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古代の福岡を歩くシーズン10。 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン10。 この番組は餃子のヤマハチ
道の駅村方の提供でお送りいたします。
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こんばんは、坂田秀大です。 今週は四王寺山にある古代の山城大野城跡を歩きます。
大野城跡には敵からの防御のために尾根に沿って石垣や縄文が建後に築かれていました。 その石垣の中でも最大の規模を誇るのが百間石垣と言われる石垣です。
今週はその百間石垣から歩きます。 ご案内はこと太宰府保存協会の学芸員田中健一さんです。
一緒に歩くのはこの番組の津川ディレクターです。
しばらく歩いてきましたら
特別指摘 大野城
あと 百間石垣という看板が出てきました。
これが百間石垣ですね。
林道を歩いてきますとその目の前に広がる大きな石垣が出てきます。
これが古代大野城で最大の残っています遺構で北側の守りを固めていました百間石垣になります。
百間石垣ですから180メートルぐらいということでいいんですか?
そうですね。まさに江戸時代のご紹介しています旧石全図には長さ100件と書いてありまして
まさしく180メートルほどある大規模な石垣ということで
その長さから百間石垣というふうに名付けられたわけなんですけども
まさに圧倒されるような大変大きな規模ですね。
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この石垣の高さはここから50メートルぐらいの高さがあるんでしょうか?一番高いところで。
それが左手に緩やかに流れていって下へ落ちているというところで
石垣がずっと4,5メートルの石垣が下に土類みたいなのを積んでその上に石垣が積んであるというところですね。
この圧倒的な石垣なんですけども
九州歴史書館さんやまた地元の海町さんなどいろいろ調査が入っているんですけども
調べられますとこの石垣というのは実は下はかなり硬い岩盤になっているそうなんですよ
その上にきちっと裏側は半築工法を使いましてきっちりと固めまして
そこにいわゆる総石垣という石垣をずっと組み上げていったという
まさに1350年前の技術が素晴らしいものが見える場所になっています。
長さも180メートルです。この角度もだいたい75度あるそうなんですね。
だからかなり急斜面ですね。
これはかなり敵ももし攻めることになったら大変攻めあぐねるだろうなという場所になっておりますね。
これはちょっと攻められませんね。急すぎて。
やっぱりこういう非常にしっかりした構造っていうのは日本の技術だけではなくて
この古代山城の大野城なんですけども
もともと663年の白村江の戦いで
東白城の連合軍に日本九太良の連合軍が負けたことからですね
国土防衛のために築かれたとされてるんですけども
その2年後665年にこの大野城と
あとは築志の城と佐賀県の木山にまたがります。木城。
そして永戸の城ということで3つの城が設けられまして
この大野城はですね九太良から亡命しておりました交換であります
お倉井福留と四肥福部この2人のですね技術指導があったとされるわけなんですね。
だからまさにこの1350年前の海外の指導を受けながら作ったという
古代の土木技術のその結晶が実は見ることができると思うんですね。
目の前に見えるということですね。
まさにあの大野城を代表する意向ですので
ここはですねぜひ皆様訪れて見ていただきたいなと思っております。
実はですねこの素晴らしい場所
先ほどからちょくちょく33石仏
江戸時代の観音様をご紹介してますけど
実は百軒石垣を見ていただくと
真ん中にですね岩屋のようにちょっと覆っているところがあるんですが
実はあの下には22番札所がまつられてまして
百軒石垣の古代の技術の真下に実は
江戸時代の観音様が密かにまつられているという
江戸時代の方々もいい場所を選ぶなという
先ほどの相変わりの滝もそうですが
まさにですね素晴らしい場所
ちょうどあの真下にまつっていらっしゃるということですね。
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ちょうど石垣の中央部分に岩が少しはみ出た部分があるんですが
その岩の下に石仏がまつってあるということで
素晴らしいですね
もしお時間ありましたらですね
その石仏の間近までちょっとご覧になっていただければなと思います
そこまではそう大したわけじゃないですね
10メートルぐらいの崖を登ればそこへ到達できると思いますので
ぜひ見ていってほしいと思います
さて百軒石垣をご紹介しましたが
