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古代の福岡を歩く シーズン5
遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン5
この番組は三山市の企画協賛 道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたします
道の駅村方営業部長の久藤です 村方の新鮮な海の幸山の幸がたっぷりです
いつも旬のものをお届けします 世界遺産神はどる島 村方おきの島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう
おはようございます坂田周大です 先々週は三山市のオルレのコースをご紹介しましたが
今週はそのコースの中に出てきました 餃山の神籠石についてお届けいたします
お話を三山市世高郷土司会会長の熊川武さんに伺っていきます まず
女山と書いて祖山と言いますがなぜこのあたりのことを祖山というのか このあたりからお話を伺います
ずっと以前はですねあの女王山とね言ったと言うんですよね 女王山と
いろんな説があると思うんですけども ただ女王山というのをね言われておりまして
またある意味では近年になって天皇権に羽ばかってね 女山という形にしたというふうな説もありますよね
女王山ではちょっと羽ばかっているということで それで女山
そうですね その根源というのはね言うなればあの神宮皇后が日本書紀もありますけど
中藍天皇ともに一緒に九州の方にやってきまして 中藍天皇が亡くなった後にですね神宮皇后はずーっと
柏の方から南の方に下っていくんですよね そんな期間においてですね
もうそこのこの蓄穂地域の方にはいろんな 豪族の姫と言いますかそういう人がいてね
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言うなれば土蜘蛛みたいな形でね言われておりまして その時はタブラス姫というタブラス姫を討伐したというふうな形でね
言われておりますよね ただタブラス姫もその時代でいろんな方がね
あの当時この地域の方においてね あの
女性と言いますかそういう形であの権力の座になったとね というようなことでそういうこともあって
女王山がね山という形に変わった可能性もありますよね なるほどあのまあこの辺にはですね
山大国論っていうのがあって昔は非常に この辺じゃないかと言われてましたよね
それもあるんですかその秘密コントローカーそうですね あの一番早くねこの山東軍があの山大国と
あの否定したのはの江戸時代の新井白石ですよね 彼があの晩年にねあの
いろんな 発音と言いますかそういうあの音からねあの解き明かしていって結局山大国というのは
あの地区の山東軍であるというのを残しているんですよね これが発端であって今度は言うなればの明治になったら
今度は滋賀鳥倉木先生という東大の大学の東洋学者がですね やはりあの
なんていうか山大国はこの北中州の山東軍があったというふうな形で 実は論をねしてますよね
ちょうどその時にあの京都大学の方の内藤孤男先生という方が今度は近畿説をね 唱えてちょうど初代の東大学長
東大のあの滋賀鳥倉木先生とそれから内藤孤男先生のね バトルで始まってずーっとも百何十年間ですね
山大国論争はね展開しているわけですよね その関係があるんですかねそうですねこの辺に要するにあの女性で
支配権を持っていたというようなことなんでしょうかそうですね 元折野中もねあのその下の中において山大国をですね
あのこの地区が大和の方に規制してますよね ただ彼らはの当時であの女孫女孫というかあの土雲がね
ある意味ではの自分たちがね 国の王みたいな形で名乗っていたというような形でね
やっぱりもう通りの段しても基本的にはのこの辺で九州北九州の方ですね あの一つの地方の豪族はね
国の代表みたいな形においてあの 山東に名乗っていたとかいう形において出てますから
そういうね歴史から見た場合にはやっぱりあのこの地域に女王というね 力帝たちが国をね支配したあの名残がずーっとある感じですよね
それで神戸市の話なんですけどあの オルレを歩いてきてですね
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三山清水山コースっていうのを歩きましたらもうすぐふもとの方にですね あの梅田に水門
はいありましてあれも神戸市って書いてましたね あれから
