1. 古代の福岡を歩く
  2. 「古代の福岡を歩く」1回目は..
2025-10-05 30:29

「古代の福岡を歩く」1回目は八女市の岩戸山古墳を歩きます。

「古代の福岡を歩く」も11年目に入りました。

八女市の岩戸山古墳から今回はスタートします。

この古墳の墳丘は135メートル。巨大な前方後円墳です。

古墳に葬られているのは、現在のところ筑紫の君磐井だといわれています。

「磐井の乱」で知られる豪族です。

古墳に付属してある別区といわれる広場は石人石馬を飾ったところ。

ここから巨大な古墳の方へと歩いていきます
Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:11
スピーカー 2
古代の福岡を歩く遥かな昔。 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩く。 この番組はJA福岡屋根
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
JA福岡屋根の食売所ヨランノの絵菓子屋です。 梨がおいしいシーズンです。今年は特にカンタがおすすめです。
甘くて太いと書いてカンタ。ジューシーでシャキシャキ。 この時期だけの品種です。ぜひ食べてみてください。
こんばんは、坂田秀大です。 古代の福岡を歩くも11年目。
シーズン11とも言える階に入ってきました。 シーズン10では主に太宰府の水城跡の近くの山、
四王子山、大野城跡をつぶさに紹介してきました。 身近にある山が大変奥深い歴史を持っているというのがわかりました。
そして、古代の福岡を歩く1回目の今夜は、527年に勃発したと言われる
「つくしのきみ、いわいの乱」から番組を展開していきます。 令和9年には、いわいの乱から1500年目の節目を迎えることになります。
この乱の主役、いわいのきみの墓は、やめ氏の岩戸山古墳だろうということがわかっています。
そこで、まず今夜はこの岩戸山古墳から紹介していきます。
ご案内を、やめの古墳に詳しいやめ氏の職員、大塚啓治さんにお願いしました。
はい、岩戸山古墳の別句と言われるところに来ております。
まず、この岩戸山古墳がありますのが、やめ古墳群の中の一つということになりますか?
スピーカー 1
はい、そうです。やめ古墳群の中の一つで、岩戸山古墳はその中でも非常に大きな古墳で、北部九州で最大の前方高円墳と言われています。
スピーカー 2
この辺は、いわい関係の古墳もたくさんあると聞きましたが、相当あるのでしょうか?
03:06
スピーカー 1
そうですね。やめ古墳群は、消滅したものも含めて13基ほど前方高円墳がありまして、その中でも一番西の端に石神山古墳という古墳があります。
これも前方高円墳で、今の行政区でいうと広川町というところにあるんですけれども、
そちらが岩戸山古墳の悲壮者と言われていますが、いわいさんの祖父、おじいさんの世代の方が眠っておられると言われています。
石神山古墳から始まりまして、一番最後は道南山古墳もしくは岩戸山四号古墳というのがあるんですけれども、
その間が大体150年ぐらいですか、このやめ古墳群が生まれて終焉を迎えるまで150年間、大体総数300基ほどの古墳が作られている大古墳群ですね。
スピーカー 2
すごいですね。ちょっと歩けばすぐ古墳。
スピーカー 1
そうですね。もうあっちこっちにあるんですが、やっぱり今ですね、市街地とは違うところに古墳というのがありますので、
その場所を目星をつけながらですね、見学とかしていただけるといいかなと思います。
スピーカー 2
それだけあれば、覚えるの大変ですね。
スピーカー 1
そうですね。もう一個一個300基全部覚えているかというと、そういうわけではないんですけど、
主要なですね、大きな前方後円墳とか大きな円墳とかはですね、大体名前はわかりますので、またいろいろお尋ねいただければと思います。
スピーカー 2
ああ、そうですか。その中でこの岩戸山古墳ですけれども、これは岩井の君のお墓であるということは、どんなことからわかったんですか。
スピーカー 1
そうですね。もともと江戸時代は岩井の墓というのは、今でいう石神山古墳だというふうに言われていました。
スピーカー 2
石神山古墳。後ほどご紹介しますね。
