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古代の福岡を歩くシーズン10遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン10 この番組は餃子の山端
道の駅村方の提供でお送りいたします
道の駅村方の堂崎です 毎年大人気のいちご祭りのシーズンがやってきます
3月15日から4月30日まで道の駅村方がいちごでいっぱいになります いちごスイーツも盛りだくさん私もいちごが大好きですぜひお越しください
こんばんは酒田周大です 今週は塩寺山にある古代の山城大野城跡を歩きます
尾根に沿って半時計回りに歩き百軒石垣からようやく一番高いところ 高さ410メートルの扇山山頂に登ってきました
ご案内は古都太宰府保存協会の学芸員 田中健一さんです
頂上近くには美車門堂というお堂がありました この美車門堂様なんですけども海町の方そして地域の方が大切にお祭りしているお堂ですけども
冒頭でも津川さんがお尋ねしてましたがお正月にですね 独特の行事をされていらっしゃるということで
毎年1月3日に行われているのが美車門店参りということで 塩寺美車門店参りということでたくさんの方が1月3日参拝に来られるんですけども
なぜ多くの方が来られるかと言いますと 実はこちらの1月3日のお参りには独特のいい伝えがございまして
1月3日にお参りいただくとですね 早朝から午前中にかけて地元の方がお接待してくださるんですが
お堂にですねそのお祭銭が広げてあるわけですね そのお祭銭をですね借りて帰りまして
次の年に例えば10円お借りしたら次の年にお参りした時に倍にしてですね 20円をお祭銭として納めるとそのお参りした1年間はお金に不自由しないっていうような
言い伝えがありまして毎年多くの方がですね お借りして倍の金額を納めしてそれで1年間は美車門店のご加護のもとで
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痛がなく暮らそうということで そういうことで毎年1月3日には大変多くの方がお参りするというお参りになっています
1月3日って一番寒い時ですよね そうです時によって雪も降りますね
まだ上がってくるの大変ですね いやーでもやはりですねそのご利益を得るためにはやはり楽はできないと苦労してお参りして殺そうのご利益かなというところでですね
そうでしょうね
我々もこの険しい道をここまで上がってきましたけどもね そういうのが欲しいですね
まさにですねたくさんの方に訪れてこちらですねその1月3日の美車門店前にあの 海町の無形民族文化祭というか
海町の文化祭にも指定されてまして 塩地地区の方をはじめ皆さんがですね
地元の方々が大切に受け継がれている行事ですので もしよければですね新年ちょっと登山してみようかなという方は1月3日の早朝から午前中にかけて
ぜひあの訪れていただいて参拝していただければと思うところですね やっぱりあの険しい山道ですけどねそこを登ってこそ初めてご利益があるという
そういう感じがいたしますね そうですねやっぱりその登るための苦労っていうのもやはりですねそれもやっぱり自分に返ってくれるものではないかなと思いますのでぜひお越しいただければと思います
ここで田中さん この美車門地区に大事な話が残っているということでこんな話を紹介してくれました
見てきました美車門道美車門地区ですね大喜山の一番高いところ塩山の一番高いところ なんですけどもここは実はもう一つちょっと注目するものがございましてそれが実は
塩山というのはですね古代の教図家 教図がたくさん出てきているところなんですね
これ簡単に概要をお話ししますと平安時代の終わり頃に魔法の世が到来するということで
仏の教えがだんだん伝わりづらくなって世の中が乱れて暗黒時代が来るというふうに当時の人は 魔法の世が来るというふうにイメージをされていたわけなんですね
その後釈迦が亡くなられた後に魅力菩薩が現れて人々を救ってくださるという考え方だったんですけども
その魅力菩薩が現れた時のために経典を地中に埋めて伝えようと未来に残そうと
そういうことで経典を書き写して地中に埋めるというのが教図家 教図なわけなんですね
これ一番最初にやったのは1007年に藤原道長さんが一番最初にやられたということで最初に経典を土と経図筒に入れて埋めたそうなんでして
だいたい塩邪魔各所で実はその教図家が見つかっていまして
だいたい穴を掘りましてそこに石を敷き詰めて経典を入れた筒を乗せて
墨とか土を敷き詰めて最後石で蓋をして土で盛るというそういう筒を作るんですけども
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実際この塩邪魔にはかなり数多くの教図家が確認されていまして
