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古代の福岡を歩くシーズン4
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
いつも旬のものをお届けします。
世界遺産、神宿島、村方、沖ノ島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
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最寄りの商工会に気軽にご相談ください。
こんばんは、坂田周大です。
今週も先週に続き、那国の中心地、笠ヶ市の菅岡本遺跡群を歩きます。
この遺跡の中心に那国の丘歴史資料館があります。
資料館は展示館と歴史公園があります。
今週はその歴史公園から歩きます。
お話を、笠ヶ市教育委員会文化財課の中村昌平さんに伺っていきます。
歴史公園はですね、広い丘上になっておりました。
そして丘の上に丸いドームが2つ並んで立っていると。
そして左側ですね、ドームに向かって左側には50メートル四方ぐらいの池がありまして、散歩道になっていますね。
近くの方が散歩していらっしゃいました。
そしてこの丘の上をですね、少し登っていきますと、見えてきたのがですね、ここだ。
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大きな岩が見えてきまして、これは大歩の石というふうに書いてますね。
はい、大歩のこれは上石ということで一般的に言われているんですけれども、
今一般的に言われているこの菅岡本遺跡の地内から出たこの大歩の墓はですね、
実はこの資料館がある丘からですね、少し北側に丘陵を200メートルほど下ったところに元々そこで発見されたものです。
明治時代にそこで集落村の中で新たに家を建てるときにですね、土をならしていったときに、
このまず石が大きな石が出て、さらにこの石を取り除いていきますとその地下からですね、
亀かんぼ、大型の亀の形をした土器を2つ合わせて棺桶にしているんですけれども、
この亀かんぼがですね、単独で1基だけ発見されました。
その中から前冠の鏡が30面ですとか、武器の形をした精銅器が10点前後ですとか、
その他にガラス製の間頭、管頭、装飾品が大量にまとめてですね、この亀かんぼの中からですね、発見されたということです。
その上に置いた石ということですね、どのぐらいの大きさですか?
2つ大きな岩がありましてですね、1つが厚みが30センチほどの扁平な花崗岩の岩でして、
長さがだいたい3.3メートル、横幅が2メーター弱ぐらい、重さが4トンぐらいあるだろうと言われております。
この大きな扁平の岩と横っ腹に立てるような形で、1メーター幅ぐらい、1メーター四方ぐらいのやっぱり扁平な薄い石がですね、
立てかけるような状態でですね、当時も発見されたようです。
こういう状態で発見されたんですか?
はい。
これ4トンあるって相当な重さですよね。
そうですね。
どうやって運んだのだろう?
どうやって運んだんでしょうね。
その辺りは不明ですけれども、この辺り一帯ではこういう花崗岩の岩が取れるような路頭は見当たりませんので、
おそらくかなり遠いところから運んできた可能性はあるのかなというふうに考えられます。
4トンもの大岩ですよね。
これをここまで運んでくるというのは大変なことですよね。
そうですね。
はい、これは大墓の上石ということですね。
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そしてそのドームの方にこれから少し上がっていって、
ドームの中を紹介していただきます。
2つドームがありまして、手前のドーム、これはAの方のドームです。
中へ入りますと、プラネタルリューブではありませんけれども、そういうふうな形になっております。
ここに亀かんぼと祭祀遺構があるということですね。
これは発掘した当時そのままですか?
はい、そうですね。
ここは、ちょうどこのドームがあるあたり、小高いなだらかな丘の上にありまして、
ここのほぼ全体が弥生時代の墓地、亀かんぼの墓地になっています。
発掘調査では100基以上の亀かんぼがまとめて調査されています。
中央がちょうどへこんだ形になっていますよね。
そしてそこに大きな壺がありますが、これは?
このすり鉢状の大きな穴は、実は亀かんぼではないんですね。
よく見ますと、大きな壺型の土器と一緒に、土器の表面を赤い顔料で塗った亀型の土器が、
実際調査の中では発見されていまして、
おそらくこの穴は、この墓地の中で亀かんぼが埋葬される際のお祭りの後、
祭祀の後であろうというふうに考えられています。
亀かんは、大きな亀かんが2つ合わさったもの、これは大人用ですか?
