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古代の福岡を歩くシーズン10。
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン10。
この番組は餃子のヤマハチ、道の駅村方の提供でお送りいたします。
道の駅村方の山本です。
フラワー&クラフトショップ日頃では12月1日からクリスマスフェアが始まります。
あなたのクリスマスは日頃にお任せください。
場所は道の駅村方物産館のお隣です。
待ってまーす!
こんばんは、坂田秀大です。
太宰府聖町の背後に四王子山が見えますが、
今週からその四王子山に残る古代の山城、大野城を歩きます。
四王子山は高さが410メートルのなだらかな山です。
ご案内を、こと太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんにお願いしました。
一緒に歩いているのはこの番組の津川ディレクターです。
今度も太宰府聖町は後からスタートということになりましたね。
どうぞよろしくお願いいたします。
こと太宰府保存協会の田中と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
今年は本当にいい天気になりましたね。
そうですね。
夏場は太宰府が暑い暑いということで皆さん、
違う意味で太宰府を皆さん知っていただきましたけど、
秋になりました。本当に気候も穏やかになってですね。
まさに散策日和になった気がいたします。
この太宰府聖町は後、よく知られた三本の石柱が一番真ん中に立っていますけども、
その遥か向こうに四王子山があるということで、
今日はあの入り口まで四王子山のふもとまで行くんですね。
そうなんですね。
皆さんも太宰府聖町後に来ていただいたことがある方も多いかなと思うんですけれども、
まさに北側を望んでいただきますと、
どんどん大きな山がそびえていますが、
こちらが四王子山ということで、
今回ですね、毎回太宰府に関連します古代をご紹介しておりますけども、
今回この四王子山にあります古代の山城、大野城跡を中心としまして、
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実はその大野城跡が作られた後もですね、
現在に至るまで様々な歴史や文化が伝わっておりますので、
そういったところを歩きながらぜひ皆様にご紹介していきたいと思っております。
この四王子山ですけども、名前が3回くらい変わってますよね。
そうなんですね。
皆様、四王子山と聞いて馴染みが深いお名前と思うんですけども、
実はもともとは四王子山ではなかったということなんですね。
実はもともと作られた山城は大野城ということで、
大野にある山に作られたので大野城というふうに呼ばれてますので、
もともと古い日本で一番古い和歌集の万葉集などを見てみますと、
万葉集で出てきますね。
そうしますと大野山あるいは大木山というような名前で出てくるわけなんですね。
その大野山、大木山と呼ばれていた山がなぜ今私たち四王子山と呼んでいるかというと、
実は今から1250年前にある出来事があって、そこから今の山の名前になったわけなんですね。
そのきっかけというのが774年にこの山に四王子、別名では四王院とか四天王寺とも呼ばれるんですけども、
この四王子というお寺が築かれたことによりまして、この山が四王子がある山ということで四王子山ということで、
774年以降からこういう名前に変わっていったということが伺えます。
この名前の変遷を見るとこの辺の歴史がよくわかるということですよね。
そうなんですね。実はこのお寺の四王子山、四王子というお寺も実は古代の歴史に深く関係しますので、
この大野城のこと、また四王子のことはまた整理しながら歩きながらいろいろとご紹介していきたいと思います。
わかりました。では土台府政庁からどちらの方に歩きますか。
北に向かって四王子山の方に向かって、すぐ側には令和で有名な坂本八幡宮がありますが、その前を通って四王子山の上へと登っていきたいと思います。
わかりました。では四王子山に向かって左側の方に坂本八幡宮というのがありますので、そちらへ向かって歩きましょう。
正面に3つの石柱が見えてきました。
ちょうど古代にありました太宰府という役所のちょうど中心、中枢部分になります太宰府の政庁跡。
その中でも長官である祖父などが勤務をしておりました政殿と呼ばれる、そういった太宰府の中で一番立派で巨大だった建物の跡。
そこにちょうど3本の石碑が建っているわけでございます。
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この場所に柱の土台でありました祖跡も残っておりますけれども、こちらに政殿の跡に残っている祖跡というのは1000年以上前から当時から使われてきた祖跡が全てそのまま残っておりますので、
