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古代の福岡を歩く シーズン5
遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を訪ねる 古代の福岡を歩くシーズン5
この番組は 宮間市の企画協賛
道の駅村方 餃子の山鉢の提供でお送りいたします
道の駅村方 営業部長の古代です
村方の新鮮な海の幸 山の幸がたっぷりです
いつも旬のものをお届けします 世界遺産 神宿島 村方 沖ノ島と関連産群を
私たちの手で守っていきましょう
山鉢 山鉢 山鉢の
餃子の山鉢です 新鮮な食材を使って心を込めて丁寧に包む
世界遺産 神宿島 村方 沖ノ島と関連産群を
私たちの手で守っていきましょう
おはようございます 坂田秀大です
古代の福岡を歩くシーズン5が始まりました
今年5月から令和の時代が始まりました その令和は太宰府の梅花の園で歌われた万葉集の序文から
令和という言葉が取られました そこでシーズン5はその舞台になった
太宰府市トフローにある太宰府展示館からスタートします お話を
後藤太宰府保存協会の学芸員 田中健一さんに伺っていきます
令和になりまして 俄然注目されたのが
この館の中にあります ジオラマですね
13人の方が 宴会を開いていらっしゃるということですけれども これが梅花の園ですか
はい こちらが平成3年にこの太宰府展示館が開館10周年を迎えたときに作られた
博多人形で作られたものですけれども 山村信明さんという博多人形師の方が
730の梅花の園を想定してイメージして作られた ジオラマになっております
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ジオラマはですね 約2メーター
かけるの1メーターぐらいのところに
13人の方が 宴会を開いていると
一人は踊っていらっしゃる方もいますし 一人は描き物を描いていらっしゃる人もいると
どういう人がいるんですかね
はい 実際の宴には全部ですね 32人参加されているんですけれども
32人
はい その中からですね 参加された方を10人と
それを補足するような方で3人の方 計13人 今ジオラマにいらっしゃるんですけれども
もちろん主催者の大友の多人をはじめ 新婚を預かった観存寺のですね
建設責任者としてきました シャミマンゼ そして木のお人 斧のお湯 そして山の上のオクラなどですね
そういった当時の太宰府に勤めていた役人 あるいは九州各国の役人たちが参加しておりまして
そういう方たちが このジオラマの中で再現されています
大友の多人はどの人形になるんですか
ご覧いただきますとですね 展示館のジオラマのちょうど中心 紫色の服を着たですね
まさに神座に座っていらっしゃる方が 大友の多人になります
紫色の着物を着ていらっしゃる これが大友の多人
それから先ほどお話が出ました シャミマンゼという方はどれになるんですか
大友の多人の後ろにですね 隣手足はこちらの黄色の装服を着てます
この大友の多人に後ろにちょっと控えるような場所に お二人は親しい関係だったというふうに知られていますので
主人の多人のすぐ側にいる こちらの方がシャミマンゼになります
この方は漢字音字を作っていらっしゃった時ですか
そうですね 象漢字音字別頭として こちらの太宰府に赴任しまして
まだこの頃ちょうどほとんど漢字音字が完成していたというふうに 考えられているんですけれども
実際に最終的な完成は マンゼさんの次の元母という方がまた同じく来られるんですけれども
そのときに最終的な漢字音字の完成の行事などはしていますので まだちょうど最終の仕上げ段階ぐらいの頃にあたりますね
そうですか 漢字音字って随分時間がかかっているんですよね 作り上げるのに
そうですね 天地天皇が催眠天皇の供養のために発願されまして 年月的にはかなりかかっていますけれども
早い段階である程度一定のお寺さんの機能としては完成していたんですけれども 全体が最終的に完成するのは梅花の縁の少し後ぐらいの時期になります
そうですか それからこの梅花の縁には ここには姿は一人いるか 女性の姿は一人おりますけれども
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何か二人いたという話もあるんですか
そうですね 万葉集の中には32人参加された方の歌しか残っていないんですけれども
その方たちは全員当地の国に勤める漢人ですね 男性ばかりなんですけれども