まああの山全体にずっと母 張り巡らされていると言いますそうですよねなんですかね
だいたいねあのあの山のねえ ところですね約3キロだってね
ずーっとこの神戸市はちょうど釘飾りのような形でね あの
なんていうか 締めておりますよねなるほど
で水門がね一応ね4箇所あったと 一応水門があってその先言われたねところはの一応北の方のですね
水門として今もねこれ ある意味で水路があり形で水が流れているところですよね
えっとなんかあの説明によりますとこの水門のあるところまでは海だったというふう なことをおっしゃってましたけどああ
そうですよね あのいくつかの説があります
ただの貧困よりもね少し年齢が下がった頃の 神宮高校の頃神宮高校の場合はあのちょうどね
えっとなんていうかな
高尾神社というねあの三橋という街があるんですよ その辺までが一応ね水が来ていたとそして高尾神社の場合はね
そこにいろんなの 虎井人たちが船を降りてそこからねあの各地に散っていたと
ですからの日本書紀とかねそうやの こっち側に座っている不渡比とかそういう内容を見るとね神宮高校もね
この有明海から今度は高尾神社の近くにね あの下船してそこからねその地域をね
収めていたたぶら積みをね一応討伐したというふうに書いていますよね ですからもうやこの山のねすぐ近くまでまあ
海がね占めていた というよりもねまあだいぶあの
あのなんていうかな海が近かったことは事実でこの辺のね あの大河とかいろんな地域もある意味であの
あのなんていうかなカンマンの山においてはですね 関連にあの水になったりとかそしてまたあの少し島みたいな形でね
転代するような形になったと思うんですけどもその首飾りみたいな形になって まあ
高尾石がずっと張り巡らされていたって水門がまあ4つぐらいですかはい あったということですけどその水門は山からの水を抜くための水門ということですか
そうですよねあのやっぱり風水害で言いますかあのね すぐそうが結局するとかありますから
金沢古代のまあいろんな 神戸市ので排斥各地の残っているのも金沢の3問とか4ものね
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水門がありますよねですから山上に降った水がねあの きちんと流れるように4箇所にですね水門を置いてきたというのがやっぱり
正しいでしょうねああ それからあの
その高校医師ですけどもまあふもとのところにまあ水門があってそれからあの まあ
200メートル約ずっと登って頂上にですね 調色機にも高校医師がありましたよあれはずっとつながってるんですかそうですね
だいたいあのずーっとつながっておりまして ええ
あのだいたい 記録によるとですね3キロに渡ってねあのこの山をね
取り囲んでいたと ただ残念なことにはですねあの
田中吉政子が柳にね築地をした時なんかも石垣としてね 取っていったりとかそれから観察の時にねこの石をですね
利用してねですから今残っているのは水面ではね非常にこう 残存って言いますが少ないね少ないあの
高校医師が残ってないね状況ですけども 昔からの音一つの見取りと見るとね
3キロに渡ってだいたいねこの 高校医師があのスターなんて言ったという風に言われておりますね
そうするとふもとからずっと山の上まで連なっているということそうですね 今朝は三山市ぞ山の高校医師について三山市世高郷土司会会長の
熊川武さんにお話を伺っています この高校医師いつ頃できたんでしょう
これが諸説あるんですよねただのなんていうかな 一つはあの礼儀説いよるその女王がね
ある意味では最初行ったと最初行ったね あのところであの礼儀説いうあの例の例ですよね
礼儀説はい 礼儀説と山上説がね2つありましてずーっとね論争をされてきたんですよ
ところがあの最近のね一つの定説としてはもうねあの 佐賀の方にある大坪山とかああいうねところを発掘調査した
学会においてはだいたいこのは ああ
お城跡 山上説に落ち着いている感じですよね
ただ私たち自身も地元の人間としてねちょっとやっぱり言いを唱えたい分野があってですね
というのはこの 高校医師のね内側の方からですね
例えばあのみかん あの博士なんかの時ねあのどうことかどうことかね出てきましてですね
あのこういうね 道具でのは祭儀をあの
まあ一つのね王が祭儀を行うときに使うことがどうことか こういうのがやっぱり使っているのを見るとね
しかもこれはだいたい年代的にも4世紀3世紀4世紀のね あの道府ですから
