1. 古代の福岡を歩く
  2. S6 3回目もみやま市を歩きま..
2020-10-18 30:31

S6 3回目もみやま市を歩きます。

今回は、かつて邪馬台国山門説を村山健治さんが主張された時、卑弥呼の墓の候補地の一

つにあげられた堤地区を歩きました。

ここでお会いした堤新さんの家の玄関の横には長さ3メートル程の大きな岩とちょっと

小さめの岩が二つありました。一つは卵形をしていて横たわっていてもう一つは立ててあ

りました。

石の前には小さな祠があり、家の方が大切にしているのが分かります。

昔は「この石の上で遊んではいかん」と、うるさくいわれた、と堤さんはおっしゃっていま

した。堤地区は、回りよりも少し高くなっているとの話でした。

また、近くには巨石が転々としていて、確かにかつて何かがここにあったことを想像

させてくれますます。

そして、この地区の外れにある神社からは遠く清水山が見え、その山を中心に一年を通し

日の出の位置が変わっていくのが観察されるのだとか。

村山さんはこの神社を農業用に観察した場所ではないかと見ています。

※写真は堤さんの家の前にある巨石
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00:08
古代の福岡を歩くシーズン6。 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン6。 この番組は
三山市の企画協賛 道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。 道の駅村方では10月31日まで村方徳若ストリートフェスティバルを開催中。
道の駅と周辺のお店が村方の特産品を使ったグルメや定番などの体験メニューをご用意する 村方の文化や地産地消にこだわったイベントです。
詳しくは道の駅村方のホームページをご覧ください。 シーズン6に入り三山市をずっと歩いています。
1回目に村山賢治さんの山大国山戸説を紹介しましたが、 その時日見子の応募の候補の一つと言われたところに
津泉古墳という名前が出てきました。 そこで今週は津泉古墳から歩きます。
この西塚原というところに津泉新さんという ご自宅がありましてこの方の
実は玄関の横にですね 大きな石があります
大きな石、縦3メートルぐらい
大体円形になってますね。 卵型ですか。おはようございます。
おはようございます。今日はよろしくお願いします。 ということでお話を津泉新さんと新田さんのお姉さまの吉貝陽子さんもいらっしゃったので
一緒に話を伺っていきます。
卵型の石とそれから奥の方にもう一つあるんですね。 これも同じ
よりちょっと大きく立ってますね。横長で立っている1メートルぐらいですかね。
全部2個あるんですね。そしてここが西塚原。 そうなんです。私の所の津泉新と言いますけど
03:00
この石が先祖から1400年前ですね。
京都市下の室山さんからいろいろお話を聞きですね。
いろんな形で今まで一緒に住んでいます。
この石と一緒にお住まいだという。 74歳です。玄関の横にですね大きな石が2つあります。
そして一つの平べったい円形の石の前にはですね
小さな石で作った祠がありましてここはもうお参りしていらっしゃるんですね。
一応そういう形をとっております。 近所の方もですね私たちよりも近所の方がよくご存知で
おじいちゃんおばあちゃんがこの石の上に登ったらダメよ。 猟奇するよとかたたりがあるとかいろんなことをですね
小さい時からあの話を聞いていました。 ああそうですか。
一度ですね横の石を動いた形跡があると
宮山教授の方とかいろんな方は伝えた人もいるようになります。
少し動いた形跡があると。 そしてまた元の石に戻した。
たたりはないけど猟奇があったかわかりませんけどですね。
そういう話をよく人から聞いていました。
昔からこの大きな石を大切にしろということなんですね。
そうです。 この石の上で遊んだたれはダメよ。
怒られたんですね。
でまあこの石は大体動かしちゃダメだというふうに言われてたということですね。
ちょうど新しい家を建てるときですね。 村山さんが直接ですねこの家をきちんと守って
