神宿る島・宗像沖の島とその関連遺産群は世界文化遺産に登録されましたが、その時評価されたのが古代から現代に続く信仰でした。
その遙拝を調べてみました。
実は、沖の島を遙拝する信仰が残っているのは、漁師さんの世界ばかりでなく、農村にもあるのです。
その内の一つが福津市手光(てびか)というところに残る「沖の島ごもり」又は「万年願」ともいうものです。
ここでは、毎年5月の田植え前に苗代ごもりという行事と共に沖の島を祈る「沖の島ごもり」が行われています。
場所は手光公民館の目の前にある須賀神社の境内です。
ここから沖の島の方向を向いて祭壇を作り、神職に祝詞(のりと)をあげてもらいながら沖の島をひたすら祈るのです。
この沖の島ごもりが行われるようになったのは明治時代、赤痢が大流行して手光地区の人たちも大きな被害が出ました。このことから沖の島の遙拝が始まったそうです。
そして、その場所は戦前までは沖の島が見える竹の山で行われていました。
しかし、残念ながら今ではその場所は全く分からなくなっていました。
そこで、昨年12月地元の人21名でその場所探しが行われたのでした。
果たして、その場所は分かったんでしょうか...
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実は、沖の島を遙拝する信仰が残っているのは、漁師さんの世界ばかりでなく、農村にもあるのです。
その内の一つが福津市手光(てびか)というところに残る「沖の島ごもり」又は「万年願」ともいうものです。
ここでは、毎年5月の田植え前に苗代ごもりという行事と共に沖の島を祈る「沖の島ごもり」が行われています。
場所は手光公民館の目の前にある須賀神社の境内です。
ここから沖の島の方向を向いて祭壇を作り、神職に祝詞(のりと)をあげてもらいながら沖の島をひたすら祈るのです。
この沖の島ごもりが行われるようになったのは明治時代、赤痢が大流行して手光地区の人たちも大きな被害が出ました。このことから沖の島の遙拝が始まったそうです。
そして、その場所は戦前までは沖の島が見える竹の山で行われていました。
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