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古代の福岡を歩くシーズン10。
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン10。
この番組は餃子の山端、道の駅村方の提供でお送りいたします。
道の駅村方の山本です。
フラワー&クラフトショップ日頃では12月1日からクリスマスフェアが始まります。
あなたのクリスマスは日頃にお任せください。
場所は道の駅村方物産館のお隣です。
待ってまーす!
こんばんは、坂田周代です。
今夜は再び糸島の伝説に戻ります。
糸島市二条のJR大乳駅のすぐ近くに伝わる伝説からです。
サイブリの松という物語。
ご案内を、糸島ふるさとガイド会長の吉丸克彦さん、
水戸真雪代さん、岩田久美子さんにお願いしました。
糸島の伝説は、糸島新聞社発行の糸島伝説集と、
海底版糸島伝説集を参考にお送りいたします。
まず、吉丸さんに伺います。
ここは大乳ですよね?
大乳です。大乳の駅のすぐ南側になります。
そして、田んぼの近くに入ってきたんですが、大きな木。
これがモミの木ですか?
これはモミの木ですね。
大きな木ですね。
昔は、ここに松が生えていたんです。
ああ、そうですか。
それで、唐津の殿様、12万3千国くらいあったんですけどね。
その寺沢島の神という。
寺沢島の神。
ここには火がどこかあるはずなんですけど、
あ、あれですね。
あそこに火がありますね。石火ですね。
石火です。
あれは後に建ったんですけどね。
ここは寺沢島の神の宴殿の地なんです。
宴殿を作った地。
宴殿を作ったんですか。
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寺沢島の神というのは、非常に命君でしてね。
いろんなお百姓さんのためにいろんなことをしてるんです。
ああ、そうなんですか。
それで、観宅をしたり、それから宴殿開発をしたり、
川の流れを変えたり、洪水なんか免れるために、
そんなことなんかをして、非常に命君だと言われておりますね。
そういうことで、ここは雨草とかですね、大炭ですね。
あそこら辺にも寺沢島の神の領地があったんですけど、
それとこの糸島を交換したんですね。
大体2万区ぐらいで。
それでここを宴殿にしようということでね。
ああ、そうなんですね。
それでここは井でやったんです、ずっと。
寺を作るためにここを開発しようということでですね。
今でも目の前を見ますと、ちょっと低いところに大きな畑が広がってますけど、
ここが宴殿だと。
そうです。
それでですね、島の神は働き者ですから、
唐津のお城をね、今で言う2時ごろスタートして、
午前2時。
はい、午前2時。
午前2時。
そして途中で日が昇る、しらじらと明ける。
夜が明ける。
その台湾のすぐ西側にね、白海というところがあるんです。
白海。
そこに来るとやっと夜が明けてくるということですね。
夜がしらじらと明けてくる。
そうです。
そしてここに来てですね、自ら神頭式をしたと。
神頭式をしたので、ここには昔、その当時ですね、松が植わっていたんですね。
で、小高い岡井があっているから。
それでそこで神頭式をしちゃったと。
それで栽培の松と。
栽培の松。
栽培を振る木の下でですね。
それで栽培の松というんですけどね。
実はその栽培の松、福吉というところがですね、すぐ隣でしたよね。
神の名産地だったんです。
和紙。
和紙の。
で、京神とか言われましてね。
京都あたりに持っていくと高い値段で売れたと。
で、それの神像三股を神するでしょ。
神突きするじゃないですか。
で、その突いた神を乾かすのに板がいるんですよね。
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その板が随分たくさんいるんで。
東英門という人が神の支配をしよったものだから、この松に芽を付けて。
で、船大工がですね、松を切って板にしようと。
ところが急に死んだりするんです。
それでどうしてもですね、一応板に沸いて、そして神を張って乾かすと。
そうしたらどうしても黒くなったり、途中で神が腐ったり、そういうことになるんです。
うまくいかない。
それが不思議と、ここで切った松の板にだけしか腐ったりしないと黒くなったりしない。
変なことが起こる。
はい。それでこれはおかしいということでね。
調べたら寺沢島の神がここで祭会を振っていたところの松だと。
