1. 古代の福岡を歩く
  2. S4 23回目も太宰府の水城を..
2019-03-09 30:29

S4 23回目も太宰府の水城を歩きます。

水城の東門から土塁に沿って歩いていきますと御笠川にぶつかり、土塁が切れているところがあります。

ここはどうなっていたのか、はっきりしたことは未だ分からないそうですが、川から出てきたものに塼(せん)という長方形の瓦が出てきたり、鬼瓦が出てきたりしています。

それに、近くに古門畑という地名があるところから水門があったのではないかともいわれているそうです。

そして、ここから500メートル程下流に老松神社があります。

ここには平安時代には水城の渡しという船着き場があったということでした。

恐らく道真公もここから船を下り、東門へ歩いていったのであろうということでした。

御笠川で分断されたところから西門までは川を渡らなけれがいけません。

かなりの回り道を歩きます。

西門からはかつて10メートル近くの幅の道が鴻臚館へまっすぐ延びていたということでした。
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古代の福岡を歩くシーズン4
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
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こんばんは、坂田秀大です。
先週は太宰府の水木を歩きましたが、今週もその続きです。
先週は東門から外堀に沿って歩きました。
歩いていきますと、途中土類を分断する形で三笠川にぶつかります。
今週はここから歩きます。
お話を太宰府市教育委員会文化財課の井上信政さんに伺いながら歩きます。
三笠川に来ました。
高速道路の下をくぐって三笠川に来ました。
三笠川は土類を区切っているように感じるのですが、ここは土類はあったのですか?
実際、記録や発掘調査も含めて三笠川のところがどうなったかはっきり分かる記録はないのですが、
以前の発掘調査で三笠川のところだけは、人の頭と言わずもっと大きな石が大量に土類に沿って並んでいるのが確認されています。
03:15
これが何かというのが昔から議論になっているのですが、
ある説だと水を貯めたということもあって、川をせき止めて、
太宰府の上流側に少し包みがあるようなイメージを取って、そのための石だと。
要は粗い石と言うのですが、石を作って内側に水を貯めたんだろうという説が一つあるのですが、
そうなると平安時代になっていくと、ここを船が通っていたような歌があるのですが、
せき止められていると船は通えませんので、ここがどういうふうになっているかというのが謎になっています。
よく分からないですね。
可能性として、先ほど世界の城壁とか土類との関係で水気を考えるということを考えれば、
私は可能性としてはここに水門があったのではないかと。
それはいくつか促すというか、推測される材料があるのですが、
一つは近くの地名が古い門の畑と書いてある、古い門ですね。
古い門の畑。
そういったものがあったのではないかという。
門があった可能性は。
あともう一つが、先ほどの東門なり、門の近くでは河原とかがたくさん出るのですが、
その他のところでは水気は基本的には河原はあまり出てこないのですが、
その川の周りだけは河原がたくさん採集されているのです。
船というだいたい20センチか10センチくらいの長方形のレンガが昔使われているのですが、
それが川の横に敷き並んでいたということを、昔そうだったということを昭和50年代くらいの老人の方に聞き取ったときに、
そういった話も出てきたということもあって、
何らかの施設がこの川沿いにはあったんだろうということは想像しています。
なんか鬼瓦も出たという話もあるのですか。
そうですね。この近くですね。
土手の横から河川の春節といって川ざらいをしたときに、
河原が出てきていまして、太宰府西庁で見つかった河原と同じタイプのものが見つかっているんですね。
そういうことからここに水門があったんじゃないかという。
そういう建物があって、川も船が通れるような施設になっていたという可能性は十分あると思いますね。
06:07
なんかこの辺に菅原道真さんがやってくるときに、三笠川をずっと登ってやってきたということなんでしょうか。
そうですね。いろんな説は確かにあるんですけど、
ちょうどこの水木から下って500メートルくらい行ったところに向こうに見えますけれども、
追松神社というのが。
あれは追松神社でしょうか。
あそこに水木の渡しというのがあったということなんですけど、
そこから川から階段を登って追松神社に上がれるようになっているんですけど、
そこが博多から三笠川を登ってきた菅原道真公が、ここで追松神社のところに上陸されて、
それから東門の方に向かって財布施設の方に向かって進まれたというような言い伝えがあります。
ここからはるか500メートルくらい先ですね。
この川の向こうじゃなくて、川のこちら側ですね。
