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古代の福岡を歩くシーズン6遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン6 この番組は
宮益の企画協賛 道の駅村方
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こんばんは坂田周大です 古代の魅力にあふれた宮益をずっと歩いています
今週は一度紹介した謎に満ち満ちた 荒野の宮の人形の話です
人形はどういった人形なのかとはいろんな方のいろんな説があって はっきりとしたことは未だわかりません
そんな中で先週も話を伺った神宮恒豪伝書を歩くの著者 綾杉るなさんはどんな見方をしていらっしゃるのか伺ってみます
まず綾杉さんは今の人形の並びは古くからある並びとは違うとおっしゃいます
あの 明治時代にあの台風があって
そしてあのいろんな建物が倒れたということで 平成14年に新しく建て替わった時に並べ方を変えたんですね
それで それまではあの
お花見の時に宇治子さんたちがこのお人形を連れて そしてお花見に一緒に行ってたというふうなことから並び方が厳密にこう
あったそうなんです 厳密にあったんですか
それであの今日は昔の並べ方でお話をしたいと思います
えっとまぁ現在中央に陣取っている方が 五四の霧をね模様が入った着物を着ていらっしゃる方ですね
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そうではないんですね その方は一番右端にいらっしゃいましたね
はい 元々中央は違う
はいそうですね中央はあの女神像ですね あの鏡を持ったそうですねはいかなりあの小柄なんですけれど
ちょっとあの顔があの眉毛がこう細い柳のような眉毛に ああそうですねはいちょっとおでこのところにいわゆる丸眉っていうんですか
ポツポツと丸い眉毛がついてますね そして着物があの赤色です
それにあの金色の花模様がついていますそれにこう あの緑がかった黒い羽織を着てありますね
はいただその間違いやすいのはその袴があの 男性用の袴というんですかね
裾を絞った格好をされているのでちょっと一瞬男性かなというような格好ですね
ただその男装をした女神様といえば福岡県では一番100社以上祀られている
神宮皇后の可能性もあるなぁと考えております 男っぽい服装そうなんですねはいでちょっと少年と間違えそうな
感じですけどちょっと微笑んでいらっしゃいますね
神宮皇后かもわからないですね 神宮皇后とこの世田谷町は大変縁が深くて
近くにドンキャンキャンというお祭りがありますね
あれが神宮皇后がここに上陸された時のお祭りというふうに伝えてあるんですけれど
何しに来たかというと世田谷はタブラツ姫がいたわけなんです
北東の山側の方にゾ山という山があって女山と書きますね
そこの麓のところにタブラツ姫がいたというわけなんですけど
なんとそのタブラツ姫は神宮皇后を暗殺しようとして失敗したという話があるんですね
それでこの世田谷に逃げ込んだのを神宮皇后が追いかけてきて戦うためにここにやってきたという話が伝わっています
それで草場という地名があるんですけどそこは激しい戦闘があった
戦場だったということから草場というふうになったというふうにも伝えています
神宮皇后の方が有利でタブラツ姫はゾ山に追い込まれまして
そこで亡くなったという話が伝わっていますね
そういうことから可能性としては神宮皇后かもしれないというわけです
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他の人形はどうでしょうか
正面の神様が中心でその次の位が高いのが正面向かって左なんですね
左
そうしますとこの方は聖徳太子が着ているような中国風のですね
黒い上着を着てそして頭の冠には黄金の日の丸がついています
それから前誰というんでしょうか
いわゆる前掛け風なんですけどそれがとても豪華ですね
ドレープになっていて赤とか金色とかそれから青色の色がついています
青色というのは染料はほんの昔までとても高いものだったんですね
ですがそれが使えるということはこの人形を買えた方もすごいなと思うんですけれど
その黒い衣の襟元からまた青い衣の襟が見えてますね
袖口からもですね
実は平安時代には青い衣といえば天皇の衣装なんですね
平安時代に例えば天皇が主催して宴をしますね
花見をしたりするとみんなが一人ずつ和歌を読むわけです
一番いい歌を読んだ人には贈り物があるんですね
それが青い衣だったんですよ
それを肩にかけてそして勢いようと替えるのが最高の名誉だったんですね
ということで平安時代の頃には特にその青色というのは高貴な方が着る衣ということです
