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古代の福岡を歩くシーズン4
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
いつも旬のものをお届けします。
世界遺産、神宿島、村方、沖ノ島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
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こんばんは、坂田周大です。
今週は神宮皇后の足跡をたどります。
綾杉ルナさんには神社から足跡をたどっていただいていますが、
綾杉さんの話はタブラツ姫の討伐を神社からたどっていただきました。
今週はそのタブラツ姫の討伐の道から柏宮へ帰ってくるまでの行程を
神宮皇后の謎を解くの著者河村哲夫さんに伺っていきます。
まずタブラツ姫はどのあたりを拠点にしていたのかから聞いていきます。
ちょうど今宮間市にですね、雑山、女山とかいって雑山と言いますけど、
そこを拠点にしておったみたいですね。
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そこに皇后席がいっぱいございますけれども、
白村后の戦いのときの砦だという話ですが、どうもそうじゃなくて、
やっぱり結界を割っておったという感じがしますね。
そこでタブラツ姫が女王として拠点を設けておったということのようですね。
その辺を拠点にして勢力を伸ばしていた人物ということですね。
それで八六間は市を討伐して、そしてどういうルートで神宮皇后一行は。
伝承を追いかけますとですね、どうも法満川を下っているみたいですね。
法満川。
小郷市に三世大霊石神社という神社がありますし、
あるいは小郷の神岩田にも神岩田神社というのがございますが、
神宮皇后とそれから中藍天皇、それと随行しています竹尾祝礼の伝承がいっぱい残っているんですよね。
そしてそれから地区王側に出ましてですね、
久留米の甲羅山に参拝し、それから大禅寺ですね。
そこを通って地区王側の河口の不老宮に行ったというルートはだいたい見えてまいります。
三世大霊石神社ですね。
ここにはその中藍天皇がこの辺で亡くなったという話があるんですね。
そうなんですよ。日本書紀の本文ではですね、
家臣で妻子の途中に突然亡くなれたということを書いてございますが、
日本書紀の一書にはですね、一節ではどうも熊津との戦いで傷を負って亡くなれたらしいということも書いてあるんですよ。
この大堀の三世大霊石神社はですね、ここの場所で熊津と戦って亡くなられたと。
そういう伝承なんですよ。
どちらかと言いますと神宮皇后はご主人にあまり優しくないような女性ですが、
この三世大霊石神社の伝承ではですね、
三世大霊石、大きな岩がありますけどね、御神体の。
その岩にですね、亡くなられた中藍天皇の鎧兜を着せて、
そして船で朝鮮に地に渡ったんだと。
帰りここで霊石として祀られたんだというような非常に定説な女性として伝承が残っているんですよ。
今となってはですね、どちらが本当かわかりませんけども、
日本書紀も一書で別の伝承書かれてましてですね、
ひょっとすればやっぱり熊津との戦いで傷を負って、
その怪我がもったいなくなった可能性もなくなるかなという感じもしますね。
ああそうですか。この辺にその伝承が残っているということですね。
この辺から四国川に下っていくんですね。
この辺りで三沼の君の艦隊を受けますよね。
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それはですね、その前の戦前大名の慶光天皇なんですよ。
慶光天皇が多摩川方面から来られてですね、
そして矢部川を登るときに、猿尾美という三沼の君のあがた主がですね、
道を案内したと。ですから当然神宮皇時代も三沼一族がですね、
この辺りに拠点を張っておったということを言えると思います。
三沼の君がこの辺に勢力を張っておった。
三沼の君も一応神宮皇を手助けする。
そうだと思いますね。
実は慶光天皇がヒューガでも受けた九日和家という人物がいるんですけどね。
その九日和家が国の宮津湖でこの四国川流域に配属されたと。
そして後の三沼一族の先祖の仲という伝承別にあるんですよ。
ということは天皇家の血を継いだ九日和家がですね、
おそらくこちらに向井よしかなんかが来て、
そして神宮皇后と行動を共にして、
そして朝鮮半島に渡って向こうで活躍したというような伝承なんですよね。
この辺りには三沼の君の和家ですか、
