1. 古代の福岡を歩く
  2. S10 15回目は四王寺山の大..
2025-01-12 30:30

S10 15回目は四王寺山の大野城跡を歩きます。

尾根を歩いて気がつくのが石仏が尾根沿いに建っていること。
四王寺山には三十三ヶ所にあるそうです。
調べてみますと、圧倒的に多いのが千手観音菩薩像で、あとは如意輪観音菩薩像、罵頭観音菩薩像といったところでした。
建立されたのが江戸時代後期だそうで、福岡城下町の大火や天然痘の流行などの転変地異に対し、観音様の御利益にすがる気持ちで建立されたんだとか。
こういった仏像をめぐって歩くのも別の楽しみがありそうです。
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00:10
古代の福岡を歩くシーズン10。遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン10。 この番組は餃子の山端
道の駅村方の提供でお送りいたします。 道の駅村方の遠崎です。
道の駅村方では今年も新鮮な海の幸、山の幸、お花に工芸品、 村方自慢の良いものいっぱい揃えて皆様のお越しをお待ちしています。
こんばんは、坂田周代です。 先週は大野城市の前一打古墳を歩きましたが、
今週は昨年末に歩きました四王子山にあります大野城跡を再び歩きます。 5回目になります。
太宰府口城門跡まで歩きました。今回はその続きを伺っていきます。 古都太宰府保存協会の学芸員田中健一さんです。
実はここから珍しい木が発見されているわけです。 少し今、門の南側、外側だったんですけど、
内側の部分の調査で、実は古代の木材で、高山木という木材が実は発見。 高山木という種類の木材が出ているんですけども、
その木材が大変重要な木材でして、県などの調査の際に見つかったんですけども、
実際にですね、実はこの今ご紹介した太宰府口城門を建てた時の柱の残りだったと。
なので、いわゆる665年に大野城が建てられますけども、その時の太宰府口城門に使ってた木材だろうという、大変貴重な木材が見つかりまして、
この木材がさらに注目されましたのは、3文字が刻まれていたそうなんですね。
根元の方に文字で、いろいろな先生が解釈、研究されてますけども、
浮石で、3文字目がですね、部下、都、いわゆる部活動の部下、都の都ですね。
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ということで、どうも当時のこういう部とか、そういうグループを表していたのではないか。
あるいは都、都とか読みますので、そういう港であったり地域を表してるんじゃないかなということで、
これはまだ解釈が先生によってあれなんですけども、どうも当時の何か作業に関するもの、
例えば伐採に関することとかですね、そういうものを表すんじゃないかということで、
大変実は1300年前の樹木も確認されたというところで、非常にいろいろなものがすごい興味深いところですね。
高山木。
こちらは保存処理がされまして、展示などで九州歴史養監さん、お氷の九州歴史養監さんなどで展示されることもありますので、
もし行かれて見つけましたら、これが1300年前の高山木かと、ぜひご覧になっていただければなと思うところです。
高山木の話でした。
古代のお話が今ですけども、実はもう一個ちょっと山山話になりますけども、
先ほど最初に津川さんがおっしゃって、実はこの太宰府口縄文の西側部分、水の手石垣に面した内側、ちょっとこんもりして、
確かに土が持っているような感じがするんですね。
ここに残っています伝説が、実は石小津婆婆という伝説が。
ここにも伝説が残ってる。
伝説の地なんですね、実はですね。
このネーミングがすごいね、石小津婆婆という。
石小津婆婆の話ですか?