こういうふうにしたらいいよと言って囲いなんか作ってですね。
この玄関の横に2つの大きな石があるんですけどもその玄関の周りをですね
玉垣みたいにちゃんとね 兵が作ってあるということですね。
綺麗に整備してありますね。
この区は鈴見生地とか石橋生地とかですね あのありますね。
あー、鈴見さんと多いですね。 見つかりたら。
そこは石橋とかですね。
石橋さん。
いろいろその積み木の古墳の場所と秘密庫のですね大きな墓をこしらえたんじゃないかと
村山さんってですね誰にも書けなかった八幡愛国の著書家がですね
いろんなあの宗教の先生とか専門的な分野でですね
06:04
昭和40年前後でしょうね本になされましたね。
そうですね。
誰にも書けなかった八幡愛国。
この番組で紹介したんですけどね。
そういう感じでその当時はすごく見学者が多かったんですよ。
あーそうですか。
俗に言う竹田哲也さん、教育大の有名なあの方とかですね。
それとかテレビ化されたりいろんなですね分野が大きく広がって
私たちも知らながらに村山さんについてですね
聞いてですね楽しい思い出があります。
村山さんは本当に良い本をね残していらっしゃいますよね。
そしてもう熱心でねもうあの包みのそのお宮があるんですよお宮ここに載ってますけどね
そこがこの
大国玉神ですね。
そうそうそうものすごいこういう衣装なんて言うですかねそういうお宮ということをこの前
ちょっと見学会をしたんですよね。
その時に共同司会の方が見えてねもう私たちは全然知らずに
そこで夏はねあの昼寝したり夏休みのと勉強しに行ったり家でやなくて
そのお宮をものすごく活用しよったんですよ。
でこんなお宮知らんやったねーってね。
なんかあの村山さんの話では濃厚に使ったんじゃないかと
いう観察をなさってますよね。
この包み地区の街外にはかつて村山健二さんが書いた誰にも書けなかった山大国という本に登場した
昔の天文観測所ではなかったかと言われた大国玉神社がありました。
そして包みさんの家の近くに巨石群があるということで行ってみました。
えー、包み地区をずっと歩いてきました。
そしてちょっと小道を曲がったところなんですが、ここにですね今看板が目の前に見えてきました。
えー、包み古墳群宮山市瀬高町大和包みというところですね。
えー、包み古墳群。
えー、包みの集落は南北220メーター、東西220メーターのほぼ正方形で小高い丘陵地にあると。
で集落の中央を南北に走る道路の東を東塚原。
えー、ここを今東塚原と言ってますね。
そして西を西塚原と言います。
東塚原に巨石が2基、西塚原に巨石5、6基あると。
これは史跡もの可能性があるが未調査のため詳細は不明。
現在では巨石は古墳の横花式石室であると言われているという風に書いてます。
09:06
えー、この巨石群ですけども。
えー、全部で1、2、3、4、小さいのが1つありますので全部5個になりますかね。
えー、一番大きいのが正面に真ん中にあるのが一番大きくて。
えー、横3メーター、縦1メーター、幅4、50センチといった横長の大きな石です。
その左右に、そうですね、左の方が縦40センチぐらいのずんぐりした石ですね。
そして右の方にですね、その右の方に縦1メーター、横1メーターぐらいの縦長の石。
そして後ろの方に小さい石。
えー、これは30センチぐらいですか。
一番奥の方に縦2メーター、横1メーターぐらいの尖った石があります。
えー、こういった石がここに並んでいるということで、正面に清水山が見えておりますね。
えー、その手前に畑がずーっと広がっておりまして、その一角にこの巨石群というのが横たわっています。
村山賢治さんが山大国の応募の候補といった、つつみ古墳群を歩きました。
宮増を歩きますと古墳も多いのですが、神社も多いことに気がつきます。
そこで次に古い神社を訪ねました。
まず、荒野の宮から西へ1キロほどのところにある玉垂れ神社を訪ねました。
ご案内を、宮増世高郷土司会会長の熊川たけしさんにお願いしました。
えー、神社の片額には玉垂れ神社と書いてあります。
案内番号ね。
はい。えー、ここを入っていきます。
小さな鉢を、太鼓ですね。
これを渡りまして、またこの鳥居が、古いですね。
この鳥居が文化財ですか。
玉垂れ神社の鳥居。
えー、この鳥居は、肥前式の石鳥居と言われており、
