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古代の福岡を歩くシーズン6遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン6 この番組は
宮益の企画協賛 道の駅村方
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こんばんは坂田集大です 今週は先週の続きで神宮皇后関連の神社を訪ねます
お話を神宮皇后伝書を歩くの著者 綾杉ルナさんに伺っていきます
先週は飯塚市の激古神社まで伺いました 今週はその続きで飯塚市の綱湧八幡宮からです
神宮皇后はこの後また東へ東へと移動されていきます
最初は海側の方ですね倉庭とか通って 唐津海道の方を通って歌詞宮まで行かれましたけど
帰りは聖家御用をしてそれから山手の方をずっと通って行かれたんですね
ここの綱湧というところまで来られたわけです
でもその向こうはですね山なんですね
この綱湧という言葉の由来が神宮皇后がお産をしたときに
園樹の木にですね綱をつけてそれを持って出産されたということで
その綱をですね大事に持ってあってここに奉納したと
そういうことからこの綱湧というようになったそうなんです
ここまで持ってこられたんですね
そうなんです
それからもう一つここではお祭りをされてるんですね
それがこの神社の裏手に金石山ですね金石山というんでしょうかね
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鉱物が採れる山があったみたいなんですね
それがもう宝の山だと言われてここをお祭りしようということでですね
ここでですね新しく剣を作らせて
そして神事御神体とされたっていうわけなんですね
つまりここには剣とかですねそういうものを作る人たちがいて
そして新しく3本作ってくださいと言って
そして神様のためにと言って作ったということなんですね
でそれがですね何百年かと奈良時代にですね
ここをお祭りしようとして掘ったらですね
それが出てきたんですね
でそれがそのものかどうかはですね確実ではないんですけど
それがその土器ですね仮面にですね
1本ずつ入っていたというわけなんです
でそれがあのずっと伝わってまして
大正時代までそれが現物は伝わっていたんですね
で大正時代にその考古学者がそれを見て測ってくれまして
でそれが長さがその40センチほどの
中広型銅貨ってわかったんですね
で銅貨と言いまして貨というのは武器の一種なんですけど
剣とそっくりですね左右に刃がありまして
ただ根元が斜めに切られていて
長い棒の先にL字型になるようにくっつけるような武器なんですね
だから一般人から見たら鶴木に見えたんですけど
専門家が見たら銅貨だったというわけなんです
でこのパターンがですね
実は各地に出てきまして
でその前に石の山という大きな山があって
そこカラス尾峠とかあって
そばに道の駅がありますね
でその大きな山の反対側からも何本も出てきてるんですね
ということでその当時の人たちがその土器の亀に入れて
そしてお祭りするという
それの始まりみたいなものはここに書かれているというわけです
それでその銅貨という武器は精銅器なんです
当時も実践用には鉄の刀を使っていたわけですね
それでもう銅で作ったものは
だからお祭りの時に使うようになっていったわけなんです
祭祀といいますけれど
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でそれがですから見栄えが良くなるように
だんだん大きくなっていくんですね
でここは40センチということですけれど
最後は70センチくらいになりまして
それでもちょっと女性では持てないほど巨大化していくんですね
でそういうことで
ここにはそういう精銅器の文化があったわけなんですけど
銅貨で有名なのが
かすが市のすぐ遺跡の近くどんどん銅貨が出てきまして
それは実践用のものなんですね
であのですからその歴史的には
そのかすがからその巣尾那田に抜ける
銅の交易路があって
でここをその銅の道
精銅の道というふうにですね
伝わってるんですね
それで神宮皇后たちもその銅の道を通って
そして巣尾那田に抜けようとしたと
その中間点にこういう
神宮皇后たちの集落があったと
そういう風な流れになります
面白いですねそういうところが
そうですね
この精銅器が出てきたというのはやっぱりすごいですね
飯塚市の綱脇八幡宮でした
次は飯塚市のひわか神社です
ここの御祭神は
いざなぎの御子とすさのうの御子と
くらおかみとなっています
でくらおかみというのは水の神様なんですね
