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S9 16回目も大宰府の水城跡を歩きます。
2024-01-14 29:46

S9 16回目も大宰府の水城跡を歩きます。

JR水城駅のすぐ裏に小さな土手があります。この土手は「ててこじま」という伝承をもった土手です。
高さが2メートル、長さが50メートル程の小さな土手です。
「ててこじま」というのは父と子供を表す言葉です。
これは水城の土塁を作る際の伝説で、水城を作るためにもっこをかついで土を運んでいた親子が毎日毎日作業をしていたんですが、ある日、ようやくのことで完成に近づきます。
「できたぞー」という歓声の声が遠くから聞こえ、それを聞いた父と子は、力がぬけてかついでいたもっこをそこにほうりだしてしまいます。
まわりのみんなも次々と放り出した為、土が山となったそすです。
それが「父子島~ててこじま」と呼ばれるようになったという。
これは西門の方の伝説ですが、実は東門の方にも同じ伝説をもつ土手がありましてこれは「ひともっこ山」とよばれる土手です。
残念ながら東門のほうの「ひともっこ山」は開発のために今はないそうです。
古代の福岡を歩くリポート 
毎年1月20日、みやま市の大江天満神社では国指定重要無形民俗文化財「大頭流幸若舞(だいがしらりゅうこうわかまい)」が奉納されます。
織田信長のエピソードが最も有名ですが、戦国武将たちがこよなく愛した幸若舞は、今ではみやま市にしか残っていません。
幸若舞保存会会長で第31代家元の大江地区への引越しを機に保存会に入って、今回5回目の舞堂出演の小川仁さんと、家元の松尾正春清継さんにお話を聞きました。
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00:09
スピーカー 2
古代の福岡を歩くシーズン9 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン9 この番組は
宮益の企画協賛 餃子の山端
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田秀大です。 大宰府の特別市籍水城跡を歩いています。
先週から西門跡付近をうろうろしています。 ご案内を、古代大宰府保存協会の学芸員田中健一さんにお願いしています。
一緒に歩くのはこの番組の津川ディレクターです。 先週はJR水城駅の前にあります古墳断面広場で古墳の断面を触りました。
今週はまた水城駅の方に戻ります。 駅の裏の方にあります小さな山を見ていきます。
スピーカー 1
JR水城駅に近づいてきましたけど、少し小高い丘がありますね。ここも実は水城に関連する場所なのでちょっとご紹介していきたいと。
スピーカー 2
高さが2メーターちょっとありますね。 そういう土手がですね
50メーターぐらいと続いています。 これは
スピーカー 1
何でしょうか。実は水城を作る際の伝説にまつわる場所でして、 ちょうど水城駅側のところにこう解説版があるんですけども、手手小島ですね。
スピーカー 2
父と子供の島と書きます。 手手小島と水城跡という看板が出てますね。
スピーカー 1
ご紹介してきました水城跡ですので、高さが10メートル長さが1.2キロあります。 大変大きな土木工事が必要だったわけであります。
その水城を作る土木工事に関する伝説の一つですね。 こうやって水城を作るために、木庫ですね。
いわゆる土を運搬するために担いで運んでいた親子がですね。 毎日来る日も来る日も作業してたんだけれども、ある時にようやく水城ができたぞと、どれが出来上がったぞという歓声を聞いて、
ようやく完成したかということで力が抜けて、担いでいた土をそこに放り出したと。 その放り出した土がですね、たくさん集まってきて山となった。
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スピーカー 1
それがこのテテコ島と呼ばれるようになったと言われる。 まさに水城を作る大変な苦労であったり、大変な労力がかかったっていうのを含んだ伝承の一つになっております。
スピーカー 2
単なる土手かと思いましたが、なんか深いですね、奥は。
スピーカー 1
実はですね、パッと見るとですね、ちょっとした小高い土台なんですけど、実はそういう歴史がございまして、この伝説の興味深いところはですね、
