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古代の福岡を歩くシーズン7遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン7
この番組は 宮間市の企画協賛
餃子の山鉢 道の駅室方の提供でお送りいたします
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こんばんは佐方周大です 先週から神功皇后の足跡をたどっています
神功皇后は第十四代忠愛天皇のお妃です その忠愛天皇が和歌山県所角宮にいる時
九州の熊粗が反乱を起こしたということを聞いて討伐のため九州へやってきます 神功皇后は福井県の慶飛神社にいたのですが
こちらも九州へ討伐の応援に駆けつけます ところが忠愛天皇は討伐の途中で亡くなってしまうのです
しかしその後神功皇后は一人軍を率いて熊粗を討伐 さらに田ぶらつ姫を討伐
そしてその後白城に出兵 戻ってから海で出産まで経験します
そして福岡をぐるっと回って下関の豊良宮へ戻っていきます その神功皇后の足跡を神社から訪ねています
先週は宮古郡の尾板津八幡神社 北九州市の伊東津八幡神社
中宿八幡宮 豊山八幡神社を紹介しました
お話を神功皇后伝書を歩くの著者 綾杉留奈さんに伺っています
今週は北九州市の旗頭神社から伺います
こちらはどういう御祭神で 竹の内すくね、鹿三神、住吉三神、ほかとなっています
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竹の内すくねをお祭りする神社としてちょっと珍しいですね
鹿三神というのは海の神様を祀っているわけです
住吉三神というのは船乗りを守護する神様を祀っているということですね
ここの場所がですね同海湾の奥まったところなんです
そして神功皇后のお住まいのちょっと離れたところ
今までも竹の内すくねはずっとそうでしたよね
それで例えば鹿児宮もちょっと離れたところ
ひさ山の五木宮も船が通る交通の要所を守っていたわけです
ここもその同海湾のちょっと奥まったところ
そして船が行き返して陸路でも人が行き返しする
そういうところに神功皇后を守るためにこの陣営を張ったところ
それが旗頭神社なんですね
で非常に軍隊の統率が取れていたらしくてですね
それで後にここを戦場ると呼んだり
あるいは陣の春という地名の由来になったわけなんです
もともと陣の春の由来が竹の内すくねだったということです
竹の内すくねはずっとこの辺りを拠点にするわけですね
そうですね
後に神功皇后が亡くなられて
次に応神天皇の時代になったところにですね
応神天皇が畜死の方をちょっと視察してこいと言われて
竹の内すくねが再びここに来たという話が伝わっています
それでですね
その後の話なんですけど
竹の内すくねの弟にですね
義理ですけれど
馬志内すくねという人がいたんですね
その人が応神天皇に竹の内すくねが天下を狙っているというふうなことをですね
嘘の報告をしたわけなんです
応神天皇はそれを信じてしまって
それで竹の内すくねを討伐せよという命令が出るわけなんですね
そして竹の内すくねが生きの国にいた時に
討伐の軍が行くわけなんです
そこにいたのが生きの真猫という人だったんですね
生きの真猫が顔も形も竹の内すくねとそっくりだったということから
竹の内すくねをお守りすると言って
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俺が竹の内すくねだと言ってですね
囚われてそして自害したという話が伝わっていますね
江戸時代になりまして
この竹の内すくねがとても評価されるようになりまして
神宮皇后の百戦百勝は
実はその竹の内すくねの戦略によるものだというふうに
評価されるようになったわけなんですね
それでこちらにいた黒崎花夫の上主の阿蘇のお殿様とかはですね
ここは眺めもいいしと
自分が死んだらここに埋葬してくれと言うほど
この場所が気に入られたということなんですね
それから同じ黒崎の城山の上主の井上のお殿様も
ここに住まいを移すほどだったということでですね
この後ずっとこの江戸時代にここの神社が
特にいろいろ大切にされていったというふうなお話です
北九州市八幡西区神野原の旗頭神社でした
次は北九州市八幡西区の千山八幡宮です
ここの御祭神は
はいやはり応神殿の中和殿の神宮皇后という八幡神の組み合わせになっています
神宮皇后がいよいよ豊浦宮に戻ろうとする時に
国見をされるんですね
その国見をしたところが下ってくる時に
日が暮れてさらに暮れて
さらくれ山と呼ぶようになったという国見山ですね
それが後にさらくらに山と呼ぶようになったわけなんですけれど
