ラジオ放送楽しみにしております。とのことです。
ありがとうございます。すごい嬉しいです。
佐紀さんと美宝子さんは何か一緒にお仕事もされていたんですか?
遠い前から知っているような気がしたんだけど、割と浅いんですよ。
パートナーのご主人母と先に会って、それから佐紀ちゃんだったらしいんですよ。忘れてるけど。
もうなんか昔からだちのようだけど。
今日はそんな佐紀さんから美宝子さんをつなぎいただいて、たっぷりお話をお伺いしたいと思います。
ではまず、簡単に自己紹介をお願いします。
名前とか職業お願いします。
こんにちは。初めましての人もきっといらっしゃると思います。
株式会社サンジのヤボンのサンジと3PMと書いてサンジと読むんですけど、
職を軸とした物事作りをしております。
もちろんお弁当やお菓子の製造販売を聞いたり、
それ以外に実は裏方が多くて、いろいろな地方で職員ともするといろんな課題があるんですよね。
ルードロスだったりとか、弁当的なものが今の時代に合わなくてされてしまう。
そういうのをデザインの力、子どもの力でワクワクを届けて次の世代に残していこう、
課題解決していこうというような仕事も非常に多いです。
なので地域、いろいろな様々な人たちと連携して生み出す、
そんなような仕事をしているので、風呂デザイナーという肩書きで動かせていただきます。
ありがとうございます。そんな風呂デザイナーの美穂子さんに色々お話聞きたいなと思ったんですけど、
さっきさんのメッセージにもありました、色を食べるというコンセプトですね。
このアイディアがどういう風に生まれたのか、どんな思いが込められているのかというところからお話を伺ってもいいですか。
30年近く前に商業も取ったんですけど、その頃オーガニックとかペアグレードとか走りでブームだったんですけど、
そういうスタイルとか数式とかデータではなくて、
特にフェアマンに住んでいると、自然の恵み、季節ごとの食材の色、素晴らしいじゃないですか。
それを食べると季節に沿った体が出来上がるし、心も体も整う。
だから色を食べましょうよって、そんな簡単な気持ちと同時に、
私もかなりはみ出しの人間なので、住民トイロというぐらいに個性豊かな皆さん、カラフルな人々ですよね。
そういった人たちと活かし合って繋がり合ってできたらいいなという、そんな食事感を提案したいなと思いから、色を食べるようにしました。
私もフェアマンをしてきて7年ぐらい経つんですけど、色を一色とって、例えば緑って色をとっても、こんなに色んな緑ってあったりして、
例えば山見てても、どんどん季節によって色が変化していくし、野菜も本当に色っぽいじゃないですか。
そうなんですよ。
色を食べるとすごい良いなと思って元気もらえますしね。
もちろん数式も栄養素も大事だと思うんだけど、でも本当に自然的にかなっているというか、すごいギフトだなと思うんですけど、
オレンジ食べればカルチノイドという成分をいただけるし、ピンクとか紫だったりスプリンクルをいただけたり、本当に栄養素とリンクしているんですよね。
だから色んな色を食べると、それでオッケーじゃない?そんな感じで。
もともと晴れることはお好きだったんですが、どういう始まりで美穂子さんの食ってのがスタートされたのかなとちょっと気になりました。
ピンチからですね。
ピンチですか。
もともと私テキスタイルのイセミンがすごい大好きで、バブルの頃だったので空間ディスプレイしたり専門学校で教えたりする仕事をしていたんです。
いくらでも仕事があったんだけど、長女30歳出産するときに8週目でリープゴムを使ったのよ。
それでちょっとつまんじゃえば取れるんだったけど、ちょっと一緒に流れちゃう危険性があるし、大事に大事に育てちゃったのよね。
だから8ヶ月入院したりしていたから、その間に仕事がほんとなくなってしまって、別にそんなにいい加減な食生活じゃなかったらどうして同期になっちゃったのかなみたいに。
確になくグレーに近い、ちょっと取っておくと危険なリープだったので、そこからすごい食べることに真剣に、
それこそビタミンカバーから、最初薬から、薬剤から、いろんなものをやってパッと留まったのが薬剤の考え方で、四季の食糧場ですね。そこに移動を取り入れた、強調したって感じです。
なるほど、ご自身の経験というか出発点があって、ここから。
ピンチから。だから今思うと全然、いろんな課題解決しなきゃいけない地域の物語も、その関わる人が思いが消えなければ、ふびしろでしかないというのがよくわかります。
ふびしろでしかない課題は、ピンチは。
今日実は美穂子さん初めてお会いしたんですけど、この収録する前に少しだけ、5分、10分くらいかな、お話しさせてもらっているだけでも、このポジティブなエネルギーというか。
ごめんなさい。
いやいやいや、お話からも伝わってきますし、人柄からもピンチは伸びしろである。ピンチはピンチでね、どうしようってなっちゃうところを、