西門にはこのテテコ島がございますけども、実は東門の方には同じ伝承を持つ人もっこ山という山が実はありまして、
実は同じような伝説が西門の方、東門の方、それぞれ残っていると。
残念ながら東の人もっこ山の方は開発のために失われてしまったんですけども、西門側にあるこのテテコ島と呼ばれる伝説のうちは今もその土台部分がですね、
上は少し削平されてますけども残っているということなので。
スピーカー 2
こんもりして山になってるんですね。
スピーカー 1
もともとはもう少し上の方があったそうなんですけど、今は少し削られまして、その土台部分が残っているという形になっております。
スピーカー 2
2メートルちょっとぐらいの高さになってますね。こんもりして山になってます。
テテコ島というそうです。
スピーカー 1
ぜひ伝説の島合わせてご覧になって進んでいただきたいと思います。
スピーカー 2
そして古墳断面広場へ戻り、今度は奴隷の下から上を見上げますと石碑らしきものが見えました。
スピーカー 1
さて奴隷断面広場、津川さんとともに見てきたんですけど、実はですね、この断面広場の実は頂上も、実は一番高いところも見ていただきたいんですね。
残念ながら今日はもう木々が多しげてちょっと薄らしか見えないんですけど、一番高いところに石碑が立っているのがご覧いただけるかなと思います。
実は水木跡と書かれた石碑なんですね。
この水木跡なんですけども、実は1921年、大正10年に国の史跡に指定をされることとなります。
この場所が史跡になったということで、それを示すためにですね、指定された次の年、1922年に水木跡ということで、
このちょうど奴隷断面広場の部分と後ほど行きます東門のところ2ヶ所にですね、ここは水木跡である、史跡であるということを示した石碑が立てられたわけなんですね。
この水木の文字の方なんですけども、どなたが書いたかというと、実はその当時畜師軍だったんですけども、その軍長をしていました猪木さんという方が、
記号で書が上手かったということで書かれてまして、実はこの猪木さん、この水木跡だけではなく、実は他のところもですね、
スピーカー 1
例えば太宰府成長跡の史跡碑であったり、あるいは国部の河原窯という場所があるんですが、そこも国史跡の碑が立っているので、そちらの碑の文字であったり、
06:00
スピーカー 1
あるいは太宰府天満宮にはクスノキをこちら、天然記念物で指定されたんですけども、その石碑についても文字を書いていらっしゃるということなので、
ぜひ他の太宰府成長は天満宮さんに行かれたときは、その石碑の文字も見ていただければと思います。
猪木さんはこの畜師軍長を務められたと、その最後の方はですね、現在の飯塚市長なども務められていますので、ぜひ飯塚の方なんかはぜひご覧になっていただければなと思っております。
スピーカー 2
そうですか。猪木さん。覚えやすい名前ですね。字が上手かったんですね。
スピーカー 1
そういう方が書かれているということは、ちょっと現在見えづらい場所になっておりますけども。
スピーカー 2
でも見えますよ。
スピーカー 1
ちょっと角度を変えてみていただくと。
スピーカー 2
見えますね。
スピーカー 1
そうですね。水木跡という。
スピーカー 2
水木跡と見えますね。
スピーカー 1
ぜひ水木が代表するようなところに立っておりますので、ご覧になっていただきたいと思います。
スピーカー 2
2メーターぐらいの石碑ですね。下から見えます。
スピーカー 1
それでは水木断面広場からですね、今度は三笠川の方に向かって、さらに東へと津川さんと歩いていきましょう。
スピーカー 2
そうですか。じゃあここから石碑へ向かって歩きますね。上りますね。水木の奴隷の方に上がってきました。
この辺は広いですね。
幅が広くなっております。
スピーカー 1
そうですね。ちょうど今、津川さんと歩いている場所が水木のちょうど包みの土台の上になっております。
水木跡、北から向かってくる敵を防ぐために、北側は急な斜面、角度がついた、およそ80度とも言われますけど急な斜面になっております。
スピーカー 2
一方、南側、内側ですね。三笠川は今歩いていますように、少し後半、なだらかに。
なだらかですね。
スピーカー 1
一番メインの高さのところが後ろにずっと緩やかに。
スピーカー 2
緩やかですよね。
スピーカー 1
その緩やかになっている傾斜の上を今、ゆっくりと散策しているわけでございます。
