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古代の福岡を歩くシーズン4
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
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世界遺産神宿島、村方沖の島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
こんばんは、坂田集大です。
先週は神宮皇后の足跡を福井から歌詞宮までたどりました。
実はこの歌詞宮で大変な出来事が起きるのです。
今日はその歌詞宮での神宮皇后と忠愛天皇の話からお送りします。
お話は神宮皇后の謎を解くの著者、河村哲夫さんです。
神宮皇后は丘の港から三坂峠を通って歌詞宮へやってきます。
三坂峠を通って歌詞宮へ?
それが途中までは秀吉の大公堂と同じコースなんですよ。
よく似てるんですよ。
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しかも秀吉が神宮皇后の足跡をたどりながら、そこで神宮皇后を偲んだみたいなことがよく残ってますからね。
だから秀吉というのは神宮皇后の朝鮮地評をよく研究しておったという可能性が高いですね。
途中から三坂峠の手前の道路から右に曲がっていったんですよ。
現在でいうとどのあたりかな、古門とかですね。
あのあたりから手前を福岡の方に向かうんですよ。
ですから途中までは非常にダブったコースを二人がたどるというのが面白いなと思いました。
ですから神宮皇后はもっと竹原公園とかありますよね。
あのあたりを通って、そして今呼びました三坂峠で、
それは朝鮮半島そこでご覧になったから三坂峠というんですよ。
そういう伝承が残ってます。
だから本人は朝鮮半島のそういう疾病というのは当時からあったと思いますよね、神宮皇后は。
ですから熊洲討伐というのは後日であって、
本音は朝鮮半島の札原から支援要請を受けましてね、
そして朝鮮に軍事侵攻といいますか、
そういうことを考えておったんじゃないかと既に言う気がいたします。
面白いですね。
それでカシーグには1月21日に到着しますね。
1月4日に出発しましたので計算すると17日ぐらいで着いたということですね。
それからここでしばらく滞在されますけど、
9月に軍議を開かれて、その時に日本書紀には神宮皇后に神が乗り移ったということです。
そうなんですよ。
軍議したその日に神宮皇后がいきなり本性を表すんですよ。
しかも本性の表し方が違うんですよ。
神が乗り移ったと。神のお告げで朝鮮執兵しなさいと。
こういうふうに中央移転のように告げるわけですね。
中央移転は冗談じゃないと。自分は熊磯を征伐したんだと。
朝鮮なんか知るかという感じですよね。
それで高屋丘の上に登った。
カシーグの近くの高屋丘と言いますと橘山でしょうかね。
おそらく名島の丘じゃ見えませんから。
そこから見るけど朝鮮見えないじゃないかと。
言うて反論するんですよ。
ところがお前神のいいこと聞けないのかと。
古事記で言いますとあの道行けと言うですから死んでしまえと。
今日私は見守ったと宣言するんですよ。
その日に亡くなってしまうんですよ。
ですから亡くなったことと応神の妊娠というのは2つ重なってるんですよ。
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どうも変ですよね。
変ですね。
その乗り移った神が住吉の神らしいんですよね。
博多の住吉神社の。
そうですか。
大阪の住吉神社ございますよね住吉大社。
そこに住吉神社大社神代基督がありましてね。
過去のいろんな伝承を残してますがその中に神宮皇后が密通をして子供を作ったと書いてあるんですよ。
その相手方と言いますと住吉の狼と書いてあるんです。
住吉の狼。
住吉の神様が子供を作ったと。
しかし常識的に言いまして神様が子供を作れるわけありませんから。
身近にいた男性特に竹内スクネじゃないかという疑いの目はですね。