本当にどなたかというのはあとは手がかりはないんですけれど
あえて言うなら中央が神宮皇后ならその子供である王神天皇の可能性もあるかなと
王神天皇の可能性ですね決定的ではございません
その次は
正面に向かって右手なんですけどそこに話題の七死ともった男性像があるんですね
その方のファッションがちょっと日本では見られないという
赤いスーツを着ています
ちょっと中世ヨーロッパとか感じの
そういう風な雰囲気の背広のスーツみたいな感じにちょっと上着が長めで
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今の男性歌手たちがするようなおしゃれな格好ですけど
前立ては金色ベルトも金色裾飾りも金色というわけで
これもまた豪華な衣装ですね
そしてブーツを履いてます
それからマントですね
マント黒い襟飾りのついたものを
おしゃれなマントですね
帽子が赤い日の丸みたいなのがついてますね
この方の顔はお髭が鼻髭があって顎髭があってという
いかにも男性らしいキリッとした顔をしています
その右手に噂の七死刀があるわけです
実はこの荒野の宮というのは正式名称が
磯の神もののべ神社と言うんですね
この磯という字は海岸の磯の字を使ってありますけれど
もののべ市のお宮なんです
そして同じ名前に奈良県に磯の神神宮というのがありますね
あちらについてどちらが古いのかとかですね
よく聞かれますけれど
この奈良県の方の磯の神神社も
もののべ市の武器庫の跡なんですね
そして明治7年に発見されて発表されたわけですけど
荒野の宮の方たちも同じものがあると言って驚かれたそうなんです
そういうことでどちらが古いとかではなくて
それぞれに言い伝えていたもので
奈良県は金属の刀として現物ですね
そしてこの背鷹の方はちょっとそれが炎のような形
枝が炎のような形をしていますけれど
同じようなルーツで違う形で伝わっているということに考えられます
奈良県の方ではこの七四刀は田植えの時に
稲の生育が良くなるようにと言って祈った道具だったんですね
じゃあ祈りの時に刀剣を使った
そうです
それで奈良の方の磯の神神宮の方の神様と言ったら
普通の御霊とか古の御霊と言ってこれは剣の神霊ですね
人を殺すためのものではなくて神様と通じるためのもの
それが物野武士の刀の神様の信仰
祭祀用だったってことですね
でたまたまですけど日本書紀にこの七四刀の記述があるんですね
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それがちょうど神宮皇后時代なんですけれど
くだらから献上されたと書いてあります
それでこれが現物かというわけなんですけれど
平成17年にどうやってこの七四刀は作れるんだろうかと
実験考古学があったんですね
それで最初の刀鍛冶の方に頼んで
そして作ってもらったんですけれど
とんかちとんかち叩いてもとてもこの六本の枝は作れませんということで
じゃあどうやって作ったか
あとは胃がたで作るという方法があるんですね
鏡とかも胃がたで作りますけれど
ここもそうやって胃がたで作ったということが証明されました
ですから七四刀は複数あったんですね
そうなんです
ですからどれがどれかということは言えないんですけれど
そのいくつかあるのうちの一つそれぞれそれとか人形が伝わったと考えられます
そう考えますと非常に難しいですね
そうですねまだまだ謎は多いと思います
この七四刀ですけれども
3つの枝葉が左右から出ているというような感じですけれども
この形は何から来ているんですか
そうですね同じ物述で学部大学という人が伝えてまして
これは日陰のかずらをデザインしたものだというふうに言い伝えているんですね
かずらというとおり紐なんですね
いや茎が浅紐のようにぐんぐん伸びている
だからロープとかが作れない古代の生活では
このかずらというのはすごく重要品だったわけなんですね
その葉っぱが出てくるんですけど
その葉っぱはちょっと針のような葉っぱで
ちょっと杉菜のイメージをされたらわかると思いますけど
それが花が咲き出すときにですね
穂が出てくるんですけれど
それが七四刀とそっくりなんですね
でちょっと茎が横に張ってて
そこから七四刀のミニチュア版がちょぽちょぽと出てくるという
そういう感じなんですね
でなんでじゃあそんなのが大事かっていうと
これを薬として服用すると目が良くなるそうなんです
私たちもろうそくをずっと見てると
色が何色かわからなくなりますね
例えば鉄を作ろうとするときに
昔は温度計がないから
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どうやって作るかっていうと
温度は炎の色で判別したわけなんですね