山の全体からだと20を超える筒ですね 陶器だったり金属だったりする
そういう教図が出てるんですが その中の一番大きいのが実は御社門堂の辺りから出てきてるわけなんですね
今御殿場地区とか平坦地をご紹介しましたが 実は御社門堂の周りからは昭和2年の調査で教図家が8個
教図が11個出たというのが記録が出て 当時の新聞で大体的に報道されたという記録が残ってまして
まさに山城が築かれた古代から塩寺という寺が作られて 信仰の山に変わっていった
平安時代の終わりにはそういういわゆる仏のよう 最大を願って経典を埋めるという
そういう山でもあってかなりの数が作られて 北部九州ではなかなかない密度のある
そういった山でもあるということでございます
そうですかすごいですね 何もないところが実はそれだけ出て
何もないところじゃないですね 当時は大大ニュースだったみたいですね
そしてこの辺りに塩寺山の名前の由来になった 塩寺というお寺があったのではないかということでした
この最高峰の大喜山 今美沙門堂があります この辺りにその
いわゆる塩寺山の三名の由来になった塩寺が 作られたんじゃないかなということで
実際にですねこの辺りではまあそういう河原なんかも出動してまして やっぱりこう建物があったんじゃないかと
その中でもですねお寺にまつわるような建物があったんじゃないかなと言われるのが 実はその美沙門堂の東側にですね
実は小さな平坦地が続いてまして こちら御殿場地区あるいは御殿場組織群と呼ばれるんですけど
こちらの方にそういったお寺に関する いわゆる774年の塩寺に関するような建物があったんじゃないかと言われてますので
ちょっと美沙門堂さんが少し東の方に移りまして そちらの方をご紹介していきたいと思います
じゃあ美沙門堂の裏手の方 東の方になりますけれども
その方に御殿場組織群というのがありまして そこへちょっと行ってみようと思います
名前からして何かありそうな感じがしますね
そもそもの名前として由来がありそうなんですけれども
ああこんな平たいところですか
じゃあちょっとこの辺りでせっかくなので
ということで本当にもう美沙門堂さんから50メートルぐらいですが
東側に行っていただくと何段か平坦地が続いているのが見えている
こちらが御殿場組織群 建物が確認されていた御殿場地区と呼ばれるような平坦地になっているわけなんですね
こちらは1983年に九州歴史館さんが調査なんかされまして
やはりこの地域の御殿場地区発掘調査されましたら
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平安時代から鎌倉時代にかけてのいわゆる土器であったり陶器であったり
瓦というのが出土されたそうなんですね
この山中にようもなく瓦とかが出てくることはないので
やっぱり建物を建てたからこそですね
瓦が出てくるというのがね
ということでやっぱり古代におきますと
寺院はやっぱり瓦吹きなどで建てたりもしますので
今までご紹介してきた使用事がどこにあったのか
その最有力方法としてやっぱりこの平坦地もありまして
そういったいわゆる平安の終わりから
鎌倉にかけての遺物も出てくるということで
この辺りじゃないかなと最有力で目されているところが
この御殿場地区になっております
今目の前にそういう地区があるんですが
だいたい目で見た感じではですね
横長の遺跡でして
横がそうですね100メートルちょっとありますね
そして縦が50メートルぐらいですか
長方形の広場みたいなところになっておりまして
そこはもう大きな木ですね
に覆われて樹間に火の光が射さしているのが見えますね
こういった山頂に平坦地が作られて
やっぱり何かしら理由がですね
現在はこのように平坦地が広がっていますけども
古代によってそういった建物があったんじゃないかなと
考えられておりますね
またですね
ここの周辺では珍しいものが出ておりまして
陶器や土器というのは一般的なものでございますが
実はですね小さなですね
だいたいですね3.4センチほどの水晶が見つかっているんですね
水晶
透明なですね
でこれ何なのかというとですね
九州歴史を観察専門の先生が研究されたですね
実はですね昔のその巻物軸をくるくると巻きます
巻物のその巻くための木の軸がございますが
その軸を飾ってた水晶じゃないかと
ということで普通の巻物の軸はそういう装飾じゃない
なので多分おそらくその経典とか
そういう寺院で使う特別な
その大切なものの軸を飾ってた水晶じゃないかと
いうことでやはりですね
この登ってきて大変険しいですが
この山頂にようもなく水晶が置いてあるわけはないですよね
やっぱり何かとても役割を果たしていたと思うので
そういう経典などに使われたんじゃないかな
というその軸を飾る水晶なんかも出ているということなので
そういったことからもしても
この辺りにもしかするとあったのかもしれないということで
