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古代の福岡を歩くシーズン5 遥かな昔
海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。 その足跡を尋ねる
古代の福岡を歩くシーズン5 この番組は
三山市の企画協賛 道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。 道の駅村方営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸山の幸がたっぷりです。 いつも旬のものをお届けします。世界遺産神宿島村方おひの島と関連産群を
私たちの手で守っていきましょう。
餃子の山鉢です。新鮮な食材を使って心を込めて丁寧に包みます。 世界遺産神宿島村方おひの島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
おはようございます。坂田秀大です。 今週は神宮皇后ゆかりの神社を訪ねます。
シーズン4の続きで白城に戦いに行く前の 糸島半島近辺の神宮皇后の動きです。
お話を神宮皇后伝書を歩くの著者 綾杉隆さんに伺っていきます。
まず糸島市の曽明神社です。
ここにお祭神は?
はい。熊野の三柱の狼、豊玉姫の御子と彦ほほでみの御子と 沖永たらし姫の御子と玉より姫とたくさんの神様が祀られていますね。
もともとここは豊玉姫が祀られていた神社で 彦ほほでみといえば山幸彦ということで
豊玉姫の夫となった神様です。
それから玉より姫は豊玉姫の妹ということで 関連ある三柱に加えて後に神宮皇后と熊野の神が祀られているということです。
ですから昔この曽明神社は上宮、中宮、下宮と3つに分かれていたんですけれど
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他の今は中宮ですね。曽明神社の中宮だけが残っています。
この神社もすごく静かな林の中にありますね。
そうですね。
それと苔むした山道もなかなかのものですよね。
そうですね。
どなたもその手前の池があるところで一瞬立ち止まるんですよね。
なんとすごいところだと。
そして言われた山道の苔がもうなんとも言えず美しいところですね。
それでこの優位所の方ですけどもどういう優位所が残っているんですか。
ここは神宮皇后が来られてそして占いをされたというところなんですね。
今から異国を討とうとしていますが勝利を得るなら今持っている鎧が赤色に染まれと言って
白い糸の鎧を糸につけられたんですね。
そうすると赤くなって出てきたということで
そこから染め井戸ということで染め井の井戸というようになったそうです。
その染め井の井戸は今も残っていまして
56号線のところから車では入れないんですけど
歩いていきますと染め井の井戸がそのまま残っています。
それから中宮の方は染め井の信号から車で登っていけば行けるんですけれど
江戸時代には直接行ける道があったそうなんですね。
実はこの前地元の方から教えていただいて
染め井の井戸から中宮に直接行く道を教えていただきました。
あっという間に着いたんですけれど
その時に神宮工房が染めた赤い鎧を中宮にある大きな松の木に掛けたと
それが鎧掛けの松と言われるようになったということです。
松も確かありましたよね。
そうなんですよ。江戸時代に枯れたそうなんですけど
本殿の裏側ですね。そこに枯れてはいますけれど
うねりながらですね、今でも生命力を伝えるようなすごい松の木が残されています。
そういったところが糸島市の染め井神社でした。
神宮工房が糸島に来たのはこれで少なくとも2度目なんですね。
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最初は忠愛天皇が御存命の時に
2人で高須山あるいは雷山に登って
そして戦勝祈願をしていますね。
ここの国には誰がいたかというと
糸手という人がいた。
日本書紀に書かれていますね。
この糸手は忠愛天皇が下関から
菓子居に都を移す時に
糸島から船を仕立ててお迎えに行った人なんですね。
三種の神器を持って
そうですね。
当時三種の神器は正式な格好だったんですね。
船のへさきに鏡をキラキラとさせてお迎えに行ったと。
それで忠愛天皇がいそしと褒めたと。
それが元でその国をいその国と言うようになって
今は名まって糸の国と言うようになったと。
これは日本書紀に書いてあります。
このいそしの意味がよく分かってなかったんですけど
真鍋大学という人は
金属を溶かするつぼというのがありますね。
螺旋をよく使いこなす達人をいそしと言ってたというようなことなんですね。
糸島といえば平原遺跡に巨大な50センチ近い鏡とかですね。
あるいは5世紀には旧大のところに
20基以上の鉄の古代製鉄書が見つかったりしていますね。
ですから昔から糸島はテクノポリスという感じで
最先端の技術をいっぱい持っていて
それを収めていたのが糸手と思われます。
なるほど。いそし。
この糸手が神宮皇后を案内して
ここをまた再び糸島に連れてきたのではないかなと思われます。
この時の神宮皇后は白木へ出兵する直前だったんですかね。
そうですね。一旦唐津の方に出まして
それから嘉志宮に戻る途中と思われるんですね。
その途中に糸島に寄ったというようなことですね。
糸島市の蘇明神社でした。
次は中川市の伏見神社です。
ここの御祭神は?
