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古代の福岡を歩くシーズン4 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を訪ねる 古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は 福津市の企画協賛
道の駅村方 福岡県商工会連合会
餃子の山鉢の提供でお送りいたします 道の駅村方営業部長の久藤です
村方の新鮮な海の幸山の幸がたっぷりです いつも旬のものをお届けします世界遺産
神和鳥島村方沖の島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう 売上や経営のことでお困りではありませんか
福岡県商工会連合会では地域の中小規模事業者に寄り添った 数多くの支援メニューを準備しています
最寄りの商工会に気軽にご相談ください 本番は
先週の1回目はナイター中継のためお昼の2時からお送りしましたが今週からこの 時間に毎週お送りいたします
シーズン4は名の国から始めました その名の国にあります中川町が10月から中川市になりましたので今回は中川市から歩いています
今週は伏見神社から歩きます 神社のすぐ横を中川が流れています
ご案内を歴史ガイドボランティア中川の白鶴美恵子さんにお願いしました
えーっと今度伏見神社に行ってきました 本殿に向かって右側に絵馬堂があります
この神社はどういう風な神社でしょうか こちらの神社はですね五柱の神様が祀られている神社です
まず淀姫の御事 この方はですね金明天皇の時代に佐賀県のこれは川上大明神でございます
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よく5月になったら恋のぼりとか川上京 あそこに祀られている大きな神社さん
あちらの方から勘定してこられたわけなんですね でこの淀姫の御事と言いますと神宮皇后の妹姫
というふうに言われておりまして神宮皇后が大陸遠征に行かれる時に風を送って 船が出やすくしたりとか
かんじゅまんじゅの玉を神宮皇后に差し上げたり そしてあの応援をなさったお姫様なんですねあの神様なんです
でこの患者万事の玉っていうのは一体何だろう で患者の玉を持ち上げますと敵の兵が船に乗って攻めてきていますと
海の水が一気に引いていくわけですそして海の水が引いて船が動かなくなったので 船から降りて歩いて攻めようとすると今度は万事の玉を渡します
すると海の水がどどどっと増えてくるそういうふうに海の道引きをする そういう玉であるわけなんです神宮皇后は大陸遠征から戻ってまいりまして
山口県の調布そこにその患者万事の玉をまた海の神様に戻される 戻したところから不思議なことに緑色の小さな島がぷくぷくぷくっと浮き上がっていって
今その島のことを患者の島万事の島っていう風に名前がね あのついているわけなんですけどねはい次にあのこの神宮皇后なんですけれども
あの神宮皇后は大陸遠征に行かれる前に馬の背に乗って中川を渡って 背振りの山に登られた
やはりそこからどこから船を出せばいいかそういうのを見定めるのとやはり神様に願い をかけるそういうのもあったと思うんですけれどもその馬の背に乗って渡ったところ
川の魚ぴょーんと神宮皇后のお膝元に飛んできた 神宮皇后はその魚を触ってナマズメタイと言われたそうなんですよ
でその魚ナマズという風に言うようになったということなんですね ナマズメタイ
そしてナマズと言われるようになりましてね そして神宮皇后がいざあの船に乗って出発されますと大きな魚小さな魚がたくさん集まってきて
その水先案内人をした ただその魚もなんかナマズであったっていうような話もあるわけなんです
でここは山田という地域なんですけれども 山田の地域の方たちはナマズは神宮皇后のお使いの魚だから決して食べたりいじめ
たりしてはいけないというそういう決まりが昔から残っておりまして ちょうどこの伏見神社の前にあの国道385号線が通ってその向こうが中川が
ございますよね流れてますねはいで今はもうなくなりましたけれど昔はですね ナマズの縁って言ってそれはそれは
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はーい沢があったんですねこのナマズの縁 でもあの地域の人たちはナマズを全く食べないのでそこには大きなナマズがたくさん
