00:08
古代の福岡を歩くシーズン6遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン6 この番組は
宮城の企画協賛 道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたします 道の駅村方のオンラインショップが2月1日にリニューアル
リニューアルを記念して2月1日から2月28日まで 全商品1割引きセールを開催
詳しくは道の駅村方オンラインで検索 こんばんは酒田秀大です
今週は神宮皇后の謎を解くの著者 河村哲夫さんに神宮皇后の足跡を伺っていきます
前回河村さんには秋月付近にいた 八代熊橋討伐の話と大和の田村津姫討伐の話から
糸島半島に抜けるところまで伺いました 今夜はその続きですが
神宮皇后一行は嘉祐宮への帰り道 中川付近を通りここに作田のうなでという水路を作ります
この話から伺っていきます
中川氏は水路をずっと引いてきたところが 大きな岩にぶつかってそこを掘れなくなったんですね
それで困ってしまっていろんな方法を使って そこをやっと掘削したらしいんですけどね
それを作田のうなでと言います
水路のことですね
そして大きな岩がふさがっていた場所は 作田神社というのがございます
ありますね
迂回しているんです大理石と言いますか 確保岩の周りをですね
ですから大きな確保岩を掘ってと言いますか 削って水路を作った跡があるわけですね
03:04
ですから日本初期の記事とですね 遺跡と言いますか
原物が一致するという意味では非常に中核的な 非常に希少な遺跡なんですねというふうに考えています
ここにですね こういう水路を開いたという狙いと言いますか これはどういうことで
ご承知のとおり神国が出兵しましたときですね 朝鮮に行きましたときに
墨吉の神がですね いろんなお手助けをいただいたというふうな エピソードがいっぱい書いてあるわけですね
そして中川市の上流 その近くにはですね 荒人神社というのがあるんですね
これがもとよす墨吉神社とも言われています
墨吉神社のここから発祥したという
博多区の方にも 下の方にもですね 博多駅の近くにも墨吉神社がございますが
おそらくあれが下宮 そして上宮がこの荒人神社だろうと思いますね
そこの神に捧げるために田んぼを作ったと
そのために水路を作ったというのだろうと思いますね
まあこういう貴重なものを作って そして戸どろきの丘っていう場所があるんですよね
これはどういうことを行った場所ですか
現在それですね 安徳台と言われてますね
これは原平合戦の頃に安徳天皇が一時期 身を隠されたということが安徳台となっているんですが
日本書紀にはこの場所を戸どろきの丘と
さっき言いましたように岩を砕くときにですね
その岩に真剣を 剣を突き刺してですね
雷が落ちたと その雷と同時に岩が割れたと
その音が戸どろいたと 今では戸どろきの丘と言われてるんですね
現在は安徳台ですね
ここで祈りを捧げたということなんですか
竹内スクネがですね
竹内スクネがずっと神宮ここに突き従ってますんでね
ただこの戸どろきの丘 この安徳台からですね
紀元前のですね 大規模な弥生時代の遺跡が見つかったんですよね
安徳台遺跡
しかも大きな建物で かつ鉄の製造跡と言いますかね
鋳造跡と言いますか そういったものが見つかる
それから壇上のですね 大きな神館に入った
特に男性の王様の方は 五浦戒という王様のシンボルをですね
40数個を身にまとってですね 派遣されたと
ここに弥生時代の中期頃と言いますかね
紀元前の 紀元前おそらく2,30年でしょうかね
王がいたということが判明したわけですね
ただまだ今 国の指定を受けましてね
06:04
今後調査されますが まだ1割2割しか売ってないんですよ
ですからこの全体像が見えた段階でですね
おそらく弥生時代の歴史が かっかわるんじゃないかと期待してます
この安徳台自体も かなり広い大地ですよね
そうなんですよ
今から数十万年前ですね
阿蘇山が大爆発しました時ですね
その火災流と言いますか
その噴火した それによって大地ができたと言われてますね