まさに1300年の太宰府の歴史をまさに感じれる場所というのがこの政殿跡、石碑が建っている場所になっております。
すごいですね。
今回ご紹介する大野城も太宰府に関係するものでございまして、太宰府の役割としましては九州全体の統括であったりまた外交軍事の役割になりましたけれども、
この太宰府を守るために築かれたとされますのがこれから昇ってまいります大野城。
そしてちょうど正庁でいいところはまた反対側南側をぐるっと見ていただきますと奥の方に国道3号線が走っておりまして南の方に伸びる道路の先、
その道路の先の奥の正面に見える山が佐賀県と福岡県の竹志野市にまたがります。
ここにちょうど紀伊城が築かれたということで、まさにこの場所だと言うと北の大野城跡、そして南の紀伊城跡、両方古代の山城の跡が眺められるということで。
太宰府防衛のための山ですよね。
そんな四王子をですね、四王子山いろいろご紹介していきたいと思うんですけれども、
歩きながらですね、この四王子というお寺の役割なんかをちょっとご紹介していきたいなと思っているところでございます。
774年に混流されたこの四王子というお寺なんですけれども、なぜこの時代、この時に混流されたかというんですか。
なんでこの時代にできたのかなと思っていたんですが、その話を聞きましょうか。
これがですね、実はこの700年代の後半というのは、実は日本と朝鮮半島の白木との緊張関係がかなり高まった時期だったんですね。
その中で代表的なものと言いますと、この番組でも糸島の方がずっとご紹介されていますけれども、
糸島は756年から築かれたというふうに伝えられていますけれども、まさに対外関係の緊張の中で作られたわけですね。
この四王子山のその四王子もですね、その一環としまして、実は当時日本の中でですね、緊張関係にあった白木が、
日本に対して神々の呪い、呪詛を飛ばしていると。日本に対してそういう呪詛をしているという風な風聞が伝わってきまして、
これに対しましてこの呪詛を払うためにですね、清く高い正常なる場所に四王子を建てて、それで日本を神々の神仏の力で守ろうと。
そういう風にとして建てられたのが四王子でございます。
そうですか。
なので、現在だと私たちは例えば弾道ミサイルであったりとかですね、そういったものが脅威ではございますけれども、
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1000年以上前の人々にとって神仏の力というのはかなり恐れというか脅威があったということで、そのために建てられたお寺というのが一つございます。
昔から呪いを防ぐためにお寺を建てたというのがありますもんね。そのうちの一つなんですね。
国家的な存在のお寺なんですけれども、この四天王寺、四王寺という風に言いますけれども、漢字で書きますと四つの天皇と書きますけれども、まさに四つの仏様、神仏を建てたのがこのお寺でございまして、
実はそういったゆかりの地名も塩山の山中に残っていますけれども、当時東西南北四方向を守る仏様で、
微社門典、時刻典、象徴典、孔目典という風にその四体の仏像を建てて安置したと伝えられているところでございます。
そうですか。
また僧侶なんかも配置されまして、昼間は経典を読んで、夜は真珠、まじないとを唱えて、そういった神仏の力を、加護を祈ったというような、そういった役割が定められていたところですね。
白木の呪いを防ぐためにお寺を建てたというのが面白いですね。
それほど危機感というか、現代の技術が果たした私たちではちょっと違う、当時の人々にとっては感覚として、やはり神仏の力というのがすごく脅威であって、
それが国家事業でお寺を建てるというのは、そういった当時の人々の感覚というのはそういうものがあったんだろうなと思うところですね。
そうですね。そういう話ってもっと古い時代からあったような感じもしますよね。歴史を調べると、これは呪詛を防ぐためにというのが結構出てきますよね。
そうですね。当時の貴族の方たちも身近なところで感じていましたが、それがさらに国家規模でということだから、
やはり当時の人々にとってはかなり脅威であって、やはり国家を維持、守っていくためにはそういうことも必要だったということなんでしょうかね。
そうですね。
面白い話ですね。白衣の呪詛を防ぐために。すごいな。
歩きながらですね、またちょっと山山話になってしまうんですけど。
こうやって国家事業で建てた主王寺というお寺なんですけれども、どこに建てたかというのが、まだはっきりと跡が出てきていないんですね。
そうなんですか。
ここに建てましたよという跡がまだ見つかっていないそうなんですね。
そうなんですか。
今まで様々な先生が研究されていまして、候補地としましては塩寺山の中で一番高い扇山、410メートルの標高があるんですが、その一帯ではないかというお話もありますし、
