
資本主義的な意味じゃなくて、
要は数値化できないものについてのものなのかなと思いつつ、
かつて言って、今聞いていると思うんですけど、
価値を想像しなきゃいけない人たちがいるっていう話をしていて、
想像しなきゃいけない人たちがいるっていう話があったじゃないですか。
そうすると、こういう方々は一体何を価値と思って、
何を想像しているのかなっていうのも思ったりして。
ポッドキャストにおける価値の発信
確かに。
ポッドキャストって割と自分自身というか発信側が価値を見出そうとするじゃないですか。
受けてじゃなくて。
だから何か引き寄せつつも、
自分自身がポッドキャストという媒体に見せられていっているみたいなところがあるけど、
何だろう、企業さんとしては引きつけるっていうその方向性だけで一生懸命考えなきゃいけない。
どうですかね、価値を生み出さなきゃいけない高村さん。
社会人として、会社員としての考えと私個人としての考えとちょっと違って、
私個人としてはさっき村さんがお話ししてくださったように、
連続的なものの中にあると思っていて、
価値があるっていうのは、村さん、
人を動かす何か媒介になるものっておっしゃいましたけど、
私の言葉で言うと、その人に何かしらの報酬があるものだと思っていて、
NOがこれは嬉しいって思うものだと思うんですね。
なので、そういう意味では資本主義的な価値も、そうでない価値も、
その人が嬉しいって思う意味では同じ。
なので、同じ傘の下にあるかなって考えていて、
その中でよく会社とかで言われる価値っていうのは、
それはお金を払ってもらえるかどうかっていう、ただそれだけのことかなと思っていて、
お金を払うっていう行為が伴わないけど、
NOが嬉しいって思うことはあるわけじゃないですか。
だからそういうものも価値があるとは言えるけど、
よく会社で言われる価値っていうのは単純に日本銀行券的な、
貨幣が伴う価値のことを価値って言ってるだけなのかなって思ってます。
価値創造って金を埋めるみたいな。
金を積み出せって言われてるのかなって。
一応ね、ちゃんと補足をしておきますと、価値創造戦略もありつつも、
社会価値創造本部だったり、そういうところもあったりしますので。
社会価値ブランディング的な意味もある。
どちらかというと文化的な意味で、ちゃんと文化蓄積をしていきましょうねみたいな感じで、
アートの蓄積とかをしている部門もあるんですけど、
私が所属しているところが言っている価値っていうのは、
お金を払ってもらうほどの価値があるものっていうのはどういうものか、
っていうのを探してきなさいみたいなことかなって思ってます。
人の心を動かす価値
面白い。一企業の中にいろんな意味合いの価値が文書面にそれぞれ違うっていう。
そうですね。だから僕がさっき言ったみたいに、
人を動かすことを価値と呼ぶっていうのはどういうことかっていうと、
人を動かせれば、本質的には何でもキャッシュに変更可能なはずなんですよ。
資本主義社会においてはそれが可能だなと思っていて、
例えば親子の親愛の女王みたいな、自分に息子がいて、
その息子を可愛いと、5歳の息子を可愛いと思いますみたいなのがおって、
お金に換算できないじゃないですか。
お金に換算できないとみんなが思ってるけど、
例えば息子を誘拐して身代金払ってくださいってなったらお金に変わるわけですよね。
それはその愛着のあるものっていうのが、
自分の手から離れていってしまうとか失われるっていう恐怖みたいなものがあったときに、
それを返すという運動の中にお金を払うっていうインセンティブが生まれるっていうことだから、
人の心が初めから動員できていれば、そこの立て付けを、
今は違法な立て付けですけど、
それを例えば息子さんが将来困らないように英語習わせませんかとか、
絵習わせませんかとか、ピアノ習わせませんかっていうのは、
ビジネスモデルとしてあんま変わらないなと思っており、
立て付けをするとそれがキャッシュに変わるっていうのはあり得るだろうなと思うんですけど、
やっぱ本質的には人間の心を動かさないと、