御元塚ですね。
御元塚。
御元塚の御文がありますよね。
三沼一族の和家だというふうに考えます。
その三沼郡になりますけど、
三沼郡を過ぎて大川に到着すると。
そうです。
大川に風楼宮というのがありますけど、
そこにも神宮皇后の伝説が残っているんですね。
特に随行してました安住一族の安住の磯ら、
彼の墓もあると言われてましてですね、
安住一族と非常に関係のあるそういう怪人族がいたという感じもいたします。
そこで白鷺が飛んでいくのを見て、
鷺が見えるということで酒見という場所に今風楼宮がございますよね。
酒見という場所がありますね。
ですから神宮皇后の伝承がいくつも満ち満ちているということが言えるかと思いますね。
この後ちくわを南下して。
そして有明部屋に出ましてね。
やべ川の河口に行くということです。
やべ川の河口にですね、高尾神社というのがありますね。
この辺に神宮を敷くんですか。
そうです。高尾神社にですね、
腰掛石とかですね、神宮行く間にそういう伝承がいっぱい残ってまして。
今、海岸から言いますと、
5キロぐらい内陸部にありますが、
昔はこの辺りが海岸入江だったんでしょうね。
そこにおそらくそういう神社があったというふうに思われます。
この辺で神を敷いて、
そしてタブラツ姫の討伐にあたるということですね。
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この辺からあれですかね、
豊山付近を目指すということになるんですかね。
そうですね。古代どちらかと言いますとね、
豊山、世田谷の清水山でございますが、
あの山陸近くにどうも大きな集落があったみたいで。
ですから女王様としては、
その地域の女王としては、
そういう豊山とか、山の中に砦を作って居住しておったんでしょうね。
ですから、姫子と同じように女王制度をとっておったということが言えるかと思います。
ですから、タブラツ姫は姫子だという人も中にはいますけどね。
そうなんですか。
宮橋一帯は古典的な山田行く九州説の聖地ルーツでありますからね。
そういうことを言った人もおります。
ただ最近、やっぱりこれも新幹線だとか高速道路の整備で、
いろんな大きな集落が結構出てるんですよ。
ですから再発見と言いますか、再認識の風潮が少し高まっておりましてね。
ですからひょっとすれば、何らかの大きな吉野割り級の遺跡がですね、
ドーンと出る可能性もあるかと思います。期待してます。
期待されますね。
このタブラツ姫をこの豊山付近で打ち取って、
タブラツ姫のお墓っていうのは熊塚?
お祇松神社というのがございましてね。
そこ境内のちょっと近くに熊塚が、小さな塩分ですけどね。
これがいわゆる土雲から来た熊塚と言いますか、
タブラツ姫のお墓だという伝承が残っておりますけども、
実際発掘されたわけじゃありませんので、あくまで伝承としては残っているということですね。
ただ、日本書紀を見ますとね、討伐された後に、
お兄さんの夏羽という人物がですね、あわてて駆けつけましてね。
そして妹を助けようとしたと。ところがもうすでに亡くなっておったもんですから、
どっか行方知れずと言いますか、逃げていったという記述があるんですよね。
ところがその夏羽の伝承はですね、河原町のすぐ近くなんですが、
田川市のですね、夏吉という場所に残ってましてね。
ここで夏羽が打ち取られたということで、夏吉という名前になったという伝承が残っているんですよ。
不思議な、なんで山の山中から引っ越さないといいますか、
あちらまで逃げていったのか、不思議でたまりませんけど、
何らかのそういう三角形の人物だったかなという気もしますね。
神宮皇后は八郎熊橋を討伐した後、すぐに田村津姫の討伐にかかります。
法満川から蓄穂川へ下り、有明海へ出て、さらに八部川へと入っていって、
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大和町へやってきます。
ここの高尾神社付近で陣を張ります。
そして雑山に籠る田村津姫を討伐するのです。
この後神宮皇后は今度は佐賀へと向かいます。
その後の工程をたどります。
伝承を追いかけますと、今度は船で佐賀の堀江神社といいますかね、
今佐賀駅のすぐ裏側にありますけど、昔はそのあたりまで海岸線だったんでしょうか。
堀江神社に上陸したと。こういう伝承なんですよ。
堀江神社ですか。
堀江といいますから、おそらく入江を人工的に掘った可能性もあると思うんですけど、
掘ってですね、そういう堀江神社という、そこの中に神宮皇后の歌まで残っているんですよ。
本当はどこか分かりませんけども。
