1. 古代の福岡を歩く
  2. S7 25回目は福岡県と佐賀県..
2022-03-20 30:32

S7 25回目は福岡県と佐賀県のヤマトタケル伝承地です。

ヤマトタケルはこの番組でしばしば東洋する神功皇后の夫、仲哀天皇の父に当たる人です。そして、ヤマトタケルの父は景行天皇になります。

景行天皇は京都郡を拠点に九州を時計回りにぐるっと回り、熊襲と闘いました。

その子供の仲哀天皇も熊襲を討伐に九州にやってきますが、香椎で急死。

その後、妻の神功皇后が代わりに熊襲と闘っています。

そして、この程、神功皇后の足跡を調査していた古代史研究家の綾杉るなさんが見つけたのが北九州方面と佐賀にあったヤマトタケルの足跡です。

ヤマトタケルも熊襲討伐にきていたということです。

つまり、三代にわたって熊襲討伐が続いていたわけです。

この番組でヤマトタケルを取り上げるのは初めてですので、その人物像の紹介から始めます。
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古代の福岡を歩くシーズン7 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その卒籍を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン7
この番組は 宮山市の企画協賛
餃子のヤマハチ 道の駅村方の提供でお送りいたします
餃子のヤマハチです。宮山市で育ったセロリの餃子ができました。 今が旬のセロリの旨み香りが生きています。
セロリ嫌いだった私も病みつきになりました。 一遍食べてみてください。
こんばんは、坂田周大です。 先週は神宮神戸の卒籍を詳しく紹介しました。
そしてその卒籍を神社から追跡したのが神宮神戸伝承を歩くの著者 綾杉ルナさんです。
綾杉さんにはこの番組でたびたび話を伺っています。 その綾杉さんが神宮神戸の卒籍の調査の過程で気づいたのが
福岡県や佐賀県にあった大和武之の卒籍です。 そこで綾杉さんにその卒籍を紹介していただきますが、まず大和武之の人物像について伺っていきます。
大和武之のこの人物像ですけども、これ神宮神戸から行きますとどういうふうなことになるんですかね?
ずばりおしゅうとうさんになるんですね。神宮神戸の夫になる方が千代絵天皇でしたね。
千代絵天皇のお父さんがこの大和武之の御事なんですね。 ですから神宮神戸から見たらご主人のお父さんということでおしゅうとうさんという感じになります。
それでこの大和武之さんですけども、そのお父さんの千代絵天皇ですね。
千代絵天皇から割と好かれていないと言いますか、嫌われているとか、そんな感じに見えますけどもどうなんでしょうか?
そうなんですね。古事記の方では大和武之がとても乱暴者なのでお父さんはあまり好きじゃなかったというふうに書いてありますね。
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でも日本書紀の方では非常に可愛がっているとかいうふうに書いてあるんですけど、
でも熊瀬勢抜に行けって言われて行くんですけど、兵隊もつけてくれなかったんですね。
単身で戦わなきゃいけないということで、後で大和武之はお父さんに嫌われているんじゃないかって嘆くシーンが出てきますね。
そうですか。
日本書紀と古事記では慶光天皇と大和武之の関係がちょっと逆みたいな感じになっているわけですか?
そうですね。その辺かなり雰囲気が変わっています。
それから、草薙の太刀っていうのが出てきますよね。
そうですね。
これはどういう時に登場するんでしょうか?
それはですね、大和武之の味方が九州討伐を終えて、そして今度は東北、関東地方に戦いに行かなきゃいけなくなった時にですね、
伊勢神宮に立ち寄るんですね。伊勢神宮にはおばさんの大和姫がちょうど巫女をしてあったんですよ。
それで、おばさんに僕は一人で行かなくてはいけないと言って、相談するんですね。
その時に伊勢神宮にずっと伝わっていた草薙の太刀を火打石を添えて大和武之に渡しています。
これが本来は雨の村蜘蛛の太刀って言うんですよ。