お金も生み出すことができないのかなっていうのは思ってますけどね。
だから、昔みたいに簡単にこういうものはこのくらいの価値があるよっていうのが
なかなか言いにくい時代になってきた中で、
その中でどう価値を生み出すかみたいなところで戦略本部がありつつ、
そのようなどのようなものが価値に変わるんだろうかみたいなところを
いろいろやってると思うんですけど、
その中にそのポッドキャストみたいなものが持っているものっていうのが、
一体監禁可能な価値みたいなものがあるんだろうかとか、
そもそもないけれども、
でもそれが長い時間で見た時にこのくらいの価値になるとか、
ポッドキャストって会社にとって何かいいよねっていう感じで
言ってくれることもまあまああったりとかするんですけど、
でもそれを本当に会社の戦略に結びつけて
何かこう会社にとっていいんですっていうのを
ちゃんとしたところで提案していろうとするとかなりハードルが高くて、
そこがでも僕としては絶対やったほうがいいって思ってるんですよね。
だけどその言語化がうまくできなかったんで、
まだうまくできてないんですけど、
その価値って何だろうなっていうのがもやもやしてるところが。
今日それが出せたらね、斉藤さんの仕事がね、
塚沼さんの仕事が。
僕はもう会社でポッドキャストやらないんですけど、
そういうのがあって、
そもそもそのポッドキャスト自体が結構お金を払わずに得られる情報だったりする中で、
割と鱗井さんが出てらっしゃる番組とかって、
いろんな類のものがあるとさっきもおっしゃってましたけど、
とはいえ結構ナレッジ系じゃないけど、
自分の仕事の中で、
自分の仕事の中で、
自分の仕事の中で、
自分の仕事の中で、
自分の仕事の中で、
情報を提供するとか知識を提供するっていうところで番組やってらっしゃると思うんで、
それこそ、ある意味番組の価値みたいなところで何かつながりあんのかなあって。
やっぱり誰にとって何の価値かみたいなことを外すと、
ターゲットと社内コミュニケーション
やっぱそのポッドキャストが持つ一般的価値みたいなの、
何かの持つ一般的価値もないというのはね、
ポッドキャストに限らず何かの持つ一般的価値みたいなのは やっぱりあんまり僕持ってない あんま考えてなくて
例えばそのナレッジ系のポッドキャストがあるとして 例えば古典ラジオがあるとして
古典ラジオがやる側のインセンティブとしたら 最終的に歴史のデータベースを作りたいわけですよね
で それの投資を得るのが難しいので その投資を得るための認知を受け上げるというか
歴史のデータベースっていうものが どういうものがあると皆さんにとって嬉しいのかっていうことを
伝えようとしてポッドキャストをやっているわけですよね
で それは株式会社古典にとっては そういう価値があるっていう話だと思うんですよ
知識を無料で出すっていうのは その結果どこかのタイミングで
誰かがお金を払ってくれるっていうことを期待しているから それをやっているっていうことだと思うんですよね
で それが確かに果たして効率的な方法なのかっていうのはあるかなと思って
古典ラジオはたまたま成功したけど 効率的なのかみたいな話はあるかなとは思うんですけれども
そのやっぱり企業ごと企業ごととかに それをやるべきかどうかもあるし
そのプラットフォームとしてポッドキャストが適切かどうかみたいな話もあるだろうなと思うので
古典からしてみると そのコンテンツっていうのを聞いてもらわなければあんまり意味がないわけで
聞いてもらうために多くの人が聞きたいと思うようなことを話さないといけないわけですよね
そうするとナレッジを入れたりとか あとはそれを聞くことによって
あなたっていうのがどういう状態になりますっていう ある種のイメージというか
そのご利益みたいな話を渡したりとか 実際にご利益を渡すみたいなことっていうのを
することによってその聞く側はそれが心を動かす 誘因になってそれが価値としてそう起きるみたいな
古典ラジオの場合はそこの循環がかなりうまくいったよねっていう話かなって僕は思ってますね