大きな集落みたいなのがあったかもわからないということですよね
地元の猿ここ もう亡くなったんですがね
その方がこここそ高間原であると こういう説も唱えられたくらいですね
そういう説もありますけどね
なかなか面白いところですけども
ここにこういう遺跡 安徳台というものがあると
それから作多のうなでがあるということとですね
神宮皇后が実在の人物であるかどうかということが
一時問題になったこともありますけれども
今でも問題ですけどね
これを実在の人物であるということの証明になる可能性が非常に出てきたと
その日本書紀の記事とですね
それに対応するような遺物が出てきたと
作多のうなでがですね
ということで非常に面白い 重要な遺跡だろうと思いますね
それから神宮皇后一行は嘉志宮へお戻りになります
それから鹿野島と神宮皇后との関連というのは
非常に深いつながりがあると言われてますけれども
どういうふうな接点があるんでしょうか
一つはですね
おそらく朝鮮に行くとき帰るとき
古代の怪人族の代表と言いますと
鹿野島の安住一族 それと胸形の胸形一族ですよね
おそらく両方の怪人族がかなり手助けしたと思うんですよね
そしてそれを証明するように
鹿野島には神宮皇后伝承館がある意味では密集してるんですよね
ざっと数えても20カ所くらいございます
そして安住の磯良という人物が出てまいりましたね
彼が神宮皇后に従って朝鮮に行ったと
いろんな例えば大風が来たり
ナンパしそうなときに彼が活躍したという伝承が
津島行きに至るところに残ってますね
非常にそういう意味では
安住一族にあたりせば朝鮮出兵は難しかったんじゃないか
というぐらいの活躍をしてますね
09:02
この安住一族というのは一体どういった人たちの集まりなんでしょうか
これは神宮の時代からなんですね
伊沢永井伊沢永という日本の神話は
ある意味では二人から実質的に始まるんですが
伊沢永井はみそぎをします
畜死の大人明原ですね
そこでみそぎをしたときに渡墨の神と
先ほどの住吉の神あるいは家後の神が生まれてくるんですね
ですから伊沢永井の時代から始まると言っていいと思いますね
非常に古い
海洋民族だと思います
全国につすらに足跡残してましてね
例えば穂高神社長野県の
あれも安住一族が作ったと言われてますからですね
穂高神の見事と言って安住の祖先神が祀られてますし
穂高神社も安住一族に由来しますからね
神宮皇后と安住族
それから天族非常に深い繋がりがあるんですね
そうですね
もっと言いますと天皇家と
非常に関わり合いが深いんですよ
例えば神武天皇当選されましたよね
お父様はもちろんうがやふきあずという
そういう値切りの味方系統ですけどね
アマタリス系統ですけど
お母さんは安住一族なんですよ
ああそうですか
玉より姫というのが
法満山に祀られてますよね
大野城の法満宮にも祀られてますけど
彼女が実は安住一族なんですね
ですから天皇家も元をたどれば
母家をたどれば安住族にってことはすると
そういう大変な問題があるんですけど
なるほど
それで朝鮮失兵の時なんかも
この安住族の力を借りて
行くということになってますよね
行く前も行った後もですね
例えば勝馬とか勝山とかありますよね
ありますね
あれは朝鮮から帰ってこられましてね
やっぱり凱旋して勝ったからと
勝ったと喜びになったということで
勝山とかですね
勝馬という名前ができたと
あるいは金の浜がありますよね
金銀が出た場所ですね
願いが叶ったということで金の浜と
これも神宮皇后がおっしゃられた
という伝承からですね
始まってるとこう言われてますね
金の浜って書いてありますね
願いが叶うと
はいそうです叶ったと
金銀が出た場所ですから暗号的に
金の浜
金がありますよという意味かなと
考えることはありますがね
それはともかくとして神宮皇后伝承が
20ヵ所ぐらいこういう点々とあると
島中にございますね
12:01
それからこの鹿の島の安住族と
それからもう一つ海洋民族で
村形一族というのがいますよね
この村形一族との関連はどうなんでしょうか
これもですね
村形神社のいろんな縁起もの
縁起とか諸物伝承を聞きますとですね
やはり神宮皇后に従って