スピーカー 1
そうですね。後ほどまたそこの詳しいお話をとは思いますが、江戸時代はそういう時代だったんですけれども、その後ですね、この岩戸山古墳という古墳も実は存在としては知られていて、
スピーカー 2
ああ、そうですか。
スピーカー 1
はい。ただその中でも非常に得意なところというのがですね、石神という、あ、そう、溶結業界岸という石でできた石製標識品といいますが、古墳の周りを飾る石の製品があったんですが、それがたくさんあるということと、
江戸時代にもなんとなく認識はされていたんですけれども、別区というふうに言われている広い広場のようなところがあるという特徴的なものがあったんですね。
それも非常に岩井の墓としては有力候補ではあったんですが、やはり石神山の方がというふうなことがありました。
06:03
スピーカー 1
それが昭和の30年に入ってですね、森定次郎先生という方が、古代のその文献からですね、この岩戸山古墳が岩井のお墓であると、もうほぼ間違いないという論文を出されたんですね。
そこから岩戸山古墳は岩井の墳墓である、お墓であるということがほぼほぼ定説化はしたんですが、
もちろん御氏名というかですね、名前が出ているわけではないので、100%ではないんですけれども、ほぼ確定というふうな状況にはなっています。
スピーカー 2
資料と言われるのは、地区語の国、不読一文というやつですね。
あの中にこの古墳のことが書いてある。
スピーカー 1
書いてありますね。
不読の一文というか、不読そのものが編纂されたのはちょうど日本書紀が編纂された時期とほとんど同じなんですが、
その頃の一つの認識というかですね、ちょうどその頃はあっただろうというふうには思われているんですが、
広川町の方に松江大坪遺跡という遺跡があって、これは環外遺跡なんですね。
そこから南に2里のところに岩井の墳墓があるということが不読の一文には書かれているんです。
最近、広川町の方からですね、環外遺跡の松江大坪遺跡というものが見つかりまして、
そこから南の方に大方1.2キロくらいかな、1.1キロから1.2キロほどちょうどその距離間で大方墳墓があるというふうになると岩手山古墳しかありませんので。
スピーカー 2
そういうことですね。
じゃあここだろうと。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
石神山古墳ではなくてこっちの方じゃないかというふうになったわけですね。
ここの別句ですけれども、石神が置いてありますよね。
そういったことで石神が置いてあるということになりますか。
スピーカー 1
もちろん岩手山古墳には不読の一文にも書かれていたり、江戸時代矢野和貞さんという方が国学者なんですけれども、
その方が残された者物には岩手山古墳にずらっと石神が並んでいるというふうなことが書かれているんですね。
今岩手山古墳の別句というところに石神が並んでいますが、これは全てレプリカで、
スピーカー 2
本物は全部岩手山の歴史文化交流館というところに展示しているんですけれども、
スピーカー 1
ただここにそういう石神石場というものがあったということと、
もう一つはやっぱり国指定の文化財になります、石神石場というのはですね。
それを触るわけにはいかんので、レプリカを作って石神の肌触りというふうなものがどういうものかというのが分かるようにということで、
スピーカー 2
今レプリカが並んでいるような状態ですね。
いろんな人の顔が、一番手前の方は人の顔がありますね。
09:03
スピーカー 1
人の顔であるだとか馬であるだとか太刀があるだとかってあるんですけど。
スピーカー 2
人の顔の次が太刀ですかね。
スピーカー 1
そうですね。人の顔の次が太刀で、その次が上半身でというふうになります。
一番端に石場があるんですけど。
スピーカー 2
そういうふうな石神石場がここに一応レプリカなんですけれども、置いてあるということですが、
その前にこの岩手山古墳がですね、このベックから目の前に、
このベック自体は40メートル四方ぐらいですか。
スピーカー 1
43メートル四方ですね。
スピーカー 2
43メートル四方ぐらいの広場になっています。
その向こう側に岩手山古墳、これは公園部の方になりますかね。
スピーカー 1