そうですね。このドームの中では亀かんぼは合計で6機出ておりまして、
1機だけ一番深いところにありますのが、およそ高さ1メーター前後の亀かんぼを2つ合わせております。
この亀かんがおそらく成人の人の看護家でして、
残りのその周囲にあります小さな亀かんですね、
2つ合わせてもおそらく1メートルにも長さが満たないんですけれども、
これがたくさん出ておりまして、こちらは子供用の看護家だろうというふうに考えられています。
大人用の亀かんと子供用の亀かん、これがいくつかこの中にあるということですね。
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このドーム、もう1つありますが同じような亀かんぼのあるドームでした。
そして表へ出まして、表へ出てくると近くにすぐもう溝か何かあるんですか?
もう1つ隣合わせで西側にドームがありまして、
このドームまではこの丘全体に広がる亀かんぼが確認されているんですけれども、
このドームを外に出まして、西側には白鳥山の時にこの丘陵を南北に横切るような溝が出ておりまして、
この溝を介してさらに西側では亀かんぼが確認されておりません。
その代わりに縦穴住居がスーッと確認されておりますので、
おそらくこの広い丘陵も墓地として利用したところと、
墓地ではなく当時の人たちが住まいとして使ったエリアに溝を入れることによって、
同じ丘陵を使い分けていたのではないかなというふうに考えられます。
墓地のすぐ横に住まいがあるということは、かなり人口も多くて住むのも大変だったんだろうなという感じがしますけどね。
そうですね。このすぐ岡本遺跡一帯というのは、丘と谷間が交互に複雑に発達しておりまして、
比較的一つの丘はそんなに大きな丘ではないんですね。
だからこのあちこちにある丘をうまく利用してですね、生活のスペースとして利用したり、あるいは当時の墓地として利用したりだとか、
そういうふうに非常に村の中がうまく土地を利用していたんじゃないかなという様子が伺われます。
はい、ドームがあります丘です。
その名古屋の丘歴史公園から東の方にほんの3、4分歩いたところに熊野神社はあります。
この神社ではこの付近の神戸から出土したという石製の銅矛の居方が神社の御神宝になっていました。
この居方は現在名古屋の歴史資料館で保管してあるということでした。
そしてこの神社の階段を北の方に降りていきます。
熊野神社から2、3分坂を下って住まいがたくさんあるところに入ってきました。
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住宅街ですね。
その中におよそ何坪ありますかね。
200坪くらいありますかね。
そのくらいの空間があるところへ出てきました。
ここにちょっと看板が出てきまして、
国指定史跡、
須岡本遺跡、
王墓と王族墓というふうに書いてありました。
ここは王墓の跡ですね。
ちょうど今空き地が200坪くらいありますけれども、
ここは王墓の一角になります。
これが明治時代に大きな上石と、
その下から非常にたくさんの服装品を持った亀官房が発見された地点になります。
それでたくさんの服装品が発掘されておりますけれども、
この王様、どういう風な王様だったのかということをちょっとお聞きしたいんですが。
明治時代に発見されたものでして、
正式な発掘調査というのはほぼほぼなされておりませんが、
今ここから出た数々の服装品はほとんど地元の方には残っていないんですね。
東京の国立博物館にあったりだとか、京都大学にあったりだとか、
九州大学にあったりだとか、非常に分散しています。
そういう諸々の服装品や亀官房なんかをこれまでに調査研究した結果、
この王様の世代というのは大体紀元前後ぐらいなんですね。
八重時代の中期の終わりぐらいの時期でして、
福岡市の鹿之島から漢の和の名の国王という有名な金銀が発見されておりますけれども、
その金銀はおそらく記録に残っております、
名国王に五漢の皇帝から貸しされた金銀だろうということで、
これは記録によりますと西暦の57年ということが分かっておりますので、
金銀をもらった名国の王よりも半世紀ほど世代が遡るところの王様の墓だろうと考えられます。
漢の和の名の国王という金銀に出てくる王様よりもちょっと上と。
そうですね、数世代遡ったところの王様かなというふうに考えられます。
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それからこの王墓ですけれども、なんか紛糾があるんですか。
いろんな当時の記録からと、それと最近の鹿之島市の発掘調査からしますとですね、
おそらくこの王様の墓は周りよりも地面を高くする、
人工的に土を盛り土して、高い壇上の上に亀かんぼを埋葬して、
さらにその上に大きな石を置いたんじゃないかなというのを考えています。