実はですね、老婆のお話なんですけど。
このお話、伝承として太宰府に伝わってるんですけども、お話は実は戦国時代の岩屋城の合戦に遡るそうなんですね。
岩屋城に高橋ジョンが牢状して戦うわけでして、島津方がですね、どうも守りが固くて攻めあぐねると。
これをどうにかして岩屋城を攻め落としたい島津氏がですね、こうなったら水の手を断ち切って飲料水を枯渇させようと。
そのためにまず地元のですね、老婆にお金などを渡してですね、水の場所を案内させて。
それで島津勢は水の手を断ち切ることに成功して、岩屋城は最終的には落状してしまったというようなふうに伝えられているわけなんですね。
当然ですね、岩屋城が合戦が終わりました後、敵方に内通した老婆をですね、地元で高橋ジョンを慕ってた人たちは裏切り者ということで。
ということで伝承ではですね、ここまで引っ張ってきて、深い穴を掘りまして、老婆をそのまま生きたまま穴の底に落としまして、その上から石を積んで積み殺したと。
なので石を積んで、石を積まれたおばあさんということで石小津婆婆という。
石小津婆婆。
というような伝承が残っているということで。非常に岩屋城合戦にまつわる地域の人がいかに高橋ジョンを慕っていたかというようなお話なんですけれども。
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実際にですね、県とかが調査しました。もちろん1300年前の土塁ですので、そういう石を積んだ痕跡というのはないわけなんですね。
なのでお話としては、この土塁とか目に見えている山というのはもちろん古代山城の土塁なんですけれども。
やはり地域の人々がですね、やっぱりそういう思いを重ねてですね、そういう伝承が生まれていった場所なのかなということで。
太宰府では古くからここは石小津婆婆と言われているそういう逸話があるので、人に対して嘘をついたり裏切ってはいけないよというそういう教訓をですね、伝えてきた場所ということで。
そういった太宰府の伝説も実は伝わっている場所ということでございます。
人を裏切ってはいけないよという思いが伝わるような感じですね。石小津婆婆。
なかなか独特なお話でございますけども。
実際に石を積んで人の人生を奪ってしまうということは、実は中世には結構見られるお話でした。
実際に記録を見てみますと、そういう石を積んで罪人を殺してしまうみたいなことはやっぱり中世でもそういう方法というのはあったようなんですね。
だから全く作り話というよりも、いろんな歴史の要素を含みながらできてきた伝説のような気がしております。
そういった石小津婆婆の伝説を思った。
そうですね、これが4、5メートルぐらいの大きな塊になってここにあるんですけども。
山城の土類ですね。
山城の土類ですね。そういったものです。
津婆婆さんですね、また焼き米河原の方に戻るんですけども、今度はルートを描いて戻ってみたいなと思うんですね。
実は門の外に出るんですか。
南側に土類に沿って上がっていく道がありませんで。
土類がちょうど山の上からずっと落ちてきて、そしてちょうど底になっている部分に太宰府口の門があります。
その門の跡を今通り過ぎまして、もう一回上に上がるところです。
おっと出ましたよ。鳥居が突然目の前に現れました。
鳥居の辺が組みますと、美車門天王ですかね。
ということで、ちょうど太宰府口城門から南側、外側にずっと歩いていきますと、いきなりポツンと石の鳥居が大きいものがどんどんあるわけなんです。
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周りに神社とかないのに何かなと気になる方も多いかなと思うんですけども。
変額に美車門天と書いてありますが、実はこの鳥居は太宰府の父元の方たちが、この塩山の山頂の大きい山に祀ってある美車門への道筋として囲有された鳥居だそうなんですね。
ということはここから真っ直ぐ上っていけば美車門の道に出るんじゃないかという感じですかね。
まだなかなかですね、塩山の南の端でございますよね。西のちょうど一番最高地なので、ほんのまだまだ塩山の入り口なんですけども。
まさにここから塩山の内側に入るという場所でもありますので。
お聞きすると昭和10年ですね、1935年に地元の太宰府の方たちが美車門参りにされるにあたって奉納したということで。
なので突然ですね、ここだけ鳥居だけポンと現れますが、実は山全体に対しての入り口を示していると。
そうなんですね。
戦前の混流ですけども、まさに太宰府の方たちも大変多くの方が塩山の美車門にお参りして、たくさんの方たちが信仰されていたというのが、こういう山中にある鳥居からですね、突如現れる。
鳥居から実はそういう歴史が伝わってまいります。
こちらの鳥居なんかも、今は木々に囲まれてしまってますけども、戦前から植林の行われる前はですね、大変ここも見晴らしがいい場所で、
古老の方からですね、戦前の太宰府小学校の卒業写真を見せていただいたことがありますと、背景にこの鳥居がバッチリ目立つように映ってるんですね。
だから戦前の太宰府の人々からすると、本当に塩山を見たら必ず目に入るような、シンボルのように立っていたような。
シンボルですね、これはね。
そうですね、ふもとからも多分おそらく眺めがとてもいい場所に立ってます。
そういう太宰府の歴史も伝えてくれるということで。
まあ太宰府近辺の小学校にすれば、シンボルですね、この山がね。
山自体が。
そしてその中にある美車門堂も、シンボルの一つだったんじゃないかな。
今ちょうど鳥居を抜けてですね、土流星の上に階段で上がってきたんですけども、
