記憶との距離探求
コーナーなんですけど、今回距離、ディスタンスということで、
それぞれ〇〇の距離っていうテーマを書いた紙があって、
そこからですね、サイコロを振って出たテーマで話をしていきたいなと思っています。
じゃあ、ちょっとサイコロを振ります。
あれ、反応が。
あれ、反応が。
あ、振れた。
5ですね。
1、2、3、4、5。
これですかね。
これ誰ですか?
いやー、僕だ。
記憶との距離。
記憶との距離ですね。
僕、写真撮ってる意味というか、何のために撮ってるかって今回考えたんですけど、
やっぱ昔からその人と何かやってる時の写真を撮るのが好きで、
一番写真撮っててよかったなって思うのは、
写真、振り返った時に5年前とか、5年前の今日ですってポーンって最近来るじゃないですか。
最近のスマホはね。
あれ見た時に、やっぱその当時の感情とか、その時の情景とかが、
映像として帰ってくるみたいなのが、結構やっぱ写真撮っててよかったなって思う瞬間ではあるんですよね。
僕の写真ないんですけど、大体。
みんなの写真。
そうそう、みんなの写真があって。
やっぱそういう意味で言うと、
僕はこの写真撮ってる時にその当時の記憶がどんどんどんどん薄れていく、離れていく方が、
いわゆるその写真の価値みたいなのが個人的には、
距離が離れていくっていうかね。
そうそうそうそう。
逆に考えると、今撮ってるのは将来の自分のためというか、
今撮りたいから撮ってるっていうよりは、
例えば10年後とかに子供が育っていった時に、
いやー、この時よかったなって思うために撮ってるみたいなところは結構あると思って、
今撮ってる、何のために写真撮ってるかとか、
そういう話ができたらなっていうのを思ってこれを書いたっていう話です。
言葉がいいですね。記憶との距離。
いいこと書きました。
素敵ですね。
歌になりそう。
これタイトルでもいいですね。
写真撮らないですか、斎藤さん。
僕も以前は一応一眼レフ持ってた時期はあるんですよ。
でも重すぎて手放しちゃったんですけど。
でも本当に一眼レフ持ってた時は、
それこそ僕は中村君と同じぐらいの年、30歳ぐらいの時とか、
会社の中まで盛り上がってる写真とかをいっぱい撮ると、
その写真を一人で家でパソコンで見返した時に、
その時の騒いでた声とか、それが蘇ってくる体験が、
ものすごく衝撃的だったんですよ。初めて一眼レフの写真を見た時に。
家で一人でパソコンの前で、
あの時のみんなの騒いでる声が蘇ってくる。
すごい一眼レフすごいと思って。
それは友達の一眼レフの写真を見て、買おうと思って。
結構でっかいやつ買っちゃったんですけど、
それは重すぎて子供ができてから、
ミラーレスの一眼とかにするために出ました。
ミラーレスじゃない時代ですもんね。
ちなみにミラーレスはすぐ慣れましたか?
慣れたってないかな。
やっぱりファインダーを覗いてこう撮るっていう、
それがないっていうのがすごくちょっと慣れなかったところがあるし、
やっぱりあの時に戻りたいみたいなのがずっとありましたけど、
でも値段と持ち歩く重さがね。
大丈夫です。私これを持ち歩きますから。
それやばいですよね。
大丈夫ですよ。
大丈夫ですよ。
それって。
これはデジタルの中盤カメラです。
ペンタックス645D。
レンズが大きいならわかるけど、この本体が。
そうなんですよ。これ今日小さいレンズなんですけど、
普通に大きいレンズもあるし。
だってフルサイズよりセンサーサイズでかいんですよ。
ちょっとお持ちになって。
落とさなければ大丈夫。
すごい。何これ。
見たことない。
そう。持ちやすい。
ビデオカメラかなって思うぐらいの。
確かにね。ちょっと前のビデオカメラみたいな。
これいつのカメラなんですか?