地区ごと地方では、その西道年代の古さから特筆すべきものというふうに書いてあります。
高さが2.4メートル、そうですね。
幅が1.5メートルの小型の鳥居で、名はありませんが、
婚隆は室町時代から安土桃山時代、1300年から1600年の間と推定されるという古いですね。
えー、これが肥前式という独特な鳥居なんですね。
12:04
えー。
これだから、特に熊太地方とかそういうところにね、一般的にある鳥居で、小さいですよね。
小さいですね。
石をうまく組み合わせて作ってあるというのは珍しいですね。
そうですね。
あとはね、先ほどの玉谷神社のオークスですね。
これが呪礼1000年、あるいはそれ以上というふうになっています。
えー、幹の内部は煙突状に空洞となっているというのが確認される。
えー、あ、熟光46メートルもあるんですね。
えー。
根回り25メートル。
枝張り東西35メートル、すごいですね。南北30メートル。
えー、すごいですね。
だから、時々私は木にですね、手をつけて木の影響をね、もらったりとかそういうことをしてね、影響をもらおうという感じで。
あの、この玉谷神社っていうのはこの辺にたくさんあるんですか?
あの、一番大きいのは大禅寺の玉谷神社ですね。
あとはこの辺に10社ぐらい参大してますよね。
そして玉谷神社の場合の主神が玉谷の御事ですから、それこそ甲羅大社の主神が玉谷の御事ですから。
甲羅神は結局この辺一体をですね、一応神様として纏われている感じですね。
あー、そうですか。
えー、じゃあもともとこの辺が本拠地だったということなんでしょうかね。
あの、だから神秘書の中に書いてあるようにですね、皇室を出て玉谷一行はですね、大禅寺の方に寄って船を乗り換えて今度はすぐ近くにある、
10キロぐらい向こうですが南の方にある黒崎の岬から入って、そしてずっとこの世の地域ですね、こういうところを一応巡っていたというのが書かれておって、
9月の16日ぐらいに甲羅の、甲羅大社の方に入っていたというようなことが記載されてますよね。
ですから甲羅大社が、出身が玉谷の御事であると。
そしてこの地区の地域のあっちこっちに10社ぐらい、甲羅玉谷宮がですね、建っているというのも非常にこう、何らかのね、意味があるのではないかと思います。
この神社も本当に相当古そうですね。
これが5社ぐらいの内容が神様が行使されてますから、ここには天満宮とか、いくつかのあれが行使されているのが向こうにありますね。
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本殿がそうですね、2つあって、大きな本殿が2つ並んでありますよね、その奥に小さな祠がいくつかあるということで。
いろんな神様が一緒になっているわけですね。
そうですね。一説にはこの辺からですね、天地天皇、まだ仲の多い王子ですよね、が即位する前にですね、この辺でいろんな船の調査とか、そういうのをしたという。
そして、公伝によると天地天皇はですね、東の方に向かって朝夕、祈りを下げたというようなことを書いてありますね。
ちょうど東の方には清水山、津山とかありますから、ある意味では天尊降臨伝承がある矢部村とか、それから津山とか、そういうところに向かって仲の多い王子はお祈りを下げたと。
そして、白須貴の戦い、白須尊降の戦いのためにですね、この辺の水軍の安住族とか、そういう人々にですね、船を調達するとか、そういう、663年前後に東、滋賀県の連合軍と、日本軍がですね、衝突する立場ですけども、
南略席という船をですね、調達して向こうに船を乗っていくというか、そういうために船を準備したりとか、ちょうどあそこの安住族の水軍とか、それから不老退社の安住依空丸とか、ああいうのがあると同じように、この地域も水軍たちが数多くいたということで船を調達したりとか、船頭を調達したりとか、そういうためにね、準備として、
あの、まだ即位する前の天地天皇が、岡田さんの埼明天皇をね、助けながら、とにかく朝鮮の方に出兵する準備をしたのではないかというふうにも言われてますね。
ああ、じゃあ白村公の戦いの前に、この辺に来られて、この辺に有留と書いて安住という地区があるんですけども、そこが安住の、安住水軍がいたところじゃなかったかというふうな説があるんですね。