焼き米学館に戻る、ちょっと振り返っていただくと実は大きな石柱が建ってまして、
大農場だと示す史跡表になってますので、
ちょっとこちらもぜひご覧になっていただきたいと思います。
石碑もここはたくさんあって、
これはやっぱり注目しないといけませんね。
ここ一本だけですね、ちょうど土流星の上に一本ポツンとあるんですね。
だいたい1メーター7、80センチぐらいの石柱ですが、
昭和9年3月というふうに書いてますが、
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ちょうど南側の面にですね、正面で書いてありまして、
南側の面にちょうど、
史跡大農場並びに使用地跡ということで書いてあるわけなんですね。
こちら今回ご紹介しています大農場跡なんですけども、
昭和7年に国の史跡に指定されたわけなんですね。
その時は実はこの史跡はですね、
古代の山中の大農場跡並びに今回何回もご紹介します、
使用地の跡だよということで、
史跡としては山中とお寺の跡だよということで、
国の史跡に指定されたわけなんですね。
この大農場と使用地の歴史と一緒なんですけども、
その後ですね、制度が変化したりしまして、
現在はですね、国の特別史跡に昇格しておりますけども、
その際に大農場並びに使用地の、
使用地の方はちょっと外れてしまいまして、
現在は国の特別史跡大農場跡ということで、
一つに制度の変遷とかでですね、変わっておりますけども、
まさにこの場所が重要な場所であるという、
国の史跡で示す重要な石碑になっておりますので、
ぜひご覧になっていただきたいと思います。
そういえばですね、大農場も古代山代大農場という言い方しますがね、
昔は大野山と言ったんですね、随分前はね。
そうですね、昔の万葉集なんかには大野山、大木山でですね。
大野山って出てきますよね。
山の名前もちょっと色々変わってきたんですよね。
変化してきましたですね。
まさにそういう山の名前の変わり、歴史の移り変わりを示している表石になりますね。
そういう石碑がここに建っています。
そして石標を見ながら土類を上がってきたところに、
ベンチが置いてありましたので、ここで一息入れます。
こうやって今日津川さんと巡ってきます塩路山なんですけれども、
古代におきましては大野山、大木山とですね、呼ばれていまして。
大野山でも出てきますね。
出てきますね。
それがお話ししていました、774年に塩路というお寺が混入されたことで、
今塩路山だということで。
本当にたくさんの方に訪れていただいて親しんでいただいてますけれども、
実はですね、津川さんこれ私も太宰府に来てから勉強したんですけれども、
実はこの塩路山っていう山がないっていうことに教わりまして。
そういえばないですね。
教えていただいたらですね、
実は塩路山というのは山の総称でして、一番西側の高い大木山、
そして東側の高い大原山、そして岩屋城などが築かれました岩屋山や水亀山、
そういった山々で形成されている山を私たちは通称塩路山と呼んでいるので、
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何か一つ塩路山という山があるっていうことではないというのが、
いわゆる国土地理院とかの見解なんですね。
なるほど、そうですか。
なので塩路山を訪れていただいて、いくら探しても塩路山の山頂はないわけなんですよね。
ないですよね。大木山っていうね。
山はあるんですけど、それは構成している一番高い山なんですね。
私も太宰府に来て知ってから、こんな親しんでいる山だけど、
それは総称であって単独の山でないんだということを教わりまして。
調べてみますと、例えば皆さんおなじみの熊本県の阿蘇山をたくさん訪れた方も多いかなと思うんですけども、
阿蘇山も実は総称なんですね。
阿蘇五山なんかも呼ばれました。高崎とか中崎とかそういう山々を総称して阿蘇山と我々が呼んでまして、
阿蘇山っていうどこか山があるわけではないということなんですね。
実は塩路山もそういう山でして、私たちが塩路山と親しんでいる山、
実はいくつかの山々からある総称ということがありまして、
山の名前一つとても奥深いなというところがあるんですね。
そんな昔からの名前の変遷、そして実は今のそういう区分ではないということで、
そういったところをちょっと知りながら巡っていただくと、ますます魅力が深まっていくんじゃないかなと思います。
その扇山っていうのは高さが410メートルって書いてましたね。
そうですね。これが一番高いところでして、そこに美車門堂なんかも祀ってありまして、
古代の塩路というお寺もたぶんその周辺に建てられたんじゃないかなと言われていまして、
現在もお正月にはその美車門周りでたくさんの人でにぎわいますので、
これは塩路山を見る時には後半にまた改めてご紹介させていただきたいと思います。
わかりました。
そして焼米ヶ原に到着しました。
路上を歩いて来るとちょうど焼米ヶ原という標柱も立っております。
ここから先が焼米ヶ原ということなんですけども、
焼いたお米の原と書いてますので、これ何でかと言いますと、
実は焼けた米、いわゆる炭になったお米、炭化米と呼ばれますけども、
それが出てきたところからここ周辺を焼米ヶ原と呼ぶようになったそうなんですね。
実際、現在でも時折大雨が降った後なんかにはパラパラと見つかることがあるそうなんですけども、
古くは江戸時代の記録から炭化米が出るので、そういうふうに焼き米と言うんだという地名の依頼も地資料に書いてあるわけなんですね。
そうですか。