展示館の上欄の方では 旅人と大変親しい関係にあったうかれめの小島という女性の方が 上欄で再現されております
そうですか 小島さんは歌も残していらっしゃるんですよね
そうですね 大変才能ある女性だったようでして 万葉集には3つほど歌が残っているんですけれども
その中でも大人の旅人がこちらの梅花の縁を開催した後に 都の方に昇進してダイナゴンとして戻られることになるんですけれども
その際 太宰府の一番外 水城まで見送りに行きまして そこで大人の旅人と交わした歌というのが 万葉集にも記録されている女性ですね
有名な女性 小島 ここに一つ人形がありますが その人かどうかは分かりません
もう一人いらっしゃいましたよね 坂上のいらつめという人が
そうですね 大人の旅人が病気になったりしまして そのときにこちらの九州の方に来られたという記録があるんですけれども
もしかするとこの梅花の縁 万葉集の記録にはないんですけれども いらっしゃったのではないかなというふうにも言われていますね
大人の旅人の奥さんはこちらに赴任した後 すぐにお亡くなりになったと聞いていますが
そうですね 大人の旅人がダザイフに来た後に こちらの方で奥様が亡くなっておりまして
宴の方にも参加していますけれども その悲しみに対して山の上の奥良とかが 疑問の歌を送ったりしていますので
奥様とともにダザイフに来られて その都が遠く離れた地で奥様を亡くしてしまうということで
悲しみというのが大変大きかったと思いますね
この梅花の縁ですけれども これは中国にあった行事を真似たものだとも言われているんですか
そうですね この梅花の縁のそもそもの行事自体は 中国の方で古くから行われておりまして
この開催しました大友の旅人が 大変中国の古典に詳しい方でありまして
中国で行われていました行事を大変尊敬して 自分たちもそれに倣って日本で開催しようと
ただ中国そのままでは そのものをそのまま開催するのでは やはりもったいありませんので
日本風に合わせまして 中国では監視でやりとりするようなことを 日本の和歌で梅をテーマにして開催しようと
中国をモデルにして日本風に大友の旅人が アレンジして開催した宴というのが梅花の縁になると思います
梅というのは当時日本に渡ってきたばかりだったんですよね
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そうですね 梅の花は現在では身近な花でございますけれども 当時は中国から輸入の大変貴重な植物でして
太宰府は外交の窓口 交流の窓口でございましたので そういう中国から輸入された梅が太宰府ではあったという形なんですね
当時は縄羅門のほうでも再現しておりますけれども 白梅だけ 白い梅だけだったようなんですね
そうですか
その白梅を見て30人の方が梅をテーマに読んでいる中には 雪のように例えてですね
梅の花を白い雪に例えて読んでいる中などもありますので どうもこの時代の梅というのは白梅がメインだったようですね
そうですか
そして大友の旅人が催した梅花の縁ですけれども これはいつごろのことになるんですか
こちらが730年の 天平2年730年の正月13日に開催したというのが 万葉集の序文というところに記録されています
正月ですか
今で言うと2月に 急激ですからずれ込みますけれども 当時の記録としては正月の13日という記録が残ってまだちょっと肌寒い時期だったかもしれませんね
そこに序文というのが頭にあって その序文の中からこの令和というのが取られたんですね
宴では32の歌が読まれているんですが その前に挨拶文と言いましょうか
この宴に集まった思いとか開催への気持ちというのを読んで序文ということで記してあるんですが
その挨拶文 序文という中の二文字 初春の霊月 清浴 風柔らぎという一節から 霊と和の一字ずつを取りまして 今回の言語になったというふうになっております
その霊和のもとになりました 媒花の縁を表したジオラマがここにあります
このジオラマはもうずいぶん前からあったんですけれども 急に客が来ましたですね
そうですね 私もまさか今回の言語が 太宰府にゆかりのあるものになると思っていませんので
よくお客様からは言語になってから作られたんですかというふうに おっしゃっていただくんですけれども
もともと太宰府ゆかりの行事でございましたので ジオラマ自体は平成3年ですね
約30年前からですね 30年前からあるようなことがございました
そういうジオラマの奥の方にちょっと移動してみます
シーズン5 1回目は 太宰府市トフロー跡にあります 太宰府展示館からお送りしています