それでずっと見てるとわからなくなる
それを服用していく
そういう助けになる薬ということで
この日陰のかずらが重要なものだったわけです
そのために当時そういう金属でも作るときには
必ず神様に今でもですけど
手を合わせるわけですけど
当時は神子さんが日陰のかずらを紙に刺したり
あるいは手すぎ掛けをして
そしてどうぞ良い鉄が作れますようにと
祈っていたというお話が伝わっています
いつもこれが植物ですから
1年中手に入るわけではないので
お祈りをするときに
鉄を作るときに
いつもお祈りができるようにといって
この七死刀ですね
日陰のかずらをデザインして作ったという
これ一つの説の紹介でありますけれど
可能性はありますね
それで雨のうずめの見事が
天テラスが岩戸に閉じこもったときに
舞を舞いますけど
その時にやっぱり日陰のかずらを
手すぎ掛けにして舞うんですね
そういうことがやっぱり神話でも出てきまして
その刀バージョンが
この日陰のかずらの七死刀という可能性は
あるかなと思っています
それからこの七死刀を持った人物ですけども
これはどういった人物ですか
そうですね可能性としては
地元のもののべの関係の神様だと思いますけど
一番名前をあえてあげるなら
竹之内スクネの可能性があると思います
竹之内スクネ
はい竹之内スクネ
実は本名がわかってないんですけれど
甲羅山の麓の方では
もののべの安面という名前だというふうに伝わって
もののべの安面
その人が甲羅山の麓の方で
祖先神となっていくわけなんですね
ですからあえて名前をあげるならですけれど
もののべ氏である
そして神宮皇后の横にいつも控えていたという点で
あえてですけどね
名前をあげるなら竹之内スクネの可能性はあるかなと思っています
だんだん面白くなってきましたね
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そして一番大きな人形が残りますね
これはどういうふうに見ていらっしゃいますか
右端に鎮座されていたんですね
ちょうどファッションが平安朝の異間即退という正式の格好ですね
それの黒い色なんですけど
イメージとしては神社に行ったら
宮司さんが着ている衣装ですね
あれの真っ黒いものと考えられたらイメージが湧くと思います
手に扇を持ってますけれど
扇ですかこれ先じゃなくて
扇かなと思いますけど
そうですか
これが地元ではこの荒谷宮の主だというふうに伝えられています
熊川さんもそういうふうにおっしゃってましたね
これは物部氏の神社なんですね
実は御父の斬門というのがすぐ近くの神社にあるんですね
それが同じ大賀の長島の
釣天宮とかおっしゃってましたね
釣天山とか言うんですね
その釣天山の西宮に物部の足賀の神という方が祀られています
この大賀島一帯を治めた物部氏の一人だと思われますけど
この足賀のという方が御父の斬門で祀られてますので
この方の可能性が高いなと考えています
最後にカッパの人形ですね
これはどういうふうに見てらっしゃいますか
赤い色をした裸の男性像で腰身のをつけてまして
目がまん丸で歯を剥き出してますけど
やっぱり頭に皿を載せているのでカッパさんとすぐわかるんですけど
ちょっとおしゃれでですね
腕輪が手首と上腕のところに金色の腕輪を左右してまして
ちょっとおしゃれだなという感じがします
これがいわゆるカッパ伝説で
きゅうりを好むとかいうふうに言われてるようになったんですけれど
もともと地元では中国から来た技術者集団ですね
そういう話が伝わってまして
日本人に道鏡の作り方とか
あるいは鉄の刀の作り方とか
そういうものを教えてくれたと
それから小読みの作り方
小読みを教えてくれているんですね
特に川に住んでいると言われるのは
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結局カッパたちは護岸工事をよくしてたんですね
それで港を作るわけなんですけれど
例えば有明海だったら5メートルぐらい
水の高さが変化しますので
そういうのを小読みを知りながら
作っていたという話が伝わっているんですね
で 筑後川に行くとよく
護岸工事で丸い石で工事がしてあるのがありますね
その技術がこのカッパさんたちの技術だというようなことなんですね
ですから上流は屈地方とかありますけれど
この普通の本当の名前は屈という人たちなんですね
吉野の屈とか言いますけれど
あの屈の人たちのことをいつの間にかカッパというようになったというのが
物のべしに伝えられているお話です
そうするとこのカッパさんたちは
ひょっとしたらその護岸工事
何かの技術を持った人たち
だからやっぱ神様として祀られているんですね
一応そういう話があるということをご紹介したいと思います
このカッパの人形については