これいつなんだろう。2000年とかなのかな。
ちょっとお下がりなんで。
ペンタックスさんね、この中盤デジタル辞めちゃったので、
やっぱり時代は軽くて便利なミラーレス。
中盤っていったら富士とかですか最近。
富士もありましたね。
あとは本当にいい高いカメラ。
パッセルブラッドとか。
そうそう。そっちに行っちゃう。
ちょっと。大丈夫です。
記憶との距離って意味では。
そうだった。そんな話。
カメラの話になっちゃった。
僕もグーグルフォトとか昔のやつがずっと入ってるんですよ。
それが昔の一眼レンズで撮ってた時代の写真とか見返すと、
やっぱりもうエモさっていうか。
それは違う。
最近の子供が生まれてから撮ってる写真とかも、
それももちろん子供は可愛いんだけど。
言い訳みたいに。
子供は可愛いんだが。
でもやっぱり一眼で撮った時の空気感まで残るような
記憶の切り取り方というか何なんでしょうね。
でももしかしたら記憶というか時系列の距離かもしれないですよね。
スマホももしかしたら20年ぐらいだったら
あの頃スマートフォンっていうのがあってたなみたいな
なってるかもしれないけど。
ただ多分満足感はありますよね。
一眼で撮った写真っていうのはやっぱり。
昔の例えば結構画質が悪いけど、
その味があったりするじゃないですか。
iPhoneで撮ったとかの写真って、
その味はやっぱないんじゃないかなって
数年、10年経ってもないんじゃないかなって気がする。
均一化してるってのはあるじゃないですか。
誰が撮っても同じというか。
キャリブレーションされちゃうので。
本当に綺麗ではあるけど、感覚的に薄っぺらい感じがしちゃいますね。
バシャバシャバシャバシャいっぱい撮れちゃうっていうのもあるかもしれないですけどね。
記憶が薄まってるかもしれないですね。
iPhoneの写真の一枚一枚は。
確かに気軽に撮りすぎてるかもしれない。
出だしの距離が遠い可能性ありますよね。
一眼でデジタルだったらもういっぱい撮れたけど、
目を覗いて撮ってる写真って、なんか違うんじゃないかなって感じはしますけどね。
そうですね。覗き込むっていう動作が入るだけでもね。
記憶に残りますからね。記憶の距離。
記憶と記録の重要性
私も作品だといろいろ考えますけど、基本的には記録でこそ写真と思っているので。
これは本当に最たるものだなって思いますよね。記憶、記録。
だって人間多分どんだけ頑張っても残念ながら4次元は無理じゃないですか。
と思った時に多分どんだけ頑張っても時間一匹できないってなったら残すしかないですよね。
過ぎてしまう前に何とかしなきゃっていうと。本当に変えがたいものですし。
フィルムとか印刷ってするとその1回体験をしてから、例えば長いと1ヶ月とか何ヶ月か経ってから現像して、
でまた友達とシェアして、もう1回楽しいみたいな。最近だとチェキとかであったりするんで。
そういう意味でもまた時間軸をもう1回未来に先送りできるというか、
なんかそういう楽しみ方も最近はありますよね、写真だと。
だからチェキ流行ってるんですかね。
かもしれないですね。
もう1回体験するみたいな、そこを楽しむ。
写真以外に記憶との距離って何かあります?
2人とも反ってしまう。
なんか嫌な思い出とかね。
嫌な思い出の距離って遠くなるといいものになったりするじゃないですか。
まあ良かったかなみたいな。
あの時はしんどかったけどやって良かったかなみたいな。
未来になっていくとかね。
すり替わるもある。苦い思い出だったけど。
青春だったなあもそうだし。
統合的に水着みたいなやつですよね。
まあ蓋をしちゃうっていうのもありますけどね。
蓋をしちゃう?