で、祟りだということになって。
そしてその日を作ったんです。
今ここから30メートルぐらい先に石碑があります。
ありますね。それを作ったら収まったという話なんですね。
石碑はだいたい1メートルぐらいの高さの石碑です。
福吉の神というのは割と上質の神といわれています。
京都でも非常に人気のあった神だったそうです。
いまだに民謡なんかもね、神好き歌の民謡、福吉の地の民謡があります。
これ今はもみの木ですけど、昔は大きな松だったということですね。
なるほど。今あるもみの木の前は松が植えてあったんですね。
その木の下で祭会を、寺田島の神が祭会を振って延年を作ったと。
ここは今延年があったであろう、目の前が畑になっていますけども、
ずいぶん広い畑ですね。
そしてちょっと低くなっておりますね。
有能な、優しい殿様だったというわけです。
祭振りの松というお話。石碑には島大名神と書いてありました。
次もこの延年を感覚した寺沢島の神にまつわる話、百合田というお話です。
先ほどの場所からちょっと移動したところです。
深江になります。吉丸さんに伺います。
ここはもう深江になるんですか。
深江です。ご覧のようにちょっと低くなってますね。
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ここを感覚したんですね、寺沢島の神が。
寺沢島の神。
この寺がですね、感覚した寺を尾松という働き者の、
ご主人早く亡くして女で一つで男に混じって出方なんかするんですけどね。
尾松さん。
はい、尾松さん。その人の話なんですね。
尾松さんの話。
寺沢島の神がここをですね、ちょっと高くなっているでしょ。
ちょっとこの辺の風景を見ますと、森じゃないですけれども竹林みたいな感じですね。
林がここに、そうですね、50メートルくらいの空き地に生えておりますね。
ここら辺一帯が非常に高いところだった。
高いところ。
だからここら辺の土をですね、こっちに埋めていったんですね。
左側に低くなっているところ。
ここを感覚したんですね。
それでここはちょっと海が入って、アシとかヨシとか生えて。
で、浅かったわけですね。
田んぼにしたというところですね。
非常に広い田んぼですね、ここね。
広いですね。
それで深江も観卓地としてね、ここら辺一帯を開いた。
寺沢島の神がここまで視察に来るわけですね。
みんなを励ますと。
自分も朝早くから出てくるから。
もう村の人たちも朝早くから出てくるんですけど、
尾松さんはですね、男の人よりも早く出てきて。
さらに早く、尾松さん。
自分は男じゃないから、作業は男なのにできんから、
せめて早く行って遅くまで働いて、働こうということでね。
気長な気持ちを持ってあるわけですね。
それがね、その殿様の耳に入ったんですね。
よく働いている娘がわざと。
そういうことですね。
それで時々来て、さっきの西不利の松じゃないこと、
ここでみんな集めて激励して、褒めてあって激励するわけですね。
みんなもやっぱり殿様から言葉かけられて、一生懸命やっぱりやるわけですよ。
だんだん埋めていくんですね。観卓地ですから。
そしてある時、殿様が見えるということで、尾松さんがね、
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おたもちと言いますか、おはぎ。
あれを作ってくるんです。
これを殿様のためにご馳走に。
木桶の百合というのに持ってきて、
殿様、私の田舎料理ですが食べてくださいって言って、
俺ちょうど腹が減っとったと。
じゃあおいしくいただくよって言って、
お役者さんと一緒に手掴みで食べたって言うんですね。
大変嬉しかったらしいんです。
それで自分も、お殿様がね、自分のもたもち食べてくれたって言って、
村の人に言ったって言うんですよね。
で、ある時、ここを分配する時にね、
お殿様が、この前のもたもちおいしかったぞと。
お前ね、この田んぼを分けてやるから、お前の名前してろと。
村人の商屋さんに言うって。
これは尾松にやる土地だから、お前も知っておけと言うわけですね。
それで今度は商屋もね、分かりましたということで。
そしてその殿様が尾松の前に来て、
お前ね、この土地をお前の土地するけども、
この前に入れてきた桶、ゆりいっぱいでいいんだと。
それでゆりだという名前についたんです。
ゆりというのは桶のこと?
桶のこと。お寿司なんか作りますね。
あの倉庫のアサヤですか?