確かにお互いの価値がそれぞれあるからね 両方考えないとですね
そうです
なんかこうやっぱ価値を考えた時にターゲットは誰なのかとか
それがターゲットが何を欲しているのかって 考えるのは基本だったりすると思うんですけど
なんか自分がずっと思ってたことは そこのターゲットを結構あまり考えてなくて
どっちかっていうと社会みたいなところに結構行っちゃってて
漠然とした方向 抽象的な方向に行っちゃってたんですよね
だからそれ何かっていうと 価値を生み出さなきゃいけないみたいなところの囚われだったりとか
それよりもそれによって閉ざされている一人一人の感じてることっていうのが
会社の中で言ってもあんまり意味ないよねとかっていうところがあると
会社の中でそんなに対話も生まれなかったりとかしていくじゃないですか
特にオンラインでリモートになってさらに
そうじゃなくてもっと自由に話していける場所があったりとか
それがそこの場所にいる人だけじゃなくて
ポッドキャストとかで配信していくと
それをそういう話を聞いて
ああそうかって感じるものがやっぱりつながっていくっていうのが生み出されていくと
なんていうかな
それがある意味文化を作っていく一つの最初のきっかけになるようなところになるなと思ってて
そういう意味で会社の中で感じている
もっとつながったりもっと交流できたらいいのにってところを
ポッドキャストでできるんじゃないかなっていうちょっと思ったところがあるんですよね
でもそこがうまくいってたのかいってないのかわかんないですけど
なかなか難しいなって思ったりとかして
でもそれをちゃんとこういう意味があるんですとか
こういう価値があるんですってなかなか言えなかったってところはあってですね
だからその一つのターゲットに向けてのこの発信っていう意味と
もうちょっとメタというか
なんていうか会社の中の社内コミュニケーションみたいな部分だったりとか
そういったところに対する価値みたいなものもなんかあるんじゃないかなと思って
そうかなんか僕はあんまりそのターゲットというふうにあんまり捉えていなくて
例えばビジネスパーソンに聞いてほしいとか
例えばその40代の女性に聞いてほしいとか
そういうものをターゲットだと思ってる
言われているのかなと思っていて
松金さんはそれを想定されて言われたのかわかんないんですけど
僕が思うのは
それってやっぱ抽象的な人間なんですよね
こういうふうな人間っているよねっていうふうによって作り出された人間であって
そういうふうな属性を持っている人間はいるんだけれども
まさにその人間っていうのはいないわけですよね
年収帯300万から400万ぐらいの東京駅から
1時間半ぐらいの場所に住んでいる30代の男性みたいなに
当てはまる人はいるんだけれども
そこに当てはまる人っていうのは実はめちゃくちゃ多様じゃないですか
ポッドキャストの社会的価値
地方から出てきた人もいれば実家に住んでいる人もいるし
その海外からに行った経験がある人の高学歴の人もいれば
そうじゃない人もいるしみたいな
実は多様なものをターゲットという概念では取り落としてしまうと思うんだけれども
僕が言ってるのはもうちょっと違って
何かをやるときってそれを受け取る具体的な他者がいるじゃんっていう話なんですよね
具体的な他者がいるときにその人をどうにかなってもらおうと思ったら
我々って基本的に2つしか方法がなくて
力を使うか交渉をするかしかないと思うんですよね
力っていうのは例えば権力だったりとか暴力だったりとかするんだけれども
そのなんていうかな
自分が偉いので言って聞かせるか
もしくは相手を殴ってやってもらうかっていう
その力を使うっていう方法と
もしくはその交渉をして
その自分でやってもらいたいことを相手にやってもらうっていうことの2通りしかなく
交渉をやるとその自分が欲しいものと相手の欲しいものっていうのをテーブルに出して
そのすり合わせていくということでしかないかなと思っており
そうすると相手の欲しいものっていうのを自分が出せないのであれば
自分の欲しいものも相手からもらえないのであるっていうことだなって