蓋をし続けて距離を取ってるけど、でも蓋をしてることによって距離が遠くならないみたいな。
逆にね。
意識はそこに向いてる。
手震えてるみたいな。
遠ざけた瞬間にもう。
出てきちゃう。
確かに。遠ざけるにはちょっとね、蓋をしないで遠ざけないといけないかもしれない。
次のテーマいきます?
次いきますか。
どうぞ。
大丈夫ですか?いいですか?
いいですよ。
盛り上がったじゃないですか。
盛り上がりましたね。
良かった良かった。チームプレイ。
良かった。いい話でしたね。
本当ですね。ちょっとここで記憶との距離でAIに曲作らせてちょっとジングル挟んでおいてください。
こんなのできんだ。
じゃあ次のテーマです。
当たりませんように。
両方中村さんだったりして。
じゃあサイコロ振る。
6ないな。6なくなっちゃったね。じゃあもう一回。
これで数える方法だから6でいいんじゃないですか。
それでいいか。
自分との距離感
自分との距離。
自分との距離。僕ですね。
これはどういう?
僕結構何でもかんでも自分なんですよね。
何でもかんでも自分っていうか。
だいたいそうじゃないですか。
ゼロ距離ってことですか?
自分のことしか考えてないなとか、結局自分のことしか喋ってないなとか、相手のことを考えようと思っても自分視点でしか全然考えられてないし、
本当に自分の中で自分のコンプレックスがあったりしたりするんですよ。
っていうのもあるし、距離って考えたら自分と何かの距離みたいな感覚があると思うんですけど、
でもまずその自分っていうものに対する距離っていうのをちょっと話したら面白いかもなと思って。
面白い。
先ほど小宮さん自分を客観視しそうだよね。
自分との距離感
今回のコンセプト、作品でいうとまさに自分を最近は置いてしまうっていう、離れたところに本当の自分がいて見てる。
もっと言えばその置いた自分と対話してる相手を見てるっていう感じかな。
もう第三者?
だから本当に例えばAさんとBさんが話してる、それを聞いてるように自分がそこのAさんだとしても同じように。
よくあるじゃないですか、嫌われる勇気じゃないですけど、何を言われても別にその人が思ってることであって、別に自分自身が傷つくことじゃないっていう。
それの方法なのかもしれないです、今話してて思ったけど。
それぐらいこの人小宮に対してこんなこと言ってるなぐらいで見てた方が案外冷静でいられるじゃないけど、それをグサッとなりがちですか、塚沼さんは。
グサッと結構ならない、鈍感にしようとしてる部分は結構あるなと思っているけれど、
でも最近思うのはやっぱり自分の中ですごいバイアスかかって捉えちゃってるなって。
相手はそんなにグサッと刺してるつもりはないものを攻撃しているっていう風に僕は捉えて、別にそれに対して何を?ってならないけど攻撃されてるって捉えちゃってるみたいな。
でも昨今のハラスメント的には本人は傷つけてるつもりがなくても、思ったらハラスメント、難しいですよね。
いや難しいですよね。
今ので言うと塚沼さんはハラスメント受けている可能性があるんですね。
だからハラスメントみたいなものを受けているって思っちゃう時もあったりするんだけど、
でもちょっと時間たった時に、それってやっぱり自分が過度に反応しすぎちゃってるなっていう風に思うことが結構あったんですよね。
振り返りがあったんですね。
振り返ってるのすごいですね。
一緒にこの前も研修で。
社内のレジリエンス研修を受けて。
流行りですね。
その時も感情を対象化しましょうみたいな。感情は機能として存在しているものでっていう話をして。