その時に赤ちゃんの本田分けの巫女を誰かに預けていかなきゃいけないわけですね
その預けた場所がこの千山八幡宮の場所というわけなんです
神宮皇后はお父が出ますようにと言いづかで祈ったりしてましたけれど
無事お父が出たようで
ここに帰ってきてから
もちろん目の友もいたわけなんですけれど
お父をあげられたと
それで後にその姿を見た里人たちがここを聖地としてお守りしたというわけなんですね
でも自分の子供を預けるのに誰にでも預けるわけにはいかないですよね
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ここにはもよっぽど信頼した豪族がいたということになりますよね
そこの地形を見ますと
先ほどの板蔽川が大倉川という名前で流れているところなんです
ここの地名も大倉なんですけれど
大倉川の対岸に勝山勝田神社というのがあるんですね
ここも一番最初に紹介したんですけど
水の神様が祀ってあって
神宮皇后が神に祈って
そしてここから旗座を借り出したと
そういう神社です
そこに地主神が祀られていたんですね
その神様の名前が大倉彦の神
それから大倉姫の神というわけなんです
そういうことでこの大倉を治めていた大倉氏がですね
神宮皇后の赤ちゃんを守って
ここに滞在していたというかね
大事にお守りしていたという場所が持山八幡宮ということです
経代には竹林があるそうですね
そうですね
いかにも旗竿にできそうな細い竹がいっぱい生えてまして
これが勝山勝田では見かけなかったんですけど
こちらによくこれだなというのがありますね
ここには陶器で作られた看板がありまして
神宮皇后とそれから王神天皇を抱いた竹の内スクネがですね
描かれてるんですけども
とてもおじいちゃんになってますよね
これはいわゆる定番なんですけど
まだこの当時はですね
竹の内スクネは若かったというか
壮年だったというかですね
中当てになるよりちょっと上ぐらい
ちょっとここまでおじいちゃんに描くのはですね
竹の内スクネが300歳まで生きていたという話からと思いますけど
長生きだったという話からこういうふうに少し老けた感じになるんですかね
もうちょっと本当は若かったというわけです
はい
北九州市八幡東区の千山八幡宮でした
今週は神宮皇后の足跡を神社からたどっています
お話を神宮皇后伝承を歩くの著者
綾杉いるなさんに伺っています
今度は北九州市の篠崎八幡神社です
ここの御祭神は
はい王神天皇神宮皇后忠愛天皇
そして宗方三女神それから玉より姫ですね
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玉より姫が珍しいですね
神武天皇を生んだ方ということですね
でここはですね
あのもともと今の丘の上にあるんですけど
もともとすぐ近くの高尾山にあったんですね
でそこからこちらに移られたということで
その高尾山のお話になるんですけれど
やはり神宮皇后がここに来られて
国見をされたんですね
その時には大勢の軍神たちを連れて
そして御子も連れて登られたんですけれど
山の上にその大きな石がありまして
そこにその王神天皇を立たせて
そしてずっと遥かですね
菊の長浜ですね
もちが関関門海峡の方を眺めて
もう目の前に山口県が見えてますからね
そちらをそのご覧になって
そして振り返って言われたんですね
あなたは近しと
やはり都はもう目の前だというわけなんです
で実際に近いんですけれど
わざわざ近いと言った
今までその籠坂王たちが向こうにいるので
おそらく戦いになるだろうと
その覚悟をしてですね
それでも我が子のために都に帰ろうというですね
そういう宣言をされた場所が
この高尾山というわけなんです
その石をですね
今神社が移る時に
一緒に持ってこられたそうなんですよ
ですから拝殿の左手にですね
四角い石が置かれてるんですけど
大きな石ですか
まあ60センチぐらいですかね
王子が立つにはちょうどいい大きさということなんです
それでこれが例えば私の場合
いつの時期の話かなとか考えたりしたんですけど
まだ本田明の御子が赤ちゃんの時代ですから
初めて立ったのが
おいたつ八幡神社ですよね
そして篠崎八幡に来た時には
しっかり自分の足で立てたと
そういう風な流れからですね
この篠崎神社の話は
いよいよ豊田宮に戻る前の話という風なですね
ことがわかったわけなんです
それでここも戦国時代からですね
武将たちが参拝に来るようなところでですね
それでも源氏もそれから平氏も
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それから足利氏もですね
次々にその戦勝祈願に訪れて
また神社の再建に努めたという話が残されています
この神社ですね