昔から先生研究者はですね疑いの目を向けとります。
確かにカシグに行けますとね生まれた大神殿の竹内スクネが抱いてる像がありますよね。
ありますね。
孫でも抱くような愛おしさが感じられますでしょ。
朝鮮出兵が終わりましてね。
向こうに都に帰るとき瀬戸内海行くとき神宮皇后は自分だけ。
竹内スクネはやっぱり大神殿を抱っこして帰ってるんですよ。
そうですか。
普通は母親が抱くのは本当でしょ。
竹内スクネは自分の子供だ、孫みたいな子供だって抱いてる感じがするんですよね。
でもそれは証拠はありませんから誰もそういうことを表であって言いませんけども。
怪しいな怪しいなという人は多くいます。少なからずいます。
駐愛天皇の死に竹内スクネが何らかの形で関与していると思いますね。
関連しているということですね。
はい。
という河村哲夫さんのお話でした。
駐愛天皇の死についてはいろんな伝承が残っています。
そこで今度は神宮皇后関連の神社から見ていきます。
お話を神宮皇后の伝承を歩くの著者綾杉隆さんに伺います。
駐愛天皇の死と関連の深い神社から。
それではまず小郡市の三世大霊石神社。これから行きましょう。
まずここの御祭神は。
たらし中津彦の狼ということで駐愛天皇をお祭りされているお宮です。
駐愛天皇。
三世という名前は神宮皇后が駐愛天皇を三世の君と呼んであることからついた名前で。
昔は女性が愛する男性を呼ぶときには背の君というふうに言ってたわけですけれど。
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背中の背とか勢いという字を当てますけれど。
ここではそれに御の字をつけて神宮皇后は駐愛天皇のこと三世の君と呼んでらっしゃったというふうに伝わっています。
それから大霊石というのは大いなる御霊の石と書きまして。
駐愛天皇が亡くなった後神宮皇后はその御霊を石に留められたということで。
それが三世大霊石神社と神社の名前になっています。
ここへ行きますと神社の本殿の前ですかね。
四角く囲ってある部分ですね。
あの部分が御本体所というところですかね。
はい本体所ということで。
実はこの神社には駐愛天皇がここで亡くなったという話が伝わっているんですね。
一般的には歌詞句で琴を弾きながら亡くなったと言われています。
それは古事記に書かれた内容なんですけれど。
日本書紀の場合は敵の矢に当たって亡くなったという話を書いてあるんですね。
それに相当するのが実はこの御霊石の三世大霊石神社なんです。
それで駐愛天皇がクマスを討伐するために歌詞句から御霊石まで来られた時に
法満川の河原でここは白い砂で清らかなところだから
ここに本陣を作ろうとおっしゃって
そしてそこに天掴み国掴みを祀られたんですね。
そういうことでここが討伐の本陣となったわけなんです。
ある時前線を回って兵隊たちを励まして帰る途中に
黄昏時になって敵の流れ矢が飛んできて
駐愛天皇に当たってしまいまして
天皇がその日亡くなってしまったというお話がここにあるんですね。
それで時は戦いの最中だったので戦首を伏せて
そして後に落ち着いてから亡骸を歌詞句にお写ししたという話があります。
神宮皇后はその時に天皇の御霊石を石に留めて
そしてそれを大事に持ち歩いていらっしゃった様子なんです。
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そして朝鮮半島で戦って
凱旋した後にこの小氷島でやってきて
そして天皇のゆかりの剣とか衣を今言われた本体書に埋めまして
そしてこの大霊石をお祭りになったという
それがその御本体書の意味です。
それで敵の流れ矢に当たったというのですが
敵というのは
ここには熊曹と書いてありますけれど
そこの法満側の向こう側が既に朝倉が見えているんですね。
朝倉にいるのが八十六間和氏という敵なんですね。
それで多分八十六間和氏の手勢の者の矢になるものではないかと思っています。
熊曹ではなくて八十六間和氏ではないということですね。
その流れ矢に当たったと。
そういったのが三世大霊石神社です。
次は小氷市の早高神社です。
ここの御祭神は?
