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S5 7回目も古代の山城、大野城を歩きます。
2019-11-17 30:32

S5 7回目も古代の山城、大野城を歩きます。

大野城の頂上、大宰府口から登って頂上から少し下ったところに鳥居があります。

扁額には毘沙門天とありました。山上には毘沙門堂があり、ここでは正月3日にお賽銭をあげるのではなく、お賽銭をいただいて帰るという行事があり、参拝客はお賽銭をいただいて帰り、翌年倍にして返すのだそうです。

その鳥居のすぐ下の方に大宰府口城門の跡がありました。

何でも3期に分けて作られ1回目は665年、城門の幅は9メートルあった、その左右に高さ6メートルの石垣を作り、その上に土塁を作り、さらにその上に柵を作った大変頑丈な城門だったそうです。二期目になると少し狭い城門になったんだそうです。

この後、宇美の方に下っていきますと道路沿いに100間石垣が見えてきます。

全長150メートル以上はあるという石垣です。

石垣は道路からですと50メートル程離れた山の上の方になりますから、小さく見えますが、近づきますと大きな石垣がぎっしり積んであるのが分かります。



※写真は100間石垣
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00:11
S5 〗遥かな昔。海の道から、そして陸路を通じて、福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる、古代の福岡を歩くS5〗〗この番組は、
三山市の企画協賛、道の駅村方、餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。 村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
いつも旬のものをお届けします。 世界遺産、神和ぞる島、村方、沖の島と関連遺産群を、私たちの手で守っていきましょう。
山鉢。山鉢。山鉢。
餃子の山鉢です。新鮮な食材を使って、心を込めて丁寧に包みます。
世界遺産、神和ぞる島、村方、沖の島と関連遺産群を、私たちの手で守っていきましょう。
おはようございます。坂田周大です。
今週は先週に続き、古代山城の一つ大野城を歩きます。
ご案内を、古都太宰府保存協会の太宰府史跡解説員、小沼秀人さんにお願いしました。
大野城の太宰府の方から登ってきまして、焼米ヶ原を見て入り口へ戻り、今度は奴隷の下へ降りていきました。
奴隷があるじゃないですか。
奴隷をずっと降りてきましたが、
奴隷の下から皆さんに見上げてもらうんですよね。
皆さん、駆け上がってくださいって言って。
角70度くらいありますから。
ほんと急な奴隷ですね。
奴隷を降りる階段がありまして、その階段をずっと降りていって、正面に。
なんと鳥居があるという。
鳥居の変額にはビシャモン天と書いてあるみたいですね。
なんでこんなところに鳥居があるんですかね。
これはだから昔のこの道自体が、
さっき真ん中にある塩寺村、あの村の人たちの言わば太宰府側から歩いてくる道なんですよね。天満宮から。
03:03
かつ太宰府の人はビシャモン信仰というのがあって、
あの塩寺村の一番高いところ、別名大喜山とも言うんですが、
そこにビシャモンさんがだいたい中世くらいから祀ってるんです。
はあ、そうですか。
ビシャモン様。
ビシャモン様。正月日が多いですよ。
そうですか。
ありがたい神社で。
普通はお祭りさんあげますよね。
お祭りさんにとっていくんです。
お祭りさん置いてますから。
そうですか。
来年倍返しをしなきゃっていうね。
そういう約束のもとで持っていく神社だそうで。
そうですか。
そういうのみんな面白がってね。
普段は誰も来ない神社ですけどね。
一日だけずらーっとね、100mから人が並びますから。
お祭りさんを取って返して、来年返すんですか。
返すんです。倍返しですよ。ただそのまま5円取って5円返しちゃダメなんですよ。
倍返し。
倍返しです。
そういう伝説だか何かそんな話があって。
ずっと土塁が続いて、下へと下がっていきます。
今土塁の下を歩いてますけども、下から見上げると5、6mは高いというところに土塁があります。
道路がちょっとぬかるんでおりまして、枯葉がたくさん積もっております。
かなりやっぱり雨風でやられてますね。
前はもうちょっと綺麗に、これと同じように土をかぶってたんですけどね。
そうですか。
雨で流されてるんですね。