その証拠の一つではないかなというふうに考えられますのが、
実はこの住宅地の中を東西に走る道路がありまして、古い時代からの道路なんですけれども、
この王墓のある途中から道路が食い違いになっているんですね、屈曲しているんですね。
これはおそらくこの王墓の一角が周りの土地よりも紛糾墓であったがために一段高くなっているということで、
道路を作るときに王の墓を迂回して食い違いになっているんじゃないかなというふうに考えられます。
という王墓です。王墓があった場所ですね。
すぐ岡本遺跡王墓跡というのがここにありました。
そしてその今ご紹介にあったクランク状に道路がなっているということで、
そのクランク状になっているところへ今歩いていきます。
そして王墓に沿って右折しますと空き地があちこちに見えてきますが、これは王族の墓があったところだということでした。
さらに歩きます。
先ほどの名古屋区の王墓の墓からさらに北側に100メートルほど丘陵を降りてくると目の前に田んぼが残っております。
実はこの田んぼの下に制土機工房が集中的に埋没して残っているということがこれまでの発掘調査の中で分かってきております。
どうですか。
道路が、車の激しい道路に出てきましたけれども、その道路の横ですね、畑がそうですね、100メーター、100メーターぐらいの畑が広がっています。
ここに制土機工房があった。
はい、そうですね。
発掘調査の中で分かっているのは、時代はちょうど弥生時代の後期を中心とした遺跡でして、田んぼの土を這いでしまうとですね、当時の弥生時代ぐらいの地面が出てまいりまして、そこに建物ですね。
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縦穴状の建物ですとか、掘った手柱状の建物が何頭も出ておりまして、さらにその建物の周りをですね、取り囲むように小さな溝が四角く巡っているという状況が発掘調査の中で分かってきております。
そういう建物の跡の中から、あるいは溝の中からですね、制土機の胃型類が日本のどこよりもまとまって集中して出ております。
そうですか。
はい。それと胃型と一緒にですね、胃型作り、制土機の胃型作りというのは、高温で銅とか錫とか鉛を溶かして胃型の中に流し込みますので、温度を上げるための装置として、炉が必要なんですね。
はい。
炉の中に、るつぼと言ったらいいんですかね。
るつぼが必要でして、耐火性のある土器なんですね。厚厚い土器なんですけれども、熱を受けたるつぼの破片ですとか、あるいは炉の中に温度を上げるために空気を送り込むんですけれども、
その空気を送り込むための装置として、ふいごというのが必要になってきますので、ふいごのちょうど送風空気を送り込むための通常の土製品がありまして、その通常の土製品も出ております。
そういうのは胃型と一緒にまとまって出ていることから、ここで実際に精度器を製作する工場の跡があったということが言えますので、遺跡のそういう状況、あるいはそこから出ている胃型作りに必要な道具がまとまって出ているということから、精度器の工房がここに存在したということが言えます。
普段何気なくこの辺は車で通ってますけれども、まさかこういう田んぼの中にそういう昔の精度器工場があったとは夢にも思いませんでしたね。今後ろにあれ小学校ですか?
はい、そうですね。笠川北小学校という小学校が広がっておりまして、ちょうどこの辺りが菅岡本遺跡の境にはなるんですが、この小学校の校庭の方にもすぐ隣り合わせで別の遺跡が広がってまして、こちらの方にも工房が伸びていく可能性も持っておりますし、あるいは小学校の敷地の中でもこれまでに部分的に発掘調査が行われております。
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実は大きな溝が出ておりまして、ひょっとしたら学校がある側の地下には身分の高い方の巨漢と言いますかね、住まいもあるのではなかろうかなということも言われております。
そうだ、住まいがなければいけませんよね。その巨漢がひょっとしたら学校の下にあるかわからないと。そうですか。じゃあちょっと時間がかかりますね。これ学校ありますから。
そうですね。期待したいですね。
はい。
青銅器工場跡、これはなんと大物、すぐ北側に広がってました。
今週は名古屋の中心地、菅氏のすぐ岡本遺跡群を歩きました。
ご案内は菅氏教育委員会文化財課の中村翔平さんでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島梨彩さんです。
こんばんは。本編で歩きました菅氏のすぐという交差点に面白いもの見つけました。和菓子屋さん菓子どころうさぎ屋という店があったんですが、ここの表に名国の友弥生の和ってお菓子の説明が書いてあったんですよ。
お菓子の名前ですか。
そうなんですよ。これはきっと古代自慢水前の一品かと思ってお尋ねしましたら、ご主人の宮崎忠義さんが、これね実は子供たちと一緒に作ったお菓子なんですって教えてくれたんです。
