1. 古代の福岡を歩く
  2. S4 19回目も神功皇后の田油..
2019-02-09 30:28

S4 19回目も神功皇后の田油津姫討伐の道です。

今週も前週に続いて神功皇后の田油津姫の討伐の道を神社から辿っています。

先週は朝倉市の太刀八幡宮、福成神社、筑紫野市の松尾宮、小郡市の老松神社まで尋ねました。

今週は久留米市の赤司八幡宮から紹介します。

この神社には三女神が降臨したのはここだという伝承が残っています。

神功皇后は三韓に出兵する前と後の2回この神社に寄っています。

その2回目が重要です。ここで朝鮮半島から帰るとここで応神天皇を出産したという伝承があるのです。

しかも、この地には粕屋郡の宇美八幡と同じく蚊田という地名もあります。

さらに、応神天皇が産湯を使ったという井戸、益影の井まで残っているのです。

三女神が降臨した場所の話といい、神功皇后出産の地という伝承といい、何かしら注目される神社のようです。



※写真は益影の井
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00:07
古代の福岡を歩くシーズン4
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
いつも旬のものをお届けします。
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こんばんは、坂田周大です。
先週から神宮恒豪のタブラツ姫との戦いを神社からたどっています。
お話を神宮恒豪伝書を歩くの著者、綾杉ルナさんに伺っています。
先週出てきた神社を紹介しますと、神宮恒豪が太刀を奉納した浅倉市の太刀八幡宮、
陽極綾の綴みの舞台となった浅倉市の勝良の池の近くにある福成神社、
神宮恒豪がお腹が痛くなり神に祈った蓄支の市の松尾宮、
そして境内に人形締めという大変珍しい締め縄を持った小小里市の尾松神社を紹介しました。
今週は久留米市北の町の赤字八幡神社からです。
まず御祭神をくれましょうか。
御祭神が道主の無知ということですね。
それから豊妃の御事、また淀姫の御事、それから沖永たらし姫の御事、八幡狼、甲羅大明神、墨尾市大明神となっています。
03:14
ここで重要なのは道主の無知という三女神の称号です。
日本書紀の第三章にこのことが書かれているんですね。
この三女神がここに降臨されて、そして道主の無知と名乗りなさいと天寺に言われまして、
それは御沼の君が祀っている神様ですよというふうに書かれている。
その降臨の地がこの赤字八幡神社です。
それでまた慶光天皇が登場するんですけれど、やはりここまで来られまして、祭壇を設けて、そしてお祭りされるわけですね。
その後、自分の王子に九日和家の御子という方がいらっしゃいまして、この方を自分の代理人として留め置かれたんですね。
それほどここが大事なところだったというわけです。
それでその後に今度は神宮皇后がまた来られまして、やはりお祭りされるんですけど、
その時には自分の妹の豊姫の御子とをよりしろにされたということですから、そこで神がかりをさせて、そしてお祈りをされたというようなことになるんですね。
それほど優勝があるところです。
それで、それまでは竹市中津宮と呼んでいたんですけれど、この豊姫がお祭りされたということから、豊姫神社と名前を変えます。
ところがですね、戦国時代になりまして、キリシタン大名の大友の総理院の兵士たちがやってきまして、
そして神殿を焼くか、それか名前を捨てるか迫ってきたわけですね。
それまでは三沼の聖を名乗ってありましたけれど、神殿を守るために名前を捨てて、今では宮崎聖という風になってあります。
神宮皇后に関しましては、そうやってお祈りをされて下って行かれますけれど、この三沼水軍は家を建ててですね、お屋敷を建てて待ってあったというようなことなんですね。
06:03
実は先ほどの蛍光店の九州をずっと回られますけれど、その案内人に猿大美という人がいるんですね。
お猿さんの猿と大きな海という字を書いて、猿大美というわけですけど、この人の屋敷がここにあったというふうなことです。
なんかいろいろといろんな話が出てきますね。
そうですね、あまりたくさんあるからちょっと話が難しいんですけれど。
神宮皇后はここからまた三沼水軍の仕立てた船で有明海まで行くわけなんですけれど、
その後朝鮮半島に出兵されて、凱旋されますよね。
そのルートがですね、長崎周りで、そして有明海から上がってきたという話がありますね。
で、その後また再びこの北のに戻ってこられたと。
ああそうですか。
