1. 古代の福岡を歩く
  2. S4 4回目は那珂川市のとどろ..
2018-10-27 30:27

S4 4回目は那珂川市のとどろきの岡、安徳台を歩きます。

とどろきの岡、安徳台は9万年前の阿蘇の大噴火の灰が積もってできた台地であるということでした。広さは福岡ドームの1.5倍もある台地です。

人は住んでいません。みかん畑が一面に広がっています。

ここには弥生時代のものから室町時代のものまで埋もれているそうです。

弥生時代のものとしては甕棺が10基出土しています。

中でも注目されるのは男女の甕棺。女性の甕棺の被葬者は年令が20代、身長が157センチ、男性の被葬者は50代で身長は167センチ、右腕に43個のゴホウラ貝をつけていました。

ゴホウラ貝は南洋の海でしかとれない貴重な貝です。ですから、当時すでに南方の地域との交流があったのではないかと見られています。

そして、歴史ガイドボランティアなかがわの白水さんの話では、その貝はひょっとすると呪力を高めるためのものだったのではないかと考えれば、ここは昔から神と交信する場所であったのではないだろうか。そうすれば神功皇后が岩を砕くために神に祈った場所として納得いく、ということでした。
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00:07
古代の福岡を歩くシーズン4。
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン4。
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
いつも旬のものをお届けします。
世界遺産、神宿島、村方、沖の島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
売上や経営のことでお困りではありませんか?
福岡県商工会連合会では地域の中小規模事業者に寄り添った数多くの支援メニューを準備しています。
最寄りの商工会に気軽にご相談ください。
今週も10月に市になったばかりの中川市を歩きます。
中川市には調べていきますと神宮恒豪にまつわる話があちこちに残っているのに気づきます。
今日歩きます安徳台、とどろきの丘もそうです。
たびたび紹介しています作多のうなでは神宮恒豪が作らせたものですし、
そしてこれを作るときに大きな岩にぶつかり、それを砕くために神に祈ったところがこのとどろきの丘安徳台という場所です。
ご案内は歴史ガイドボランティア中川の志郎津美恵子さんです。
03:00
この地形は朝の火災流でできている大地です。
そうなんですね。
朝の火山灰で?
そう、朝の火災流で、長い年数を経て風や雨の風化によってこの地形が作られたわけです。
なんといっても、朝の火災流でできている大地ですから水持ちをしないんですね。
見られますと一面にみかん畑が広がっていますね。
ところどころに雨水をためるためのコンクリートで作ったクリークのようなものがあります。
だからこの道からあまり外れないようにたまに落ちられたりするからですね。
だからその水というのは雨水をためたものを使ってなさっているわけなんですね。
ここの安徳台なんですけれども、裾野まで入れますと22.5万平米。
そしてここの上の大地の部分だけが10万平米といいます。
ヤフオクドーム、あれの1.5倍の広さになっています。
よくわかりますね。広いですね。
そうですね。ここはですね、見て通り住宅というのが全然ないわけです。
ありませんね。
多くの遺跡というのはそういう住宅開発とかでどんどん壊されていくんですけれども、
ここは全然手つかず、ですから弥生時代から室町時代までのものがきれいに残っていると。
残っているんですか。
そうなんですよ。この大地の中にですね。
だからもうそれだけでも貴重な宝だと思っておりまして。
中川町はですね、昨年安徳大塚古墳が初めて国指定を受けたわけなんですね。
こちらの安徳大も非常に貴重な場所であるから、今申請を出してありますので、