はい。淀姫の御徒、すさのおの御徒、大山摘みの御徒、神宮皇后、竹内すくねとなっています。
一番新しい神様が実はすさのおの御徒なんですね。
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この神様はもともと博多の串田神社に祀られていた神様だったんですね。
秀吉が九州制伐をやってきまして島津と戦う時に博多が焼き討ちにあってしまって火災が広がったんですけれど
この時に串田神社も燃えそうになって
それで地元の人が御神体を抱えてこの中川市に逃げてきたと
そしてここにしばらく祀られるようになったというふうなことが伝わっています。
その主祭神の方に淀姫が入っているんですね。
そうですね。
これはどんな人なんですか?
淀姫は神社では神宮皇后のお姉さんだというふうに書いてありますね。
また佐賀県に淀姫神社という市の宮があるんですけど
そこから移ってこられた神だというふうに書かれています。
実はこれは2つ話が混同してまして
淀姫と豊姫というのは別の方なんですね。
まず豊姫といえば神宮皇后の妹として各地にその名が伝わってますね。
ご紹介した文では久留米市の赤地八幡神社
そこでは神宮皇后の代わりに神方しろといって神様を下ろすよりしろとなったと
そこで赤地八幡では最初に豊姫神社というようになったというふうに伝わっています。
その豊姫は竹之宿根の妻となりますけれど
竹王で若い時に亡くなったという話があります。
この豊姫はいよいよ白城に出兵する前に
寒寿満寿をもらった方なんですね。
鹿之島に寝方のところに海の中道があります。
そこに四式神社というのがあるんですね。
そこの浜辺で豊姫は海に潜って
和田積みの神から寒寿と満寿をもらってきた人なんですね。
その玉を竹之宿根に渡したと
そういうお話が伝わっています。
竹之宿根はその寒寿と満寿を借りて
そして朝鮮出兵と向かったわけです。
日本書紀にも書かれているんですけれど
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半島白城の国の近くに来た時に
突然津波が起こりまして
大きな波が白城の国の半ばまで行った
そんな話が書かれているんですね。
今私たちは地震が起これば
まず引き波が起きて
その後寄せ波が起こりますね。
その時に敵の白城の船がひっくり返って
兵士たちが降りてこちらに向かってくる時に
竹之宿根が潮水玉を投げたわけですね。
潮が満ちてきて敵が溺れたと。
そういう風なお話となって
今にも各地に伝わっています。
ということで豊姫というのは
寒寿と満寿を和田積の神からもらった姫として
津波と関係がある神として知られているんですね。
一方もう一つの淀姫という神様はですね
これは有明海のお話なんですけど
昔は70年に一度大津波が起こってたそうなんです。
その70を昔の人は与党と発音していたと。
それで与党姫様といえば
70年に一度起こる津波という意味だったそうです。
ところが津波が筑後川を登って上流まで行きますと
狭いところに入ると波は一変で収まらないですよね。
何度も何度も行き来しながら次第に収まっていくということで
筑後平野では大水害が起きていたわけですね。
そこでその70年に一度の津波を
後世に伝えたいけれど
寿命として70年はなかなか生きれないんですよね。
そこで昔の人たちは考えて
与党姫様をお祭りすることで
ここまで津波が来るぞということを教えたというわけなんです。
ですからその与党姫神社を線路を引いていきますと
昭和28年に大洪水が起こりましたよね。筑後川で。
あの岸水線に沿って与党姫神社が並んでいるんですよ。
それで昔の人はここまで洪水の可能性があるから気をつけなさいと
与党姫様を祀っていたわけです。
だんだん筑後川が洪水のたんびに土砂が降りてきて平野になってしまうと
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その意味が忘れられてしまったんですね。
そこで与党姫と豊姫と
なんとなく津波に関係ある神様だねということで
ごちゃ混ぜになっていくという。そういうことがあっています。
それから中川市の伏見神社ですけれども
ここにある神宮皇后のお話はどういう話が残っているんでしょうか。
神宮皇后はまずセフリー山に登られるんですね。
そしてそこで海を見て
そしてこれから船がどう進んでいくかというのを
側近たちに説明を受けたそうなんです。
そしてそこからこの中川市に降りてくるわけですね。