僕は思っておいて
なんかさっきの塚沼さんの話だと
社会っていう水準っていうのがちょっと僕には具体的にどういうものなのか
よくうまく想像できなくて
さっきの言ったサードプレイス的なとか
もしくはフォースプレイス的なものが
ポッドキャストになる可能性があるのではないかという話は
なる可能性はあるでしょうって僕は思うし
実際にそのように使っている人たちもいるし
塚沼さんがそういう人たちに向けたコンテンツをやれば
そういう人たちが集まってくるでしょうと僕は思うし
そのような価値があるよねって言われたら
あるでしょうって思うっていう感じかもしれないですね
アートの価値と市場
確かに社会というか自分がやりたいことを思った時に
具体的にこうっていうよりは
もっと漠然と結構広いところを持っちゃっているところがあるので
そこのやっぱりとはいえ
具体性をもうちょっと持たなきゃいけないなとは思ったりとかするんですけど
自分たちで何かしらこう得られるものを考えながら発信するっていう目線で
今結構話をしてきて
外の人がこの人たちの取り組みすごいよね
価値があるよねって思わせるのって何だろうっていうのは
今少しお話聞いてと思って
人塚沼さんの中にやっぱり自社でポッドキャストを発信していく
そこに価値があると何とかプレゼンをしたいわけだけれども
どういうふうに聞き手の人たちがどんなところに
この番組価値があると思ってもらえるんだろうなと
そんなのをちょっと考えてみました
価値を不可価値じゃないですけど
人から見て価値があるものと思ってもらえる
でちょっとさっきまでの話だと
その人が何か得られるとか感じられる心が動くもそうなんですけど
人ごととして見た時に
価値があると思わせる
それがたとえ自分にダイレクトに何か得られるものじゃなくても
例えばアートとかだと
いろんな要素があって
最終的にすごい値上がったアートがあったとして
それは金額でもって価値があると誰しも思う
でそれが嫌いな人もいっぱいいるでしょうけど
自分は全然好みじゃないけど
価値あるだろうなとも思ってくるっていうのが
なんか例えばそのポッドキャストの一つの番組だったとして
この人たち自分の好みは別として
価値がありそうだなって思わせるみたいな
なんでしょうね
コテンさんだったら
例えばそういう循環をさせている番組っていうところ自体に
価値があるときっと思う方もいらっしゃる
同じく企業のブランディング困っているところなんかは
コテンさんすごいな
価値があることやってるなってきっと思うでしょうし
どうなんでしょうね
ちょっとエクスキューズしなきゃいけないの忘れてました
僕はもうコテンを離れて久しいんですよ
未だに彼らがそのような気持ちでやってるかどうかは分からないんですけど
そうですね
絵買ったりします
すごいどんな絵を買われる
どんな絵
私好きな画家さんが一人いて有名な方ではないんですけど
たまたま出会って
この人の絵めちゃくちゃ好きだなと思ったので
その方の絵を買って部屋に飾ってるとかは
絵を所有するってどういう感覚ですか
感覚
私は好きなものは自分の身の回りに置いておきたい
タイプの人間なんですね
好きなものに囲まれて生きてたいタイプなので
部屋もそうだし身につけてるものもそうだけど
好きなものはお金を払ってでも
自分の目に見えるところに置いておきたい
それによって毎日好きなものが近くにあるっていう
嬉しい気持ちみたいなのを味わいたい人なので
私は絵を好きだったら買うんですけど
好きな絵が美術館にあるっていうのはどういう感覚ですか
もしくはギャラリーにあるみたいな
それはそれでよくて
見に行って嬉しいなと思うんですけど
持っているっていうのはその嬉しい頻度が上がるだけ
なるほど
そこの線引きというか狭間が絶対ありますよね
この前展示屋ってすごく考えましたけど
かなりのレベルで行ってしまえば
それってコレクターさんの世界であって
それってもう価値がなんて言うんでしょうね
本当に金を持つじゃないですけれども
投資っていう意味でアートをコレクターさん持ってらっしゃる
