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S9 26回目は神功皇后ゆかりの神社を訪ねます。
2024-03-24 29:53

S9 26回目は神功皇后ゆかりの神社を訪ねます。

第14代仲哀天皇の妻である神功皇后は、謀反を起こした九州の熊襲を討伐するために天皇と下関にやってきます。
ここで討伐の為の拠点として豊浦宮を建てます。
その場所は現在の忌宮神社があるところ。
この近くの海で、神功皇后は干珠満珠の玉を手に入れたといわれます。
また、ここでは新羅の塵綸(じんりん)が皇后を襲うという事件がありました。
この時、天皇は自ら弓をとって敵を退散させました。
その勝利を喜んだ皇軍は旗をかざして塵綸の遺体の回りを踊り回ったそうで、現在もこれが「数方庭の祭り」として残っているのだそうです。
本殿の前には鬼石という石がありますが、そこが塵綸が葬られた場所だとか。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン9 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン9 この番組は
宮間市の企画協賛 餃子の山端
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田秀大です。 今週は久しぶりに神功皇后の話です。
神功皇后は第十四代中愛天皇の妻で沖永たらし姫と言いました。 そして九州の熊蘇を討伐するために
中愛天皇と下関から歌詞宮へとやってきます。 ところがここで中愛天皇は突然崩御。
そこで神功皇后は代わりに軍を率いて戦い 姉妹には白城との戦いにも参加しました。
そんな神功皇后を祀った神社は各地にたくさんあります。 今週はその神功皇后を祀った神社を紹介していきます。
お話を神功皇后伝承を歩くの著者 綾杉留那さんに伺っていきます。
まず神功皇后と中愛天皇が熊蘇討伐にやってきて山口県下関市に豊羅宮を作ります。
その豊羅宮跡にできた 忌みの宮神社からです。
まずこの御祭神はどうなっていますか?
中愛天皇と神功皇后それから大神天皇となっています。
中愛天皇と神功皇后は夫婦の神様ですね。
そしてそのお子様が大神天皇ということです。
ですからここは父と母そしてその子供といういわゆるファミリーで祀られているというところですね。
ここへ中愛天皇と神功皇后がそれぞれ違うところからやって来られてここで会われるんですね。
そうですね。今から1800年ぐらい前のお話なんですね。
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中愛天皇が即位されると神功皇后を皇后にされたんですけれど
昔の結婚というのはつまどいと言って男性が女性のところに通う形が基本だったんですね。
神功皇后も福井県のつぬ川というところにいらっしゃって
それで中愛天皇がそちらまでつまどいされたという形でしばらく過ごしてあったんですね。
それから落ち着いて一変紀伊半島の方に行かれた時に連絡が入りまして
九州の熊曽が反乱をしていると命令に従わず三つ着物を持ってこないと
それでいかがしましょうかと連絡が来たわけです。
それで天皇はそれならもう討伐しようと決心されて
この下関にやって来られたわけです。
神功皇后にも後からおいでなさいと連絡されて
少し遅れて別便で来られたということですね。
熊曽退治というのはずいぶん長いことかかって
ずっとやってらっしゃるような気がするんですがどうなんでしょうかね。
そうですね。中愛天皇の二代前が慶光天皇という方でしたね。
慶光天皇が九州巡行といって九州をずっと一周されるんですけれど
その時に従うか従わないかと
末労か末労わぬかといって
いろんな小さい国々に通って行かれるわけですね。
それで末労わぬ者は全滅と
そういう形で末労者は我が一族としようと
奇跡を迎えようという形で一周されてるんですね。
その時に末労わぬ豪族たちがいたわけなんです。
その後に慶光天皇のお子さんに大和武の御事がいらっしゃったけど
大和武の御事が残党狩りと言ったら変ですけれど
そうやって従わなかった人をもう一度行くわけなんです。
何回も何回もこうやってるんですね。
そしてついに残っていたのが
いわゆる朝倉の熊和氏とかですね。
そういう人たちということです。
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目的は熊曽大治というのが目的で
下関に来てここで豊良宮というお宮を建てになるんですね。
豊浦と書いて豊浦と発音していたみたいですけれど
そこを皇居とされて