そういう話が。
2回来られてるんですか。
そうなんです。
そしてにわかに産気づきまして、ここで出産されたという話があるんです。
すごい話ですね。
神宮皇后の出産地はいくつか伝えています。
海町の海八幡城が有名ですけれど、実はここはですね、和名書という古い書物には、かだ号と書いてあるんですね。
かだが出てきましたね。
はい。で神宮皇后が出産された場所は、かだだったと書いてあるんですね。
あの文々いう蚊ですね。蚊の田んぼという。
その地名が海町にもありますよね。
ところがここにもあるんですね。
どちらがどちらというのはもうわかりませんけれど、
ここで出産されて海町まで行かれたという話がここにも伝わっているというわけです。
この近くには出産の時に産いを使ったというような井戸もありますよね。
そうですね。前放送されてましたね。
マスカゲの井という。
マスカゲの井。小学校でしたね。小学の岩にあるんですよね。
これは、かだのあんぐというところでね。
そういうふうに今でも呼ばれています。
面白いですね。
そうですね。もう一つここには重要なお話があって、
だざいのべっぷだったというふうに伝えられているんですね。
09:01
読み方はつくしのわけのつかさと、難しい読み方をするんですけど、
だざいふ氏にだざいふがあったわけですけど、
ここにもそのべっぷがあったというわけなんですね。
ですから、外国の船が、
玄海のアタックから来るとだざいふの方で処理できるわけなんですけど、
中国の方から有明海を通って上がってきた場合も、
外国船に対応するところ、役所がこのだざいべっぷだったわけです。
そういうところがあったんですか。
これはなかなか知られていないことですけれど、
やっぱりとても重要なところで、後にはお城ができるんですけれど、
先ほど言ったように争奪戦がずっとあるんですね。
それでお堀が20人も30人もされていると。
ここを抑えたら、
筑後平野、あるいは筑後川の水雲が抑えられるという、
非常に重要なところだったというわけです。
赤字八幡宮、赤氏と書いて赤字とここでは読みますね。
くるめし北の町の赤字八幡神社でした。
今度は同じくるめし水の町ですね。
弓頭神社です。
ここの御祭神は。
九日分けの巫女と言いまして、
先ほどの水沼の君と縁結びをされた、
慶光天皇のお子様ということになりますね。
慶光天皇にはお子様が80人いらっしゃったそうなんですけれど、
その一人の名前がここに伝わっているわけです。
この方は戦いの時に弓大将になられたということで、
それで神社の名前が弓頭神社になったわけですね。
弓頭として神宮皇后と一緒に戦ったということですね。
はい、そういうことです。
この住所がくるめしの水間町の高水間というんですけれど、
少し土地が高くなってまして、
ここが水間の一族の大々の聖地の地だったという。
それでこの九日分けの巫女はここで亡くなりまして、
そしてお墓があるんですけど、
それをエボシ塚と言います。
エボシ塚。
神社から北西に300メーターぐらい行ったところにある巨大な古墳なんですけれど、
12:10
昔はそこに病院という御廟としてですね、
玄閣に祀ってあったと。
今でもお祭りのときにはそちらまで行くというふうに聞いています。
それで3世代ほどはお墓がこの高水間にありまして、
その後の世代のお墓は大禅寺の方ですね。
玉田礼宮の東側の方にずらっと数十基お墓を営んだというふうに伝わっています。
ここで有名なのが御元塚古墳と御塚古墳というわけですけれど、
ここもですから水間の君のお墓というふうに伝えているんですね。
かなり大きなお墓があったんですね。
ここですね塩墳なんですよ。
そして集合と言いまして周りに水を掘りを巡らすんですけれど、
それが残っているんですね。
残ってますね。
ここはぜひともですね近くに来られたら見学していただきたいなという。
横国道かな大きな通りが。
国道が少し削ってますのでちゃんと駐車場もあってですね見学しやすいようになっています。
ぜひ見学してほしいですね。
ここが大々水間の君の一族の話を伝えているというところです。
それからこの弓頭神社のところに近くにですね、
皇后の船をつけたという木があるそうなんです。
そうですか。
今は民家ということなので見学はできませんけれど、
船がずっと筑後は下っていっている様子がよくわかるところですね。
そうですか。
ここには大禅寺玉田礼宮の絵巻にここのことが書かれてまして、
竹内すくねとそれからこの九日分けの御子が会議をしている様子ですね。
軍儀をしている様子が絵に描かれています。
久留米市水間町の弓頭神社でした。
