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古代の福岡を歩くシーズン6 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン6 この番組は
宮﨑の企画協賛 道の駅村方
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こんばんは坂田秀大です 先週はこの番組のタイトル古代の福岡を歩くをそのまま自分の足で実行なさって
誰にも書けなかった山大国という本をおかけになった 村山賢治さんの山大国山と説を紹介しましたが
その宮﨑を歩きますといろんな興味あるものが見えてきましたので紹介していきます
まず宮山市世高町の大賀という場所を歩きました
ご案内を宮山市世高郷土司会会長の熊川たけしさんにお願いしました JRの南世高駅の近くになります
正面の家が稲葉さんと言ってあの稲葉の白うさぎのあの同じ名前でずっと代々ね あの小屋の宮を回ってきた第一人者ですよね
あそうですか 今あの小屋の宮の近くまで来たんですけども
この近くの家が 稲葉さんという家だそうです
その稲葉さんの家の横を少し 歩きながら
小屋の宮へ近づいています 畑が見えてきました
大きな祠がありますこれが小屋の宮と 言いましてまあ高さが4,5メートルぐらいの
小さな小屋みたいな感じの 祠です
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今カンヌキがしてありまして閉まっています 門が閉めてありますここはの町の方が保管していらっしゃる
ですから前もって時間がかかればあの カカンの方が来てくれて鍵を開けてくれますけど
まあそういうことで前もってちゃんと断らなければこの 中は見れないということになっています
そして看板がありまして小屋の宮 七使徒を持つ神像
神の像 宮嶋瀬高町の
大賀というところになるんですかそうですね この中に5体のご神像が飾ってあります
というわけで今夜は小屋の宮についてお送りします 祠の中には5体の木彫りの人形が飾ってありました
1体ずつ紹介していきます いずれも大きさは25センチくらいの高さです
中でも注目されるのは七使徒という鉄刀を持った人形です 七使徒は現在は奈良県天理市の磯の神神宮にあるものです
六差の矛と言われるもので中心の刀身から左右3本ずつの枝刃が段違いに伸びている ユニークな形をした刀剣です
この七使徒を持った人形が注目の人形なのです この天理市の磯の神神宮で七使徒が発見されたのは明治時代です
しかも刀剣には61の文字が彫ってあったのです そしてさらに興味があるのは
荒谷の宮の人形は明治時代よりももっと古い時代からこの地に伝わっていたと見られる のです
熊川さんに伺っていきます この七使徒を持った人形があるというのは荒谷の宮ということですね
この場所は何という場所なんですか この場所が須坂町の大賀浅尾狭島と言いますね
大賀は太い神と書いて 狭島は長い島と書いて狭島
こっちの方は狭島と名前って発音しますね 大賀の
狭島というふうに呼ばれております ここに荒谷の宮があって
ここにまだ五体の神道が祀ってある これがね非常に話題になっております
五体の人形ですけれども 拝見させていただきましたけれども
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まずどういうものがあるでしょうか 中央に甲羅神という
五質の霧の文様が胸の方に彫ってあって これは天皇陛にまつわる陰と古代は言われておりますね
人形の大きさとしてはだいたい20センチぐらいというふうにそうですね この甲羅神が一番大きくてその周りの四体はちょっと少し
背が低い感じですよね 中央が甲羅神で甲羅神の胸のところに
霧の 五質の霧と申しますの文様があると
それから左手に尺を持っていらっしゃる 厚い座布団に座っていらっしゃるという人形ですね
これが甲羅神 それから後は
そしてこの右側の方には乙姫 乙姫という女性風の
和風の感じですよね 小柄で水面を打った髪型
それから手に鏡を持っていらっしゃる 下駄を履いていらっしゃるかもわからないという感じですね
そうですね もう一つがさっき言った
四刀の武神像ですか 七つの鞘の刀を持った武神像
これが右側の方に位置を配置されておりますね
これは 帽子は耳まで覆っている帽子で
マント風のストールを 身につけている
軍服長の上着を着ている それから
常番に適したようなズボンが入っているという感じですね 文化みたいな靴を履いていらっしゃる
というのが 七刀を持った像です
この七刀の姿は 日本では拝見できない姿ですよね