そしてここで天下を治めたということが
古事記とか日本書記に書かれています。
ここにずいぶん長いことがいらっしゃったんですか。
そうですね。7年もいらっしゃいまして
何をされていたかというと
それがやっぱり戦うための準備ですね。
戦うための準備。
軍備と言いますけれど
昔の交通手段は船なんですよ。
それで船はあちこちで作ってあって
その材木を調達した話がですね
20箇所ぐらい下関から
それから巣尾なだの武前にかけてですね
そういうお話が伝わっています。
それからこの神社に
巣尾亭のお祭りというのがありますよね。
そうですね。
これが大変裕相なお祭りというふうに聞きますが。
はい。それが実は
忠愛天皇が戦おうとしたのは
熊曽岳ではなかったんですね。
なるほど。
朝鮮半島に白城という国がありました。
神宮皇后の時代は
白国とか猿国とか呼ばれていた時代なんですけれど
その白城で統一しますが
白城がずっとですね
この下関都を狙ってたんですね。
それで時には島に上陸して
そこの島から上陸しては
人を殺したりしていたというふうなことなんです。
それが実はけひの方ですね。
神宮皇后の出身地である福井県の方にも
白城が攻めようとしている話がすでにあって
それを何とかしなきゃいけないということで
実はこの下関まで出てきたみたいなんですね。
そうですか。
そんな時にちょうど7年ですね。
中藍7年の7月7日。
七夕の日ですね。
この日はみんな浮かれるような日なんですけれど
その日を狙って白城軍の神林という大正にですね
皇居に攻め込んできたわけなんですよ。
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それでその時に天皇と皇后を守っていたのは
安倍の高丸・助丸という人たちだったんですけど
これが福津の神様とされているんですけど
弓矢の強者だったんですね。
それで敵を倒してましたけれど
2人とも打ち死にしてしまいまして
それでついにいよいよ神林と中藍天皇が
相対峙するというところまで行ってしまいまして
中藍天皇が自ら矢を置いて
それで敵に当たって敵が倒れたと
それがちょうど鬼石という標識がありますけれど
神殿の正面にあるところ
ちょうど真ん前ですよね。
その時敵の神林の遺体をぐるぐる回って
喜んだというのが司法帝の祭りなんですね。
だから武者祭というのも
これも中藍天皇が敵を射たということを
記念したお祭りということです。
それで結局神宮皇后はなぜ三冠出兵したんだという話があるんですけれど
墨吉の神が進めたとかありますけど
それより前にとにかく白木が日本に渡ろうとしていた
なんとか防ごうとしていた
その戦いが完全に日本初期から省かれてるんですよ。
それで神宮皇后がなぜ朝鮮半島まで行ったかがわからなくなっていた
こういうところに要因があった
その話はもうここだけじゃなくて
久留米市の甲羅さんとか
そういうところにも伝わってました。
それからここにはお忌み祭という
古いお祭りがあるみたいですね。
これは江戸時代でも
殿様が教えてって言っても教えられんという
いうほど秘密にしていたお祭りだそうなんですけど
今は本に書かれています。
その祭りはいわゆるかんじゅまんじゅのお祭りに関係するんですね。
12月7日から新門を閉じて
そして新職の方たちが物読みをされて
そしていろんな行事がありますけど
その一番大事なのは
3日間神獣島と万獣島に出かけて行って
小舟で行って
そしてそこの海水、海の水と
12:01
それから砂をですね
持って帰るという
これがまさに教い取りですね。
箱崎宮でも教い取りするじゃないですか。
あれと同じ意味のものなんです。
で、面白いことに
万獣島、かんじゅ島という2つの島ですね
三角形の島と平たい島があるんですけれど
それも神宮皇后にちなむ島で
神宮皇后が
鹿の島で
かんじゅ万獣を借りられるんですね。
そして武之介がそれを使うわけなんですけど
いろんな戦いでかんじゅ万獣島を使って行って
最後に海の神様からいただいたからといって
この豊浦宮の浜辺で
海に返されたわけです。
それがこの島になったという
伝説になっています。
神宮皇后にとっては重要な島になりますよね。
そうですね。感謝の祈りを捧げた島ということになりますね。
この後もいくつか出てきますよね。
万獣かんじゅの話が。
神宮皇后でここで軍備をしていたということで
いろいろと残っているんですか。地名に。
そうですね。
神宮皇后は
7日間忌みごもりをされます。
それでこの神社が忌みの宮神社という名前になるわけですね。
神様を祀って
祭壇を作ったということから
壇の上という地名になります。
そして神様に捧げ物を川に流すわけですね。
それが壇宮川と。
