1. 古代の福岡を歩く
  2. S4 22回目は太宰府の水城を..
2019-03-02 30:29

S4 22回目は太宰府の水城を歩きます。

水城は663年の白村江の戦いで敗れた日本へ唐と新羅が攻めてくるのでは、ということで急遽作られた防衛の為の施設。

土塁の長さは1200メートル。高さは10メートル近くあり、博多側に幅60メートル程の壕が造られ、敵が渡ってこないよう水が蓄えられていました。

そして、門が東門と西門の二カ所に造られていました。

東門は現在県道が横を走っており、交通量が多く昔から交通の要衝だったということでした。

土塁の東門近くの地下には壕に水をひくための木樋が埋めてあります。

木樋の長さは80メートル程あるそうです。

土塁は木の葉などを敷き詰めて作る敷そだ工法や、柔らかい土や固い土をつき固めて造る版築工法などで極めて頑丈にできています。

東門から土塁の下を歩いて西門の方へ行きますと途中御笠川とぶつかります。

ここにもいろんな話が残っていました。次回はここから歩きます。
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00:07
古代の福岡を歩くシーズン4
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は福津市の企画協賛、道の駅村方、福岡県商工会連合会、
餃子の山鉢の提供でお送りいたします。
道の駅村方、営業部長の古代です。
村方の新鮮な海の幸、山の幸がたっぷりです。
いつも旬のものをお届けします。
世界遺産、神和鳥島、村方、沖の島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
売上や経営のことでお困りではありませんか?
福岡県商工会連合会では、地域の中小規模事業者に寄り添った数多くの支援メニューを準備しています。
最寄りの商工会に気軽にご相談ください。
餃子の山鉢です。
新鮮な食材を使って心を込めて丁寧に包みます。
世界遺産、神和鳥島、村方、沖の島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう。
こんばんは、坂田周大です。
先週はダザイフ天満宮を歩きました。
今週はそのダザイフの水木を歩きます。
水木はいつごろどういう目的で作られたのか、その規模はなど、
日ごろ近くを車で通りながら、あるいは電車から見ながら疑問に思われている方も多いと思います。
今週と来週はその疑問を解明していきます。
お話をダザイフ市教育委員会文化財課の井上信政さんに伺いながら歩きます。
すぐ横を剣道が走っています水木の東門から歩きます。
03:00
水木に来ました。
ここから北の方を向きますと高速道路が走っております。
さらにその向こうに西鉄電車が走っている。
東が下折り、西の方に徳郎駅というのがあります。
ここは徳郎駅から歩いていきますと20分ぐらいの距離にあります。
その水木に来ています。
その水木の東門、東門跡に来ています。
東門も重要な門だったんですね、昔は。
ここはダザイフ政庁に直接行くための一番大事な門だったと思います。
ちょうど博多川からやってくる人たちは
ダザイフ政庁、またダザイフ天満郡もそうですけれども
この道を通る東門の道を通ってダザイフに入ってきたということが昔から。
今は感動ですけれども、昔からこういう大きな通りだったんでしょうね、ここは。
そうですね、実際ここをいつ道が通ったかというのを確実に分かるというところは分からないんですけれども
おそらく7世紀の終わりとか8世紀の初めぐらいにここに大きな門が建っていて
その前後に広い道があったというふうに考えられています。
そしてここには組織がいくつかありますね。ここに門があったんですか?
ここがちょうど水木の奴隷が今も見える場所ですよね。
ここ奴隷の位置のすぐ横に現在建造になっていますけれども
この道路の下に門があったんだろうというふうに予測はしています。
ただ実際発掘調査を行うにはこの道路を止めなきゃいけませんので、なかなかできないということもありまして
2014年にすぐ横の側道にあたるところを一部発掘調査をして門の確認をしたところなんです。
ただそのものはちょっとよく分からなかったところもあるんですけれども