先週は義師和神殿に出てくる持祭ではないかという説を紹介しましたが
今夜は神宮恒豪伝書を歩くの著者
綾杉ルナさんの別の説を紹介しました
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです
こんばんは
今沖の島のシーズンなんです
見えるんですよねこの時期ね
ああ空気がね積んでいきますよね
見えるということを細かく調べました
2018年の6月から
室方大島に沖の島が見えるかどうかのライブカメラが設置されているんですが
このデータを撮り始めたんですね
室方市世界遺産課の岡隆さんにどんなことがわかったのか聞いています
2月から8月月に3割4割
程度
見えると
9月から1月にかけては月半分以上だから5割以上
見えると
9 10 11 12までいいかなその時が一番いい
今まで感覚でそうだろうと思っていたものが
見え方を4ランクに分けてそれぞれ点数をつけて数値化していって
やっぱり間違いないと裏付けが取れたわけです
データを取っている間にこんなこともわかってちょっと手直しも加えたそうです
最初はね1日見えれば1日見えるのかなと思ってたんですけど
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日によって例えば午前中は見ててもここ見えないとか
なんかそういうことも起こる
うるんで
そこをまた細かく再分化してるんですよね
で探すのに役に立つのがスマートフォンとかタブレットで使えるアプリ
導き沖の島っていうのがあるんですねはい何ですか
これの一つはそのライブカメラで今沖の島がどんなふうにこのカメラから見えているのか私たちも
見ることができるそしてもう一つはどこに沖の島が位置しているのか探すことができる
今日持ってきたんですが今スタジオの中なんでそうそう
全く画面としては今スタジオの中はカメラに映ってるんですが
はい赤い矢印でもっと右もっと右って今言われてますねあの
普通にカメラの映像が見えてますけれども枠あの赤い
三角の表示で右を向けろという数字が
あ丸になりましたはいその位置に沖の島があるんです
なるほど方角が分かるってことですねそうそう
だから今見えてなくてももうどんな山の中でも沖の島の方角が分かると
はぁ面白いでしょでこれを使ったこんなことがあったそうです
北九州市の若松区小竹というところに沖津宮というのがあるんですが
ここでこんなことがありました沖津宮もちっちゃな祠ですよ
誰も人があんまりいないような
沖津宮にあの祠があるんですよ
祠
で祠のですね背中の部分に丸い穴が開いてて
実はそこから当時は沖の島が見えてた
ということなんですが今はもう
茂ってて森になって沖の島が見えないんですけどやっぱりその祠にこう当てるとですね
ちょうどやっぱり沖の島の方にこう
当たると当たれば当たればいいんですけど
まあこのアプリでもうそれが間違いなく確認できたとかね
そんなことがありました
間違いないと検証することができるんですよね
すごいですね
この若松区の沖津宮江戸時代に記録があったそうで
他にも福岡市中央区の西公園ここにも江戸時代には養輩所があったという記録が残ってるんだそうです
意外にその福部九州江戸時代あちこちにこの沖の島の養輩所があったんですよっていうふうにお母さんおっしゃってたんですが
今でいうとちょっと意外なとこでいきますと北九州市だとさらくら山の山頂から見える
それから福岡市だと福岡端はからも見えるんだそうですよ
であの沖の島と見間違いやすいのが卜の島なんですが
これあの卜の島は大きく二つ項目がひょっこりひょうた島みたいになってるんですって
沖の島は全体的に扇形でちょうど真ん中にポチッとくぼみがあると
でもね日によってお天気によって見間違いやすいんでそれを見間違わないようにするにもこの導き沖の島の
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島の方向表示が役に立つとおっしゃいますそして三重時についても時間帯聞いてみました
沖の島の場合はだいたい終日よく見えるんですけど特に夕暮れがですね
夕暮れがあのなんで夕焼けをバックに黒く浮かび上がるので
夕方とかは割とよく見えるかもしれないですね
なるほどこんな時間を狙うのもありですよ
明日は沖の島見えるでしょうか
これね面白いですねダウンロードしてみたらぜひぜひやってみてください
導き沖の島で検索していただければ出てきます中島リエさんでした
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三山市の企画協賛
道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました
ご案内は酒田周大でした