そうですね。ちょうど公園部とその周りに宗校という溝があるんですけど、
その溝を挟んで宗邸とですね、それからその宗邸、
土手なんですけど、その土手に接続する形でベックというものがあります。
スピーカー 2
それでは詳しくこの岩手山古墳についてご紹介していただけますか。
スピーカー 1
はい、わかりました。
スピーカー 2
大体その墳球自体はどのくらいの、何メートルぐらいになるんですか。
スピーカー 1
ヤメシの公式な数値としては、墳球長と言いますが、ちょうど鍵穴の一番上から一番下までですね。
その長さが約135メートル。
135メートル、でかいですね。
でかいですね。
そのベックというものまで含めると、正式に計測が行われているわけではないんですけど、
170メートル以上と言われています。
スピーカー 2
このベックというものを含めると。
スピーカー 1
はい、そうですね。
非常に大きな古墳で、ちょうど岩手山古墳が作られた時期というのが、
6世紀の前半というふうに言われています。
スピーカー 2
6世紀の前半。
スピーカー 1
その6世紀前半に作られた日本全国の古墳を見ると、一番大きなのはやっぱり大王墓で、今城塚古墳。
スピーカー 2
今城塚古墳。
スピーカー 1
実は岩手山古墳は全国で見ても、6世紀前半に限れば、日本全国で3番目か4番目の大きさ。
スピーカー 2
そんな大きさですか。
はい。
すごい。
スピーカー 1
もうその当時は古墳の大きさイコール、日本国内における政治力の大きさというものが示されますので、
極端なことを言うと、日本でナンバー3か、その辺りにいた政治的な力を持ったそういう人物が岩手山古墳の思想者であるということになりますね。
スピーカー 2
そうですかね。
今城塚古墳も非常に関係のあるところですけれども、この話はまた時間を改めまして、じっくりと伺っていきたいと思います。
スピーカー 1
よろしくお願いいたします。
スピーカー 2
今、別区に立っていますけれども、目の前に林になっていますね。こんもりとした。
12:04
スピーカー 1
こんもりとしていますね。
スピーカー 2
なかなか中が見えない。
スピーカー 1
見えないですね。
スピーカー 2
2、30メートルはあろうかという林の中になっていますね。
原生林みたいなものですね。
スピーカー 1
これはもう原生林というふうに言っていいと思います。
岩手山古墳はもちろん木が生えていた古墳ではないのですが、自然に生えてきたというか、鳥が運んできたもの。
実はツブラジーというシーの木の密生地なんですけれども、400年以上経っているということで、その世界ではこれはシーの木の原生林だというふうには言われています。
スピーカー 2
なるほど、シーの木の原生林。
ということで、中は外からはよくお伺いしれませんけれども、この別区というのが公園部に張り出したような部分と、くっついているのか。
スピーカー 1
公園部とはくっついてはいないのですが、鍵穴の形をした前方公園墳の周りに修行という溝があって、その修行の周りに修廷という土手とその修廷に接続した別区というものがあるので、古墳に直接はくっついてはいない。
スピーカー 2
くっついてはいない。
それにしてもこれはちょっとした特色のある古墳ですよね、こういう別区がついているというのは。
スピーカー 1
別区という区画がですね、古墳に付属している古墳というのは日本全国まだ他にもあるんですけれども、
あるんですか。
10メーターそこそこぐらいですね。
それがここの古墳は43メートルということもありまして、日本で一番大きな別区を持った、しかもこれだけ大きな別区を持っている古墳というのはもうこの岩戸山古墳しかありませんね。
スピーカー 2
そうですか。
古代の福岡を歩く、今夜は八目市の岩戸山古墳の別区と言われる部分から歩いています。
お話を古墳に詳しい八目市職員の大塚刑事さんに伺っています。
スピーカー 1
この別区何のために作ったのかというところがまだ一つの疑問ではあるんですね。
スピーカー 2
それは何のために作ったのか。
スピーカー 1
そうですね、なかなかこれが決まり手がなくてですね、戦後ですね、第二次世界大戦ですが、戦後に食料不足ということでこの別区も含めた、
集邸と別区を含めたところが開墾されたんですね。