泳いでいたということになるんですけれども へところがですね昭和6年に道の克服工事が入って
ましてそれで埋められたりとかそれとかやはりこう中川ていうのは非常にまあ 恵みも与えてくれるけど暴れ川であるから上から土砂を運んできたりとか
太平洋戦争が終わった後にセブリの上にですね あのアメリカの基地ができたんですねでここのところジープに乗ってアメリカ兵がどんどん行く
するとまるまる太ったナマズが泳いでる見つけてまぁダイナマイトがちょっと入れて そしてコップカップが浮いたナマズをとってでバーベキューにして食べたりとか
なんかそんなことです今はもう埋まってなくなってしまっているわけなんですよね ああでまぁちょうどここから見えますけれども
中のすぐ横に大きなくすの木がございませんよ1本あるんですね でその根元にま石があって閉め縄がかけられているの
わかりなられますかえっ
えーっと、あー、しめなをかけた。
そうですね、60センチ四方くらいの、まあ丸っこいね、石がありますね。
もともとこの伏見神社はあちらにあったそうなんですね。
ああ、あの石の方に。
はい、川のすぐ横にまつられてあったみたいで、
それがまあ1648年ですか、ここの漁師であった津田の一の嬢、平野あそん、しげさだっていう方が今のこの位置に持ってきたというふうに言われておりますね。
で、またあのちょっとさっきの祀られている神様の話に戻るんですけれども、
すさのおのみことも祀られております。
これはですね、やっぱり戦国時代博多の町がもう焼かれます。
その時に串田神社よりすさのおのみことのその御神体をここまで中川を多分上がってきたと思うんですね。
こちら避難させられたわけなんですね。
で、それからすさのおのみこともここで祀られるようになりまして、7月の14日、まあこの時には祇園祭とか言いまして、夜にああいうかぐら、岩戸かぐらというものが回れるわけなんですね。
この岩戸かぐらというのは江戸時代までは本当は神官さんが待っていらっしゃったかぐらであるんですね。
で明治に入りまして神官が舞うことがまあダメということになって、今まで伝え守ってきたものをこのまま捨てらせるのもと思ってですね、里人にお伝えしたわけなんです。
そして明治の13年に侵略者というものを作りまして、それが今がこの岩戸かぐらをずっと引き継いでいるという、はいそうなんですね。
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そんな古い歴史があるんですね、そのかぐらのね。
はい、そういった伏見神社です。
神社さんとかには大きなイチョウの木とか、まあそういう木がございますよね。
不思議なことにそういう神社さんのある木の中に小さな巻貝がいるんですね。
これイチョウの木ですね。
これイチョウの木ですね、古くて大きな木ですね。
でこのイチョウの木の皮の隙間とかにですね、あ、いましたここ。
ああ本当だ、えー1センチぐらいの。
これはシーボルトコギセルっていう貝であるわけなんですけれども、別名ガイセン貝とも言われるんですね。
神宮皇后が大陸衛星に行って無事にガイセンしてきた、そういうガイセン貝。
どうしてそういう名前が付いたかと言いますと、昔旅に出ろうという方はこれをお守りに持っていくんですね。
この貝を外したら蓋がピタッとしまって、2、3ヶ月はその貝は飲まず食わずでも生きていける。
で無事旅から戻ってきたらまたありがとうございましたと言って貝を戻す。
そういうことでガイセン貝というようなそういう名前も付いたと思うんですけれども、地元の人のおまじないとして子供の夜泣き、
それにはこのシーボルトコギセル、この貝をですね、子供の枕の下に敷くと夜泣きが治るとか言う。
そういう地元の人たちの話もあります。
神宮神戸を祀った神社にはこういう薪が出てくる木が、クスの木であったりイチョウの木であったりしますね。ありますね。
そうですね。
不思議な気がするんですけどね。
確かに神宮神戸を祀った神社ではクルメの甲羅大社、
糸島の海八幡宮境内の大きな古木にも薪貝がいました。
神宮神戸と薪貝、なんだか不思議な関係です。
そして伏見神社にはひたきごもりという珍しい行事も残っていました。
この行事についてシローズさんは、
もともとは11月15日に行われていたもので、
その年に成人を迎える男の方が、
サカキの葉っぱを口に加える、無言の行ですね。
そのまんま元宮がございますよね。
あそこに石段があって、中川の方に降りれるようになってますね。
