00:08
古代の福岡を歩くシーズン7 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン7 この番組は
宮間市の企画協賛 餃子の山八
道の駅室方の提供でお送りいたします 世界遺産の街室方にある道の駅道の駅室方は海の幸山の幸がたっぷり
いつ来ても新鮮で美味しいものがあふれています 皆さんぜひ道の駅室方にお買い物に来てくださいね
こんばんは坂田周大です この番組ではシーズン1から神功皇后の足跡をたどってきました
シーズン7では今回初めて紹介しますので神功皇后とは一体どういう人物だったのか 人物像に焦点を当てて紹介していきます
お話を神功皇后の謎を解くの著者 河村哲夫さんに伺います
まず神功皇后はいつ頃の人だったんでしょう
そしてもう一つ問題がありましてね 170年から269年まで生存されたとしますとね
日本書紀通り これたまたまですが秘密こと重なるんですよ
秘密はですねだいたい180年から248年まで活躍したとみられてますから ちょうどこの中にすっぽり入るんですよね
ですからよく言われますが神功皇后はひょっとしたら秘密じゃないかという説もございますが
日本書紀の編集者はどうもそのように考えて時代設定しているような感じもいたしますね
ただそう言いましても100歳ですからね これを見ますと神功皇后は実在したんじゃないんじゃないかと
03:01
虚構と言いますかねおとぎ話じゃないのかという人も結構いるわけですよね この年齢だけから見ますとそういう問題はあるんでます
年代はおかしいものですからそれをちょっと補正して考えようという方がおられましてね
古代史で言いますと靖文と美天先生という方がおられましてね 統計的な手法で天皇あるいは皇后の年代を測定されましてね
この方は390年から410年ぐらいに活躍した人じゃないかと
ですから4世紀の末からですね 5世紀の初頭にかけて活躍した人なんだとこういう説を出されてましてね
そう考えますとねかなり追い詰まってくるんですよね またそれを後ほど申し上げたいと思います
この方の夫というのはどういう方ですか
ちょっと影が薄いんですが中愛天皇
中愛天皇
ですから仲睦ましの仲に悲しむという
ちょっと悲しげな行く場所に中愛天皇の人がありますよね 中愛統計とかあの字です中愛天皇ですねのお妃です
皇后ですね
そして九州へお二人でやっておられるんですけど
どんな理由でどういう目的でやったのか
これも日本書紀でしか資料ないんですが 熊瀬の氾濫と九州でですね
まあいうことで九州に向かったとこういうのが
日本書紀の伝える伝承なんですけどね 熊瀬と言いますと普通は碑ごとかですね
熊本方面でしょうけども 実際おいでになったのは築前
築地のほうですからね
ちょっと熊瀬というのが合わないんですが 朝廷に対する反乱勢力だという感じで捉えていいかなと思っています
反乱したのかどうか日本書紀には見つき立てまつらず 要するに税金を収めなかったということなんですね
ですから脱税犯を捕まえに来られたというふうに考えてもいいかもしれませんけど
どのぐらいの軍勢でやっておられたんですか
これ非常に難しいんですけどね
朝鮮半島に出兵した数としてはやっぱり2,3万とか4万とか そういう勢力でしょうけども
そうでしょうねやっぱり1万までは行かないと思いますね 1万多くて1万
そんな感じでしょうかね
お供に竹内すくねという方が一緒ですよね
この竹内すくねさんというのはどういう人物だったんですか
もともとはもちろんある天皇の末裔一族の一人ですけどね
この人が一番有名なのは
06:00
そうですね
多くの天皇に仕えてますよね
慶光天皇それからもちろん忠愛天皇もそうですが
黄尽天皇ですね四代とかそういう方に仕えたと
そしてその末裔がですね
例えば草外一族もその末裔になってますしね
ですから彼は大御として今でいうと総理大臣みたいな格好で
朝廷を支えた人だとそういう感じがいたしますね
彼がかなり高齢になってからでしょうけども
神宮皇后のお供で旧市にやってきたということですね
歌詞区には竹内神社がありますよね