大体は草の美子刀が大和武之の尻尾から取り出したものなんですね。
ですから厳密に言えば草薙の太刀ではなくて雨の村蜘蛛の太刀を預かったんですね。
ところが敵と戦う時に草っ腹にはめられまして、
敵が向こうから火をつけたわけです。
それで火がどんどんこっちに迫ってきて自分も焼け死ぬというところで、
雨の村蜘蛛の太刀で草を薙ぎ払ったわけですね。
そして火打石をつけてこっちから向かい火をつけたら風向きが変わって敵の方に炎がバーッと行くようになったと。
それで大和武之の美子刀は助かったんですね。
その時からその剣を草薙の剣というようになったそうです。
大和武之と草薙の剣というのは切っても切れないものになるんですね。
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最終的には草薙の剣をその時の妃になった宮津姫に預けて、
そして息山の素手で戦おうと言って剣を置いていくんですね。
それで負けてしまって病気になって預けたまま亡くなってしまうわけなんです。
それで宮津姫は預かった草薙の剣をどうしようかって考えて
それで厚田神宮に納めたわけです。
その時から天皇家の三種の神器の一つとして大事にされるようになったということです。
それからですね、最後に有名な歌を読んでいらっしゃいますよね。
そうですね。
それをちょっと紹介していただけますか。
はい、わかりました。
一番最後ですね。
大和たけるのみことがいよいよ最後になる時に、
のぼのというところにつきまして、
そしてふるさとの国をしのんで読んだ歌があるんですね。
山とは国の魔法廊場。
たたなずく青垣。
山こもれる山としうるわし。
山とは素晴らしいところだと。
重なり合うこの青い山々ですね。
柿根のように見えると。
その山に抱かれる。
そんな山とはなんとうるわしいことよと言って、
亡くなるんですね。
それからですね、亡くなったところに御霊を作られて、
それと白鳥というのは関係があるんですか。
そうですね。
家族たちがみんなそこに行って、
嘆き悲しんでたわけですね。
お墓の前で。
そのお墓を見捧ぎと言いますけれど、
そういう時に、
大和武道の魂が白い鳥になって飛び立っていったわけですね。
そういうことから、
白鳥というのが大和武道を象徴するようになりまして、
それで白鳥神社というのが福岡でも何箇所かありますけれど、
全部大和武道を祀った神社ということになります。
そうですか。
亡くなった時の御捧ぎから白鳥が飛び立ったということで、
そういうゆかりの神社が全国各地にあるということですね。
そういうことですね。
大和武道の見事といえば、
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みなさん思っているイメージとしては、
熊相成抜に行った時に女装したという話がありますね。
非常に美しい顔をしていて、
ということで知られていますね。
ところが日本書紀を見ると、
身長180センチもすごい男で、
力持ちで、
あまりにも力が強すぎて、
昔金絵とか言って、
金属でできた重い器があるんですけど、
それを持ち上げたというエピソードがあるくらいなんですね。
なるほどね。
それでだいたいは、
熊相成抜に行く時、
16歳だったと書いてあるんですけど、
きちんと年代を計算したら26歳くらいだったんですね。
そうですか。
今から女装するのに、
大徳が女装するのではやばいということで、
16歳の少女みたいな、
そして美しい顔立ちをしていたと言われています。
それからお妃が何人もいて、
その中の一人が宮津姫。
先ほどの草薙を剣は預かったという方ですね。
それからもう一人は音立花姫が有名ですね。
この方は船で一緒に移動していた時に、
海の神様が嵐を起こしたわけですね。
それで怒りを鎮めるために、
自ら海に飛び込んで、
船が進むようになったというエピソードがある方ですね。
他にもいろいろ置き先がいますので、
お利用を紹介していきたいと思います。
お父さんが、
慶光天皇ですね。
慶光天皇は福岡県ととても縁が深いですよね。
まずはお父さんの慶光天皇が、
九州の熊洲を討伐に来られるわけですけど、
その拠点とした場所が、