これまでもですね小石垣 北石垣という
石垣があったら縄文も必ずセットだったんですが
実はこの百軒石垣にも縄文があったんですね
それが今ちょうど石垣が終わりました
川がありましてちょうど林道が片側一車線ずつ走っておりますが
実はこの川が走り林道が通っているこの部分に
実は縄文があったとされているわけなんですね
そこにちょうど石垣が左側に下ってきた部分があるんですが
一番下は川になってますね
そのあたりに縄文があったと
そうなんですね
ちょうど大野城から海側に抜けていく道なので
一応弁儀場で海口縄文跡というふうに呼ばれております
なるほど
残念ながらご覧の通りやっぱり川なんかがですね
走ってますので縄文跡という明確な意向は出てないんですけれども
ただ実はですねここの門に使われていたと思われる
曽石が実は見つかっているんですよ
それも3つ見つかっているわけなんですね
実はまずですね昭和34年にですね
このそばを流れます川の中から2つ門の曽石が見つかっております
そしたらやっぱり貴重なものだということで
現在はですね海町にあります海調律歴史民族資料館
ちょうど海八幡宮様のお隣そばにあるんですけども
そちらの海町の資料館に展示されてますので
海町の資料館に足を伸ばしてぜひ見ていただきたいと
その見つかった2つは海町の方に
さらにですね今度昭和48年の水害があったんですが
いろんなご紹介した場所が被害を受けたんですが
その際に実はまた1個見つかりまして
そちらの3つ目の曽石は潮邪魔の中央にある県民の森センター
そこに駐車場のところに置いてありますので
ぜひそちらも見ていただきたいなと思っております
実はですねこの3つ見つかっているというのが非常に特徴的でして
実はその空いてある穴とかの形や大きさが違うんですね
ということでどうもその3つの曽石が違う時期に使われていたということで
南の西門で太宰府口城門は3つの時期に変遷してましたので
お話ししましたがどうやらこの海口城門も
その曽石の形を見るとどうも門が何回か変遷してるんじゃないかなというのが
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その見つかった3つの曽石から考えられているわけでして
こちらはですね北側の西門で大変立派なものがあったと思うんですけど
残念ながら意向などははっきり分かってないんですけども
そういった当時を忍ぶ曽石がありますので
ぜひ海町の資料館また県民の森センターに足を運んでいただければなと思います
そういった意向もいくつか見つかっているということで素晴らしいですね
そういうものからいろんなことがわかってきますからね
今後の調査とか研究に期待したいと思います
ここからさらに今度はぐるっとまた上の方にまた別の城門がありますので
そちらの方またそこを通過しまして最高峰の410メートルまで登らないといけないんですが
大きい山の方を目指していきたいと思います
またこれからさらに登るんですね
はい頑張りましょう
百犬石垣の近くにも海口城門と言われる城門があったということです
そして奴隷に沿って歩いていきますとまた城門がありました
特別史跡大野城跡黒金岩城門跡というところに出ました
そうなんですね先ほどご紹介した百犬石垣から石垣の方上の方に伝わりまして
道路線をずっと来ますと実は斜面にポンと解説板が置いてありますが
ちょっと見ただけではわかりませんが実はここがですね
黒金岩城門跡と呼ばれている場所になるわけなんですね
ただの原という感じがしますけどここにあったんですか
一応この解説板を置いてある先の斜面にですね実は城門の跡が見つかっておりまして
今まで様々な城門太宰副知城門とかをご紹介してきましたけども
大野城跡はですね現在9箇所城門の跡が今のところ見つかっているんですけども
その中で一番新しく見つかったのがこの黒金岩城門になるわけなんですね
今の9番目の城門になるわけなんですけれども
こっちは平成24年に確認されまして
実は現地調査で調査された時にですね
実は割れた組織が見つかったそうなんですね
どうやら門の組織らしいということで
どうも城門があるんじゃないかということで調査されたんですけども
調査しましたところやっぱりですね
門の両側に積んである石積みですね
ちょうど今も少し石の積んだ跡が残っていますけども
目の前がですね崖下になってまして
その崖が数段に分かれて
どころどころの平地があるというところですけども
それに岩がいくつか見えますね
ああいう形で実は門の両側にですね石積みが確認された
なるほど
出土したものもですね例えば土器なんかも出てきましたし
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7世紀後半の軒丸瓦なんかも出てきたということなので
まさにこの665年に築城されたというような