感情はウンウンって思うんですけどね。
飲み込まれたね。
怒りっていうのはエネルギーだよね。
すごい研修ですね。
うまく活用してね。
私も違う仕事の研修で怒りを貯金しようみたいな話があって、
でも普通に考えたらそれって溜まっていくよね。
爆発するよねって思いながら。
心の中で思いながら。
いろんな言い方があるんでしょうけど、自分との距離。
自分との距離が僕は近すぎる。僕の場合はね。
だから小宮さんの場合は結構離れてるっていうところがすごく違うなって思いましたけど。
でもあれですよ。何かと挟んだ時にそうだけど、自分で一人だと多分遠ざかんないかもしれないです。
僕も中にいるので、一人で反省してたりすると落ち込むかもしれないですよね。
人がいるとそういうのはならない。
割と話してる自分っていうのを外に置いてられる気はするけど、
どうですか中村さんそういうのは。
人と関わってる時の自分と一人でいる時の自分の、自分対自分の距離。
違う。でも僕はどっちかというと自分を知らないというか、
結構他の人から客観的に言われた時に、ああそうなんだって思うことが結構多いですよね。
マイクの距離
だから僕はなんかこれって普通に当たり前じゃんって思ってることが、
他の人から、いやでも中村君ってこういうとこあるよねみたいなのをフィードバック受けて、
あ、そこってそうなんだって。みんなやらないんだみたいな。
だからこれ多分間違えるとパワハラになる。
気づいてない。
これ普通だよね。できるよねとか言い始めて。
すごい。塚沼さんと対照的なタイプかもしれませんね。
これやらかすかもしれないなって思いますね。
気づかずに傷つく人がいるみたいな。
できるでしょとか言い始めて。そうじゃないですけどとか。
すごい合致してるんでしょうね。自分が。
そうそうだ。多分自分がイメージしてる自分とやってる自分が一緒だからあんまり違和感は感じない。
羨ましい。
そうですか。
でもそれが普通だと思うと多分ハラスメントになるかもしれない。
みんなできるよね。
僕ほんとね、喋ってるときに自分の頭の中で思ってることと口に出してることがすごく離れてるなって感じたんですよ。
それわかりますね。離れますよね。
離れてる。
こう言いたいのにボキャブラリーもあって言えてないみたいな。伝えられないとか。
それありますよね。
なんか説明がうまくいかないなみたいな。
あとは自分が説明できていても相手の受け皿として噛み合わないとか。
言葉が響かないとか。
めっちゃありますよね。
研究員あるあるですよ。
それぞれあれですよ。専門職の人なんて尚のことですよね。
分野が違ったら。
社外の人に何やってるって伝えるときに全く伝わらないっていう。社内用語もあるし。背景も違うし。
そうなんですよね。ついついやってしまいますよね。
もうひとテーマくらいいきます?
いきますか。
やりましょう。
小宮さんがいいですからね。
小宮さんが欲しいですね。
じゃあ1か2を出してもらっていいですか?とか。
1か2のどっちかが出るまで。
1か2のどっちか。
じゃあ今ね。
1だ。
1。
すごい。
じゃあ1ですね。
いっちゃおうかな。
じゃじゃん。
すみません。そんないい話をしておきながら。
マイクの距離。
ものすごくテクニカルな。
マイクの距離。どうですか?
私いつも週1レクリエーションポートの収録をしていて、いまだに288回目が配信されてますけど、マイクの距離に悩むんですよ。悩みません?
マイク何使ってるんですか?