そうやってスイッチを変えるようにして、それを職場でいろんな人にさらに届けるって、素敵すぎる。
その時はもうね、売れるのかというより落ちますよ。ひどいら食べしもなくし、怒るし。ただね、忘れるの、3秒のくらいで。
いいですね。
でも食べ物ってすごくて、せいにテキスタイルで仕事をしたときもナチュラルな素材を使ってたんだけど、
使用書があるとやっぱりゴミになる可能性が高いんですよ。うまく工夫して。
でも食べ物は、体に取り入れると必要なものは外に出てくれるし、必要なものは地域になるでしょ。ピッタリだなと思ったよ、地理に。
そんなにナチュラルとかレシカルとか言うことが関係なく、普通に操作しないで生きてればレシカルなんですよ。めちゃくちゃ。
さまざまなものづくりの現場についてちょっと質疑をお伺いしたいなと思うんですけど、
お菓子づくりとかケータリング、それから企業の皆さんと一緒に開発したりとか、
就労支援の施設での指導もされているって、本当に職っていう一つのことを置いていろんなことをされているなという印象を受けるんですけれども、
それぞれの場で大切にしていることとか、場は違うけど共通して大事にしていることとかってあったりするのかお伺いできますか。
そうですね。いっぱいあるけれども、まずは活かし合える環境づくり、だから工程力とか、
一歩間を置いてできないできるじゃないに、世界の間にできるとできないの間にどうしたらできるかって、
めちゃくちゃ豊かな思考があるじゃないですか。そこをすごい大事にしているかな。
だって初対面で就労行って仕事をしたら、始めから増える可能性がないところがいっぱいあるんですけど、
でも、よいしょって感じで、できるできないの間の本当にどうしたらこうできるかなとか、
そういう生き方で違うから当たり前だよなって、そこをすごく受け取るとか受け入れるとか、
我慢すると違う。ちょっとその視点の変え、それを大事にしています。
今、アトリエにお伺いさせていただいて、お話をさせていただいていて、
実際に作られている製品を手元に持ってきてくださって見ているんですけど、
それもやはりお一人で作っているものじゃなくて、もともとは食べ物とか作るということから、
遠い人たちと共にやっているというのはすごく印象的だなと思うので、
一つは就労支援の先輩の人たちともそうだし、あとは上山口小学校の子どもたちとも一緒にいて、
できる、できないって思う人たちも、できるのよって誘い込むような感じだとすると。
誘い込むというよりも、夢中になる瞬間などに角度があるんですよ。
だからそこをピッと、ポッと。
それ難しい言葉ですよ、きっと。
自分があれを知っているからなのか、言葉だったりジェスチャーだったり、
ヒュッとする瞬間があるんだよ。そこがもしかしたら人遣いが悪いのかもしれない。
じゃあそこはあなたやって、みたいな。私はできない人ですよ。
お菓子の製造は、湘南のマイレール市という図書のあるB型の作業所の人たちと、
全面的に共同製造しているんですよ。
プライフして働く、共同製造しているんです。
それをケータリングの一部に使ったり、ソースとかも手で入れるというか、
食べ物のように生かしたらケータリングに使えるし、
そういう業務を全部共同としているんですね。
開発の部分に、湘南女子大学の学生と、
本来は出会いと恋愛だったりするんですけど、
含ませていただいたりとか、沖縄のメタルで監督しながらやったりとか、
そういう構成がリアルに繋がっちゃう。
その一つに上尾小学校の6年生のみんなが、
去年、登場してくれて、成功に楽しかったし、
まだ継続していますけど、販売し続ける以上、継続しているんですけど。
たくさんいろんな方と手をつなぎながら、仕事されていると思うんですけど、
特に印象的なエピソードがあったりとか、
自分の心に残っているエピソード、よかったら一つお聞かせいただけますか。
選べないですよ。
選べないですよ。
2つだね。
じゃあ2ついきましょう。
修道支援のみんなとなんですけど、江戸時代から野楽図書の建てて、
継続なさっているうさむさんのところに収穫に行かせてもらっているんですけど、
クラッカーの素材をね。
その時に、普段のことなどおしゃべりにならない私障害の方が、
土を育った途端、何とおっしゃったと思いますか。
ふわふわとか。
そういう意味のことで、いきなり地域の未来って。
びっくりして私。
え、え、え、地域の未来ってなになに。
未来ってなに。
素人だからきんちゃんつかんできて。
未来は今。今が未来っておっしゃってもらって。
この人、やっぱ感覚でわかってると思ったわけ。
今聞きながら鳥肌立つ。
鳥肌立つでしょ。
だからそういうことっていっぱいあったりとか、
あとこう、修道支援のやっぱり別の方なんだけど、
できるから、これやって、あれやって、じゃあこっちもねってつい言っちゃうんだけど、
お願いは2つまで。
すごいこれ。
子育てにも介護費も使えません?