近いうちにはやはりここも国指定になると思います。
ここにはいろんな遺跡があるらしいですね。古い遺跡が。
最もすごいというのが、なんと今から2100年ほど前の大きな亀缶が。
亀缶が。
そうなんです。
実際に発掘というのはここの大地の約2割程度しかしていないにもかかわらずですね、
亀缶というのは亀と亀をくっつけて中に遺体を入れますよね。
その亀の一つが1メートル以上、それがくっついているから2メートル以上の大きな亀缶が10機出てまいりました。
10機。
はい、そうです。
すごいですね。
で、そのうち8機を中を調べましたところ、一番下に大事に収まっていた大きな亀缶2つ。
これが非常に貴重なものが出てきまして、なんと2100年前の女性。
06:01
女性ですか。
女性の方、まず一つはですね、年齢は20歳以来、身長が157センチぐらい。
よく分かりますね。
骨が残っているんですよ。
そうですか、骨でDNAで。
そうなんですよ、DNAとですね、そうですね。
で、その女性の方はですね、亀缶の周りが水銀種。
赤いやつですね。
赤い、これはもう当時非常に貴重なもので、中国の方のものなんですね。
それが一面に塗られているわけなんです。
そして左の腕には芋貝を、なんていうかな、手飾りみたいな感じでつけてあった。
貝輪ですね。
そう、貝輪なんですね。
そしてそのすぐ横にやはり大きくて立派な亀缶がありまして、中を開けてびっくりですよ。
そこは男の方が入っていらっしゃいましてね。
年齢は50歳以来、身長は167センチぐらい。
で、右の腕には五方裏貝を25個つけておりまして。
25個。
はい、そして肩のあたりにですね、若干くずくずに壊れたようなものもあるんですけれども、
そこのところに合わせたら大体43個以上、ちょっと崩れた分もあるからですね、あったということなんです。
五方裏貝が。
五方裏貝。
この五方裏貝というのは沖縄とか南西諸島の、
そうですね。
暑いね、暖かいところの海にしか生息しません。
そしてそれも、水深15メートルから20メートルぐらい潜ったところにしかいないそうなんですよ。
貴重なものですね。
そうです。なんと2100年ぐらい前、向こうとも交流があったってことですよね。
そして出てきた女性の方、男性のことから、明らかにトライセイやヨイジ、大陸の方から渡ってきた方っていうことがわかったわけなんです。
まあいろんなところに遺跡はありますけれど、そして亀館も出てますよね。
大抵のところ半分以上は子供の亀館なんですよ。
ところがここで見つかったのは大人の亀館のみ。
大人の亀館、そうですか。
はい、そうなんです。
そして会話を腕にしっかりしている。
これは重力を高めるため、パワーアップするためのものと考えられると、
ここは選ばれし人たちの住んでいる、だから神様と交信するシャーマンたちが住んでいた大地じゃなかろうかというふうに考えられるわけですね。
そうですか。
だから名国を治めるにあたって神様と交信する、そういう重要な地位の人たちがここに住んでいたということが考えられるわけなんですね。
ずいぶん古い時代から、今のはトライ系の方。
09:02
そうです、トライ系ヤヨイ人という。
トライ系ヤヨイ人、そういう方たちがここに住んでいたということですね。
それだけではなくて、なんとここは2200年から2000年前の住居が出てきているわけなんです。
それも数が130以上。
130以上。
ここの近く、福岡平野で100以上住居が出てきているというのは、岡本杉遺跡、比叡遺跡、それぐらいなんですよね。
この大地にはそれだけの住居がありまして、その中でも一つはですね、
日本で一番大きな住居は、直径が14メートル以上なんですよ。
直径14メートルって相当な屋敷ですね。
そうですよ。
普通の縦穴式住居というのは、柱は4本から6本なんですね。
そこで使われていた柱は16本。
16本、巨大な屋敷ですね。
巨大な屋敷ですね。
どうもそこは工房というんですか、