ここに石垣があるのをちょっと注意しとってください。
土塁の下に石垣がここら辺は入ってるんですね。
石垣がいくつか出てますね、この辺は。
そしてさらに数段階段を下りていきます。
ここに見えたのが太宰府口城門。
ここにあったんですか、城門が。
こう見られたら霧通しみたいになってますけども、
これは3回作られてます。
665年ね、おそらく初期、最初に作られた門は掘立橋らしきの、
僕は八脚門というふうにだいたい考えてるんですけど、
いろいろ研究者の間では若干違います。
だけど一応、前面のところに柱が1,2,3,4、
後門にやっぱり4つ柱があるんですよ。
そして作った、どうやら門だったようで、
ちょっとこれは九州歴史資料館が作った想像図ですけども、
こんな感じだったそうです。
立派な門ですね。
ここだから柱が1,2,3,4ありますよね。
真ん中の柱がこれ見えませんけどもあって、
06:02
後ろ側にもあるんで、僕は八脚門という言い方をしたんですけどね。
あくまで推定図ですので。
周りを見るとここに石垣が。
門の横から石垣が左右に広がっているということですね。
で、奴隷があって。
その上に奴隷があって。
さらに発掘した時に、こういう柱穴が何本あって、
おそらく柵を巡らしたのではないかと。
特に一番やってくるところですからね、正面から。
要するに石垣があって、その上に奴隷があって。
そして柵があると。
柵があるとその上に。
そう簡単には発掘していけないという工夫がされていることがわかります。
その石垣が左右から出ているということですね。
そういうことですね。
そこ中央に門があって、
門の入り口としては4、5メーターくらいですかね。
全部ここだったら9メーターあります。
9メーター。
だからこの端っこの方まで行きます。
その石垣が出ている部分あたりですね。
右側から石垣が出ていますけども。
ちょっと手前の方だと思うんですよ。
おそらく今見えている、あそこは第2基。
だいたい5.4メーターくらいに門が狭まります。
その段階で若干ちょっと門の形変わってくるんですけどね。
なるほど。
できた当時は9メーターくらい。
9メーターです。
向こう側の、いわゆる梁の方もだいたい9メーターくらいで。
9メーター、9メーター四方くらいのだいたい門がかなり大きいですけどね。
ただ特徴としては川原屋根じゃありません。
ああ、門の建物ですね。
建物、板屋根です。
板屋根。
そう推定されてますというのが正解でしょう。
だって見た人いないんですからね。
その当時の河原が見つからないからですよね。
出てこないんですか。
ただ2基のは鬼河原とか見つかってます。
そうですか。
これが鬼河原ですね。
これが後ろの方から見つかってます。
ということは2基あたりになると河原があったかもわからないということを言えるんですね。
間違いなくあったと思いますよ。
鬼河原があって他の河原がないはずなわけで。
そうですね。
それからこれは3基の時にだいたい奈良時代の終わり頃にもう一回また作り直すんですよね。
そういう時に自沈具と呼ばれたおそらく石垣の下ぐらいからずっと剥くとやってますからこんなのが見つかったわけで。
建物を建てる時にその建物が永久にあるようにという祈りを込めた受日の道具で実用性はありません。
小さいんですこれ。
全部。
そういうものが見つかってます。
これ丸いもの。
鏡です。
鏡です。小さい鏡ですね。
とか桑とかですね。
隙先って書いてますからね。
槍がんなか。ごめんなさい。
隙先と槍がんなです。ごめんなさい。
これは受日用のおまじないですね。
受日用です。建物が作ったけどね簡単に壊れるんじゃなくてやっぱり仏や神の力を借りたんでしょうね。
09:07
それから掘ったて柱形式の紋竿というのがありますね。
それは後でいきますので先にここから見ていただきたい石垣ですね。
この石垣が左右に広がってたという石垣がかなり高さありますね。
一応記録では6メーター前後と言ってますけどね。
長さが始まりから25メーターぐらい。
25メーターぐらい。
あとまた土類に変わっていきます。
ここから見ると土類にあたるぐらいまで木が立ってるところぐらいまで続いてますけどね。
30メーターぐらい先は土類ですね。
変わっていきます。
一番高いところで6メーター前後ですけどね。
積み方は野面積みと言いますかね。
いわゆる霧土と重ねたような熊本城のような山木積みとかいいんですかね。
そうじゃなくてある程度石の合わせやすいんですか。
僕らはよくわからないけど面と面がきちんと合うような形で積み上げていった石垣です。
それが1354年前にできたんですからすごいなと思いますね。