スピーカー 2
ここはもう散歩にぴったりのね、広々としたところですね。
スピーカー 1
そして先ほどの奴隷断面広場から三笠川に歩いていく途中に、またですね、実はここの場所でも木碑が入っていただろうという場所が。
こちらは太宰府市さんがですね、拡張されまして、こちらの方も残念ながら木碑の本体は残っていなかった。
木碑を支えるような、横の支える支柱とかそういったものは見つかっていまして、ここにも木碑が入っていたんだろうということで、抜き出された木碑は真ん中に活用されているんじゃないかなと思います。
スピーカー 2
木碑の幅ですけども、7、80センチありましたよね、確かね。
スピーカー 1
そうですね、幅は広いですね、木碑はですね。やはり大量の水を一気にですね、送るということで、東門の方でですね、見つかっている木碑があるんですけれども、木碑自体の幅はですね、だいたい幅が120センチ。
09:12
スピーカー 2
高さがですね、80センチぐらいあるので、大変巨大な。
スピーカー 1
実はこの木碑、なかなか大きさが実感しにくいので、実は東門の側にコンクリートでひっそりと再現してある場所もありますので、東門のところに行ったときに、ぜひこのくらいの大きさを見ていただければなと思うんですけれども。
大変大きなものでしたので、木材をつなぎ合わせてですね、止めていたりするんですけれども、そういった今でいうと釘ですね、かすがいといいまして、
ホッチキスの芯の形、小文字型のありますか、あのような形をイメージしていただければなと思うんですけれども、
ああいった大型のですね、鉄の金具でつなぎ合わせて、それで大きな120センチ×80ぐらいの大きな木碑を作りまして、それで水を送っていたという形になりますね。
スピーカー 2
なるほど、よくわかりますね、ホッチキス。
スピーカー 1
形のイメージとしてはそれが一番近いですね。
スピーカー 2
そんなものでね、止めて、ずっとつなぎ合わせていたという。
スピーカー 1
そうですね、その一つのかすがいが、だいたい重さがですね、1.6キロぐらいあるそうなんです。
スピーカー 2
あ、そんなにあるんですか。
スピーカー 1
まさにその、大変分厚いですね、強固なもので止めていたからこそ1350年後ですね。
昨日保っていたのかなという気がするんですけれども、そういったところもイメージしながら歩いていただければ。
スピーカー 2
今どるいの横の広場をずっと歩いていますが、正面に九州自動車道が目の前に見えてきました。
ここから段差がありまして、ちょっと下がってみますね。線路が見えてきました。
スピーカー 2
50メーターぐらい先に西鉄電車の線路が見えています。
どるいがちょっと途切れた部分ですね。西鉄電車が東西を横切って走っています。
その前に大きな垣抜きが1つ、お、2本3本ありますね。
ちょうど水木が途切れた部分ですね。
スピーカー 1
先ほどの水木、どるい断面広場からずっと水木に沿って歩いてまいりましたが、
突き当たったら三笠川が流れておりまして、ここで一旦水木が途切れることとなります。
実はこの水木、三笠川に近い部分ですね。
ちょうど三笠川分を含めてだいたい180メートルほど、実はどるいが失われてしまっているんですね。
この部分のことを一般的には決定部、欠けた包みの部分というふうに呼んでおります。
この部分がちょうど水木が、長年三笠川が流れておりますので、失われてしまったと考えられているんですけども、
12:04
スピーカー 1
逆に言いますと、自然の力で水木がなくなっておりましたので、
スピーカー 2
だからこそですね、この場所を通れば実は水木を壊すことなく通れるということなので、
スピーカー 1
この三笠川に一番近いところを西鉄電車を向けて、
そして九州自動車道や国道3号線も水木のど真ん中を通るわけではなかなか行きませんので、
あえてこの失われている川の側の部分は、きわの部分を通っているという形になっております。
ちょうどこの川と交差している部分なんですけども、
当時いわゆる石書、川を通っています。川の石書があったんじゃないかというふうにも言われております。
実際にですね、この高速道路を作るときなんかに白調査してみますと、
向こう側から西門側からしますと三笠川の対岸の方なんですけども、
そういったところからかなり大きめの人の頭ほどぐらいの大きさのある石が敷き詰められた跡なんかも出てきまして、
スピーカー 2