まがたまとか製農機の居方とか、そして石の刀とか石斧とかの未完成品とか、それとか鉄くず、そういうものが出てきているから、
ここは一つの大きな工場ですかね。
そういう建物であったんじゃなかろうかというふうに考えられておりますね。
ヤフオクドーム1.5倍の台地が安徳台、とどろきの丘です。
一面みかん畑の中で志郎津さんにお話を伺っています。
志郎津さんの話では、660年に久太らが唐と白城の連合軍に攻撃を受けた時、三明天皇が蓄志野の地に駆けつけます。
その時の刈宮、岩瀬宮がここだったのではないかという説もあるそうです。
その方とか蓄志豊先生、この方は歴史家の先生ですね。この刈宮はここにあったというふうにおっしゃっている。
それもちょっと根拠の方がございましてね。
出てきた遺跡というのが、大きな建物が4棟出てきているんですね。
その4棟の柱を建てるための穴、それが1メートル以上あるもので、柱1本は30センチぐらいある柱を使っているということがわかる。
それからですね、1軒ごとに9軒小さな部屋がある。これは馬小屋だった。
12:06
当時馬といったら非常に貴重ですよね。その馬も買える。
そして何より驚いたこと、瓦が出てきているんですよ。
瓦って言いますとね、それこそ仏教と一緒に日本に渡ってきたもので、初めて瓦を使って建てられた建物というのは飛鳥寺ですよね。
それから大きなお寺のみに瓦というのは使われていたんですけれども、
藤原郷、7世紀末に使われた。そこに藤原郷初めてお寺以外で瓦を使われた。
時代的にここから発見されたのが7世紀末なんですよ。
瓦を使えるってそれだけの身分が高い人たちがいらっしゃっている、そういう建物があったということですね。
それを考えると西明天皇、後の天智天皇、天武天皇、それから時藤天皇ですかね、がここに来られたかもしれないということになるわけなんですね。
嵐戸神社の時でも言いましたけれども、青柳種信江戸時代の国学者ですね。
その方が蓄善国、植布土器周囲というものにですね、このような文章が載っているんですね。
御所が原の丘と川向うの西熊形の大和の間に大河流るる。
ゆえに左右大岩あまたありて大河の流るるにはなはだせまし。
ゆえに岩瀬とも、岩狭門とも云う。
ここに岩瀬ということが出てきてるんですよ。
ということは岩瀬の狩宮だったかもしれないですね。
面白いですね。この大地は。
すごいですよ。やっぱり歴史がそのまま眠っている大地だからですね。
この大地には安徳天皇の伝承も残っていますし、安徳天皇を祀った祠もありました。
次に歩いたところは細い山道です。
猿が5、6匹のんびり日向ぼっこをしている中を登っていきました。
道からすぐのところに神社が見えてきました。
えっとこの場所は何と言えばいいんですか。
ここは豊田の山神社。
豊田の山神社ですね。古い神社なんですね。
ここから今入り口を入ったところなんですけど石段が、旧な石段ですね。
が続いておりまして、上の方に拝殿があると。神社の拝殿があるということですね。
15:03
じゃあちょっと登りながらお話を伺っていこうかな。
急ですねここ、苔むした石段が。
古い旧な石段が、まず18段ありますね。
ちょっと登ってみましょうかね。
では18段、急激な石段で。
手すりがないと本当に登れないというぐらいの急な階段。
これを18段登ります。
幅がそうですね、2人歩いて通れるぐらいの幅ですね。
そして今上についてこれは18段、それからさらに23段。
23段登ります。
真ん中に手すりがついておりまして、手すりを伝えながら歩いていく。
そしてここに古い木造の建物。
これは拝殿ですね。神社の拝殿になっていますね。
奥の方に本殿があるというような感じですね。
拝殿の方をちょっと登ります。
埃まみれになっていますね。
そして突き当たりが、崖が出てきましたね。
突き当たりに大きな崖が出てきまして、これは何でしょうか。
実はこれはですね、中川町になる前の話なんですけれども、
南畑村、岩戸村、そして安徳村がございました。
この岩戸村の名前の由来が実はここなんですよ。