で昔ここに泉が湧いていたというわけなんです
それからすさのうの御子とはですね
だいたいこの疫病が流行ると
この神様を祀るんですね
それで昔ここでやっぱり疫病が流行りまして
そして占いをして
博多の祇園様を祀ると良いということで
ここにすさのうが祀られているんです
縁があるんですね博多と
そしていざなぎの御子とがですね
これが実はここに直接来られたというですね
大変珍しいお話があるんですね
でちょっと話が複雑なんですけど
その後に今度は神武天皇も来られまして
そして今度神宮皇后が来られたということなんですね
すごい話ですね
で古代の道ってそうたくさんないので
かぶってくるのはよくあるんですけれど
そのお話をしたいと思います
それで神宮皇后が来られた時に
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泉があってそれに感激されてですね
そして自分と子供が
即災で延命でありますようにと
無病即災を祈られたんですね
そしてその池とか森が素晴らしかったので
ここはただならぬところだって言って
地名がただとなったと言います
そしてその博多っていうのは
いざなぎの御子とを祀るところをそう言うんですね
ああそうなんですか
でいざなぎの御子とが
日本の島を生んで国土を生んで
それから神様たちを次々に生んで
自然も生んだわけなんですね
大海になったんですけれど
いよいよそれでさあじゃあ天界に帰ろうという時に
ここを通りかかったそうなんです
そしてその泉の水を飲んでこれはすごいと
で私が産んだ中でこんなすごい泉があるんだなと
驚かれたんですね
それでこれはどうも
飴飲まないよりもパワーがあるぞというわけでですね
その泉の水を持って天に帰られたという
それほどの水だったそうなんですね
でそれから何百年が経って
神武天皇が来られた時に山越えをしようとしたら
霧がかかって全然進めなくなったんですね
ただその時にある神様が現れて
先ほどのいざなぎの御子とが
ここの水すごいと言ってたぞと教えてくれたわけなんですね
そこで神武天皇は笹の葉にですね
束にして水に浸してそれを振りながら歩いていくと
霧がさーっと晴れたと
それでその後に今度は神宮皇后が来られて
じゃあこれはすごい水なんだというわけで
ただならぬところと言われたということです
よっぽどおいしい水なんですね
ただ泉はちょっと見当たらないんですよね
廃殿の後ろに小川がありまして
これがこの山からずっと降りてくる小川で
ここでみそぎが行われてるんですね
地元の方がおしおい取りをされてます
箱崎偶と一緒で手簿と言って
かごにですお塩を入れて
そして持ち帰るという
そういうことを今でもなさってますね
ここでは
そして昔の道がどうなってるのかお尋ねしたら
その川沿いにずっと登っていった
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山越えの道が最近までありました
というふうなことでした
車で行ってももうそこで行き止まりなんですよ
行き止まりですか
そんなとこですね
でだからその険しい山をですね
あの越えていかねばならなかったわけですね
飯塚市のひわか神社でした
今週は先週に続き
神宮神戸関連の神社のお話を
神宮神戸伝承を歩くの著者
綾杉ルナさんに伺っています
飯塚市の綱を分けると書いて
綱脇八幡宮という名称の由来が
神宮神戸が海八幡でお散をするときに
捕まった園児の木にかけた綱から来ている
というのは面白いお話でした
そしてひわか神社と伺いました
今度は田川市の伊東八幡神社です
ここの御祭神が豊平和家の御子と
たらしいな勝彦の天皇
これは中和家天皇のことです
中和家天皇
はいたらしいな勝彦ですね
本田天皇これも王神天皇のことなんですね
本田和家の御子とから
本田和家と天皇とも言います
あと沖縄たらし姫神宮皇后ですね
筑紫三柱の神
ちょっと誰かわかりませんけど
多分三女神のことではないかと思われます
ここの地名が伊東といいまして
位が上ると書きますね
神社の名前も位が上ると書いて
伊東八幡神社というわけです
神宮皇后はここにですね
半年間も滞在されたっていうんですね
それで春になって
1ヶ月ぐらいしてここに来たとすると
4月5月6月7月8月9月とですね
良い季節の頃にしばらく滞在して
初めてじゃないですかね半年ですね
ゆっくりと子育てをされたというわけなんです
ところがですね
ここにちょっとですね
大きな謎を解くヒントがあったんですね
実は日本書紀には
ここのこと全く書かれてないんですけど
神宮皇后がいきなり皇太后になったと
天皇のお母さんになったって書いてあるんですね
そうするんだけど
誰が天皇って全く書いてないんです