それで昔の情報というのがそこでもほとんど消えてしまったので、石人石場とか埴輪がこの別区にどう並んでたかというのが復元できないんです。
ただこれまでの調査とか、先ほどお話しした矢野一さんという方がですね、残された資料とかを見ますと、
この別区にもいろんな石人石場、それから館とかですね、蔵とかそういうものがずらっと並んでいたということはわかりますので、
15:00
スピーカー 2
並んでた。
スピーカー 1
そうですね、別区上にですね。
この別区は、そういう石人石場であるだとか埴輪であるだとかというようなものをずらっと並べて、
岩井さんが亡くなられた後に、今でいう長文客ですかね、長文客が来られた時に対応できる場所でもあるし、
岩井さんが生前活躍したその内容をですね、この別区に石人とか埴輪とかを並べることによって、
その功績を称えたり、その功績の内容がどういうものだったのかというのを後世の人に伝えるための施設というふうに考えていいのではないかなと思います。
スピーカー 2
そうですか。
よく昔の遺跡に行きますと広場があってね、その広場が実は重大な祭り事が行われたりとかいうのが結構ありますよね。
スピーカー 1
そうですね、結構ありますね。
スピーカー 2
広場といってバカにしないで何もないところかなと思ったら、実は重大なことがね、昔行われたんだということを聞きましたね。
ここもおそらくそうだろうという感じが私はするんですけど。
スピーカー 1
そうですね、今はもう何にもないレプリカの石人が建っているだけではあるんですけど、
いっぺん43メートルというとですね、ちょっとした子どもたちの少年野球ができるぐらいの広場ではあるんですが、
私もよく遺跡の調査とかも携わりながらですね、考えていたのは何もない空間というふうなものは、
実際今地上に何も残っていないけれども、そこは非常に重要な区画であったからこそ何もないと。
そういう考え方もできるので、この岩手山国も今でこそなくなってしまっているんですけど、
もともとは非常に荘厳な、厳かな状況で整えられていた特別な区画だというふうなことが考えられるんじゃないかなと思います。
スピーカー 2
ここで祭りごとといいますと、裁判が行われたんじゃないかという説もあるんですか。
スピーカー 1
はい、ありますね。石人石場のここでのベック上での役割というところは実はよくわからないんですが、
筑後の不時一文の中に書かれている裁判の様子というふうなことが描かれています。
ただそれはあくまでその当時の人たちが感じたことでもあるので、必ずそういうわけではないというふうには思っています。
スピーカー 1
ただ、絶対的に否定はできないんですね。そうかもしれないぐらいです。
ただ今城塚古墳であるだとか、他の大王墓というふうに言われている古墳を見る限りでは、裁判の様子というよりも、
その葬られている王様が生前どういう生活をしていて、どういう祭りごとをしていて、
どういう業績を讃えられた、どういう業績を残されたのかというものを残す場として、
祭司場というのが設けられて、それが別区であったり、作り出しという施設であったりというふうなことになりますので、
18:04
スピーカー 1
私としては裁判の様子をというよりも、やはり岩井さんが生前行ってきた行いをここで検証する、
みんなに知らせると、そういう意味合いでこの別区が作られたんだろうと思っています。
スピーカー 2
そうすると石神石場はどういうふうな役割を。
スピーカー 1
そうですね、役割というか、情景を作るというか、石神石場とか埴輪とかというものが何をしたかと言いますと、
岩井さんが活躍していた当時を石神石場等々で再現するというものだったと思います。
スピーカー 2
埴輪と同じような感じに理解すればよろしいですか。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
そういったようなことでいいんですか、この別区の意味ですね。
スピーカー 1
意味としては、だいたいそういう考え方でいいのではないかなと思います。
スピーカー 2
わかりました。そういう別区に立って今お話を伺っていますが、ではこの後ちょっと古墳の方に近づいていってよろしいですか。
はい、了解です。
ちょっとこの別区、大変暑いところに出ました。陰がないんで。
40メートル先に、43メートル下に古墳が現れます。