伏見神社の横に中川が流れてますね。
昔は名の川といったわけなんですけれど
神宮皇后が馬でその川を渡ってくるときに
魚がピシャッと上がってきたそうなんです。
そこで神宮皇后は冷たいと言われたそうなんですけど
その言い方が生冷たいと言われたと。
今は生温かいと言うんですけれど
生冷たいと言われたと。
それが生津というようになったということです。
この生津は生津渕にずっと住んでいまして
そして神宮皇后の時にちょっと現れたと。
またいろんな西辺の時にも現れると言われています。
それから伏見という神社の名前が珍しいですね。
京都に伏見神社があって
やはりそちらとも関係があるそうなんですけれど
もともと伏見というのは何を見たかというと
星ですね。天体観測の言葉だそうなんです。
昔の人は天体観測をするのに
ちょっと矢倉を建てて高台にしまして
そこから地平線からあるいは水平線から出る星を観測したんですね。
特にシリウスという星が上がってくるときに
溶けたように見えるときには地震津波が起きると
そういうことが言われまして
それでこのシリウスのことをやはり
豊見星とか淀見星とかいうようになったというようなことです。
シリウスが氾濫を起こすといえば
エジプトが有名ですよね。
エジプトでもナイル川の氾濫を知らせる星として知られてますけど
日本でも古代社会で
シリウスが津波を知らせてくれるということで
一生懸命観測していたということです。
そこで多分ここ伏見には
そういう天体観測の人たちがいた可能性がありますね。
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それで伏見神社。
分かりました。
中川市の伏見神社でした。
次も中川市ですけども
荒人神社。
ここの御祭神は?
ここの御祭神は
「側草の御御事、仲草の御御事、上草の御邪徒となっています。」
草というのはお星様の星の意味なんですね。
上の星、中の星、下の星という意味の神様になります。
三つの星といえば
これはオリオンの三つ星が
が該当しますね
それでオリオンの三つ星というのは
地平線から登る時にまず縦になって登ってくるんですね
ですから上、中、下と一個ずつ星が上がってくるわけです
そして夜中にかけて時計回りにぐるーっと回りながら
沈む時はほとんど横一列になって沈んでいくんですね
これで時計のない時代
真冬に南の空を見ればオリオン座の三つ星が見えて
その雲間に三つ星が見えれば
今どっち方向に船が進んでいるとか
あるいは今何時頃だというのが分かったというわけです
そこで昔の人はこの三つ星を住吉様といって
拝んでいたというようなことです
こちらの方も住吉の神様として
荒人神社を祀られてまして
全国に住吉神社がありますが
この荒人神社が一番最初のお宮と言われています
もともとここから住吉神社というのができて
全国に多くなったということですね
そういうことですね
神宮皇后との関わりは
やはり朝鮮出兵の時に
船を住吉の神様が守ってくれて
そして神宮皇后自身の玉体も守ったというふうなことで
そのお礼参りに来られたということです
その時に住吉族が水田が欲しいというふうなことで
それで有名な作田のうなでを作ることになったんですね
作田のうなでというのが
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惹かれた場所が先ほどの伏見神社ですね
伏見神社の前に市の遺跡がありまして
そこから水を分けて引いたというわけです
そこが始まりですね
そうですね
中川市の平野を見ると
とてもいい感じのところですね
住吉族がここに水田を作りたいと思ったんでしょうけど
あいにくこの中川がですね
低いところを流れているので
お水が利用できないんですね
そこでなんとか水が欲しいということで
竹内すくねたちが考えて
この中川の上流から溝を掘って
そこが各いろんな水田を潤しながら
再び中川に注いでいくような
そういう洞水工事をしたというわけです
その距離が5.5キロということですから
何年かかかってですね
こういう工事をして
それが今でも現役で使われています
しかもですね
これが日本書紀に書かれてるんですよ
すごいことですよね
中川氏の作多のうなでの話でした
お話を神宮神戸伝承を歩くの著者
綾杉ルナさんに伺いました
この続きは来週お送りいたします
ここで古代の福岡を歩く
リポーター永島リエさんです
おはようございます
ぜひ中川氏作多のうなで
そして神宮神戸の足跡を歩いた後に行ってほしい