この竹内すくねを祀ってますね
竹内すくねを祀る時には結構九州福岡県多いですよね
相当な知恵者だったという
はい腹黒いというか知恵者ですね
この軍勢は九州をやってくる前にですね
拠点を山口県に作りますよね
そうですね
どのあたりに作るんでしょうか
通常本首領から九州に渡る前に
関門開業がありますからね
これ非常に難所なんですね当時の技術では
ですから一旦そこで潮待ち風待ちするんですけども
基本的には法府で言いますと沙場側のほとりですね
沙場神社あたり
それから神宮皇后の場合は
竹内天皇の場合は下関市の町府がございますよね
今現在の弓の宮神社という場所があります
あそこは昔豊浦宮というのは
豊浦とか豊浦宮と読むんですが
そこにいられましてね
そこに滞在されたというのが
時のそういう技術です
それで今現在の現地に弓の宮神社には
石が建ってますよねということでございます
そこにまず拠点を作られた
しばらく軍勢をとどまらせたということですね
そうです
それから九州へやっておられるんですけども
その前に神宮皇后と
それから神獣万字の玉というのをつけ物でですね
これはどういうふうな関係なんですか
神宮皇后はですね
かなり余儀が達者と言いますかね
実は美若の二人の佐方軍
あの二人で沖縄一族の人になって
沖縄たらし姫と言いますね
沖縄一族の娘さんなんですよ
ですから美若と言いますと
そういう大きな海ですからね
あそこで座っておりますんでね
相撲りから魚釣りから大好きな人だったらしくてですね
この弓の宮神社豊浦宮にお付きになってすぐですね
09:02
実は海中に潜ってですね
そしてどうも漁をされたみたいですが
その時海底にですね
万獣神獣の玉というのがあったらしくてですね
綺麗な玉があったらしくてですね
玉がそれを拾われてですね
それを拾い上げて
そしてまず近くに万獣島神獣島ありますよね
そこに放納されたということですが
いくつも捕らえたんでしょうかね
例えば佐賀県で言いますと
淀姫神社ございますよね川上に
そこに万獣神獣の島を放納されたとか
その名残は今白玉に言ってますけどね
それから佐賀県の唐津の近くの柏島
そこにも万獣神獣の島を
染められたというような伝承がありますんでね
そういった記念の品として
あちこち配ってあるみたいですね
これは実際に自分で潜られて
手にされたんですか
ですから彼女は泳ぎ達者じゃなかったんでしょうかね
例えば玉島の里では唐津では
鮎を釣られたりしてますよね
ですから魚釣りとか
潜って魚を捕られるとか
非常にそういう意味では
活動的な女性だった可能性が高いですね
そして下関から九州を渡って来られます
2人は家臣部に入られますよね
なぜこの家臣部が拠点になっていくんですか
非常にこれ謎なんですけどね
ですから家臣と言いますと
例えば神武天皇が長県で即位されますのは
菓子荒具でしょ
菓子いわゆるどんぐりの実がなりますよね
ですから古代人にとっては
その菓子の木が生える場所というのは
非常に神聖な場所と言いますか
あれはどんぐりは縄文時代から食料品になってましたからね
ですからそういう菓子の木がいっぱい茂る場所というのは
神聖な場所でそういったところに拠点を置くべきだと
いう気持ちだったのか
地形的に言いますと
この福岡の中心部から言いますと
やはり東に偏っているんですよね
あの場所は
中心部に入らずにその周辺に拠点を構えられたと
後遺的に言えば
先住んでいる博多の人たちに迷惑をかけないようにしたとか
いうことを考えられますが
若干やっぱり初めて九州に来て
若干の警戒心があったんじゃないでしょうかね
やっぱり安全な場所に拠点を設けられたと
菓子区が一番場所がいいと
菓子山と鹿之島は割と近いですからね
ですから船便がいいですから
12:00
船で中央行っても来られてますから
船団が防御にしやすいと
菓子区に拠点を設けられた可能性が高いと思いますね
今夜は神宮高号の人物像について
神宮高号の謎を解くの著者河村哲夫さんに話を伺っています
菓子区に拠点を設けた神宮高号でしたが
ここで夫の忠愛天皇は突然亡くなります