この別区の草むらも深いですね。
スピーカー 1
そうですね。ここはわざとこうしているというかですね。
5センチぐらい残るぐらいにしている、そういう刈り方をしていただいているんですが。
スピーカー 2
足がめり込んじゃうんですね。
スピーカー 1
そうですね。実はあんまり刈り込みすぎると、今度は地面の地肌が出てしまって、大雨の時に遺跡そのものが壊れちゃったりするんですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
なので5センチほど残してふかふかの状態にしていて、人が踏んでも雨が降っても一応その遺構そのものが傷つかないように配慮していただいているところです。
スピーカー 2
そうですか。ようやく古墳の脇に歩いてきました。
この辺は日陰になっておりまして、これは涼しいですね。
ここからですね、別区からちょっと下がったところになりますね。
1メートルぐらい低くなったところ。これが掘りの部分になるんですか。
スピーカー 1
そうですね。もう皆さん現地に来ていただければ、ここは掘り跡なんだなというのがすぐ分かるような状況で今残っています。
その掘りを挟んで岩手真古墳がドンと見えるわけですが、透明に見るとシイの木がたくさん茂っているので分かりづらいんですが、
修行のところまで来ていただくと古墳がどういう状況になっているのかというのが見えると思います。
だいたい二段蓄積と言われているので、二段に作られているんですね。それがよく見えると思います。
21:06
スピーカー 2
これが公園部ですね。
そして右側にずっと掘りが続いていますね。
スピーカー 1
この掘りというか修行がずっと続いていきますが、公園部から前方部に向かって歩いていただくと掘りがちょっと広くなっているところがあると思いますが、
その広くなっているところがちょうど区切れ部と言って、鍵穴をイメージしていただくと一番細くなっているところですね。
人間のウエストにあたる部分です。
スピーカー 2
あの部分ですか。
やめ市のつくしの黄身の墓と言われる岩手山古墳からお送りしました。
ご案内をやめの古墳に詳しいやめ市の職員大塚啓治さんにお願いしました。
この続きは来週お送りいたします。
ここで古代の福岡、リポーターの中島理恵さんです。
スピーカー 1
こんばんは。
この紹介されていました岩手山古墳最寄りのバス停が福島高校前というところなんですが、
バス降りてすぐ古墳に行く近くに屋上に巨大な駒が置かれている建物があったんです。
パッと見パラボランって思うぐらいの大きさだったんですよね。
この建物の正体は熊本駒という九州の駒を中心に作ったり、木のおもちゃを作っている工房だったんです。
スピーカー 2
今時駒屋さんってのもなかなか珍しいですよ。
スピーカー 1
すっごい少ないんです。全国的にも。
ここは創業120年越えなんですが、書類が残っているのが120年なので、それより前から業務はやってらっしゃったみたいなんですね。
6代目の代表熊本智信さんにお会いしてきました。
実は九州の駒と九州以外の駒って違うってご存知でした?
スピーカー 2
形もいろいろありますけど、どう違うかはよく分かりません。
スピーカー 1
九州の駒っていうのが裏側に鉄芯を打っている駒。
関東関西というか九州外の駒は自転車のスポークみたいな細いやつが上下に出ていたり、木にしても意外と上下に出ているんですね。
上から紐を巻き始めて下に巻くっていうのも九州の駒と全然違う巻き方で。
上に突き抜けているのが九州の駒。
スピーカー 2
それは馴染みがないです。
スピーカー 1
私も全然意味がわからなかった。
九州人の私たちの鉄芯がついているのが基本ですから。
24:00
スピーカー 1
博多駒が一番代表的なものなんですが、やめ駒っていうのもあって、やめは芯と反対側に平らじゃなくてちょっとね、そろばん玉を半分に割ったぐらいのおへそが出ている。
だからへそ駒って呼ばれてたりもしますねっておっしゃってました。
あとサセボ駒とかヒゴ駒、この辺は渋垣の実みたいな形。
茶器の夏芽みたいな大きさなんですが、あんな感じの形だったりするわけなんですが、実はね、今この九州の駒なかなかたくさん作れないんですって。
スピーカー 2
なぜでしょう。
スピーカー 1
材料不足です。
スピーカー 2
材料?