これもやはり今後の調査を楽しみにお待ちいただきたいなと思います
五転葉遺跡でした
そして県民の森センターの方へ石段を降りていきました
ということで大山の山頂ですね
武者本堂がある地区からかなり険しい山道を下ってまいりました
くだでもまた険しかったですね
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石段が設けてありますけど結構角度がある道でございましたけど
石段がやっぱりきついですね
結構体に負担がありましたね
ようやくかなり険しい斜面を下ってきます
途中で林道が通っております
こちら野外音楽堂なんかを通りまして
大野松市に下る大木林道という林道なんです
この林道を挟んだ向こう側に平坦面が広がっているんですけど
見えますねここから
こちらの引っ張ってる場所が八津波蘇石群といって
こちらの建物の跡の一帯が残っているわけなんですね
八津波蘇石群というのはここから見えますので
ちょっと歩いて行ってみますか
ここから八津波蘇石群が目の前に広がっていますね
ずいぶんここも広いですね
そうなんですね山中の中にぽっかりと平坦面が広がっているんですけど
まさに建物を建てるために古代の大野城の時に設置されたと思われまして
実際ここにですね調査なんかでは14頭も建物の跡が広がっています
そんな広いんですか
奥へ広がってますね
そうですねこの登山像の左右にですね広がっています
14個も建物が建てたんだというかなり壮観な眺めだったんだろうなと思いまして
こちらの方はですね3軒かける5軒のやっぱり高床式倉庫らしいんですね
ああそうですか3軒かける5軒のね
こちらもそういった食料だったり物資なんかを調査したものと思われる場所なんですけども
実はちょっとここでですねご紹介したいのが
そういった建物の周辺からはですねいろいろ出土したものがあるんですけども
例えばですね鉄製の斧とかあとは職人さんが使うのみですね
そういったものが出てるのでもしかするとですね
建物を建てる時にそういうのを使った斧とかのみがそのまま
何らかの理由で地方に残って伝われたんじゃないかなということで
なかなか興味深いものがですね
この建物を建てるのに関連したいようなものも出てるというのが
八津波蘇石区の一つの特徴でして
今整備されてますので
ぜひですねゆっくり大きい山から先端に寄り道して下る方はですね
ご覧になっていただきたいなと思います
右手の方に広がってますね
ここも曇れ日が当たって
そうですねこの日当たりのいい空間ですね
ここでですね
太宰府といえば伝説ということでですね
実はこちらの八津波蘇石区にも伝説伝承が伝わっておりまして
興味深いのがですね
何度もご紹介してますが
江戸時代に描かれました太宰府旧石全図という絵図なんですけども
そこにはですね
二つこの名前が書いてありました
この辺りで八津波賀原というのが書いてありまして
あと屋敷跡なんかも表記もあるんですね
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江戸時代の人はどうもこの一帯
現在の調査だと倉庫跡ですけども
どうもなんか屋敷跡があったんじゃないかというふうに
記録しているわけなんですね
そこに書いてある伝承が二つありまして
一つがですねその絵図にはですね
この八津波賀原のそばにですね
53代天皇にですね
潤那天皇という方がいらっしゃるんですけども
その方はだいたい786年から842年の方なんですけれども
この潤那天皇の頃にですね
靖郡南の村のあたりにですね
八津波長者という有史が
塩寺山の城に出勤し
包みを打った故に塩寺を
つづみの竹と言うと
まさに平安時代にですね
その靖郡の南の村
今は蓄税町になりますからね
南のっていうのがありますけど
そのあたりの人がここに
塩寺の城に出勤して
つづみを打った故にこの塩寺のことを
つづみの竹という
つづみの峰という風に伝承があるんですね
実際に塩寺の別称
つづみが峰とかもですね
言うんでですね
そういう江戸時代は
そういう伝承に由来するんだと
もう一つがですね
これも八津波組織軍のそばに書いてあるんですが
このあたり徒浦郎の時
いわゆる古代太宰府の時代ですね
徒浦郎の時
大手にて八津波長者勤番ところ
勤めるところと
遺族来たる時に太鼓を打ちて
のろしをあげること
縁起式のごとしということで
このあたりは徒浦郎の頃
古代太宰府の頃には
八津波長者が勤めていたとこで
遺族が来た時には
太鼓を打ってのろしをあげるようなことをしていたと
そういうような伝承が残ってる場所なんですね
これはですね
なんかこれがそのだけだと伝承で終わっちゃうんですけども
実際にその八津波長者ということで
八津波っていう地名ですと
古代史がお好きな方はですね
結構各地にありまして
例えば古代の勘が跡とか
倉庫跡にちなむような場所に
実は八津波っていう地名結構残ってるんですね
そうなんですか