宮古郡の宮古町というところです。
それで宮古という地名は、
慶光天皇がそこに狩野宮を建てて、
狩野宮古としたということからついたわけですね。
そしてそこを拠点にしまして、
九州を時計回りに回っていくんですね。
宮古郡から大分に出て、
それから今度は宮崎に出て、
そして鹿児島に。
12:01
当時は鹿児島に熊洲の大将がいたわけです。
その熊洲を討伐して、
そして今度は熊本県の方に上がっていきまして、
長崎にもちょっと立ち寄って、
それから有明海沿いに、
そして今度は大分市に上陸して、
それから久留米を通って、
それから浮波を通って、
そしてまた宮古郡に戻っていったというふうなことが、
日本書紀に書かれています。
この久留米の時に案内した人が猿尾美という人なんですけど、
この人が久留米市の赤字八幡神社、
美沼の君がいるところですね。
あそこがお屋敷ですって神社の方がおっしゃっていましたね。
そして一応、
九州にいた熊祖とか土蜘蛛の人たちが、
水着物をしないということで討伐していったわけなんですね。
税金のようなものですね。
そして帰っていったわけです。
それで、
その前に大宇宙の御子が生まれているんですけど、
双子だったんですね。
お兄さんは大きな宇宙、
お餅を作る宇宙ですね。
大宇宙の御子と言って、
そして大宇宙は弟だったので、
小さな宇宙、大宇宙の御子とって言ってたんですね。
大宇宙ではちょっと聞き取りにくいので、
佐賀県の方では小渦の御子と呼んでありますね。
わかりやすいですよね。
もう一つの名前が大和の小倶奈と言います。
大和の小倶奈。
その小倶奈だったのが、
後に佐賀県の川上武から名前をもらって、
大和武の御子と言うようになったというようなことです。
そして先ほど言いましたけど、
その子供の一人に忠愛天皇がいらっしゃって、
忠愛天皇は嘉志宮を都としたというふうに書かれてますね。
二人とも非常に福岡に縁がある方です。
それで御賀川流域に行きますと、
大和武の伝承がたくさんあるんですね。
特に有名なのは、水巻町に絹田姫という方がいて、
この絹田姫を大和武の御子とは一目惚れしまして、
二人は結ばれて、そして子供も生まれたという。
この子供たちが御賀川流域のお産になっているという話がありますね。
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それがとても有名です。
それから八幡西区に勝樹という地名があるんですけれど、
そこに住んでいたのが長田彦という人なんですね。
この人が兵隊も何も連れていない大和武をお迎えして、
そしてずっと一緒に戦って、また戻ってきたわけですね、勝樹に。
その時に大和武から苗字をもらったわけなんです。
それがちょうどその日、満月の夜で、川面に月が映っていたんですね。
そして花の香りがしてきたと。
なんと素晴らしいところだと。
花が香る、そして月があるという意味で、香る月、勝樹という苗字をもらったというようなことです。
八幡西区が勝樹という名前をもらったわけですね。
はい、そうです。
それで地名もそこが勝樹の村というようになったということですね。
それで神社の歴史をずっと見ていきますと、
尾ヶ川流域沿いの地区法中法だけでも30ヵ所も大和武の伝承がありまして。
固まっているんですね。
それから佐賀県に行きますと6ヵ所ぐらい見つけたんですけど、
不動記に書かれたところをずっとですね、
大和武の見事が通っていったというのが分かってきました。
この地区法地方と佐賀県の話は、実は日本書紀に全く書かれていないんですね。
そうなんですか。
完全に省略されていたわけです。
ですから多分地元の方は、
なんでここに大和武の話が多いんだろうって思われたと思うんですね。
そこを綾杉さんが目をつけて調べてみたということで、
この辺になんでこんなに大和武の伝承があるんだろうというお調べになったということで、
それをこれから少しずつ紹介していただこうと思いますね。
まず先ほどの名前が出てきました。
勝喜市小定彦。
がらみの神社ということで、最初に八幡西区の杉森神社です。
これから行きましょうか。
これは主催人はもちろん山戸武ですね。
それでちょっと地形のお話をしますと、