すごいですね。今でも雨に流されずにきちんと残ってますからね。
ここでも若干修復はしてます。おそらく。
でもある程度積み直しぐらいですからね。
こういう石垣を見るときに必ず水門というのは必要なんですよね。
だってなんで石垣を作るかというと
お城の周りの城壁でお根という高いところは土類でいいんですよ。
だけど谷間の部分、山ってのは必ず谷があるわけですから水がどんどんあふれ出すね。
そういう箇所には石垣が出ないと土類だとすぐに決壊してしまいますから
そうやって石垣を積んで水を止めたか、あるいは水のどこかに排出物を作ったとよく言います。
ここの場合どこから出ると思います。
岩の間ですか。
みなさんそう考えます。みんな自然排水野郎と。
僕は大雨が降ったときに来てみたんですよ。全然出てませんでした。
そうですか。
どこからも出ません。
どうなっているんですか。
ここはあまりたくさん水が集まる場所ではありません。
山の頂上ですね。
だから後ろ側は後で見に行きますけどね。
大量に溜まる場所だったらあそこ佐賀の紀伊城の場合はものすごく大きな水門があるんですよ。
1メートル四方ぐらいの古墳の扇動みたいな穴があるんですよね。
本当はそういう風に作らないといけないけどここは作る必要がなかったんでしょうね。
12:01
それほど大量の水が放出する必要がなかったというせいもありますが、
ある程度は水はやっぱり大きな谷間部分ですから、どこかで流さないといけないということで、
考えられるのはこれも僕が考えたわけではなくて土木工学の研究者が私に教えてくれたんですけども、
これは藻石垣ってわかります。
藻石垣。
はい。石垣の場合、基本的には張り石垣が多いんですよ。
ああ、そうですか。
要するにここにいわゆる土山というか、そこの上に張っていくんですよね。
ああ、張っていく。
2層か3層ぐらいのね。
ここの場合はこれ天端が一番上の部分が約4メートルぐらいあるんだそうですけどね。
実際今2メートルぐらいしかないんだけども、ぎっしり石が詰まっています。
表も裏も。
表も裏も石が詰まっている。
だからこんな大きな石じゃなくてグリースというこれよりちょっと小さな石がずっと詰めているんですよ。
そういう石の組み合わせで結局下にどんどん落としていくというね。
地下に暗渠みたいな形で地中の下を通って流れていくような仕組みを作ったんじゃないかなと言われてますね。
だから雨の日来ても絶対にここから水は出ませんから。
ということは非常に成功に作ってあるわけですね。
そうです。それぐらい当時の朝鮮の築城技術というのがやっぱり導入されてあるでしょうね。
そういう石垣ですか。価値ありますね。
これ水の手石垣というんですけどね。
水の手石垣。
その石垣がここから見える感じでは高さ10mぐらいあるのかな。一番高いところで。
その石垣が30mぐらい広がっておりまして、向こうに行くにしたがってだんだん狭まってきて土塁になっているという感じです。
今週は古代山城の一つ大野城を歩いています。
ご案内は、古都太宰府保存協会の太宰府史跡解説員小沼秀人さんです。
太宰府の上り口からずっと大野城へ上った頂上、頂上付近には尾花遺跡群というのがありました。
そしてその尾花遺跡群からちょっと離れたところですね。
5、6分歩いたところに象徴天祖石群というのがありますね。
これも結構ありますね。
ここには四棟の建物、倉庫跡が一列に並んで建っているというふうに書いていますね。
はい、いいですか。地名の由来は先ほど言いましたように奈良時代の後半に一番高い410mの地点にある扇山のところに
15:06
おそらく始皇院の中心的な建物があって、東西南北方向にそれぞれ始天皇の小さな拾りを建てたのではないかなとあくまで推定ですが、
されている場所で始天皇というのは東に自国天、南に象徴天、それから西に公目天、そして北に多門天、
イコール美車門天と同じことなんですがお祭りする、そういうのが始皇院あるいは始皇寺と呼ばれています。
そういう経緯の中でこの辺りはちょうど南側に位置します。一番大野城のですね。
そういうことでここら辺一帯があざ名としても象徴天というあざ名が付けられて残っている。
そこにおそらく古代、665年当時すぐここが作られたかどうかはかなり疑問なんですが、おそらく時がそんなに経たない間に倉庫がどんどん出ていったんだろうと思います。
4棟あります。
あのお山を僕はそっち巡って思うのは、普通平たい土地ってないんですよね山の中には。
頂上部分でもかなりわざと人工的にやったケースがあるんですけどね。
ここもそうなんです。もともとこんな平べったい土地はないんです。