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実は塩寺山に象徴天であったり公目天であったり、その4つの神様の名前について地名もありますので、実はその4箇所にバラバラに配置したんじゃないかなという先生もいらっしゃったりですね。
そうなんですか。まだ定説はないんですか。
まだはっきりとわかっていないんですけども。
そうですか。
ただ今年度から福岡県さんのほう、九州歴史資料館さんのほうでこの大野城跡、いわゆる塩寺山の調査をこれからされていくということで、
なのでこれからどんどん発掘調査や整理などをされまして、また塩寺山古代の大野城の姿がこれから多分また明らかになっていくんじゃないかなということなので、
ぜひ来年、再来年、またこれから新しい発表が始めるかもしれないので、皆様楽しみにお待ちいただければなと思います。
今週は太宰府県政庁を出発し、塩寺山を目指して歩いています。
ご案内は、古都太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんです。
令和ゆかりの坂本八幡宮の近くまで来ました。
ただですね、ご紹介したこの塩寺のお寺の活動というのは記録が残ってまして、
774年に建てられるわけなんですけども、その後ですね、実は白木との関係が緩和されまして、敵対関係とか緊張度がちょっと下がりましたので、
そうなりますと、せっかく建てた塩寺の役割も比重が軽くなっていってしまいまして、
実は記録を見ますと、774年に建てたのは良いんですけども、801年には塩寺の活動は停止しまして、
白木との関係が改善したというのが大きな理由だと思うんですけども、
なので塩寺のお寺は活動を停止しまして、祀っていた仏像などは、
ふもとの国分寺、築前国分寺の方に移して保管したというような、そういった記録もありますので、やっぱり当時の情勢によってお寺の活動もですね、
影響されたみたいなんですね。
それで終わりかなと思うんですけども、記録をたどっていきますと、今度801年に活動を終えるんですけども、
実は6年後807年には九州で疫病などが流行りまして、こういった疫病に対して祈祷を行ったりですね、沈めるためにということで、807年には活動が再開したと。
そうですか、面白いな。
時の政治の状況によっていろいろやっぱり翻弄されるみたいなんですけども。
その復活しました始皇寺なんですけども、その後断片的に記録が残っているんですけども、
1026年に祈祷を行ったというような記録がありますので、だいたい作られて774年にできて、250年ぐらいは始皇寺山の上で活動が行われていたらしいと。
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ただその後の記録がちょっとあまり出てきませんので、始皇寺がそのぐらいで役割を今のところは終えたんじゃないかなというふうに考えられているところですね。
まだまだ未知の部分があるんですね。
そうですね、まだやはり古代となりますと明らかになっているところがたくさんあるんですけれども、それでも大野寺跡、始皇寺山というのはいろいろ残っていますので、そういったところからぜひ今日はご紹介していければなと思っているところでございます。
もうここを歩いてきただけでだいぶ知らないことがわかっていましたね。
ちょうど太宰府聖地跡をまっすぐ北側に抜けてきまして、ちょっと以前ご紹介しました歴史の散歩道、こちらの方に出てまいりました。
そうだ、歴史の散歩道があるんだ、ここは。
来ましたね。
なんか道路に標識が書いてあって。
足元には文様線が埋められていたりですね。
埋め込んであったり。
これが日刊地。
ちょうど太宰府の北側になりますと日刊地さんの前をこう言いながらちょうど進んでいきますと正面に坂本八幡宮が見えてくるところでございます。
でも相変わらず車は多いみたいですね。
やはりここ言語霊話ゆかりの地で、ちょうどやっぱりコロナも一段落したところで皆さんですね、関心が深まってまいりまして、多くの方に。
またちょうど坂本八幡宮にお参りしてから塩山に登ろうかなという方もいらっしゃるみたいなので、そういった方がたくさんご利用いただいているみたいですね。
こうやって坂本八幡宮を正面に見ますと、ちょうどですね、右手に万葉花碑が出てまいりますので、ちょっと太宰府、大野城にも関係、少し関係しますので、少しご紹介していきたいと思います。
大友京。
大友の旅人の。
大友の旅人ですか。
ちょうどご紹介しました、太宰府の長官として赴任しました、大友の旅人なんですけども。
実は大友の旅人の生まれが665年と言われてまして、実は今日行きます大野城、慶城と建てられた年と同じ年なんですね。
非常に運命めいた年なんですけども。
大友の旅人と言いますと、今西鉄電車や高速バスの名前にもなってますが、太宰府ゆかりの人物ということで。
今皆さんがお使いの元号令は、ゆかりの梅花の絵も嫌いだということでですね、言われておりますけども。