それが極端に言えば嫌いじゃないものを買っている可能性はある
写真でもたった1枚で今何億っていう値段がついているものが
世界で一番高いものっていうのがドンっていうのがありますけど
多くの方が一般的にはその写真を見て
ナイル川の写真なんですけど
へえと思うわけですよ
へえと思うわけに何億へえと思うけど
喉から手が出るほど欲しい人が絶対いるっていうところとはまた違う世界になるよね
資本主義的な価値って
最大公約数って言い方がちょっといいかもわかんないんですけど
どれだけお金を払う人がいるかっていうところに集約されるから
私が毎日目に入れることによって嬉しい気持ちになるっていうレベルの価値を
世の中にいる人たち分積み重ねた先にあるもの
そのお金を払う人の数というかお金を払うボリュームみたいなものが多いものが
世の中的な市場価値みたいなものに行き着くから
連続線上にもあるものではあるけど
じゃあ自分の価値を感じるものが世の中的に価値があるものかっていうと
それはまた違う話になっちゃうというか
なるほど
作家的な目線で言うと売る時に
言ってしまえばインテリア的な売り方をした方が
皆さんにはお迎えしてもらいやすい
なるほどマスにリーチするっていうことですよね
価値とかではなくてそれこそ額フレームもちょっと変な話
アートのための保存期限とかあまり気にしないで
一層ちょっとオシャレなフレームとかにしてしまって
インテリア的に想像させて
そのギャラリーで見たものを迎えてもらうみたいな方が
売れるんですよねっていうのもあるし
絶対そのある程度の規模を超えた途端に
そこが反転するとは思うんですけど
すごくそれはもう先週の話ですけど
すごく感慨させられたっていうのはありましたね
なるほどな面白いな
なんかちょっと小宮さんの話からずれると思うんですけど
こんなこと言うとちゃんとした経済学者の先生に
めちゃくちゃ怒られると思うんですけど
僕の受け止めでは世の中的な市場価値っていうのは
ないんじゃないかなと思っていて
それってやっぱり売買をする
2社間で合意したものなんだと思うんですよ
それがおおよその相場っていうのはあると思うんだけれども
それは世の中にとっての相場なのではなく
それを売買したい人たちにとっての相場なんだと思うんですよね
それが大きい意味での2社間というか
例えば食肉加工業者と牛農家の人の間では
牛の相場があるみたいな話であって
じゃあ僕らにとって牛1頭の価格っていうのって
なんていうかなある意味であんまり関係がないというか
我々お金を出して買うわけではないから
世の中全体の価格というか
価値なのではないと僕は理解しているんですよね
僕たちにとって実際にそのものの価値みたいなのが大事になるのっていうのは
肉屋さんに並んだ時とかスーパーに並んだ時とか
レストランで出てきた時に初めて
レストランやスーパーとの関係の中で
その価値というか持っている価格みたいなものが
大事になってくるなって僕は理解していて
なので資本主義的な価格の問題っていうのは
実はその裏側には我々が何を価値だと思っていて
価値というのがどういうふうなメカニズムで動いているのかっていう
もう少し人間社会っていうか
ホモサピエンス一般のメカニズムがまずあり
個人の価値観と社会のメカニズム
その上に市場という社会システムが乗っているっていうのが
僕の理解なんですよね
なので物事にお金の価値が
お金の価格がつかないものがいっぱいあるのよねっていうのは
ある意味当たり前だなと思っていて
それっていうのは市場に出回ってないものは
価格つかないからだと思うんですよ
でも逆に説的に言うと
どんなものでも市場に上げた瞬間に価値がつくと思うんですね
さっきの誘拐の話と一緒で
それが市場に上がってなければ
別にお金を返してはやり取りされないっていうことがあるのかなっていうのが
僕の理解で
さっき絵画の話とか写真の話とかは
やっぱすごい面白いなと僕は思っていて
なんていうかな
それもやっぱり絵画そのものが持つ力っていうのが
僕はあると思っているんですよね
さっきの陶器的に美術作品を買うっていうのは
絵画そのものの力というより