私はエレクトロボイスっていうところのコンデンサーを使うんですけど、
ただコンデンサーだけど形はこういう感じなので、ダイナミックの見た目なんですよ。
だから同じこうやって持ってやるんですけど、なんかこう、この距離感?このわずかな悩むんですよね。
近く話した方がもちろん吐息が入るし生っぽいし、でもやりすぎると単純に低音が変に響いちゃうとか。
なると遠くしたいんだけど、そうするとなんかちょっと遠いなぁみたいな。
ボリュームもありますけど、どっちかっていうと聞いてる人のための距離感みたいな。
あとはMUTOさんといつもその場で収録をしているので、MUTOさんはMUTOさんのマイマイクがあって、そっちはアームがついてるタイプのコンデンサーなんです。
MUTOさんは立てる、固定する、で私は持つっていう、2人とも違うので、いつも困るんですよね。
割と合わせに行こうとはするんですけど、私が大体編集なので。
音割れもそうだし、気にしてます?普段撮るときとか。
会社でポッドギャストやってたんですけど。
やってましたね。
まだやってる。
やってるかな?終わりました宣言。
休憩してるということで。
会社で毎週ポッドギャスト収録してたときは、僕結構うるさくて。
いや、ディレクションすごかったですよ、マイク距離はもう。
見たかったなぁ。
このマイク今持ってるやつをスタンドに立てて。
こことか言われるんですか、距離。
だからもう拳1個分ぐらい。
拳1個分。
基本拳1個分は。
で、わーって笑って遠くなると音が遠くなるから、肘ついて。
気をつけてね。
体が前後しないように。
でもマイク握りすぎるとガサガサって音が入るから、触らないようにしてとか。
随分気をつけてね。
机に手のひらついてもこうやって姿勢をして動かないように。
中村君は結構いっぱい出てますけど、結構いろんな人が出てもらってたんで、毎回初めての人がいっぱいいるんですけど。
そのときにやっぱその、つどつどちゃんと言ったりとか。
やっぱ人によっては全然、言うこと聞かないじゃないですか。
自己流があるからね。
話し出し盛り上がってる時に全然マイクも忘れちゃうしとか。
逆に近すぎちゃうと本当に歯の視察音っていうか。
入っちゃいますからね。
いや難しいですよ。
だって右向いて左向いてってやってる。
それだけで音吹くじゃないですか。
そうなんですよ。音が振った時に音が小さくなってると、ここだけボリューム上げなきゃとかして。
そこまでやってるんですよ。
すごい。
結構そこレクイア生重視で気にしないでやっちゃってる。
だから気にしてるのかもしれないんですけど普段。
コンデンサーマイクだったらそんなに離れても変わんなかったんですよね。
だからちょっと今これがどうなるか、オッパーがどうなるか怖いです。
でもこれはこの空気感も含めて今マイクこうやって話して喋ってるんだなっていうのが伝わればいいのかもしれないですけどね。
意外に確かに揺れてるからこそ動いて喋ってる感じが臨場感があるみたいなのはありますからね。
学習ものでその情報を聞き逃したらダメだみたいな話じゃないからね。
確かにナレーションとかね。
武藤さんはすごいシビアにやってますけど。
じゃあ拳一個分ですね。
拳一個分。
拳一個分の距離。
まあだいたいでも20センチとか言ってるかな。
でもね、もちろんマイクにもよるんでしょうけど。
その距離によって声量も今度変わるじゃないですか。
そうなんですよね。人によってね。声がめっちゃ大きい人とね、僕みたいな声小さい人がいるから。
そうなんですよね。
ひそめるってタイトルにも。ひそめたいときはやっぱりちょっと近くなったりする。不思議ですよね。なんかその辺とか。
なんかちょっとマイクとの距離ってその収録のテクニカルな話っていうよりはちょっと話し変えて。
例えばそのマイクと向き合う意識みたいな。
マイクと向き合う意識。
マイクとの向き合い方
ありますね。でも一人でそのポッドキャスト収録とか小宮さんは3,000フレームとかやってますよね。
3,000フレームでやってますね。
そうなんですか。
そういったときって、じゃあマイクと向き合うかみたいな。
その字面が今初めて。
マイクと向き合う。
向き合うか。
今私はこのマイクに向かって何を語りかけようか。漫才師みたいな。