こちら側に神社があります。それが追松神社といいまして、
この辺に今、船の発着施設があったんでしょうね。
川ってやっぱりとても大事で、陸路よりも輸送の観点からいくと、
やっぱり川というのは各地で利用はされています。
都でも利用されていますので、当然太宰府の街でも利用しているんじゃないかということは考えられるので、
三笠川の役割を解明する上では、この水木の調査ってとても大事になるんじゃないかというふうには思います。
そうですよね。この調査も極めて重要ですね。
どういう施設があったかということですね。
川で壊されているものも多いと思いますけれども、何か見つかることは期待したいと思います。
そういった三笠川ですけれども、この三笠川の高さを見て、ちょっと疑問に思うところがあるんですが、
三笠川は土手からかなり低いところを流れていますよね。
この三笠川から水は取ったんですか?
水気に入れる水ですね。
水を貯めるということですね。
今考えられる限りでは、今おっしゃったみたいに、ちょうど水気の中でも一番低いところが三笠川になっているんですね。
ですのでおそらく、ここから川をせき止めて土塁まで水を上げようとすると、かなり大きな設備が必要になります。
09:01
それはやっぱり今のところ証拠がないというか、難しいというふうに考えているところがありまして、
またちょうど丘陵の際のところには、今でも東側にも西側にも包みがあるんですね。
包みがあるんですね。
今田んぼに水を供給する水源になっているところがあるんですけど、やはり山からの水というのはそれなりの量があったのではないかと考えると、
山からの水などを上手に利用して、一部は川の上流の方で取水するようなこともあったかもしれませんけれども、
直接水池の横から取水するではなくて、他のところから来た水を、先ほどお話しした木肥などを使って、
溜めた水を最終的にはこの川に排水しているのかなと考えるのがいいのではないかというふうに思います。
三笠川の方に排水している。
そうですね。
取るのはどこか、せき止めて。
そうですね。
その水か、あるいは三笠川の支流の水を溜めて。
山の方に降った雨を蓄えるところがあって、それが今、包みとして利用されている可能性もありますので、
そういった観点で推理のことは考えた方がいいかもしれません。
そういったところです。
この三笠川、幅が20メートルぐらいあります。
かなり広い幅の川ですね。
今、緩やかに流れているところです。
三笠川を渡ってしばらく歩きますと、どろいがスパッと切れているところへ出ました。
水木駅の近くをちょっと歩いてきましたら、特別施設水木跡という看板が立っておりまして、
ここがちょうど西門のところにあたるわけですね。
そうですね。水木の二つある門の一つ、西門にあたります。
この西門をずっと博多の方に伸ばしていきますと、航路館に繋がっていきますね。
そうですね。外国のお客さんたちがやってきたときに、船止めをしたところにある航路館という芸品館が、
この水木の西門から真っ直ぐ、北西に伸びる道があったんですけれども、
真っ直ぐ進むとそこに至るということになります。
その当時の、今現在の道幅というのが4メーターぐらいですよね。
もうだいたいこのぐらいの道幅だったんですか?
当時の道は、だいたい航路館と結ぶ道は10メーターぐらいの幅があったという。
かなりあるんですね。
そうですね。ちょうどこの西門から北西を見たところに、
12:02
今現在ブロックベイが並んでいるのが見えるんですけれども、
それに沿って、この東側に空間がありますが、
だいたいこの辺りが道が通っていたというふうに、発掘調査で確認はされています。
そうですか。ちょうど畑の中にブロックベイが30センチぐらいの高さのブロックベイですね。
これが50メーターか100メーターぐらいの長さで、北西に続いていると。
これに沿ってだいたい道路があったという。
そうですね。これに向かって、もとづいて発掘調査を行うと、
やっぱりこれに沿ったですね、速攻ですね、道路速攻が見つかっているということです。
この道まっすぐ行けば、航路間につながっていくということですね。
この方向に航路間があるというのがわかるかと思います。
そしてこの西門ですけれども、何回か建て直されたということを聞いているんですけれども、どうなんでしょうか。
ここも発掘調査で今のところ3回ほど建て替えがあったのではないかというふうに言われています。
一番古いのは7世紀の、おそらく中頃、水木が作られた頃の掘立柱という柱の位置に土を掘って、そこに柱を建てるというようなものがあってですね、
非常に大きな柱を使われていた柱の一部もですね、残っておりました。
その次にですね、おそらく8世紀の初め、太宰府政調などができた時期だと思うんですけれども、
その頃にどうも組織になったんだろうというような痕跡が見つかっています。
最終的に3期目があるのがですね、だいたい9世紀の後半、平安時代に入ってすぐぐらいなんですけど、
白木などの外国施設が来なくなった時期にですね、少し門の幅を狭めたような感じで、ここに門が作られたんじゃないかというふうな痕跡が見つかってまして、