これに関連して門に取り付けであろう溝とかですね
道路のダザイフ側の方ではこの門に取り付く道路の側溝だろうという意向なども見つかってまして
06:09
予想している奴隷の横のこの位置に東門があっただろうということは
だんだん絞られてきたかなというところはあります。
ここには石が3つぐらい置いてありますけれども
この丸いやつがこの上に門中が建てたというような感じですか?
いや、これはですね、もともとの位置にあった、今石がここに置いてあるんですけれども
これはもともとの位置にあったものではなくて近くにあったものを寄せてきたりしているものもあります。
この丸いものはですね、近くに絹掛神社というのがありますけれども
あの辺りからこの門に向かう途中に道があるんですが
その道で見つかった、道の中で見つかった組織なんですね。
道の工事をする前に発掘調査を行って、その時に見つかった組織をこちらに持ってきているんですが
おそらく門の近くにあるのでですね、東門に使われた組織ではないかなというふうには思います。
ここにはそういったように水木東門かということと
そして向こうにおじいさんみたいなのが一つありますね。
ここは千樹観音、千樹観世音って書いてますね。
これが実際、門の跡にあるんじゃないかというふうになるんですね。
その一覧。
ちょうど今、祠がありますけど、すぐ横に路面のところに小さなプレートを埋め込んでますけれども
あそこに東門跡じゃないかということを私たち想定して入れてます。
ここでちょっと大事なのは、そのすぐ横にあるこの大きな石ですね。細長い石がありますけれども
1メーター半、2メーターくらいあるんですかね。
そうですね。穴がいくつか入ってますね。
道路側と反対側の方がほんの少しだけ5センチくらい高くなってるんですけれども
実はここに柱が立ってた。
これはおそらく東門で使われてた門の扉を支える部分の組織だろうと考えてられてるんですね。
これはもう昔から置いてあって、これが実際東門の位置を表してるんじゃないかというふうには思います。
近くに実際にこういった祖跡が座っていた場所があるんだろうというふうに私たちは考えています。
09:02
そういう東門跡です。
そしてこの東門を道路を隔てた向こう側に水木がずっと広がっていますので、その水木の方に歩いていっています。
どるいの方に歩いていきます。
東門の横は車の往来が激しい剣道が走っていますが、ここは昔も大きな道路が走っていたのではないかということでした。
剣道を渡ってどるいの方にやってきました。
どるいの上に入ってきました。
ここに木碑があったということですね。木碑の跡ですね。
復元の模型のようなものをここに置いております。
この下に実際に本物の木碑が今も保存されている状況なんですね。
この模型を見てもわかりますけれども、内乗りが大体1.2メーター。幅が1.2メーター。
内乗りの高さが80センチくらいあるような、非常に人がゆっくり入れるような木碑構造が近くに埋まっています。
この木碑の長さとしては大体何メートルくらいあったんですか?
ちょうど水木のどるいの一番下の基盤になるところを火星どるいと言うんですけれども、その幅が大体80メートルありますので、木碑もそれと同じくらいの長さがあります。
火星どるいというのは下の方のどるいということですね。
そうですね。水木がちょうど二段でできていまして、下の基盤になる幅の広いどるいと、博多側に寄ったところにその上に、
上星どるいという高さ10メートルくらいのどるいを作った二段築成になっていますので、その火星どるいの下にこの木碑が埋められているという状況になります。
この木碑を使って水を流し込んだということですね。
ダザイフ川の方が上流川になりますので、そちらの方に水を溜めていたものを、掘りの水を内掘りの水を木碑を通して外掘りに流したという役割があるということで、非常に大きなものですので、水量とかいうことも考えて作られているんだと思いますので、
水を大量に必要とした外掘りのことを考えると、こういった大きさが必要なのかなというふうに思います。
12:02
場所的にはここどるいのちょうど上ですけども、こちら側が内掘りということになるんでしょうか?
ダザイフ川の火星どるいの外側に田んぼがありますので、あのあたりが内掘りがあったというふうに考えられているところです。