私も住んでおります
佐賀県鳥栖市と喜山町の間にも八津波って
ちょうど教会のとこにあるんですが
そこも実は古代の建物跡が
巨大なのが出てきてるわけなんですね
さらにこの伝承の面白いとこは
じゃあ八津群南村
今の竹前町どうなんだって言ったら
実は竹前町にも八津波っていう地名が残ってまして
昭和61年ですね
竹前町が八津波遺跡を調査しましたら
実際に奈良時代の大型の
掘ったて橋の建物が出てきたと
まさにですね
3軒×7軒の大きなものが出てきて
どうやら八津群の群の勘がじゃないかと
言われてるようなものが出てきてるということで
なんかこういうことが繋がってきますと
単なる伝承だけじゃなくて
もしかすると例えば八津群の群の八津波長者
まあ長官というか八津群の方が
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ここの大野城に勤めて勤務をしていたんじゃないかと
なんかそういうふうに伝承がですね
実際の発掘調査なんかと一致してくるという
非常に面白い伝承が残っているところでございます
へー
伝承が面白いですね
そういうのも江戸時代にそういうのがちゃんと伝わっていると
書いてくれたおかげでですね
今の令和の私たちも知ることができるんですが
非常になんか興味深い
非常に結びつきのある伝承ですので
八津波組織群を見ながら
古代のそういう伝承があるとかですね
ちょっと思いを馳せていただくと
塩ジャムの古代がいろいろ思いが馳せていただければな
という伝承になりますね
あんな面白い伝承ここにはあるんですね
という八津波組織群でございました
そしてやっと塩寺県民の森センターに着きました
急斜面下りてきまして八津波組織群
こちらをさらに下ってきますと
ちょうど塩寺の県民の森センターの
目の前に出てくるわけでございます
林道に面したところには
津波山口の入り口には大きな石の石柱が建っておりますけども
あれがまさしく
御社門堂への参道を示すものでございまして
昔の方々はあの石柱から
我々は急なところを下ってまいりましたが
あれから登って御社門堂にお参りしていたと
そういう名残が残ってございます
そうですか
先ほども一人登って行かれましたけども
きついですよって
いいですとか言って
途中でどうされたか分かりませんけどね
いわゆる大喜山
最高峰に向かって最短距離ですが
どうしても傾斜がやっぱり急にはなるのかなと思うんですけども
この大喜山から御社門堂が下ってきますと
ちょうどセンターの前には
塩寺地区の家並みが広がってございます
何軒かありますよね
この実は塩寺地区の後ろ側
向こう側に広がるのが
実は前田地区と呼ばれる地域でして
実はこの前田地区からは
古代の太宰府省庁などでも使われました
模様のついたタイル
文様線ですね
こういったものも破片が出てきていると
そうですか文様線は
さらにですね
何回か見ましたね
太宰府学校院などからも出てるんですけど
それが実はこの県水の森の側の前田地区の方から出てきていると
さらにですね
牧書土器で隅で書かれて
太地
館と書かれた牧書土器も出てきているわけなんですね
これはちょっとどうやらタラゴトではないというような雰囲気がするんですけども
元々ですね
この古代の山城大野城
作られました管理する役所が当然必要なんですけども
古代太宰府には様々な役所があったんですが
この大野城を管理するいわゆるですね
首城と呼ばれる主な城と書かれる
そういった役職が置かれたんですね
首城という
そうですか
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そういった管理する役所があったんですけども
そういった人たちは当然
中心となる城の側に建物があったと思うんですね
実際に太宰府城長の南西側から府庁地区からはですね
まさしくこの山の大きな城
大きと書かれた牧書土器なんかも出てきてますので
もしかすると管轄する首城などの役所というのは
城長のそのあたりにあって
この山の上がってきた現場ですよね
前田地区なんかには実際にその首城の出先機関じゃないですけども
現地を管理するような役所があって
そういったところで例えば牧書土器
そういった文様性なんかが使われていたんじゃないかと
ご紹介しましたようにこの塩寺県水戸村センターから向こう側
山の中心にはいわゆる首城丸組織軍というのが広がってますので
ちょうど大野城を管理する首城という
その役所の名前にも通じてくるということですので
もしかすると今までご紹介した総合軍
いろいろありますがそういったものを管轄する役所
首城が実はそのあたりに置かれていたのかもしれない
ということが考えられますので
なのでそういったところも
今後さらに調査で進んで分かってくると
非常に期待したいなと思います
ご案内は古都太宰府保存協会の学芸員田中健一さんでした
来週もこの続きをお送りいたします