そうですね そして朝鮮半島でもまた中国でもこれはなかなか見受けることができないような姿なものですから
これがまた議論を呼んでおりまして 一体どこの地域の一つの武神かというような形で論議も呼んでおります
それと後の2つですけども
先ほどは右側ですが左側の方には中国人風の神像と言いますか
もう一体がカッパ像ですよね
その中国人風のというのが
マント風の着物を着て そして両手で前で手を結んでいる
はい 中国の方の教主という
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そういうふうな感じの方ですね
そして帽子がちょうど漢風の漢の国の帽子みたいなものを被っていらっしゃるということですね
そして裸の人形が一つ これがカッパ像という形で頭に皿を乗っけています
ただ甲羅はないんですよ
ですからこの地方地域のカッパ像にはですね 背後の甲羅がないこれが全国でも珍しいカッパ像の姿です
ですからこれは海人
海の活躍した人々 海人たちであるというふうに考えることができるんじゃないかと思います
腰身をつけてますよね
そうです そして両手に
金の腕をつけている 肌の色は
赤茶色ということですね こういう五体の人形がある
この七使徒を持った武神が これは武神像はこれは脇役ですよね
ただ使徒を持っているナーツの鞘の刀を持っているということで脇役有名ですけれども
大きさまた中央に位置するということから考えると荒野の神 これがね一番大きくてそして五神の霧の模様もある
これ一番中心の神座が増します 衆心であると思うんですね
これは五神の霧というのは古代においては天皇家にまつわる神ですよ
ですから豊臣秘書士の時はずっと下って消えますがその時は 聖太子軍とかあるけどこの古代における五神の霧の模様はこれは後期の方の模様という証拠みたいですね
ですから甲羅神という名前から実は この荒野の名という名前が出てきる
可能性がありますよね この甲羅の神ですけれども甲羅の神については
甲羅多摩たれ具神秘書というのがあるんですか それにはどういうふうに
これは4,50年前に 甲羅大社の具司さんが金を破ってと言ったおかしいですが
学術の書になるということで一応 印刷されることになったんですがずっと蔵に眠っていた
門外不出の書物とされておりますね これが一応世に出ることによって実は甲羅神の
あの初代がおぼろげにわかってきた節がありますよ
そしてこの特にあの甲羅大社の場合には主神が甲羅多摩たれ具であった 多摩たれの御事であってそのわけにね
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仁後皇后とかそれから応神天皇とか 竹内のすくねとかいろんなものが一応並んでいるところがその中心の
甲羅多摩たれの御事の正体が今までわからなかったというふうに言われております ところがこの神秘書という甲羅多摩たれ神秘書と名称言うんですが
この神秘書の中には実は
ああ
この甲羅大社の主神である多摩たれの御事がですね 実は神後皇后が
忠愛天皇を亡くした後に 後どいていますかあの
結ばれて 実は神後皇后を
助けていった というふうなことが書かれておりまして
あの 必ずべき必ずべきという形で
これは秘密のね世界であるみたいなことを書かれております でこの皇后でありながらそのね
亡くなった後にあの天皇が亡くなった後にそういうね
方と結ばれたということ自身がこれ歴史上またはね これは許されないところもあるからこれは必ずべき必ずべきという形に書いて
あるのかもと私は思ったりするんですけれども
もう一度言いますけども神後皇后の旦那さん
千和井天皇です 千和井天皇は昔で亡くなったという説がありますね
その後にその甲羅の 甲羅の御事ですか
と結婚されたということなんです 結婚まではね行かなかったかもしれないけども一応神後皇后の側にね
いつも使えて夫婦仲間もつまじくというふうに書かれておりますよね 神後皇后は九州をぐるっと回ってそれで
山の中へ戻っていかれます その時ずっと一緒だったんですか
そうですね宮中生活をされていて神後皇后の方にも 妹さんがいてその妹のね旦那さんもやっぱ物の目の系統であるという形で
書かれてますね ところが神後皇后が亡くなったとに多分
無指導というかそれをなくしたが故にね この
甲羅玉太礼軍とか神後皇后の妹さんたちがこのグループで皇室から離れてね 九州の方にやってきたという記述が出されてますよね
神後皇后の妹さんもですね物の目と同じ婚姻関係になって 九州を出て
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この九州の方にね下ってきたという説ですよね その書かれている内容はそしてその妹さんたちは佐賀の方にね