お話を 故太宰府保存協会学芸員の田中健一さんに伺っています
実はこの奥に非常に注目される遺跡が残っておりまして
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これは玉石敷の溝と書いてますが どういう遺跡なんですか
展示館の奥に 太宰府県政庁の発掘調査のときに見つかりました玉石敷の溝
要は溝にですね 大変幅のある溝に石を敷き詰めて 装飾といいますかきれいに整えた溝が見つかりまして
その溝を当時のまま見れるように 展示館の方で保存・展示されているわけなんですけども
この溝につきましては いろいろ見解があるんですけども
一つに水を流すためだけでしたら これほどまでに石で彩ったり飾ったりする必要はありませんので
やはり何か一定の役割があったんじゃないかな というふうに考えられているんですね
その溝の大きさですけれども ここに展示してある溝の大きさは横が10メーターぐらいですかね
縦が3メーターぐらいかな その中に石が不明石みたいに30センチ40センチぐらいの石が たくさんごろごろ置いてあると
これが溝の跡
そうですね こちらの水路の溝の流れる底面に石が敷き詰められておりまして そしてその溝の縁もきちっと石で石組みされているという
ちょっと普通の棚の溝とはちょっと違うような 役割の溝となっていますね
これが実は重要な溝だというのはわかってきましたね
何かこの辺にこの溝のつながりとして 屋敷があったんじゃないかというふうなことは推定されるんでしょう
はい 令和になりまして先ほどお話ししました 梅花の縁は大友の旅と長官の館で行われたということはわかっているんですけれども
その館がどこにあったかというので諸説あるんですが その一つの候補地としまして
太宰府展示館の東側に月山東地区という場所がございまして
このちょうど裏っかになりますよね 横手になりますかね
そうですね すぐ隣になりますけれども そこに大変大きな70メートルかけ110メートル以上の区画でできた 大変大きな屋敷が確認されていまして
その大変大きな大規模な屋敷の隣接するような場所に この溝があることから
どうもその大規模なお屋敷が実は長官大友旅との屋敷であって
そしてこの溝は現在でも太宰府展望宮さんのほうで曲水の縁などを行われておりますけれども
ああいう形で特別な行事また儀式などに使った溝ではないかということで 今注目を浴びている溝になりますね
曲水の縁に使った溝かというようなことですね というふうにも考えられています
これはすごい発見ですね 私もたびたびここには来ているんですけれども
あ、溝があるみたいな感じで見ていたんですけれども そんな重要な溝だとは思いもしませんでしたね
先ほどのジオラマのほうにも実は積み子のほうにこの溝が再現されているんですね
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そうなんですね
ぜひそれも見ていただければと思います
そうですか じゃあちょっと戻ってジオラマを見てみましょう
ああ本当だ ジオラマの一番端のほうに溝が作ってあって小石がたくさんあって
これが曲水の縁に使った溝じゃないかというふうにして作ったわけですね
そうですね 宴の際に庭園の中に流れるこういう水路 それがジオラマのほうで再現しまして
その元が今ご紹介しました釜石地域の溝だったらかもしれませんね ということで再現をされております
なるほど そういう見方をすると非常に興味がありますね このジオラマも溝もですね
ぜひそういうふうな目でここを見に来ていただきたいと思います
じゃあ月山のほうにお願いします
そしてこの裏側にあるんですね
そうですね これがもう今津川さんの後ろにあるこちらが月山ですね
これは月山
屋敷の跡はこの展示館の向こう側に柱の跡をコンクリートで再現をしています
そうですか
屋敷の跡が見えるように
そんな見えるんですかここから
ここがその見つかった屋敷の跡なので
ああそうなんですか 気がつかなかったな
こちらの盛り上がっている部分ですね
この大きい手前に並んでいるコンクリートの柱が
コンクリートの柱が何十本と打ってありますね
屋敷の外側を区画する
外側ですか
いわゆる対峙であったりあるいは柵が立ってたと
博誌調査で分かっている場所なんですね
この柵が70メートルかけ110メートルという大変大規模な区画を区切ってますので
大変当時は広い場所だったようですね
その奥に背の低い太いコンクリートの柱で再現されているのが
左側の方にあるんですね