おすすめのお店があります
お醤油屋さんなんですけど
丸山醤油醸造元っていうとこで
別所っていう場所にあるんですけど
ここ不思議なんですよ
朝9時半に行ったら
なぜか大根やら白菜やら
抱えたお客さんが次々に店内に入り
表では人々が水を汲む
なんか山直の店みたいでしょ
お醤油屋さんが本業なんですが
地元で作られたお野菜だとか
お漬物お米を売ってらっしゃるんで
皆さんが朝方の新鮮トレトレのお野菜を買いに来る
お水も持ち帰り自由で
仕込みに使ってるお水と
もう一つ別の水と
二種類汲めるんだしだって
何がすごいって
2リットルとかそんなちっちゃいのじゃなくって
10リットル20リットルの容器に入れて
持って帰ってくださいって書いてあるんですよ
なんて太っ腹なんだと思うんですが
明治43年から丸山醤油って営業してるんですが
この中川にやってきて
ほぼ半世紀になるんだそうです
福岡県のお醤油って
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まあおおむね甘めですけど
その中でも比較的甘めな方に入りますね
とおっしゃるのが
丸山醤油の取締役
勝野光雄さんなんですが
今醤油だけじゃない
いろいろ面白い調味料があって
おすすめされたものの一つが
名前が豆腐プラスって言うんです
豆腐プラス
冷ややっこに合うんじゃないかと
開発されてるんですが
実は今年のRKBラジオ祭り
福岡醤油屋総選挙
豆腐に合う調味料選手権っていうのを
やってたんですが
皆さんの投票で1位を決めるんですが
その調味料部門のグランプリになったんです
ぜひちょっと食べてみてください
いただきますよ
あ元容器はドレッシングで
ちょっと茶色ですが豆腐にかけて
いただきます
うーん
ごまの香りがしますね
あとなんだろうこれ
なんでしょうこれ
ちょっと強めの味がします
醤油とはまた違う
合うねでも
味噌だ
なるほどこれは合う
でしょ
美味しい
しかもすごいのがこれ売り場に見たら
鍋物のタレにも使えるとか
白和えができるんですよ
これで
合いそうです
ねえと思ったんですが
この豆腐プラス開発の背景には
母の愛があったんです
子供を育てていく中で
なんか野菜食べさせたい
もうちょっとっていうのがあったんですよ
最初に
でそこからどうやったら食べれてくれるとか
いいなっていうのから
あって白和えってさって
お豆腐やし野菜やしいっぱい食べれる
でも作るのが大変じゃんねと思った時に
手軽に作れるのを
どにかして作れんかいなって思って
そこから生まれたのが豆腐プラスなんです
白和えに合いますよこれ
ねえゆで野菜混ぜるだけ
ほれん草とかおいしくなりますよこれ
豆腐半丁と豆腐プラス大さじ2
ぐりゃっと混ぜたら出来上がるっていう
いい知恵をいただきました
そしてマルサン醤油の
ちょっと変わったおすすめの一品が
甘酒なんですよ
この甘酒がなかなか渋くって
実はこんなちょっぴり変わった甘酒なんです
で米麹使っての
甘酒が多分ですね
結構出回ってる甘酒っていうのが
火を入れて酵素が働かないようにしてる
甘酒が多いんですよね
じゃないとやっぱり火持ちもしないので
中で活動したらバーンっていっちゃうので
ただ弊社のマルサン醤油でしてるのは
でもせっかく甘酒飲むんなら
もったいないから
その酵素は生きたまんまにしとこうっていうので
生なんですよ
なので賞味期限も若干
短いのは短いんですね
で養霊像にはしてるんですけど
やっぱり飲んでいただくなら
そっちの方がいいんじゃないかな
27:00
さらりとしていて甘さが引き立ってますね
今飲んでもらいましたが
本当に軽やかなんですよ
でこの生のままだと
なかなか期限が難しいなっていう人のために
今日酒田さんに持ってきたのは
冷凍アイスの甘酒なんです
でこれを凍らせておいて
活動を止めておいて
ちょうど1日に飲んで欲しい分に
小分けしてパッケージにしてて
もうすごい工夫がされてて面白い
お醤油屋さんすごいな
ぜひマルサン醤油に出かけて
美味しいもの見つけてみてください
高島リエさんでした
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この番組は
宮橋の企画協賛道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました
ご案内は坂田秀大でした
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