そういう時期にかかるような瓦も見つかったということで
まさにここにも城門があったということが
博物館調査などで確認された場所になります
だいたい城門の跡っていうのが出てくるんですね
そうですね
もしかするとこの大野城跡これから調査を進めていくと
実は各方面にまだ道がつながってたりするので
もしかすると9個じゃなくて
もうちょっとあるのかもしれないということも言われてます
これまた福岡県の今後の調査なんかが
大変楽しみなところなんですけども
今のところ9番目の最新の城門ということで
名前がこれまでですね
例えばそこにつながる地域の名前がありました
例えば太宰府口だったり原山津原口とかですね
あるいは海口城門っていう名前で
ここの城門は黒金岩というふうに
ちょっと珍しい名前なんです
これなぜかというと
実は何度もご紹介します
江戸時代の1806年に描かれたと言われてます
太宰府旧石全図の北図
この大野城が描かれた江戸時代の絵図なんですが
それにですね
実はその黒金岩っていう岩が描かれてまして
そうですか岩があった
その岩のそばに実はまた同じようにですね
門の石末ということで
組織がここにあるみたいなことが書いてあるんですね
江戸時代の人は実はすでに
ここにどうも城門の組織みたいなのがあるよ
ということを実は知ってたわけなんですね
なるほど
ここから下の方を見ますと
岩が右に左に突き出てる部分がありますね
そういえば
ちょうど傾斜も急になっていますので
まさに城門を築いて守ってたと思うんですが
その黒金岩なんか
例えば何で黒金岩かというと
どうも巨石があったらしいと
江戸時代の俗不読周囲にはですね
黒金岩ありという
鉄の岩と書いて黒金岩と読ませてる
鉄を黒金というふうに振って読ませるんですが
その黒金岩がという大きな岩があると
実はそれ大岩にですね
鉄を入れて割った跡があるんで
黒金岩と言うんだよ
というようなことも書いてあるんでですね
なのでもしかしたら山中を探すとですね
そういう割り掛けのですね
大きな巨石がもしかすると
出てくるのかもしれないなと
それがもしかすると
黒金岩なのかもしれないんですけれどもですね
鉄で岩を割った
その割り入れし跡があるみたいなことなので
そういう巨石がですね
あることからそういうふうな名前がついて
それが巡り巡って
門の名前になっているということなのでですね
そういった門の跡もぜひご覧になっていただければと
そうですか
そういう石を割った黒金の跡が
あったんじゃないかということですね
そういうふうに江戸時代の方は
伝えている場所ですね
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ここはですね
あの普通の原っぱかと思いましたが
右は少し小高い丘がありまして
そして左の方に急激に下る崖があります
その下の方に岩が右に左に
点々と突き出ている部分がありますので
確かに何かがあったんだなというのが分かりますね
見つけた人もよくここで見つけましたね
そうですね
このたくさんの山中から門の跡を見つけるというのは
なかなかすごい技術だと思うんですけどもですね
そういうことで一番新しく見つかりました
黒金岩縄の跡をご紹介いたしました
そしてしばらく歩きますと
林の中に清らかな水が流れているのが見えてきました
ちょっと薄暗い土塁を歩いてきますとですね
薄暗いですね
左手の土塁からちょうど沢が流れてきているんですね
小さい溝がありますね
あそこにですね
右に行ったら豚水だというふうに
ご案内が出ているんですが
ここが大野城の水門跡がありますので
ちょっと土塁からその矢印に従って
右の方にちょっと降りていきたいと思います
豚田塀の豚という字ですね
豚水と書いてあります
右へ行くと豚水の方ですか
左側この歩道のその横に沢の跡がありますね
清水が流れていっています
ここから下地方メーターのところを
水が流れていっています
ここが豚水
そうなんですね
ちょうどですね
言うほどの沢が流れておりますけども
実はこれ沢は現在流れているんですが
実はですねその下暗巨となってまして
上下二段のですね
上の段下の段の水門が出てるわけなんですね
そうですね水門になってますね
これは昭和に入ってからの調査で見つかったんですけど
まさにあの大野城と同じ時期の作られた
南の慶城なんかはですね
大変大きな水門がですね
ドーンとあるんですけども
大野城跡もあるんじゃないかということで
確認調査されたら
実はここに豚水と呼ばれる
そうですか
現在ちょっと周りがですね
植物に覆われてちょっと見えづらくなってますけども
大体ですね幅が8メートルぐらい
そんなにあるんですか
ございまして
大体大きさも人の頭ぐらいの大きさの石がですね
きちっと使われて
石組みの水門が作られているわけなんですね