あれが建物の柱の跡でございますね
これは実際に途中の道路を挟んで奥側まで行って
突き当たって曲がってますが大変広い柱になっています
ここが月山東で
そしてこの裏手の丘陵が月山となっている形でございます
そうですか
場所を説明しますと
土台府展示館から天満宮の方に向かって道路がずっと伸びてますけど
その道路沿いにあるんですね
気がつきませんでしたね
展示館のすぐ横になります
そこの横にですね
セメントの丸い杭が何十本とずっと打ってありますけど
その杭とそれからもう一つ低い杭が奥の方に何本か打ってあります
この低い杭の方が建物の跡ですが
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こんな区画にお屋敷があったんですね
これはお偉い方祖父の屋敷跡ということが言えるんですか
そうですね
この月山東区のこの見つかった建物の跡なんですけども
やはり成長のすぐもお隣にありまして
広さもですね大変広いことから
月山の役所という考え方もありますし
今お話している大友の旅と長官がですね
やはり近いところに住んでいらっしゃって
その屋敷の跡ではないかというふうにも
今考えられているところなんですね
そうですか
ひょっとしたらという感じがしますね
もしかするとこちらで長官がゆっくりと自宅として
住まれていたかもしれないですね
皆さんぜひ展示館に来ましたら
その横にですね
こういう杭が打ってあるところがありますので
ぜひ見てほしいですね
ぜひご覧になっていただきたいと思います
こう来て帰るだけだったんですよね
そうなんですね
今たくさんのお客様が来ていただいてますけど
どうしてもやっぱり八幡湯様にお参りさせていただいて
本当にあのジョーラムもですね
ちょっとパッと見て帰れる方が多いんですけども
ぜひジョーラムをじっくり見ていただいて
もうすぐお隣のですね
ああいう建物を見ていただきますと
ぜひ見てほしいですね
はいより八幡湯というか
令和湯会運賞をですね
楽しんでいただけると
それから今太宰府館の展示館から出てきました
展示館のちょうど裏側に
右の方に小さな丘があるんですけども
その丘が月山ということでしょうか
展示館のちょっと北側ですね
太宰府聖地の東側に位置する
こちらが月山と呼ばれる丘陵地帯になっております
この月山なんですけども
まだ発掘調査等はですね
詳しく出てないんですけども
明治時代の記録なんかによりますと
実は丘の上の方に
祖跡があったというような記録もありまして
地元の方では伝承としましてですね
牢獄 現在の水時計なんですけども
その時間を測る役所がこの月山にあったのではないか
という風に言われている場所になっております
牢獄がこの辺にあったか
ここに設置されていたと伝えられている場所になります
太宰府天満宮に行きましたら
今でも朝7時
今の季節は7時ですね
朝7時に太鼓がドンという風に打たれますけども
あれが時間を告げるものですよね
そうですね
今でも神社さんなんかでは鐘で
そして太鼓などで時間を知らせてますけども
古代におきましても牢獄に24時間体制で水を補給しながら
時間を測りまして
そして時間ごとに鐘や太鼓で
ここから知らせていた
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太宰府で働く人々
太宰府に住む人々は
ここの知らせる音で時間を知っていたのではないかな
という風に考えられています
その牢獄がここにあったという月山です
その月山が北へ向かっていきますと
徒浦の碑というのが
石碑が3つ並んでいるところがありますが
そこまでちょっと歩いていきます
牢獄というのが出てきました
これは天治天皇が中国の牢獄を真似て作ったと言われる水時計です
日本書紀には牢獄を神天問題に据え
鐘や太鼓で時を報じたと記されているそうです
2段から4段の木箱を置いて
一番上部の木箱に水を満たし
管によって順々に水を下段の箱に送り込み
最後の水槽に目盛り付きの浮き子があった
その浮き沈みで時刻を測ったと言われるものです
古代の福岡を歩くシーズン5の1回目は
太宰府市の徒浦にある太宰府展示館から歩きました
次回は徒浦から倉塚さ、倉之塚さ
そして坂本八幡神社へ歩きます
お話を古都太宰府保存協会の学芸員
田中健一さんに伺いました
ここで古代の福岡を歩くリポート
中島理恵さんです
おはようございます
この太宰府展示館からほんの3、4分歩いたらいいよというところで
この売下の縁の古代食
こんなものを食べたんじゃないのっていうのを