そこはですね、崖、一番岩なんですね。
横が大体16メートル。
高さが6メートルちょいありますね。
その高さというのが神社の裏側の屋根がせり出しているところのその上にあるんですね。
ちょっと見えませんけどね。
そうですね。
6メートルあるんですね。
そして正面にマガエブリッツ、これ大日如来様ですからね。
高さが1.5メートルほどの大日如来様が岩に彫り付けてありますね。
この岩のことなんですけれども、
祝禅穀、貝原絵研が書きました。
祝禅穀食不動器になるんですけれども、
18:01
それにはですね、
多志からのお飲み事が天照す大神の神が隠れた大岩、
その塔を力いっぱいポーンと開けたと言われてるんですけれども、
その岩戸の片方がこれなんですね。
じゃあもう一個の岩戸はどこに行ったかなって言ったら、
大和の国、今の奈良県の宮戸町、
お宮の宮の戸口の戸ですね。
宮戸町まで吹き飛んでったってことを貝原絵研は書いてるわけなんですよ。
実際にその宮戸町に問い合わせてみまして、
福岡の方から岩戸が片方飛んできたようなお話は残ってないかって言ったら、
そういうものはないみたいなことはね、ちょっと言われたんですけれどもね。
実はここが天の岩戸、そのいわれの場所っていうことですね。
なんとなく霊感があられる方なんかは何かを感じるとか言われてますしね。
ここに住んでいる方のお話を伺ったところですね、
この大日如来様、石を彫り付けてますよね。
子供が病気になったりとか、そういう時には石を少し削って伸ばしたりとか、
お守りにしていたとか、お救いいただきたいという気持ちがあったんでしょうけどね。
それからここはですね、今は静かな町村という感じなんですけれども、
昔はですね、博多の方から背ぶりに登る最短距離の道がここに、
戸板越えって言ってあったんですね。
背ぶりの方にお帰りに行く方たちもですね。
ここをしばらくちょっと行きますと、ちょっと開けたところがあるんですけれども、
そこには鏡岩っていう大きな岩があるんです。
高さが1メートルぐらいで、広さは畳4畳ぐらいの広い分ですね。
そこのところにも神宮皇后のお話もありまして、
神宮皇后は背ぶりに登る途中に、そこで見出し波を整えた。
手鏡をそこに置いたら、手鏡のところだけコケも生えない、落ち葉もたまらない。
実際写真撮ったら本当に手鏡の形のところだけツヤツヤと出てるんですよね。
本当にそこは落ち葉もたまらないという不思議な岩があるわけなんです。
ただですね、そこは神宮皇后のお話も残っているんですけれども、
背ぶりには弁財天さんという女の神様が祀っているわけなんですね。
弁財天さんはある日ふーっと遠くを見ると、ある山がピンク色に光っているように見えた。
あれは何だろうと思って近寄ってみると、それは彦さんの尺投げの花だったわけなんですね。
21:04
とってもきれいな花だから彦さんの神様に一本くださいと言ったら、これはやれないと断られた。
それで弁財天さんはがっかりして帰るかなと思いきや、彦さんの神様がうたた寝するのをじーっと影で見ているんですね。
うたた寝したぐらいに尺投げの花を手一杯抱えてこの背ぶりの山へ飛んで戻ってきた。
そのうち、もうすぐ背ぶりだわというところで鏡岩に腰掛けてちょっと乱れた神を直した。
ふと見ると後ろから彦さんの神が追っかけてきている。
これは大変ということで手鏡をそこに忘れたまま尺投げを抱えて逃げているけれども、
あまりにもたくさん持っているもんで追いつかれそうになって思わず手を離してしまった。
だから背ぶりの山には尺投げの花は咲いていないで、外麓には尺投げの花がたくさん咲いているというお話がありましてですね。
中川氏の花が尺投げなんですね。
そうですか。
はい。
それは面白い話ですね。
そうですね。
そういう話も残っておりますね。
この石段を登ったところに古い木造の社殿がありまして、
月あたりに小さな本殿があります。
ちゃんとお参りができるようになっているんですね。
その小さな祠の後ろが大きな一枚岩になっている。
横何メートルでしたっけ?