この辺りの話から続けます
これはある意味で演劇で言いますと暗転ですよね
本来熊瀬を討伐しにやってきたはずなのに
いきなり神宮高号に神が乗り移るんですよね
そしてその神が西の方の国に行けと
具体的に言えば白城に行けと
そこに行けば金銀財宝がいっぱいあるから
それをお前取れとこういうようなお告げと言いますかね
が来るわけあるわけですね
本当かなと思って
忠愛天皇は山に登ったりして西を見るけど
そういう国は見えないとおかしいということでしたが
そういう最中にあるとき
査庭という菓子区の査庭という場所で
もう一回いろんな儀式をやろうということで
琴を弾いておられたところが真っ暗闇で夜ですから
琴の音が消えたと
明かりをつけたところが
忠愛天皇が亡くなっておられたという
そういう事件が起きるんですよね
突然死されたと忠愛天皇が
しかも前段としては
朝鮮疾病にあまり乗り切れなかったような感じがあるわけですね
いう中で亡くなれたと
ひょっとしたら暗殺じゃないかと
食い出てたじゃないかという説もちらはあるんですけどね
いずれにせよ突然亡くなられたということですね
忠愛天皇の死亡につきましては
別の説もあるんですか
そうなんですよ
これも日本書紀の1章に書いてあるんですが
熊津と戦ってその怪我がもとで亡くなったというような説も書かれてるんですよね
現に小堀市にございます未成大劣的神社
そこの伝承ではですね
この地で怪我のために亡くなったということで
未成大劣石という大きな石があるんですよねご神体として
神宮皇はそれによろいかぶとを着せて
朝鮮に渡ったというような伝承まであるんですよね
ですから突然か死後で亡くなったという説と
怪我がもとで亡くなったという二つの説があるということですね
そして夫が亡くなった後ですけど
15:02
神宮皇はどういうふうな行動をとられるんですか
これがまたおかしいんですよね
まず天城方面に出兵してですね
八郎熊橋というそういう熊津の親分をやっつけるんですね
そしてその後は地区を方面に行かれましてね
昔の世田谷今は宮山市ですかね
そこの田村妻というそういう女性を討伐されるんですね
ですから考えによっては朝鮮出兵のために
高校の売れを立つと言いますかね
あるいはその間兵隊を集めると
最初言いましたように1万人ぐらいで来られてたんでしょうけども
本格的に朝鮮半島に行くためには4、5万いるでしょうからね
ですから九州の兵隊を集めるということで
合わせて反乱勢力を討伐するということで
九州北部九州からですね
兵隊を集められたという形があると思いますね
そして神宮広報は福岡県内をぐるぐる回られますけど
糸島半島は何回か行ってらっしゃいますよね
これはどういう狙いですか
やっぱり糸島と言いますのはですね
山田彦の時代からやっぱり大陸に開かれた港としてですね
もちろん唐津もそういう傾向があるんですけども
やっぱりあの
朝鮮半島に渡るためにはですね
糸島それから鹿之島ですね唐津
こういった玄海などの要所要所をですね
抑える必要があるということで
ここにも一度下見に来られましてね
その後出兵されているという感じですね
それから白城討伐にあたってはですね
海洋民族ですね
安住族というのを味方にしていきますよね
これやっぱり海の方の道案内をさせるためということですかね
そうですね
例えば安住のイソラという伝承がありますよね
彼が神宮港を水崎案内して
津島のところは生きても伝承をいっぱい残してますしですね
ですから安住一族が
鹿之島の安住一族が神宮港の味方をしたと言いますかね
大きな戦略になったことは間違いないと思いますね
それともう一つは
宗方にも日本を代表する海人族
宗方一族がいましたよね
よく沖縄は世界遺産になりましたけども
あの祭祀はですね
やっぱりこの最初に言いました通り
4世紀の末ぐらいから始まっている気配があるんですよね
ですから朝鮮半島への日本軍の出兵という
そういう安全祈願のための
そういう祭祀が行われた場所である可能性も高いと思いますね
18:02
ですから宗方一族も神宮港に対して協力をしたということだろうと思いますね