どうやらこの川が面した部分に、当然当初は防衛施設ですよね、川のところだけ何もないということもあり得ないだろうということで、
スピーカー 1
おそらくはそういう石書であったり、船を止めるような川を守るような施設があったんじゃないかなというふうに考えられております。
実際にですね、少し時代は下るんですけども、鎌倉時代の人の歌なんかにそれっぽいことが出てくるわけなんですね。
例えば鎌倉時代にですね、工芸として、あとは過人として活躍した人物ですね、藤原光俊という人物がいるんですけども、
僧侶になって神官というふうにも呼ぶんですけども、この方はですね、後鳥場上皇と鎌倉幕府が対立した1221年の上級の乱に関連しまして、
都の方から実は太宰府の一年間留在に流されてしまうんですね。その方は過人ですので、歌が得意ですので、その時に九州に来た時に次のような歌が残っております。
夕霧や立ち隔らん岩垣の水木の石は船も留めず。ということで、どうも九州に来た時の水木の様子を歌った歌らしくでですね、岩垣というのは石垣で、水木の石は船も留めずということで、
どうも水木の石は船が行き交ってたとか、そういうところにどうも石垣があったというような歌が残ってますので、間違いなくあったということは言えないんですけど、
どうもその時代にもそういう痕跡が残っていたんじゃないかなと。
この三笠川の部分に水木をまたぐ門のようなものがあったんじゃないかなということをぜひ推察して、そういったことも考えながらぜひ向こう側にまた渡ってみていただきたいなと思っております。
スピーカー 2
では今ちょっと水木が途切れた部分から向こう岸へ渡ると。要するにこの線路の下をくぐって向こうへ行くということですね。
15:00
スピーカー 1
そうなんですね。実はこの先端部分で行きますと、本当にもう川の対岸、数十メートル先には水木の東側の部分が見えてるんですけど、
ただ残念ながらですね、この水木の西から東にまっすぐ行くことが現在のところできないんですね。
ですので、どうしてもですね、東の方に行くにはですね、下折駅の方、北側の方から回っていただいて、水木橋の橋を渡ってぐるっと迂回していただくか、
あるいは南のですね、太宰府市側の方に下っていただきまして、そちらの橋の方ですね、ぐるっと迂回していただいて、
南の方から迂回していただくかという2つの迂回路があるので、どちらにしても直線的には行けませんので、今回は北側の下折の方から抜けまして、水木の東側部分へと行ってみたいと思います。
スピーカー 2
ではそちらの方へ歩いていきます。
ここでふと足元を見て気づいたものがありました。
それは先ほどの石碑とは違った石碑です。
見渡しますと同じような石碑がいくつかあります。
ここに石碑がありますね。
スピーカー 1
今私と津川さんの前にはだいたい1辺が20センチぐらい、18センチぐらいで、高さがだいたい80センチだった1メーターぐらいの石碑が残っております。
津川さんこれがですね、水木屋との歴史を教えてくれる実は大事な石碑なんですね。
こちらの正面の方に貼っていただくとですね、ちょっと見づらいんですけれども、正面の方には市籍水木屋と協会というふうに書いてあるんですね。
スピーカー 2
ちょっと見にくいですね。
スピーカー 1
こちらの部分は半分埋まってしまっていますけれども、この石碑何かといいますと、先ほどもご紹介しました。
要は1921年にここが水木屋とが国の市籍に指定されるんですけれども、その時にどこからどこまでが市籍だということがわからないと開発されてしまう。
ということで、この範囲が市籍ですよという、要は角にここの石碑がたくさん建てられまして、この石碑とこの石碑を結ぶ線は市籍に指定されてますよという範囲を示すための石碑なんですね。
そうですか。
スピーカー 1
なのでこれまで歩いてきました水木、実はいろんなところにきっそりと建っておりまして。
なのでこの水木跡を示す範囲が、令和3年に地元のボランティアさんと私一緒に調べまして、水木跡の方にも東側と西側で27本石碑が建っていると。
スピーカー 2
そんなにあるんですか。
スピーカー 1
この石碑を結ぶと100年前に指定された範囲がわかるという、そういうものになってまして、ぜひ皆さん水木跡を散策されて、ぜひこのような石碑を見られましたら、
これ100年前に市籍指定した範囲を示すものなのかということで、そういったものもぜひ見つけながら楽しんで歩いていただければなと思います。
スピーカー 2