地平破る神もこの野に集まりて、一群だけを宿と定めると。
ですから今皇后というのが出ましたけども、皇后公園とかがございますよね。
これから来たと言われてますけど、神の野と。
神もこの野に集まりてということで、そこに上陸したという伝承ですね。
これは佐賀のどのあたりになるんですか。
ですから皇后公園の近く、佐賀駅の裏側なんですよ。
佐賀駅の裏。
だからとてもじゃないけど、今では海岸線もずっと遠いんですよね。
佐賀平野というのは基本的に江戸時代の官宅でできてますから、
ですから昔は古文時代と言いますか、神宮法時代には、
やっぱりかなり佐賀駅近くまで海岸が、海が広がっておったんでしょうかね。
そういう機会がいたします。
そしたらこれは筑豪川からですね、荒谷海に出て、
それからどういうルートで佐賀の方に行ったんでしょうかね。
ですから沖合をずっと沿岸を船で行きまして、
そして笠川の河口まで行っているということだろうと思いますね。
笠川をずっと登っていくという感じになるんですか。
そうです。だから皇后公園の近くの堀江神社に上陸しまして、
それから川を登って行って、笠川が今よりももっと広い川だったんでしょうね。
で、淀姫神社。
淀姫神社ですね。
川上がございますよね。そこに万寿漢字の玉を奉納されたと。
それにちなんで今、白玉万寿って売っておられますよね。
これが神宮公以来のそういうお土産だそうです。
笠川に入った後、今度は川をちょっと変えて玉島川。
淀姫神社、川上神社のちょっと上流から、今度は西のほうに行きますと、
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玉島川が上流が流れているんですよ。
それをずっと下って行きますと、唐津のほうに出るんですよ、玉島まで。
だから昔はやっぱり船を使って、川船を使って川を行きしていたんでしょうかね。
荷物なんかありましょうから。
今よりももっと流れも大きくて、今はもうだいぶ小さくなってますけども、
船の船便というのが果たしとった可能性ありますよね。
神宮公は玉島川で釣りをするということですね。
よく彼女はですね、魚に関して占うんですよね。
例えば、魚だけじゃないんですけど、
神が二手に分かれたら海水に浸かってですね、
二手に分かれたら朝鮮出兵成功するとかですね。
そういう占いをよく魚にやるんですよ。
ここでは大きな岩の上に乗りましてね、
そして竿を作りまして、そして糸でバッツリ糸を作りましてね、
そして針を曲げて釣り針すると。
そしてご飯粒をつけて釣るんですよね。
そして魚が釣れたら朝鮮出兵は成功すると。
釣らなければ失敗だと。こういうことを占うわけですよ。
すぐその魚がかかるんですよね。
その魚がアユですね。
ですから魚へんに占うと書くでしょ。
アユは。だからこれに由来するんですよ。
ああそうですか。
このアユ釣りにちなんでですね、
後の時代万葉集にもですね、
大友の旅人がですね、いろいろ歌を歌ったり、
それをよく和歌の題材になってしてますよね。
ここでアユ占いをすると。
その後ですね、また船で鏡山の方に向かうんですかね。
船といいますか、今はもう内陸部で立派な陸地ですけども、
当時はですね、やっぱり先ほどと同じように、
海がかなり内部まで入り込んでいましてね、
ここはどうもガタ地だというですね、
看板の差がありまして、
ですからなかなか満潮の時じゃないと船で行けなかったみたいですね。
途中で船がですね、
日も幸も行かなくなって、
しつばるという場所、
しつばるというのはどうも干潮の時に船が行けないようなことを言うらしくて、
だから今しつばるという場所がございますもんね。
ああそうですか、しつばる。
星という字にいるという感じですかね、しつばる。
いまだしつばるという意味はないんでしょうけども、
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そういう小技名としてはなんか残ってるみたいですよ。
そうですか。
そして鏡山に登りましたね。
鏡山と言いますと鏡山ですから、
鏡を奉納されまして、
そして文聴祈を祈られたということですね。
神宮皇后という人はよく山に登る人ですね。
そうですね。
だから昔はやっぱりあれじゃないですかね、
一つは山に登って一つ意味がありますのは、
やっぱり当時ナビゲーション、地図がありませんから、
地形を確認できるということがあったと思いますね。
二つ目はやっぱり天に近いですから、
やっぱり神々が宿る場所として、
よく祠が祭ってありますよね。
ですからそこでお祈りすると天に向かって、
ですからお祈りしたり、
それから地形を地図として観察できるという機能があったと思いますね。