ちょうど坂本八幡宮に向かいまして、ちょうど道の右手側にあります、こちらの万葉花碑はちょうどですね、その大友の旅人が実は太宰府に来てから奥様を亡くして、その悲しみを読んだ歌、それがですね刻まれているところなんですね。
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世の中は虚しき者と知るときし、いよいよますます悲しかりけり。ということで、太宰府に都が赴任して、この地で妻を亡くされた悲しみというのが万葉集に残っているわけなんですけれども。
こういった悲しみを歌った歌、実は坂本八幡宮の境内にも同じようにですね、妻を亡くした後の悲しみを読んだ万葉花碑なども立っていまして。
ぜひこの1300年前の地でですね、太宰府を統括していて、梅花の園など大変華やかなことも記憶がありますけれども、実はこういう太宰府でも悲しみがあって、そういった非常に太宰府のなかなか大変な中、大友たちとも過ごしていたということで、ぜひ万葉花碑など当時の人々の心境なんかもぜひ知っていただければなと思うところです。
もう一回紹介しますと、世の中は虚しきものと知るときし、いよいよますます悲しかりけり。このいよいよという言葉の使い方が胸にしまってきますね。
そうですね。ただ悲しいだけじゃなくて、いよいよますますやはり悲しみが押し寄せてくるというかですね、あら感じるところだというところですね。
こういったところもありますので、ぜひこういったところを1300年まで人物の知りながらぜひ訪れていただければなと思います。
まさに一躍太宰府だけではなく、全国に有名になった坂本八幡宮がちょうど真正面に迫ってきましたけれども、実はこの坂本八幡宮の前を通りまして、塩島に行く道。
今回塩島にはかなりいろいろな道があるんですけど、今回その坂本八幡宮の前の道を行きますが、実はこちらの九州自然歩道にもなっておりまして、塩島は北側からの海町、そして西からの大野城からのアクセスもあるんですが、
今回は太宰府から何本かあるアクセスのうちで一番オーソドックスな九州自然歩道を坂本集落、坂本地区を抜けながらですね、塩島に行きたいと思っております。
それでは坂本八幡宮の前を右の方に曲がって山道を歩いていきます。
これからだんだん坂道になるんですよね。
そうですね、これから少しずつ緩やかに登っていきまして、坂本地区を抜けますといよいよ塩島の麓がありまして、そこから登山道の入り口にいよいよなってまいります。
ちょうど坂本八幡宮周辺は自然もあふれておりまして、八幡宮様の横には2本貝の木がちょうど今から色づくように立っておりますけども。
貝の木ですか。
紅葉しますと真っ赤に色づくんですけども。
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こちらですね、実はかつて中国の孔子廟から太宰天満宮さんに向こうは孔子、こちらは菅原道真子ということで学問つながりということで、
実は中国から貝抜きの種というか苗をいただいたそうなんですね。
それを太宰天満宮さんが育てられまして、かつて市内各所にお分けしたそうなんですね。
その名残が実は今まだ坂本八幡宮さんの横に残っているということで。
どの木ですか。
この丸い木とこちらのオスの木ですね。
赤くなると一番紅葉するとわかる。
紅葉するんですかこれは。
もう一つ実は駐車場の角にももう1本貝の木で実は3本立っているわけなんですね。
思わぬところで学問ゆかりの樹木がありますので。
あまり大きくはならないような感じですね。
そうですね。高さもどのくらいでしょうか。そんなに高くはですね。
背が高いわけではないんですけども。
普段緑色だとなかなかイメージがあれですけども。
もうちょっとすると紅葉してくるんですね。
そうですね。秋の深くなった時期になりますと紅葉しますので。
もう一回来よう。
紅葉しずる時に色づいた貝の木をぜひご覧になっていただければなと。
今週は太宰府省庁を出発し坂本八幡宮の前を通り坂本地区をゆったり散歩して塩寺山を目指して歩いています。
この続きは来週お送りいたします。
ご案内をこと太宰府保存協会の学芸員田中健一さんにお願いしました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島理恵さんです。
こんばんは。
今週は大野城市の市民ミュージアム大野城心のふるさと館にある面白いものを体験してきました。
ここには高さが7メートル横幅2メートルのクライミングウォールがあるんですね。
イルオトリドリの登るための手がかりがついています。
一体なぜ博物館にクライミングウォールがあるのか。
このクライミングを担当しています高橋千助さんに聞きました。
百犬石垣というものがあるからその高さにちなんで高さを体験できるクライミングウォールを作ってはどうかってなったら
実際にこういったものが出来上がったっていう。