12年前、11年前、すぐ小学校の4年生の総合学習で取り組んだものなんですね。
通年販売の商品名国の友がありましたので買ってまいりました。
これ創作もなかなんですがどうぞ召し上がってください。
丸いね、もなかですね。
表がね、まがたまの模様が刻まれてるんですよ。
中があんこだけじゃないんです。
あんこが、何でしょうちょっと味わいが。
違うでしょ。
何だろうこの味は。
チョコレートが挟まってるんですよ。
チョコレートが練り込んであるんですかね。
薄い層になって一緒に入ってるんです。
それで独特の味わいというか。
今まで食べたことのないもなかの味がするんですよ。
でもあんまりこうなんて言うんでしょうか、棘のない優しい甘さで美味しいですね。
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名国の友ってあるんです。
あと気温が低くなるとなごみまんじゅうやよいのは、それから愛情をまぞれぬふれあいのかと揃っていくそうなんですけれども。
実は11年も12年前のお菓子を今も作っていらっしゃる。
どうしてですかって聞いたら、子どもたちの成人式までは作ろうと思って。
ご主人おっしゃるんですよ。
このお菓子が生まれたきっかけが、子どもたちが町の探検って言って地域の公民館とか商店街にインタビューをするという授業があるんです。
その中でうさぎ屋さんに来た時の仕上げとして、子どもたちが自分たちの考えたお菓子のデザイン画を作って、それを先生が持ってきてくださった。
あんまり素敵なんで作りたいけど30数名分はちょっと無理だなと。
これ1個に絞ったらいけるんじゃないかなと思って先生と相談して決めたんだそうです。
その時にご主人が提案した条件はこうでした。
必ずクラスの総意で作ってくださいと。
クラスの思いを地域の事柄を乗せたお菓子を作ってくださいと。
なるほど。
だから子どもたちは地域のことを調べまくりました。
もちろんこの名国の歴史資料館にも行っています。
自分たちの特性も考えました。
で判言にみんなが意見を出し合って、他の意見も尊重して、
例えば放送紙もですね文字、名国のとも、これ全部終時の時間に自分たちで書いています。
そうなんですか。
しかも誰かの字じゃなくて、名の字、国の字、のの字、ともの字。
全部一文字ずつ違うものを。
そうですか。
一番かっこいいと思った文字を選ぶ。
バランスいいですよ。
そして組み合わせた時に一番いい文字になるように作ったり。
この放送紙も一色しか使えませんよって言ったら、色々色を使うとお値段が上がっちゃうから。
そしたら先生に相談して、これグラデーションにできませんか。
そしたら二色三色に見えるでしょうって子どもたちが言うわけなんですよ。
いろんなとる気味の中、先生、そしてご主人の宮崎さん、こんな思いで関わっていたようです。
小学校って何のために勉強するのかって言ったら、やはり社会に出て困らないように、
自分自身のためにっていうことと、学ぶことによって人を傷つけないっていうこと。
そして成人式を超えてしまいましたけれども、これからのことご主人どう思っているのか聞いてみました。
私が今お店をやっている限りは作ってあげようかなとは思いますけど、
最終的な目的はお菓子をいっぱい売ることではなかったので、
続けていくっていう部分と、この子たちが社会に出て大人になって少しずつ枠が大きくなったときに、
自分が大人になって自分が子どもたちに伝える題材としてこのお菓子が残っておけばいいかなというふうには思います。
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循環しないと。
やっぱり売れた方が子どもたちも喜びますし。いいですね。
そしてその思いが次につながっていくと、昔先輩たちが作ったお菓子、
そして全く関係ない私たちも、そうやって子どもたちが調べたお菓子を食べることで、
もうちょっと名古屋を調べてみようかななんて気持ちになりますしね。
これからのシーズンは真ん中に僕たちの思いがずっと詰まったくるみの入った弥生の輪というおまんじゅう、
それから名古屋のドームを模したふれあいの丘、こういったものも出てきますのでお楽しみに。
中島理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は、福津市の企画協賛、福岡県商工会連合会、餃子のヤマハチ、道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は、坂田修大でした。
数学教師芸人の高田先生だよー。
高田先生の算数ワクワクラジオ。
算数が不安なあなたを算数ファンに変えるポッドキャスト番組です。
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