ここの御祭神は高見結びの神ほかということで
主祭神は高見結びの神ですが
別名高木の神というんですね。
空を飛ぶ鷹がそれに相当します。
早高の早は早との早を書いて
鷹は空を飛ぶ鷹ということですが
ここの優勝が実は先ほどの
三世大霊石神社に補うような伝承があるところなんですね。
この早高神社の話では
天皇が先ほどの御宮で
天津神、九日神を祀られている時に
この高見結びの神が鷹の姿をとって飛んできて
そしてそのまま北を指して飛び立ち
松の木に止まって姿が見えなくなったという風に書かれているんですね。
今その松の木は枯れて
楠の木がそびえ立っていますけれど
後に神宮皇后が命令を下して
ここに早高の神ですね
高見結びの神を祀ったと伝わっています。
なぜ神宮皇后が鷹の神を祀ったのかということですけれど
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普通ならお祭りしている時に鷹が飛んできたなら
吉祥かなと思うんですけれど
ここではその直後に天皇が亡くなったということで
不吉の知らせということで
この鷹が天皇に称ったということで
高見結びの神を祀ったのではないかと思われます。
そうですか。鷹と高見結びの神ということですね。
そうですね。
高見結びの神といえば
甲羅山の麓に高木神社というのがありましたね。
そちらの伝承では
もともと高見結びの神は甲羅山を治める地主神だったと
そこに甲羅の神がやってきて
人よ宿を貸してくれと言われて
宿を貸したところ
甲羅の神が一晩で皇后石という劣跡を作ってしまって
高木の神が戻って来れなくなったという話がありましたね。
その場所がちょうどこの場所から
南に一直線にあるんですね。
ですから南から飛んできて
そして南から北に飛んで
一直線に高木神社からですか?
早高神社と高木神社と甲羅山は一直線上にあるんです。
一番南が?
甲羅山の高木神社。
ですから仮説ではありますけれど
甲羅山から高見結びの神が
ここに天皇がおるなということで飛んできて
そして早高神社に止まったのではないかと
そういうことを考えさせられる場所だったということです。
何かを暗示しているということですね。
そうですね。
もう一つここには早間神寺というのがありまして
今でも馬の代わりに米だわらを担いで
そして町中を引き回すという行事があっていまして
これが実は八六回しと戦うための訓練の名残だと言い伝えているんですね。
それでこちらでは敵は八六回しであると言い伝えていた場所だったというわけです。
面白い行事が残っているもんですね。
そうですね。
小郷折の早高神社でした。
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神宮皇后の足跡を神社から辿っています。
綾杉さんの話は忠愛天皇の奉行に入っています。
今度は小賀氏に飛びます。
小賀氏青柳の五書八万句の話から。
こちらの御祭神は?
忠愛天皇と神宮皇后、玉より姫、受持の神、墨之江の御前の神と御柱がまつってありまして
そこから五書八万句と言われるようになったそうです。
ここは神宮皇后が下郷に乗ってきて休まれた場所と言い伝えているんですね。
その場所が小賀氏の青柳というところなんですけれど
歌詞宮から小山田祭宮に行く途中にある神社なんです。
忠愛天皇が亡くなった後、神宮皇后はなぜ天皇が亡くなったのだろうか
これほど神様を祀ったのにと言って非常に嘆かれまして
そしてどなたが死をもってお教えしようと思われたのかということで
神宮皇后は歌詞宮から小山田の村に出かけて
神様の名前を聞くための神事をされるんですね。
そこに行く途中にこの五書八万句があるというわけです。
小賀氏の五書八万句でした。
次も小賀氏です。
今お話に出てきました小山田祭宮ですね。
ここの御祭神は天寺聡神、竹仏の神、ことしろ主の神、住吉三神、沖永たらし姫の御事
これ神宮皇后ですね。この御柱が祀られています。
日本書紀によりますと神宮皇后は祟っている神を明らかにしようと思って
五書宮を小山田の村に作らせたとあります。
3月1日に吉日を選んで五書宮に入って
自ら神主になって神の名を尋ねになったわけですね。
それまでことは忠愛天皇が引かれていたのですが
忠愛天皇が亡くなりましたので代わりに竹内すくねが引きます。
そして竹内すくねがしていた差には神様が本物かどうかを審査する役割なんですけれど
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それを中富の遺活の御実が抜擢されたわけです。
そうしまして御当にの両側に織物をたくさん捧げて
そして先日教えられた神様はどちらの神様でしょうか
願わくばその名前を教えてくださいと尋ねられましたら
7日7晩何にも答えがなくようやく7日目に神が答えたわけです。
その神というのが伊勢の国の策鈴の宮に鎮座する
月さかき五の御霊天盛る無活姫という神様だったんですね。
省略して無活姫と言いますけれど
この方が天照大神の荒御霊だったわけです。
それから他に何人かの神様が名乗られまして
そして神宮皇后は神々が教えるとおりにまた祭祀をします。
その神様がこの神社に祀られているというわけです。
そういった小賀氏の小山田細工でした。
お話を神宮皇后伝承を歩くの著者綾杉留菜さんに伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島理恵さんです。
神宮皇后の足跡を含め古代の福岡歩きで欠かせない場所の一つ
朝倉エリアに最近注目を集めている伝統色があるんです。
その名も虫雑煮。
虫雑煮。
昆虫じゃないですよ。
蒸気で蒸す方が虫雑煮。
どんなものなんでしょうね。
気になりますよね。私も全然想像ができなかったので
朝倉市役所観光振興係長の熊部俊明さんに聞きました。
虫雑煮って一体何でしょう。
簡単に言うとお雑煮が茶碗蒸しになっているというか
茶碗蒸しの中にお餅が入ったのを正月のお雑煮として食べていますよと。
見た目は完全に茶碗蒸し?