逆に言えば百犬石垣がなければここにクライミングウォールは作られなかったっていう。
百犬石垣。
塩寺山の大野城跡にあります百犬石垣という石垣がレプリカがこのクライミングウォールの真横にあるんですね。
見ながら実際にチャレンジできるんですが、ハーネスをつけて和靴を履いてロープをつけて登り始めます。
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登ると高橋さんのアドバイスが的確に飛んでくるんですね。
右足でピンクを踏んでみてください。
ただ左足が左に出るでしょ。そういうことです。
下のオレンジを踏んでいいですよ。下にあるオレンジ。
100個以上ホールドって言われるものがあるんですが、私がチャレンジしたのは緑の色だけつかめる初級コース。
足はどの子も踏んでもいいですよってものなんですね。
このコースだけでも20以上あるらしくてものすごくリピーターさんも楽しめる。
何回か来てるとコースが変わったりするらしい。
難易度を上げていけるわけですね。
そうなんですよ。
ホールはですね、7メートルのところにあるホールドを両手で掴んだ瞬間にやってきます。
はい、OKです。
手離していいですよ。
手離していいですか?
はい。
下が見えます?
高い!
これが高さ7メートル。
想像以上の高さで。
本当に上にいるんですよって足がすくんじゃいました。
そうなんですね。
でもやっぱり2分半くらいかかって、私運動音痴ですけども、上っていって、
上れたらですね、目の奥のあたりが開く感じの新しい世界観が待ってました。
すごく楽しくて、クライミングっていうと腕とか体力を使うイメージなんですけど、
実際にはね、はしごを登る程度の体力があれば成立するんですよって高橋さんはおっしゃるんですよ。
そうなんですね。
しかもスポーツが得意じゃない人の方が上手くいく。
そうなんです。
ハマることが多いんだそうです。
どうやったら登れるかなーって考えながら、あれこれ試行錯誤をするのがポイントみたいです。
ただ自分でいろいろ工夫してそれを実際試して、それがもしできたとなれば、
あ、こうすればいいのか。
あ、じゃあ面白いな。
じゃあ次はこういう時はどうしてみようかな、こうしてみようかな。
あ、違うかった。こうしてみよう。
あ、できた。
ってなってくると自分のいろいろ考えたものがリアルに回答が返ってくるんで。
そのレスポンスがすごいはっきりしてるんで。
登れたか登れないかっていう。
へー。
それが楽しいっていう。
攻略するって感じですね。
そうなんですよ。
しかもちゃんとやっぱり博物館にある、しかも100件石垣を知ってもらうために、
このクライミングウォールがあるので、登る前後には必ず石垣の名前をしつこく確認するんですって。
でも例えば兄弟でね、何度もチャレンジしてくるうちこんなこともあるそうです。
年下の弟くんとか妹ちゃんが答えられないときとかは、
お姉ちゃんが毎回毎回教えたりとかしてますね。
さっき言っとったやん。ほら。さっき駐車場で言っとったやん。思い出してよ。
って言ってからお姉ちゃんが。
知ってる人ってことですよね、それにね。
車の中で、今日また聞かれるけん、覚えとる?って言ったら、忘れた。
お姉ちゃんとかお兄ちゃんが、100件石垣って覚えとるかにゃ。
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ここに来てから覚えてるんですけど、
登って最後にもう一回来たら、え、何やったっけ?って。
登って忘れちゃう。
そのぐらい集中して楽しさがあるわけですよ。
でもね、体験すると、クイズ付きのカードっていうのをもらえて、
私のチャレンジした初級生とちゃんとこの100件石垣のクイズ付きのカードなんですよ。
後ろにポイントもらえるようになってるんですけど、
クイズも付いてて、その100件、180メートルはどのぐらいの長さかっていうとですね、
食パン1500枚を並べた長さに匹敵します。
かわいいでしょ。子供も大人も楽しめる。
大野城、心のふるさと感の壁、登ってください。
中島理恵さんでした。
番組ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
またラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、ユーチューブなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は道の駅村方、餃子の山端の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
落語家の立川翔司です。
1週間のニュースの中から気になる話題を題材に新作落語をお送りしているポッドキャスト番組、立川翔司のニュース落語。
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