まあ見客であることは間違いないです。
そうですね。
この鏡山から今度は降りて、
この後松浦半島を進むんですね。
予備校まで行くみたいですね、予備校のほうまで。
松浦半島に港というところがありますね。
八坂神社とかありますけどね。
八坂神社は面白いんですよ。
神宮皇后が出兵しますときですね、
住吉八幡のお告げで、
ひょうたんに木の灰を入れましてね、
灰を撒いていったらいいということで、
その通りして行ったんですけどね、
この八坂神社には灰振祭が残っているんですよ。
そうですかね。
だから唯一古事記に書かれてますけども、
そういう祭りを伝承しているのはこの神社だけですね。
この港あたりが前線基地になるわけですね。
沖合にすぐ近くですが、
柏島があります。
柏島がありますね。
これがおそらく前線基地だろうと思います。
柏島が。
神が集まる島と書いてですね。
柏島ですけども神宮皇后の伝承がたくさん残ってますね。
住吉神社をはじめ、
氷際とかですね、
それから歩けば、
滝口の伝承もありますし、
歩けばすぐぶち当たるような、
小さな島ですけどね、
特に面白いのはですね、
大気が集まったもんですが、
港を3バッチを作ったと。
整備したと。
ところが夜中にコケココと鶏が鳴いたらしいんですよ。
閑静間近になって。
夜中にですね、
鶏が鳴くのは非常に不吉であると。
ということですぐ工事ストップしましてね。
そしてそこを出発したらしいんですけども、
それ以来ですね、
この島ではまず、
鶏を飼わない、食べない、持ち込まないと。
こういう三原則があったそうです。
今ではそういうことはないと思いますが。
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まさかそれから柏という名前ができたとは思いませんけど。
ただ一番、
域に近い場所にですね、
宮梨場所に氷際というのがあるんですよ。
大きな岩があります。
ここに登ってみましたらね、
すぐ正面間近にですね、
氷際がゾーンと見えるんですよ。
ですからここで、
やっぱり竹内、
いろんな人たちが集まって氷際をして、
じゃあこの工事で行こうとかですね、
これだったら半日で行けるぞとか、
いろんなそういう氷際をやったんじゃないでしょうかね。
ですから氷際という名前が今残ってます。
そうですね、大変見晴らしのいい場所でしたね。
そうですよ。
ただ行くのはめんどくさいですけどね。
結構歩いては大変ですけど。
道が細くてですね。
一度行く価値あると思いますね。
神宮高号はこの後、
呼ぶ子まで行って引き返します。
そして糸島半島を歩き、
雷山に登ります。
雷山からは糸島半島を一望でき、
福岡平野やさらには
宮方や大島まで見ることができます。
朝鮮出兵の準備をしたのでしょうか。
神宮高号はこの後、
中川市に抜け、
ここで作多のうなでを作り、
歌詞郡へ帰ってきます。
お話を神宮高号の謎を解くの著者、
河村哲夫さんに伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター、
中嶋理恵さんです。
こんばんは。
実は来週注目の説明会があります。
世界遺産のシンバルぬやま古墳群の
十五号墳、福津市ですね。
この現地説明会があるんですね。
3月23日土曜日午前の部は午前10時から、
午後は午後1時からだいたい1時間ぐらいなんですが、
一体どんなことを見せてもらえるのか。
一足先に福津市文化財課の
市籍整備係長井浦はじめさんに
教わってまいりました。
今回この十五号墳、
修理、保存することもありまして、
五分の正確な規模や形状、
つまり塩分と言われている十五号墳なんですが、
だとしたら直径はどのぐらいなのかとか、
周りに溝、
収穫があるのかどうかとかですね。
形が本当はどのぐらいだったのかなっていうのを
きちんと調べようということで調べてるんです。
結果として収穫、
古墳の周りの溝を見つかりました。
それからすると今ですね、
このお山のポコッと出てるのが
直径20メートル弱しかないんですが、
どうやらもっと裾野が広くてなだらかで
25メートルぐらいまであったんじゃないかな
っていうのが推測されるんですね。
全体像がまだ掴めてないんですからね。
削られてますから補っていくしかないんです。
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溝が出ることで裾野が見えてきました。
この裾野にある収穫の存在が
もう一つ新しいことを示したんですね。
実は塩分と言われてたけど
塩分じゃないかもしれない。
どういうことですか?