朝鮮に行ってるということなんですね
そして安住一族と村形一族はどういう関係かと言いますと
先ほどいざなぎの時代がある意味では
安住一族だと言いましたけども
これはですね天寺御神と
須佐能御神との受け入り
なんか占いみたいな
そこで生まれたとなっているんです
古事記日本書紀は
ですから天寺御神から言いますと
その前の世代が安住一族
その後の時代が村形一族なんですね
神々の順番から言いますと
安住が古くて天寺の前の代
そして村形一族は
天寺の次の代とこう言っているかと思いますね
いずれにしても天族との関連ですね
天族が非常に神宮皇后に力を寄せてくると
天寺御神の娘さんたちだと言ってもいいかもしれないね
なるほど
それで神宮皇后一行ですね
鹿野島はもちろん行ってるんですけども
出発前に行ってますね村形に
それから村形にも行ってるんですよね
どのようなところに行ってるんですか
ちょっと南側から行きましてね
ずっと村形方面行ったんですが
例えば虫廊寺という場所があります
そこで神宮皇后がお祭りを行ったと
虫廊荒を引いて
そこでお祭りを行ったから虫廊寺と
それから宮崎神社ございますね
ここにも行かれたみたいで
ここにも伝承が残っています
戦勝祈願したと
それからその北側に荒地山というのがありますね
荒地山でも実はその山にですね
洞窟の中に剣を収めたという伝承が載っています
どこに洞窟か知りませんが
もしそういう関心持たれた方はですね
その洞窟を探し当てたら
その中に剣がおそらく1本あるかと思います
それからその北側の野山ですね
野山ですね
野山古墳群が世界遺産になりましたよね
そこにもぬいどの神社がございますよね
神宮皇后が出兵前にぬいどの大名神にお願いして
船の方を作ってもらったと
15:00
こういうのが伝承が残っていますし
勝浦というのがございますよね
勝浦はですね
これはやっぱり最後暴風にあって
船が難波するんですけども
こちらの方にも流れ着いたという伝承がありましてね
そこで勝ったと
白銀買ったんだと
山の上で勝浦と宣言されたということで
勝浦というようになったと
こういう伝承が残ってますね
それから金崎
これも帰国後ですが
実は帰国後に帰るときですね
朝鮮から金の金を持ち帰ったと
ところが陸地にあげようとしたところはですね
ドボンとそれが海中に落ちてしまったと
その金がですね
海が荒れるときに非常にガランガランと言いますかね
響く
それから響き名だという名前ができたんですね
そうですか
実はご時短がありましてね
大正時代にある方が引き上げられたんですよ
大金を使って
ところがそれが実際岩だったということ
あのおりはた神社ですかね
あの境内に今安寿を置いてありますよね
そういうエピソードもございます
もちろん村形大正の地にも行かれて
村形三女神皇をお祭りになったという伝承がありますよね
こうやって鹿野島の安住族
それから村形一族
こういったところの力を借りて
朝鮮に出兵されるわけですね
ですからあのおきの島航路を初めて使ったのもですね
正式使ったのも
もうこの神国後の朝鮮出兵のときかなという
時代的に言いますとね
やっぱり4世紀の終わり頃の遺跡が多いですもんね
最初の段階では
だろうと思いますね
村形から大島そしておきの島行きますと
非常にあの若干距離は遠いですけども
非常に効率的な航路ですからね
日本書紀には海の北の道の中
海北道中と書いてあるんですね
その航路の安全を守るのが村形三女神であると
こういう位置づけになってますんでね
こういった海洋民族
浜族の助けを借りて朝鮮出兵して
そして成功して帰ってくることになるんですけども
先ほど出てましたが
帰りの船が嵐にあるわけですね
そうですね
それで各地にいろんな上陸地説があるんですけども
どういったところにたどり着くんでしょうか
富山方面から津島を渡りましてね
津島から行きに来まして
行きまでは順調だったみたいなんですね
ところが行きに来ますと
日本の本土が見えますよね九州が
心がはやったんでしょうね
18:01
そして船出しまして暴風に巻き込まれましてね
あちおち散り散りバラバラになると
武雄津船はあちらの
どうも荒れかけ方面に流れ着いたみたいで