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島梨彩さんです
こんばんは今日は塩寺歩きのお供にもしてほしいなと思う
おいしいパン屋さんをご紹介します
そうなんですよ
場所もちょうど塩寺山の東側
海町と太宰府市の境にあるんです
パン屋さんの名前なんですけど
カフェ30ccって言います
本当に境目で何も
結構工事現場ばっかりかなっていうぐらい
突然現れるんですが
よくよく考えると
場所がこの小賀と太宰府を結ぶ道路
それから海と太宰府を結ぶ道路の
分かれ目にあたる場所にあるんですよね
そんなところに
こういう焦げ茶色の山小屋風のお店があります
ここ本当に車がバンバン
大型のトラックも含め通っているところで
うっかりすると今見逃したって感じで
表にある登りを頼りにしてほしい
っていうぐらいのお店なんですけど
まあしかしこういう車通りは多い
周りは特に何もない
こんなところで
意外な場所でパン屋さんあるんですね
ってこのカフェ30cc代表の山川美幸さんに聞いたら
こんな答えが返ってきました
というか何もないからですね
何もないから何もないけど
何かあるって言ってもらいたいなっていうところで
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始めたんですけど
15年ももうね
ちょうど今15年目なんですとお店やって
にもかかわらず1日1組ぐらいは初めて通り
通ってたけど初めて入りました
お客さんが来るぐらいの感じなんですって
そのそのカフェ30ccというパン屋さんの人気の定番
生クリーム食パン今日持ってきました
はい食パンですね
これ食べていいんですか
いただきます
もっちり食感ですね
そうなんですよ
あの耳までもっちりっていう
あの耳の部分がすごく薄くて
あのなんとも言えない
ふわもちふわもちとした感じいいですよね
これあの生クリームを混ぜて
生クリーム練り込んで作ってらっしゃる
そうなんですが
さらに美味しさの秘密
あのパン屋さん割と平釜で焼いてるところが
多いさんなんですが
カフェ30ccでは熱風で焼く
コンベクションオーブンっていうのを使ってるんですって
短い時間で焼いてるんで
水分の蒸発ももう最小限に留まってるのと
そのやっぱりこう膜を作るっていうかですね
一応粉の香りも感じつつ
香りはね美味しいと思います
香りでも食べれる感じですよね
いやー今後味を実感してるとこでそうそうって
残ってますよね口の中に香りがね
だからの厚切りおすすめなんですって
今日は生で食べてもらうように
今5枚切りにしたんですけど
4枚が山川さん曰くベストじゃないかと
中にはファンの中にはですね
3枚切りで切ってくれて
超厚切りを希望される方もいるそうで
ピザトーストにしても美味しいし
ブロック状の一気に丸ごと使ったハニートースト
あのハチミツだけじゃなくて
アイスクリームなんかも
乗せるのも美味しいんですよとおっしゃってました
そしてもうね人気シリーズ何がありますって言ったらね
電動入りで今数えてないって言われるのが
今手元にあるメロンパンなんですが
小ぶりでねもう結構小節を一回り小さくしたぐらいの
そうなんですよ
中にとあるものが入ってるので気づきましょうか
これ切ると中に
うん
うん
あれ?
カスタードクリームのような
いやいや
チーズだ
その通り
チーズだこれ
その名もチーズケーキが入っちゃったメロンパンって言うんですよ
チーズケーキ
あのメロンパンの中の生地がね
やっぱりこうパスッとするのが
山川さんも山川さん家のお嬢さんも好きじゃなくって
なんか入れたいなぁと思ってチーズケーキにしちゃった
この噛み締めるとこの食感が絶妙ですね
でしょでしょ
でこのパンもやっぱり生地が美味しいんですが
この美味しさの要因をもう一つ語ってくれました
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あの多分水も美味しいんですよ
ここあの井戸水なんですよ
はい
だから水が違いもちろん食パンも水も使ってますけど
あの水の違いで多分美味しさの違いも出てくると思うんですよ
味の違いも
普通にお部屋を飲むお客さん置いてるんですけど
ここのお水美味しいって言われるんですよ
山に行くんだったら自家製カスタードクリームのクリームパンとか
彩り野菜のカレーパンもおすすめだとおっしゃってました
水木金土曜日が営業です
10時から売り切れまでの開店になりますので
カフェ30ccぜひ覗いてください
中島リエさんでした
番組のホームページのご案内です
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ご案内は坂田秀大でした
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