この3時期がですね、白鳥祖で確認されているようです。
やっぱりあれですか、向こうから来る人の様子を見ながら作り変えたということなんですか?
そうですね、そういう可能性はありまして、実際この航路間に続く道もですね、だいたい9世紀の中頃になると、
実際の元々の機能を廃されているんじゃないかと、道としては使われている可能性はあるんですけれども、
そういった外国のお客さんがですね、この西門を通って太宰府の方に行ったというふうに考えられるんですけれども、
どうもそういうルートを取らずに、そういうルートを取る正式な道としての機能がですね、ここは失われているんじゃないかと。
15:11
それはなぜわかるかというと、実はこの延長状の、ここからですね、二日市温泉の方に向かう道がずっと南東の方に伸びていくんですけれども、
その道の上にお墓ができるんですね。本当でしたら管理されている道のはずなんですけれども、墓ができて、道の上に墓ができるんです。
その頃になると、おそらくこの西門の機能というのも縮小されていたりとか、東門の方がより重要になっていったりとかいうようなことが考えられるんではないかと思います。
そうですか。お客さんがどういった方が見えるかによっても道は変遷していくということですかね。
それがこの西門で、この西門の門はちょうどこの間になるんですか?
そうですね。今道が通っていまして、切り通しという形になっていますが、ちょうどこの位置に門があって、この前後に道があったということになります。
10メーターくらいの道があったということは、門もかなりの頑丈な門を作らないといけないということですよね。
そうですね。二期、三期の門についてはまだちょっとわからないところが多いんですけれども、
一期の最初の門が実は土類を保護する石垣と門柱が一体化して見つかっている状況がありまして、
ちょうど大きな柱が使われているんですけど、丸い柱材が使われているんですけど、柱材に沿ってすぐ横の石垣を巻き込むように石垣が巻き込まれて、柱を据えるように石垣が築かれているようなところもありました。
そういったところを考えると、この位置がしっかりわかっていて、門が築かれているんだということもわかるかと思います。
最初はやっぱり敵が攻めてくるというのがありますからね。
そうですね。
そういう意識で作ったということですね。
やはり門のところが一番弱いので、攻撃するにはそういった良い場所にはなりますし、守る方も門を守るということがとても大事になってきますので、石垣と門と一体化させるような工夫があっているんじゃないかと考えられると思います。
それで敵は結局は攻めてこなかったんですけども、逆にその後お客さんがこちらにやってくるということで、接待用の今度は門になるわけですね。
18:01
そうですね。西門というよりも東門の方でですね、都から来る漢人たちを迎えたという儀式が行われているということがわかっているんですけど、
西門もおそらく外国のお客さんたちがやってきたときにはですね、ここでまず儀式が行われて、門の中にそれから入っていくということが多分ここで行われていると思います。
そういった、ここは水木跡の特別施設の水木跡というふうに書いてある看板がありますけど、その横に切り通しがあって、ここに門があったんじゃないかということで、これが西門。
そしてその道路がですね、コウロ川へまっすぐつなぐ道路があったんじゃないかということでした。
水木は1.2キロも土類が続きますが、これとは別に小さい水木、小水木というものもあるんです。
そのうちの一つが近くにありました。神折小水木と言います。
ここは現在は小水木夢明かり広場と言って、きれいに整備してあります。
神折にあります小水木跡というのに来ました。
ここにちゃんと説明板が作ってあります。
小水木は水木跡から西800メートルというふうに書いてますね。
小さな谷を塞ぐ小巨無な土類です。
この辺が谷になっているわけですね。
そうですね。ちょうど平田川という川だと思うんですけど、三笠川に注ぐ支流なんですが、谷筋を塞ぐように土類が築かれています。
こちらが土類ですけれども。
目の前に土類が広がっておりまして、7、80メートルの高さ2メートルぐらいですか。
そうですね。
小さな土類がずっと続いてまして、その土類のすぐ横の方に水が流れています。
溝がありますね。この辺が低いところということでしょうかね。
そうですね。先ほどの水木本邸と同じように真ん中に三笠川が流れていましたけれども、そこと同じように後ろの丘陵地帯から流れてくる川があるんですけど、ここを塞ぐような形で土類があったということになると思います。
上小里小水木、小水木が見学したいということであれば、ここは非常に車でもすぐ来れるというところですね。
21:05
そうですね。最近整備をされていますので、土類は以前と比べてずいぶん削れて小さくはなっていますけれども、こういう場所を使ったなということは感じられるんじゃないかと思います。