それはないですか。
それで言ったら、話してるときに聞いてる人が自分なりにいるかもしれない。
マイク越しの誰か。
リスナーさん。
さすがですね。
僕らは何も意識してない。
僕はね、自分のことしか意識してない。
一応語りかけてる感じを想定はしてるので、こいつはどっちかっていうと部品でしかないかもしれない。
そういう場面あります?中村さん。
僕はもう誰が聞いてるともわからずにただ喋ってたんで。
そのポッドキャストビークに前参加したじゃないですか。
そのときに聞いてますって言われたときに、
あ、いるんだ。
聞いてくれました。
いるんだって思って。
そこに実在しているっていうことにすごい感動したっていう。
見えないですからね。
だからあそこって大体研究所に防音室みたいなのがあって、
そこの中で大体3人とか4人とかで。
うちの収録するときに。
そうそう、うちの話したときは。
結構閉鎖的なバージョンですよね。
だから向かい側の机で座ってる人と喋ってる。
それを録音してるってだけだったんで、
誰かに語りかけるっていう意識がなくて、聞いてますって言って。
それが僕はいいとこだなと。
誰かに向けて発信するっていうんじゃなくて、
ただここで楽しく喋ってる内容を誰かが聞けるのもあるし、
一人で話すんだったら、
誰かっていうより自分の独り言みたいなものを、
独り言じゃなくて何かに向けて語ってるっていうのが
すごく僕、意味あるんじゃないかなと思っていて。
自己と肌の境界
家で独り言でブツブツ言ってるんじゃなくて、
誰かじゃないけど何かがマイクに向かって語りかける。
ぬいぐるみに向かって語りかけてるのと同じ感じかもしれないんだけど。
そういうものを語りかけてる時の自分との向き合い方、
また自分との距離みたいな。
また自分に言ってる。
自分のことしか本当か。
アウトプットですからね。
よく日記上書いて自分の頭を整理するとかって、
それに近いですね。
書いてないけどマイクに話して整理をするみたいな。
整理されないんですけどね。
ジャーナリングみたいに頭の中にガーって書き出すと
視覚化されるから割と頭の中が吐き出せるんですけど、
ポッドキャストみたいに独り語りで喋ってると、
気づきは得られるんだけど、整理はされないんですよね。
話しっぱなしにはなっちゃう。
でもそれも大事だなと思ってて。
そういう意味でマイクとの距離っていうのが僕にとっては
こぶしこぶんだけじゃなくて、それ以外も。
気持ちのマイクっていうものに対する向き合い方みたいな。
面白いですね。
でも言語化するのは大事ですからね。
喋っていって。
そうなんですよね。
そうなんですよ。
ちょっとどうします?もう一手間くらいいきます?
いいですよ。
盛り上がりますよね。
じゃあですね、これ最後にしましょうということで。
はい。
じゃじゃん。
肌との距離。
おー。
ぽいですね。
ぽいですね。
これ一生ですね。
これが入れてきましたね。
うちの職場にも近いっちゃ近いけど、
肌って、これ僕が書いたんですけど、
自分、自分の話。
また自分にベクトルが。
すごい内省してる。
自分っていう言葉に自分で敏感になってる。
また自分って言っちゃった。
いいんですよ。
大丈夫ですから。
昔僕がポスト自分主義っていうポテガスト一回やったことがあって。
自分がテーマなんですね。
自分から脱却しちゃえよ。
資本主義の次じゃない。
ポスト自分主義っていう。
聞いたことがあるよな。
資本主義の自分が脱却する。
自分主義やめたいっていうね。
そういうことなんですけど、
だから自分とその周り、
自分じゃないところの境界ってところでやっぱ肌っていうのが、
皮膚っていうかね、があって、
そことの距離っていう意味もあるし、
心と肌の距離でもいいし、
そういう意味で話せたらなと思って書きました。
これはATフィールド的な感じになるんですか?
ATフィールド。
自他の境界なのかなって。
ATフィールドってどういうもんでしたっけ?
あれは本当に自他の境界で、
他の人と意思疎通が完全にできると、
子っていうのがいらなくなるよねっていうので、
人類保管みたいな。
共同生命体になろうよみたいな。
そういう肌なのかなってちょっと今聞いてて。
一枚一枚隔たりみたいな感じなんですかね。
違う。
違うか。
肌とは?