そして今度は外掘りの方、博多川へと歩いていきます。
今度は外掘りの方に歩いてきました。
外掘りの外掘りのこれが醸成どるいですね。
見上げるように土が盛り上がってありますけれども、人の手で築いた醸成どるいなんですね。
高さが大体10メートルぐらい、下の地盤からですね。
高さ10メートルぐらいの大きな壁になってますね。
高いですね。
そうですね。
やっぱりこのぐらい高いと登れないと。
そうですね。
水木とかの10メートルの高さというのをですね、私もちょっといろんな各地の遺跡を見て回ったりとかするんですけれども、
中国とか韓国で作られている大きな壁というのはですね、大体高さ10メートルぐらいありまして、
やっぱり水木が、これはくだらの人たちがやってきて作ったんじゃないかという、朝鮮派の人たちが来てということですけれども、
やっぱり大陸の技術というのが、一つ10メートルの高さで壁を作るというのがですね、何かあるんじゃないかなという。
なるほど。
そういうふうに思ってます。
そうですか。
ここから見上げるような高さですよね。
これはいくら攻めてきてもなかなか登れないと。
だからこれがやっぱり大陸の世界標準の規格だったんじゃないかなという説明をですね、皆さんにはさせてもらっているところです。
それでこの土類の全体的な長さなんですけど、どのくらいあるんですか?
ちょうどこの東門の位置からですね、人工の土類が始まるんですけれども、西側に向かって1.2キロ。
途中に羽形、太宰府から羽形の方に流れる三笠川という川があるんですけれども、
それも渡ってですね、西側の瀬振さんの方から伸びてくる丘陵があるんですけれども、
そちらの方に向かってですね、1200メートル、ほぼまっすぐ直線でですね、築かれています。
そしてこの土類のすぐ横に、これが外堀。外堀がありますが、外堀はかなりの長さあったんですか?
そうですね、これもおそらくこの土類に沿ってですね、堀があったというふうには考えられているんですが、
15:09
ちょっと幅がだいたい60メートルぐらいのところでですね、発掘調査をしたときに、地盤の立ち上がりが見えたという記録がありまして、
このところだいたい60メートルの幅ぐらいがあったんだろうというふうに考えられています。
なんか60メートルが弓矢が飛んでこない距離というふうに聞いたんですけど、そうなんですか?
そうですね、そういうふうなことをおっしゃる先生もいらっしゃいましてですね、
実際やっぱり60メートルで結構な距離がありますし、ここをまず博多の方から攻めてくる場合にはこの堀をまず越えて、
さらにその横の高さ10メートルの土類を越えなければなりませんので、防御としてはかなり高い水準だったんじゃないかなというふうには思います。
それからですね、どうしてここにこの場所というのを選んでこういうものを作ったんですか?
そうですね、ちょうど当時戦争が終わったばかりですね、白村湖の戦いで敗戦して、
いろんな交渉事をやっているのはどうも博多湾の近くでやっているようなんですね。
ちょっと一歩離れたところにここがある。またこの太宰府の地を越えてさらに奥に行きますと朝倉というところがあって、
そこに埼明天皇がもともといたという場所がありますよね。
福岡平野と畜死平野、朝倉の方と結ぶちょうど交通の要所みたいなところになるんですけれども、
ちょうどここがボトルネックのように細長く地形体がずっと太宰府から二日市の方に向かって伸びているんですけれども、
その中でも一番狭くなるところなんですよね。
おそらくそこを塞ぐのが一番効率的で早かったんだろうということで、
この場所に水木が置かれたんじゃないかというふうに考えられています。
水木が置かれたのは664年ですか?
そうですね。
663年に白村公の戦いで敗れてしまって、それで東都白木の連合軍がこちらに詰めてくるんじゃないかということで、
そういうことで防御の施設として作ったんですかね。
そうですね。そのように言われていますね。
西明天皇がこちらに来たのが661年。ほんのわずかしかなかったんですけどね。
その前にここを西明天皇のために少し使ったんじゃないかという説もあるんですか。
そうですね。そういった西明天皇の時代に白とか塞ぐ柵とかを作ったという記録が日本書紀の中に出てまして、
18:17