はい、倉庫のアサヤ。あれいっぱいでいいよと、年貢はね。
そうおっしゃった。
それでその話は有名な話で。
ああ、そうですか。
そのゆりだがこのところなんです。
ゆりだがここにあったという。
安宅寺ですね。
もう意外とね、みなさん知らんのですね。
働き者の尾松さんに、ゆりだいっぱいの納税で住むようにしたと。
そうですね。美しい話ですね。
今度は茅山の近くの水戸湖にある西林寺というお寺に行きました。
お話を吉丸さんと岩田さんに伺います。
小さな狸が門の前で出迎えてくれました。
水戸湖という場所です。
浄土宗西林寺というお寺があります。
ここにはどういったようなお話があるんでしょうか。
ここはですね、太宰府の観世音寺の寺僚が、船越人がここの水戸湖はあったわけですね。
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それで観世音寺に、中国から阿弥陀仏を取り寄せて祀ろうということになったんですけども、
途中嵐なんかにあってですね、大変難儀して勝家というところに着いたんですね。
で、一時その仏像を寺山に獅子神社というところにですね、仏様を入れるお堂を作ってね、一時そこに置いとったんです。
阿弥陀仏をですね。
ところが観世音寺でですね、火事にあって、その日本で祀った仏像が焼けてしまうんです。
それで一時、獅子神社に預かっておった分を正式に観世音寺に持って行って、本尊にしたわけですね。
そしてその後ですね、玄心さんが掘ったであろうという仏像をですね、この祭陵寺は観世音寺の四十九院の一つですから、そこに持ってきておこうやということになったんですね。
要するに太宰府観世音寺の方に阿弥陀仏を持って行っちゃったから、こちらが空いたわけですね。
そうですね。
台座だけ残っていたと。
そうです。
それでその上に阿弥陀仏、木造の阿弥陀仏を作って。
仏を作ったと。
はい。
そういうことになります。
それを作った人が衛心相図です。
衛心相図という、玄心さんだろうということなんですけど、これ玄心さんかどうかというのはちょっとクレッションマークらしいんです。
そうですか。
今日の仏師には間違いなかろうと、玄心さんが有名な人だからその名を冠したのではないかという話もあるんですね。
そうですか。そしてここに御徳というところなんですけども、御徳というのが台座があったので。
そうです。御徳からですね。
御徳。
御徳から御徳になったんですね。
御徳になったということで、地名として残っているということですね。
そうです。
たぶん御徳の台座はこっちにあると思います。
あります。御徳がね。
御徳があります。御徳がねって言うというね。
鉄でできた。
鉄でできた。
御徳がね。
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御徳がねと呼ばれていたようです。
はい。
それで鉄でできた、いわゆる柱ですか、そういうものではなくてですね。
ただ平べったい鉄のところがねということで。
そうですか。
そしてその衛神僧図が作った仏像というのがどこにあるんですか。
ここの祭輪にも。
この祭輪の中にあるんですか。
仏像ちゃんとありますから、そこに置き換えしてあります。
そうですか。
こちらにあるんですか。
あちらの堂です。
祭輪寺の看板が出ていますのでちょっと読んでみましょう。
木像、阿弥陀如来座像。
この阿弥陀如来座像は平安中期、天台宗の僧、衛神僧図、元神後僧というの本作と伝わり、
大正3年に国宝、昭和25年に重要文化財に指定された尊像で、
大きさが高さ107.5センチということで、
左足を外に蹴下、右手を挙げ左手を差し出して、
それで親指と人差し指を結ぶ阿弥陀如来号印を表しているというふうに書いてありますね。
今開けていただきましたけれども、これはまた立派なもんですね。
ちょっと上がってみましょうか。
階段が何段か作ってありますので、階段を上がりまして、
これは立派な仏像です。
国指定重要文化財、阿弥陀如来、衛神僧図、恩作というふうに書いた仏像です。
これが平べったい、120センチくらいありますかね。
ありますね。
縦が1メートルちょっとですね。
1メートルくらいの楕円形になっていますね。
楕円形になっていますね。
これが恩徳子、御徳子です。
地名の由来になった御徳子ですね。
磁石を当ててピタッとつくんですよ。
そうですか。おもしろいですね。
その上に線香たてがあって、1本の30センチくらいの長い線香が立ててあります。
仏様の食べ物は線香と煙だと言われていますから。
大きな線香ですね。
そしてその後ろに阿弥陀如来像があります。
堂々としていますね。
堂々としていますね。
本当に座像ですけどね。
左手の方を左膝の上に置いて、右手を前に差し出して、
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親指と人差し指を結んで、雷合炎というものを作っていらっしゃるという立派な像ですね。
立派な像です。
だから見ると定調様式というか、そういう感じがしますね。
立派ですね。
光輝ですね。
光輝も綺麗だもんですね。
グリーンの色が付いていますね。
それに周りが金で縁立ってあります。
まだ金箔がそれほど落ちていないですね。
落ちないですね。立派なものですね。
黄金色に輝く仏像ということが言えるということですね。
伊都島の宝でございますから。
そうですね。
御徒子の祭輪寺の仏像にまつわる話でした。
ご案内を伊都島ふるさと街道会長の吉丸勝彦さん、
御徒間節佑さん、岩田久美子さんにお願いしました。
伊都島の伝説は、伊都島新聞社発行の伊都島伝説集と、