この石碑ですね、草の中に埋もれてますので、よく見て探してください。
18:04
スピーカー 2
そして西鉄下折駅へと歩いていきます。
水木夢広場を出発して、田中さんにご案内していただきながら、水木をあちこち歩いて、西鉄下折駅に来ましたね。
スピーカー 1
そうですね、今ちょうど津川さんと下折駅に到着いたしました。
ちょうど西鉄の下折駅といいますと、2022年の8月28日に座礁の熊と下折まで交換になりまして、大変便利になりました。
スピーカー 2
今ちょうど目の前に広川部分が見えてますけどね。
スピーカー 1
もう大変駅もきれいになったんですけども。
スピーカー 2
きれいになりましたね。
スピーカー 1
この下折駅、下といいますと実は対なる上折ももちろんあるわけなんですね。
スピーカー 2
そういうことですね。
スピーカー 1
実はもともとこの一帯は上折、下折に分かる前は大折村となってまして、
例えば戦国時代なんか太宰府の岩屋城の戦いで有名な高橋城なんかも出した諸城なんかに大折村というふうにも出てくるんですけども、
その後今のように下折と上折に分かれたわけなんですけども、
実はこの下折駅からですね、駅の前に下折南川岡線というきれいな道路がずっと伸びてるんですけども、
実はこの駅から南西の方に800メートルほど行きますと上折地区があるんですが、
この上折地区の追松神社に皆さんよろしければ足を伸ばしていただきたいなと。
実はこの上折の追松神社なんですけども、
実は今回ご紹介しています水着跡もしくは上折の小水着に使われた縄文の文書、いわゆる書籍が実は境内に残っていることがわかったんですね。
スピーカー 2
そうですか。
スピーカー 1
こちらはずっと置かれていたそうなんですけども、新たに大野上司さんの方で確認されまして、
これは年代的にも664年に水着が作られたというふうに日本書紀に出てきますけども、
どうやら作られて間もない頃に使われた書籍だろうということでして、
なので実は大野上司さんの文化財にも指定されている大変貴重なものでして、
ぜひ古代お好きな方はご覧になっていただければと思っております。
5年ほど前に確認されて、それまで境内に置いてあったそうなんですけども、
ちょうど柱の穴が開いているんですけども、
改めて地元の人と大野上司の教育委員会さん、文化財の方が確認されて、
どうもこれは古いものでやはり門の柱を立てていたものに違いないということで新たに発見されたということで、
今も境内に置かれているそうなので、実はひっそりと街並みの中に1300年前の文化財が眠っていますので、
見ていただければと思ってご紹介いたしました。
21:00
スピーカー 2
そうですね、ぜひ見ていただきたいですね。
スピーカー 1
それでは下折駅が今度は東の方ですね、水着跡の東側の部分の方に歩いていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
スピーカー 2
今週は太宰府の特別史跡、水着跡を歩きました。
ご案内は、古都太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんでした。
来週もこの続きを歩きます。
スピーカー 1
ここで古代の福岡を歩く、リポーターの中嶋理恵さんです。
こんばんは。
今日は宮間市大江の高若舞のお話です。
幸せ若い舞と書きますが、戦国武将に子よなく愛された高若舞、
織田信長とセットで覚えている人も多いかと思うんですが、
この宮間市大江の高若舞は、毎年1月20日、つまり今度の土曜日です。
奉納されるんです。
御国法上祈って大江天満神社の高若舞堂というところで行われるんですね。
11時半から開会式があって、正午から上演スタート。
だいたい3時半くらいまで上演されてるんじゃないかと思います。
この高若舞なんですが、国指定の重要無形民族文化財でして、
正しくは大頭、大きな頭と書いて大頭流高若舞と言うんですが、
その演目の一つ、今回発表される夜打ち荘が、
お稽古中の音声をちょっと聞いて、こんな感じだと掴んでください。
聞いていただくとなんとなくわかるんですが、お歌いなんですよね。
スピーカー 2
いい声してますね。
スピーカー 1
見てわかったんです。舞は踊りではない。お歌いなんですよ。
どうしても踊るって、くるくる回ったり飛んだりしてるイメージありますが、そうではないんですよ。
この声とともに前後左右に動きはありますが、飛んだり跳ねたりはしません。