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この東北はこうひどいねあの広域型の道府なんですよ これはの実践用ではなくてね
祭儀用に使うねどうこういうのお祭りですね これがねこの高校医師のね内側の方から出てきたと言うこともあるからね
これを観点にね
マッシュなんていうかな山城というふうには山城というにはね これはまた断定できないような感じがしますよねそういうことですか
ですからある意味では2つがね2つが併用しながらね あの今日まで続いてきたとも言うことができると思うんですけど
航空学的な分野だけでねこれを断定するのはちょっと なかなかね難しいんじゃないかとそうすると例えば山城説の場合はね
白村公が和国が敗れてでそれで白人との連合軍がしてもいいんじゃないかということでその後に作ったという説がありますよね
だから7世紀の後半ですかね
白石の戦いがね463年ですか そしてある意味ではのくだらぬ高官たちもね同じように日本の方に亡命してその高官たちを使ってね
ダザイフの周りあの人ね木山とか大野城とか作ったというのが日本書紀なんかに書いてありますよね
ですからまあそれが一応定説みたいになっておりますけれどもあのね あのいろんな方の話を聞くとですねあのすでに以前で以前あったね
そう一つの遺跡のねところに補充しながらね 山城を作ったというねそういう説もあるんですよね
ですから木山なんかの場合もですね
あの底面があって中間があってその上にね上層の層があるんですけどもそれをずっとね年代測定なんかした時にはですね
一番表面の方はねそこそ7世紀ぐらいのであの一つの結果がね出た時にだけど中間層になるとね
紀元400年とか一番底部をね底部になるとなんかちょうど250年ぐらいのね
あの一つの炭素結果が出たというレポートもありますからですからね
もう白素系のね白村工のあの663年のねあれ以降とねいうのも確かに事実かもしれないですけども
ある意味ではね昔からあった以降にですねあの補強したりとかまた指導を組んだりとかね
いう形において出来上がったのはねあの山城施設ではないかなという形で考えてますね
この甲羅さんのねあの神戸石はですね甲羅神社をずっと囲んでますよね
だから聖域というか神域をずっとね神戸石に積んでますもんですから
そういう面ではねこれはあの聖域説というか霊基説というかこれ以降ね
ある面では該当する内容ではないかなと思いますよね
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あの神戸石の山城の特徴と言いますかねどういう特徴があるんですかね
神戸石自身はあのね名前は例えばですね
甲羅さんなんかの神戸石の場合はですねあの神がね籠るあの石と言いましてですね
この悪いメンバーたちがねその神戸石の中に入れないというね
いわゆる霊基説
そういう形から見たらそういう形ですけどね
ただ最近の研究ではその神戸石のところにですね土をね土林を積んで
神戸石の上にですね2メートルぐらいの土を盛り上げて
積んでありますね
そのところにまた木をねどどっと置いてあるんですよ
ですからやっぱりそういうね面から見たら確かに外敵を防ぐ形がね可能性がありますね
ですからこっち側の場合にはあるいは機械の方からとか
そういうところからね外敵が攻めてきた場合にはそこに籠ってね
一応防戦するとかいう形もあるしですね
またある施設によるとあのあれですね
神戸石なんかが繋がっているところはほとんど天望がいいところなんですよ
天望がねですから例えば吉野川近辺のところにね
神戸石があった場合には敵が来た場合にはのろしを上げて
そしてこっち側に散らせると
こっち側の場合も今度はねのろしを上げて
甲羅山の方の神戸石でね敵の侵入をね告げるとか
甲羅山が今度は朝倉の方にですね告げるとかね
いう形において敵の侵入を散らせるとかいう説もありますからね
ですからだいたいこの神戸石がね
設置されているところは交通の要所とか
または天望がいいところとかに神戸石が置いてある場合が多いですよね
なるほど
甲羅山の神戸石もそうですねそういえば
そうですよね
天望台から360度見えますね
それこそ南の方は雲前府原台で
今度は佐賀の方の太良山ですね
もちろん有明海もねはっきり見えますし
そしてこの土山からですね
だいたい30キロちょっと行ったところに吉野神戸の遺跡があるんですね
この北の方はですね今度はね
もう10キロも行かないところに岩手山の祝いのお墓があるんですね
ですからあそこは全部こうね見えますよね
南からずっとね下の方までね