絵画が人を動員し得る力みたいなものに
価格がついてるんだと思うんですよね
でも絵画そのものは
よりもう少し一時的なものとして
陶器的なものが持つ二次的なパワーではなく
一時的なパワーとして
人そのものの心を動かし
自分を所有させたいとする
なんかそういうふうな力を持っているだろう
っていうのは僕は思っていて
その力っていうのが
自分を100%所有できなくても
今この一瞬所有させるだけで
十分だと思わせるようなものもあると思うんですよね
例えば人生で一回しか行ったことがないのに
行った話して申し訳ないですけど
DIC美術館のロスコルームのロスコの絵ってあるじゃないですか
価値の体験
やっぱ行って僕結構感動したんですよね
これみんながすごいと言っているのは
確かにすごいと思っていて
で僕は結構欲深いというかグリーディーなので
これ部屋ごと欲しいなって思ったんですよ
金があったら建物ごと買うのになって思ったんですけど
とてもじゃないけど買えないし
絵だけも買えないし
何にも買えないんですけど
何にも買えないんだけれども
そこにやっぱりその一瞬みたいなのを
ロスコの絵に使うっていうのが
非常に嬉しい体験というか
喜ばしい体験でも幸福な体験としてあるなって
僕は思っていて
でそれはやっぱり僕の心を動かし得る力が
その価値がそのロスコルームにあるっていう話なのかなって
いうふうなことを思ったですね
手の届く価格だったら買ったよっていう話だなって
今すごい素敵な話を聞きながら
完全に自分の中で握手会っていうのが浮かんで
握手会が浮かんでました
まさにそうだと思います
あれは手の届くお金もあって
一瞬の握手を得るっていう
一瞬の所有を活かせるんだと思うんですよね
でもそれが別に
貨幣を何ていうのかな
返さないとかでも
例えば友情とかでも僕同じことだと思うんですよね
恋愛関係とかもしくは結婚関係みたいなものも
あんまりこういう話すると
なんていうかな
結構嫌がられるけど
僕はやっぱり何らかの価値の交換みたいなのがされているから
人間関係って続くんだろうなと思っていて
価値の交換みたいなのが不均衡だと
やっぱり長くはいられないなっていうふうなことを思っている
例えばその人がそこにいるだけで嬉しいみたいな
絵画と一緒ですよね
絵画が自分の部屋にあるのめっちゃ嬉しいみたいなのと同じように
その人がそこにいるだけで嬉しいというので
もうすでに価値を発揮している場合もあるけれども
例えば僕がそこにいることについて
たぶん僕の恋人が別に嬉しいと感じていないのであれば
僕はその人がそこにいて
僕が嬉しいと感じるよりも
もっと多くの何かの価値っていうのを
彼女に対して発揮しないと
たぶんその関係っていうのはあまり長続きしない
非常にやりやすいっていうのは
たぶん貿易と一緒で
米の取れない国に米を輸出し
小麦の取れない国に小麦を輸出することで
両者ウィンウィンになるみたいな
そういうものがないと
やっぱ人間関係長続きしないのかな
みたいなのを思っているっていう感じですね
ポッドキャストの社会的意義
それが別にみんなが意図的にやってるわけじゃなくて
たまたまのこともあるし
でポッドキャストによっても
こっちがこうやりたいっていう
ポッドキャストが向こうの攻撃たいっていうのを
たまたま発揮して
塚野村さんがおっしゃったような
その友愛的な空間みたいなものが出現することも
まあまああるよねとは思いますけど
あの究極村さんがおっしゃるように
一対一の関係性で
お互いが価値があると思ってたら成立すると思うんですけど
それと塚野村さんがおっしゃってる
なんか世の中全体みたいな大きい流動の間に
なんて言う言葉が適切なのかわかんないんですけど
界隈というか世界というか
なんか似たような価値観を持つ人たちの界隈みたいな
レイヤーが存在すると思ってて
多分それが市場という言葉になるのかもしれない
なんとか丸々市場みたいな言葉になるのかもしれないですけど
その市場とか界隈の外の人から見たら
それは何の価値もないことかもしれないけど
界隈の人たちから見たらすごく価値のあるものみたいなところがあるから