上の段下の段二つ水門がありまして
大体ですね幅が50センチぐらい
高さが40センチぐらいの口が開いてまして
そこから水が流れて出るということで
今日もやはり確かにですね
水門とって水が流れて出るというところがありまして
非常にですね大きな底なんかには石材も使われてまして
実は大変やっぱり強固に作ってあるそうなんですね
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ちゃんと水が流れる実はもう内部は全然ね
外から見えませんけど
調査の方で調べましたら
ちゃんとやはり外側
いわゆるどるいの外側ですね
いわゆる大野城市の方に向かって水が流れていますけども
その外側に向かってちゃんと中も階段状になって
流れやすくなっているそうなんですね
ちょうどコウホー石というのがありますよね
あれに似た構造ですよね
そうですね
そういうものでもしかしたら共通するような技術がですね
ありますね
石垣を積んでそこから水を出すというね
なので塩浜大変豊富な水を
こういうですね
豊水と呼ばれる水門で排水するというのもありまして
この塩浜らしいですね
その水が豊富な特徴をうまく
1350年前の大野城はうまくこうやって排水などをしていたという
その昔のかつての水門の意向が見えますんで
ちょっと言うほどか少しですね
どうでしょうか
50メートル100メートルぐらいちょっと読み聞いていただくと
当時の水門が見れるので
ぜひこちらの方もご覧になっていただきたいと思います
豊水という遺跡です
さあここから急になる部分
ここから急になるんですか
ここから急になる
ここから大喜山山頂の最高峰まで行きますので
ここから道が険しくなりますので
ああそうですか
お気をつけていただいて
じゃあ心して歩きましょう
豊水を見た後
いよいよ塩寺山の一番高い場所
大喜山へ登っていきました
そして大変な急勾配の道を登って
やっとのことで
頂上まであと30メートルの地点に到達しました
田原さん大喜山の山頂に着きましたか
もう豊水から険しいですね
山道を登ってきたようやくですね
山頂に着きまして
ひらげらとこに出ますと右手側にですね
410メートルの大喜山の山頂がありまして
左手側には武者門様様があるということです
せっかく須賀さんここまで来たので
最高峰をまず踏破して
ぜひその山頂のところを行ってみたいと思います
わずか30メートルくらいの先ですね
もう山頂が見えております
じゃあせっかくここまで来ましたから
最高峰を踏破していただいて
ここまで来るまでに
大変険しい山道が続きまして
録音機を持って歩けないということで
背中に背負いまして
そしてここまで歩いてきました
大喜山410メートルということですけども
その名前と裏原
本当に険しい山道でした
ここまで相当時間がかかりました
山頂410メートルと書いて立て感がありますね
そうですね
ちょうど美車門堂様の西側に位置しております
21:00
もう本当に美車門堂とのギアが
200メートルないぐらいでしょうか
小高い丘の上に石積みがありまして
本当に石積みがありますよね
てっぺんまで来ていただくと
大喜山410メートルということで書いてありまして
まさにですね
今回ご紹介したしお寺山の最高峰が
ここにあたるということでして
今回山の名前になりました
しお寺という寺が建てられた
それはまさに高く清らかな
清浄なる場所を選んだということなんですが
まさにですね
近くには別の展望台なんかもあるんですけども
おそらく木がいないけど
本当に限界なら
山頂まで綺麗に見渡せる
まさに大変眺めの良い場所であったことが
想像される場所でしたよ
木がねこの山の上も覆ってます
残念ながら情報が聞かないという感じがしますけど
残念ながら現在の情報は聞かないんですけど
そういう風な選ばれた地だなということを
推察させる場所でございます
大喜山山頂に着きましたが
しお寺山の見どころはこの先まだまだあります
ご案内は
古都太宰府保存協会の学芸員
田中健一さんでした
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島理恵さんです
こんばんは
しお寺山のほとんどが海町にあるわけなんですが
その海町に
ヤギのミルクのアイスクリームがあるんですよ
これは珍しい
ヤギですか
その名も海アイス
これね食べたら
あのカップアイスいただいたんですけど
すっごい軽い食感なのに
なんか食感として
そのジェラートとシャーベットの間ぐらいの感じなんですよ
そのぐらいの軽さなんですが
ミルクのクリーミーさが口いっぱいに広がって
濃厚アイスクリームの食後など
ポワンとした口の中になるんですよ
私もヤギってあまりなじみがないんですけど
ヤギの独特の匂いとかないんですか
ない
まっさらさらです
すごかった
しかもそのヤギのお父って