水面では非常に要所の形では非常に素晴らしいね
天望できるところ立地がありますよね
そういう見方をするとやっぱり山城かなという感じがしますね
そうですよね
ただねあのなんていうかな
今私もちょっと研究している中においてですね
神宮皇后の内容を書いた甲羅山の古文書があるんですよ
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甲羅山に伝わっているんで
そこによるとね普通に神宮皇后の時からね
甲羅山の方には皇后石があったと名称が出てくるんですよね
ですからこの甲羅山のね
この古文書の一つの批処された年代にもよりますけれども
相当昔からね皇后石という名前がですね
いわゆる伝わってきたということを思うと
もちろん山城説もこれは本当と思うんですけども
もうちょっと下って神宮皇后のあの時代
だいたい4世紀から5世紀ですか
あの辺にも皇后石の一つの記載が書いてあるんですから
いやーもっと古い年代から皇后石があったのではないかな
というような形で見ておりますよね
なるほど
これがね甲羅神社の甲羅玉たり書という書物なんですが
これは近年になって初めて公書になったんですよ
これは門外不出の書物だったんですね
これがとにかく学問的に世の中に公開したということで
出てきた名前がですね
甲羅玉たり神秘書という形ですね
ですけどこの中にもね実は神宮皇后と仲が良かった
玉たりの見事という人がですね
甲羅さんの方に入っていってここで皇后石をね
作ったとかいう形が書いてありますもんですから
ですからこういう意味ではまだロマンがありますよね
文献的に残っている内容でございまして
神宮に伝わっているもの
そうですねこれはもう立派な人として
1万円ぐらいでこの図書館にも置いてあります
非常に高価なものですよね
ですから考古学分野では確かにあの山城ね
山城説がこれは主流ですけども
文献的にはねまだまだ探求の余地がある
皇后石じゃないかなというふうに私は考えておりますね
そしてこの祖山の劣跡を
これは皇后石だと世に広めた方がいました
これについては宮間市高田町郷土支部部長の
久保田健さんに伺います
皇后石の名前をですね
祖山の皇后石の名前をつけた方がですね
石田明栄という方なんですけどですね
その方はですね
神羅神社の宮地で船引き金戸元で
神羅山の皇后石を開けたんですよね
そういう経験から世田谷に戻ってから
劣跡を見てからこれは皇后石であると断定されたんですよ
そういう歴史がありますので
私の方はもうこの井田坂一方の若中子
この方を書いてますけど
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この方の研究を今しています
この中でもですね
皇后石の図面で
どういう風な方って山の上までかかんで
水門が4つあった図面とか
実際に行ってから調査している写真を
写してから載せておりますので
これいつ頃の
明治時代のことで
石田坂栄といいます
石田坂栄さん
この方は研究をなさって
その方はですね
柳川市大和町の高尾の方で
実際は家人としての活躍とか
農業関係の活躍とか
京都市研究とかですね
京都市の方では
多高神社の古文場とかを
見聞家祭に昇格された方で
ちょうどだから
東大教授の石田栄先生が
お目になった時にですね
ご一緒に探査したんですよね
今週は
三山市三山の高尾石について
三山市世田河京都市会会長の
熊川武さんと
三山市高田町京都支部部長の
久保田武さんに伺いました
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島リエさんです
おはようございます
お正月用の魚をどう調達するか
気になる時期になりました
ブリとかね
そうですよ
やっぱり頼りになるのは
道の駅室方なんですが
とにかく人が多い
大変そうだと思いますよね
水産加工科係長の
伊藤美幸さんに聞いたら
やっぱりこんな返答でした
ハチマキして気合入れて
聞いてください
ハチマキして
お客さんもハチマキが必要
そうなんですよ
でも今年は今までと違うんです
ブリ予約受付してるんですね
そうなんですね
そうなんですよ
12月の20日まで
道の駅室方に直接行って
予約をすればOK
受け渡しは12月29、30日の
両日となっています
予約じゃなくても
直接買うぞっていう人は
年末ブリの販売が
12月26日から
12月30日まで
これは予約なしでも直接
ただ戦い抜いて買わなきゃいけない
ハチマキ締めて
やっぱり節制魚の王様ブリですが