本田から廃田から非常に立派な神社ですね
そうですね
特に二階建ての楼門の色が綺麗でですね
赤色なんですけどちょっと紫がかってて
本当にずっと旅をしてくると
ハッとするようなですね
もう癒されるところですね
非常に目立つ神社ですよね
鮮やかな
それから神門というところからの眺めも素晴らしいと
そうですねこれはですね駐車場の方なんですよ
ですから一旦駐車場の方の端っこまで行かれると
今度また神門がありまして
そこからの階段がもうすっごい長くって
すごい急斜面でですね
さすがにあのお勧めします
眺めは素晴らしいですね
車で行けますので
楼門のところまで車で行かれたらいいかなと思います
北九州市小倉北区の篠崎八幡神社でした
次は北九州市八幡西区の熊野神社です
こちらの御祭神は
イザナミの御事
早玉の御事
それから琴坂の御事となっています
こちら初めてですね
イザナミの御事といったら
国生みをされた女神ですけれど
ある約束をするときにですね
そばにいた神様がこの早玉王と
琴坂王の神ということで
この御柱が熊野神社に祀られているということなんですね
どういう遺書があるんですか
ここはもともと公爵というところですよね
それで神宮皇后が来られるということでですね
昔はここにも駅があったらしくて
馬屋があったわけですね
それでその軍手がお迎えに来たんですけど
その庶民たちもみんなですね
神宮皇后が戻ってこられるということでですね
大勢でお迎えしたという場所なんですね
それでお迎えという地名がついたところなんです
よく考えますと
温川側からもたくさんの人たちがですね
船に乗って朝鮮半島に渡っていったわけなんですよ
残された家族たちは
夫や子供が生きて帰れるかどうか心配でしょうがなかったわけですよね
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ところが全くみんな無傷で元気に帰ってきたということで
神宮皇后のおかげだと
それで一目会いたいということで
みんなが歓迎したというふうなことなんですね
よく考えるとそういうことだろうと思います
ところが神宮皇后としたら
いよいよ豊良の宮に帰るのにですね
そういう戦いを想定して
帰らなきゃいけないということになったんですけれど
どうも戦わずに
この鹿児坂王と押熊王は
関西の方にですね逃げていったみたいなんですね
豊良の宮に帰る前にも逃げていた
ここでは戦わずに住んだんですけれど
いよいよ奈良大和に向かって行く時にですね
神宮皇后と応神天皇一緒の船で
何かあったらいけないということで
別々の船で行こうって話になったんですね
それで神宮皇后は我が子を竹の内少年に預けて
そして別々の船に
まずは紀伊半島の方に行こうと
紀伊の国に行こうという作戦だったわけなんです
それでどうぞその紀伊の国の神様をお守りください
ということで
この伊座並の御子と三柱をお祭りしたというわけです
日本書紀とちょっとこの辺はもう話が違うんですね
それどころかもう北九州のことは
全く日本書紀には書かれていません
それで日本書紀では神宮皇后が
海町で赤ちゃんを産んで
即座に瀬戸内海を越えて戦ったって書いてあるんですけれど
実際こうやってフィールドワークすると
一旦北九州に来て
そして軍備を整えて
そして豊浦宮に帰ろうとしたっていうのが
この辺でわかったというわけです
待ち受ける二人の王子に対して
軍備を整えたということですね
北九州市旗西区の熊野神社でした
次は恩賀群の住吉神社です
ご祭神がそこを筒王の御子と中筒王の御子と
上筒王の御子と
これ住吉狼といったら
三柱で構成されてるんですね
だいたい筒という言葉は
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星とか南とかいう意味を持っている言葉なんですね
ですから訳をしてみると
底の星中の星上の星という三つの星ですね
三つ星といえばオリオン座なんですね
南の方の三つ星というオリオン座で
そのオリオン座を守護星として
渡っていった船乗りたちの神様のことを
住吉様というふうに言っていたわけなんです
綾杉さんのお話では住吉様というのは
オリオン座を守護星として航海した船乗さんの神様のことを言ったということでした
今週は旗頭神社、千山八幡宮、篠崎八幡神社、熊野神社、そして住吉神社の途中まで来ました
この続きは来週お送りいたします
お話を神宮恒号伝承を歩くの著者綾杉留菜さんに伺いました
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島梨恵さんです
こんばんは
北九州で歩き回ったらぜひおすすめしたい楽しいものを見つけました
何でしょう
セキトリ守というお名前のお守りが