神宮皇后が出産した場所が門という場所ですが、
それがここにあり、近くに増す影の井という産湯を使った井戸まで残っているという赤字八幡神社と弓頭神社でした。
今夜は神宮皇后伝書を歩くの著者綾杉いるなさんに、神宮皇后と田ぶらつ姫の戦いを神社からたどっていただいています。
15:10
今度は柳川市の鷹尾神社です。
これはどういうふうな御祭神なんでしょうか。
大神殿の神宮皇后、忠愛天皇ということで八幡神が祀ってあります。
住所が大和町鷹尾ということで、鷹尾神社といいますけれど、
ここは先ほどのところからずっと南に下って、有明海が目の前に見えるようなところなんですね。
ここが田ぶらつ姫を討伐するための大本営だったというふうに伝えています。
ですから地元の方が大歓迎しまして、海のお魚のブリを釣ってきまして、お料理して待ってたんですね。
皇后が来られますと、舞を踊って大歓迎したと伝わってます。
それが半夜舞と言いまして、今でもお祭りの時に待ってらっしゃいますね。
その時のお話です。
神宮皇后のゆかりとしては、本殿より右手の方に少し小さな舎殿があるんですけれど、そこが小康の神ということなんですけど、
その後ろを見ますと神宮皇后の腰掛け寺があるんですね。
ですからここでは神宮皇后を小康の神として地元の女性たちがお祈りしていた場所になります。
ですから丸い石をですね、八幡宮でも見かける丸い石がたくさん奉納されています。
ここもそういう風にして祀られています。
柳川市の高尾神社でした。
今度は宮間市の尾井松神社です。
ここはご祭神は?
やはり菅原神ですね。
ここはですね、神社というよりも神社に入る前に左手に古墳があるんですね。
そこが重要な伝承を伝えてまして、ここが田ぶらつ姫の墓、あるいはその前の世代の屑姫という女王の墓という風に伝わっているんです。
雨が降ると血が流れるということで、
18:01
多分石で作った棺の中に種がたくさん入っていて、それが漏れ出して流れているのではないかという風に言われています。
これが雲塚というものですか?
そうなんです。
昔は女王塚と言っていたんですけれど、
はばかって大塚と、それから雲塚という風に言うようになったということですね。
田ぶらつ姫が土雲という風に言われていたことからついた名前だと思います。
そうですか。
ここの境内に入りますと、右手に山が見えます。それが座山と言います。
見えますね。
女山と書きまして座山というわけですけど、それも女王山という風に言われていたのが、
王様王の字を削って女山、座山というようになったと地元の人が言っていますね。
実はそこに皇后石があるわけですけれど、そこで田ぶらつ姫は殺されたという風に伝わっています。
座山で?
はい。この三山市に行きますと、この世高町、昔は旧大和軍と言っていましたよね。
日本書紀にも大和のあがたと書かれているところですけれど、戦いの話がてんてんとありまして、
神宮皇后が先ほどの高尾神社に大本苑を築きまして、そこから陸路をたどって上陸していくわけですね。
そうしましたら、車塚古墳というところがあります。
高速のそばですけれど、ここに陣営を敷いていたそうなんですね。
そうですか。
これからの戦の会議をしていたところ、突然田ぶらつ姫の軍勢が押し寄せてきまして、それを迎え撃って戦って、
そしてどんどんどんどん押し返していって、そして大激戦となったところが草場という場所だと。
今では草の場所と書きますけれど、昔は戦場と言っていたということなんです。
この後また皇后軍の方が勇勢で、どんどんどんどん園山の方に追い詰めていって、最後は皇后石があるところまで逃げていったのを殺したというふうなお話なんですね。
21:14
それで死んだのは敵も味方も両方ともということで、またその近くにゴンゲン塚という塩墳があるんですけれど、そこが皇后軍が戦死をした兵士たちが埋葬されているという伝承もあるほど厳しい戦いだったんですね。
死者も多かったんでしょうね。
そうですね。ということで、ここは歌詞具が後に作られて神宮皇后が祀られるようになっています。
三山市の及松神社でした。
たぶらつ姫は皇后軍に迫られて、三山の皇后石に籠って討伐され、そして及松神社にはクモ塚という古墳もあるというお話でした。
お話を神宮皇后伝書を歩くの著者、綾杉ルナさんに伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター、中島リアさんです。
こんばんは。
岡港神社をはじめ神宮皇后の足跡が残る足屋町。
ここで面白い催しがあるんです。
タイトルが、第3回西日本御当地サワラサミット2019 in 足屋町。
サワラサミット。