この北部九州で
嫁ぶり
お嫁に行って結婚して
最初に迎えるお正月に
お母さんのお家から
お嫁さんの実家に対して
本人いい嫁さんぶりですねって言って
大きなブリをいただくのが
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一つの習わしになっております
そういうことなんですね
そうなんですよ
大きいブリをいただくと
それは嫁の評価になるわけですが
なかなか大きさも厳しいですよね
なんて話を伊藤さんとしてましたら
こんな答えが
困ったっていうところも
なんかあったんですけど
でもやっぱ開けてみて
10キロ台になったら
相当大きいですから
もううわぁみたいな感じ
と思うんですよね
うちもちなみに
娘さんにいるんで
嫁に出した時は
相当大きいのが来ましたね
よかよか嫁
本当にそんなのかみたいな
よか嫁じゃなくても
ブリだけ大きいの
しっかりもらったんですけどね
10キロとかもあるわけですね
すごいですね
問い合わせも多いらしいですよ
でもねまず刺身で食べて
照り焼きにして
煮付けにして
いろいろ使えるということなんですが
伊藤さんのおすすめは
ブリシャブ
ブリシャブおいしそう
刺身よりもちょっと薄めに切ってください
これでお出汁の上に
シャブシャブと2回くぐらせれば
いくらでも食べられると
絶対においしいでしょそれは
えーじゃあ何の出汁で食べたらいいんですか
って言ったら任せなさいと
道の駅の方には
あご出汁のもともあるし
ふぐ出汁のもともあるし
こういうのを使ったり
これにさらに昆布を入れたりとか
すると完璧っておっしゃってました
お野菜もありますので
全部道の駅の中で揃うわけなんですが
とにかくお買い物
早く行ったほうがいいものの中に
ブリもそうですけど
タイがあって
さらにこんなものもあると
伊藤さん教えてくれました
あとイタウニが
もしかしたら大島が潜ったら
イタウニがやっぱ入ってくるかな
っていうのが
もし大島さんイタウニって並んどったら
もう即買いしないと
多分もう数がですね
あともうナマコが
河野港が潜りますんで
ナマコも潜って取るんで
地の島も潜ります
大島も潜ります
河野港も潜りますんで
冬の寒い砂中に潜って
取りますんで
そうですよ
いいですよね
買いたい
年末年始里帰りした人に
何かお土産で持たせるものも
探したいところですよね
おすすめで出してもらったのが
大島イブシという
お魚の柔らかい燻製なんです
スティック状に魚を切って
これをこだわりのタレにつけ込んで
イブすんですが
この魚の特徴に合わせたチップで
イブしてるんですって
まさに漁師さんのこだわりの一品なんですが
中にはこんなお魚もあるそうです
珍しい魚もいろいろ
いろんな魚を使うんですよね
こっちで水揚げした魚
面白いのは海ヒゴ
おじさんっていう魚とか
白身のタンパクの魚とかも
あるんですけど
そういったとかイラとかですね
あまりちょっと耳にしないタカノハダイとか
そういったのも燻製にしていくんで
いかがですか
おじさんの燻製今食べたんですが
香りがもういい
27:00
いいでしょ
これは素晴らしい
なんとも言えない旨味が
後から後からいってきますよね
噛めば噛むほどに
おじさんの燻製って言われると
すごい今むけちゃいました
おじさんっぽい魚なんですか
アゴヒゲがピーとあるらしいんですよ
この魚にはですね
なんとも言えない名前が
海ヒゴイっていう
親近感の覚えの魚
おじさんがおじさんの
イブシを食べる
ぜひこういった食べ方もチャレンジしてください
道の駅村方
年末は12月30日まで
そして年明けた初売りは1月6日からになります
中島リエさんでした
さてここで番組からのお知らせです
ホームページのご案内です
これまでの放送内容と
番組を1回目から
じっくり楽しむことができます
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古代の福岡を歩く
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また
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この番組は
宮間市の企画共産
道の駅村方
餃子の山鉢の提供で
お送りいたしました
ご案内は坂田周大でした
期待ラジオ番組
なんにもない
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