食べさせてくれる場所があるんですよ
しかもお抹茶とお菓子付きで
いいですね
コーディネートしてらっしゃる
太宰府創生協議会代表の木村隆さんにお話を伺ってきました
出された古代食のお弁当
4分の1ぐらいが赤米の入った梅型に傾きしたご飯なんです
そして半分ぐらいが野菜や大豆を煮たものなんですね
そしてこれ、当時のとにも厳格に再現してるんで
当時調味料ないでしょ、味の素ないでしょ
鰹節ないでしょ
だからこの材料から全部足しとって作るんですよ
その通り作ってるんです
それでこれは売下の縁のときに
この食事やったっていうのを学芸員が全部抽出して
材料これやった、これやったって全部抽出して
それを全部食材として
調味料一切使わなくて作る食事やけですね
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薄味かなと思ったんですけど
思いますよ
意外に野菜そのものから出汁を取ってるせいか
しっかり味はありました
食べてみたいですね
足りなかったら非塩っていって
味は塩と醤油の間ぐらいのしょっぱさ
見た目がお味噌みたいなビジュアルなんですね
これを付けてくださいねっていうのが付けてあったり
もう足りない方はそれ付けて
あとびっくりしたのが
あゆを辛く塩湯でして
天日干しをしたという魚が付いてたりとかですね
いろんなメニューがあるんだなと思いながら
一番私の心を奪ったのが
このお弁当の中4分の1ぐらいかな
いわゆるデザートエリアがあるんですが
そのてっぺんにクリーム色の梅の花型で抜かれた
祖古代のチーズがあったんです
素美味しい
今まで祖古代のチーズだと言って
いろいろ食べたけど
この素が一番美味しい
チーズとチーズケーキの間ぐらいの美味しさ
だから本当に作ってるもんね
美味しい
びっくりの味わいでした
その他にも芋粥っていって
甘面のお汁で炊いた
甘いお粥さんみたいになったお芋があったりとか
かりんとうの味がないみたいな
わらびもんのようなお菓子が付いてたりとか
非常に面白いんですね
これも実はもともと地元で
平成の3年かな
太宰府展示館の10周年記念で作られた
メニューとしてあったんですが
静かにそのままになってたんで
ここで大復活を遂げたわけなんですよ
せっかく令和で
いろいろ皆さんお客さん来てるんで
もてなしになるものはないかなって
探してたらあるじゃないかと
当時は10人ぐらいからじゃないと
食べられなかったものを
お二人から予約できますよっていう風に
太宰府創生協議会で作り始めたんですよね
その他にも人力車と組み合わせたり
それからお年寄りが梅の花の水引き飾りを作って
アクセサリーにしたりとか
それから令和記念の御朱印帳なんてのも
開発したりして
とにかく太宰府をより楽しんで欲しい
皆さんの愛情いっぱいで展開してらっしゃるんですけれども
こんな風に思ってらっしゃるんですね
太宰府は菅原道真が来られる前にも
大友忠人は太宰府の役人として赴任してあったんで
大友忠人さんの方がもっと古いんですね歴史は
それでもうこの太宰府一極集中で
ここの水木、穀物あたりが全部直されされてるんで
ここを厳禁しないと観光都市にならないけですね
太宰府をオール観光にしようということで
水木の堤防までをしようということが発想で
その夢が今少しずつやってますんで
水木から太宰府天満宮まで歴史の散歩道っていう道が
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ずっと田舎道がいい感じでつながってるんですよ
ここをいっぱい盛り上げて
よく太宰府に来てくれたねっていう
歓迎の気持ちを形にしていきたいといろんなプランを練っていて
所々にカフェやそれからお休み所を作ってみたり
今人力車を動かしてますけど
これから先ツクツクとかを用いて
もっとスピーディーに長い距離行けるように
いろんなことを考えてらっしゃるようです
食事の申し込みは
太宰府創生協議会092921-7221までどうぞ
中島理恵さんでした
番組からのお知らせです
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この番組は三山市の企画協賛
道の駅村方
餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました
ご案内は酒田修大でした
数学教師芸人の高田先生だ
いよーん
高田先生の算数ワクワクラジオ
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