じゃあこの炭化米は何で焼けた、いつ頃の米なんだって皆さん気になるかなと思うんですけど、
これなかなかいつ頃というのが断定が難しいございまして、
例えば象徴天草石のところで米を倉庫に蓄えていたというようなお話をしたので、
そういった古代の大野城の倉庫が何かしらで焼けて、それが地中に埋もれたのが出てきたという可能性もありますし、
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その他にも例えば戦国時代の岩屋城の河川でも大変この辺りというのは戦乱に巻き込まれたわけで、
そういった時に兵廊米が焼けてしまったかもしれないので、なかなかいつの時代のというのは言いづらいんですけども、
江戸時代にはそういうふうに言われていました。
それより前におそらく何らかの理由でお米が焼けてしまって炭になってしまったのが、
この大変焼き米が腹一帯に散らばったのが地名の由来というふうになっているところですね。
実際に焼き米が出てきたということなんですね。
ちょうど焼き米が腹の入り口のところに高台がございまして、
そちらには33石部が祀ってあるんですけれども、
その手前には先ほどご紹介しました石碑の示す石碑碑もこちらにまたもう一つ建っておりますので、
もう一つの石碑がこちらに建っているんですか。
焼き米が腹の入り口の目印としてご覧になっていただければなと思います。
この奴隷線を真っ直ぐ行きますとその焼き米が腹なんですけれども、
実はここがですね、少し左に揃えるとすぐそばに今度はですね、
小花祖石群という祖石群の建物がすぐそばに残っていますので、
そちらをちょっとゆり道してから奴隷線にご紹介していきたいと思います。
まあいろいろと祖石が残っているんですね。
小花祖石群という呼ばれている地域がありますので、
少し奴隷線から逸れて少し内側の方に進んでいきたいと思います。
焼き米が腹に行くちょっと手前ですね、
小花祖石群という祖石がありますのでそこへ向かいます。
ちょうどですね、焼き米が腹から小花祖石群に入る場所にはこういう看板も立ててありますけれども、
こちらの小花祖石群はですね、全部10棟建物が確認されております。
ここの特徴としてはやはり数が多いことと、
あとは方向がきれいに揃えられているんですね。
看板など、現地だとなかなか方角がわかりづらいんですが、
看板などを見ていただくとちょうど南北にですね、
南北に並んでますね。
これはやっぱり最初から建てる時から計画的に配置をしてですね、
南北の方向きれいに合わせて建てられたというふうに考えられているわけなんですね。
こちらもイメージとしては祖石が残っていまして、
高岡式で象徴天祖石群などと同じようにやっぱり食料であったり武器であったり、
そういったものを備蓄した倉庫ではないかなと考えられているところでございます。
だいたい建物の大きさが6.3メートル×10.5メートルぐらいで、
ちょうどまた規模も同じ3軒×5軒ぐらいの大きさになっていますので、
ちょっとそちらの方に現地を見に下っていきたいと思います。
やっぱりあれですね、いろいろ祖石を見ていきますと5軒3軒というのは多いんですね。
そうですね。おそらくやっぱり今の私たちもそうですけども、
例えばたくさんの倉庫を管理するときに倉庫ごとに大きさが違ったりすると管理がやっぱり大変ですね。
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私たちも現在に例えば会社に勤めて70個の倉庫を管理しなさいと言われたときに、
ここは大きい、ここは小さい、ここは中くらいだと。
おそらくやっぱり目的のために規格を統一してですね、
やっぱり大きさを整えて建てて管理したんじゃないかなと。
管理しやすいようにね。
そうですね。今の私たちはやっぱり一個一個で違っていたらですね、なかなか。
それはもう大変ですね。
大変ですのでですね、やっぱり当時の人たちもそういうふうにちゃんと確認しながらしていたんじゃないかなというふうに思います。
大野城跡を今回は焼米ヶ原、そして小花祖籍群まで歩きました。
ご案内を、古都太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんにお願いしました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです。
こんばんは。
実は来週の日曜日、宮間でなかなか面白い催しが行われます。
その名も知ろうぜ!宮間って言うんですが、実は知らなかった宮間の歴史と文化ってサブタイトルがついてます。
歴史、文化を深掘りしていくという集いなんですが、
1時半から始まって3時半まで宮間市総合市民センターのミヤマックスというところで行われます。
これ主催するのが宮間市観光協会なんですが、会長の徳永つとむさんに、
去年も実はこれ同じものをやってるんですが、ちょっと変わるみたいで、
今年の開催についてこんなふうにおっしゃってました。
宮間の歴史を深く掘り下げて、
誰もここにいる方が生きてなかった時代の縄文から弥生とか、
なぜこの地域がすごく肥沃な土地があって、
農産物がおいしく、お米、野菜、すべておいしい、なぜだろうというような切り口から話を進めていくと。そんなところです。
1回目でね、お米おいしいじゃ、稲作伝来の地が可能性、宮間あるんじゃない?みたいな話も進めたんですが、
徳永さんにもね、こんなヘイがあったんで、今でもワクワクしてると聞かせてくれました。
日本初期に長田、織田、坂田っていう地名が出てくるんですね。
稲作伝来の地であるだろうって。それが宮間の世田谷にそのまんまあるんです。
3つとも?