ATフィールドである。
なのかなって思って。
難しい言葉だ。肌との距離。
第一印象とかね、肌から入ったりってありますけど。
どう見られてるかって肌をどう見られてるかって。
いわゆる生活習慣であるとか、
その人の内実が出ているみたいな。
ちょっとね、昨今だと外観での判断はよろしくないっていう。
傷と言われてますけどね。
だからポッドキャストなんですよ。
視覚的な情報は起こしてる。
なるほどね。
肌との距離。
これ見てるものとしての距離なんですかね。
それとも感覚とか概念なんですかね。
概念。概念かな。
何でもいいですけどね。
あんまり意識しないじゃないですか。肌って。
こんなに自分の…
そうですよね。
見えないですからね。自分からは。基本的には。
それで言うと、顔は見るとして、手も触れるとして、
背中とかね、自分が見えない肌って、
あれってある日、人から見られてとか、
肌の重要性
足もこっちは見るけど、足の後ろは見ないからなかなか。
どうなってるのか分からない。
見れなくはないんですけどね。
自分との距離がある肌みたいなのがあるかもしれないですよね。
後ろ側は意外と距離遠いですね。
距離遠いですね。
あとは単純に触れ合う意味での人との肌の距離とか、
触れてなくても気配ってあるんで、
肌で感じるってあるじゃないですか。
ある程度の距離近づいた時にとか。
あれなんてなんでしょうね。熱なんですかね。
熱はあるんじゃないですか。
こういうのやりません?
眉間に指をやっていって、じわじわくるやつ。
じわじわってくるっていう。
ないですか?
どういうことですか?
遠くから眉間に指をひゅーってやっていくと、
自分だとあんま鳴らなくないですか?
じわじわくるやつ。
じわじわくる?
昔来たけど最近来ないかな。
怖い。
多いですか?
多いかな。
空間の、実は音だったりしますしね。
空気感が狭まっていくとか、圧迫感とか、距離。
肌が音を聞くっていう話もあるし、
音を聞くのも耳だけじゃなくて、
たぶん体が感じている空気の振動もあるから。
映画館行ってみるとかありますもんね。
ありますよね。
肌がなくなったらどうなっちゃうんだろうっていう。
痛いなって思っちゃう。
グロテスクな方から。
それはメカ丸みたいな。
メカ丸。
私、社会福祉士ですけど、
離衆に一応解剖学とか医学方面はあって、
看護師さんとか、他の医療職と一緒に授業を受けてたんですけど、
皮膚の授業のとこだけ、みんな倒れましたね。
写真とか映像とかで。
やっぱり皮膚って、すごい共感するんでしょうね。
そうですね。生き物としての。
胃の中をメスで切ってても、
それ痛いとは、うわーっとはなるけど、
火傷とか見ると痛いってなるじゃないですか。
それだけ、メカ丸を見てて、
私、ちょっと見切れなくて、
ちょっと痛々しい気持ちになった記憶があります。
このメカ丸は呪術回戦のメカ丸であったんですか?