この十五号墳のすぐお隣に
もっと小ぶりの十九号墳っていう塩分があるんですが、
隣接してるんですね。
そうなんです。
その間に回り込む溝があるはずだと
見つけて掘ったんですが、
いや、そうではないと。
こんな感じでした。
両方の今まで塩分と言われてた五分の間に
やっぱり溝が行かないんですよね。
溝がないということ。
その他はぐるっと回るんですよ、溝が。
ここが収穫の溝ですね。
ちょっと黒ずんでる感じで。
かなり古いですね。
1000年、2000年経ってるような埋まった土って
割と淡い黒い色だったりして
なかなかわかりにくかったりするんですね。
ここはちょっと淡くてわかりにくいんですけど
向こう側のしっかりした地山、オレンジ色の地山から来ると
やっぱり少し黒いっていうのがわかると思います。
わかるんです。
手元に当日配られる図面があるんですが
資料が持ってきてもらいました。
きれいに色がついてる。
丸の周りに溝があるんですけれども
くぼみのところで本当は繋がるんじゃないかと思っていたら
思われていたけれどもそこに溝はない。
ない。逆に外側に向かってもう一度開いていこうとしているのが
ちょっと気配で見えるんですよ。
ということは隣接する二つの塩分と思われていたけれども
そこに区切りがなかった。
そうなんですよ。
この続きは私は勝手に絶対に繋がってると言っちゃいたいんですけど
この続きはさらに調査をして確実なものにしていくと。
言えないわけですね。まだわかんないですね。
ほぼでも塩分ではないと。
そういう状態。
これが黒い土の溝の部分と元のオレンジの部分ははっきり目で見えるんで
今私がこのおおと思っていた感じが実際に現地説明会では見れるはずです。
調査の最先端だ。
そうなんです。
さらにもう一つお楽しみどころがありまして
出土品も見せてもらえるそうです。
結構きれいな模様の入った水液とか
それからハニワが出てるんですよね。
この古墳はハニワを持ってるんですよ。
どんな形?
円筒ハニワですけどね。
破片ですけど
普通はわりと小ぶりな
この辺ですと小ぶりな塩分はなかなかハニワを持ってないんですけど
大きな古墳ですね。
22号墳とか出るんですけど
これは持ってるんですよね。
ですからやっぱり
ただの塩分ではなくてですね
やっぱりもうちょっと大きな古墳の可能性がありますね。
全方高塩分の可能性はやっぱりありますよね。
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そういうことですか。
そうなんですよ。ワクワクしちゃいますよね。
やっぱり調べるときに
潜入感を持たないっていうのがベースなんですって。
捕らわれちゃいますからね。
ですから出てきたものを正確に記録して
どこからどういう状態で出てきたのか
これを踏まえて
推理というか推測というか
リズを重ねて結果を出していくと。
その結果に基づいて
これから先整備が進んでいくんですが
1年2年だけじゃなくて
5年10年かけてどんな姿になっていくか
こういったところもこれから長い間
私たち楽しませてもらいます。
ワクワクします。中島理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と
番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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この番組は
福津市の企画共産
福岡県商工会連合会
餃子の山八
道の駅室方の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
またね!