降りてって、そこで体をみそぎをする。
そしてそのまんま上がってきて、ここに火をつけるわけなんです。
このひたきごもりというのは一体何なのかと言いますと、
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10月はカンナ月と言いますよね。
カンナ月というのは日本国中の神様が出雲の国に行ってしまわれるので、
出雲の国では神有月と言うんですけれども、
行かれた神様がまた再び戻ってこられる。
神様お帰りなさいとお迎えするのが、そのひたきごもりなんですね。
ここはちょっと変わっているのは、やはり口にサカキの葉を加えて、
無言の行で行うというのがちょっと変わっているかなと思いますね。
珍しいですね。
そうですね。
ひたきごもりという、そういう行事があるんですね。
今年は11月の17日の土曜日なんですけれども、
今からご案内します。
作田の海辺のライトアップ、その時に大体ひたきごもりが行われているんですね。
あ、やるんですか。
はいはい。
という珍しい行事があるという伏見神社を後にしまして、
中川の方に降りていきます。
今週は中川市を歩いています。
今度は伏見神社のすぐ横を流れている中川の市のいでにやってきました。
ここは作田の海辺の主水口があるところです。
この作りというのは加藤清政から始まったものみたいですね。
加藤清政が熊本の方を治めるようになりました。
緑川という、ちょっと雨が降ったら氾濫する川があったわけなんですよ。
この川をなんとかしなくちゃいけないということで考えていて、
うとうとうと寝た時に、魚という鳥がございますよね。
火を燃やして魚を食べる、黒い大きな鳥ですけれども、
それが夢に出てきまして、川を斜めにすーっと泳ぐ夢を見たそうなんですよ。
あ、これだと加藤清政が思って作ったのがその井でありまして、
この作りから見て、これはやはりその後江戸時代の初めぐらいに作られて、
畜全国で一番大きな井でと言われていたわけなんですね。
水が少なくなると点々とその跡が見えるんですけれども、
うっすらと見えますね。
こんな感じなんですけれども。
川幅がここで言えば5、60メートルぐらいありますかね。
中川の川幅がね。
そこを関止めたわけですね。
ここで関止めるというか、関を作ったわけですね。
そうですね。作田の海で水を出水するために斜めに関を切ったものなんですね。
ただこれは加藤清政以降で、その前に神宮高号がどういう形であったかわからないけれども、
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この中川の水を出水するための井でを作ったはずなんですね。
そうですね。
紀元前250年ぐらいに中国の四川省で徒高苑という、
やはり川をせき止めてそこから水を出水するというような井でを作っている。
神宮高号がここに作られたのは今から1600年ほど前と言いますから、
その徒高苑を作ってから5、600年経っているわけなんですね。
するとやはり川をせき止めて引き入れる、何らかの土木技術というのも伝わっているはず。
だからですね。
でもですね、ここも神宮高号の伝説が残っているんですけれども、
この川の向こうなんですけれども、ここは全然岩がありませんね。
ただ向こう側に石がゴロゴロとあるのがわかります。
見えますね。遥か200メートル先にね、川が右へちょっと曲がっているところですね。
はい。神宮高号が一の井でを作っていると、山の方から大きな石がガンラガンラと流れてきたそうなんですよ。
ああいう岩みたいなところね。
すると神宮高号が天の神に祈りをあげたら、
2つの大岩がガガガッと持ち上がってきて、流れてくる石をせき止めた。
これを京大岩と言ったり山塩岩と言ったりするんですね。
戦後になるんですけれども、ある遺宿さんがちょっとこの石を砕いて金儲けをしようと思って、
その石を割ろうとしたわけなんです。
そしたら石にのみをいくつか打ったら具合が悪くなって、
もうそれは神宮高号の何か起こってあるんだ。だから具合が悪くなった。
だから怖くなってやめてやって、未だに一つの石にはそののみの跡がちゃんと残っているわけなんですよ。
もうみんな怖がって手を出せません。
この遺宿は非常に頑丈にできておりましたけれども、
昭和24年8月16日の大雨で初めて決壊してしまったわけです。
その時の雨の量というのが、1時間292ミリ、1日に1367ミリ。
すごい雨ですよね。