多分それが界隈に置き換わって
市場価値みたいなものが多分存在していると思ってて
なんか多分塚野村さんがお話しされてるのは
それよりなんかもうちょっと上のなんか世の中全体みたいな感じになると
なんかそれが途端になんかいろいろあるよねみたいな感じになっちゃうので
なんかよくわかんなくなっちゃうのかなと思う
よくわかんなくなっちゃう
いやーでもそうなんだよな確かに
あの令和人文主義じゃないんですけど
あのこの前アポカリの方で
令和人文マーケットみたいな話もしてたと思うんですけど
あれって結構会社員向けにやっぱりやってるっていうか
会社員の人たちがやっぱりその今抱えてるインサイトっていうか
モヤモヤみたいなものに刺さるから
結構あの広まってたりとかすると思うんですよね
そういう分析もありますよね
僕がただの個人的な意見ですけど
それが僕は結構大きな社会みたいなことを思ってはいたけど
でもそれはそのそこに刺さる人たちだけのマーケットの中で
価値があることを僕は言ってただけかもしれないし
まあそもそもそこに価値がちゃんと伝わってなかったかもしれないけれど
そうだななんかちょっと話一回それるかもしれないですけど
僕が結構思ってたのは
そのポッドキャストってすごくイノベーションにつながると思ってるんですよ
イノベーションを起こさなきゃいけないっていうのが結構自分のミッションで考えたときに
それでいろいろ考えた先にたどり着いたのが
結構ポッドキャストがそれにすごく意味があると思った
それはなぜかっていうと
ポッドキャストによって結構その今までつながらなかったところが結構つながりうるっていうところがあって
今まで知らなかったところに知る機会が生まれうるみたいなところが
結構いっぱい生まれていると思ってるんですよね
だからそれをあんまりお金もそんなにかけずに
ずっとやり続けているようなところがコミュニケーションが生まれていくと
そこにそのチャネルが
今までなかったチャネルが生まれたときに
そこでつながった点と点みたいなものは
割と会社の中でこれやりなさい
目的は何かみたいなことじゃない繋がりが
もっとその先の未来を考える
もう少し熱量を帯びた何かにつながるだろうって思ってて
そういうところが結構やっぱり抑えつけるような構造が結構あると思ってるので
それを緩和させていくっていうか
その最初のこのコマドを開けるような取り組みとして
そのポッドキャスを使って会社の中だけども
中に閉じずに外とつないでいく
そういうパスがあるよねっていうのを見せていくと
意外といいかもみたいなところが
会社の社内もそうだし
社内と社外の人たちもコミュニケーションもそうだし
売る側買う側っていう形もやっぱりちょっと変わってくるとか
そういうところが広がっていった時に
社会のプラットフォーム的な部分のパラダイム出頭じゃないんですけど
そういったところまでいけば
iPhoneのイノベーションに近いぐらいのことになると僕は思ってて
なぜかというとiPhoneって結局
iPhone自体だけだと別にそんなにイノベーションっていうわけじゃなくて
それがあることによって
いろんなすごいアプリができたりとか
それを使う人たちのコミュニケーションが生まれたりとか
それで社会が結構変わっていったと思うので
そのポッドキャストで今まで繋がらなかったところが繋がったことによって
生まれるそのものが用意されることによって
その中でじゃあこんなこともできるじゃんみたいなものが
自由に生まれていった時に今までにない形っていうふうに向かっていくだろう
でそれがそのポッドキャストイノベーションみたいな感じで
ちょっと思ってた部分があるんですよね
ポッドキャストの価値
その時に具体的なターゲットがどうのこうのっていう視点で言ったら
まあ割と何だろうな
しっかりと言えばやっぱり会社の中でなかなかこうコミュニケーションが
なんかこう違うなって思う
そのモヤモヤ感じてる人たちっていうイメージではあるんですけど
だとまあ売る側買う側化粧品とか買ってもらいたいけど