そこまで来られて、水軍に助けを求められて、船を調達されて、という準備のために来られたんですね。
この有明海の方から朝鮮半島に出兵した人は結構ね、船が出てますよね。
ですから、博多の方はある意味では表玄関、この有明海のこの辺は裏玄関みたいな形で、中国とか朝鮮半島からもね、数多くの都来人たちがこの辺にやってきたところがあって、そしてまた水軍の力がね、相当強かったということが連想されますよね。
18:03
はい、多摩たれ神社でした。
そしてもう一箇所古い神社を訪ねました。
釣天宮と言います。
釣天宮にやってきました。釣天宮というのはどういう字を書くかと言いますと、釣りですね。
釣りのつるという字と、それから天は、空の天じゃありません。御天の天ですね。釣天宮と言います。
ここも本当に古そうなおやしろがあります。
拝殿があって、奥に神殿があります。
古いですね。
そうですね。
ここは天地天皇が即位前に行われまして、そしてこの近くの住民たちが魚を献上したら、とても美味しいということで召し上がられたと。
赤魚というね、腹が赤いのかな、そういう魚を献上したらとても美味しいという形で言われていて、
それ以降、皇室の方にですね、その魚を献上するような習慣がついたみたいなことも書いてありましたよね。
そうですか。
ですからそういう意味では天地天皇と関係が深いところではないかと思います。
この辺はいろいろ回ってみますと、やっぱり天地天皇と関係の深いところが多いですね。
そうですよね。
あの頃はいわゆる埼明天皇中心として、くだら助けるという、これが朝廷にとっては一番大きな行事でしたよね。
そうですね。
ですから朝倉の方に埼明天皇が陣を構えて、そして子供さんである天地天皇が船とか武器とかそういうものを調達しながら、
朝鮮半島に向かう準備をされたのではないですかね。
そういうわけでこの辺には天地天皇ゆかりのお宮がたくさんあります。
そのうちの一つ、ここはもう本当に古いお宮、釣天宮と言います。
そしてその釣天宮の本殿の左の方にですね、西の宮というふうに書いた、これも小さな祠がありますね。
これは何ですか。
これは伊豆大社によると、ここがいわゆる出雲の方の、出雲大社の前身ではないかと言われておりますね。
出雲大社が前この辺に原型があったということですか。
21:01
伊豆大社なんですけれども、大国の住み事がこの辺から出発したというようなことも伝承としてありますけどね。
ですから出雲大社の前身、昔の名前は西の宮と言ったんですよね。
偶然ここにも西の宮という名前があって、ある歴史の専門家、出雲の歴史の専門家も、
どうもこの出雲大社の場合は前身が畜王の畜師の方にあったというようなことも言われておりまして、
穴勝、この西の宮と出雲大社が関係がない、でもないような気がいたしますね。
そうですか。ここは何か残っているものはあるんですか。
ほとんど一切ぐらいですよね。物証的なものが何も残っていないですね。
ああそうですか。釣天宮のすぐ横、左側に西の宮と書いてある小さな祠ですね。が建っております。
今夜は三山市を歩きました。 興味深いものがいろいろ出てきました。来週も三山市を歩きます。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中嶋理恵さんです。
こんばんは。今夜歩いている三山市は山川みかんの産地です。
ああそうですね。これからいいですね。寒くなってみかんの季節。
あ、坂田さんちょっと甘い。山川みかんよりも甘いかも。山川みかんスタートは9月からです。
え、そんなに早いんですか。
そうなんですよ。極汗。ビジュアルはグリーンなんですけど中が超甘いという。
その名は早みかんというのがメインなんですが、ここから始まって年明けて3月まで続きます。
あ、そうなんですね。
自信満々に言ってますが教えてもらってきました。
三山市商工観光係の係長でご実家がみかん農家をなさってます松尾剛さんが私の先生です。
山川みかんの特徴といえばこれ。
まず味はですね、甘いみかんですね。
それと果実を見てもらってですね、皮が薄い。
そのきめ細かい皮が薄い。そこが一番の特徴ですかね。
甘いとおっしゃったんですがもっと細かく言うと酸味と糖のバランスがいい。
コクがあるってことなんですね。