実はあの そこで生活していたと
ところがあの 甲羅の見事はですね
大禅仁の方によって大禅仁 あそこによって今度は船を乗り換えて
有明海をずっと行って黒川の方黒崎の方に行って黒崎に上陸してからずっと今度は 瀬高とか通って行ってそして瀬高の方では偉人たちのグループに遭遇したりしながら
そして今度は甲羅大社のところまで行ったという記述がなされております その
神後皇后の妹とは別行動なんですかあの途中まではずね 九州を出てきた時は神後皇后の妹さんもずっと一緒に来て
で面白いのはですね 竹内の少年もね一緒に出てきたんですが竹内少年は晴間の方でね
別れたと神後皇后の妹は佐賀の方に行ってそこで一つのね 一つの生活してたら多摩谷の御事たちは今度はグーッと
有明海まで来てそして大禅仁の多摩谷で船を乗り換えて そして黒崎に来て黒崎に上陸してから
あとはずーっとね 今度は陸港を歩いてですね
あそこの甲羅大社の方まで数ヶ月かかった感じですが9月頃にこの甲羅大社の方に 実は到着したというふうなことが書かれているんですよね
ですから甲羅大社の出身が多摩谷の御事というのも非常にこううなずけるし この
須賀町の方の甲羅の宮というのがあるのもですね うなずけると言いますか
でこの甲羅の宮にはこの七刀という仏神が持った長刀の鞘の刀が置いてあるとも ある意味ではその甲羅大社の甲羅多摩谷の御事とね
同行した仏神たちがそこに記念碑を作っていたのかなという感じも いたします
この人形ですけども甲羅の宮の人形ですけども これはずいぶん古くからあったものなんですか
あの代々ですね那覇の宇治子たちが守ってきたんですよ そしてここはの甲羅
名所はですね 磯野上物戸別心が一応甲羅の宮の名前なんですけどもここを中心にして
那覇県ぐらいの宇治子たちがずっと代々守ってきたんですよね ですから
相当昔からこの像があったことは事実です ただ木で作ってありますもんですから
調査によるとおそらく200年以上前にね もう1回それを塗るかやって
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改造していったりねところもあるというふうにはやれておりますね 甲羅の御事と神宮皇后の話が出てきました
この番組でも神宮皇后については詳しく紹介していますので大変興味のある話です
この甲羅の宮について書いた書物が残っています 天行神明帳と言います
天行とは空の天と慶王の慶という字を書きます 熊川さんは
ちょうど今から今からというよりも平安時代ですよね 940年代に那大夫ができましてその時に
天行神明帳というこういう自社の名前をですねつけた 時代だったんですよ
今現代この天行神明帳というのは甲羅神社に所属されておりますけれども 甲羅大社に所属されていると
そして大和宮にはですね
27ぐらいの聖六位の神社 格子の高い神社があるんですがそのうちの御神がですね
実はこの南の方に位置する 世坂町の大賀部落にあるんですよね
大賀という地区にあるんですね そして代表的なのは
磯野上神と磯野上物部神ですね 全部物部がつきます
物部 足利神と
次に物部 山国神
そして物部 田中神これをまた2体ということで
大賀の方には 5つの神社
祠に近いんですけどもこれがありまして これが天行神明帳によると
6位である6位ですから6位以上の神社 格子の高い神社が
大賀の方に御神体が一応ね 祀ってあるということでございます
この辺が物部氏が支配したところ というふうなことは言えるんでしょうかね
そうですね 物部という名前がですね神と残っておりまして
そして今で言う荒野の宮 もう正式名称は磯野上物部神というんですよ
正確には磯野上物部神
川の磯ですよねと上と書いて物部神と 磯野上ですねそれを呼び名は磯野上物部神といって
これを今現代は荒野の宮と言いまして そこにまた
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非常にこう素晴らしい道が残されているわけです
でそれで 奈良県天理寺にある神社磯野上神社と言いますけども同じ
読み方は磯野上ですよねそうですねあれは石上と書いて珍しく磯野上と言いますよね
その辺の音の響きと言いますか それとこの辺は磯野上と書きまして磯野上
えー なんか共通したものを感じますよねそうですね
あの 奈良県の方の天理寺の場合の石上神宮をですね
磯野上というのはやはり独特な表現ですよね ですから原始と言いますか元の形はこの地域にあった
その神物延し神がですね あるルートを通して向こうの方に移行したというのが
本当の内容ではないかと私たちは推測するところです 今夜は三山市の荒野の宮について紹介しました