やっぱ買ってくださいって言うとなかなかコミュニケーションが難しいけど
なんかそのポッドキャストは人と人で繋がれるみたいな
その立場を越えてみたいなところができるから
そうするとそこの壁が越えていくだろう
でそれがその越えていくっていうこのポッドキャストの一つの
大事なところではあると思っていて
ただそれがあまりにもちょっとなんかでかすぎたり
抽象的すぎたり
自分があまりこうちゃんと認識できなかったり
と思っているところはある中で
そういう中でじゃあ価値って誰に対してどういう価値なんだろうっていうのが
まあまだもやってた
今の話は別にあまり僕抽象的だなって思わなくて
やっぱりその新しいコミュニケーション回路を開くことで
イノベーションを生み出したい人たちにとっては良いよね
価値があるよねっていう話だなと思っていて
僕もそうだなって思うっていう感じですね
聞いてみたいんですけど
もろさん結構ポッドキャストたくさん出られてるじゃないですか
もろさんにとってのポッドキャストの価値って何なんですか
それはあれですよね
ポッドキャストに出演して話してっていう行為の価値
たぶんもろさんがたくさん出演するっていうことは
出演するっていう行為をするためには
何らかの価値を感じてないとその行動が起きないわけじゃないですか
ちょっと求めた回答じゃないと思う
本当に申し訳ないんですけど
あの恥ずかしい話って申し訳ないんですけど
僕人間関係が下手なんですよね
誰かと無目的に会うみたいなことができないんですよ
僕自身もやりたくないし
無目的で誰かを呼ぶことによってみたいなのも
僕側のハードルが結構高いんですよね
来てもらった以上
何を求めてこの場所を設定したのかみたいなのっていうのが
各々に対してある程度明確であり
その結果その人たちが楽しいとか嬉しいとか
僕の力不足で全員は難しいことありますよ
例えばAさんとBさんがいて
AさんからBさんを紹介してもらいたい
みたいに言われた時に
僕にとってはAさんとBさんと3人で
ご飯を食べる場を設定するっていうことは可能なんだが
それは僕とAさんは嬉しいけど
Bさんは別に嬉しくないかもしれないみたいなことは
まあまああるわけですね
でも少なくともAさんがBさんに会いたいという目標のために
この場が設定されたみたいな
三者共通の了解が得られるわけじゃないですか
ならできるんですよ
そうじゃないところで
人間関係するのは結構難しいんだけど
ポッドキャスト撮るから来てくださいって言われると
ポッドキャスト撮ればいいんだって
ポッドキャスト撮るためには目的がある
それが価値だって
ポッドキャストの価値と繋がり
でもそれ期待するクォーターAに結構近いですよね
ウィンウィンってさっき言ってたけど
呼びやすいっていうか
繋がりやすいっていう意味では
そうそうプロジェクトベースなら来れるから
僕がポッドキャストで喋れればいいのであって
そういう番組そうじゃない番組もありますけど
ある程度ポッドキャストで僕が何を話せばいいかみたいな
期待値もあるわけじゃないですか
そうすると後はその期待値に
僕がうまいこといくかいかないかみたいな話になるから
やってるって感じかもしれないですね
会社と会社で何かやろうとした時に
オープンイノベーションみたいなところで話したりとかして
じゃあ次何か新しいことやりましょうみたいな感じになっても
具体的に次進めようとした時に
じゃあどういう形でとか
NDA結びますみたいな
結構あるとなかなか結局その場で終わっちゃうっていうのはあるじゃないですか
でもポッドキャスト収録しましょうみたいな感じで
やってもらって他の会社の人たちと
ポッドキャスト収録したってこともありますし
そこで繋がったものが
繋がるかその先になるかは分からないけど
そういうものが生まれるっていうのは
ポッドキャストの良さだなと思ってはいるんですけどね
そうですね
そこの価値の話もっとしたい
ポッドキャストをやるっていうこと自体から生まれる価値
今の繋がりの話もそうだし
ちょっとその話後編でやりますか
じゃあ一旦この続きは後編でということで
また次回よろしくお願いします