それが流れ着いた海が壇の裏。
そういうふうに地名が起こります。
それから神宮皇后は
いろんなところに神様を祀りに行くんですけれど
北九州の市宮神社というところには
神武天皇が祀られたという祭祀場があるんですね。
そこまで出かけてお祭りされています。
それでそこの上陸した港を
神ヶ崎と言うんですよ。
北九州に神ヶ崎という信号機がありますよね。
あれも神宮皇后にちなむ地名ということです。
それから財木を調達するのに
物部氏が神宮皇后を特力に案内するんですね。
特力という地名も財木を取り木したと。
15:04
木を取ったと。
それから鉛って特力になったというふうなことです。
ですからたくさん神宮皇后の足跡の地名が
残されているということです。
それから豊琴神社というのがこの近くにあって
ちょうど満塾安寺の今お話が出ました。
満塾安寺の島がすぐ目の前に見えるところがありますね。
そうですね。
そこが掲示板を見ますと
そこから何月何日に日の出が出ると書いてあるから
おそらくここで天文観測をして
今何日だというのを調べる目安になったと。
今風に言えば天文観測場という風な場所だったんじゃないかなと思っています。
それからこの忌宮神社のすぐ近くに
忠愛天皇の瀕年寺といいますか
亡くなった後の仮の安寺所というのがありますよね。
そうですね。
それで忌宮神社の境台に立って
拝殿を背中にして立つと正面に小山が見えるんですよ。
それが忠愛天皇の亡骸を仮置きしたという山だったんですね。
それで忠愛天皇が亡くなったのは
かしぐって言われていますけれど
まだ戦う準備をしている最中だったわけですね。
それでさすがに天皇が亡くなると
みんな戦意喪失してしまうということで
天皇が亡くなったことは秘密にされたんですよ。
でも亡骸をどうしようかということで
武内少年が船に乗せて
そして豊田の宮まで運んだんですね。
どこに隠そうかと人には内緒にしなきゃいけないということで
この場所が選ばれてまして
それで普通だったら今でもおつやの時は
ずっとろうそくの火を灯して絶やさないようにしてますね。
昔もずっとかがり火で火を灯していたわけなんですけど
この時には火を灯さなかったということから
火のないもがり、ほなし上がりというのが行われたという風に
日本書紀に書かれています。
三宮神社からおよそ500メートルぐらいですね。
日来寺というお寺さんがありましてね。
その境内へ行っていますかね。
18:01
入口のちょっと右側ですね。
ちょっと急な斜面で山登っていきます。
高い丘になってますよね。
そこにあるという。
今でも丁寧にお祭りされてますね。
そうですか。
中外天皇の陰蓮寺もここにあるということでした。
この三宮神社、いろんな見どころがあるということですがどうでしょうか。
そうですね。
まず正面の右手の方にですね。
神宮皇后が植えられたという坂松の枝が枯れてますけど
丁寧に祀ってあるんですね。
神宮皇后があちこちに松の木だったり杉の木を植えたりして
なぜか逆さまなんですけれど
ここもその一つで
これが実は神宮皇后の伝承地を訪ねる楽しみの一つなんですね。
あちこちにあるのでそれも一つチェックということです。
それと正面には沖縄のイチョウの木がありまして
あれは竹の内スクネが中外天皇しのんで植えたイチョウの木ということなんですね。
竹の内スクネも各地に木を植えていきまして
特に他のところでもこのイチョウの木といえば
中外天皇しのんで植えているという話なんですね。
もう一つ大きな話が
今度は西側左手のほうに
オカイコさん、カイコが来たという日があるんですね。
大きな日がありましたね。
あれがですね
秦の始皇帝ですね
中国の話になるんですけど
その末裔にですね
孔満王という方がいて
その人が日本に亡命してきたんですね。
その時に亡命してきますから
領土とか欲しいわけですよ。
手ぶらではなんですから
カイコを持ってきたというわけなんですね。
そしてその後ですね
子供にゆつきの君という人がいて
その人たちがやはり白木のところで留められているので
どーっとですね
日本に渡ってくると
それがいわゆる果たしの到来
そうですか
はい
非常に具体的に載っているんですよ
わかってるんですよ
まずは王様がいて
何とか立場を良くして
その後2万人と書かれてますけど
それほどないとしても
そういう人たちが日本にですね
21:00
渡ってきているというわけです。
それでやっぱり
真の始皇帝の末裔ですが
船といえばですね
もう明らかに流骨船ですよね
船大工も絶対に乗ってくるんですよ
ですから船が来たらですね
みんな技術が知りたくてですね
それで船の作り方も
たぶん皇万王は教えたと思うんですね
それで神宮皇后の船は