北九州市八幡東区の枝光八幡宮にあるんです
お相撲さんですか
そう、セキを取る
セキ・トリ・お相撲さんのデザインということで
絵回しにですね、枝光って書いてあるんですね
掛け言葉ですね
お相撲さんマスクをしてるんです
去年からできてるこのお守りなんですが
セキを取ってくれるお守りとして
さらにですね、このセキトリ・お相撲さんデザインの
マスクに貼れるセキよけシールも作っちゃいました
丸い小さなね
2センチくらいのシールなんですよね
お相撲さんのイラスト、顔がマスクをしたね
かわいいですね
そこにセキ・トリって書いてあって
ものすごくキュートなデザインなんですが
地元の枝光八幡宮を盛り上げたいという気持ちから
生まれたんだそうです
意外にもこの枝光八幡宮に
セキを取る神様がいるというのが知られてなくて
地元で盛り上げようということで作ったんだそうですよ
この枝光八幡宮なんですが
ここも210段ほど階段をたーっと上がっていく
なかなかお山の上なんですが
ここで北九州市八幡東区
自治総連合会会長の宮地久夫さんと
待ち合わせをしました
宮地さんに
えー、枝光八幡宮が
セキ・トリの神様なんですかって言ったら
いやいや、こちら御本殿じゃないよーと
こんな風に案内板をさせてくれました
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風全速を百日敵に
お悩みの方また今流行のの
うるせえ
病に負けたくないとお願いをかたわ
はい、セキのかまへんよ
と矢印が左についていたんです
どういうことでしょう
本殿の左側にこのセキと神様がいました
そうなんですね
そうなんですよ
えーとねー
直径1メートルちょっと切るぐらいの石が
というか岩ですね
積み上がったところにお矢印を掛けてありまして
これがセキ・トリの神様
セキ夫人の神様の御本殿ということになるわけなんですが
こんな風な言われがあると
さらに宮地会長が教えてくれました
中富神社は昔でしょ
中富様といって
セキ止めに貢献がある神様として
村人からあがめられ
セキ止め祈願のほうさんをして
前回した時には
そのお礼として
白玉団子をお供えするという風習があった
これは北九州市より抜粋の
中富様中富神社といわれる神社が横にあって
これがセキ・トリの神様だったんですね
いやいやこれはちょっとこのシーズン
拝んでおきたいなって感じなんですね
通常の神社の住所が
閉まっていることが多いんですが
電話をすると対応してくださるみたいなので
ただこれはお正月は
すんなり入手するチャンスかもしれないので
セキやっぱり出てほしくないなというシーズン
このセキ・トリの守りとシール
ぜひ頼りにしていただきたいなと思っていて
この帰りに歩いて
江戸三本町の商店街に降りていったら
同じセキ・トリお相撲さんのデザインを
定番商品のスペシャルパッケージに
使っているお店がありました
お菓子のみずま
ひょうたんもなかが有名なところなんですが
ここのもなか
ここで6センチぐらいのコロコロンとした感じの
立体ひょうたん型のもなかなんですが
この6個入りのスペシャルパッケージ掛け紙に
セキ・トリ歴史をデザインにしました
この気持ちについて
実はこんなことがあったんだよ
お菓子のみずまのみずま直美さんが聞かせてくれました
お客様がね
みずまさんせっかく6個入りがあるのに
無病でしょ
病、病気の病じゃなくてひょうたんのひょう
無病、即災でね
なんかされたらいいのにねって
お客様が言ってくださってたの
で、そうだねと思っている時に
神社がセキ・トリのお守りをできたので
これも絶対乗っからしていただこうと思って
なるほど
乗っかりました
運命的なものがあったんでしょう
そうなんですよ
ずっと温めてて
お客様の言葉がついに形になった瞬間ということで
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無病即災の6個セットだけじゃなくて
3個入りっていうのもあったので
3拍子というのも同じデザインで作って
3拍子って調和がとれる
農学の林とかで
調和のとれた拍子を打つことを言うっていうのがあるんで
皆さんにとって縁起のいいふうにと考えてらっしゃるそうです
羅密に言ったら
ぜひこの縁起のよい元気が出るセット
セキ・トリのお守りとセキ・トリシールと
無病のひょうたんの中
ぜひぜひセットで買って
この冬元気に過ごしてください
中島リエさんでした
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この番組は
宮間市の企画協賛
餃子の山八
道の駅村方の提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周代でした