お腹がゴロゴロする
牛乳のアレルギーの原因になるのがないので
小さい赤ちゃん
例えば腸の発達してない赤ちゃんから
腸の弱ってるお年寄りの方まで
みんなが飲める
食べられるっていう成分なんですって
この海アイスなんですが
作ってる小屋津ファームの小林孝明さんの
海町への愛から生まれてるんですね
もう名前を聞いてわかりますよね
海を愛する海アイス
なるほど
さらに産む
赤ちゃん子供を産むの産む
と愛するの海アイスってのもあるんですよ
しかもこの海アイス売ってる場所が
海ハチマングの境内にあります茶店
海ハチの中なんです
ところがですね
年間8000個以上は作れないんですっておっしゃる
なぜかというと
24:00
ヤギの赤ちゃんって春に一斉に生まれる
で生まれてから育てる秋までの間にしか
落ち血が出ないから
一定数その年間通じて
ずっと落ち血があるわけじゃないと
これをね逆手に取りました
海ハチマングでも一番縁起のいい日とされる
大安と犬の日に作ったアイスだけを
販売するんですよ
一番縁起のいい日に作ることで
やっぱり願いを込めるって言うとこと
こう海ハチマングさんとか
お母さんお父さんもですね
無事に生まれてきますように
っていうところずっと大事に
強く願ってきたからこそ根付いた歴史なので
その分はあの絶対に外さないように
していきたいなというところで
そうなんです親心って言うんですかね
海ハチマングに集まってるその思い
もともとね本業はね
ガソリンスタンド屋さんなんです
お客さんたちの会話の中から
海ハチの魅力をずっと煮詰めたら
こんな風に考えたそうで
さらにこんなことも考えながら作ってます
本当に食べ物のない時代に
お母さんも栄養失調だと
やっぱミルクって出ない時期っていうのが
やっぱあるんですけど
そういう時に赤ちゃんでも飲めるヤギのミルクが
お母さんのおっぱい代わりになった
っていう歴史があって
そのヤギのミルクにかけられた願いも
海ハチがずっとですね
願い続けて無事に生まれきますように
って願った気持ちも
どっちも同じ親心だなと思って
これが掛け合わさることが
何よりこれからの海ハチにとって
一番アイデンティティを残すには
これからも願い続ける歴史を
残していくためには必要なんじゃないかなと思って
ヤギを飼うところからスタートして作ってる
このアイスクリーム作りたくて
ヤギ買い始めたんです
すごい愛がいっぱいで
海まちのなんて言うんでしょうね
いいところ魅力みたいなののベースを感じさせてくれる
頬張るたびに海アイスで感じられるかと思うんですが
今回のこの潮氏本編でも歩きましたけど
この潮氏の周りについて
その海ハチマングもあるし
太宰府天満宮もあるし
ホーマン山の方になりますが
かまど神社もあるし
この潮氏山の周りにある
こういう場所について意見をおっしゃってました
太宰府は学問の神様
また就職試験とかですね
いろいろな合格の神様で
かまど神社は縁結びで
そこからの出会いがあって結婚があって
その後また誕生というかですね
子供が生まれるっていうところのサイクルが
この潮氏っていうこの山城の周りに
それだけ歴史的な福岡の歴史の深い部分がですね
人生の人のサイクルというか
人の本当に天気になる部分の
願いが集合してる地っていうのは
すごく大きいんだなと思うんですよ
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この発想なんかすごい
潮氏山歩いた後に
この海アイス食べながら感じてほしいと思いまして
カップはですね通年販売されてるんで
海ハチマングの境内にある
海ハチでね春から秋はソフトクリームが出るんです
でこのソフトクリームもちろん
海ハチでも食べられるんですが
キッチンカーも登場するそうで
どこに出るかっていうのは
インスタグラムを是非
海アイスで検索して
探してほしいということでしたけど
3月の26日から31日まで
福岡市の天神岩田屋で
博多馬子文市があるんですが
こちらにも出るということで
そうですぜひぜひ味わってみてください
海アイス超おいしいです
中島リアさんでした
番組ホームページのご案内です
これまでの放送内容と
番組を1回目からじっくり楽しむことができます
RKBラジオのホームページの
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またラジコ
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この番組は道の駅室方
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周大でした
地下鉄祇園駅から徒歩2分
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