スピーカー 1
実は九州の駒って丸太材からじゃないと作れないんです。
スピーカー 2
そうなんですか。
スピーカー 1
他の地域のところは製材した木からでも作れるんですが、九州はそうはいかないと熊本さんはこうおっしゃいます。
これはマテバシって言って海岸バタとか意外と多いけど、防風林でもともと植えられた木で、芯付きの材料を仕入れて乾燥させるっていう形なんです。
どうしてもやっぱり芯付きじゃないと喧嘩駒の時に良くないという方はないけど、芯抜きの材料でもできるけど、やっぱり喧嘩駒だったらこういう芯を入った丸太材の方が強いというか、長く回るというか。
だからこういう材料がもう今年あたりは入ってこなくて、切る方がいなくなって。
なんですよ。
スピーカー 2
芯付き。
スピーカー 1
木の芯がちゃんとその駒の芯とイコールになってるってことですね。
スピーカー 2
喧嘩駒ですからね。お互い叩き割ったりとかありますよね。
スピーカー 1
懐かしい思い出が帰ってきたでしょ。
スピーカー 2
やってました。小学生の頃やってましたよ。
スピーカー 1
そうなんですよね。この喧嘩駒をできる九州の駒を作り続けるのが大切。実は木だけじゃなくて鉄芯を作る人も6、7年前にいらっしゃらなくなって、今では熊本さんが自分で鉄芯まで作ってらっしゃる。
スピーカー 2
そうですよ。鍛冶屋さんに買いに行ってましたもん、子供の頃。
スピーカー 1
記憶が蘇ってきましたね。今では熊本さんが自作してます。
この九州の駒を作り続けるために他にいろんな商品を開発したという熊本さんですが、今ではそういった木のおもちゃと駒と半々生産してらっしゃるんですね。
すべては屋根の鎮とか仏壇を作るときのろくろの技術、これがベースになってるそうなんで、丸いものや球形の積み木とかおもちゃも作れるようになってるわけなんですよ。
紅葉樹以外のヒノキやスギは屋根の素材で作るという、熊本さん、このおもちゃを作るにもこんな気持ちを込めてらっしゃいます。
ちっちゃいお子さんっていうのはまず人の肌を触るじゃないですか、お母さんとかの。その次に触らせて一番いいのが木って思うんですよ。
木でもものすごくツルツルに研磨した、そういったものに一番最初、ファースト問いっていうか、触っていただきたいっていうのもあってですね。
27:07
スピーカー 1
岩戸山古墳のすぐそばに九州の駒と木のおもちゃを作ってる熊本駒があります。建物の屋根に乗ってる巨大の駒が目印ですので、ぜひお出かけください。
スピーカー 2
中島理恵さんでした。
スピーカー 1
道の駅村方の横山です。秋の収穫祭開催中です。村方さんの心配がたくさん届いてます。私が自信を持ってお勧めします。道の駅村方でお待ちしてます。
スピーカー 2
ここで番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
またラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ホッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組はJA福岡やめ、道の駅村方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周代でした。
落語家の立川翔司です。1週間のニュースの中から気になる話題を題材に新作落語をお送りしているポッドキャスト番組、立川翔司のニュース落語。
スピーカー 1
もう聞いていただきましたか?政治家の問題発言や動物たちの微笑ましいエピソードなどなど、落語の世界でお楽しみください。
アップル、スポティファイ、アマゾンの各ホッドキャストで立川翔司で検索してフォローお願いします。またユーチューブでも聞くことができますよ。
さらに生放送でいち早く番組をチェックしたい方はラジコでRKBラジオ立川翔司キーサイトを聞いてください。
毎週金曜朝6時半から10時まで生放送中です。さらにこの立川翔司ニュース落語は本で読むこともできます。
お近くの書店、ネット通販でお買い求めください。本と音声両方で立川翔司のニュース落語、どうぞご引きに。
30:29

コメント

スクロール