そしてそれから2年ぐらい経って
本田和家の御子が皇太子になったって書いてあるんですね
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それで日本書紀は全然ストーリーが矛盾してて
謎だらけになってしまうんですね
一方中国の歴史書には
神宮皇后が天皇になったことが書いてあるんですよ
第15代天皇ということでですね
昔は大王という大君ともいった時代もありますけれど
中和天皇の後に神宮皇后が即位をして天皇になって
それから王陣天皇になったということが書いてあるんですね
そうなると一体どれが正しいかということになるんですね
そしたらですねこの近くに
この同じ田川ですけれど
大海八幡といって
御門の階段という
木座橋という神社がかつてあったんですね
そこにですね
結局本田和家の御子が皇太子になったという話が書かれてるんです
そして天皇にまでなったということですね
そうしますと一旦神宮皇后が天皇になって
そして今度はその子供が王陣天皇が皇太子になったと
もしかして一足とびに天皇にまでなってしまったという
そういう謎の資料が書かれているんですね
それでよく考えますと
神宮皇后が結婚する前に
忠愛天皇にはお妃が何人もいたんですね
そして一番最初に男の子が2人生まれてまして
鹿児坂をおしくまをと言うんです
それで神宮皇后は結婚して7年も赤ちゃんが生まれなかったので
幸い男の子が生まれましたけれども
そうするとおしくま王たちはかなりの年になってるんですね
じゃあ忠愛天皇が亡くなって誰が天皇になるか
ふさわしいのはお兄さんたちなんです
しかし忠愛天皇の側近たちはみんな神宮皇后と一緒に戦って
そしてここまでやってきているわけなんです
このままでは干されてしまうわけですね
もしお兄さんたちが天皇になったら
自分たちは用なしになってしまうわけです
そうしますとこれは何としても神宮皇后を天皇に
そして王神天皇を次の天皇に
そういう機運が生まれたようなんですね
実は半年滞在したというのが
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かごさか王たちと戦うための準備期間だったと
そういうことが考えられるわけです
神宮皇后も直接下関の豊浦宮には帰れなかったんですね
そこにかごさか王たちが留守番をしていたということで
ここからまた一層のことを
こっち側が天皇即位儀式を済ませて
向こうが無本を起こすような形にしようと
そういう計画がなされたのがこの伊藤八幡みたいなんです
そうしますと歴史的に流れがうまくいくんですね
福岡県の各地に神宮皇后15代天皇って書いてあるところが
いくつもありまして
それでここがすっぽりと日本書紀から抜けていくと
これを補うと日本書紀の流れがきちんと出てくるんですね
そういう謎解きに
ふさわしいというか手がかりがある神社が
この伊藤八幡というわけです
田川市の伊藤八幡神社でした
今度も田川市です
風二八幡宮です
ここは御祭神が応神天皇忠愛天皇神宮皇后
そして古くは和田積みの神と
豊田舞姫の御子と玉売姫の御子とというわけですね
神宮皇后が来たときには和田積みの神と
安住の姫神が二柱結られていたというわけです
この三柱を板狼と呼んでいたそうなんですね
神宮皇后は伊藤八幡からまた東へ東へと
移っていく途中にあるんですが
途中で暴風が起きたそうなんです
そこで板狼にお願いして
治めてもらおうということで
この風二八幡のところに大きな岩があったので
そこに座って
そして自分は太刀を女性ですけど持ってたんですね
それを献上して祈られたら
直ちに嵐が止んだと
そういうことで風二というのは風が収まると書きますけれど
社号が風二八幡となったということです
その場所がですね
市の通りの左手に石囲いがありまして
そこにですね今もきちんと残されています
そして上に上っていきますと
本殿があるわけですけど
そこからですね河原だけが綺麗に見えるんですね
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3つの峰が揃っていて
今はですね市の竹が削られて残念な形になっていますけど
そこの麓に神宮皇后がかつて通って行ったところなんですね
ですからここからそれを眺め合って
晩館の思いをされたんじゃないかなと思います
田川市の風二八幡宮でした
綾杉さんには神宮皇后が海八幡宮で出産した後
下関の豊浦宮へと辿るルートを伺っています
大武八幡宮、濃祖八幡宮、綱脇八幡宮、日若神社、伊東八幡神社
そして嵐が収まるよう祈った風二八幡宮へとやってきました
来週は神宮皇后の謎を解くの著者川村哲夫さんにお話を伺います