井上さんの石書みたいな感じで、谷間を防ぐような形ですね。敵が侵入してくるのを防ぐといったような役目を持っていたんですよね。
そうですね。やはりすべての脱水兵の入るところについてはきちんと防いで、石とかいう形で管理をしていたんじゃないかということは考えられると思います。
この後ろの方に水木の土類がつながっているということで、谷間みたいになっていたんでしょうね。
そうですね。周りもビルがたくさん建っていて、やはり溶壁が高いところから谷間になっているというのはわかるんじゃないかと思うんですね。
それを防ぐ意味の小水木、上小里小水木に来てみました。
今週は太宰府の水木を歩きました。ご案内は太宰府市教育委員会文化財課の井上信政さんでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島理恵さんです。
こんばんは。今日は道の駅室方でイチゴ祭りが行われるぞ、来週からだぞというので行ってみました。
営業部聖火担当の吉田直江さんにご案内いただいたんですが、入り口入るとすぐにイチゴのドーンと売り場があっていい香りがしているんですよ。
こっちの入り口からはもうイチゴの香りでお出迎えする状態にしています。楽しめますよね。
テンション上がります。甘い香りに包まれますね。
3月16日から始まって4月の末までイチゴ祭りが行われるんですが、一体どんな祭りかと言いますと。
おいしいイチゴがいっぱいあるから来てくださいというお祭り。来てくださいという、食べに来てという感じですね。
いいですね。気持ちが伝わりますでしょう。
細かく言いますと、イチゴを使った加工品にイチゴちゃんシールが付いているんですよ。
これを集めると道の駅の方のお買い物券と交換してもらえる。
加工品、吉田さんも大好きだと言っているイチゴ大福だとかですね。
24:04
あとシフォンケーキやパンなどもあるそうなんです。
さらに国道495号線沿いを中心に24の施設でイチゴメニューが提供されるんです。
それを食べた場合もイチゴちゃんシールと同じようにスタンプがもらえる。
これを集めるわけなんですよ。
これを集めてお買い物券と交換するときに、その台紙がそのままダブルチャンスの応募用紙になっていて、
抽選で道の駅村方おすすめ品セットが当たると祭ってますでしょう。
盛りだくさんですね。
でもね、祭りが始まる前にすでにすっごいイチゴ大会の雰囲気なんですよ。
天王はもちろんサチノカとかこういう代表的な品種だけじゃなくて、
ぱっと見もう5、6種類イチゴが並んでるんです。
そんな中で最近人気の白っぽいイチゴが出てました。
名前が桃が香るといってトークンなんですが、この種類について吉田さんは。
ほんのり女の子がほろ酔いみたいな感じのほっぺたみたいな色になってますけど、
可愛らしいですよね。
香りが本当に良くて桃のような香りといいますか、果肉の感じもちょっとフルーティーなものになりますね。
地元の出荷さんたちがいろんなものに挑戦される方もいらっしゃるので、
こういう変わった目柄も出てくるのも直売所の魅力なのかなと思います。
そのトークン、今手元にあります。
可愛らしいですね。棒付きキャンディーぐらいの小粒なんですけれども、色がちょっとオレンジかかった。
甘さは強くないですけど、香りが桃だこれ。
わかる気がする。
不思議ですよね。食べ比べるのが室方のイチゴの楽しみでもあるんですが、王道のイチゴももちろん揃ってます。
こんな風に自慢をしてくれました。
出品者さんが直接、農家さんが持ってこられる分って枝なりのついたまま色が付くのを待って、
食べ頃のものを出しているので、味が結構おいしい。かなりおいしいんですよ。
その吉田さんが選び抜いたアマオを今日は持ってまいりましたので、ぜひ。
スタジオがもうね、イチゴの香りに包まれます。
これはアマオって本当にツヤツヤの。
一口で坂田さんがいきましたが、これあと喋れないかも。
最高です。
この室方のイチゴおいしいんですが、その室方とイチゴの歴史についてさらに吉田さんに教わりました。
実はですね、室方ってイチゴのふるさとなんですよ。
というのがですね、福岡系の中でもイチゴの栽培に関しては早い時期に着手をしたエリアなので、
27:08
それがもう遡っていったら昭和の30年ぐらいから始めて、本格的に作っているのは50年代に入ってからなんですけど、
以前、当時みかん農家さんだったりっていうのがイチゴに栽培を切り替えていって、
イチゴの栽培、生産を伸ばしていこうというので始めてますので。
そうなんです。道の駅室方のイチゴ祭り、来週3月16日スタートです。
赤島理恵さんでした。
番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くシーズン4のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は、福津市の企画協賛、福岡県商工会連合会、餃子のヤマハチ、道の駅室方の提供でお送りいたしました。
ご案内は、酒田秀大でした。
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