そして神宮港は朝鮮半島に出兵したときは
お腹に子供がいたんですよね
妊娠したままの出兵
ですからもう考えてみますとね
妊娠は8ヶ月ぐらいで出兵されたことがあるんですよね
そして向こうで瞬く間に白木を制圧されましてね
そして帰ってきて
かしゆうに帰ってこられましてね
もうすぐ出産間近になりましてね
そして海八幡でやっと行きましてね
もう妊娠が始まってですね行かれて
海八幡で大神殿の出産されたというのが
日本書紀の流れですけどね
その後最終的には下関の豊浦宮へお帰りになると
その後が問題なんですけども
後取り問題で
千葉家天皇の先妻の子
籠坂王と牛熊王の兄弟の
母数になりますよね
これはどういう戦いになるんでしょうか
これはもちろん神宮皇としては
自分が産んだ子供
大神殿の将来天皇主体というのも
それは一番の思いでしょうね
ところが別腹の子と言いますか
千葉家天皇の別の子供がいましてね
大きくなった籠坂の御子と牛熊の御子ですね
彼の二人がどうも軍勢を構えて
どうも世田谷会方面で待ち構えているという情報がありましてね
先ほどの武雄少年が大神殿の大手ですね
まず和歌山の方に密かに入るんですよね
そして神宮皇が本体を引いて
そして攻撃しに行くんですね
ところが籠坂の御子と牛熊の御子が
一応待ち構えておったんですけどね
お祭りしている最中ですかね
大きなイノシシに襲われましてね
籠坂の御子がイノシシに押しつぶされて
亡くなってしまうんですよね
ですからこれは不吉だということで
牛熊の御子は美和宮方面に陣を築くんですね
避難するんですよ
そこで武雄少年も合流しましてね
神宮皇軍が一緒になって彼らを追い詰めていくと
そして最終的には美和宮のほとりで
完全に処理するという流れなんですね
そしてその結果どうなったかと言いますと
神宮皇軍は摂政につかれます
摂政に
ですから一般には聖徳太子が
摂政を初代だという話になってますが
21:00
日本初期上はですね
最初の摂政は神宮皇軍なんですよ
ですから応神天皇が大きくなるまで
成人するまで摂政として
政治を行ったと
じゃあなぜ女系天皇にならなかったかと言いますと
それは神宮皇のお父さんもお母さんも
天皇じゃと関係ありませんからね
ある意味は一般庶民ですから
ですから天皇にはなれないと
摂政にはなれたと
そして我が国を忠愛天皇の子供を天皇につけて
摂政をやめられるんですね
そういうことになります
結局は大和の国に都を作られるんですか
もともと代々奈良県の方で都があったんですが
結局和歌桜の宮と言いましてね
そこに拠点を設けられまして
そして政治を行うということですね
今夜は神宮皇后の人物像について
神宮皇后の謎を解くの著者
河村哲夫さんにお話を伺いました
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島梨恵さんです
こんばんは
世界遺産神谷鶴島 胸肩沖の島と
関連遺産群の構成資産でもあります
福津市の新晴山ぬやま古墳群の情報です
今ですね3月20日まで
福津の古墳祭りが行われているんですよ
この新晴山ぬやま古墳群の周りに
菜の花がカーッと咲いてましてね
いい季節ですね
黄色の花が揺れる向こうに
古墳が立たず
妙に癒されます
いい眺めなんですよ
でもこの番組のリスナーさんに
私が一押ししたいのは
実は3月20日最終日に
いろんなイベントがあるんですが
新晴山ぬやまの
34号墳の現地説明会が
行われるんです
これは興味深い
なのでちょっと一足早く
現地で福津市教育委員会
文化財課市籍整備係長の
井浦はじめさんに色々教わってきました
この34号墳なんですが
展望所の近くに
10個ぐらいたーっと一列に並んでる
古墳の一番
展望所から遠く側にあるところなんです
で
直径が残っている大きさからで
20mぐらいと言われている
6世紀後半の
塩墳なんですが
お饅頭を3分の1
かじってください
それをそのまま置いたら34号墳の
今の形だと思っていただければと思います
かけた塩墳のような感じなんですね
実は一部その
急斜面が崩れてまして
この急斜面を
来年以降