川村さんには古事記、日本書紀、各地に残る伝承などから神宮皇后の足跡をたどっていただきます
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島梨恵さんです
こんばんは
世界遺産神谷鶴島、胸形沖之島と関連遺産群の中のシンバル・ヌヤマ古墳群
福津市にあるこの古墳群の現地説明会が3月20日、今度の土曜日ですね
新聞の日に行われるんです
午前10時からと午後1時からそれぞれ1時間くらいなんですけれども
今回の最新情報はシンバル・ヌヤマ古墳群の15号墳と35号墳、この2つなんですね
どんなふうになるのか
福津市教育委員会文化財課、市籍整備係長の井浦はじめさんに話を聞いてきました
実は12月のこの番組の本編でも福津のこのずっと古墳を歩いていって
情報皆さんの頭に残っているかもしれませんが
現地で見られるチャンスなわけです
まず一つ目の35号墳なんですが
これ全体の中でも2番目に大きい前方高円墳で
今測ったら54メートルくらいと言われてきました
もう過去形です
どういうことですか
つまり最新情報ではさらにもう一回りおよそ4メートルくらいは大きいんじゃないかということが分かってきたんですよ
どういうことなんでしょうね
崩落している部分もありますし
それからこの35号墳の周りに幅4メートルから8メートルの広くて深い
収穫と言われる溝が掘ってあったこともはっきりしてきました
この収穫の底のところにですね
おそらくもともとは墳球に並べてあった飾ってあったしまってあっただろうものが落ちてきたような
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吹き石、表面を飾る石とか
あと末期や端木なんかも出てきてるわけなんですよね
こういった話、説明現地に行ってもあるかと思いますが
井浦さんにまず35号墳の現地説明の時の注目ポイントを聞きました
収穫の幅とか深さですよね
そういったのが結構、古墳の大きさなりに規模が大きいなって分かりますから
当時古墳の周りにこれぐらいの溝がぐるっと回っていたのか
想像しながら見るとですね
今地上で見える墳球だけじゃなくて
築造当時の姿というのが想像しやすいというか
ですから築造当時は墳球ももっと大きいですし
周りに簡単に渡れないぐらいの溝がぐるっと回っている
腐木石もあるしですね
収穫って今見てこれ収穫だったんだって分かるんですか
一応説明してもらうと100%大丈夫なんですが
色が違うんですよ、周りと
ここ溝だったんですねっていうのが見たら分かるので
ここは楽しみどころなんですよね
そしてもう一つの15号墳の方なんですが
これまで15号墳って測量調査では
見かけが20mぐらいの塩分と言われてきました
過去形です
12月の放送の時にも本編で
そばにある19号墳と連続した前方高塩分である可能性も考えられる
という状況だったんです
これが年が明けて調査が進んで
可能性が高いとまで言える状況になってきました
よりより確かになってきた
元々は去年の終わりの段階で
この15号と19号の間に溝がくびれているのが見えている
本来ならば塩分であれば収束していくはずが
隅っこが広がっていって15号墳の方に向かっていってる
ということはこれは15と19足して前方高塩分では
ということだったんですけれども
これを今年掘っても掘っても
掘っても掘ってもというか場所は決まってるんですけど
出てこなくて
本当にあれこれは確証が持てないなぁ
というところだったんですが
1月に入って小高岩が元々あった位置
つまりですね江戸時代にどうやら
本来今回見つけたかった部分が
一度整地されてなくなってる
というのがわかったんですね
でも見つけたそうで
その辺もこの15号墳の現地説明会での見どころになります
この溝の場所それと形から
今の地形に立って
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どれだけその後
5号墳が作られた後地形が変わってきたのか
ということを思い描きながらですね
見ていくと
なるほど前方高塩分かもしれない
っていう感じで見えてくると思いますね
現地に行くとですね
前方高塩分らしくはないんですよね
角度によっては前方高塩分かな
って見える時もあるんですけれども
面白い
でしょぜひ見てください
3月21日までは古墳祭りも開催中で
20日の日はイベントもありますので
ぜひお出かけください
中島理恵さんでした
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三山市の企画協賛
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