1時間に100ミリを超えただけでもすごいですからね。
そうですよ。これはもう100年に一度というか、そういう雨が降った時に初めて決壊した。
その時にここで二つのことが分かった。
ここの作多の海辺の取水口を、小徳4年、ですから1714年に回収している文字が出てきたわけなんですね。
何百年も決壊しなかったことを一ノ井での古代の土木技術、そういうものが分かった。
どんなふうに作っていたのかなというと、中川市の刀場ってあるんですけれども、
そこと霞ヶ谷白雄というところがあるんですね。
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そこには白土っていう土が取れるんです。
この土はもう独特の性質を持っていて、
火のように熱いものを当てたら、コッチンコッチン、コンクリートみたいに固くなる性質があるんです。
だから、白土をひいて、上に真っ赤に焼いた墨をひいて、三氷石でトントントン突き固めて、
そして地道に作ったものはこの一ノ井で。だからもうなかなか壊れなかったんですね。
ここから取水された水はですね、
安徳・山田・東熊・中・五郎丸・松野木・今光という7つの地域の田畑を潤して、
再びまた中川へ戻るように作られている。
その長さが約5.5キロメートルあるんですね。
これを今から1600年ほど前の人は作られた。
すごいですね。そして100メートルにつき20センチずつ勾配をつけているわけなんです。
だからゆるゆるしか流れないわけなんですね。
今小さい方の川を見ています。
取水口からこちらの小さい方に水が取り込まれた。
その幅がだいたい5、6メートルぐらいですね。
そして本流の方、中川の方は50メートルぐらいあるという。
その横を流れ込んできていると。
これがこの町々、村々を潤してきたということですね。
そうですね。この1600年前ってどうして分かるのっていう話なんですけれども、
日本書紀は1300年ほど前に書かれておりますね。その時はもうすでに使われていた。
安徳北小学校の東側に松の木という地域がありまして、
そこで住宅開発をする時に昭和55年に発掘調査をされたんですね。
するとそこから作田のうな出の水辺の採取跡というのが見つかった。
それが1600年ほど前のものであるということが分かった。
それを根拠にだいたいこの作田のうな出というのは、
1600年ぐらい前に作られたんじゃないだろうかというふうに思うわけなんですね。
え?
鵜の鳥。
ああ、本当だ。
鵜海の鵜の鳥がここに2羽いますね。
1羽が今、川も飛んでいきました。
もう1羽はこちらにまだいますけれども。
鵜がいるんですね。
鵜の瀬敵の話をしたから来たんですかね、サービス精神を出して。
そうか。
どうでしょうか。
鵜の瀬ってかすかに見える。
そうです。かすかに見えますよね。
見えますね。
そういう話をしたら鵜が2羽やってきました。
面白いですね。
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サービス精神旺盛な。
流れがですね、こちらの方は流れが本当に緩やかに。
本流の中川の方は音を聞こえるでしょうか。
その音を立てて流れてますけど。
こちらは音も立てず静かに流れているという感じがしますね。
そうですね。
はい、作田のうなで。
もうちょっと歩きます。
今週は中川市を歩いています。
中川市には中川から水を引いた古代の溶水炉があります。
作田のうなでと言います。
さける田んぼの溝と書きます。
日本書紀には神宮皇后がここに神の田、神殿を作るために水を引いたという記述があります。
そしてその工事の途中、大きな岩にぶつかり、それを神に祈って壊したとあります。
その大きな岩も溶水炉も現在残っています。
来週はその作田のうなでを歩きます。
ご案内を歴史ガイドボランティア中川の城津美恵子さんでした。
ここで、古代の福岡リポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日は来週の土曜日と日曜日、10月20日、21日に行われます
河穂郡慶泉町の大塚古墳の特別公開をご紹介しようと思います。
特別公開なんですね。
はい。年に2回しか公開されないんです。
毎年春と秋に2日間ずつなんですが、今年の秋は次の土日になりますね。
この大塚古墳なんですが、国の特別史跡なんですね。
つまり日本を代表する超一級の装飾古墳ということになるんですが、
この装飾古墳として国の特別史跡なのはたった3つだけなんですね。