ごとごとした山のうねりがあるところでね。
それを開ければ平らにするためには、おそらくここ石垣があります。
ここら辺もちょっと下がった場所だったと思うんですよ。
そこをならしていったために土が必要です。
これが土なんですね。
これ鏡が池と言われてますけどね。
池がありますね。
こういう土を谷間の方に流してね、ならしたんじゃないかなとのぼく工学の先生は言います。
ただこの池は同時におそらくこの大野城の水場として使われただろうと。
どうもこれも伝承に近いんですが、ここは絶対水が枯れないと。
水が枯れない。
太田岩夫は昔雨が降らなくてね、あの時にも枯れなかっただろうとか言ってね。
うそやろって僕は言うんですけどね。
おそらく江戸時代ぐらいから、ここはだいたい軍事的なお城の山じゃなくて宗教的な志望院関係の天台関係の大山になっていって。
割と雨が降らなければ雨漕い行事なんかあるんですよ。
その時こういうため木この辺りで神事をやったんだろうと。
だから鏡がね、ぽんと真ん中に。
なんか筑、四方の筑があってそこに鏡がかなり埋められてあったということをおっしゃる方がいますけど見たことないんですけどね。
18:02
それで鏡が池。
鏡が池という名前。
だから下におそらくあの粘土質の土をね、取った後ね、ずっと土を張ったと思うんですよね。
そうすればあんまり下に行かないんですよ水が漏水しないというね。
今度は鏡が池がある蔵長天蘇石群から北の方へしばらく下っていきます。
道路沿いに大きな石垣が見えてきました。
百犬石垣です。
県民の森をずっと下の方に歩いてきました。
ちょうど私の目の前に広がっているのが百犬石垣という広大な敷地の中に石垣がずっと広がっているというところです。
横に小さい川が流れておりまして、3メートルぐらいの滝になって落ちているところもあります。
百犬石垣です。
ここにですね、看板がありますのでちょっと読んでみましょう。
百犬石垣は大野城の北の構え、海内。
そうですね、これからずっと下の方へ行きますと海の方に出ていきます。
北の構え、海内に位置。石垣の全長は150メートル以上ある。
城内最大の規模を誇ります。
石垣の大半は頑強な岩盤の上に構築され、裏米に栗石を使用した透水性の高い断面構造を出し、石垣の南側には水を排出するための渡水口が設置されるなど、水に配慮した当時の技術の高さを伺い知ることができますというふうな看板があります。
そして川に沿ってちょっと上の方に歩いていきますと、目の前に広がっているのがこの百犬石垣。
ここからそうですね、50メートルはあるという高さのところに石垣が左右に大きく広がっております。
ちょうどキレイマンのところ、本当は階段があるんですけど、わかります?
階段が、はい。
あったの、降りてくるときにですね、あそこまでがだいたい長さですから180メートル、ちょうど左側の石垣のちょうどそこに門が、海口城門というね。
当時この川があったのかどうかもわかりませんが、川あったでしょうね。
四王子川とか言ってますけども、この渓流の横側、今ちょうど林道で車が通ってきているあたりに海口城門があって、そこから尾根が続くんですよね、これ。
21:09
その上に石を、これもやっぱ高さ、そうですね、6メートルから8メートル、場所によって高いところもあれば、ちょっと低くなったところもありますけどね。
本当に山の折れ線を沿って建てられた石垣ですね。
さっき水の手口石垣でも言いましたが、ぎっしり石が詰まってます。
ここの石はちょっと小さい石ですね。
いや、そうじゃないですよ。
そうじゃないですか。
近くまで近づくと、もっと大きい。
そうですか。
ここはかなり離れたところですので、小さく石が見えますが、そうではないということで。
滝へ流れる川を歩いています。川の横を歩いています。
ここから石垣へとどんどん近づいていっているわけです。
かなりの森ですね。
道路から百軒石垣を見ましたら、50メートルくらいの高さがあるところに石垣がありますから、
小さな石垣かと思ったら、そうじゃないんだよということで、今、その石垣に近づいていっています。
水が横を流れていますけども、その横の川沿いに歩いていきますと、石垣が目の前に現れました。
間近で見てください。そんなに小さくもないんですよ。
いいですね。結構な大きさですね。
4、50センチくらいあるという、大きな石垣が組み立ててあります。
これ積み方が十箱積みって言うんですよね。
十箱積み。
わかります?
ここ縦の線がね。
あ、斜めに。
はい、こうずーっと斜めに。
これあまり良い積み方じゃないんだそうですよ。
中世のお城にはこんなことしません。