ただそれがこの水木なのか、どこなのか、あるいは日本なのか、
もしかするとその記録の原点になるのはくだらの記録だというふうに書かれているので、
くだらのことを言っているんじゃないかというような説があるので、まだはっきりしたことはわからないんですけれども、
ただ水木と関連する山城とか神戸石とかという研究をする中で、その記事というのは一つ注目されてまして、
もしかすると西明天皇が来る前からここはできていたんじゃないかということを言われる方もいらっしゃいます。
そうですか。いろんな説があるんですね。
そしてこの土塁の作り方ですけれども、いろんな工法を使ってやっているんですか。
そうですね。土塁も一番下には、もともとの地盤自体が三笠川などによる河川堆積なんですね。
地盤が緩いということもございまして、これの上にこういう巨大な構造物を作るためにはやっぱり地盤の補強といいますか、が必要になります。
昔は、これも九太良の土塁を作る技術で確認されているんですけれども、
四季蘇打といって、樹木の四季並べてその上に土塁を作るというような技術がありまして、これが水木でも確認されている。
四季蘇打の技術が確認されたということによって、軟弱地盤の上にこういった強い大きな巨大なものを作ることができますし、
一説には耐震構造といいますか、地震などにも、面震構造ですね。地震などにも強いというふうな。
揺れに強くなるんですか。
そうですね。
木の葉っぱとかいろんなものを敷くわけですね。
そうですね。それが南宋にも渡手に使っているというのが、この水木でわかった事実ではあるんですね。
それから半築工法というのもあるんですね。
そうですね。先ほど人の手で気づかれたといいますけれども、これが全て半築工法というもので作られているというふうに考えられています。
これはもともとは中国の技術なんですけれども、それが朝鮮半島に伝わって、
それを水木や斧状などで採用したというふうに言われているんですけれども、
21:01
薄く土とか砂とかを敷いて、上からその都度叩きしめていくんですね。
それをサンドイッチとかウェアハウスのように重ねて、だんだん高くしていくというものなんですけれども、
非常に中国文明を築いた技術がこの半築ですので、そういった技術が日本にも伝わっているということを知る上では大事な遺産だと思います。
ああそうですか。
頑強に作っていくわけですね。
柔らかいもの、固いものを混ぜながらどんどんどんどん作って、固めていくということですね。
どるいは木の葉っぱなどを使った色育工法や半築工法を使って頑丈な仕上がりになっていました。
どるいはおよそ1.2キロ続くのですが、途中三笠川に分断されています。来週はそこから歩きます。
ご案内は、太宰府市教育委員会文化財課の井上信政さんでした。
古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日は福津観光協会の取り組みをチェックしたいと思うんですが、
実はバスツアーとかウォーキングイベントとか、定期的にいろんなものを組み立ててらっしゃるんですよ。
3月、暖かくなってきますので、ますます楽しそうなもの、間に合いそうなものをいくつか教えてもらってきました。
福津観光協会事務局長の中村隆美さんに教えてもらったんですが、
まだ間に合いそうなのが、3月9日の土曜日と29日金曜日に行われる
感動バスツアー、世界遺産、胸形大社、シンバル、野山古墳群と、光の道、宮次竹神社、奥の宮、発車巡りという、
大体のバスツアーってタイトルを聞いたら行くと分かるという。
ボーラされてる感じがしますね。
しかもいいのがね、詳しすぎるボランティアガイドがぐいっと奥までご案内と。
これはね、ポイントとオススメポイントに書いてあるんですね。
いいですね。
奥までご案内。
特に宮次竹神社は来たことがあるという方が多いと思うんですが、
そのもう一つ奥まで行くぞと中村事務局長おっしゃるんです。
その奥、もっと奥っていう、その部分にこそ宮次竹神社さんの本当の美しさがあるかなというふうに思っておりますので、
奥の宮発車って書いてある入り口があるんですけれども、そこを入った途端、空気がシューって正常化されたっていうか、
神様の領域に入ったなっていうのがわかるような感じの場所なんですよね。
そこから空気がふーっと進むような、そんな感じがします。