安定化工事するのでそのための準備作業
24:00
してるんですよ
それがその発掘作業とほぼ一緒になるので
最新の情報が
出てくるわけなんです
これがそばまで行きましたら
高さが6mぐらいあるんですよ
本当に大きい
圧迫される大きさです
で下から1.5mぐらいまで
赤っぽい土があって
その上にベージュっぽい
グレーっぽい感じの土がずっと並んでるんです
よく見ると
赤いこの土の間に
ベージュグレーの土が
1mぐらいの幅であるんです
これが今回のポイント
本来の古墳の
出入り口の跡
が出てきた
墓道
墓道って呼んでるんですけど
赤く見えてるところに
キャタツの向こう側ですね
グレーのところ
あの部分だけが
昔の人が掘って
それが後に埋まってるんですよね
中に続くトンネルみたいな
通路が
右側から
通路がこう来て
トンネルになって
中に石室があるっていう
本来の古墳時代の人が使った
通路の跡が
出てきてる
おーなるほど
はっきり分かりやすいです
私も見た瞬間に色違うって
分かったぐらいなんで
みんなこれ確認できます
もう一つこの古墳の上4分の1ぐらいを
見るとですね
パッと見15cmとか10cm幅があるのかな
そのぐらいの幅で
たくさん横に平行線が入ってるんですよ
層になってるんですね
あんまり変なことになりませんが
これも注目ポイントです
割と横方向に
スーッと線が入るってことは
あの面で綺麗に
固めてるんですよね
あんまりデコボコはないんですよ
ですから
ある程度この土を入れたら
敷きならして
あの
沈み込むことがないように
あの一辺固めておいて
で継ぎ入ってるんですよね
古墳の
この墳球を作る
様子
墳球を作った様子
土を盛り上げて
古墳を作って
いった古代の人たちの
作業の様子がですね
見えると
その辺を注目してもらえたらいいかな
思います
古の土木建築の
光学が見えてくると
まさにそれですよ
ちょっとワクワクしてくるんですけど
土の層が見えるってやっぱすごく魅力的なんで
ここで聞けるだけギリギリまで近寄って
間近に見られるように準備してます
って井浦さんもおっしゃってました
さらにこの34号墳なんですが
将来的に
こんな構想があるんだそうです
この34号墳っていうのは
そういう石室の中を見学することができる
第一号になるかもしれない
ということでですね
あの皆さんが
古墳のその価値
古墳がどういったものか
27:00
っていうのを見学されるときに
やっぱり石室の中
というのが見れたらいいな
という声もありますし
保存と活用をですね
そういったところを
上手く見据えながらですね
この事業を進めていきたい
はい
ぜひ実現してほしいですね
結構時間はかかりそうですが
この方向に行くんじゃないかと思っております
まずは3月20日に現地で
シンバルの山古墳群34号墳を見ましょう
10時受付開始
10時半から11時半のご案内になります
この日に行けない人は
カメリアステージの歴史資料館で
34号墳発掘速報展が
3月28日まで行われてますので
こちらもご覧ください
中島リエさんでした
番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
これまでの放送内容と
番組を1回目からじっくり
楽しむことができます
RKBラジオのホームページの
古代の福岡を歩く
シーズン7のバナーをクリックしてください
また
ラジオクラウドという無料アプリを
ダウンロードすればスマートフォンや
タブレットでもお楽しみいただけます
この番組は
三山市の企画協賛
餃子の山八
道の駅村方の提供で
お送りいたしました
ご案内は高田周大でした
第ラジオ番組
何にもない
そんな時間はポッドキャストで
過ごしませんか
RKBでは
毎週40本以上の
ポッドキャスト番組を配信しています
あなたのお気に入りの
声にきっと出会えるはず
ラジコ、ポティファイ
アップルポッドキャスト
アマゾンミュージック、ユーチューブミュージックで
RKBと検索して
フォローしてください
RKBオンラインのポッドキャスト
まとめサイトもチェック