茶碗蒸しですね。ただ茶碗蒸しだとちょっと小さめの器に入ってきますけれども
正月ご家庭で食べられているのはどんぶりサイズぐらいで出てきます。
珍しいですね。
雑煮研究家の香谷さんという方がいらっしゃるんですが
日本全国のお雑煮を見渡してもこの朝倉タイプはないと。
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初めて知りました。
実は朝倉観光協会でレトルトの製品を作っているので今日持ってまいりました。
目の前に今虫雑煮があります。
これは本当にどんぶりの茶碗蒸しなんですが
ツヤツヤのお餅が入ってますよ。
発見されました。
具沢山で珍しい。食べていいですか。
おいしい。
ストレートにいいお出汁が。
出汁の香りがふわっと広がりますね。
でもここにお餅が入っているのが雑煮と言われれば雑煮なんですよね。
お雑煮ですか。茶碗蒸しですけどお雑煮ですよね。
お出汁も具もお家ごとに違うので家によっては椎茸だったり昆布だったり
お出汁のお家もありますしもちろんお餅は入りますが
鶏肉が入ってたり人参里芋等々の紺菜油ということになるんですね。
いつからかというと江戸時代から食べられてたそうなんです。
どこでかというと朝倉エリア全体ではなくて
ごく一部の地域朝倉市の一部、竹前町の一部、東宝村の一部と。
注目すべきは特に秋月とかみなぎとかいった
武士がたくさん住んでた地域で多く食べられてるんだそうですよ。
この虫雑煮の誕生の背景について熊部係長に聞いたんですが
まず一つは強豊の大基金があったと。1732年から1733年にかけてなんですが
この基金の後、福岡秋月藩は生産力を高めるため養犬を奨励してるんです。
卵の船配で収益もアップしようと狙っていた。
つまりここで卵が生産される体制が整った。
まず材料の一つが揃った。
そして二つ目は福岡藩の長崎警備任務が関係してると。
福岡藩と佐賀藩は一年交代で
オランダ船とか中国船の入港に伴うトラブルの防止と長崎警護のために
長崎住みしてたんですね。
さらにこんな話も聞き合いました。
江戸の中頃ぐらいになると福岡のお殿様がまだ年が若くて7歳とかぐらいで
とても長崎警備に行けないということで
秋月藩が代わりに長崎に行くことがあったんですね。
その時の資料の中に秋月の殿様が長崎に行って
中国人の屋敷に呼ばれてご馳走をいただいてるっていう記録があるんですね。
その中にいろんなお皿がいっぱい出てたっていうのがありまして
だからその中の一つに茶碗蒸しみたいな料理が中国から伝わってきたのが
出されたんじゃないかというんですね。
それを見たお受けさんたちはこれは美味しいと。
家で食べようと。
ただその時に卵は非常に貴重なものですからいつも食べられるわけではない。
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ではご馳走を食べる日っていつかっていう話になると
もう正月じゃないかな。
普通にお雑煮食べてたのをご馳走を食べたいということで
卵を使った茶碗蒸しみたいなお雑煮を作るようになったんじゃないかなと。
説得力ありますね。
今年は21の飲食店で出されてまして通年のところもあれば
12月この冬場時期の季節限定というところもありますので
ぜひ朝倉にお出かけして蒸し雑煮食べてください。
中島理恵さんでした。
福岡県商工会連合会 餃子のヤマハチ 道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は佐方秀大でした。
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