ああいいですね。
みかんの中に白い筋がありますでしょ。あれが少ないんですって。
そうなんですか。
そんな特徴があるんですよ。
このおいしい山川みかんができるベースは土壌と気候だということです。
甘くなるためには水分が多いとダメなんですよ。
24:03
だから水分が良くて糖度が上がる。それが一番ですね。
それと温暖な気候ですね。
宮山市は日照時間が長いんですよ。
だから見てもらうと分かるように太陽光のパネルを家に設置してあるところとか
よそに比べたら多いんです。
だから晴れの街とかですね。そういったのをキャッチブレーズに張ってますけども。
やっぱりね、お日様の力を浴びて。
そうなんですよ。
その自然の部分もありながら、やっぱり農家さんたちの苦労も大変なわけで。
マルチ栽培っていって、土の上にシートマルチ資材を敷いて育てるんですって。
これで水分の調節をしていくんだそうです。
でね、結構これやっぱり暑いし体力取られるし、農家の皆様大変なんですが
やっぱり甘いみかんのためにはこれが絶対必要という形で作ってらっしゃるんですね。
さらに出来上がると、あの鮮花場で糖度チェックをしていきますんで
12度以上とか、確実に美味しいみかんが箱の中に。
もうどれを取っても美味しいよって、まずお係長おっしゃるんですね。
で、種類がですね。
私みかんって言ったらみかんだけかと思ったら結構いろいろあるんですね。
そうなんですね。
主なものだけでも、極和製から始まって和製、中製、普通と15種類ぐらいあって
ブランドもね、いろいろあるんですよ。
観光協会の皆さんにみかんの話を受けていただいて
いやー、北原和製がね、マイルド130があって羽みかんがあって
え、それ何?って感じになるんですが
そんな中から全国を賑わせている山川みかんの新ブランド
北原和製というのについて松尾係長にちょっと教えてもらいました。
メインの時期に入るちょっと前、中間の時期なんですよね。中世のみかんで
この時期であれだけの着色とですね
あれだけのおいしさを出せるみかんが全国にはない
この山川のブランドということですね。
北原和製。
覚えておいてください。見かけたら買ってください。
結構みんな関東というか東京周辺に持って行かれちゃって
なかなか地元で会えない可能性もあるということなので
いろんな種類がありますが、せっかくなので松尾さん
みかん農家ですか?おいしい食べ方知ってるだろう?
いやいや、みかんの食べ方ってないでしょ、普通。
と思ったら意外に帰ってきました。
私はですね、ちっちゃいのしか食べません。
好んで食べるんですよ。市場にはですね
SSML2L、そういったものが出るんですけど
それよりちっちゃいみかんもあるんですよね。
それが一番おいしいんですよ、実は。
だからちっちゃいみかんを私はですね、もう二つにパカッと割って
半分ずつ一口で食べますね。だから二口で終わりますね。
いいこと聞きました。
そしてやっぱりね、景観がいいとおっしゃってました。
27:00
山間のみかんの季節が来たっていう感じになるのが
11月ぐらいなんですって。
みかん山から見ると有明海が見えて
その向こうに雲前の富原岳が見えたりする。
この感じがですね、とっても綺麗で
東側にみかんの山があって、西側が海開けてる。
つまり夕焼けとオレンジ色のみかん
これがセットにしてみられるのがみかん畑の美しさなんだって。
ぜひぜひ出かけてこのオレンジの風景確かめてみてください。
みかん狩りなどもありますので
詳しくは観光協会などにも訪ねていただけるといいかと思います。
中嶋アリエさんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
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この番組は、宮益の企画協賛
道の駅村方
餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました。
ご案内は、坂田秀大でした。
×少女隊の春のキーナと
アオイリルマです。
RKBラジオでお送りしている
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