例えば武雄とかですね
あっちの方に伝承残ってますよね大川市とか
ところが神宮港はですね
まず伊東島方面にどうもまず流れ着いたみたいなんですね
飛山というのがありますよね
実はその飛山で火が焚かれるのを見てですね
それを目指してやっと南波から招かれたと
その飛山というのはおそらく
のろし台から上げる場所だったんですよね
夜間航海でどっち行ってもわからない時に
そこで火を焚いてくれたから
それを目指してどうにか無事着いたと
そして野北という場所があります
そこに白木神社があるんですよね
そこがですね
船が辿り着いた場所という伝承ですね
そして黄金丸という場所
そこでですね老人が一人現れましてね
水崎を案内してくれたと
その老人の手を握って感謝してですね
何時背を知る沖縄かなということで
背をよく知るという意味で
瀬知という名前を授けたと
こういう伝承が残ってます
瀬知さんという方がいま
身を引いておられるかどうか知りませんけども
そういう伝承ですね
ですからこの辺り一帯に10カ所ぐらいですね
そういう神功伝承が残っているわけですね
ここが一つの候補です
ところで先ほど言いました艶崎にもですね
福津市ですが
小島とか渡りの縦崎と言いますかね
そこに漂着したという伝承も残ってるんですよ
ですから糸島にある艶崎にもある
それから博多の方にもあるんですね
銘の浜とか
銘の浜はありますよね
あるんですよ
ですからもう今から千数百年前の話ですからね
どれが本当かわかりませんが
強いて言えば
糸島に漂着したけども
また流されていって
つい艶崎まで行ってしまったと
最終的には
野古の島辺りから銘の浜で上陸されたと
いうことだろうと思いますけどね
もう今となってはわかりません
銘の浜近くに鳥海八幡宮ってあるんですよね
あそこにも神功候補の話がちょっと残っておりますよね
あの辺でご馳走いただいたみたいなことになってるんですが
鳥海一族というのがいたみたいですね
鳥海氏というのは
鳥海氏というのは非常に名門なんですね
犬飼いとか鳥飼いというのは
やっぱり特殊技芸手段といいますか
21:02
技能手段といいますか
鳥を飼う飼いならす
うがいとしますしね
犬飼いも狩猟するときに犬を調教しますからね
ですからそういう専門手段がいたような感じです
鳥津でも鳥を飼ってたからですよね
そういうところで
歓迎式典といいますか
を取り返しが行ったと
そういう伝承は残ってますね
鳥海八幡宮がございます
確かにあの辺りですね
こうやって無事に和歌祝へたどり着くということですね
神功候補一行は
秋月付近にいた八六間橋と
大和の田ぶらつ姫を討伐した後
佐賀から糸島半島へ出て
雷山や瀬不利山に登り
中川へ出て
住吉の神のために
作多のうなでという水路を作り
歌詞宮へ戻ってきます
この後海八幡宮へ行き出産に入ります
その後の行程は綾杉るなさんに
神社からたどっていただきましたが
河村さんには来週各地に残る伝承などから
たどっていただきます
お話を神功候補の謎を解くの著者
河村哲夫さんに伺いました
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島梨恵さんです
こんばんは
世界遺産の新晴野山古墳群の発掘速報展が
3月29日まで福津市のカメディアステージ
歴史資料館で行われています
今回の速報展は15分と35分です
福津市教育委員会文化財科市籍整備係長の
井浦はじめさんの案内で
どんなものが並んでいるのか見てきました
まずは35分ですが
6世紀の前半に作られたと言われておりますが
ここで収穫35分の周りの溝で見つかった品々が
展示に並んでいました
吹き石が出たって話もあったんですが
大きな末期の亀がたくさん出てきたんですって
今後分析していくと
どの辺の古墳のどの辺りに置いていたから
転がり落ちて収穫のここにあるんだ
っていうのが分かるかもしれませんね
とおっしゃってたんですけれども
古墳の飾りといえば
私の中では
円筒型の埴輪を並べるってイメージだったんで
末期っていうのはすごく意外だったんです
埴輪は一つも出てなくて
代わりに末期がたくさん出てきてて