この舞台なんですが、舞台の周りに五七の霧と聞くの門の幕が張ってありまして、
その前に小鈴味方がポンポンと叩いています。
そしてその手前に三人の演者が並びます。
この姿というのが、えぼしに頬を着て、右手に扇で両手を広げて、ちょっと前傾姿勢で歌うんですね。
スピーカー 2
赤とかオレンジとか鮮やかな色ですね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
ずっと言葉が続きつつ、時々盛り上がるところになると、前後左右の動きがついたり、足踏みが入ったりするんですね。
24:06
スピーカー 1
この1月20日の大江の天満神社で行われます、この紅若舞の奉納ですが、
大江地区の小学校5、6年生の男の子と保存会の大人の皆さんが出演になります。
この大江地区への引っ越しを機に、紅若舞保存会のメンバーになりました小川ひとしさんという方に、お稽古中に話を聞いてきました。
今回5回目の舞踏の出演なんですが、実はお仕事は市役所の職員さん。
それゆえ、入会時点では幸運な気持ちだったそうです。
スピーカー 2
事務方的なことをやろうかなと思っていたら、それができるかなと思って、そしたら舞うようになっちゃって、いつの間にか。
どの段階で、俺、事務方じゃねえって気がするんですか?
最初に、もう戦闘できない場合になっちゃいました。
スピーカー 1
まさに流れの中で舞い始めたんですけど、やってよかったなと思うのは、やっぱり一つ、メンバーの良さゆえにやってて楽しいと。
そしてもう一つ、こんなことがあるそうです。
スピーカー 2
それはやっぱり、皆さんの前でですね、できるというのは、限られたものしかできんけんですね。ここに居るものしかできないというので、その分は思いますけど。
スピーカー 1
正直緊張するでしょ。
スピーカー 2
そうですね。緊張はしますけど、覚えておくと自然と出てくる感じではありますね。
スピーカー 1
ど忘れすることもありますけど。
もう分かる気持ちですけど、辞めたいと思ったことは、もう辞められんと思っておりますという小川さんなんですが、この小若漫画が続いていることについて、こう思うそうです。
スピーカー 2
やっぱり日本で唯一ここしか残っていないので、やっぱりですね、それはもう家本もそうでしょうけど、やるよりみんながやっぱり続けていかないといけない位置を持ってやっているんだろうと思います。
スピーカー 1
そしてこの小若舞保存会会長で第31代、家本の松尾正晴清嗣さんがね、こんなことをおっしゃってたんですね。
応援のこの小若舞を鑑賞することで、みなさんにこんなことが伝わればいいなとおっしゃいます。
スピーカー 2
昔は小田信長とかこういうのを見たり、自分でも待ったりしてからしてたんだよっていうのを、昔はこうやったんやっていうのは、今とやっぱり全然違うですね。
そういうのを確認というか知ってほしい。昔はこれが前というか芸能をやったんじゃないかなと思います。しっそな。
スピーカー 1
派手さがないけど、ぜひかみしめていただきたい。会場ではですね、元佐賀大学の教授が解説してくださったり、あと解説書もありますので十分理解できると思います。
27:06
スピーカー 1
メタバースでも楽しめますので、この辺は詳しくは三山市役所のホームページをご覧ください。
スピーカー 2
番組のホームページのご案内です。これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くシーズン9のバナーをクリックしてください。
また、Apple、Google、Spotify、Amazon、YouTubeなど各Podcastでもお楽しみいただけます。
この番組は三山市の企画共産、餃子の山鉢、道の駅室方、草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周大でした。
スピーカー 1
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、Podcastなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
スピーカー 2
お問い合わせご予約は、スタービル博多祇園のホームページからどうぞ。
29:46

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