この勝喜の南側に金剛の丘という丘がありまして、
今は八幡西区の星ヶ丘というんですけれど、
そこに熊曽の弟の方がいたというんですね。
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その人の名前が江上武と言ってたということです。
ちょっと金剛武というふうにも呼ばれてたんですね。
金剛の丘にいたので。
それで金剛武が見つぎ物をしないということで、
山戸武がやってきたときに、この小定彦がお迎えに行くんですね。
それが八幡西区の黒崎にお迎えに行くわけです。
黒崎といえば神宮皇后の時代にも熊谷さんがいましたね。
全面的に支援していました。
あそこのところに港があって神宮皇后が来られたということから、
後に黄岡崎という地名に変わるわけですけど、
あそこに結局大和武の時代の港があって、
そこから上陸して、そして南に下っていって、
そして勝喜のところまで来られたということですね。
そしてこの小定彦たちと一緒に金剛の武を討伐したというふうにあります。
それでこの小定彦たちと一緒にぐるっと佐賀まで回って、
そしてまた戻ってきたときに、また勝喜に戻ってきて、
そしてその時に月が出て、そして花のいい香りがしたので、
この村を勝喜の村と名付けなさいというふうに言われて、
それから明治も勝喜になったということです。
そうやって今度大和武は奈良の都の方に戻っていかれたんですけれど、
十数年たって大和武の御徒が亡くなったという情報が入ってきたわけですね。
それで非常に残念に思って、
いつもいつもしたっていたところが、
小定彦の夢枕にこの大和武の御徒が出られたそうなんですね。
そして自分もこの杉とか桜が綺麗なこの村のことが懐かしいので、
白い鳥になって、そしてそこに行こうと言われたと。
そこで目が覚めた小定彦はこの大和武の御徒をここにお祭りしたと。
それで杉森の宮というようになったということです。
それで小定彦ってどんな人かというと、
小さく狭い田んぼって書くんですね。
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元々正しい名前は時和彦と言いまして、
にぎはやひの末裔なんですね。
にぎはやひといえば、
物延の二十五部首を連れて亡くなったと言われてまして、
それでこの小定彦も物延だったんですね。
そして元々の住まいは、
黒川という川が流れているんですけど、
ずっと遡って行きますと旗ダムがあるんですね。
その旗ダムのところに昔は住んでいたそうなんです。
ダムがあるようなところですから、非常に崖があるようなところで、
水がなかったそうなんですね。
それで雨が降ると土石ゼルがすると。
その狭いところを一生懸命小定彦は耕していたと。
それで小定彦と呼ばれるようになったということです。
それであまりにも場所が大変だから、
現在の火月に移りましたというふうなことでした。
今週は神宮恒豪伝書を歩くの著者、綾杉るなさんに、
大和武について伺いました。
この続きは来週お送りいたします。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日は九州オルレ宮間清水山コースをご紹介していこうと思います。
オルレは韓国のチェジュ島で始まった気軽なトレッキングのことで、
九州オルレはその姉妹版になりますが、
宮間清水山コースは雑山と清水山、
この2つのお山を中心にしたコースで、
歴史と自然をたっぷり楽しめるというコースなんです。
これからの季節いいですよね。
いいんですよ。
去年の夏の豪雨被害で、今全面休止中なんです。
いまだに休止中なんですね。
これがようやく春から再開の見込みが出てきましたので、
再開しても一部本来のコースが通れなかったり、
車道を使って迂回路を通らざるを得ないのですが、
とにかく春から歩けそうだぞということで、
ひとはし早く宮間市商工観光課井上隆さんに案内していただきました。
このコースの魅力の一つにですね、
神宿る蓄輪と言われるところがあるんですが、
非常に美しい竹がザーッと自分の周りを取り囲むような雰囲気で、
今回行ったら以前よりもなんか竹の青みが濃くなっている気がしたので、