お話を三山市世高郷土司会会長の熊川たけしさんに伺いました
三山市を歩きますと興味あるものがいろいろ出てきます ということで来週も三山市を歩きます
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです こんばんは
今夜は三山の美味しい名物をご紹介します 現物は先に言っておきますありません
なぜかというと作ってその日にパクッと食べていただきたいものなんですよね 日持ちがしない
その物品というのが三山玉飯 玉飯玉はコロコロ転がる玉です飯はひらがな
食べたことあります私はないですねじゃあ教えいたしましょうこの三山玉飯を販売している道の駅三山
あげもん岩永野信二さんさあ玉飯って何でしょ 一言で言うとですねあの中に半熟煮玉子が丸まっていく入ったおにぎり
というふうに私ども申し上げているんですがただあの 本来ですねこの玉飯っていうのがですねあの丸い形をしたおにぎり
というので玉飯という形でご案内させていただいているんですよ というのがあの卵だけでなくですね
中にあの卵の仮に豚の角煮が入ったものでありますとか 唐揚げが入ったもの何かもそういうものもですねあのご準備させていただいているので
じゃあの 玉飯という名前はその丸い形をした
おにぎりということで玉飯 なんです元はじゃああの半熟卵
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にご飯でこうおにぎりのようにそうなんです いや半熟卵とは思いませんでしょいいでしょ
今ね半分に切った写真をお見せしてるんですが 見事なあのオレンジ色の黄身の部分がねこう
赤身がかったツヤツヤトロトロ状態です 非常にご飯が外が包んでるんですが今言ったようにベースは丸々1個の卵ですから
結構大きさあるんですよボリュームあります原骨ぐらいだと思っていただければ これが可愛らしいこう丸い形におにぎり型になってるんですがまんまる
をイメージまんまるの上を少し潰したぐらいの なるほどでこれやのさんの話にもあったとおりいろいろ
グーとかが違ったりもするんで人気順を聞いてきました 一番人気はやっぱりベーシックな半熟卵に周りがお醤油ベースの味飯でも
包んであるたまめし 第2位の人気はこの真ん中が卵でなくって豚の角煮になってる
これがねなかなかの豚の角煮のいいとこである意味でこの角煮がいい味出してるんですよ ベチャベチャしてなくってパサパサしてなくって絶妙ななんて言うんでしょうね
あの味わいっていうんですか泥とした角煮が嫌いな人でも私これは好きっていう 非常にいい味でていますそして人気その3
第3位で行くとこの半熟卵の周り ベースはあの醤油ベースの味飯なんですがではなくって
お出汁で炊いた雑穀米人気女性に人気だって言ってましたね 結構あっさりめの味わいですよね
でさらにいろんな種類があってこれ周りのご飯があの醤油ベースの味飯じゃなくって カレー味のものとか
で家のさんの話にもあってに唐揚げが入ったものとか あとですね土曜日曜祝日限定のチキンライスで包んだ赤玉というシリーズと
いろいろあるんです でこの玉飯なんですが元はこのあのあげも言わながってお肉屋さん
が母体なんですはいこの本店のお肉屋さん エニクション岩永玄造本店というところの
まかない飯だったんだそうです あんまり美味しいんで皆さんにもという形で何がならないかなぁと作ったんですがこれ
やっぱり作るの難しいんじゃないかなと思うんです 本店でですねあの一つ一つ手作りですべて作らせていただいております
はい朝からですね はい機械じゃないんですよ全部手で握ってます
はいシェアの職人がおりまして朝早くからですね お作りしております
はい 正直はい
逃げるの難しいですね難しいです私は握れないです なんでも長年のですねあの
まあ経験というかそういうのがあっての玉虫なのでこのあの しっかりと握るとまた固くなってしまいます
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でたといってふんわりしてしまうところってなってしまうので そのあたりの加減が非常に難しい
中半熟ですからねそうなんですよ食べる時もあの 不容易にガブッと食べるととろーっと中の糖が出てくるのでちょっと注意し
ながら少しぐらいうまい具合でかじってかじって ちょっと上向きながら食べるといいかもしれませんねって矢野さんおっしゃってました
お米もお出汁になって使ってる醤油もそして卵もみんな地元でとれた美味しい 名物三山玉虫ぜひお出かけの時は食べてみてください
中島リエさんでした ここで番組からのお知らせです
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