参木積みなんてここがあって、こんな感じで積み上げていくんですよ。
ここはそのまま同じ石がね、大体並ぶんですよね。
というのが百軒石垣でした。
今週は古代山城の一つ大野城を歩きました。
ご案内は、古都太宰府保存協会の太宰府史跡解説員小沼秀人さんでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島梨恵さんです。
24:01
おはようございます。
この大野城をモチーフにしたお菓子っていうのが実はあるんですよ。
これは山城だけでなくて、大野城氏のマスコットキャラクター、リーゼントの前髪が山城の石垣になっています。
大野城君とのコラボレーション。
私好きです、大野城。
その名も大野城ロックっていうお菓子なんですが、
さらに大野城心のふるさと館とコラボレーションしたので、サブタイトル、カリカリ美味しい百軒石垣クッキーというのになりました。
どうぞ召し上がってください。
石垣の石をイメージしてるんでしょうか。
ガリガリ。
フランスのクロッカンというシンプルなお菓子なんですけれども、
この実際に作っている菓子工房ルボヌールの代表で、福岡第一高校生化コース、お菓子作りのコースの講師をしていらっしゃる小川美里さんが、山城大野城とのつながり、こんなふうにおっしゃっています。
生地がふわっと膨らんで、これが石垣に見えるんですよね。
食べてみるとカリカリとした食感が、岩を連想させるような感じで。
石垣って一個一個同じ石がないんですよね。
なのでこのお菓子は一個一個が全く違う形で出来上がるんで、それがまた石垣みたいな感じなんですよ。
美味しい。カリカリザクザクで。
イメージもぴったりでしょ。
甘みがふわっと広がる感じ。美味しいですね。
そうなんですよ。さらに他の大野城市内のお菓子屋さんも一緒に作ってるんですが、大野城ハッピーリングという大野城君と一緒に作ってるんですが、ドーナツなんですよ。
なぜドーナツなのか。
お菓子にする時にいろんな目線から見ていったんですよね。
そしたら真上から見たらリングだと。丸は縁起がいいということでリング型のお菓子になりました。
本当だ。大野城って丸いんですね。
そうなんですよ。
地図見て分かりました。
縁起の良さから中におみくじ入りでメッセージが入ってるという風に作ってるんですよね。
さらにこれにオリジナルとして特産品の焼酎ですとか水晶品の梅酒のシロップを浸した大人の濡れドーナツというのも作ってらっしゃるんです。
こんな風にいろいろ考えてらっしゃるんですが、小川さんご本人は全然歴史にもともと興味なくって、ドラマ見てへーって思ってるぐらいだったんだそうですが、
いろいろ大野城について知る中でこの泥臭い人間味だとか地域を守ろうとする人の姿を感じるようになってこんな風になったそうです。
特に大野城の分なんて外国から誰が来るかわからないから自分たちの命を守るために一生懸命ここに自分たちの命を守るための石垣を作ろうといって本当に短期間の間にすごいものを作り上げたんですよね。
その時の情熱を考えるとちょっと涙が出てくるんですよ。
27:03
なるほど。
だから高校で生徒さんに教えるときも自分の足元を見てそこに何があるのか、そして新しい視点で捉えるっていうところをやっぱり教えたいと申し上げてますし、
何と言っても自分の作ったお菓子をきっかけに大野城の歴史を知ってほしいというハートが詰まってるんですよね。
このお菓子は全部大野城心のふるさと館で買うことができますので、ぜひ大野城そしてふるさと館を見た帰りにお土産にしてください。
味わいが変わってきますよね。
ご視聴ありがとうございました。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの、古代の福岡を歩くシーズン5のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすればスマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は三山市の企画協賛、道の駅室方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
ポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から動画のライブ配信まで、さまざまなニーズにお答えできるレンタルスタジオです。
お問い合わせご予約はスタービル博多祇園のホームページからどうぞ。
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