横が約16メートル。
16メートル。
高さが6メートルちょいですね。
これが一枚岩になっていて、その岩の中心ぐらいに大日如来が彫ってあるということですね。
豊田の山神社でした。
中川氏を歩きました。
ご案内は歴史ガイドボランティア中川の城津美恵子さんでした。
古代の福岡を歩くリポーター中島理恵さんです。
今日はその中川町で素敵なイベントが行われるお知らせ。
11月17日土曜日に作田のうなでがライトアップされるんです。
スタート時間が夕方の4時、夜8時までなんですが、
作田のうなで全長5.5キロあるんですが、
この中の山田区伏見神社から安徳区の川蝉公園まで1.5キロ。
ここがずっとうなで沿いに竹道路とか神道路がともり、
さらにオブジェやイルミネーションが点灯するわけなんです。
夕方5時からは作田のうなで公園で、
一般公募で決まりました神宮公豪と関係者による点灯式が行われたり、
24:02
なかなか凝った作りになっているんですよ。
実行委員長の岩崎進さん。
御年89歳にお話し聞いてきましたら、
これね、オブジェとかワープルに頼むんだけども、
一個一個灯路なんかは自分たちで作るんだと。
竹道路は竹林整備で切り出した竹を使うんですよ。
みんなで作るんですとおっしゃいます。
その裏にはこんな気持ちがありました。
そんなに早くから人が住んでいたところなんですかということからね、
非常に自分たちが生活の根拠として来たところが、
やはり早くから開けとったいいところだなという感じで思ってもらえる。
共同愛というのが自然とこうできてくるんじゃないかと思っているんですね。
そんな中、紙灯篭に関しては市内の小中学校の生徒さんが作るんですよね。
そのふるさとのそういう遺跡類というのに関心を持つようになってくれればと。
そして大きくなった時にこういうものを引き継いでいかなければできないというものがですね、
理解してもらえればと。
大事なことですよね。
一緒に取り組んでいる中川市教育文化振興財団文化振興課の松永茅子さんが、
それについて明らかに佐久田のうなでの知名度について変化を感じるとおっしゃるんです。
この頃は学校に説明にいたときはみんな知らない方がいたんですけど、
今は知っている人といったら大体が手を挙げていただけます。
そこまで広がっているのは、もしかするとこのライトアップの受け書きかもしれないですね。
皆さん誇り持っていらっしゃるね。
でも最初はね、かなり大変だったんです。
やっぱり地元の方の抵抗が大きかった。
何と言っても遺跡なんですけど現役の考え用推論なんですよ。
それをいろいろ他の人に手を入れられるのはやっぱり抵抗感があると。
そこを一からこのみんなで共有することの大切さを説明していくと、
しっかり理解してくれて、理解された後は素晴らしい。
自分たちで清掃もされるし、道路づくりも指導も積極的にされますし、
竹も取りに行く。それから毎年行われています、
伏見神社で行われる成人行事、ひたきこもりの催しも
このライトアップの日に合わせるようにしてくださったと言います。
居屋崎実行委員長はこんなふうにおっしゃっていました。
これが一番ありがたいし、本当に地元の方たちは
そういう遺跡類を大切にしているというのがよく分かります。
そういうものをできるだけ広く市民がまずは共有するということから、
できるだけ交流人口を増やしていかなければいけないだろうと思っています。
27:03
外のお客さんを呼ぶだけじゃなくて、地元の方のためのイベントでもあるわけなんですが、
さくたのうなでライトアップ、地元のおいしいものもたくさん並んだりします。
地元自慢の柏飯が登場したりとか、
ボランティアガイドさんたちも登場しまして、
さくたのうなでの手水口だとか、
火災流でできている石の壁のあたりの説明もするんですね。
シャトルバスの中で市役所から伏見神社までシャトルバスが運行されるんですが、
それも案内してくれます。ぜひ11月17日お出かけください。
リポーター 中島リアさんでした。
福岡県商工会連合会 餃子のヤマハチ
道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は、さかた修大でした。
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