ありますよね。
24:01
奥の宮がこんなに一つ一つきれいに整備されて全部お参りできるようになっているところは、
他そんなにないと思うんですよねって中村事務局長おっしゃるんですよね。
発車めぐると対岸成就できるなんていう話もあるそうなんで、ここは気になるところですし、
あとお昼ご飯は安津の里のふるさとレストランで、取れたてのお野菜盛りだくさんのメニューのバイキングになっているそうなんで、
これはいいんじゃないかと思います。
あと、自分の足で歩きたいぞ派の皆さんにおすすめなのが、
3月30日土曜日に行われる神の山に登る宮次竹自然歩道トレッキング。
宮次竹神社の奥にあります宮次竹ですね、お山、その向こうにある荒地山、この2つを登るんですけれども、
宮次竹神社にとってこの宮次竹ってお山、ある意味神様本体でもあるわけなので、
ここに登るから神の山に登ると。
そのために奥の宮発車をめぐった最後にお不動産でお払いをしてもらって、
お札をいただいてそれから登るぞとおっしゃるんですね。
荒地山の方ではコンピュラ神社の古宮があるんですが、この前が展望台になってまして、
紅白の鳥居があって、ここが中村さんお気に入りだといいます。
そこからだと福津市の津江崎方面の海とか街並みとかがすごくきれいに見渡せます。
私この赤白鳥居結構気に入っているんですよね。赤い鳥居が非常に立派で、
その横がちょっと古い白い鳥居の方なんですけれども、
これ男女に見立てて今時風かな、女性の方が力強い大きな鳥居に私にはそう見えるんですよね。
男性側の方の白い鳥居の方がなんとなく引きずられているのかなみたいな、
女性の方が力強いこの鳥居を非常に私は気に入って推しているんですけれども。
いろんなものがあるんですよ。
とにかくいろんな場所を巡ること、それから福津市内の人が自分の友達を外から呼んできたくなるようなものを
企画したいとおっしゃる中村さんなんですが、
ズバリ福津市の観光の魅力ってどんなところなのかなと聞いてみました。
一番はやっぱり宮崎神社さんというすごく大きな観光のスポットがあるんですけれども、
それだけではなくてその宮崎神社さんでもまた奥がある。
歴史を勉強されていらっしゃる方にとっては世界遺産になった古墳があったりとか、歴史も勉強できるし、
だけど海側のところにはすごいおしゃれなカフェがあったりとか、
そういったすごい多様性があるんですよね。
そして人も古くからいらっしゃる方もいるし、新しく入ってこられた、
移住してこられた方たちが頑張っていらっしゃるところとかもあるし、
福津市ってすごく多様性があって、これが福津だよっていうのがなかなか言いにくいんですけれども、
とにかく何かここは何かあって何かシャレとうばいと。
27:03
それが福津市だと思っております。
じっくり巡ってこそ実感できるでしょうね。
そうなんですよ。だからヒントはぜひ福津観光協会頼りにしてほしいと思うんですが、
JRの福間駅の改札口のすぐ前にフックルという観光情報センターがありますので、
ここでいろんな情報を仕入れて出かけるもよし、お土産もあるんでここで最後仕上げをするもよし。
詳しくはホームページなどもチェックしながら、ぜひ福津の観光、春は楽しんでください。
リポーター中嶋理恵さんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの「古代の福岡を歩くシーズン4」のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は、福津市の企画協賛、福岡県商工会連合会、餃子のヤマハチ、道の駅村方の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
また、YouTubeでも聴くことができますよ。
さらに、生放送でいち早く番組をチェックしたい方は、ラジコでRKBラジオ、立川翔司キーサイトを聴いてください。
毎週金曜朝6時半から10時まで生放送中です。
さらに、この立川翔司ニュース落語は本で読むこともできます。
お近くの書店、ネット通販でお買い求めください。
本と音声両方で立川翔司のニュース落語、どうぞご引きに。
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