改訂版伊都島伝説集を参考にお送りいたしました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
本編でも歩いている伊都島、歴史の宝庫でもありますが、
クラフト作家さんがたくさんあるクラフト天国でもあるわけですよ。
そうなんですね。
そうなんです。
あまりにも作家さんが多くて、どこに行っていいやらなあと思っていたら、
いい場所があったんです。
なんですか。
伊都島市、島発にある伊都島応援プラザというところなんですが、
ここですね、伊都島で活躍するクラフト作家さんたちの作品が展示、
しかも販売されている場所なんですよ。
そこにギュッと集まっている。
そうなんです。
これはいいですね。
便利でしょ。
行ってびっくりしました。
まず広い、たぶん中学校の教室2つ分ぐらいある店内に、
ずらずらずらずらずらっと物が並んでいるんです。
いいですね。
目移りしますよ。
陶芸あり、木工あり、布、革、ガラス、金属、こういった物もで作られた器があり、
バッグがあり、アクセサリーがあり、小物があり、絵はがきがあり、
もう本当にクラフト天国なんですよ。
伺ったら、伊都島で活躍するクラフト作家さんって150人くらいいらっしゃるみたいで。
そんなにいるんですね。
いや、というか、伊都島の風土って、手作りをする人ってやっぱり行きたくなりますよね。
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ものづくりに適した風土があるっていうね。
40年ぐらい人が人を呼んで作家さんが集まってくる感じなんだそうですが、
自然の豊かさの中でインスピレーションを受けつつ創作活動をする。
落ち着いて作品が作れる。
さらに販売箇所でにもなる福岡市が近いっていういろんな条件が作家さんの心をね、
わしづかみにしてるらしいんですよ。
そんな情報を教えてくれたのが、この伊都島応援プラザを運営担当している
マーケティブデザインラボの田中臨さんなんですが、
田中さん曰く、このクラフト作家を市が応援しようということで、
この伊都島応援プラザ作られてるんですが、
展示だけっていうのはね、全国あちこちあるんですけど、
販売までやるっていうのは珍しいんですよ。
そうなんですか。
つまり、ここ伊都島応援プラザの大きな役割と一つとして、
このクラフト作品に出会う場所でもあるんですが、
私も思ってたんです。
企画化された工業製品だと写真とかね、今時そのネットで見れば出会えるんですけど、
やっぱり見るまでわからないんじゃないかと。
手に取ってね。
その疑問をぶつけたらやっぱり田中さんこうおっしゃいました。
そうですね。手に実際ちょっと持ってみて、手触りとか重さとか、
同じものでもやっぱり並べてみると違うので、
どの子にしようかなっていう楽しみとか。
どの子ってそうなっちゃうんですよね。
そしてここは出会うだけじゃなくって、クラフト作家を訪ねる拠点でもあると。
そうですよね。
実はマップがあるんです。今、坂田さんの前に持ってきたんですが。
伊都島全域に本当にいろんな工房があるんですね。
そうなんですよ。この伊都島応援プラザに作品のある75人の作家さんの中でも、
さらに40件ぐらいはギャラリーを持ってて、お客様どうぞ来てくださいって受け入れ体制ができてるんですね。
だからこの作家さんの作品好き。よし今度は工房訪ねようって繋がってくるわけですね。
とはいえどんな人かわかんないし、制作中だったら邪魔かなとか思ったり、
なんとなくいたら買わなくちゃいけないんじゃないかなとか、
弱気な私はいろいろ悩むわけですよ。
大丈夫とマップを見ながら行く先とかルートの組み立て方とか、
あと今日訪ねていいですかっていう確認などもスタッフが一緒にやってくれる。
それが伊都島応援プラザなんですよ。
さらに訪ねることの良さについて田中さんこうもおっしゃってます。
作家さんとお話しするとやっぱり実際手に取って見る
プラス作家さんがどういう風に作ってるのかっていうのが直接聞けるので
やっぱり作品に対する気持ちっていうのが全然変わってくると思います。
やっぱり皆さん個性豊かな方なんでお話しするとすごく楽しいです。
やっぱりウキウキして、こういう気持ちでこれを作られてるんだなって思うと、
それをもしもう買って帰るってなったらそれを使うたんびに思い出すので、
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やっぱり一つから始めてほしいなという気持ちはありますね。
ここからレンタサイクルで走っていくのも良し、
さらにもう一つこの伊都島応援プラザ、クラフトに挑戦する場所でもあるんですよ。
3,4人のグループでもいいし、20人ぐらいの大人数でもいいんですが、
日々それからやってみたいクラフトのジャンル、作家さん全部コーディネートして実現させてくれるんですよ。
本当にクラフト天国の伊都島、この伊都島応援プラザでぜひ堪能してください。
中嶋理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
またラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は道の駅室方、餃子の山端の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで
様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約はスタービル博多祇園のホームページからどうぞ。