それが普通は古墳の上とかに少しあったり
それから埋葬施設とか
その周りにたくさん固まってあったりするようなんですけれども
24:04
古墳の周りに結構数がですね
大きな亀が数多くあったようでして
そういう古墳がないかなっていうのを
今情報収集したり
いろんな方に聞いたりとかしてるところなんですけれども
そうですね
ってことはものすごく珍しいパターン
今のところ私がその例を知らないだけかもしれませんけれども
少し珍しいのかなっていうところですよね
これかなり珍しいことになるんじゃないかという予感
いいですね
ワクワクするでしょ
で出てくるものの中に蓋って書いてるのがあったんですけど
シルアンの蓋みたいな形のものがあって
ただ持ち手のところが
ゆで卵を乗せるようなエッグスタンドっていうんですか
そんな形のものもあったりして
実はこれ蓋って書いてますけど
完成品はかなり立派な飾り壺のような形をしてるものの
蓋の一つだったりして
つまりちっちゃな蓋からも
立派な元々の壺の形が想像できるという展示になってるんですよね
この辺も見どころなんです
そして15号粉
こちらは6世紀後半に作られたと言われているものなんですが
つい調査が始まる前は
15号粉は塩粉と言われていて
去年の調査では
これは隣にある19号粉と一緒になって
全方向塩粉ではないかとなって
そして今年はこんな状況なんです
可能性の段階ですけども
全方向塩粉なのではないかと
大きさについては
これが前方部の溝
そしてそのL字に曲がったこの角
っていうのを参考にすると
40メートルぐらいの大きさの
全方向塩粉に復元できるのではないかっていうのが
本当に先月わかったばかりというところです
いや可能性とはいえね
一気に大きなものになりましたね
まさに速攻点なんですよ
まあいろいろ難しいこともありますが
私のようなやや素人によっている人間からすると
ガラス玉に目が釘付けになりました
出てるんですよ15号粉から
すんごく濃い紺色のガラス
1.8センチぐらいのコロンとした形なんですが
この美しさに思わずほーっとなってましたら
こんな話を聞かせてくれました
6世紀頃に割と多く出るタイプですね
大振りで何て言いますか
限界なだブルーというか濃い青ですよね
深い青
限界なだブルーって言うんですね
沖の島の周辺というかですね
あの辺船で行って海を見ると深い青なんですよね
このガラス玉の色とか思い出しますけどね
限界なだブルーって
27:00
私が勝手に呼んでるだけなんですけど
ガラス玉の色を思い出すな思い出すか
そういうものをイメージしますよね
そういう気持ちで作らせた可能性とか
どうでしょうか
わかりませんけど当時好まれたんでしょうね
これもですねこうやって見ると深い青ですけど
太陽とか光
ライトに透かすとですね
もっと透明感のある明るい青に見えるんですよね
どちらかというとそっちの色の方が
海の色に近いかもしれませんね
3月29日まで福津市のカメリアステージ歴史資料館で見られます
中島理恵さんでした
ここで番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます
RKBラジオのホームページの
古代の福岡を歩くシーズン6のバナーをクリックしてください
またラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば
スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます
この番組は
三山市の企画協賛
道の駅村方
餃子のヤマハチの提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周大でした
行きたいラジオ番組何にもない
そんな時間はポッドキャストで過ごしませんか
RKBでは毎週40本以上のポッドキャスト番組を配信しています
あなたのお気に入りの声にきっと出会えるはず
ラジコ、ポツファイ、アップルポッドキャスト
アマゾンミュージック、ユーチューブミュージックで
RKBと検索してフォローしてください
RKBオンラインのポッドキャストまとめサイトもチェック