当時では信じられない
3本の帆柱が立っている船だというわけなんですね
真の技術が来たと考えれば
あながち嘘ではないんじゃないかなと思われます
今週は神宮皇后伝書を歩くの著者
綾杉ルナさんにお話を伺いました
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島理恵さんです
こんばんは
今度の日曜日3月31日に
宮益市のJR世田谷駅前で
楽しいマルシェが行われるんですよ
午前10時から夕方5時までなんですが
JRの世田谷駅前広場で
世田谷駅前マルシェサークルというタイトルなんです
宮益市内の飲食店とか
雑貨のショップが20以上集まりまして
美味しいものを食べて楽しい体験ができるというものなんですが
サブタイトルというか
ポスターに書いてある言葉が
ゴミゼロを目指す街の循環するマルシェって書いてあるんです
色々疑問がわきますよね
開催に向け準備を進めていらっしゃるお二人に会ってきました
まずは実行委員長の高橋光さん
そしてお二人目がこのイベントの全体の統括をしてます
宮益市地域おこし協力隊で
宮益市役所環境経済部の稲葉渡さん
お二人に会いましょうって約束した場所が
宮益市のバイオマスセンタールフランというところにあるカフェなんですね
このバイオマスセンタールフランで行われている取り組みが
今回のマルシェのベースでもあるんです
その辺のお話を稲葉さんに聞きました
この宮益市が生ゴミを集めて
それを肥料にしたり電気発電したりしてるんですけど
そういった資源循環
あと今来ていただいているのがルフランという施設になるんですけど
廃坑利用してカフェをやりたいとか
食品加工をやりたいという人が来る場所なんですけど
そういった人の循環を促すような施設があったりとか
24:00
宮益市がそういった循環を促すような取り組みをすごいしてるんですよね
なのでそういったことをサークルというふうに
言葉を変えさせていただいたのと
あとは駅前広場が丸なのでサークルというふうにしたんですけど
そういった循環の街というところの取り組みを
皆様に知ってもらうマルシェにしたいなと思っております
なるほど
環境を考える取り組みでゼロウェイストとかカーボンニュートラルって言われて
ふわっとわかる気がするけどあんまりよくわからなかったりするじゃないですか
でも全部すでに宮益市がやってることなので
このマルシェの中で実例を挙げて理解できるような展示もしていくということで
このルフランができたことで聞いたらね
生ゴミを集めて分別しっかりやることで
宮益市の燃やすゴミの量が5年間で半分に減ってる
それはすごい実績ですね
こういったことがマルシェでわかるわけなんですが
体験できるっていう意味では自分たちでもマルシェ中のゴミの分別をしっかりする
あとエコバッグは必ず持ってきてね
それからお箸とかスプーンフォークこういったものを自分で持ってきてください
使った後洗います
こうやってお箸やスプーンのゴミを減らす体験もできるんですよ
でも真面目だけじゃなくって会場ではDJの選んだ音楽が流れてたり
スペシャルダンサーが踊ってたり
あと子どもたちが参加できるワークショップが色々用意されてるんですが
その辺のことについて思いを井上さんはこうおっしゃいます
楽しい楽しいで終わって
じゃあそういうことをわかって最後帰ってたら
いつの間にかね
いつの間にか知って帰っているっていうのが一番楽しいかなと思って
そういったイベント作りを心がけようかなというふうにして今回やってます
そうですよね
やっぱり詰まるところ一人一人の意識がどう周りに働いていくかっていうところですからね
そんな意味で楽しめるんですけども
この駅前でカフェ春を営業している高橋ひかるさんが実行委員長でもあるんです
実行委員長としてこんな気持ちでお迎えする気持ち持ってるみたいです
来ていただく方はもちろんなんですけど
出展していただく方たちにも
とにかく三山って楽しいっていうこともわかってもらいたいですし
わいわいガヤガヤ
とにもかくにもわいわいガヤガヤしてもらいたいっていう思いと
三山って意外と来やすいところっていうのをわかってもらいたい
そしたら多分意外と身近に来れるところなので
これをきっかけにみんながより足を運んでもらえるようになればなと思っています
ちなみに高橋さんのお出しになるのは三山特産のタカナの漬物を生かした
セタカナサンドとセタカナルーローハン
これもなかなかおいしそうです
今度の日曜日3月31日はぜひJR瀬高駅前に集まってください
27:00
中島リアさんでした
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