もうですね、だからすごいなと思って。
いっぱいあるんです。
だから私が手つないでるっていう、
引っ張ってもらってるっていうか、
つながっちゃってるだけだと思いますよ。
うん。
うん。
すごい豊かな環境。
本当ですね。
そういうことがいっぱいあるんですよ、実は。
わー。
なんかおすすめしてもらって嬉しいです。
本当にね、お願い2つまでって使えますよね。
使える、使える。
ついにちゅうちゅいっちゃうんですよ。
理由側もね、じゃあどのお願いが本当に自分が願ってることなのかなって、
ちょっと内省させてもらえるし、
でもかといって何にも引き受けないよってわけじゃないっていう。
そう。
そう。
面白すぎます。
面白すぎます。
ありがとうございます。
この就労施設でマーガレットケーキっていうケーキを作られて、
それが実証歴もあるっていうことですけど、
このケーキに込めた思いとか、
美穂子さんにとっての特別ポイントみたいなのがあったりしたら教えていただけますか。
本当にね、七分多好きなんですよ。
だって私がっていうより、
卒業生と相模女子大学の卒業生と当時の14年前の学生の
栄養士の玉子ですよね。
学校がいつまでも伝えられる物語となるケーキが作りたいということで、
同時に100年歴史がある大学で梅の木がたくさんあるので、
梅酒をたくさん積み子たちが作ってたまっちゃうから、
何かそれを女子大生らしいケーキにしたいって、
開発したものを大豆のタンパクを入れて熟成することによって、
棒具材を使わないで2ヶ月持つというレシピを彼女たちが考えたものを、
やっぱりプロの我々が、これなんて食品としてはどうだろうとか、
じゃあこの素材を使って、
ちゃんと持続可能になっているのを2ヶ月にしようとか、
いろんな意味でコラボして成り立ったものなんですよ。
それをLCの作業場のみんなと作ろうということになったのが、
14年後の審査員の直後でした。
あ、そうか。
2012年後のプロダクション日本アワード、
審査員の特別賞を受賞されている。
これやっぱり取り組み、もちろん味とか完全性はあるんだけど、
取り組み、物語をすごい評価してくださっていただいていると思います。
あとは、ナデシコブランドの初期に立ち上がった年に、
神奈川県の女性が目線で開発したという経緯に
いただいたナデシコブランドを、
ナドシカの人に認定していただいた。
これね、箱もすごい特徴的で、
私、おおっと思ったんですけど、
それもよかったらご説明いただけますか。
展示の紙なんですけど、
その20時代の学生が当時、
座間にあるライトアウトさん、資格障害の皆さんに、
お料理を自分たちで作れるように、電子レンジが中心なんですけど、
教えに行った時に、私もご一緒して、
展示の紙とか新聞がゴミになっちゃう。
要は、リサイクルできないということを知ったんですよ。
MVSとか韓国に。
なるほど。
アップサイクル、リメイクするしかいないんですよ。
そうなんですか。
だから、ちなみにアップサイクルして、
丈夫だし魅力的な紙だから、
これをパッケージにしましょうよって言って、
途中からこれにしたんですよ。
なんて書いてあるかわかりません。
そうなんですよね。
読める人は、なんでケーキにこんなことが書いてあるんだろうって、
思うかもしれないってことですね。
でも、魅力的だってチェアをされたんだけど、
コロナになって、すごくこんなに触っているものを使って大丈夫になったので、
一手間かけて、LCのみんなが全部消毒して、
乾かして、抗菌というのかな、ちゃんとしてお届けしてるんです。
なんで一手間かけて、二手間かけて、
でもそういうのを楽しんでやってくれるメンバーだから、
成り立つんですよ。
一つこだわりがあった。
ケーキの中に、本来は梅酒で発揮しちゃう梅があるじゃないですか、
つけてるのも、全部5ミリくらいのサイズにして入れてるんですよ。
だからコリコリっていう食感があるんですよ。
フードプロセッサーだとペーストになっちゃうから、
それは5ミリにね、ひたすら切るメンバーがいるから。
そういうのが全部活かされたケーキですね。