井上さんに聞いてみました。
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青みが増えたというよりも、口がかかっていたやつが見えなくなったので、
その分青さが際立っているんだと思います。
神宿り直し。
そうですね。
もともと美しさが売りだったんですけども、
そこはまさにひみこが住みやすくなったような美しさがあると思います。
たくさんの竹が生い茂っているんですが、一本道があって、
真っ暗でもないしきちんと火の光も差してくる。神秘的ですね。
そこなんですよ。今火の光っておっしゃった。
時間によって、それからまたこの蓄輪の山なんですが、
上るか下るかによって全然光の入り方が違うので、
まさに一期一会の神との出会いみたいな。
いいですね。
風があればあれで、風がさーっと竹を揺らす音が心地よくて、
本当に別世界に旅立てるような空間です。
さらにこの豊山エリアから清水山エリアに向かう途中の路地。
左右に民家がありまして、舗装されない1メートルくらいの幅の小道がありました。
ここ歩いてくださいって井上さんが言うんですよ。
本当に人んちの庭先です。
畑がそばにあって、隣フッと見たら奥様が洗濯物干してるみたいな。
そんな道を進んでいくと、ここを通ってほしいDはこれだと井上さんが語ります。
お気に入りの道です。
もともとオールレーテルは韓国のチェジュの言葉で、
自宅に続く路地裏の道とかそういった意味がありますので、
それを見てもらって、感じてもらうには一番絶好の道かなと思っています。
目の前に畑がありますけど、今はまだ作物が植わってませんけども、
これから少し季節が進んで、作物が植わってくるとまた気持ちのいい景色が見られます。
路地裏散策というようなね、そういう意味合いもあったんですね。
そうなんです。
ですからできるだけ人の生活に近い、その土地の持っている文化を
歩きながら全身で吸収していく感じなんですよね。
お散歩の醍醐味ですよ。
そこから井上さんがおっしゃっていたのは、何の気なしにふと足を止めてみて、
こんな作物が作られているとか、こんなお花があるとか、
ゆっくり一緒に歩く人とお話をしたりとか、
写真を撮りながら歩いてほしいとおっしゃっていました。
さらにこの後清水山の方にググッと入っていきますと、清水寺も出てきます。
摂集が作ったと言われます本望庭園ですとか、五百羅漢、
さらに三重の塔など見どころたくさんなんですが、
実は清水寺のエリアも被害が結構あって、修復の終わってないところもあるんですね。
ただ三重の塔と桜の組み合わせというのが非常に清水寺、清水山のポイントでもあるので、
塔の間近には近づけないんですが、十分に桜と塔のビジュアルが見られる場所はありますので、
安心して歩いていっていいんじゃないかと思います。
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桜の後は4月6日から今度は本望庭園横、牡丹園がオープンしますので、花を楽しむコースとしてもいいですね。
コース全体で11.5キロ、所要時間だいたい4、5時間の目安になっています。
赤と青のリボンがここが通り道ですよという目印なんです。
リボンで目印があるんですね。
これをしっかり見ながら春宮も歩いてほしいと思います。
再開の日付とか、注意事項を含めたコースの内容などは、三山市のホームページで確認してからお出かけください。
中嶋理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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この番組は、三山市の企画協賛、餃子の山鉢、道の駅室方の提供でお送りいたしました。
ご案内は高田周大でした。
バッテン少女隊のバッテンラジオ隊
バッテン少女隊の春乃木梨奈と青井梨奈です。
RKBラジオでお送りしているガールズファン、バッテン少女隊のバッテンラジオ隊はポッドキャストでもお楽しみいただけます。
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