3つとも。並んであるんです、それも。
並んでっていうのは、トントントンって?
来たから、来たからこう。
へー、それはときめき度高いですね。
でしょ?ドキドキしますよね。だからみんな、へーって今おっしゃったみたいに、そういうふうになってほしいなっていうところがスタートです。
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へーって感じですね。
今年のへーのネタちょっと聞いてきたんですけど、どうもね、宮間って神社の数が面積当たり、日本有数の多さらしくて、
その辺を掘っていくんじゃないかという流れになっています。
で、講演がお二方いらっしゃいまして、東京農工大学大学院客員教授の福井孝先生と、あとの熊野古道ですね、ありますね。
田辺市熊野ツーリズムビューローの会長のタダノリコさん。
この辺の方々のお話を聞きつつ、いろいろ掘っていけるんですけれども、
宮間でやるんだったら、タブラツ姫の話どうするんだろうって、うちの番組のリスナーならみんな思うはず。
タブラツ姫の説明をどう落としていくか、宮間の方々でタブラツ姫の名前をご存知の方が果たしてどれぐらいいらっしゃるか。
そういう特に若い方たち、中学生とか高校生に、そのタブラツ姫のお話とか、なぜ討伐されたとか、そういうことを知ってもらって、へーってなってほしいな。
タブラツ姫がひょっとしたら秘密子様だったのかもしれませんね。
そこにはロマンと夢があるじゃないですか。
だけどその当時生きていた人は先ほど言いましたように誰もいないわけで、だからそれを一つずつ一つずつ検証していって、
それだったらそうかもしれないな、きっとそうだろう。
じゃあ観光客の方来てもらって、ここがそうですよって。
そんな流れが一番、観光協会としてやるためにはそういうことが一番必要なのかなっていうふうに考えているところですけどね。
ワクワクしますね。
たくさんの兵をみんなでいろいろ付き合って盛り上がっていくのがこの城寿宮間の面白さなんじゃないかと思うんです。
まさしく城寿っていうのはそういうところなんですね。
楽しみもいろいろ考えていらっしゃいました。
宮間のお米とか、もちろん米から作られる地酒、こういったものを楽しめるコーナーもサイドネタで用意していらっしゃるんですよね。
さらに若い人についてこんなふうな気持ちも持っていらっしゃるようです。
でもいかにシンポジウムっていうか宮間が楽しいし、どれだけ秘めたものがあるかっていうことをみんなが考えてもらって一番楽しいじゃないですか。
で、秘ミ子九州説を今から来た若い子たちが大学で研究して、いや絶対そうやんかって、ここやんかっていうような先生たちが今の高校生から生まれたらすごいじゃないですか。
だから中学校や高校生に来てもらいたいんですよ。
福岡県中の子に来てほしいですね。
九州説一緒に、この宮間説を一緒に唱えましょうよって。
九州の福岡の方は特に、その方が誇りになるじゃない、みんなっていうことがね。
27:08
なかなかいいんじゃないかと思うんです。こういう感じで集うの。
正しいとか正しくないとかじゃなくて、こうかもよっていう可能性をみんなで掘りながら考えるきっかけになるかと思います。
しろうぜ宮間。日付は来週日曜日です。1月の19日。
午後1時半からミヤマックスでスタートするんですが、実は午前中11時からは古墳ガイドも行うと。
なので詳しいことはですね、宮間市の観光協会に聞いてください。電話番号言っておきます。094463-3955です。
中島リアさんでした。
番組のホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
またラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は道の駅村方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は博多周代でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、
様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約はスタービル博多祇園のホームページからどうぞ。
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