これ、お魚のサワラです。
あのサワラですか。珍しいですね。
そうなんですよ。お魚のサワラを使ったグルメ、メニューを考案した飲食店が集まって、さあナンバーワンを獲得するのはどこだというものなんですよね。
2月の23日土曜日と24日日曜日の2日間、午前10時から午後3時まで会場はボートレース足屋で行われるんです。
今12店舗の予定なんですが、それぞれのお店で考案したお魚のサワラを使った料理。
何が出てくるか楽しみなんですが、ここでいろいろ皆さんの投票でナンバーワンを決める。
その他にも4店舗ほどオープン参加としてあるんですが、若松の料亭、金鍋とかですね、佐賀県からも参加している。
面白いんですけど、これね料理を全部通常のハーフサイズぐらいで出してくれるんですよ。
じゃあ食べ比べできますね。
そうなんですよ。大体3,400円でいろいろ食べてみて、1品頼むごとに投票用紙がもらえるので、これでどこどこのお店に1票と出していく。
24:00
ちなみに去年のグランプリは、クラというお店が作ったサワララーメンだったんですが、バジルを効かせた1品でかなりおいしかったらしいですよ。
バジル?食べてみたい。どんな味なんでしょう。
その他にもカレーに使ったりだとか、天ぷらだとか、ハンバーグにしてみたりだとか、今年もそれに匹敵する1品が出てくると思うんですが、
このサワラサミット実行委員長で、漁師さんでもある中西智明さん、いろんなメニューが出てくることについて、漁師としてこう思いますとおっしゃっていました。
今まで自分たちがサワラといえば刺身とか煮付けという食べ方しかしなかったもので、いろんな食べ方、メニューができるのかなと不思議というか、感心されますね。
実際に召し上がってみると、こんな味になるんだって中西さんがおっしゃるくらいの味になるんだそうですよ。
そしてこのサワラサミットを行う意義について、こんなふうに今までと変化を感じているようなことを聞きましたよ。
今まではあまりサワラといっても地元でもそんなに食べられていなかった素材であったんですけど、このイベントをやることによってどんどん認知度が上がってきている形は見られてはありますね。
なので3回、4回、5回と続けていけたらなと思っています。
いろいろな加工品を増やしつつ、足屋町に来てもらって、また飲食店さんのところで食べていただくという、そういうことができればこれのきっかけになれればなと思っています。
実際にサワラサミットでも加工品も販売されたりもするんですよね。
それから漁師さんの採ってきた切り身の販売があったりだとか、いろいろあるんですが、やっぱりこのサミットを踏まえた上で、サワラの町足屋っていうのを印象付けていくのが大事。
そしてやっぱり足屋で食べるのが大事とおっしゃるんですよね。
ここで水揚げされたものが飲食店さんに出てますので、より新鮮なものが市場出荷ではないんですね。
市場から仕入れるんじゃなく、取り立てを直送していますので。
サワラって魚へに春って書きますでしょ。春の魚かなと思いきや、一番おいしいのはこうだそうです。
だいたいですね、12月、11月下旬くらいから徐々に魚体も大きくなって、サワラ自体の油が乗ってくるんですけど、3月、4月、3月下旬くらいですかね。
まで魚体が大きくなり、油が乗ったサワラが取れる形ではありますね。
サワラが乗った時期は食べ方としては中西さんどういうのが一番好きですか。
私は一番刺身が好きですね。ちょっと熟成された刺身。3日、4日、ちょっと熟成させるんですよ。
27:02
そうすると油がまわってですね、とろみたいになっておいしいんです。
それは一番アジアのおすすめにしたいなと思ってますね。
食べたくなってきました。アジアで。
まずは2月23日、24日の2日間、ボートレースアシエで行われますサワラサミット2019 in アシアマチで新しいサワラグルメから体験してみましょう。
リポーター中島理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
この番組のホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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この番組は福津市の企画協賛、福岡県商工会連合会、餃子の山八、道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
30:28

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