呪術回戦のメカ丸。
良かった良かった。
浴槽に使ってるメカ丸なんですよ。
そうなんですよ。一気見した時に、
あそこだけは一番、他のシーンは全然、
あそこだけは、うわー、メカ丸さんと。
メカ丸、痛々しいっていうよりも、どんどんエヴァンゲリオンが。
そうですよね。
最後乗ってますかね。
最後は大爆笑でした。
完全に作画がいっちゃってるのに。
肌って敏感ですよね、本当に。
そういう意味だと、生き物としての表現的な部分は多分あるんでしょうね。
一枚なくなっただけで、生き物として見られなくなってしまうっていうような。
仕上げですもんね。
内臓を切られてもまあまあ、しょうがないよねじゃないけど、
見えないし。
適切されたものを見ても、まあまあ適切されたんだねって、
ちょっと距離遠いけど、肌は距離近いんじゃないですか。
ちょっと顔に傷がついただけでね、みんな傷者だってなるぐらい大事なものだったりする。
土曜日歯を抜いて、歯を持って帰りましたけど、面白かったですね。
それがちょっとね、皮膚の一部とかだっただけで。
皮膚だったらダメージを受けてたかもしれない。
落ち込むかも。
肌と自己表現
足の裏の一部分が結構固くなっちゃうんですよ、時間が経つと。
タコみたいな。
それを削るっていうか。
痩せたりとかでありますよね。
その皮膚は全然何の愛おしさもないですからね。
愛おしさ。
いらないものと認識してるんですかね。
肌の各層は全部死んだ細胞だとかって言いますけど。
そうですね。
死んだ細胞って言い方ちょっとよくないけど。
確かに生きてるものと思う時あるかもしれない。
肌たちが生きてるみたいな。
自分じゃないものとして。植物じゃないですけど。
爪が元気してないなみたいな。
爪を見た時大丈夫かなみたいな。
栄養を入れてあげなきゃなみたいな。
そういう時はちょっと人ごとかもしれない。
あと感覚がわからないみたいなね。
麻痺しても怖いなって思う時は。
どうしても福祉やってると肩麻痺の肩とかあると。
今言ったみたいに痛っとかっていうものが自分でもわからなくなって。
傷ついたら、気づいたら傷がついてるみたいな。
すごい遠くなっちゃうじゃないですか。自分と肌っていうのが。
それすごく大変だなって思いますよね。
触っても感覚がないってなると。
そうですね。
僕はそのボットキャストやってて。
声ってすごく大事だなと思ってこのボットキャストやってるんですけど。
人間を表すっていう意味で。
肌も結構それに近いんじゃないかなってちょっと思ったこともあって。
肌っていうものが自分のアイデンティティを表す部分が多いんじゃないかなって。
自分の構成する要素の中で。
例えばメイクとかして自分を表現するっていうのもあるけど。
それは化粧だからまとうっていうか予想じゃないかなって。
本当の自分じゃないところを演出するけど、本当の自分って何って考えた時に、
声っていうものだったり肌っていうものだったりっていうのがキーワードになるんじゃないかなっていう。
そういうラベリングが僕の中であるかもしれないなとちょっとふと思いました。
素敵な感覚ですね。
当たり前のようで、でも意識しなさすぎて。
考え直すと大事なものであり。
皆さんもね、乾燥の時期なんでね。肌を大事にしましょうね。
距離と対話
ケアをしっかりと。保湿をちゃんと使っていただいて。
あれ?あれ?
また仕事との距離が。
お金の匂いが。
違います。
仕事から離れるために僕これやってるんでね。
でも離れられないということがよくわかりました。
肌と。いいですね。
いいです。こういうテーマがあってこそお互い、ここの3人がわかるっていう。
面白いですね。
それこそダイレクトな距離じゃなくて、間にこういう遊びを挟むという。
これも一つ距離の取り方なんでしょうかね。
ですね。確かに。
ちょっと言い過ぎちゃいましたかね。締め過ぎちゃいましたかね。
というわけでここまで聞いていただいて本当にありがとうございます。
感想コメントSNSの投稿をお待ちしております。
ハッシュタグ越えていく。カタカナで越えていくをつけて感想シェアをお願いします。
Spotify、Apple Podcastでお聞きの方は番組のフォローと番組の評価もお願いします。
高村君懐かしいでしょ。こういうの。
そう。めっちゃ言ったなって思いながら。
個人でこういうこと言うんだみたいな。自分でも思いながら今しゃべってます。
そんなこと思ってない。そんなこと思ってない。
というわけで今日は聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
お二人ありがとうございました。
ありがとうございました。楽しかったです。
久しぶりでした。
次回もよろしくお願いします。
お願いします。