そんなに少ないんですか。
奈良の高松塚古墳と木虎古墳とこの大塚古墳。
それが特別公開。
そうなんですよ。
これを教えてくださったのは、慶泉町文化財振興係学芸員の長安里史さんなんですが、
せっかくの公開ですから、どういうところに見るポイントを持っていればいいのか伺いました。
まずは色ですね。色は5色あるんですね。まず、ちゃんと5色あるかっていうのを確認していただきたいなと。
目がだんだん慣れてくると、今度は微細な文様とかも見えてくるので、
見える範囲でいいので、どんな文様があるのか。
見える範囲だったら馬があったりとか人がいたりとか、
あとは私たちが馴染みのない文様が数種類あったりしますので、
そういった文様の違いを色の識別とも合わせながら見ていくと、
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だんだんわかってくるというかですね。
まずは色。そして文様の違い。この2つを見ることが重要かなと思います。
すごい模様が実はあるんですよね。
暗闇の中で目が慣れてだんだんじわっと見えてくる感じですかね。
そうなんですよ。保存のために明るくはできないので、
実は今、坂田さんが言ったのがすごいポイントなんですが、
できるだけ目を暗いところに慣らしておいてすっと見ないと、
これ2日間で1000人ぐらいいらっしゃるんですが、
一度に15人ずつしか展示室に入れない上に薄暗い、そして窓越しなので、
かなり眼力が必要になるんですよね。
ですからだいたい先に大塚装飾古墳館で予習しておいて、
どこに何があるのか模様を見ておいた方がすっきり見つけられるかもと。
馬の形だったり、それから剣の形でしたとか、
わらび天文だとかいろいろあるんですけれどもね。
その待ち時間が発生するので、その待ち時間はぜひこれを楽しんでくださいというのが
大塚古墳祭りなんです。
慶専町役場企画広報係の八千五杉さんが、
いろんなことを用意していますが、僕は個人的にこの古墳は芸術的な古墳だと思っているので、
と言って今年こんなことを企画したそうです。
今年新しく取り組むんですけど、
大塚古墳の壁画に書いてある文様を模したおはじきですね。
おはじきの素焼きを準備していますので、
そこに来た方々から自分で色を塗ってもらって、
お土産品として持って帰るような形のものとかあります。
そうなんですよ。自分で作って楽しんでください。
ほとんどが無料で体験できますというのを用意してらっしゃるんです。
古代の衣装を着て記念撮影したりだとか、
火起こしをしてみたり、まがたまを作ったり、
あとつぶて投げてタイトルがついているんですが、
古代模様を壁に作って、ここに的当てみたいにして投げていく。
お手玉みたいな。うまく入るとプレゼント。
楽しそう。
あと日曜日だけなんですが、やよい猪がゆっていうのを作るみたいで、
地元の食神会の方が泡とか冷えとかの入ったお粥に猪肉が入ってて、
結構ヘルシーな薄味で仕上がるんだそうで、
これもなかなか楽しみなんですよね。
食べてみたいですね。
とにかく街の皆さんでおもてなしをするのはこの大塚古墳祭りなんですよって
八五さんおっしゃるんですが、こんな風におっしゃってました。
この日は古墳であったりとか古代した好きな人が来ても
そういう本物の壁画が見れるんで大変楽しめますし、
普段あんまりそういう古墳だとか歴史とかに興味がない方も
こういう体験コーナーとか古墳以外の楽しめる催しもありますので、
それきっかけで壁画を一度見てもらえればなと思いますので、
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ぜひぜひ10月20日、21日は大塚古墳にお越しください。
最寄りの駅がJRの京成駅なんですが、
ここから住宅街の方に行くと住宅の隙間から
今見えた前方公園墳っていう風に大塚古墳見えてくるんですよ。
その瞬間からワクワクが始まりますのでぜひ楽しみに出かけてください。
車で出かける場合は京成町の役場においてシャトルバスを使うのが一番いいですよ。
大塚古墳、来週の土日の公開です。
靴下の企画協賛、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢、道の駅室方の提供でお送りいたしました。
ご案内は佐畑周代でした。
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